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 頭のいい人なんだろうな、といつも思います。今日紹介する朝井リョウさんのことです。頭がよくて、いや、頭がよすぎて、あまりにも見えすぎてしまうし、分かりすぎてしまう。鋭い刃のような作品を世に放ち続ける作家さんです。

何様
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朝井 リョウ
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 今日紹介する『何様』という作品は、タイトルを目にして「もしや」と思ったのですが、やはり、あの映画にもなった有名作『何者』の関連作でした。『何者』に登場する人物たちの、もう一つの物語、アナザーストーリーが綴られています。この本単体で読んでも十分楽しめますが、『何者』を先に読んでいた方がずっと面白くなると思います。

 3年ほど前に『何者』を読んでいた私は、久しぶりにあの作品の苦い記憶を思い返すことになりました。苦い味がしますが、どうしても読むのを止めることができません。朝井リョウさんはいつもこうなのです。



内容紹介


エンターテイメント

 折する心、仮面の下にあるもの・・・

 『何者』に出てくる登場人物たちのことをもっと深く理解できるであろう、アナザーストーリーが6篇詰め込まれています。そして、表題作の「何様」は、何者が選ばれる側(就活生)の物語だったのに対し、選ぶ側(面接官)の物語です。特に必見の一篇だと思います。ぜひ、『何者』と合わせて読んでいただきたいですね。

 各短編のあらましを、一言ずつ書いていくことにします。それぞれストーリーを書いていると長くなるので、本当に一言ずつです。

#1 「水曜日の南階段はきれい」

 「最後の恋」の物語。夢に向かって努力するということ。本当に正しくて、とうとい努力とはなんだろう・・・

#2 「それでは二人組をつくってください」

 上手く「二人組」を作ってこれなかった主人公。その理由が、彼女の「欠陥」が、痛いほど伝わってきて・・・

#3 「逆算」

 いつも「逆算」してしまう。そして、追い続けている。何を?主人公が追い続ける、癒えない傷の正体とは?

#4 「きみだけの絶対」

 そのことに、何の「意味」がある?屈折する心。自分とは違う他人の輪郭がはっきりと見える瞬間。

#5 「むしゃくしゃしてやった、と言ってみたかった」

 清く、正しく、美しい人生。けれど、そこにも生じる歪み。全てが嫌になって、狂いたくなる時が来る。

#6 「何様」

 自分に、学生を選ぶ資格なんてあるのだろうか?分かったようなふりをしている自分は「何様」?

 タイトルからも分かるように、きついです。これは朝井リョウさんの作風ですが、人の心の闇を抉り出してきます。特に、2つ目の「それでは二人組をつくってください」なんて、タイトルだけで嫌になってしまいそうな作品ですね(辛かった・・・)。

 ですが、やっぱり「目を離せない」短編たち。きっと、人間の心の歪みは、誰もが向き合わなくてはいけないものだからです。

書評 ~オトナのふりした



書評

◆ 「影」の作家

 朝井リョウさんは「影」の作家であると私は勝手に思っています。人には皆「影」があって、影はいつでもついて回る。忘れそうなそのことを、いつも鮮明に思い出させてくれるのがこの朝井リョウさんです。

 フェイスブックで多くの人に囲まれ、笑顔の絶えない人たち。何一つ曇りのない、楽しそうな人生・・・。けれど、その人たちにもやはり「影」があって。フェイスブックには写らないそれを、朝井さんは小説で描き出して見せます。

 同級生の充実したフェイスブックを、登録せずに遠くから見つめる人たち。そこにもやはり色濃い「影」があります。朝井さんは、そちら側も見事に抉り出しています。お察しの通り、読んでいて辛いです。嫌になる人もいるかもしれません。けれど、これが朝井さんの武器であり、そして、ペンを取り、小説を書いてくれてよかったと私はいつも思います。それくらい魅力のある方です。

何様

 6つの短編では、やはりそれぞれの「影」が抉り出されていました。

 

隆也の目は、いつも、こんなふうに疑いなく輝いている。だけど、強すぎる光に照らされると、目が痛くなってしまう。照らされた人はやがて、その光を直視できなくなる。



 輝いている人はまぶしいですね。直視するのが辛くて、目をそらしたくなりますね。そして、そんな風に思う自分を責めて、ますます日陰に逃げ込みたくなりますね。こんな思いをするのは、登場人物だけではないと、私は思っています。

自分たちがいる場所こそが一番楽しい場所だ。学生時代は皆、そう言いたくて仕方がなかった。しかし、歳を重ねてからそういう種類のエネルギーを吸い込んだり、自分から放出しようとすると、ずいぶんと油を差していなかったエネルギーの出し入れ口が擦れて痛くなる。



 そうそう。「楽しくしていなければ負け」みたいなところはあって。まるで、「楽しさ」に脅迫されているみたい。ありもしない元気を振り絞って、時には馬鹿なふりをし続けて。何と戦っていたんだろう、そう思います。

―全てをポジティブにとらえる。
どうやってやるんだよ、そんなの。なあ。



 自分に刺さる言葉と刺さらない言葉がある。「刺さらない」方の言葉は、とにかく苛立たしいし、まったく飲みこめない。無責任で、何も分かっていなくて、言いようのない苛立ちは、どこにもぶつけることができません。

 あまりにもドロドロしてきたので引用はこれにて終了です。朝井さんの書く言葉は、時に「凶器」のように鋭くなります。こういったことを、ここまで愚直に書こうとしている作家はいるようで実はあまりいなかったのではないでしょうか。年齢が近いこともあると思うのですが、私は朝井さんの言葉から目を離すことができません。

◆ 分からないまま

 後半は、最後の短編「何様」について紹介しましょう。この短編集のメインであり、やはり一番「刺さる」一篇です。

 ストーリーは、内容紹介にも書いたように、「選ぶ側」である面接官の物語です。簡単に言うと、選ぶ側の苦悩や葛藤が描かれています。『何者』で描かれていたのは、選ばれる側のそれでした。就活で自分のものではない言葉ばかり使って、何かを演じ続けて、そんな自分たちは一体「何者」なんだろう。そういう物語です。

 今度は反対のサイドからですね。自分たちは学生を選ぶ側だけれど、学生やそれに社会人の一体何を分かっているというのだろう。学生の言葉を「薄っぺらい」なんていうけれど、自分はどうだったのか。それに、薄っぺらくない言葉って何?何も分かっていないまま、選ぶ側に立っている自分たちは「何様」?

 こうやって書くと、2つ合わせて1つの物語という感じがしますね。私は、今回この作品を読んでようやく以前読んだ『何者』が完結したような気がしました。

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 私には、大学4年まで生きてきてとても驚いたことがあります。驚いたというより、焦っているというのが近いかもしれません。

 それは、大人になれないということです。小さい頃、私の目に映っていた大人は、何でも知っていて、何でも分かっている人たちでした。大人の言うことは、自分よりも多くの経験をしてきた人が言うのだから受け入れがたくても正しいのだろう、そう思っていました。

 20歳の誕生日を迎えて「大人」になったかというと、もちろんそんなことはなく。2年経って22歳になった今も、相変わらずそんなことはなく。まるで、子供のまま体だけ大きくなってしまったみたいです。私は今、「大人」の着ぐるみをかぶった「オトナ」。そんな状態でしょうか。

 自分がいつか、かつて子供の目線から見上げていたような「大人」になれるのか。それとも、そんな大人なんて最初からいなくて、何でも知っていて何でも分かっている大人なんて最初からいなくて、世の中の「大人」はみんな着ぐるみをかぶり続けている人たちなのか。この短編を読んで、そんなことを思い返さずにはいられませんでした。

 「学生」と「社会人」もそうですね。小説にはこんな一節が出てきます。

"正直、学生と社会人ってあんまり変わらないような気がしています。確かにボクも高校生のころは周りの社会人をやけに大人だって思っていたけれど、実際なってみると心の中は全然変わっていないっていうか(笑)"



 自分のリアルととても共鳴する部分でした。学生の頃に会った社会人の人は、やはり何でも知っていて、何でも分かっているようで、とても壁を感じる存在でした。そんな私が、信じられないことに4月から社会人になろうとしています。もちろん、4月になった瞬間に自分が劇的に生まれ変わるはずもありません。少しずつ、社会人になっていくのか。それとも、上の引用にあるように、「全然変わっていない」まま、着ぐるみをかぶり続けるのか。社会人の海に飛び込んでみないことには、分からないことなのですが。

 「選ぶ側」の面接官が、実は「全然変わっていない」こと。今まで自分が見ていたのとは逆の側から景色を描いたこの短編は、忘れられないものになりそうです。

あらゆる行動において、これといった動機なんて、ないのだ。もともと当事者でない限り、行動に見合った動機なんて、ない。
こちら側に座っている誰だって、きっとそうだった。だけど、面接を受けに来る学生には、誠実な、切実な動機を求める。



 就活の時に向かい合った面接官は、全てを見通しているような顔をしていて、私はおののいたものです。けれど、この作品を読む限りは、全然そうじゃなかった。分からないまま、学生を選び続ける。そんな態度を悟られないように、面接官を演じていたのでしょうか。選ぶ側の自分って「何様」?朝井さんの言葉のチョイスは、これ以上ないくらいに鋭い。

 読み終えてみて思います。

 大人って、自分が昔思っていたほど賢いわけではないのかもしれない。未熟であり続けているのもしれない。

 けれどそれは悲しいことではなくて、人生とは常に、未熟な自分との戦いで。時には大人のふりをしながら、大人たちもまた、悩み、もがき続けていくのでしょうか。この小説は、今、このタイミングで読んでよかったと思います。私のこれからの人生の、一つのバイブルになりそうです。

◆ 刺さり続ける言葉を

まとめ



 朝井リョウさんのキャリアを見ると、とてもまぶしく、輝かしいです。もし小説を読んでいなかったら、「自分とは関係のない、雲の上のエリート」、そう思って興味を持たなかったかもしれません。

 小説を読むと、そんな思いは吹き飛びます。輝かしいキャリアとは裏腹に、朝井さんはただ、他の人と同じように悩み、もがき、足掻き続けてきた人なのでしょう。学歴からも、SNSのページからも、決して分からない「影」の部分です。

 朝井さんはただの一人の人間で、それを小説で表現し続けているのです。それが朝井作品の魅力だと思います。今を、もっともリアルに描いて見せるこの方からは、今後も目が離せそうにありません。



オワリ

意識高い系(笑) -『何者』 朝井リョウ

 関連作品はもちろん『何者』です。この作品を読んだのは2015年の2月、まだ私が大学1年だったころですね。就活生の小説なのですが、自分も就活をしてみた今、まったく違う感想を持つのだと思います。また読んでみたくなりました。


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小説, 朝井リョウ,




 傷つきたくない、という方は今日の記事をお読みにならないでください。どうかよろしくお願いします。今日書くのは、「心を破壊する」記事になるかもしれないからです。

スペードの3
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朝井 リョウ
講談社
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 朝井リョウさんが昨年発表した作品、「スペードの3」です。今私が世界で一番恐ろしい人、それが朝井リョウさんです。この本のことを伝えるのは本当に難しいです。「よかった」「面白かった」「感動した」「すごい」、いつもの言葉で済ませることはできないですし、そんな言葉を使う場面もありません。

 本気で書かれた本に、本気で感想を書きます。



朝井リョウは何に挑む



 ブログを始める前、私は1つ大きな勘違いをしていました。それは、「ブログには『本音』がある」ということです。匿名で運営できるブログだから、自分の本性をさらけ出して、本音を語れるのではないか。他の人も、ブログで本性をさらけ出して本音を語っているのではないか。そう思っていました。

 それは、大きな勘違いでした。ブログを始めてから今日まで、「本性をさらけ出して本音で書いた」記事など1つもありません。他の人のブログはどうでしょうか。他の人の本性や本音は分からないので、想像するしかありません。私の想像でものを言いますが、「この人は本性をさらけ出して本音を書いている」、そう思える記事を読んだことはほとんどありません。その逆なら、数えきれないほどあります。
 
 人間は、自分の醜い部分は絶対に出さない(出せない)

 そんなことに、最近になってようやく気付きました。

 その「醜い部分」に、果敢に挑み続ける作家がいます。それが、朝井リョウさんです。

 これまでふたをしていたものを、今日は書いてみようと思います。

残酷になる瞬間



 いきなりひどいことを書きますが、この作品は作品としてはそこまでではありません。以前に「何者」を読んでいたからそう思うのでしょう。中身は変えずに、器だけ変えた作品だからです。朝井リョウさんはなぜそこまでこだわるのか、途中からはそう切り替えて読むことにしました。

誰かのため、という前提で行っていた物事にはすべて、その手前にもうひとつの前提があった。自分のため、自分のため、自分のため。ついに裏返った心が、思い切り呼吸をして、どんどん大きくなっていく



 誰もが、自分がかわいくてしかたない。全ての行動と言動に潜んでいるのは、「自分を認めてほしい」「自分を肯定したい」そんな思いです。自分がかわいいことは、悪いことでしょうか。そうは思いません。恐ろしいのは別のことです。

 自分がかわいいがゆえに、人間は時に、他人に対して信じられないほど残酷になってしまうこと―。

 以下は、朝井リョウさんのインタビュー記事からの抜粋です。

朝井:正直、朝井リョウの作品に対する批判は特に突き刺さったりはしません。なぜなら、書いてある批判は全て僕の知っていることだから。それに、「若くてリア充ぽい作家・朝井リョウ」をどうにか揶揄することで自分自身を保とうとしている人がとても多くて、そういう人を見ていると、ぼくがオカズになることでその人の精神が少しでも安定するならばそれでもいいのかな、と思ったりもします。そういう人って、「つまらない!」とか「もう読まない!」とか、そういうふうには書かないんですよ。

 批判とか揶揄する文章の中に、どうにかして自分の鋭い着眼点や個性を入れ込んでいるんです

 朝井リョウ ネットについて考える「無駄な競い合いが増えた」 (2013.6.29)

 こういうことを言葉にする人がいることに、心底驚きました。

 私がブログをやっている本当の理由を言葉にする人がいる人に、心底驚きました。
 
 本のレビューを書いていて、「つまらない」「もう読まない」で終らせたことは一度もありません。鋭い着眼点や個性を入り込ませる、それはいつも意識しています。この方が言うように、「自分自身を保つ」ために。

 自分自身を保つ、それはブログやツイッターをする人の根底にあるものでしょう。そして、朝井さんの作品の根底にもあります。ブログのテーマは関係ありません。それはただの飾りです。中にはブログで自分自身を傷つけているように見える人もいます(いわゆる、自虐)。それは、傷つける「ふり」をしているだけです。傷つけるふりをしながら、自分をなぐさめているだけです。

 虚勢を張る、嘘をつく、陰で見下す、謙虚さを装う、キャラを演じる・・・。

 残念ながら、その人以外の人はそれをすべて見透かしています。ほんとに、すべて。

 朝井リョウさんの場合、見透かしたことを言葉にするのが抜群にうまいのです。

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 朝井リョウさんがこれだけ書けるのは、そういった醜い部分を見続けてきたからでしょう。自分の中の醜い部分を意識し続けてきたからでしょう。作品に出てくる「観察者」としての視点の鋭さは、他の作家の追随を許しません。

 醜さを見つめた上で、それらと闘い続けている。私は朝井リョウさんにそんな印象を持っています。その根拠に、この作品にはこんな一説が出てきます。

違う。そんなものは美学ではない。呪いだ。けれど、美学に見せかけた呪いだから、自覚的にならない限り、いつまでも解けることがない。



 出ました、「呪い」です。先日紹介した「本屋さんのダイアナ」にも出てきた「呪い」です。私は、この作品のラストと「何者」のラストを読んだとき、全く同じことを感じました。

 朝井リョウさんが、自身に向かって必死に何かを言い聞かせようとしているのです。「呪い」を解こうとしているのです。精一杯、「自覚的」になろうとしているのです。

 呪いと闘い続けること。朝井リョウさんの作家としての心臓が、ここにあるような気がします。


呪いには勝てるのか



 朝井リョウさんの経歴を見ます。輝かしい経歴。挫折なんて、入り込むすきもないような人生。うらやむ人もいるでしょう。でも、私は全くそう思えません。自分の人生と朝井リョウさんの人生を取りかえてもいい、と言われたら・・・。私は、死んでもいやです。

 インタビューで、とても印象に残っている一説があります。

でも、確かに23歳で直木賞を取ったら、どこかおかしくなっちゃうと思うんです。勘違いしちゃって、自殺とかしかねない気もする。だからこそ、勘違いさせてくれない場所が必要なんですよね

 小説家であり続けるために──作家・朝井リョウ

 突拍子もなく飛び出してきた、「自殺」という言葉。最初見た時、二度見しました。どんな思いからこの言葉が出て来たのか、他人は知るよしはありませんが、私は自分なりに解釈することにしました。

 作品を読めばわかる通り、朝井リョウさんも心に醜い部分を抱えた1人の人間です。そんな1人の人間が、若くしてこれだけの功績を手に入れて、「有名人」になったのです。実際の自分と、自分に付けられる数々の看板。そのギャップに、私だったら絶対に耐えられません。それこそおかしくなって、勘違いして、自殺するでしょう。

 朝井リョウさんは、そうはならないのだと思います。自分の醜さを自覚しているから。これからも、見つめ続けて、書き続けて、活躍し続けるのでしょう。

 呪いに勝てる日はくるのでしょうか。自分の影を踏むことができないように、自分の中の醜い部分を取り去ることなんて絶対にできません。ただ、呪いに勝てる日は来ると思います。それは、醜い部分を「本当の意味で」自覚できるようになる、その日です。

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もが、「呪い」にかかってる―自覚の書

 私の記事を読んで「無理だ」と思った方は絶対に朝井リョウさんの本を読まないでください。二度と立ち直れなくなります。最後まで読み切った方がいて、朝井リョウさんに興味があれば、作品を読むなり、引用したインタビュー記事を読むなりしていただきたいと思います。
小説, 朝井リョウ,



  •   07, 2015 19:05

  •  「リア充」という言葉が私はあまり好きではありません。ですが、「リア充」の王道を行くようなこの方の作品はけっこう楽しく読めるのです。

    学生時代にやらなくてもいい20のこと
    朝井 リョウ
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     朝井リョウさんの「学生時代にやらなくてもいい20のこと」です。自己啓発本のようなタイトルですが、中身は朝井さんの大学生活を赤裸々につづったエッセイになっています。共感出来る箇所もあれば、そうではない箇所もあり・・・という感じの1冊でした。今日は、あまりまとまりのない感想になるかもしれません。



    リア充と腐臭



     リア充と当たり前のように書いていましたが、この言葉は約10年前に生まれた新しい言葉だそうなので、定義を整理しておく必要があるかと思います。一言で言えば「現実(リアル)が充実している」人のことを指します。

     簡単に定義をしたのですが、この定義には問題があります。「充実している」、この部分です。何をもって充実とするかはそれぞれ人により異なるものであり、この世で自分と同じ「充実」の定義を持った人はいないと思っています。

     私がこの言葉があまり好きではないといったのは、そういった「充実」の多様性をこの言葉が捉えきれていないと思うからです。「みんながそれぞれの人生を楽しんでいる、みんなリア充だね」・・・こんな使い方はされません。この言葉をよく使う若い世代の方はよく分かると思うのですが、「リア充」にはある程度のイメージと定義があります。充実している人を定義していながら、実は充実していない人の影を色濃くするような、そんな「腐臭」のある言葉です。

     都会の大学
     学園祭
     仲間と旅
     やりがいのあるバイト

     この本に書いてあることです。「リア充」という言葉を知っている人がこの本を読めば、おそらくこう思うはずです。「リア充の定義みたいな1冊だな」・・・。私もそうでした。それで終わらせればそれまでなのですが、今日はもう少し突っ込んでみたいと思います。

    他人の目



     充実、ということを考えるにあたって、印象的な部分がありました。

    たとえそれがかっこよくなくても、これマジかっこいい!と百パーセント信じられるような、そんな世界の中で生きているのだ。それがいとしい。それがうらやましい。(中略)相手が何なのか、勝ち負けとは何なのか、そんなもの何もわかってはいなかったが、とにかく、高校生であったあのころは誰でも、何にも負ける気がしなかったはずだ。



     充実を定義するのは容易ではありませんが、私はこの部分が定義のヒントになるのではないか、と思います。百パーセント信じる、と書いてありますが、では自分が百パーセント信じていることはあるか、と考えます。わき目もふらず百パーセント没頭していることがあるかと考えます。 ・・・なかなか思いつきません。

     なかなか百パーセントと言い切れない原因は、他人にどう思われるか、他人と比べて自分はどうか、そういった思いだと思います。世の中にはいろいろな趣味や生き方がありますが、残念なことにそれらの趣味や生き方には確実に「ランク」が存在しています。そういった「ランク」が頭をかすめてしまうようなら、本当の「充実」とはいえないのではないでしょうか。

     この本の素晴らしいところは、そういったものを限りなく排除して、「充実」に振りきれている点にあります。学園祭や旅行、都会の生活・・・いずれも「充実ランク」「充実偏差値」が高いものだと思います。ですが、そういった行動を形だけ真似したところで、充実が得られるわけでないことはすぐに分かります。

     そんな中、「充実」に振りきれているこの本は素晴らしいです。そして、その充実をありのままに言葉にできる才能もまた、素晴らしいと思います。朝井さんが充実ランクの高いことをしてきた、とか、男性最年少で直木賞を受賞した、とかそういったこととはいったん切り離します。切り離した時に見えてくる「ひとりの人間の充実した人生」、ここに価値があると思います。本当の充実がどれだけ難しいか、それを踏まえたうえで、そう思います。

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     朝井さんも、リア充という言葉のことは意識しているようです。

    素敵リア充みたいなエッセイを書いてしまった。バカバカ。(中略)自分を貶めるふりをしてリア充をアピールするエピソードを振りかざすなんて、私の嫌いなタイプのツイッターユーザーと同じではないか。


     朝井さんというのは世間がイメージする「リア充」そのもののような人なのですが、そんな朝井さん自身は世間のイメージする「リア充」とほどよく距離を置いているというところが面白いです。

     リア充を「アピール」する(しかも、自分を貶めるふりをして)
     他人を指してリア充と言う

     どちらも「他人」が入っています。充実している人が自分は充実している、とわざわざアピールする必要はありませんし(上で言ったことと反して、他人の目を気にしています)、他人のことを指して「リア充」というのもまたおかしな行為です(他人の充実など分かるはずもないので)。

      本当の充実を示しながら、リア充、という言葉の欺瞞を明らかにしている、そんな1冊かもしれませんね。(たぶん、朝井さんはそのことをかなり意識しています。面白おかしく書いているようで、戦略的な面も感じます)

    自分を映す鏡



     楽しく読める作品ですが、案外「自分を映す鏡」になっているという一面があるかもしれません。

     何も考えずに楽しく読める、という人が多分本当の充実に一番近い人だと思います。逆に、朝井さんのことをひがんだり、ねたんだり、あげつらったり、そんなことをし出すと、本当の充実とはかけ離れてしまうのかも。

     でも、そうすると、この本を読んでこんな小難しい感想を書いている私は、「最も充実していない人間」になってしまいますね (^_^;)



    こちらもどうぞ

    「何者」 朝井リョウさん

     リア充、他人の目、そういったことはこの小説でもかなり意識されています。どんでん返しの結末もあり、ストーリーを追っても十分に面白いです。男性最年少での直木賞受賞作。

     
    エッセイ, 朝井リョウ,



    •   23, 2015 19:56
  • 何者
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    臓を突きぬかれるような、そんな衝撃-。 

     皆さん、「意識高い系」という言葉を知っていますか。大学生あたりは馴染のある言葉だと言います。一言で説明するのは難しいのですが、例えばボランティアやインターンシップなどで自己PRに躍起になったり、SNSでやたらと背伸びして自分語りをするような人たちのことを指します。そういった人たちを誉めているわけではなく、これは「蔑称」です。「あいつら、痛い。何やってんの」といった感じに。
     私はこの言葉を聞くと胃がむかむかします。意識高い系が嫌いだから?そうではありません。嫌いなのは・・・。これは今日の感想の最後で話しますね。今日は朝井リョウさん、「何者」をご紹介しようと思います。以下、「何者」のレビューです。



    ギスギス



     主人公の拓人は就職活動中の大学5年生。同じような状況にある就活生たちと仲間をつくります。共に夢をかなえるために・・・ってそんなきれいな小説ではありません。彼らのリアルと同時進行するのが「ツイッター」。物語の隙間隙間に彼らの「つぶやき」が挟み込まれ、現実とネットと2つの世界が交錯します。

     こんなに「自分世代」の小説を読んだのは久しぶりです。仲間とつるみながら、片方ではツイッターの画面に目を落とし、そして今の自分のことをつぶやいていく・・・。本当にリアルで、「こんな小説がほしかったんだよ」という感じ。仲間同士で集まっているのに、全員がスマホに目を落としていたり、講義中にも必死にツイッターで何かをしていたり、せっせと写真をとって、ツイッターにアップしてみたり・・・。たまに視野を広げてこんな風景を目にした時、なんとも言えない気持ちになります。どっちがリアルで、どっちが虚構なのか・・・。

     自分だって例外じゃありません。SNSに熱狂するのはさすがに気が引けてしまうので距離を置いていますが、いつも心にもないことを言っては愛想笑いをし、適当に話をつないで・・・。本質的にはSNSに熱狂している人たちと何も変わらないんですよね。「現実を直視したくない」「自分を傷つけたくない」・・・そして、「自分って何者?」この本のタイトルにたどり着きます。

    壮絶なブーメラン



     本編に戻りましょう。この話に出てくる大学生は、主人公含め、いかにも今どきの大学生です。冒頭に出てきたような「意識高い系」もばっちり登場します。理香さんという人は、海外ボランティアやインターンシップに精を出し、それらの経験で自分を塗り固めたような典型的な「意識高い系」。隆良くんもタイプは違いますがそういったきらいがあります。スーツを着て一斉に就活に励む就活生たちを「想像力がない」と見下し、俺は違うんだとクリエィティブを目指す。こういった人々の痛い姿が「主人公目線」で描かれます。読んでいる人はまず間違いなく思うでしょう。「こいつら、痛い」と。私のような現役バリバリ世代ならなおさらのことです。

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     主人公目線、にかっこをつけました。これが大事なんです。主人公がどういう人物かというと、そういった痛い人たちに心の中でつっこみ、そして見下す「観察者」。例えば、こんな風に。

    想像力が足りない人ほど、他人に想像力を求める。他の人間とは違う自分を、誰かに想像してほしくてたまらないのだ。


    ちゃんと生きてるものに通ってるものを「脈」って言うんだよ



     こういう気持ち、正直に言えば、私にもあります。いや、むしろ、「私は人のことを心の中で見下したりしない」と言える人の方が少ないでしょう。こういう風に思ってしまうことは自然で、決して責められる類のことではないと思います。しかし、主人公は「重症」でした。彼の歪んだ一面がラストで明かされます。ずっと主人公目線で読んでいたものですから、ラストを読んだ時は心臓が潰されるような感じがありました。人を見下し、自分は違うから、そんな風に思っていた主人公。ラストでは、彼に壮絶なブーメランが刺さっていきます。

    醜いのは誰だよ



     意識高い系と聞くとむかむかする、と冒頭に書きました。なぜなのでしょうか。

     自己アピールに躍起になっている人たちを見て、不快になり、嫌いになります。

     だけど、そんな意識高い系を醜い顔で笑っている人たちがいる。意識高い系(笑)、と。何も行動を起こさない人が、何か行動を起こした人を笑う。嫌いになります。

     だけど、だけど、そんな意識高い系(笑)を見て、「嫌な奴ら」なんて冷めた目でみている自分がいます。また、こんな風に人を馬鹿にする。じゃあ、自分自身はどうなの??・・・嫌いになります。

     意識高い系がむかむかする訳、それは自分へのブーメランでした。この話の主人公と同じなんです。結局は自分に返ってくる、自分が見ている。大馬鹿野郎だったこの話の主人公ですが、一歩間違えれば自分もこんなことになっている、そんな風に感じるから怖さが増幅します。

     

    十点でも二十点でもいいから、自分の中から出しなよ。自分の中から出さないと、点数さえつかないんだから。これから目指すことをきれいな言葉でアピールするんじゃなくて、これまでやってきたことをみんなに見てもらいなよ」



     今日は吐きそうなくらい胸糞のレビューでした。最後に救われるようなセリフを引用します。「自分を出すこと」、本当に大事だと思います。一番単純なようで、一番難しい。「自分を出すこと」がさらりとできてしまう人のことは本当に尊敬します。そして、そんな人と一緒にいたいな、という気持ちになります。自分がそうなれる日はまだまだ遠そうだけど。

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『何者』をシルバーに認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ


    「スペードの3」 朝井リョウさん
     ぜひ、セットで読んでほしいです。こちらは本のあらすじではなく、朝井リョウさんという人について書いている記事です。かなり踏み込んで書いたので、ぜひ目を通してみてください。
    小説, 朝井リョウ,



    •   09, 2015 23:46