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  •  5回シリーズでお送りしてきた「冬のスペシャルレビュー」も今回で最終回です。芥川賞受賞作「九年前の祈り」のレビューのまとめに入りたいと思います。この企画は、話題の作品を読んでみる、という目的もあったのですが、久しぶりに本をじっくり読みたい、という目的もありました。いつもは通り過ぎてしまうような細かい描写まで目を向けることができ、新たな気付きの連続でした。たまにはこんなスローリーディングもいいかもしれませんね。では、「九年前の祈り」のレビューに入りたいと思います。

    九年前の祈り
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    前回のおさらい 第2回 故郷という場所

     自分の故郷を一貫して書き続けておられる作者の小野正嗣さん。閉鎖的、排他的、そして常識知らず。そんな「地方の腐臭」を匂わせながら展開していく物語を追いました。小野さん自身、故郷がよそから来た人にとっては異質な環境だと認めながらも、それでも自身にとっては「独特の場所」と語ります。小野さんにペンを取らせるものとはいったい何なのでしょうか・・・?



    第3回 重なり合う祈り

     主人公のさなえが9年前のカナダ旅行で一緒になった渡辺ミツのことを思い出したことは第1回で話しました。渡辺ミツもまた、さなえと同じように息子に対して不安を抱いていたのです。

     渡辺ミツとはどのような人だったのか。さなえには強く印象に残るエピソードがありました。カナダ旅行で、一緒にレストランで食事をした時のことです。ミツが息子の将来についての不安を語ります。

     -お父さんが一緒についておらんかったら、あの子はどうなるんじゃろうか・・・・・・。わたしらが死んだあともあの子がひとりで生きていけるんじゃろうか・・・・・・

     このあとのことです。さなえは「あるもの」の存在に気付きます。

    さなえは気づいた。しかしその存在に気づいても驚きはしなかった。窓を背にしたみっちゃん姉のすぐ後ろに悲しみが立っていた。(中略)悲しみはいま薄暗がりのなかで初めてその姿を現わし、みっちゃん姉の肩を優しくさすっていた。



     最初はもったいないなぁ、と思いました。「悲しみ」、という言葉を使っているのです。文学とは、悲しみを、悲しみということばを使わずにいかに表現するかという点にその命があるといっても過言ではありません。悲しみ、という言葉を使ったらそこで完結してしまう。みっちゃん姉の感情を、悲しみという言葉には収めてほしくないような気がして、ここは少し残念に思いました。ここまで読んだ時点では。

     最後、物語は「九年前の祈り」へと結実します。九年前、旅行先でみっちゃんがしていた祈りです。そして、さなえが見たという「立っていた悲しみ」が、最後はさなえ自身に訪れます。この部分を読めば、「悲しみ・・・」の比喩の印象も変わってきます。そして、さなえに祈りと悲しみを思い起こさせるのが、第2回で指摘した「土地の力」なのです。土地の力→祈り→悲しみ。壮大なラストには作者の持つ力を感じました。




     ミツは旅行の時、長い長い祈りを捧げています。彼女が何を思っていたのかは明らかにされません。

    好奇心を抑えきれずにさなえは訊いた。
    「何を祈っておったん?」
    みっちゃん姉はさなえを見つめた。少し考えてから何かを言おうとした、しかし言葉の代わりに、口元には照れたような、でもどこか嬉しそうでも悲しそうでもあるほほえみが浮かんだだけだった。



     長い長い祈り。読者は想像するしかありません。ここで先程の「悲しみが・・・」という比喩が生きてきます。ミツの後ろに見えた「悲しみ」のことを思い出しながら、彼女の祈りに思いを馳せます。先ほどは、悲しみという言葉がそのまま使われているという指摘をしました。しかし、この祈りの場面で、「悲しみ」はもっと深く、捉えきれないものに昇華しています。

     ミツの祈りを思い出しながら、さなえは何かを悟ったようです。息子の両手に自分の両手を重ね、息子の頭に自分の髪を押しつけます。ここでも「悲しみ」を使った比喩が使われ、物語は幕を下ろします。物語の一番大事な部分でしょうから、引用はしないでおきます。物語全体を包み込む、大変印象的なラストでした。

     この最後の場面、「悲しみ」を掘り起こす仕掛けになっているのは、「土地の力」、小川洋子さんの言葉を借りれば、「世界の片隅に潜む土地の力」です。この力については前回も触れました。土地という空間の持つ力が最後に主人公に結実する、という壮大な終わり方です。作家の宮本輝さんも、選評でこの点を指摘します。

    ふるさとの持つ力、そのふるさとの人々の包容力が、主人公の置かれた厳しい境遇に一種楽観的な光明を与える結末は、小野氏の真の持ち味がやっと具象化されてきた証だと思う。 (選評 / 宮本輝さん)



     小野さんの作品を読んだのは初めてでした。小野さんは一貫して故郷を舞台に作品を書き続けてこられたそうです。初めて読んだ私でさえも、その力の片鱗に触れ、こうして心を動かされているわけです。ずっと彼の作品を読み続けてこられた人にとっては、力が結実する本作の持つ重みには計り知れないものがあったことと思います。芥川賞受賞を心から祝福するとともに、今後はぜひ、他の作品も読んでみたいと思います。

     以上、「九年前の祈り」のレビューでした。3回にわたって書いてきました。全て読んでくれた皆さん、ありがとうございます。文学についてはちょっとかじったくらいの大学生のレビューです。読みにはいろいろと未熟な点があるかとも思いますが、久しぶりに作品をじっくりと読んで、濃密な時間を過ごせました。自分が書いた文を、またいつか読み返してみたいと思います。

     熟読、味読が続いて疲れました。次回からは通常営業、また軽めのコーナーもやりたいと思います。以上、冬のスペシャルレビューのコーナーでした。



    こちらもどうぞ
    第1回 「引きちぎられたミミズ」
    第2回 「故郷という空間」
    第3回 「重なり合う祈り」(今回です)
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    現代日本文学, 小野正嗣,



    •   19, 2015 18:10

  •  前回からお届けしている芥川賞受賞作「九年前の祈り」のレビュー。今日は第2回をお届けします。

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     前回のおさらい 第1回 引きちぎられたミミズ

     夫と離婚し、失意の中息子を連れて故郷に戻ってきた主人公、さなえ。彼女は息子の希敏(けびん)を見て「引きちぎられたミミズ」を浮かべてしまいます。息子を通して描かれる彼女の悲しみとは?そして、そんな彼女がたどり着いた「祈り」とは?・・・という感じでお送りしていました。

     今日は第2回。ストーリー本編からは少し離れて、作品を語る上では欠かせない作品の「舞台」、作者の小野正嗣さんが一貫して書き続けておられるという「浦」について見ていこうと思います。



    第2回 故郷という空間

     芥川賞受賞のニュースで、作者の小野さんが自分の故郷である大分県の集落を舞台にした作品を一貫して書き続けておられる、ということを知りました。それを聞いた私は、小野さんが「故郷愛」をもって作品を書き、その作品はいわゆる「地方礼讃」ものになっているのだろうな、と想像したわけです。

     地方礼讃というのは私が勝手に付けたネーミングですが、例えば「田舎の空気はおいしい!」とか、「田舎の人々はあったかい!」とか、そういったテイストで書かれた作品です。都会にはない地方の良さ、みずみずしさにあふれている感じ・・・有川浩さんの「県庁おもてなし課」などがその典型になるでしょうか。

     この作品もそんな系統か、と思っていたら全然違いました。この作品で描かれる地方は、閉鎖的で排他的、そして複雑で歪。地方礼讃!的な要素はどこにもありません。語弊があるかもしれませんが、「地方の腐臭」を感じさせる、そんな作品でした。そして、結論から言えば、単なる地方礼讃ものよりも、妙にリアリティーを感じ、自分の地元を重ねてしまうような、そんな臭さがあったのです。


     

    リアス式海岸の複雑な地形をした土地だった。(中略)二つの島は、陸地を振り切って大海原に飛び出そうとしているように見えた。逃がしてたまるものかといくつもの岬が、たがいの邪魔をしながら、島々に執拗に追いすがり伸びていく―入り組んだ海岸線はそうやって生まれたのではないかとさなえは夢想した。



     作品の舞台となっているさなえの故郷です。これは、小野さんの出身地である大分県旧蒲江町(現在の佐伯市)、竹野浦河内(たけのうらごうち)地区をモデルとしています。この海辺の小さな入り組んだ土地は小野さんの作品で一貫して描かれているそうです。(今作が初めて読んだ作品なので、他の作品のことは分からないのですが)

     どこか殺伐として、腐臭を感じさせるような描写がされています。外国人のことを「ガイコツ人」と呼んだり、よそ者であるさなえの父に冷たい視線が集まったり、強い排他性を感じます。さなえの母親もそんな地方でずっと暮らし、根拠もない古いことにとらわれている人物、という描かれ方をしており、好印象を持てる人物ではありません。さなえもそんな地元に嫌気がさいているようで、ふと、本音がのぞきます。

    いや、さなえだって知っている。昔の面影がなくなって陰気くさくなっただの、東京の言葉しか喋らなくて気取っているのだのと町の人たちから言われているのは承知している。


     この小説を読んで、蒲江に行きたくなった!・・・とはお世辞にも言えないでしょう。時代から取り残され、未来のない町、そんな印象を受けると思います。作中でも、「過疎の町」と何度か出てきますし、そういった現実があるのだと思います。

     では、小野さんはどうしてそんな自分の故郷にこだわるのか、そう疑問が浮かびます。その疑問に答えてくれたのは、文藝春秋3月号に掲載されていた小野さんの受賞者インタビューでした。

    小野さん 蒲江は大分県の最南端に位置し、リアス式海岸なので小さい入江がたくさんあって、湾の窪みの浦々人が密集するように住んでいる。(中略)血縁と地縁が非常に濃いので、ひょっとすると、そこに住み続けている人やよそから来る人にとっては息苦しいこともあるかもしれない。だけど、僕にとってはある種独特の、大切な場所です。



     私が読んでいて感じたことは、小野さんがインタビューで指摘しておられました。「息苦しさ」「腐臭」はこの地域のありのままの姿であり、そこで暮らした者だからこそ表現できる雰囲気なのです。

     この作品を読んでいて、自分の地元を重ねてしまう瞬間が何度もありました。生まれてから一度も自分の地区から出たことがなく、それゆえに閉鎖的で凝り固まった価値観に支配されてしまったおじいちゃん、おばあちゃん。地区の皆に顔が知れっていて、噂はあっという間に知れ渡ってしまうこと。・・・そういった地方の「腐臭」は、地方の実情をよく表わした真実なのです。

     地域活性化、町おこしなどということばが盛んに取り上げられるようになった昨今です。ゆるキャラ、B級グルメ、ふるさと納税・・・いろいろなことが行われていますね。私自身、自分の地域を元気にしたいという思いはあります。ですが、そういった地域活性化の施策に「腐臭」はあるでしょうか?

     ないと思います。そういった施策は、外から人を呼び寄せるために行われているものであり、常に地方の「外」を向いています。生臭いものは取り除いて、きれいな状態で「お客様」に見せなければいけません。それ自体を批判するつもりはありません。だけど一つだけ言わせてください。

     地方は、そんなにキラキラしていない

     人っ子ひとりいない寂れ果てた商店街を前にして、「地域活性化」の声をあげられる人はいるのでしょうか。私は、あげられません。情けないことですが、言葉をなくして立ち尽くすだけだと思います。この作品で描かれる「地方」は、全く飾ったところがないありのままの真実だと思いました。決して読んでいていい気分になるものではないですが、その「腐臭」が何だか懐かしくなってきたりする・・・地方とはそんな歪な形をしたものではないでしょうか。

     そんな歪んだ地方ですが、都会にはない力もあります。小川洋子さんの芥川賞選評です。

    何ものかの計らいにより、九年前の祈りがさなえの背後に立つ地面の温もりが伝わってくるようだった。小野さんが繰り返し書いてこられた、世界の片隅に潜む土地の力が、『九年前の祈り』に最上の形で結実したことを祝福したい。(選評 / 小川洋子さん)



     ものすごく歪で、効率が悪く、腐臭が立ち込める地方。でも、そこに暮らすものにとっては切り捨てることのできない大切な場所です。地元から離れて暮らす方、ふとした時に帰りたくなったり、思い出したり、そんな経験はありませんか?小川さんが指摘される「世界の片隅に潜む土地の力」がそうさせるのではないでしょうか。とても壮大で、包み込まれるような力を感じることができます。

     第2回はこんなところです。かなり主観の入った読みになってしまいました。感じるものは人それぞれだと思います。あくまで一個人の感想としてお受け止め下さい。

     次回は最終回となる第3回です。作品のタイトルになっている「九年前の祈り」を見ていこうと思います。こちらもどうぞ、お楽しみに。




    こちらもどうぞ
    第1回 「引きちぎられたミミズ」
    第2回 「故郷という空間」(今回です)
    第3回 「重なり合う祈り」
    現代日本文学, 小野正嗣,



    •   18, 2015 16:48

  •  最近話題になった作品のレビューをお届けしているこのスペシャル企画。第2弾となる今回紹介するのは、先日発表された第152回芥川賞を受賞した小野正嗣さん「九年前の祈り」です。

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     単行本が発行されていますが、今回は文藝春秋の3月号で受賞作「九年前の祈り」を読みました。今日から3回シリーズでこの本のレビューを書いていこうと思います。文藝春秋に掲載されている小野さんの受賞インタビューや、芥川賞選考委員の選評もところどころに交えながら、じっくりと作品を読んでいきます。



    第1回 引きちぎられたミミズ

     主人公はシングルマザーのさなえ。カナダ人の夫、フレデリックとの間に息子の希敏(けびん)を授かったさなえでしたが、夫のフレデリックは突然、妻と息子を捨て、姿を消します。さなえに残されたのは、フレデリックの面影を残す、美しい顔立ちをした幼い息子だけでした。失意のさなえは、息子を連れ、「リアス式海岸の複雑な地形をした土地」である地元に帰ってきます。

     -渡辺ミツさんのところの息子さんが病気らしい

     地元に帰ったさなえを待っていたのは、彼女の母の言葉。「病気」という深刻な事態にもかかわらず、彼女はこの母の言葉に「柔らかい雨のような懐かしさ」を覚えます。

     渡辺ミツ・・・それは彼女が9年前、地域の人たちとカナダ旅行に行ったとき、いっしょになったメンバーでした。

    ・・・その同行者のなかに、「みっちゃん」とか「みっちゃん姉」と呼ばれる女性がいた。控えめだが、いつも元気がよくて、何かといえば、みんなが自然に意見を求め、頼りにしていた初老の女性。その人が渡辺ミツだった。


     久しぶりに戻ってきた故郷の風景。そして、9年前、渡辺ミツらと行ったカナダ旅行の記憶。2つが交錯し、さなえの心を揺さぶります。さなえは渡辺ミツの何に思いを馳せたのか。そして、「九年前の祈り」とは?複雑に入り組んだ地形の町で織りなされる、深い悲しみの物語―。第1回の今日は、さなえと彼女の息子、希敏に注目してみたいと思います。




     物語の中で何度も登場するのが、「引きちぎられたミミズ」ということば。これは、息子の希敏が言うことを聞かず、のたうち回る様子を見てさなえが心に浮かべる比喩です。

     希敏は一種の発達障害なのでしょうか、状況の変化に対応することができず、変化があると体をのたうち回らせて暴れだしてしまいます。そんな様子をさして、「引きちぎられたミミズ」というわけです。

     自分の息子に「ミミズ」なんて・・・と思う人がいるかもしれません。ですが、これは息子に対する侮蔑を込めた表現ではありません。さなえは、息子を見ているというより、息子を通して自分を見つめ、葛藤していると言ったほうがよいかもしれません。

    そうなれば、美しい天使のなかに埋もれた本物の息子が現れるだろう。でもこれまで天使から出てきたのは、引きちぎられたミミズだった。踏みにじられ激しく身をよじらせるミミズだった。体液を飛び散らせ苦痛に悶絶し踊り狂うミミズだった。



    息子を青あざが残るくらいつかんでは、何度も激しく、揺さぶった。それは息子に取り憑いたあの引きちぎられたミミズを永久に追放するためだった。しかし息子を当のミミズに変える結果しか生まなかった。



    しかしそのミミズは本物のミミズとちがって幼子のなかにあった感情や知性の土壌を豊かにしてはくれなかった。まったく逆だった。だからミミズが出てくるのを見ると恨みはつのった。我を忘れ、もっと引きちぎってやりたくなった。



     あらすじのところで述べたように、希敏はさなえが分かれた夫との間に授かった子であり、しかもその顔には夫の面影が残っています。しかも、その息子は発達障害をもっていて、変化に耐えられず、暴れまわってしまう。母がわが子を慈しみ、愛する。そんな通常の形を成すには、この母子の状況はあまりにも複雑で、歪んでいました。地元に帰ってきたことにより、その歪みが「解放」されてしまうのです。

    心を閉ざす息子に「引きちぎられたミミズ」を幻視しながら、じつはそれが自分の身体から出ていることに彼女は勘づいている。息子に過度な聖性を見ない。 (選評 / 堀江敏幸さん)



     作品において描かれる子供といえば、純真無垢で希望の象徴というのが定番だと思います。彼女自身、「美しい天使」と形容しています。しかし、希敏は「美しい天使」にはなれない。作品を通して、希敏が言葉を発する場面はありません。言葉はおろか、自分を表現する手段すらないのです。ただ暴れまわるだけ・・・そして、そんな息子の姿に懊悩する母。「引きちぎられたミミズ」の存在が、歪な母子の姿を映します。この母子に、「愛」が通う瞬間は訪れるのでしょうか・・・。

     打ちひしがれたさなえが救いを求めた存在、それが渡辺ミツでした。渡辺ミツもまた、彼女の息子との間で葛藤し、懊悩していたのです。そんな彼女の息子が病気になった・・・。さなえは、9年前の旅行で参加者から聞いたミツの話を思い出します。

    「みっちゃんの息子はな、表情に乏しくて、喜怒哀楽がよう分からん子でなあ・・・。学校に行けるようになるんじゃろうかって心配し、行けたら行けたで今度は人並みのことがでくるんじゃろうかって、また心配してのお・・・。心配は尽きん。(中略)そしたら、みっちゃんが泣いてなあ・・・。泣かんでもいいじゃねぇかって言うわたしも泣いておってな、一緒に泣いたんじゃ。そんとき、わたしはみっちゃんが泣くんを初めて見た。」



     元気がよく、頼れる存在だったミツ。そんなミツの本音がさらけ出されたこの場面の話を、主人公は思い返します。その悩みの種となっていたのは、自分と同じ「息子のこと」でした。さなえは自分と同じような境遇にいたミツに思いを馳せ、依拠していきます。

    ―みっちゃん姉であったら、希敏を安心して託すことができる

     ・・・彼女が思い出したのは、ミツが九年前の旅行の時に見せた「祈り」。そう、「九年前の祈り」です。そして、祈りは現在へ重なり、、彼女自身の祈りへ・・・。今日はここまでにします。



    こちらもどうぞ

    第1回 「引きちぎられたミミズ」(今回です)
    第2回 「故郷という空間」
    第3回 「重なり合う祈り」

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    •   17, 2015 18:02
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