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  • 教科書

    語の教科書の作品、といえば何が思い浮かぶでしょうか?

     国語の教科書に掲載されている作品は、時代を超えて愛される不朽の名作たちです。時代を超えて愛されるのにはわけがあります。教科書に掲載されるのにはわけがあります。このコーナーは、小・中・高の国語の教科書に掲載された(されている)作品を取り上げ、改めてその魅力に迫ってみよう、というものです。

     「あ、なつかしい!」そんな風に思っていただけたら幸いです。不朽の名作から新たな発見ができるような、そんな記事を目指しています。




    第1回 ( 2015.3.14 )
    「カレーライス」 重松清さん (小学6年生)

     「父と子」という永遠のテーマを扱った作品。甘口のカレーライスと中辛のカレーライス、2つの間で交差する親子の思いに迫ります。

    第2回 ( 2015.3.22 )
    「ごんぎつね」 新美南吉 (小学4年生)

     教科書史上、もっともやるせないといっても過言ではないラストシーンが印象に残っている方も多いと思います。すれ違いが生んだ「あの結末」をもう1度―。

    第3回 ( 2015.3.29・30 ) 2回シリーズ
    「やまなし」 宮沢賢治 (前編) (小学6年生)
    「やまなし」 宮沢賢治 (後編)

     小学生の時は内容がよく理解できず、「?」が渦巻いていたこの作品。改めて読み直してみると情感の豊かさ、透明感のある描写に気付かされます。後編ではあの謎の存在「クラムボン」に迫りました!

    第4回 ( 2015.4.10 )
    「少年の日の思い出」 ヘルマン・ヘッセ(中学1年生)

     初めての中学校作品、そして初めての海外文学!蝶の美しさと、盗みの醜さを印象的に対比させて描く作品。美が持つ魔力と、一度犯した過ちが決して許されない世の不条理を浮かび上がらせる作品です。

    第5回 ( 2015.4.20 )
    「わらぐつの中の神様」 杉みき子さん (小学5年生)

     「わらぐつが結んだ恋」・・・ラストは素敵で胸が熱くなります。日本人が古から育んできた「八百万の神」の思想。そこから生まれた、ものを大切にする心や人を思いやる心の尊さを噛みしめます。

    第6回 ( 2015.5.5 )
    「モチモチの木」 斉藤隆介 (小学3年生)

     臆病者の豆太が、勇気をふりしぼっておじいさんのために夜道を走ります。臆病は言い換えれば「やさしさ」であって・・・そんな自己肯定観を育むうえでもおすすめしたい作品です。

    第7回 ( 2015.5.16 )
    「高瀬舟」 森鴎外 (中学3年生)

     千葉で起こった実際の事件を受けて取り上げました。愛する兄弟が生んだ悲劇。それは「罪」と呼べるのか・・・。発表から約100年になりますが、問いの答えは見つからないままです。

    第8回 ( 2015.5.27 )
    「大造じいさんとガン」 椋鳩十 (小学5年生)

     読み直して、惚れました。文章、情景描写、場面展開・・・すべてが驚きの高水準です。教科書文学の最高峰といっても構わないと思います。たくさん引用したので、ぜひ少しでも味わってみてください。

    第9回 ( 2015.6.15 )
    「スイミー」 レオ・レオニ (小学2年生)

     谷川俊太郎さんの素敵な訳も相まって、教科書を代表する作品の1つになっています。「ぼくが目になろう」力強い最後の場面に込められた、「人と違うことの素晴らしさ」を読み解いていきます。

    第10回 ( 2015.6.28 )
    「野原はうたう」 工藤直子さん (中学1年生)

     中学校生活の幕開けにふさわしい、みずみずしい感性が光る詩です。私のトラウマエピソードが中心になってしまったのですが、「かまきりりゅうじ」君を知っているという方はどのぐらいおいででしょうか??

    第11回 ( 2015.7.18 )
    「海の命」 立松和平 (小学6年生)

     動物と命をテーマにした作品が、小学校4年生から3年連続で登場します。こちらはその最後をかざる集大成です。命がめぐるスケールの大きさ、そして命を想うことの大切さをかみしめることができる作品だと思います。

    第12回 ( 2015.8.6 ) 夏のスペシャル第1弾
    「ちいちゃんのかげおくり」 あまんきみこさん (小学3年生)

     2015年8月6日。広島県に原子爆弾が投下されてから70年を迎えた日にお届けする特別編です。私の大好きな「空」が大切な役割を果たしている作品、「ちいちゃんのかげおくり」を読みます。

    第13回 ( 2015.8.8 ) 夏のスペシャル第2弾
    「白いぼうし」 あまんきみこさん (小学4年生)

     夏みかんの酸っぱい香りが本の向こう側から漂ってきそうなこの作品。作中の言葉1つ1つが作り上げる物語の世界観というものをあらためて味わってみることにします。

    第14回 ( 2015.8.9 ) 夏のスペシャル第3弾
    「初雪のふる日」 安房直子 (小学4年生)

     不思議で胸がざわざわする読後感・・・教科書のテーマは、「読後感のひみつをさぐる」です。作品を読みながら、読後感の秘密がどこにあるのか探っていきます。

    第15回 ( 2015.9.23 )
    「三年とうげ」 李錦玉 (小学3年生)

     おじいさんがとうげを転がり落ちていく部分の描写が、大変表現豊かです。転がる様子一つとっても、ここまで多彩な表現を生み出すことができます。そんな「表現の可能性」に注目してみました。

    第16回 ( 2015.10.30 )
    「新しい友達」 石井睦美さん (小学5年生)

     4月の新学期にぴったりの1篇。2年ぶりに再会した親友2人でしたが、どこか寂しくて・・・!?変わるものと、変わらないもの。もう一度「友情」について見てみることにしましょう。

    第17回 ( 2015.11.15 )
    「盆土産」 三浦哲郎 (中学2年生)

     読みどころは「えびフライ」。頬が落ちそうな贅沢な描写と、えびフライを通して描かれる巧みな心理描写をたっぷり味わうことのできる名作です。豊潤なえびフライの描写は、ぜひ多くの方に味わってもらいたいです。

    第18回 ( 2015.12.13 )
    「三つのお願い」 ルシール・クリフトン (小学4年生)

     「もしも願いがかなうなら」幾多の文学作品で使われてきた「魔法」です。定番ですが、想像力を高めてくれる題材ですね。そんな「お願いもの」はもちろん国語の教科書にもあります。

    第19回 ( 2016.1.3・4 ) 新春スペシャル
    「坊っちゃん」 夏目漱石 (2回シリーズ) (中学1年生)

     新年一発目に紹介する本は夏目漱石の名作、『坊っちゃん』です。今年は漱石の没後100年の年です。ブログでも積極的にフィーチャーしていこうと思っています。新春3日に放送されたスペシャルドラマの感想も載せています。

    第20回 ( 2016.1.24 ) 
    「にじの見える橋」 杉みき子 (中学1年生)

     中学校の最初に出てくる小説です。主人公の少年に、中学生になったばかりに自分の姿を重ねてしまいます。どこかもやもやしていた少年の前に、見事な虹がかかる。ダイナミックな作品です。

    第21回 ( 2016.2.28 ) 
    「きつつきの商売」 林原玉枝 (小学3年生)

     「おとや」のきつつきが案内してくれる、素敵な音の物語です。きつつきがぶなの木にくちばしをたたいて奏でた音。それに、森から聞こえてくるある「とくべつな音」。じっくり耳を傾けてみましょう。


    第22回 ( 2017.2.24 ) 
    「スーホの白い馬」 大塚勇三 (小学2年生)

     一年ぶりの新作記事です!まだまだ尽きない教科書の名作をゆっくりと紹介していこうと思います。小学2年生の教科書に掲載されている有名なお話で、悲しい作品として名前を挙げられることが多い「スーホの白い馬」を取り上げました。

    ※ 紹介している作品ですが、私が学生時代に使っていた教科書を取り上げているので、掲載状況が現在と異なっている作品もございます(掲載されなくなった、掲載学年が変わった等)。現在の掲載状況については別途ご確認ください。よろしくお願いいたします。


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    •   01, 2015 00:00
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    ょっと辛くて、でも甘い。そんな「反抗期」の味―。
     
     新コーナー「教科書への旅」です。このコーナーでは、小学・中学・高校の国語の教科書に掲載された作品を紹介していきます。教科書の違い・世代の違いはあると思いますが、いずれも名作揃いの「教科書作品」。じっくり味わっていきたいと思います。

     第1回に紹介するのは、重松清さんの「カレーライス」(小学6年生)です。重松さんの「流星ワゴン」を読んでこの作品が懐かしくなりました。ちょっと背伸びをしたくなる小学6年生。揺れ動く心の機敏を、「カレーライス」を通して描きます―。



    あらすじ



     ぼくは悪くない。

     小学生のひろしにはどうしても譲れないことがありました。「1日30分」という約束を破ってゲームをしていたら、突然お父さんにゲームのコードを抜かれたのです。セーブデータは吹き飛んでしまいました。約束を破った自分も悪いけど、いきなりコードを抜くお父さんはひどすぎる・・・。ごめんなさいは言うもんか、ひろしは心に決めます。

     そんな中、お父さんが1週間仕事から早く帰ってくる「おとうさんウィーク」が始まります。冷戦状態のひろしと父。お父さんの作った特製カレーを食べながら、ひろしの戦いは続いていきます・・・。

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    この作品の思い出



     6年生になって最初に登場したのがこの作品。6年生の自分はあまりに共感できて胸が痛かった思い出があります。6年生といえば学校の最上級生になり、下級生を前にちょっとしたプライドが生まれてくる時期。自分も例にもれずその一人でした。もう子供じゃないと背伸びして、大人に反抗し始めたこのころ、目の前に立ちはだかるのは「お父さん」です―。

    この作品のポイント



     教科書に取り上げられる作品には「ねらい」があります。どうしてこの作品が採用されたのでしょうか。教科書に書いてあった、この作品の読解ポイントです。

    ・自分の心なのに、うまく言い表せなかったり、どうにもできなかったり。そんな人物の心情と行動を読んでみよう

    ・この作品には、カレーの「甘口」と「中辛」が出てくる。この2つの言葉には、どんな意味がこめられているのだろうか。「ぼく」と「お父さん」の立場で考えてみよう

    再読!カレーライス



     では、教科書に書いてあるポイントを参考にしながら、「カレーライス」を再読してみます。

     自分の心なのにどうにもできない、というもどかしさは、作品の前半にたっぷりと描かれています。

    ほら、そういうところがいやなんだ。ぼくはすねてるんじゃない。お父さんと口をききたくないのは、そんな子どもっぽいことじゃなくて、もっと、こう、なんていうか、もっと―。



    でも、お父さんが眠い目をこすりながら、ぼくのために目玉焼きを作ってくれたんだと思うとうれしくて、でもやっぱりくやしくて、そうはいってもうれしくて―。



     今から読んでみると、ひろしの「子供っぽさ」が際立ちますね。すねてるんじゃない、とは言っていますが、すねている以外の何物でもありませんね 笑。子どもっぽいことじゃない、と言いつつこれ以上ないくらい子供っぽい感情です。6年生で読んだ時にはこの主人公に「共感」したものですが、今の自分はちょっと上の目線からあきれたように見つめています。年齢の変化と心の変化を感じますね。

     「上手くことばにできない」というのも注目ポイントです。小学6年生と言ったら、まだまだボキャブラリーが少なく、精神も不安定な時期です。この時期にとにかく何にでも反抗してみたくなるのには、そういった心とことばのアンバランスが絡んでくるのだと思います。何だかイライラする、でもなんでイライラしているのか分からない、そのループでさらにイライラが増幅していくのでしょう。

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     次は、この作品で取り上げられている「カレーライス」について見ていきましょう。物語の最後、ひろしとお父さんはいっしょにカレーライスを作ります。ひろしはまだ「甘口」だと思っていたお父さんに対して、ひろしは自分はもう「中辛」だ、と主張します。カレーライスの辛さを通して、大人と子供、その心の機敏を描く名場面です。

     教科書に、「ぼく」と「お父さん」の両方の立場で考えてみよう、と書いてあるのに目が留まりました。小学生の時の私は、自分と同じ年齢のひろしの立場でしか考えていなかったからです。お父さんの立場も加えて考えると、作品の意味が変わってきます。

     まずはひろしの立場で考えてみます。「甘口」は子ども扱いされること、そして「中辛」はひろしなりに演じている大人というところでしょうか。ここが「辛口」ではなく「中辛」になっているのがポイントですね。カレーには中辛よりもさらに辛い辛口があるのですが、ここでひろしが主張しているのは「中辛」です。中辛というのは、大人になりきれない微妙な年齢の子供を象徴しているのでしょうか。精一杯大人を演じているひろしの心情がこの「中辛」に凝縮されていて微笑ましいです。

     次はお父さん。「甘口」はいつまでもかわいい子供でいてほしいという願望、そして「中辛」は精一杯背伸びをしようとしている子供の象徴なのだと思います。読んでいて気付くのですが、お父さんはひろしが「中辛」と言ったことにかなり驚いています。まだまだ「甘口」だと思っていたようです。

     お父さんの立場からしても、子どもがすごいスピードで成長していくのはかなり驚きなのだと思います。「ちょっと前まで保育園にいたのに」そんな感じでしょうか。まだまだ「甘口」だと思っていた子供が「中辛」と主張したことに驚くとともに、かなり嬉しそうです。ひろしが大人になるための「背伸び」をはじめたことに気付いたお父さん。背伸びは「反抗期」の始まりでもあります。きっとひろしはこの後いろいろと面倒くさい存在になるでしょう。それでも、ひろしが大人の階段を上り始めたことが嬉しかったに違いありません。

    ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でも、ほんのりあまかった。


     最後の一文の余韻がいいですね。辛さはひろしが見せた小さな決意。甘さはお父さんが息子を思う優しい心。親子の特製カレーは、2つが絶妙にブレンドした一品だったようです。



    オワリ

    重松清さん、「カレーライス」を紹介しました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



    「流星ワゴン」 重松清さん
    こちらも父と子のお話。3組の親子が登場します。「カレーライス」の深化版、といえそうですね。

    教科書への旅 一覧ページ
     国語の教科書に掲載された作品を紹介していきます。今現在教科書で学んでいる学生の方も、懐かしい思いに浸りたいという大人の方にもおすすめです。


    重松清, 教科書,



    •   14, 2015 17:59

  •  「教科書への旅」のコーナーです。前回は比較的新しい作品、重松清さんの「カレーライス」を取り上げました。それとは対照的に、今日ご紹介するのは1932年(今から83年前)に出版され、今も多くの人に愛されているこの児童文学です。


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     新美南吉の代表作、「ごんぎつね」(小学4年生)です。悲しい余韻を残したラストが記憶に残っている方も多いのではないでしょうか。今日はこの作品を見ていきたいと思います。



    あらすじ



     山の中に、「ごん」というきつねが住んでいました。ごんはいたずらが大好きで、いろいろな場所でいたずらをしています。ある日、ごんは川で魚をとっている兵十(ひょうじゅう)を見つけました。いたずら心がくすぐられたごんは、兵十のびくの中にいたうなぎを口にくわえました。「うわあ、ぬすっとぎつねめ」兵十に見つかったごんは、びっくりして逃げ帰ってしまします。

     10日ほどたって、ごんはお葬式の列を目撃します。亡くなったのは兵十の母親でした。兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていたのでした。自分のいたずらのせいで、兵十の母親はうなぎを食べることなく死んでしまった。そして、兵十は1人になってしまった。罪悪感に苛まれたごんは、兵十につぐないをしようと思うのですが・・・。

    (訂正 9月25日追加)

    誤 兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていたのでした。
    正 兵十は、母親に「死ぬ前にうなぎが食べたい」と言われうなぎをとりにきていた、とごんは思ったのでした。


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    の作品の思い出

     教科書で読んだ作品の中では、おそらく最も悲しく、やりきれないラスト。一生懸命つぐないをしようとしたごんでしたが、兵十はそれに気づきませんでした。「いたずらぎつねがまたやってきた」そう思った兵十は、ごんを火縄銃で撃ち殺してしまいます。銃の青い煙が上がるラストに教室は葬式のような雰囲気になっていた気がします・・・。

    この作品のポイント



     教科書にはこんなことが書いてありました。

    物語を読むとき、わたしたちは、登場人物のだれかと自分を重ね合わせたり、書いてあることを、自分の知っていることや経験と結び付けたりしながら読んでいます。だから、読み手が一人一人ちがうように、感じ方も十人十色なのです。



     あたりさわりのないことが書かれていますが、これを読んだとき、私は少し考え込んでしまいました。というのも、ネットでは「ごんぎつね」に関してあることが話題になっているからです。

     それは、「ごんが死んだのは悪いことをしたからであり、自業自得だ」というある子供の感想に端を発しています。子供がこんな感想を口にした時、私たちはなんと答えてあげればいいのでしょうか。感じ方は十人十色、といいいつつも、それで済ましてはいけないような気もするのです・・・。

    再読!「ごんぎつね」



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     最後の場面、本当に悲しいんです・・・。兵十と兵十の母に悪いことをした、と自分のいたずらを悔やみ、罪滅ぼしに兵十の家にお供え物を届けにいくごん。しかし、またいたずらぎつねがやってきたと思った兵十は、火縄銃でごんを撃ち殺します。

     この話に悪者はいません。ごんにしてみれば、いつものようにちょっとしたいたずら心でうなぎを盗んだだけでした。兵十の母が病床でうなぎを求めていたことなど知る由もありません。それでも、自分の行いを悔いるごん。精一杯の償いの気持ちは兵十に届くことはありませんでした。

     兵十にしてもそうです。病床の母に届けようとしていたうなぎを盗まれたのですから、ごんに怒りをぶつけるのは当然だと思います。兵十もまた、ごんが自分につぐないをしようとしていることなど知る由もありません。もう一度ごんが家にやってくれば、またいたずらをしにきたのだと思うはずです。

     お互いの気持ちがすれちがって、最悪の結末を生んでしまったことが分かります。この話を読んで「いたずらをしたごんが悪い」と言う子供がいたとのことですが、それはどうなのでしょう・・・。子供の考えを尊重する、というのも一つの考えですが、私は「それは違う」と子供に諭さなければいけない、と思っています。なぜなら、ごんと兵十、それぞれの後悔を読み取れていないからです。この後悔こそ、この話の伝えるべきところだと思っています。

    「兵十のおっかあは、とこについていて、うなぎが食べたいといったにちがいない。それで、兵十が、はりきりあみを持ち出したんだ。ところが、わしがいたずらをして、うなぎを取ってきてしまった。だから、兵十はおっかあにうなぎを食べさせることができなかった。そのまま、おっかあは、死んじゃったにちがいない。ああ、うなぎが食べたい、うなぎが食べたいと思いながら死んだんだろう。ちょっ、あんないたずらをしなけりゃよかった。」


     ごんが後悔をする場面です。悔やんでも悔やみきれない、そんな気持ちが伝わってきます。なんて偉いんだろう、と思いました。悪いことは、それ自体が悪いのではありません。悪いことを、悪いことと思わないことが悪いのではないでしょうか。「悪いことをしたらごめんなさい」、そんな当たり前のことだけど、なかなか難しい。ちゃんと後悔できているごんを見習いたくなります。

     でも、そんな思いが伝わらなかった、というのが辛いところです。ごんを撃ち殺したあと、ごんの行いに気付いた兵十もまた、後悔します。

    「ごん、おまいだったのか、いつも、くりをくれたのは。」ごんは、ぐったりと目をつぶったまま、うなずきました。兵十は、火なわじゅうをばたりと取り落としました。青いけむりが、まだつつ口から細くでていました。


     ある意味、最大の被害者は兵十かもしれません。大好きなおかあさんを失った上に、自分のもとにつぐないにきたきつねを撃ち殺してしまいました。きつねの思いに気付いた時にはもう手遅れと言う残酷さです。

     精一杯謝罪しても、それが伝わらない、そこにやりきれなさがあります。一生懸命「ごめんなさい」を示そうとしたごんが撃ち殺されてしまうという結末を、小学4年生の子供たちは見せられます。

     人は簡単に心を通い合わせることができない、ということをしっかり読み取れたらな、と思います。心をこめて謝罪しても、こんな結末になることもあります。世の中には形だけの「ごめんなさい」が溢れていますが、それに何の意味があるでしょうか・・・。言わない方がまし、とはいいませんが、人と真摯に向き合おうとする姿勢が大事なのだと思います。

     いま読み返してもやりきれないですね。この本を読む子供たちが、多くの感情を掘り起こしてくれることを願います。



    こちらもどうぞ

    「ごんぎつね」のごんは自業自得!? 勉強よりも大切な「感情教育」のポイント
     参考にした記事です。子どもに感想を丸投げするだけではだめなのですね・・・。

     ごんぎつねは青空文庫で読むことができます。10分以内に読めると思うので、気になる方はぜひ読んでみてください。
    「ごんぎつね」 (えあ草紙)


    新美南吉, 教科書,



    •   22, 2015 18:49
  • 教科書

     「教科書への旅」のコーナーです。記事へのコメントや、思い出の教科書作品の紹介など、このコーナーにはたくさんの反応をいただいております。第3回に取り上げるのは、長年にわたって教科書に掲載されているこの作品です。

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     宮沢賢治「やまなし」(小学6年生)です。その独特の世界観は、教科書に掲載された他のどの作品にもない不思議な存在感があります。この作品はには読みどころがたくさんあります。今回と次回、2回に分けてじっくりとみていきたいと思います。



    あらすじ



     小さな谷川の底に、2匹のかにの子どもがいました。川の底から、2匹は様々な景色を見つめます。泡、魚、日光、かばの花・・・そして「やまなし」。

     静かに流れる時間と、夢の世界のような美しい風景描写。宮沢賢治が綴る文章に嘆息します。

    この作品の思い出



    クラムボン

     「あ、なつかしい」と思われた方もいたでしょうか。この作品で印象に残るのは、何といっても「クラムボン」です。作中に何度も出てくるのですが、その正体が明確に明かされることはなく、「クラムボン」が何なのかは謎のままです。小学生の時に出会ったこの言葉を、私はいまでもよく覚えています。

     そして、もう一つ印象に残っているのは、「この作品は何が言いたかったのだろう」ということ。上にあらすじを書きましたが、作品の中に特に目立った動きはありません。小学生の当時は情感をよく理解することもできず、とにかく頭の中に「?」が渦巻いていた作品だったように思います。

    この作品のポイント



     教科書には、「やまなし」とセットで宮沢賢治の生涯を振り返る評伝が掲載されています。つまり、「やまなし」だけを読んでもこの作品を十分に理解することはできず、作品を味わうには宮沢賢治を理解することが欠かせない、ということが分かります。

    また、こんなことも書いてありました。

    題名のつけ方、構成、文章中の表現、言葉の使い方の全てから、読者は作者の思いを推測し、考えるのである。


     本当に表現が繊細な作品、表現の読み取りが生命線と言ってもよい作品です。そんな表現に気を配りながら、「やまなし」を再読してみたいと思います。


    再読!やまなし



     この作品は、5月と12月の2つのパートに分かれています。

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    にわかにぱっと明るくなり、日光の黄金(きん)は、夢のように水の中に降ってきました。波から来る光のあみが、底の白い岩の上で、美しくゆらゆらのびたり縮んだりしました。あわや小さなごみからは、、まっすぐなかげの棒が、ななめに水の中に並んで立ちました。



     まずは5月です。挿絵と文章を一緒に見ていただきました。ため息のでるような美しい描写を味わっていただけたと思います。川と光と泡・・・そんなどこにでもある風景なのに、まるでどこか遠い世界の風景を見ているようです。

     川の底から見上げる、という視点もよいです。普段、私たちが川を見るとしたら上から「見下ろす」視点をとります。この作品の視点は、川の底にいる子がにが川を「見上げる」というもの。どこか異世界を映したような不思議な雰囲気は、この視点の違いによって演出されているともいえそうです。

     美しい風景を描いているのですが、5月のパートで起こるのは自然界の厳しさを痛感させる出来事でした。川にいた魚が、カワセミに食べられてしまうのです。

    「お魚は・・・。」
    そのときです。にわかに天井に白いあわが立って、青光りのまるでぎらぎらする鉄砲だまのようなものが、いきなり飛び込んできました。(中略)魚の白い腹がぎらっと光っていっぺんひるがえり、上の方へ上ったようでしたが、それっきりもう青いものも魚の形も見えず、光の黄金のあみはゆらゆらゆれ、あわはつぶつぶ流れました。



     ここがその場面です。魚が食べられてしまったあとも、何事もなかったかのように光が差し込み、泡が流れています。あっという間に過ぎ去った出来事。美しい川の描写とは対照的な、残酷な印象が残ります。

     次に12月です。

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    白いやわらかな丸石も転がってき、小さなきりの形の水晶のつぶや金雲母のかけらも、ながれてきて止まりました。その冷たい水の底まで、ラムネのびんの月光がいっぱいにすき通り、天井では、波が青白い火を燃やしたり消したりしているよう。辺りはしんとして、ただ、いかにも遠くからというように、その波の音がひびいてくるだけです。



     再び挿絵と文章をみていただきました。5月の絵と比べて、川の色が変化しています。2つの絵を見比べながら、川もまた生き物なのだなということに気付かされます。

     そして、私は12月のこの描写がすごく好きです。「ラムネのびん」を通して月光が川に差し込んできたり、川に立つ波を「青白い火」に例えたり・・・。憎いぐらい、美しく繊細なセンスです。宮沢賢治の目からは、世界がこんな風に見えていたのでしょうか。そんな「美しい世界」を文章を通じて共有できることに喜びを感じます。

     12月に出てきたのは、作品のタイトルにもなっている「やまなし」でした。水の中に落ちてきた黒い物体を、子どもたちはまたカワセミがきたのかと身構えるのですが、その正体はやまなし(山に実る梨)でした。

    なるほど、そこらの月明かりの水の中は、やまなしのいいにおいでいっぱいでした。(中略)「待て待て。もう2日ばかり待つとね、こいつは下に沈んでくる。それから、ひとりでにおいしいお酒ができるから。さあ、もう帰ってねよう。おいで」



     お父さんがにが、子どもたちに優しく語り掛ける場面です。川に広がってくる、やまなしの香りが作品を締めくくります。美しい風景を想像して楽しむこの作品ですが、最後には「匂い」まで追加され、天国のような美しさに酔いしれて読み終えることができます。

     どうして5月と12月だったのだろう、ということが疑問に浮かびます。実は、12月という記述は誤りで、実際草稿に書かれていたのは11月だった、という説が有力なのだそうです。実際やまなしが実るのは秋ですから、後半は11月の描写と考えた方が自然かと思います。5月と11月、で考えてみることにします。

     5月は春の終わりから夏のはじまり。11月は秋の終わりから冬のはじまり。春や秋というのは過ごしやすく、心地よい季節です。それに対し、夏と冬は自然の厳しさを感じる季節だと思います。なかなか快適には過ごせません。5月と11月には、「厳しい季節に向かっていく変わり目」という共通点が見つかりそうです。

     そんな季節の変わり目の2つのエピソード。5月には「カワセミ」12月には「やまなし」が出てきます。上で見たように、カワセミは魚を食べるという自然界の厳しさを示した存在、対してやまなしは川いっぱいにいいにおいをもたらすという自然界の実りを示す存在、とその役割は対照的です。

     殺戮と豊穣、対照的な2つのテーマを、宮沢賢治は2つの季節の変わり目を通して描きたかったのでしょうか。小学生の時には何がいいたかったのかよく分からない話でしたが、ある程度作品に通じるテーマがありそうです。

     タイトルが「やまなし」というのも興味深いです。カワセミとやまなし、2つを対比しておきながら、タイトルは「やまなし」です。また、この作品に何度も登場する「クラムボン」(次回触れます)をタイトルにしてもよさそうなのですが、それでもタイトルは「やまなし」です。ここはすごく興味深いところです。

     先程触れたように、やまなしを「豊穣」の象徴に見立てたとすると、それこそがこの作品のメインテーマになるのでしょうか。・・・そんなに簡単でないような気もします。この「やまなし」というタイトルに込められた宮沢賢治の思いをじっくりと考えてみるのも、作品を味わう一つの方法ではないでしょうか。

     さて、今回はここまでです。次回は作品に登場する謎の存在、「クラムボン」について考えてみます。このクラムボン、本当にいろいろな解釈がありそうです。ちなみに教科書の注釈は、「作者が作った言葉。意味はよく分からない」とのこと。答えになっていませんね 笑。次回は、そんな「意味はよく分からない」存在に迫ります。



    こちらもどうぞ

    「やまなし」 宮沢賢治 (えあ草紙)
     美しい雰囲気を味わってみたい、という方はぜひ。教科書11ページ分の、短いお話です。


    宮沢賢治, 教科書,



    •   29, 2015 18:22
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