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 宮沢賢治の生涯を「食」にフォーカスして描いた漫画が発売されました。1冊で心も体もいっぱいに満たされるような、そんな素敵な作品になっています。

宮沢賢治の食卓 (思い出食堂コミックス)
魚乃目 三太
少年画報社 (2017-03-27)
売り上げランキング: 12,259


 表紙で右上を眺めている優しそうな男性がこの漫画の主人公、宮沢賢治です。温もりのある作品だということが感じていただけると思います。宮沢賢治の「孤高の人」などとイメージしている方がおられたら、さっそく裏切られるビジュアルかもしれません。表紙に書かれているこの絵には、この作品の魅力がたっぷりと詰まっています。

 宮沢賢治の生涯はとても有名で、国語の教科書にも掲載されるくらいです。私も、知っているエピソードがたくさんありました。ですが、作者の魚乃目さんが、「食」を通して、温もりで味付けしたこの作品は、私たちに新しい宮沢賢治を教えてくれるに違いありません。



内容紹介



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 漫画の中身はお見せできないので、帯の写真を紹介します。この作品で描かれるのは、おそらく、人々のこれまでのイメージを塗り替えるような「新たな宮沢賢治」の姿です。

 宮沢賢治の作品には息をするのも忘れるような美しさがあります。そのため、宮沢賢治というとどこか聖人化、神格化されたイメージを持たれることがあります。私もそんなイメージを持ってしまいがちな一人です。彼の作品は、本当に人間がこれを生み出したのかというくらいに美しく、おののいてすらしまうからです。

 しかし、いったん宮沢賢治という「人間」に着目してみるとどうでしょうか。彼はとても人間味のある人でした。作品からは想像できないような豪快なエピソードもあります。この作品は、そんな賢治の人間味あふれる部分を伝えてくれるでしょう。「モノマネと冗談の名人」「涙もろくて、情に厚い」帯に書かれているように、彼の愛すべき人間としての姿が描かれます。

 「・・・そして、食いしん坊」

 この作品でフォーカスされるのが「食べ物」です。1話につき1つの食べ物がテーマになっていて、全10話から構成されています。「鳥南蛮そば」「ハヤシライス」「サイダーと天ぷらそば」「樺太のほっけ」・・・などなど。食べ物の描写は本当に魅力的で、食欲をそそります。そして、食を通じて見えてくる賢治の「人生」や「世界観」がありました。次からの書評パートでくわしくご紹介します。



書評



イーハトーヴ

こが面白い!「宮沢賢治の食卓」3つの魅力

① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写
② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫
③ 「食」から見えてくる賢治という「人」


 作品の魅力を、3つに分けてご紹介します。

① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写

 まず、これが最初に印象に残ることではないかと思います。魚乃目さんの絵にはとても温もりがあって、そして喜怒哀楽の描写が豊かです。からだいっぱい、コマいっぱいに感情が描かれているので、読んでいると感情がコマを飛び越えて、読者にも押し寄せてくるような感覚になります。

「沼田くん」
「はい」

「お腹空いてねーが?」(一品目 鳥南蛮そば)



 特に、食べ物が出てくる時の賢治は本当に幸せそうで、二カッと笑った顔にこちらにも笑顔が伝染しました。もちろん、描かれるのは楽しそうな顔ばかりではありません。時には顔をくしゃくしゃにして泣き、時には烈火のごとく怒ります。全ての感情が「全力」で「ダイナミック」。それが、読者の心を掴みます。

② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫

 さまざまな食べ物が出てきますが、その描写が秀逸で、食欲をそそります。食べ物を美味しくさせるために、絵以外にもいろいろな工夫がされているように感じました。

 私が好きだったのは、「口を大きく開けて食べるところ」です。賢治は食べ物をほおばる時、大きく口を開けます。それで満面の笑みを見せるものですから、もう何を食べても極上の食べ物に見えてきます。

「いただきます!!」

「うめえなっす!!はじめて食べる味だ」(五品目 樺太のほっけ)



 「花巻の方言」「オノマトペ」も食べ物を美味しく引き立ててくれるでしょう。方言は温もりや優しさを感じさせる不思議な言葉の魔法ですね。それに、「ぐつぐつ」などのオノマトペもとても種類が豊富で、臨場感を出しています。宮沢賢治といえば天才的な感覚で独自のオノマトペを使いこなしましたが、作者も本家に負けず、オノマトペを効果的に用いています。

③ 「食」から見えてくる賢治という「人」

 「食」が「人」をつくる

 そのことを、強く感じさせられる作品でした。食は「いのち」です。生命をつなげるだけではなくて、食べたものが血となって肉となって人間を作っていく。そのことに思いを馳せます。知っているエピソードがたくさんありましたが、それらに「説得力」を感じたのは、人を作っているものである「食」にこの作品が立ち返ったからではないかと思います。

 「お腹、すきませんか?」

 その言葉が、不思議な魔法のように思えました。食べ物を通じて感じる「生きるよろこび」「幸福感」、満たされた私たちが忘れかけていることが鮮やかに描かれていて、はっとさせられるのです。

IMAG0300_BURST002_1.jpg

 最後に、印象的だったエピソードを2つご紹介します。

◆ 「アイスクリーム」(3品目)


 賢治について知っておられる方は気付けるかもしれません。この話では、賢治の最愛の妹、トシとの別れが描かれています。取り上げられる作品は「永訣の朝」です。

どうかこれが天上のアイスクリームになって
おまへとみんなとに聖い(とうとい)資糧(かて)をもたらすように (『永訣の朝』)



 アイスクリームは「雪」のことです。本当の食べ物ではないので、この話は特別な位置づけにあるかもしれませんね。亡くなる直前、冷たいあめゆぢゅ(雨雪)を食べたいといったトシ。賢治は必死にかけまわって雪をとってきます。そして、迎える最後の時-。胸が締め付けられるようなエピソードです。

 トシが亡くなった後、賢治の慟哭が1ページをまるまる使って描かれます。圧倒されました。1冊の中でもっとも心を動かされた1ページかもしれません。

 悲しいエピソードには違いないのですが、それでも根底に「温もり」があるというのがこの作品の魅力だと思いました。賢治がどれだけトシのことを愛おしく思っていたのか、トシがどれだけ周りの人に愛されていたのか、それがひしひしと伝わってきます。

◆ 「弁当」(九品目)

 賢治は勤めていた学校にいつも弁当をもってきていたと言います。それだけで賢治に親しみを感じることができるような、弁当というのはそんな不思議な食べ物ですね。

 賢治の同僚の先生が病気で学校に来れなくなり、賢治はその先生のもとに通います。手には母に作ってもらったお弁当、そして先生を援助するためのお金を握りしめて。

「うわ~
うめぇ・・・・・・
こんな美味しい物
はじめて食べた」



 ビフテキが詰まったお弁当。賢治の優しさが調味料になって、世界で一番ぜいたくな食べ物になったようです。作った人の顔や気持ちが見える弁当。豪華な料理が並んでいるこの作品の中で、ひときわ輝きを放っていました。

 ですが、先生は結局亡くなってしまいます。トシと同じ結核で、亡くなった日も、奇しくも妹トシが亡くなった日と同じだったそうです。このことは、賢治に大きな無力感を与えることになります。

 賢治の作品にどこか漂う「かなしみ」。そして、「ほんとうのさひわい」を求める旅。それらは、こういった体験から生まれた賢治の価値観だったようです。もう一度、彼の作品に立ち返りたくなります。

まとめ



まとめ



 「おなかいっぱい」になる、素敵な1冊でした。多幸感がからだを包みます。読む人を幸せにできる、素晴らしい漫画だと思いました。

 そして、今後何度もこの本を開きたくなるような、そんな予感も覚えました。ちょっと寂しくなった時に居場所を求めたくなるような、そんな雰囲気があります。

 このブログでこれまで紹介してきた作品も収録されていますが、この本を読んだ後ではまったく感想が変わりそうです。もう一度、賢治の作品を読み返したいと思います。今度は賢治という「人」を感じながら。そんな旅になりそうです。




オワリ

宮沢賢治の食卓 第1話試し読み

 第1話が無料で試し読みできるようです(2017/4/16現在)。ぜひ読んでみてください。

宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 旅程表

 今回で19回目になりました。宮沢賢治の作品や宮沢賢治に関するトピックを取り上げています。


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魚乃目三太, 宮沢賢治,



スクリーンショット (24)

 前回に引き続き、「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」の1周年記念スペシャルです。「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」と題して、宮沢賢治の作品に登場する数々の創作オノマトペを紹介し、その秘密に迫っています。

 前回は「実験編」と題し、宮沢賢治の創作オノマトペに見られる様々な法則を紹介しました。宮沢賢治が慣習的なオノマトペに少し手を加えて独自のオノマトペを生み出していく様はまるで面白い実験でも見ているかのようで、「実験編」というタイトルを付けるに至りました。さて、今回は「鑑賞編」をお届けします。宮沢賢治が独自のオノマトペを生み出していったメカニズムを理解したところで、今回はそこから生まれる文学的な味わいをじっくりと鑑賞してみようと思います。



イントロダクション



賢治オノマトペの謎を解く
田守 育啓
大修館書店
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 前編では、田守育啓さんが書かれたこの本を参考にさせていただきました。田守さんの専門は言語学であり、文学ではありません。というわけで、この本も文学的視点からではなく、言語学的視点、特に音象徴学的視点から書かれています(p246)。私はいつも文学の視点からのみで賢治の作品を読んでいるので、この「文学から切り離したアプローチ」というのはとても新鮮でした。賢治作品の魅力がこれまでよりもさらに増したように思うのです。

 今回の鑑賞編では、田守さんの言語学的なアプローチを生かしつつ、私が普段このコーナーでやっている文学的なアプローチと絡めていく形でオノマトペを鑑賞してみたいと思います。鑑賞の対象として、これまでこのコーナーで紹介してきた作品の中から3つの作品を選びました。紹介する作品は、『なめとこ山の熊』『どんぐりと山猫』、それに『やまなし』の3作品です。

『なめとこ山の熊』×オノマトペ



なめとこ山の熊 (日本の童話名作選)
宮沢 賢治
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#17 『なめとこ山の熊』

 『なめとこ山の熊』はこのコーナーの前回に紹介した作品です。「人間と動物が心を通い合わせる」という賢治の願いが追及された作品だと思います。最後に人間の小十郎は死んでしまうのです。悲しさと、やるせなさと、しかしどこか満たされたような、そんな感情が込み上げてくる結末は賢治の作品の中でも指折りの完成度だと思います。

 この作品にはたくさんのオノマトペが出てくるのですが、作品を覆う雰囲気である、悲しさややるせなさをまとったオノマトペが多いように感じます。人間も動物も植物もその価値は平等である、それが宮沢賢治の信念でした。しかし、現実の世界ではそうはいきません。食うもの、食われるもの―自然界にはピラミッドがありました。そして、人間同士でもピラミッドは存在しています。まるで作品全体が、そのことを嘆いているようです。この作品から1つオノマトペを紹介することにしましょう。

onomatopoeia lab

小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。



 「ぐんなり」した風、という表現が使われています。「ぐんなり」は力が抜けたり衰えたりするさまを表す語句ですね。「ぐんなり」は慣習的なオノマトペにも存在しますし、ぐんなりした風、という表現がとりわけ奇特なものである、というわけでもありません。しかし、この表現を作品全体を踏まえて見つめてみると、これがただ力の弱い風ではないことが分かります。

 風も共に悲しんでいる

 私が感じた印象を一言で言い表すとそうなります。先程、この作品は作品全体が悲しみややるせなさをまとっている、と書きましたが、そう感じさせるのは、風や山、川など、この作品に出てくる自然の事物が、印象的なオノマトペを伴って、まるで感情を持っているかのように描かれているからです。

 人間が生きるために熊を殺さなければいけないこと。人間である小十郎も、熊も、そして自然も、そんなことは望んでいないのです。それなのに、小十郎は熊を殺さなくてはいけない。「熊が憎いわけではないんだ」、小十郎の言葉に自然が呼応しているようです。この「自然も一緒に悲しんでいる」ということを、作品を読んでぜひ感じていただきたいと思います。

『どんぐりと山猫』×オノマトペ



 悲しみのオノマトペから、打って変わって面白いオノマトペを紹介することにします。このコーナーでは第6回で紹介した『どんぐりと山猫』です。

どんぐりと山猫 (日本の童話名作選)
宮沢 賢治
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#6 『どんぐりと山猫』

 深い悲しみをまとった作品だけではなく、賢治はユーモラスで茶目っ気たっぷりな児童文学作品もたくさん世に残しています。『どんぐりと山猫』はその一つです。こういった楽しい作品では、まるでスキップでもするような、軽快でリズミカルなオノマトペがたくさん見られるように思います。

onomatopoeia lab

まはりの山は、みんなたったいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでいました。



一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どつてこどつてこどつてこと、変な楽隊をやつてゐました。



 「うるうる」というと、目から涙がこぼれる様子や、しっとりしたものを表す時に用いる言葉です。山が「うるうる」盛り上がる、という文脈に当てはめられて、このオノマトペがもっているみずみずしさが見事に生かされています。たった今できたばかりのような、という表現がさらにいいですね。自然の生命力を感じることが出来ます。

 この記事を書いている今、ちょうど町は春でいっぱいです。賢治のこの表現を知っているからでしょうか、町のいたるところに「うるうる」があるように思えます。こういったところからも、改めて賢治の「自然をつかまえる力」を感じるのです。

 2つ目に紹介するのは「どってこどってこどってこ」です。とても楽しくて踊るような表現ですね。この例のように、賢治の作品には「3回の繰り返し」がよく登場します。凡人の私だったら、「どってこどってこ」と2回の繰り返しにしているような気がします。日本語のオノマトペでは同じ音を2回繰り返すものが多いですし、おそらくそのほうが形としてはしっくりくるのでしょう。しかし、賢治は独特の「3段オノマトペ」を用いるのです。

 この効果は、声に出してみると分かりやすいと思います。私などは、黙読をしていても、3段オノマトペに出会うと思わず声を出してしまうのです。それくらい、作品に勢いをつける表現ということでしょう。3回の繰り返しのうちの3回目は、念を押すように、力強く読みたくはならないでしょうか?賢治が意識してやっていたかどうかは分かりませんが、こういうところでもそのセンスが光っています。

『やまなし』×オノマトペ



 最後は国語の教科書にも掲載されている『やまなし』です。悲しみ、面白味、との流れにのれば、この作品に出てくるのは「不思議なオノマトペ」とでも言えるでしょうか。

童話絵本 宮沢賢治 やまなし (創作児童読物)
宮沢 賢治
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#1 『やまなし』

 前回紹介した「かぷかぷわらう」もそうですが、凡人の私たちには決して思いつけないような、奇想天外な創作オノマトペがたくさん登場します。あまりにイレギュラーなそれらに、最初は目を丸くしてしまうかもしれません。ですが、それらは決して遊びで適当に作られたわけではなく、その場その場にフィットした、絶妙な表現になっているのです。2つ紹介したいと思います。

onomatopoeia lab

三疋(ひき)はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。



やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。



 小学校のテストで太字の部分が空欄になっていたとします。「ぼかぼか」や「もかもか」を記入しても、おそらく×になってしまうでしょう。そういう意味で小学生に「こんな表現もあるんだよ」とは教えにくいのですが、こういった変則的なオノマトペにこそ賢治の特筆すべき感性を見出すことが出来ます。

 上の文なら、普通は「ぷかぷか」流れて行く、となるでしょう。それなら○がもらえそうです。それを「ぼかぼか」と表現した賢治。やまなしの重量感、そして、そんなやまなしが鈍い動きで浮き沈みしながら流れて行く様子が見事に表現されています。テストの正解は別にして、文学としてどちらが優れた表現か、と問われれば私は迷わず「ぼかぼか」です。こんな風に、賢治の創作オノマトペは時に慣習的に存在するオノマトペを超えた見事な表現を見せます。

 虹が「もかもか」集まる、というのも何とも不思議な表現です。「もやもや」が変形したのでしょうか。様子を思い浮かべると、「ぼやぼや」あたりも近いかもしれません。賢治が選んだ表現はそのどちらでもない、「もかもか」でした。ここから先は想像力の領域です。それぞれの人が目の奥に異なる景色を浮かべることでしょう。私は、賢治の想像の世界に存在していた「もかもか」を思い浮かべるだけでわくわくします。

 「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」、いかがでしたでしょうか。オノマトペ、という新たな視点から賢治の作品を再構築できて、私自身とても楽しく、そしてたくさんの発見ができたシリーズでした。次回以降は通常のレビューに移ろうと思います。今回のシリーズで得た「オノマトペ」という視点も生かしながら、今度はどんな作品を紹介しようか、今から考えています。



イーハトーヴ

宮沢賢治のオノマトペ・ラボ (実験編)

 前回の記事もぜひ合わせてご覧ください。


宮沢賢治,



  •   02, 2016 23:57
  • スクリーンショット (24)


     このブログのコーナー、「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」にたくさんのアクセスありがとうございます。昨年の3月末に開始したコーナーなので、ちょうど1周年を迎えることになります。1周年への感謝とたくさんのアクセスへの御礼の意味合いも兼ねて、第18回の今回は初めてのスペシャルを企画しました。

     「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」と題し、宮沢賢治の創作オノマトペの秘密に迫る2回シリーズです。気合を入れてプロモーションパネルまで作成してみました。いつもとは違う「イーハトーヴへの旅」のスペシャル版、ぜひご期待ください。



    斜め上のオノマトペ



    「クラムボンは笑ったよ」
    「クラムボンはかぷかぷ笑ったよ」
    「クラムボンははねて笑ったよ」

    「クラムボンは死んだよ」
    「クラムボンは殺されたよ」



     ご存知の方も多いと思いますが、これは宮沢賢治の『やまなし』という作品からの一節です。そして、この場面に出てくるクラムボンが「かぷかぷ」笑うという表現は、数多くある宮沢賢治の創作オノマトペの中でももっとも有名なものの一つに挙げられるのではないでしょうか。

     私は小学6年生の教科書でこの作品に出会いました。「かぷかぷ」笑う、という表現はおそらく生きてきて初めて目にしたものだったと思います。笑う様子を形容するオノマトペはたくさんあります。ゲラゲラ、クスクス、ニヤニヤ・・・いろいろありますが、どれも笑っている様子がすぐに目に浮かびます。イメージとすぐに結びつくたくさんのオノマトペ、これだけでも十分な種類が揃っているように思うのですが、宮沢賢治という人はその「斜め上」を行くのです。

     「かぷかぷ」笑う、そのオノマトペが提示する新たなイメージはとても豊かで、私は今まで知らなかった表現の世界に胸躍らせました。独特のオノマトペは「かぷかぷ」だけではありません。たくさんの作品で、まるで息をつくかのように、宮沢賢治は独創的なオノマトペを次々と生み出していきます。教科書や辞典は教えてくれない豊かなオノマトペの数々に出会えることは、私が宮沢賢治を大好きな理由の1つです。

    宮沢賢治を語る上で忘れてならないのは、作品に見られる賢治の語感の鋭さである。特に賢治独特のオノマトペおよびその使い方は誰にも真似ることができない、賢治だけに与えられた天賦の才である。宮沢賢治のほとんどどの作品にもオノマトペが溢れ、オノマトペが賢治の作品の特徴の一つとして挙げられるほどである。



     このように語るのは、言語学者の田守育啓(たもり いくひろ)さんです。宮沢賢治のオノマトペを特集したいと思い立ち、何か良い文献がないかと探したところ、田守さんが著されたこんな本と出会いました。

    賢治オノマトペの謎を解く
    田守 育啓
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     とにかく宮沢賢治のオノマトペがたくさん詰まった、賢治ファンの私にとっては夢のような1冊でした。賢治の作品に出てきたオノマトペをまとめた巻末の「賢治オノマトペ索引」などは永久保存版でしょう。今回のスペシャルはこちらの1冊から多くのことを参考にさせていただいています(記事中の参照・引用は、特に記載のない限り『賢治オノマトペの謎を解く』からのものです)。

     ということで、宮沢賢治の独特のオノマトペについて、さっそく見ていこうと思います。

    オノマトペの秘密



     ここまで「オノマトペ」ということばを注釈なしで用いてきましたが、「オノマトペ」には様々な種類があります。まずはその点をおさえておきたいと思います。

    語句
    オノマトペ

    …オノマトペには3種類あります

    ① 擬声語 …動物の鳴き声や人間の声を真似て創られたもの
    例 ) ワンワン(鳴く) きゃーきゃー(騒ぐ)

    ② 擬音語 …自然界の物音を真似て創られたもの
    例 ) ザワザワ(揺れる) ゴロゴロ(鳴る)

    ③ 擬態語 …音響とは直接関係しない、動作・事物の状態、痛みの感覚、人間の心理状態などを象徴的に表したもの
    例 ) めそめそ(鳴く) くるくる(回る)



     オノマトペの種類と具体例を簡単にまとめました。ただ、今回の特集において上で説明したようなことはほとんど意味を持ち合わせていません。理由は2つあります。まずは宮沢賢治が使ったオノマトペの多くは既存のオノマトペの中にはない「創作オノマトペ」であったから、もう一つは、賢治はオノマトペを使うとき、役割や文法などといったことからは時に大きく逸脱していたからです。

     「かぷかぷ」笑う
     「すぱすぱ」歩く(『風の又三郎』)
     「つるつる」とした空(『なめとこ山の熊』)

     このように、賢治の作品には日本語の他の文脈からは考えられないような独創的なオノマトペの数々が登場します。これらのオノマトペを、賢治は一体どういう風に生み出しているのでしょうか。オノマトペの天才などと言われる彼ですから、何もないところから空想力で創作オノマトペをオノマトペを生み出している、とイメージされる方もいるかもしれません。しかし、実際はそうではありません。宮沢賢治は既存のオノマトペに様々な「法則」のもとで「アレンジ」を加えていたのです。


    このような賢治独特のオノマトペは全くの無から創作されたのではなく、その創作にも法則があり、慣習的オノマトペを何らかの形で利用して創作されたと考えられる。



     田守さんは、慣習的オノマトペと賢治のオノマトペを比較し、賢治が慣習的オノマトペにどのようなアレンジを加えていたのか、そこにある「法則」の存在を明らかにしていきます。私たちの耳になじんだおなじみのオノマトペが、少し手を加えるだけで全く違う響きをもった新しいオノマトペに生まれ変わる。オノマトペが変身していく様はまるで何かの「実験」でも見ているかのよう。そうなると、賢治の作品は様々な創作オノマトペが生み出される「ラボ」というところでしょうか。今回の特集のタイトルはそんなイメージから付けています。

     では、賢治が創作オノマトペを生み出していった法則とはどのようなものなのでしょうか。パネルで簡単に紹介したいと思います。

    スクリーンショット (25)

     全部で4つの法則がまとめられています。矢印の左側が慣習的オノマトペ、右側が賢治の創作オノマトペです。2つを見比べて、ニュアンスの違いなど、ぜひイメージしていただけたらと思います。

     まずは「別の音にチェンジ」。普通は足が「ぎくっと」鳴る、とするところを、賢治は足が「きくっと」鳴ると表現するのです(『フランドン農学校の豚』)。「ぎ」が「き」に変わって、印象はどう変化するでしょうか。「きくっと」鳴ると表現すると、ちょっと間が抜けたような、例えば自転車のタイヤがパンクした時のような印象を受けました。足が突然ふにゃっと曲がった様子がよく表現されているのかもしれません。

     こんな風に、賢治が創作オノマトペを生み出していった法則と、創作オノマトペによって得られる印象を考えていくと大変面白いです。まずは「音の挿入」から。「ぐにゃり」に撥音(ん)を挿入した「ぐんにゃり」(『土神ときつね』)は首を垂れる場面の描写ですが、よりがっかりしているような、体から力が抜けるようなさまが伝わってきます。右下の「音の反復」はどうでしょう。「くつくつ」が「くつくつくつ」(『水仙月の四日』)になっただけですが、これだけで場面が生き生きしてくるから不思議です。鍋の中にあるものがより激しくに立っている様子が目に浮かぶようです。全体的に言えることですが、まるで呼吸をしているような生き生きとした文に変化しています。

     私が一番面白いなと思ったのが左下の「音の入れ替え」でした。賢治の創作オノマトペの醍醐味とも言えるかもしれません。「こっそり」咲くではなく、「そっこり」咲く(『鹿踊りのはじまり』)・・・一見意味不明です。無意味に音を入れ替えて遊んでいるだけでは?と思われる方もあるいはいるかもしれません。私も最初は違和感しか覚えませんでしたが、この「そっこり」という表現は味わううちに旨味が出てくるのです。これは私の勝手なこじつけですが、「そっこり」は、「こっそり」と「もっこり」と「ほっこり」のニュアンスが組み合わさったようなイメージを覚えます。こっそりと、もっこり、そしてほっこり咲いているのです。単に音を入れ替えただけで、これだけの味わいが生まれることに驚かされます。

    天からの才能



     田守さんの本から4つの法則を紹介しました。せっかくですから、クラムボンが「かぷかぷ」笑うという『やまなし』の描写も考えてみようと思います。勘の良い方はすぐに気付かれると思いますが、これは「ぷかぷか」や「ぷくぷく」から生み出されたオノマトペであると推測されます。水中に泡が浮かぶ様子を、笑うという動作に見立てているのです。

     水中に浮かぶ泡から笑うという動作を連想する流れは比較的分かりやすいです。しかし、この箇所が単純に「ぷかぷか」笑うや「ぷくぷく」笑うだったらそんなに目を引く表現にはならなかったと思います。こういうところでさっと創作オノマトペを生み出す―。宮沢賢治の作品から受ける生き生きとした印象の生命線がここにあります。

     宮沢賢治のオノマトペの法則を紹介しましたが、賢治は上に書いたように理詰めでオノマトペを生み出していったわけではないと思います。賢治の作品を読んでいて思うのは、彼が「本当に見ている」「本当に聴いている」ということです。

     慣習的なオノマトペでも十分にイメージは伝えることが出来ますし、何の不足もありません。しかし、私は賢治の創作オノマトペを見るたびにはっとします。それに触れた後水面を見ると本当に泡は「かぷかぷ」浮かんでいるようですし、空を見上げると空が「つるつる」しているようです。「本当の様子を、ことばで見事につかまえている」、そんな印象があります。

     いうまでもなく、本当の様子をことばでつかまえるということは至難の技のはずです。そんな難しいことを、さらりとやってのけてしまう。その場その場の「本当の様子」にジャストミートするオノマトペを、まるで息を吐くように生み出してしまう。ことばにするとその時点で偽物になったような感覚をいつも抱いてしまう私にとって、賢治のこの才能は本当にうらやましいです。

     前編の今回は「実験編」ということで、宮沢賢治の創作オノマトペの法則を明らかにして、慣習的なオノマトペからの変化を見てみました。次回は「鑑賞編」として、賢治の創作オノマトペをよりたくさん、じっくりと見ていこうと思います。



    イーハトーヴ

    「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」 旅程表

     これまでの連載もぜひご覧ください。

     後編の「鑑賞編」は近日中にアップ予定です。
    宮沢賢治,



    •   23, 2016 00:31
  • イーハトーヴ

     私が毎週楽しみに聴いている小川洋子さんのラジオ番組があります。「パナソニック メロディアスライブラリー」といって、小川洋子さんが毎週ある文学作品を取り上げ、「文学遺産」として音楽とともに紹介するプログラムです。小川さん好きの私にとってこの番組があることは本当に幸せで、毎週素敵な時間をいただいています。

    スクリーンショット (20)

     さて、その「メロディアスライブラリー」ですが、きのう(2月22日)紹介された作品は宮沢賢治の『注文の多い料理店』でした。小川洋子さんと並んで宮沢賢治が好きな私です。素敵な時間を超えてもう夢の中にいるようでした。小川さんの解説する『注文の多い料理店』をたっぷり堪能させていただきました。
     この流れで『注文の多い料理店』を紹介したいところですが、『注文の多い料理店』はもうすでにこのコーナーの第4回で紹介済みです。今日紹介するのは、番組の終盤でも触れられた『なめとこ山の熊』という作品です。テイストは大きく異なりますが、『注文の多い料理店』と共通するものも見出すことができて、宮沢賢治の作品の中でも重要な位置を占めている、と言えるかと思います。ラジオの幸せな余韻も感じつつ、今日はこの作品を読んでいきましょう。

    (約4400字)



    殺生を憎んで



     『注文の多い料理店』と『なめとこの山』には、どちらも動物を狩る人間が登場します。しかし、その人間の描かれ方は大きく異なっています。『注文の多い料理店』には若い2人の「紳士」が出てきますが、彼らはとても横暴で、動物を撃ち殺すことに何の良心の呵責も覚えないようです。「紳士」とはよく言ったもので、2人は相当ひどい人物として描かれています。

     さて、『なめとこ山の熊』にも動物を狩る人間が登場します。それが、主人公の小十郎です。小十郎は山で熊を買って生活しています。しかし、その描かれ方は『注文の多い料理店』に出てくる2人とは大きく異なっているのです。

    小十郎は膝から上にまるで屏風のような白い波をたてながらコンパスのように足を抜き差しして口を少し曲げながらやって来る。そこであんまり一ぺんに言ってしまって悪いけれどもなめとこ山あたりの熊は小十郎をすきなのだ。その証拠には熊どもは小十郎がぼちゃぼちゃ谷をこいだり谷の岸の細い平らないっぱいにあざみなどの生えているとこを通るときはだまって高いとこから見送っているのだ。



     小十郎は殺す側、熊は殺される側です。それなのに、熊は小十郎のことを好きだというのです。「そこであんまり・・・」という力強い一説から、小十郎がどれだけ山とそして熊に根付いた暮らしをしてきたかが伝わってきます。

     熊を撃ち殺した後、小十郎は熊の亡骸にこう語りかけました。

    「熊。おれはてまえを憎くて殺したのでねえんだぞ。おれも商売ならてめえも射たなけぁならねえ。ほかの罪のねえ仕事していんだが畑はなし木はお上のものにきまったし里へ出ても誰(たれ)も相手にしねえ。仕方なしに猟師なんぞしるんだ。てめえも熊に生れたが因果ならおれもこんな商売が因果だ。やい。この次には熊なんぞに生れなよ



     小十郎は貧しい暮らしをしていて、生きていくためには熊を狩るしかありませんでした。この場面は「殺したくないんだけど仕方ないんだ」と言い訳をしているように読めます。ですが、ここをただの「言い訳」で片付けてしまうのはもったいないと私は思います。ここには、狩りをしていくうちに一種の「悟り」の境地を拓いた小十郎の深い葛藤が込められているのではないかと思います。

     宮沢賢治は、「殺生」を憎みました。ですから、命を奪うことの罪深さを考えもせずに動物を殺していた『注文の多い料理店』の2人にはああいった形で「制裁」を加えたのです。この作品でも、殺生を憎んでいるという考え方は変わらないでしょう。しかし、この作品の小十郎が『注文の多い料理店』の2人と決定的に異なるのは殺生に苦悩しているという点です。

     自分が人間に生まれて来たこと、熊が熊として生まれて来たこと。小十郎はそれを「因果」と捉えて呪っています。『注文の多い料理店』では、人間が動物より偉いんだ、という構図(人間の傲慢さ)が2人の間で固まっていました。小十郎は違います。人間も動物もあるいは植物も、最初は平等な存在だったのです。それが、奇妙な因果がはたらいて、殺す側と殺される側に分かれてしまった。その「因果」のほうを憎むというのがなんとも深いですし、宮沢賢治の思想が大きく反映された部分だと思います。

     宮沢賢治は児童文学作家で、『注文の多い料理店』のようなコミカルで読みやすい作品が多いです。しかし、この作品に漂う雰囲気はそういったコミカルな作品とは異なります。「人間として生まれ落ちてきたことの苦しさ」、あるいは「命をめぐる葛藤」。悲しみと苦しみをいっぱいに湛えたこの短編から感じる雰囲気は、まるで冷たい冬の空を切り裂く風のようです。決して読みやすい作品ではありませんが、私はこの作品のような雰囲気こそ宮沢賢治作品の真骨頂ではないかと思います。

    資本主義を憎んで



     この作品の大きなポイントの一つに、「資本主義の搾取の側面を描き出した」という点が挙げられます。序盤を終えて、場面は小十郎が町に熊の皮と肝を売りに行くところに移ります。小十郎は荒物屋の主人に皮を売ろうとするのですが、皮は前も買ったという主人に安く買い叩かれてしまうのです。作中の言葉を借りれば、「みじめさ」や「気の毒さ」を感じさせる場面です。

     山では熊を撃ち、ある種の威厳を保っていた小十郎が、町に出ると搾取される側という弱い立場に転落し、搾取する側(資本家)である主人の前にひれ伏すしかないのです。山から町に場面が移るとともに「勢力図」も決定的に変化した格好となりました。

     宮沢賢治は、そんな資本主義の側面に包み隠さず怒りを表明します。

    ここでは熊は小十郎にやられ小十郎が旦那にやられる。旦那は町のみんなの中にいるからなかなか熊に食われない。けれどもこんないやなずるいやつらは世界がだんだん進歩するとひとりで消えてなくなっていく。僕はしばらくの間でもあんな立派な小十郎が二度とつらも見たくないようないやなやつにうまくやられることを書いたのが実にしゃくにさわってたまらない。


     激しい怒りに身を震わせたのでしょう。語り手が前に乗りだしてきて怒りをぶちまけます。資本家のことを「こんないやなずるいやつら」と呼び、「ひとりで消えてなくなっていく」ことを望んだ賢治。
     
     ここまで作者の怒りが前に出てきていて、物語としてはもう崩壊寸前かもしれません。それでも、そんなことを差し置いてでも私たちはこの叫びに向き合わなければいけないのだと思います。「こんないやなずるいやつら」―。何を思って彼がここでこの表現をぶつけたか。この場面では長く立ち止まって考えてしまいます。

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     このあとの展開には脱帽するしかありません。おそらく宮沢賢治にしか書けない、そう思わせる展開です。ここで明かしてしまえば、小十郎は最終的に熊に襲われて命を落としてしまうことになります。

     人間世界では搾取され、最後は獲物にしていた熊に襲われたのか・・・。読んだことのない方はそう思われ、小十郎を哀れな存在だと感じられたかもしれません。そう思われるのが普通ですが、この作品はそうではなかったのです。たしかに小十郎は熊に襲われて亡くなりました。しかし、それは哀れな死でも犬死にでもありませんでした。

     「安寧」「解放」「救済」・・・そのようなことばが浮かびます。熊に襲われて死ぬという一見哀れな死に方には、宮沢賢治が込めた精一杯の救済の気持ちがあったのではないでしょうか。

     最後の節で、小十郎の死の場面を見ていきます。

    人間を憎んで



    ぴしゃというように鉄砲の音が小十郎に聞えた。ところが熊は少しも倒れないで嵐のように黒くゆらいでやって来たようだった。犬がその足もとに噛み付いた。と思うと小十郎はがあんと頭が鳴ってまわりがいちめんまっ青になった。それから遠くでこう言うことばを聞いた。
    「おお小十郎おまえを殺すつもりはなかった」
     もうおれは死んだと小十郎は思った。そしてちらちらちらちら青い星のような光がそこらいちめんに見えた。
    「これが死んだしるしだ。死ぬとき見る火だ。熊ども、ゆるせよ」と小十郎は思った。それからあとの小十郎の心持はもう私にはわからない。



     小十郎を襲った熊は「殺すつもりはなかった」とわび、一方の小十郎も、死へ向かう中で「熊ども、ゆるせよ」とわびています。一見おかしな場面ですが、上に出てきた「因果」ということばを思い出せばこの場面が理解できるのではないでしょうか。

     人間として生まれたこと。熊として生まれたこと。襲うこと、襲われること。それは奇妙な因果でした。それが全て「元に戻った」―私はそんなイメージでこの場面を解釈しています。人間も熊も、その生き方は本意ではなかったのではないでしょうか。本当は全てが「平等」でなければいけない―。宮沢賢治にはそんな思想が見られます。

    その栗の木と白い雪の峯々にかこまれた山の上の平らに黒い大きなものがたくさん環になって集って各々黒い影を置き回々(フイフイ)教徒の祈るときのようにじっと雪にひれふしたままいつまでもいつまでも動かなかった。そしてその雪と月のあかりで見るといちばん高いとこに小十郎の死骸が半分座ったようになって置かれていた。



     小十郎のなきがらを、熊たちが囲んでいる場面です。自分たちを襲う敵でありながらも、小十郎のことが大好きだったという熊たち。何かが語られることはなくても、弔いの気持ちは十分に伝わってきます。

     私は「死骸」という部分を太字にしました。読んでみて、この語句に目がとまったのです。「死骸」それはとても残酷で、冷たく乾いた響きをもったことばです。死骸、という表現は私たちに小十郎の死を確認させますし、何か空虚な気持ちが押し寄せてくるような印象もあります。

     しかし、この場面は美しい。美しさとは全く相容れないような「死骸」ということばを使っているにもかかわらず、です。先程も書いたように、小十郎が熊たちによって弔われる場面は安寧や救済を感じさせる場面です。私は『よだかの星』を思い出しました。『よだかの星』と比べたら、彼は天に昇ったわけでもないし、それどころか「死骸」などと書かれている。それにもかかわらず、『よだかの星』に比肩するような美しさを感じる場面なのです。言葉が足りず申し訳ありませんが、これはもう、ただただ「すごい」としか言いようがない。

     悲しみや苦しみ、そして憎しみまでも抱き寄せた「美しさ」。憎しみが美しさになる、これはとてつもないことでしょう。しかし、宮沢賢治はそれをやってのける。好きな作家だと書きましたが、好きというより「畏敬の念」を感じる作家です。



    イーハトーヴ

      知名度的には『注文の多い料理店』が圧倒的に勝ると思いますが、私はこの作品の方が賢治の本質に迫れる作品ではないかと思います。『注文の多い料理店』だけ知っている、という方にはぜひおすすめしたいです。

    宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 旅程表

     宮沢賢治の作品を読んでいます。次回は作品の読解からちょっと趣を変えたスペシャルをやってみようかな、と思っています。


    宮沢賢治,



    •   22, 2016 20:17