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 日が落ちて夜になった時、「家に帰らなくちゃ」と本能的に思います。小さいころから変わらないことです。昔は本気で「お化け」を怖がっていました。夜になる前に家に入らなければ大変なことになる、真剣にそう思っていた気がします。

 さすがにもうお化けを怖がる年齢ではありませんし、今は夜の街もすっかり明るくなってしまいました。しかし、夜がやってきた時の心のざわめきは、かすかとはいえ、今もたしかに残っています。



 森見登美彦さんの 「夜行」は、私の中にあったかすかな本能を呼び覚ますような小説でした。実に素晴らしい作品です。解釈は人の数だけあれど、誰もが、これまでしたことのない体験のできる作品だと思います。

 「非日常」は、小説のもっとも大きな魅力です。そして、「非日常」に案内するには、実に様々なアプローチがあります。この作品は、そんな非日常への誘いを、ある意味曖昧に、そして別の意味では鮮やかに、見事にやってみせています。



内容紹介



ファンタジー

の夜は、どこに通じているのでしょう-

 学生時代に英会話サークルに通っていた5人が、10年ぶりに集い、鞍馬の火祭を見物しにいくことになります。久しぶりに会ったのに、全くそんな感じのしない面々。気のおけない仲間でした。

 しかし、そこには本来、もう1人の女性がいるはずでした。その名は長谷川さん。彼女は、10年前、ちょうど同じ火祭りの夜、忽然と姿を消したのでした。

 学生時代を思い返して歩いていた主人公の大橋は、ある女性の姿が画廊に入っていく姿を見ました。懐かしいと感じたその女性の横顔は、長谷川さんにそっくりだったのです。これは幻覚だ-彼はそう自分に言い聞かせます。

 女性を追って画廊に入った大橋は、そこで岸田道生という画家の銅版画を目にします。タイトルは「夜行 -鞍馬」。それは、全部で48ある「夜行」という作品群の1つだったのです。

 その夜、一行は近くの宿に泊まります。気の置けない仲間たちは、やがて、それぞれの「旅」の思い出をおもむろに話し出します。それは、大橋が見た「夜行」という絵と、そして行方不明になった長谷川さんを共通項に紡がれる、奇妙な記憶たちでした-。

書評



書評

◆ 暗がりから広がる

 森見さんの本を読むのは2年ぶりくらいだと思います。時間は空いてしまいましたが、好きな作家さんの一人です。主に京都を舞台に繰り広げられる、狂おしいほど愛しい日々や幻想的な物語。高校生の時にある作品を読んだときは、「京都での大学生活」に心底憧れたものでした。

 今回も楽しみに読み始めたのですが、「いつもの森見さん」を想像していた私は大きく驚かされることになります。それはいい意味で、です。久しぶりに読んだ森見さんですが、驚くほどよかった。今までの森見さんのよさは存分に発揮されているのですが、それに加えて抜群の構成力、絶妙な余韻、残像、深層に入り込む人物描写、などなど、とにかくすべてが驚くくらい高い水準にあります。

 作家として、森見さんは階段を一気に何段駆け上がられたのでしょうか。大ヒット作品だとは知っていましたし、高い期待もしていましたが、とにかく全てが想像以上のクオリティー。私はこれ以上ないくらい幸せな気持ちになりました。

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 夜になるとざわざわする-最初にそう書きました。たぶんそれは、暗闇の中で見えないものを想像してしまうからではないか、と私は思います。暗がりに包まれた時、見えない空間にある得体の知れない何か。もしかしたら何もないのかもしれませんが、「何かあるかもしれない」と思えば思うほど、それは暗がりの中で姿を大きくします。

 作品の登場人物たちは、それぞれの「旅」を振り返ります。みな、無事に帰ってくることができました。しかし、それぞれが拭い去ることのできない奇妙な体験をしていました。「夜行」という絵画の作品群、そしていなくなった「長谷川さん」が記憶をつなぎます。

旅というのは密室のようなものだと最初に僕は言いました。

(・・・)とはいえ、いつの間にか何かが僕の手に負えなくなっているようでした。僕らの閉じ込められている密室が薄暗くなってきて、その隅の暗がりで何が起こっているのか、見えにくくなってきたように感じられます。



 「旅」とはつまり、「非日常」へ出かけて行くということでもあります。大げさな言い方をすれば、「異世界への扉を開く」ということ。行ったことのない土地に行くと、新鮮でワクワクします。しかし、それと同時に、一抹の不安も心によぎらないでしょうか。ちゃんと、帰ってこれるのだろうか、と。この作品は、そんな小さな「暗がり」を、実に上手く広げています。

うまく理由は言えませんが、何かとても大事なことを見落としているように思えたのです。



前夜からの出来事が切れ切れに脳裏に浮かんでは消えていきます。何かそこに脈絡があることは分かっているのに、今の自分にはどうしてもそれを掴むことができないのです。



 こんな描写が、何度も出てきます。そう、彼らの語る旅の記憶は、とても曖昧で、輪郭が見えてこないのです。

 彼らはそれぞれが奇妙な体験をしました。 いたはずの人がいないこと。あるいは、いないはずの人がいること。「夜行」の作品は、彼らの心を揺さぶります。そして、いなくなった長谷川さんが彼らの頭をよぎります。

 「誰が誰なのか」、それすら見えなくなるのです。私も、1回読んだだけでは分からないことが多すぎます。しかし、そんな曖昧さ、輪郭のなさはこの作品の欠点ではなく、「魅力」です。矛盾しているような言い方になりますが、この描き方は曖昧でありながらある意味とても「鮮やか」です。

 「非日常」というものを、これほど曖昧に、それでいて幻想的に描き出せる作品はなかなかありません。余韻や残響、そういったものまで全て、絶妙なバランスで調合されている。万華鏡をくるくると回しているような、そんな体験でした。ちょっと不気味ではあるのだけれど、断片が組み合わさって模様ができた時、はっと心を奪われるのです。

たとえば子どもの頃、午後にうたた寝などをして、唐突に目が覚めたときのような感じでした。家がよそよそしく感じられて、家族の姿はどこにも見えない。自分が今どこにいるのか誰も教えてくれない。何か大事な出来事が進んでいるのに自分だけが置いてけぼりになっている。そんな感覚に似ているんです。



 なんて上手い例えだろう、と思いました。そうです。うたた寝から覚めた時のあの感じです。一瞬、昼か夜かも分からなくなる。ここはどこか。一体どれだけ寝ていたのだろうか。・・・脳が目覚めるまでには、そんな混乱がありますよね。

 この作品には、なかなか「目覚め」「夜明け」が見えてきません。自分は夢の中にいるのか。夢から醒めたようだけど、これは「夢から醒めた夢」ではないのか。暗がりの中で、疑心暗鬼になりながら手を伸ばします。

◆ 隣にいる人の夜

 作品の終盤には、意外な展開が待っているでしょう。シンプルに解釈するなら、2つの世界、パラレルワールドということになるのでしょうか。しかし、ゆっくりと終盤を読み返してみると、そうではないような気もしてきました。こんな一節が出てきます。

ふいに僕は妙な気分になりました。真夜中の世界に宙づりにされるような感覚に襲われたのです。そんなにも夜が深く、広く感じられたのは初めてのことでした。今こうして自分が夜をさまよっているとき、どんなにも遠い街も同じ夜の闇に包まれて、膨大な数の人々がそれぞれの夢を結んでいる。この永遠の夜こそが世界の本当の姿なんじゃないだろうか。



 作品でずっと語られてきたのは、主人公の大橋がいた世界。作品の終盤のほうで明かされる、もう1つの世界。・・・だけではなかったのではないでしょうか。「膨大な数の人々が『それぞれの夢』を結んでいる」というのですから。

 深みにもぐってみたところで、少し恐ろしいことを思います。

 自分の隣にいる人が、自分と同じ景色を見ているかは分からない
 自分の隣にいる人が、自分と同じ世界を生きているかは分からない


 この物語が、もしこういうことに集約されるなら。実は数えきれないほどの世界が広がっていたら。ワクワクしてきました。万華鏡は、何度でも回して、そのたびに模様を変えそうです。

 何の変哲のない日常や、現実世界も、もしかしたらそうであるかもしれない。そして、「そうであるかもしれない」という小さな暗がりを広げてくれるものが、小説です。そして、「夜」や「暗がり」は、人間にそんな想像を許す不思議な空間です。

 「あそこにはお化けがいる」-そういって怖がる子供が、馬鹿にできなくなりますね。

まとめ

まとめ



 肝心なところをネタバレしないように、と思いながら気を付けて書いていたのですが、もしかしたらこの作品にはバラすネタもないのかもしれません。読んだ人は、「暗がり」からそれぞれの物語を想像する。きっと、違う人が読んだら私とは全く違う感想になるわけで、だからこそ手に取って読んでみてほしいと思います。

 森見さんは、小泉八雲に肩を並べたかもしれません。この小説が、これから読み継がれる「現代の怪談」になるということです。少なくとも、1回読んで終わり、何も感じなかったという作品ではありません。

 私も、またいつか手を伸ばすでしょう。せっかくなら、今度は暑い夏に読んでみましょうか。背筋がちょっとひんやりする-そんな体験をしてみたいものです。



◆ 殿堂入り!

『夜行』をゴールドに登録しました。私の中では森見さんの作品で文句なしの最高傑作です。



オワリ

『新釈 走れメロス』 森見登美彦

 数々の名作文学を森見さんがパロディーしたとても楽しい短編集です。森見さんのパロディー作品から入って原作も読んでみれば、ますます読書の幅が広がります。


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小説, 森見登美彦,



 「やりたいことリスト」(ドリフターズ・リスト)を作って少しずつ前に進み出そうとする女性の物語をご紹介します。作者は、『羊と鋼の森』で本屋大賞を受賞された宮下奈都さん。今、私が本を読むたびに好きになっているお気に入りの作家さんです。

太陽のパスタ、豆のスープ (集英社文庫)
宮下 奈都
集英社 (2013-01-18)
売り上げランキング: 71,971


 表紙のイメージそのままに、ほんのりとした優しさに包まれた物語でした。少しずつでもいいから前に進みたい、そんな風に思う人の背中を押してくれるはずです。

 「やりたいことリスト」、作ったことのある方はいますか。私は、作ろうとは思うのですがいつもやめてしまいます。リストにしようと思った瞬間、何だか肩に力が入って気恥ずかしくなってしまうのです。主人公もその点は同じでした。さて、彼女はどんな風に前に進もうとするのでしょうか。



内容紹介



エンターテイメント

分のやりたいこと、それを見つめてみたら


 この本の主人公、明日羽(あすわ)は、2年間付き合っていた恋人から、結婚式の直前に別れを告げられます。失意の底にいた彼女に、おばさんのロッカさんが勧めたのが、「やりたいことリスト」(ドリフターズ・リスト)の作成でした。

 自分がやりたいこと。いざ言われてみると難しい。あすわはリストを作ってみたものの、なんだかぼんやりしていて、かえってよく分からなくなります。

 リストに線を引くためにいろいろなところへ出かけ、いろいろな人と触れ合うあすわ。それは自分らしさを探す旅でもありました。

 へんてこだったリストは、最後はどんな風になっているのでしょうか。そして、彼女はそのリストから卒業することができるのでしょうか。


書評



書評

◆ 私の芯になること

 リストにして並べてみるのっていいですよね。勉強リストや買い物リスト、私もよく作ります。終わったことに線を引いて、目に見える達成感がよいのかもしれません。ですが、上にも書いたように、「やりたいことリスト」というのはどうも苦手で、なかなかうまく作れたためしがありません。自分は何がやりたいんだろう?そう考えてみるのですが、案外分からないのです。そうして、だんだん恥ずかしくなってきます。自分以外の誰に聞いても分からないことなのに、自分に聞いても分からない。なんだか不思議な話です。

 急にやりたいことと言われても、なかなか難しいですね。しかもあすわは失意のどん底にいました。気持ちを奮い立たせるのも大変です。何度か書き直して、最終的に固まったあすわのリストは実にヘンテコです。

きれいになる。
毎日鍋を使う。
お神輿。
玉の輿。
やりたいことをやる。
ぱーっと旅行をする。
新しく始める。
豆。



 最初の2つは、ちょっとぼんやりしているとはいえ、まだ分かりやすいです。そこからは、もう「なるようになれ!」という感じでしょう。お祭りに行きたくて「お神輿」。リズムを出そうと韻を踏みたくなって「玉の輿」(笑ってしまいました)。「やりたいことをやる」「新しく始める」なんて、何か言っているようで何も言っていないのと同じです。最後の「豆」、これについては触れないでおきましょう。なんたって、1冊読んだ私もよく分かっていないのです 笑。

 このリストをみると分かるように、あすわはフラットに生きている人です。思うままに、気の向くままに、風の吹くままに。私はとても素敵で、うらやましい生き方だと思うのですが、あすわはそんな自分にちょっと劣等感もあるようです。周りにいる「頑張っている人たち」を見て、自分のことを憂います。

毎日やること。私の芯になるようなこと。ほんとうに、ない、と思う。



 フラットに生きるというのは、言い換えると「自分の芯がない」ということになるのですね。この悩みはとてもよく分かります。マイペースに生きたいと思っても、なかなか上手くはいきません。いつだって、隣の芝生は青いのです。人と比べて、自分が嫌になって、自分を責めて。でもそれは、彼女だけではないと思います。彼女の周りにいる人たちも、颯爽と生きているようで、実は彼女と同じように、小さく悩んでいるはず。読みながら、そう思いました。

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 やりたいことリストのよいところと悪いところを考えてみましょう。よいところは、自分を奮い立たせることができるというところ。

これまでの人生、いいときも、悪いときも、顔を上げていたかどうか気にしたこともない。これまではそれでなんとかなってきた。だけど、顔を上げている、という自覚が必要なときもある。顔を上げて、前を向いていよう。それだけで気持ちを鼓舞することができる。



 悪いところは、肩に力が入りすぎて、頑張りすぎてしまうところ。そのバランスというか、さじ加減が難しいです。私がやりたいことリストを上手く作れない理由の1つも、そこにあるのではないかと思いました。頑張らなくちゃいけないのだけど、頑張りすぎてもいけない。そのさじ加減が自然に上手くできる人のことがとてもうらやましいです。

◆ 肩の力を抜いて

 自分には何もないんだ、そういって悩むあすわですが、私には彼女が他の誰にも負けない大きな魅力を持っているように思いました。それは、おいしい食べ物に感謝できることです。

「あすわ、毎日のごはんがあなたを助ける」



 彼女のお母さんの、素敵なことばです。たっぷりの愛をもらって彼女は育ったのでしょう。「ただ食いしん坊なだけですよ」、彼女に聞いたらそんな風に照れ笑いをしそうです。でも、本人は気付いていないかもしれませんが、おいしい食べ物を食べて幸せになって感謝できるというのは、それだけで誰にも負けない長所です。

 ある時、家族にあてた手紙の最後で、彼女はこう結びます。

「おいしいものを食べようね」



 本人は何気なく書いたつもりかもしれませんが、彼女の人柄がよくあらわれていて、微笑ましくなります。芯がないなんて、そんなことはありません。誰にも負けない長所があるから、あとは「気付く」だけ。そうやって、温かく見守るような気持ちで読み進めました。

 肩に力が入ったり、自分のやりたいことが分からなくなったりして迷走していたあすわの「やりたいことリスト」。ですが、彼女は少しずつ自分の生き方を見つけていきます。

がんばっている人のことは素直に感嘆していよう。自分ががんばれなくても開き直らず、卑下もせず、一番後ろからゆうゆうと歩いていこう。



 一皮むけて、本当にフラットに生きられるようになったとき。やりたいことリストとはお別れです。小さくたたんで、ポケットに入れて、歩き出していけばいい。

 何がやりたいかなんて、最初から重要ではなかったのですね。「自分らしさ」を見つけること。それが、やりたいリストの役割だったのかもしれません。

 落ち込んでいる登場人物に温かいまなざしを向け、少しずつ手を差し伸べていく。これが私の好きな宮下奈都さんです。あすわの人柄と同じように、宮下さんの小説もまたフラットで、よい意味で肩の力が抜けていて。いつも、小さな幸福に気付かされます。

まとめ

まとめ



 自分らしく生きるというのは、言うは容易し、行うは難しですね。いつだって、隣の芝生は青い。それならそれでいいじゃない、そんな生き方ができたらいいなと思います。

対抗しなくていい。対抗しようとしなくていいんだと思う。別の土俵でがんばろうにも、私にはその土俵もない。そういうことを隠したり取り繕ったりしようとするから無闇に焦るのかもしれない。



 そうそう、その心がけです。最初はリストに縛られていたようなあすわが、最後には自然体で前を向いている。その過程は心地よいものでした。

 食べ物がたくさん出てくるこの小説。その特色を生かして、最後はやりたいことリストが「一切れのパン」に例えられます。いったいどんな意味でしょうか。一切れのパンを探しに、ぜひ本を開いてみてください。



オワリ

『羊と鋼の森』 宮下奈都さん

 本屋大賞受賞の代表作。儚げな美しさと力強さとを共存させた、奇跡のような小説です。「自分には才能がない」そう自覚した主人公ですが、そのことに、かけがえのない尊さがあったのです。


小説, 宮下奈都,



 辛かったこと(就○)が終わって、久しぶりにブログにやってきました。実は終わったのはもう少し前だったのですが、本を全く読まないような生活をずっとしていましたから、生活のリズムを取り戻すまでだいぶ時間がかかりました。ゆっくり本を読めるような人生の夏休みは残り少なくなりましたが、本が好きなことは変わりません。ぼちぼち、更新していけたらと思います。

半落ち (講談社文庫)
半落ち (講談社文庫)
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横山 秀夫
講談社
売り上げランキング: 88,358


 横山秀夫さんの名作サスペンス、『半落ち』をご紹介します。横山さんといえば警察小説、サスペンス小説の名手です。私は『臨場』が大好きで、原作もドラマも名作だと思っています。今回紹介する『半落ち』は代表作の一つで、直木賞の候補にもなりました。

 殺人の事実を認めながらも、自首するまでの「空白の2日間」については頑なに口を閉ざす1人の男。いわゆる、「半落ち」の状態です。事件の裏には何が潜んでいるのか、男はなぜ口を閉ざすのか-。人間ドラマの側面も濃い、読みごたえのあるサスペンスでした。



内容紹介



ミステリー・サスペンス

うしても話さなければいけませんか-。

 「妻を殺した」-そう言って、現職の警部が警察署に自首してきました。動機は、アルツハイマー病で苦しむ妻に懇願されたから。いわゆる「嘱託殺人」です。現職警官が殺人を犯したという事態に、W県警は大きな混乱に包まれます。

 被疑者の名前は梶聡一郎(かじ・そういちろう)警部。「落としの志木」と呼ばれた敏腕捜査官、志木がまず彼の取り調べにあたります。とはいえ、取り調べで争うような事実はほとんどないように思われました。梶警部は、記憶を失っていくことを嘆く妻に泣きつかれ、首を絞めてしまったと素直に自供しています。彼は、「完落ち」-そう思われました。

 ところが、ある質問を境に、取調室は重い空気に包まれることになります。「奥さんを殺した後、あなたが自首するまでに丸二日間ありました。その間、あなたはどこで何をしていたのですか」志木がそう言って、犯行後の行動について尋ねた時です。

 梶の唇は固く閉ざされたままでした。犯行後に何をしていたのかは、話したくない-。「半落ち」の被疑者を前に、警察と検察、そして、記者や裁判官をも巻き込んだ、大きな混迷が広がっていくのです。

書評



書評

◆ 半分だけ残された謎

 殺したことは認める。しかし、殺した後何をしていたのかは話せない。話したくない。

 この「半落ち」の謎。作品の序盤でそれが示され、重苦しく作品に落とし込まれます。そして、その謎を前に多くの人が葛藤していくのです。まるで、得体の知れない怪物が作品の中でうごめいているかのようでした。謎の霧が明けるのは作品の終盤です。重苦しくもありますが、真相を知りたいという思いも高まります。サスペンスとして、とても上質に作り込まれている作品であるといえます。

 そして、サスペンスとしてだけではなく、「人間ドラマ」としても、この作品は読みごたえがありました。作品は、さまざまな人の視点から進んでいきます。取り調べにあたった警察官、検察官、事件を取材した新聞記者、弁護士、裁判官、そして最後は刑務所の刑務官。全部で6人ですね。それぞれ、立場も違えば考え方も違います。お互いに関わり合いながら、そして一人の殺人犯と向き合っていきます。その中で、それぞれが自分の人生を振り返り、そして重ねていく-。その過程が丁寧で、作品の深みにつながっています。

 犯行後に何をしていたのか、頑なに口を閉ざす梶警部。しかし、彼の口からふと奇妙な言葉が飛び出します。

「死んでお詫びすべきだと……最低の人間だと……しかし、あと1年だけは……

「命が……惜しくなったということです」



 そして、彼の自宅から、「人生五十年」としたためられた書が見つかります。織田信長の有名な言葉ですね。梶警部は49歳。つまり、あと1年生きれば50歳なのです。彼は「あと1年」だけ生きようとしていました。誰か守りたい人でもいるのだろうか、最初はそう思いました。しかし、彼は息子を白血病で亡くし、妻は自分の手で殺してしまいました。守るべき家族はいません。

 彼をこの世に「1年だけ」つなぎとめようとしたものの正体。それは、最後には「生きる意味」という大きな問いへの答えにつながる、そんな謎でした。

◆ 誰のために生きるのだろう

 読めば読むほど、犯人である梶警部のことが分からなくなります。彼は、妻を殺したとは思えないほど、優しい目をした、温厚な人でした。自分が犯した罪はすべて認め、そしていかなる罰も受ける、そんな態度を取ります。取り調べにあたる人々を困惑させるような「無私の顔」でした。

 しかし、自首するまでの空白の2日間は謎のままです。そして、彼があと1年だけ生きようと思った、というもう1つの大きな謎。
それが、彼に関わる人たちの心中に大きな葛藤を巻き起こしていくことになります。

検事さん、あなたは誰のために生きているんですか-。



 取り調べをしていた検事の脳裏に、昔、ある人から言われた言葉がよぎります。それは、彼を悩ませることになりました。

自分のために生きている。その当たり前のことが切なかった。(中略)睡魔にさらわれていく。わからなかった。自分は誰のために生きているのか。そして、梶聡一郎は……。



 「自分のために生きている」、彼の考え方は当然だと思います。ですが、世の中には、自分の命よりも大切なものを守るために生きている人もたくさんいます。「家族」、それがもっとも典型的なものでしょうか。そして、そんな「自分の命よりも大切なもの」を持っている人は、崇高で、強い。「誰かのために生きる」というのは、私は想像するよりもずっと大変な、大きな覚悟の伴うことだと思います。

 妻をこの手で殺め、家族を失い、それでもこの世にしがみつくことを必要とする梶警部。彼が自分のためだけに生きているようには見えません。だとすると、彼は誰のために生きているのか。謎がどんどん大きくなって、知りたいような、知りたくないような、そんな気持ちに襲われて胸を締め付けました。

まとめ

まとめ



 物語の最終盤、真実が明かされました。

死なせない。
この男を死なせてなるものか。



 この強い決意の言葉は、誰のものでしょうか。そして、なぜそのように決意させたのでしょうか。結末は本を読んでいただくことにしたいと思うのですが、とても力のこもった、よいラストでした。「生きる意味」という非常に重いテーマをしっかりと受け止め、読者にも納得のいくような「意味」が最後に示されています。

 ネタバレにならないように、ほんの一言だけ。すごい覚悟、すごい決意です。自分の命をすぐに絶ってしまうのとは比べものにならないような、凄まじい覚悟。それが正しいことかどうか、私にはとてもじゃないけど分からないのですが・・・。

 人間ドラマの色が強いですが、警察の検察の意地の張り合い、縄張り争い、それにスクープをとろうとする記者との格闘など、事件そのものの運びも大変面白く、満足のいく読みごたえでした。ぜひ、残された「もう半分」の謎を見届けてみてください。



オワリ

ミステリー・サスペンスの本棚

 このブログで紹介した、ミステリー・サスペンスの本の一覧です。

 久しぶりに書いたので、文章力が鈍ってなければよいのですが・・・。まあ、ぼちぼち、ぼちぼちですね。

小説, 横山秀夫,



 夜は、優しい。生きづらさを抱えた人に、夜は優しく接してくれます。暗闇が包み込んでくれるから、肩に背負った荷物をそっと下ろすことができる。なんというのでしょうか、夜の「ゆるされている」雰囲気が、私は大好きなのです。

書影

明るい夜に出かけて
佐藤 多佳子(著)
新潮社
発売日:2016年9月21日




 佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』という小説をご紹介しましょう。描かれているのは、人生をさまよう若者たち。そして、「深夜ラジオ」。人の数だけ人生があって、人の数だけ夜がある。私の知らなかった、最高に楽しくて、そして明るい夜に出会うことができました。(約3,700字)



夜に逃げ込んで



 夜の、「ゆるされている」という雰囲気が好きで、私はよく無意味に夜更かしをします。夜に何度救われたことでしょうか。たまらなくなって逃げ込んでも、夜はいつも変わらずそこにいてくれるのです。

 この小説の主人公、富山一志(とみやまかずし)もまた、無意識のうちに夜に「ゆるされたかった」のでしょうか。とある事情で大学を休学することになった彼は、深夜のコンビニでバイトを始め、夜が中心の生活を送ります。そんな彼の最大の楽しみが、「深夜ラジオを聴くこと」。そして彼は、聴くだけではなく、ラジオにネタを投稿するいわゆる「ハガキ職人」として活躍しているのです。

 彼が最大の情熱を傾けたのが、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」という番組でした。もう終了してしまったそうで、私はそれがとても残念だったのですが、深夜ラジオのリスナーの間で抜群の人気を誇り、伝説のようになっている番組だそうです。実は、作者の佐藤多佳子さん自身もこの作品の大ファンだそうです。そのため、この作品では実在していたこの番組が色濃く、濃密に描かれています。

 オールナイトニッポン。私は一度も聴いたことがありませんでした。でも、有名なオープニング曲は知っています。「深夜」の代名詞になっているような番組ですね。アルコ&ピースさんは一部と二部の両方を担当したそうですが、その放送時間は深夜1時~3時、そして二部にいたっては深夜(早朝?)3時~5時です。ホームページを見に行くと、「27:00~29:00」の文字が見えて、「すごい時間だな!」とつぶやいてしまいました。普段の私ならぐっすり眠りこけている時間です。



 ですが、安心していただきたいと思います。この作品は、オールナイトニッポンを聴いたことがない人でも楽しむことができると思います。私自身がそうでした。私が知らなかった、夜のもう1つの世界。楽しくて笑いっぱなしの「明るい夜」。それと出会えたことに、心がときめきます。むしろ、知らない人にこそ読んでほしい小説だと思います。

 本を読み終えて、「素敵な番組だったんだろうなあ」と想像します。最高に馬鹿馬鹿しくて、何を言っても全力で受け止めてくれるような雰囲気。リスナーのメッセージ次第で、どこに向かうか分からないフリーダムな構成。そう、きっとこの番組の魅力も、全てを「ゆるしてくれる」雰囲気にあるのではないかと思います。

”ライヴ”な小説



 楽しいラジオがBGMのように流れていく中で、作品のテーマとしてあるのは「生きづらさ」だと思います。主人公の富山君は、傷付き、夜に逃げ込まざるを得なくなったある深いトラウマを抱えているようです。それは、彼が大好きなはがき投稿からも離れざるを得ないような、深いトラウマでした。中盤から終盤にかけてそれは明かされますが、なんとも現代特有のエピソードです。普段あまり考えることはありませんが、彼と同じように打ちのめされてしまった人は、きっとこの世界にたくさんいるのだと思います。だからこそ、世界には「夜」が必要なのだ、とも思います。誰もが、いつでも逃げ込める場所として。

 作品の描写には、いい意味での「軽さ」があります。「ライヴ感」と言い換えてもよいかもしれません。例えば、ある日のヤフーニュースのトピックが小説の中に並んでいたり、ラインやツイッターの投稿が挿入されたりします。それらは普段すぐに更新されて、埋もれていってしまうもの。そういったものが効果的に配置されることで、人生の「ライヴ感」が強調されるのです。

やっぱり、ラジオって、リアルタイムな文化だ。今流れてくるものを、今受けとる。録音して保存しておいても、たぶん、それは別の何かになる。



 彼はこう言います。ラジオもまた、「ライヴ感」を強調する大切なアイテムなのでした。今は過去の放送を後から聴くこともできるようですが、やっぱり「生」がいいですよね。一瞬一瞬は、切り取ってみればとても些細で、くだらないことかもしれないけれど、その時、その場所で、それを聴いたことが大事で、それが積み重なって「人生」になっていくと思うのです。

 心地よい「ライヴ感」の中で、現代に生きる若者特有の悩みが、ぽつり、ぽつりと語られていきます。

何かをがんばりたいけど、何がやりたいのか、わからない。大学って、そのへんを見つめたり、見つけたりする場所なんだな。外にこぼれ落ちても、中に留まってても、わからなさは一緒な気もする。



俺は人間をやりたくないよ。猫にでもなって、冷たいタイルの上で丸まって寝てたいよ。ほかのヤツのこととか、あれこれ考えたくない。疲れるから。削られるから。最後は自分に返ってくるし。一番考えたくないのは、俺自身のことだから。



 「軽さ」の中でこういったことが吐き出されているところがこの小説の魅力で、一つ一つがまるで部屋の中のひとりごとのような感じでつぶやかれていることで、心にすとんと落ちてきます。

 同じようなことを、私もいつも思います。同じようなことが書かれている小説を、私は数えきれないほど知っています。これは彼個人の悩みではなくて、きっと若者にとっての「普遍」であり、「不変」。だからといって、些細な悩みではないのです。それを抱えている個人にとっては、辛くて苦しい、そして逃れられない悩みです。



 中でも感じ入ったのは、「SNSでの人間関係」にかんすることでしょうか。実は、例のトラブルによってSNSから離れていた富山君。ラジオのためにこっそりとツイッターを再開するものの、SNSでの人間関係には深く立ち入れないでいます。

しかし、簡単だよな。ちょっと知り合っただけで、気やすくどんどんつながっていく関係。リアルからSNSを経由してリアルへ再突入。カンタンにズブズブだ。油断も隙もない。



 太字の所で、私は首が痛くなるくらい首を縦に振りました。リアルとSNSの境界がぼやけ、互いが互いに侵食していきます。「相互監視社会」などと言いますが、言い得て妙です。みんながみんなで、何かを「演じて」いて、おかしいのと思うのならみんなでそれをやめればいいのだけれど。「もう一つの世界」は不思議です。

 「カンタンにズブズブ」になることが、彼にとっては耐えがたいのでしょう。分かる気がします。人間関係は、長い時間をかけて、少しずつ築いていくものだと思います。たくさんの大切な過程をすっとばして、中身が空洞になっている「トモダチ」。もっと、「ゆっくり」でもいい。そんな風にも思います。

 現実の、そしてSNSの人間関係に苦悩していた富山君でしたが、ラジオが、そしてバイト先のコンビニが、彼にかけがえのない出会いをもたらしてくれます。人間関係にトラウマがある彼は、なかなか心を開けません。そんな彼が、少しずつ、少しずつ距離をつめようとして、そしてある瞬間に「吐き出す」。その過程に、私は大切なことを教わったような気がしました。

夜に灯る明るい光



 表題の「明るい夜に出かけて」は作品の中でも効果的に使われています。私もこのタイトルに惹かれて本屋さんで手に取ったので、人の心に響くことばだと思います。富山君がコンビニで偶然出った少女、「虹色ギャランドゥ」が書いた演劇のタイトルで、富山君はそれに感銘を受け、ことばにならないことばをつづります。それを、同じコンビニで働く鹿沢さんが歌にしたのでした。

タイトルの「明るい夜」って、色々思わされる。夜は暗いけれど、闇を照らす光は明るい。(中略)「夜」という言葉の持つ深さと、「明るい」という言葉の持つ強さ。十人いれば、きっと十通りの「明るい夜」のイメージがある。



 明るい夜から浮かぶイメージが連ねられていって、それは最後に素敵な歌になります。ぜひ本を読んでいただいて、その過程を味わっていただきたいです。

 さて、本を読み終えて、私は久しぶりに夜にラジオをつけました。私は富山君と違ってFM派で、中高生の時、「スクールオブロック」と「ジェットストリーム」をよく聴いていました(どちらも、現在も変わらず放送されています)。SOLには、いろいろなことを教えてもらいました。勉強そっちのけで聴いていました。バンプ先生が来校して、新曲が宇宙初オンエアされた時には正座をして聴きました・・・(知らない人にはさっぱり分からない話ですみません)。そして、「ジェットストリーム」は最高のクールダウン。聴きながら、いつのまにか眠りについています。

 大学受験があるから勉強しなければ、とラジオの電源を落として数年…。久しぶりの夜のラジオです。

 ・・・・・・・・・

 「やっぱ、いいなあ」と。今でも変わらず、そこに番組がありました。つけたばっかりで、まだ内容が頭にも入ってこないのに、感慨でいっぱいです。「余裕のない生活をしていたな」、ふとそんなことも思いました。電源を入れれば、いつでも受け入れてくれるラジオ。また、生活に欠かせないものになりそうです。

 

そもそも、前向きって、普通に思われてるほど、絶対的にいいことかな?




 後ろを向きながら生きてもいいし、立ち止まってもいいと思います。辛くなったら、夜に逃げ込めばいいと思います。優しい夜は、全てを受け止めてくれるでしょう。そして、よかったらラジオをつけてみてはいかがでしょうか。

 優しい夜に、明るい光が灯るはずです。



オワリ

 最後まで読んでいただき、ありがとうございました。関連する記事やウェブページの情報です。

アルコ&ピースのオールナイトニッポンシリーズ(wikipedia)

 どんな番組だったんだろうと思って読みにいったのですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。なんとなく、このページを編集した方の、番組への愛を感じます。


小説, 佐藤多佳子,