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 以前このブログで『絶叫』という作品を紹介した作家、葉真中顕さんです。『絶叫』がとても読みごたえのある力作だったので、今度はこちらの作品を読んでみました。こちらは葉真中さんのデビュー作です。テーマは「介護問題」。前回に続き、読みごたえのある社会派サスペンスとなっています。

ロスト・ケア (光文社文庫)
葉真中 顕
光文社 (2015-02-10)
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 前作もそうですが、葉真中さんの作品は展開に容赦がなく、気が滅入るようなストーリーであるとも評することができます。読んでいて一番ダメージを食らうような言葉が所々で刺さってきます。それでも、夢中になって読んでしまうのです。今回は『絶叫』よりボリュームが少ないこともあり、わずか3時間足らず。それでいて、読みごたえは抜群です。

 この作家さんの「筆力」というものは本当に素晴らしいと思います。2作目にしてすっかり脱帽しています。



内容紹介



ミステリー・サスペンス

人による「喪失の介護」-その罪を、裁けるか。

 冒頭、法廷で「彼」と呼ばれる男が死刑判決の宣告を受けています。「彼」は、戦後最大となる43人もの人間を殺害したのでした。比類のない、極悪非道な凶悪犯―のはずです。しかし、法廷で彼が死刑判決を受けた時、そう単純に割り切ることのできない、入り組んだ感情を抱いてそれを見守る人々がいたのでした。

 「彼」が殺害したのは、在宅介護を受ける老人たちでした。在宅介護に苦しみ、どんどんと疲弊していく家族―。「彼」は、殺人によって彼らの介護を終わらせようとしたのでした。

 「彼」とは誰なのか。どのようにして、このような犯行に至ったのか。時は、事件が明るみに出る前の5年前にさかのぼります。

 父親が介護施設に入所することになった検事・大友は、友人であり、介護企業の営業部長である佐久間と食事をしています。佐久間は、大友の父が入る施設を紹介してくれたのでした。久しぶりの食事で旧交を温める二人ですが、その席で、互いに「拭いきれない感情」を湧き起らせるのでした。やがて、事態は予想もしない展開へと向かいます。

 一方、佐久間の介護施設で働く職員、斯波(しば)は、介護の現場で目をそらしたくなるような現実を見ているのでした。彼もまた、父親を自宅で介護した経験があったのでした。綺麗ごとが通用しない介護の現場で、彼は疲弊しつつも仕事を続けているのでした。しかし―。

 真相が「ひっくり返った」時に訪れる衝撃―。本格的な社会派サスペンスが放たれました。

書評 ~呪いを背負う人びと



書評

◆ 綺麗ごとが通用しない

 この作品のテーマは「介護問題」です。今後の日本にとって、一番の問題ではないかと思います。老人は増え、若者は減ります。誰が老人の介護をするのでしょうか。在宅、施設といった選択肢があります。ですが、この作品は、どちらを選んでも「茨の道」が待っていることを、残酷なまでに描いています。

 幸い、私の両親はまた元気です。ですが、介護の問題はこのあと必ずやってくる、避けては通れない問題です。その時、自分はどうするのだろうか、と考えます。もちろん、ここまで育ててもらったのだから、今度は私たち兄弟が親を支えるときです。けれど、本当に、それを貫き通すことができるのか。

 この本の最初に、在宅介護のあまりにも生々しい現場が描かれます。思わず息を飲み、そして目をそらしてしまいました。

「お前は誰だ!何をするんだ!私に触るな!ケダモノ!ケダモノ!ケダモノ!」と吼える、ケダモノのような母。母?そうだ、信じがたいことにこれが洋子の母なのだ。

つらい、つらい、つらい。
母の介護がつらい。一日も早く、この地獄から抜け出したい、と。


 
 実の母親に、「お前は誰だ」「ケダモノ」と叫ばれる。地獄、との例えも無理はありません。この世に、これ以上残酷なことはあるでしょうか。

 洋子さんという人の介護が描かれますが、彼女の母は「認知症」も入っている分、事態は深刻です。洋子さんはどんどんと追い詰められ、疲弊していくのでした。ついには、ストレスのあまり自分の息子に手を出してしまいます。不幸が連鎖していくのです。

 自分の親と、今まで通りに意思疎通が取れたら。そうしたら、大抵の人は一生懸命支えようとすると思います。これまで育ててくれた大切な親ですからね。だけど、目の前にいるのが、自分のことを全く覚えていない、しかも全く意思の疎通も取れないような、怪物のような存在だったら。それでも「親」なのだ。たしかにそうです。だけど、その事実こそが家族を苦しめます。

 「それでも最後まで親の面倒を見ます」と、私にはとても言い切る自信がありませんでした。

 母の介護に苦しむ洋子さんは、最後母の死で介護を終えることになります。自宅での「心不全」-そう処理されました。しかしそれは、実は「彼」による殺人だったのです。

ロスト・ケア

 要介護度が高い老人を集中して狙った「彼」。自らの犯行のことを「処置」と呼び、冷徹に犯行を重ねていきます。逮捕された後もその態度は落ち着き払っています。「彼」は、自らの犯行についてこう語るのでした。この作品のタイトルの意味が分かるところです。

「そうです。殺すことで彼らと彼らの家族を救いました。僕がやっていたことは介護です。喪失の介護、『ロスト・ケア』です」



 殺人によって、介護を「終わらせる」。彼の論理はそうですが、許されるはずがありません。検事の大友が、彼を激しく追及します。彼は、性善説に立つ正義の人でした。人には、必ず罪悪感がある。そして、悔い改めることができる。それが、大友検事の信念でした。しかし、犯人は検事の追求に全く動じません。彼は、死刑になることまで全てを見越していました。そして、自分の死によって、あることを成し遂げようとしていたのです。

 殺人によって介護を終わらせるなどということが許されるはずはありません。誰だって、そう思うでしょう。けれど、実際に母親を殺された洋子さんがこの言葉を口にした時、私は激しくうろたえることになりました。

「……私、救われたんです。たぶん、母も」



 洋子さんは、殺人によって「救われていた」のでした。私は、何も言うことができませんでした。在宅介護の厳しさなど何も知らないからです。「母親が死ねば介護は終わる」-そう思った瞬間が、洋子さんには何度もあったのでした。だから、犯人を責める気持ちにはならなかったのです。

 たった一つだけ言えることがあるとしたら。「母親が死ねば介護は終わる」-そんな風に思う、思わざるをえなくなってしまうような状況が今の日本にはそこらじゅうにあって、それはもう、決してフィクションの次元ではない、本当の「地獄」だということです。

◆ 施設に預けても

 家で最後まで介護をするのはあまりにも過酷な選択肢に思えます。もう一つ、今ではすっかり当たり前になっているのが、「施設に預ける」という選択肢です。介護が家に押し込められていたことで、介護殺人など、多くの悲劇が生まれました。施設という選択肢は、現実を見ると仕方ないことなのか、とも思います。

 しかし、この小説の容赦のないところは、施設に預けるという選択肢の「闇」もまた、浮かび上がらせているところです。

 介護施設で働く人の悲痛な叫びが心を引き裂きます。

彼らはこれを本気で言ってるのか?それを良識だと思っているのか?
金をもらわず、無欲無私で、他人の尻を拭ける人間がどれだけいると思っているのか?
恐るべき想像力の欠如。



 この小説には衝撃的な一行がたくさんありましたが、その中でもここは相当なものです。目をそらしていたものを、「見ろ」と突きつけられるようでした。

 介護の現場が悲惨なものであることは、報道などでよく目にします。重労働で低賃金、ここもまた、綺麗ごとが通用する世界ではありません。「善意」や「愛」でできることじゃない。結局は「お金」なんだ。それは冷酷な指摘ですが、私には否定できません。お金を払って、親を施設に預ける選択肢をした人にも、否定できないはずです。

その内に、何の気なしに使う「介護ビジネス」という言葉の座りの悪さに気づいた。「介護」と「ビジネス」。相容れようのないものを掛け合わせてしまったキメラのようなグロテスクさ。だが、極端な高齢化を迎えているこの国には、そのキメラを作らなければならない事情があるのかもしれない。



 介護が「ビジネス」なんだ。言われてみれば、なんと冷徹な言葉でしょうか。ビジネスということは、利益を上げなければいけないということです。そこにある、言いようもない屈折を感じていただけたら、と思います。

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 介護の現場は、想像以上に悲惨なのかもしれません。

真面目な人間ほど、つまづいて辞めてしまう。介護の仕事には、そういった側面が間違いなくあるのだから。



 真面目な人ほど、優しい人ほど、打ちのめされ、ボロボロになってしまう。最後には仕事を辞めたり、もっと悲惨なことに、自分を追い込んで取り返しのつかないことをしてしまったり。少なくても、「人を助けたい」「救いたい」という思いでやっていける仕事ではない、と、そう痛感させられました。

 そして、このことについては「ノンフィクション」なんだと、読みながら何度も、突きつけられることになりました。

◆ 絶望の一行

まとめ



 介護というテーマの話ばかり書きましたが、内容、つまりストーリー展開の方も抜群のクオリティーです。これは前回の『絶叫』の時もそうでした。今回はあっと驚かせる「叙述トリック」が最大のみどころですね。

 「彼」の正体が分かる時。物語を正面から見ていた人には、反転した、全く違う景色が見えることになるはずです。私もそうでした。叙述トリックなどとは考えず、素直に読んでいたので、見事に物語の反転と遭遇することになります。「序章」から、見事に語りに仕掛けが行われていたわけですね。

 とういうわけで、ミステリーとしての要素も見事です。ですが、葉真中さんの最大の魅力は冒頭に書いた通り、「筆力」の方だと私は思います。本当にぐいぐい読ませますね。本に縛られているみたいです。途中から、動くことも忘れますね。

 本作の最後には、読者の心に暗い影を落とすような、そんな一行が待っていました。「逆なら」よくあるのですが、最後にこう書かれることはあまりなかったかもしれません。ですが、これは半分現実です。そういう意味で、私は、最後の一行からも目が離せませんでした。



オワリ

果つる底なき沼 - 『絶叫』 葉真中顕

 一度転落したら止まることのできない、社会の無慈悲さ。『ロスト・ケア』に続く作品です。2作目の方が、ボリュームや衝撃度でよりパワーアップしている感じがあります。ですが、デビュー作のテーマは「介護」で、こちらの方が多くの方にとって身近なものだと思います。どちらもおすすめ、としか言いようがありません。


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小説, 葉真中顕,



 読みながら思わず頬が赤らんでしまうような、くすぐったくなってしまうような、そんな恋愛小説です。私は恋愛系のお話だったら「片想い」が好きなので、今回のような両想いで愛にあふれる作品にはどぎまぎしてしまいました。これまで、このブログでは紹介してこなかったタイプの作品です。

ふたり
ふたり
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小手鞠るい
世界文化社
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 はじめましての作家さん、小手鞠るい(こでまり・るい)さんです。恋愛小説を中心に書かれている方のようです。とてもお洒落でロマンチックな文章を書かれる方ですね。ジャズと猫、それに紅茶がたくさん出てきます。お洒落な雰囲気が伝わるかと思います。

 ロマンチックな作品なのですが、強いメッセージも感じ取ることができて、今日はそこを中心に紹介しようと思います。



内容紹介



友情・恋愛

 つだって、ふたりは「ふたりぼっち」だった―

 透(とおる)とひかるという、2人の男女の物語です。2人は、コンビニの店員と客という形で出会い、そしてロマンチックな形で恋に落ちました。「この人しかいない」そんな強い結び付きを感じた2人は、共に人生を歩むことを決めます。

 しかし、2人のこれまでの人生には悲しい過去があったのでした。まず透ですが、大切なお姉さんが自ら命を絶ってしまったという過去があります。お姉さんは死の直前彼に電話をしてきたのですが、そこにあった「SOS」の兆候に、彼は気付いてあげることができませんでした。

 そして、出張で訪れていたアメリカで、彼はあろうことか、「同時多発テロ」に遭遇してしまうのでした。深く心に傷を負った彼は、うつ病になり、会社を退職することになります。どん底にいた彼の前に、ひかるが現れたのです。

 一方のひかるですが、婚約直前だった彼から突然婚約破棄を言い渡されるという、こちらもまた、立ち直れれないような深い傷を負っていたのでした。もうこれからは一人で生きていこう、そう決めていたひかるでしたが、働いていたコンビニで、運命の人がお客として訪れることになります。

 愛をはぐくむ2人。誰も立入ることができない、2人だけの深い愛の空間です。いつだって、「ふたりぼっち」。そう言って愛し合う2人は、どのような結末を迎えるのでしょうか。

書評 ~ひとりとひとり



書評

◆ ふたりだけどひとり

 物語は、お互いのパートが交互に繰り返されるという形になっています。そして、各章のタイトルはジャズの曲名が当てられているようです。ジャズについて詳しい方は本当に楽しいと思います。私はジャズが分かりませんでしたが、Youtubeで曲を検索して、雰囲気を味わいながら読んでいました。本当にお洒落な作品ですね。

 特に、初デートの場面は読んでいるこちらが恥ずかしくなってしまいました。2人は、最初にデートに誘ったのは自分じゃないとなぜか言い張ります。なんでそんなことになるの?と思っていたら、初デートの誘いの場面が描かれ、素敵な種明かしがあります。「コンビニでそんなロマンチックなことあるかい!」とツッコミたくもなりましたが、小説ならではの素敵な雰囲気があって、結局はその雰囲気を楽しむことができました。



 「二人でお茶を」という曲なんですが、この曲が初デートの場面を彩っています。実際に曲があると、作品に奥行きが生まれていいですね。このジャズの曲から作品を広げていく仕掛けにはとても感心しました。

 さて、冒頭でロマンチックな出会いをした二人はとにかくメロメロで、現実離れしているようなディープな関係を築いていきます。体じゅうがくすぐったくなってしまうような描写もあり、なかなか読み続けるのには苦労しました。ですが、中盤になったあたりではっとさせるような部分があり、それで私はこの物語に共感も覚えていくことになります。

ふたり

 離れられないくらいに依存しあい、まさに「一心同体」のようになっていた2人。ちょっと、あまりにもくっつきすぎじゃない・・・?そう思っていたところに、この台詞が出てきたのでした。

「ふたりが仲よく末永く一緒にやっていくためにはね。それぞれがひとりで考えて、ひとりで責任持って行動しなくちゃならないこともあると思うんだ。片方がそうしたいと思ってるときには、もう片方はそれを認めないとね。ふたりで生きるということは、ひとりひとりがちゃんと、ひとりで生きてるってことでもあると思う



 あ、そういうことも分かり合って一緒になっているんだ、と思った瞬間でした。これで、この2人の関係に共感ができるようになります。ふたりだけど、ひとりを尊重するということ。。それができているから、2人は「ふたり」でいられるのですね。

 「親しき仲(中)にも礼儀あり」という言葉があります。私はすごく大切にしている言葉で、これができる人と仲良くしたいなと思っています。いくら親しくても、人には互いに入られたくない「ひとり」のスペースがあるはずです。それを、ちゃんと尊重して、初めて他人との関係が本当に成り立つのだと思います。

「夫婦でも恋人同士でも、百パーセント理解し合うなんて、無理よ。どんなに仲がよくても、ふたりといっても、ひとりとひとりなんだから、ね。考え方が違うのが当たり前なの



 ひかるも、そう言って透の思いに答えます。最初はべったりすぎかと思っていましたが、2人ともちゃんと「ひとり」を尊重するのです。なぜ2人が惹かれあうのか、そしてなぜ関係が上手く続くのか。その理由がよく分かりますね。

 ということで、「ふたり」というタイトルですが、作品の裏テーマには「ひとり」も存在しています。「ちゃんと、ひとりで生きてる」「ふたりといっても、ひとりとひとり」、素敵な言葉ですね。願わくば、私もこんな考えを持ってくれる人と将来一緒になりたいものです。

◆ 愛の強さと困難と

 2人にそれぞれ悲しい過去があることはあらすじのところで書きました。特に、お姉さんを自殺で亡くした透の過去が胸を痛めます。もちろん、恋人から突然婚約破棄を言い渡されてしまったひかるの方も、死ぬほどつらい経験だったと思います。

 暗く悲しい経験をしているからこそ、2人は深く、離れないように愛し合おうとしたのでしょう。ひかるのこの「宣言」に、私は圧倒されるような強さを感じました。

愛されたい。大切にされたい。守ってもらいたい、誰かに。きょうまでの二十七年間、ずっとそう思いながら、願いながら、生きていた。けれど、これからは――。

愛する。大切にする。守ってあげる。わたしが、あなたを。



 人が一番強くなれる瞬間はとは、「誰かを愛す瞬間」なのだと、そう気付きますね。まだ自分にはない感情だったので、圧倒されるようでした。人って愛することでこんなに強くなれるんだ、と、何か神々しいものを見ている気分です。

 とはいえ、ひかるの愛し方というのは、ぐいぐい前に出るというよりは、「黙って見守る」ことを大切にするものです。やっぱり、「ひとり」というものを大事にしているのですね。強く愛するのだけれど、相手のことを尊重して、時には黙って見守ってあげる。私には、愛の理想的な形に思えました。

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 愛の強さを感じることのできる作品ではありますが、愛が必ずしも万能ではないという点にも光が当てられています。両方の面からまなざしを当てていることで、作品に深みが生まれていますね。

どんなに愛し合っているように見えるふたりでも、結局は、ひとりとひとり。だから、相手が心のなかで誰のことを思っていようと、自分なりのやり方で、その人を愛することしかできない。つまり、愛とはつねに「一方通行」であるのかもしれないな。



 また「ひとり」が出てきました。そして、愛が一方通行なものであるということ。たしかに、これが人を愛するということの難しさであると思います。

 自分と違った他人のことを、完全に理解することはできません。心の中を完全にのぞくこともできません。それが、愛というものを一方通行にする残酷さですね。そして、それは愛というものにかけがえのない価値を生み出す大切な条件でもあります。

 結局は「ひとり」なんだ、だから「愛する」んだ

 それが、2人の考え方でしょうか。胸に刻んでおきたい、大切な考えです。

◆ いつか訪れる別れ

まとめ



 この作品の結末ですが、悲しいものとなっています。うっとりとしたまま終わってほしかったのですが、最後にさらっと、とても悲しい結末が語られることになります。

 この結末は、必要なものだったのだと思います。なぜなら、愛には必ずいつか別れというものが訪れるからです。だから、別れを書かなければ、愛について書いたこの作品は完結しなかったのだと思います。もう別れとネタバレをしてしまったも同然ですが、どういう形でお別れになるのかは、ぜひ本を読んでいただきたいと思います。

 今日は「愛」という言葉をたくさん書きました。実は、普段の記事ではあまり使いすぎないように心がけている言葉です。「愛」という言葉は、あまり連発して、安売りしてはいけないと思います。この言葉を使う時は、自分に一度問いかけるようにしています。

 今日の記事では久しぶりに愛というものを見つめることができましたが、それはこの作品が、「愛」に対してとても真摯に向き合っていたからできたことです。愛することの難しさも、かけがえのなさも。「ふたり」が、全てを抱きしめているように、私には思えました。



オワリ

 恋愛小説の感想を書くのは実はすごく苦手なんです(とにかく恥ずかしくて恥ずかしくて…)。今回はとてもきれいな本だったので、それに助けられてわりと上手く書けたような気はします。

 「友情・恋愛」の本棚

 ブログではジャンル別にカテゴリを分類しています。友情・恋愛のカテゴリはこの本を含めてちょうど10冊になりました。1つおすすめをあげるなら島本理生さんの『よだかの片想い』ですね。私の大好きな、「宮沢賢治」と「片想い」が融合した作品ということで、本当に大好きです。


小説, 小手鞠るい,



 お久しぶりの綿矢りささんです。以前読んだ『勝手にふるえてろ』がとても面白かったので、ブログで他の作品も紹介したいと思っていました。『勝手にふるえてろ』もそうですが、タイトルからかなり攻めてきている感じが伝わりますね。女の怨念、とでもいうのでしょうか。くわばらくわばらです。

かわいそうだね? (文春文庫)
綿矢 りさ
文藝春秋 (2013-12-04)
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 今回紹介する作品のタイトルは、『かわいそうだね?』です。ちょっとトゲのある言い回しに見えないでしょうか。他人事のように「かわいそう」と言うのかもしれないし、上から見下すように「かわいそう」と言っているのかもしれません。いずれにせよ、何か悪意が隠れているような気はします。

 予想が当たりまして、「かわいそう」は主人公にとって蹴り飛ばしたくなるような「呪いの言葉」だったようです。



内容紹介



友情・恋愛

 うしよう、彼氏が元カノと暮らし始めた

 この本には、表題作の「かわいそうだね?」と、もう一作「亜美ちゃんは美人」が収録されています。内容は全く別です。両作品のあらすじを簡単にご紹介します。

 まず「かわいそうだね?」ですが、これは思わずのけぞってしまうような奇妙な設定の物語です。なんと、主人公の彼氏の家に彼の元カノが転がり込んできて一緒に生活を始める(!?)のです。

 主人公の樹理恵には、隆大という彼氏がいます。順風満帆な交際をしていた二人でしたが、そこに隆大の元カノ、アキヨが現れたのです。就職活動で連戦連敗、行く当てもなくなったアキヨは、なんと元カレの元に駆け込みます。そして、隆大も隆大です。なんと、元カノが自分のアパートに暮らすことを許可してしまったのです。

 「愛情はもうない、友達を助けたいだけだから」という隆大。けれど、樹理恵は彼のことを信じることができません。彼氏が元カノと一緒に暮らしている。自分という「今カノ」がいるのに・・・。こんなのあり?悶々とする樹理恵ですが、この「奇妙な三角関係」はいったいどうなるのでしょうか。

 もう一作は「亜美ちゃんは美人」。高校で出会ってから一緒に過ごしている亜美ちゃんとさかきちゃん。亜美ちゃんは世の中の男が皆振り返るような美人です。さかきちゃんは、亜美ちゃんと一緒にいることでどうしても「引き立て役」になってしまうのでした。

 物語は、さかきちゃんの目線から進みます。自分が引き立て役になっていることを、さかきちゃんは十分に理解しているのでした。それなのに、どうしてずっと一緒にいるのでしょうか。彼女は、自分にはある「役目」があると、そう密かに思っていたのでした。

 そんな時、亜美ちゃんに初めて「好きな人」ができます。これまで何となく一緒にいただけの彼氏とは違って、亜美ちゃんが初めて心から好きになった人。けれど、その好きな人というのが一癖も二癖もある人で・・・。

書評 ~プレイ・ア・ロール



書評

◆ 「彼氏の元カノ」あらわる

 2つの作品が収録されているのでどちらにも触れていくことにしましょう。まずは表題作の「かわいそうだね?」からです。彼氏が元カノを家に連れ込むという話ですね。今の彼女がいるのに元カノを家に連れ込む男……うーん、ハチャメチャな男があらわれたものです。元カレの家に転がり込んでくるアキヨのほうも、何というかナチュラルに狂っています。

 主人公の樹理恵は、そんな奇妙な三角関係に悶々とし続けるのでした。「今の彼女は私だから出て行ってください」と意を決してアキヨに言おうとするのですが、なかなか決定打を放つことができません。

 「もっと怒っていいよ!」と読みながら思ってしまいます。けれど、樹理恵というのは一言で言うと「理性の人」。それに対してアキヨは「本能の人」。これが、事態をややこしくしてしまうのでした。

かわいそうだね?

 樹理恵は百貨店の洋服屋で働いています。接客業ということで、人を分析する癖ができてしまっているようです。私生活でもなかなかその癖が抜けきらず、仕事でもないのに目の前の人間を分析し始めます。

職業柄毎日たくさんの女性客と接しているせいか、企みや裏がある人には気づく。数えきれないほどの人数と初対面をくり返すうちに、ふとした瞬間の目の動きや表情の翳りで、本音と建前が乖離していることを察する。アキヨさんは裏があるタイプではない。



 「女性客」と限定しているところが面白いですね。女同士だから働く嗅覚、というのがあるのでしょうか。男の私は、女性というものが未だにまったく分かりません 笑。クラスの女の子たちが実に複雑で巧みに「派閥」を作り上げるのを、いつも呆然として見ていました。男というのは、たぶんもっと単純な生き物です。

 「彼氏の元カノ」という非常にやりづらい立場の人が目の前にいて、かなりの「緊急事態」のはずなのですが、樹理恵は落ち着き払って分析を続けます。そういう意味で、彼女は「理性の人」なのですね。

裏はないが、か弱そうに見えて案外図太いのかもしれない。私が彼女なら、元彼氏の家に居候するなんてよっぽど決意して周到に計画してからじゃないと、実行に移せない。男を奪い返してやる、と燃える野心を抱いて、一世一代の芝居を打つ覚悟で挑む。



 名探偵顔負けの洞察力で、彼女は目の前にいるアキヨの分析を続けます。「か弱そうに見えて案外図太い」と、かなり容赦のない分析です。小説として読んでいる分には面白いですね。見えない火花がバチバチと散らされます。

 アキヨを分析する樹理恵でしたが、この分析にはアキヨというより彼女自身の性格がよく現れています。用意周到な計画をしてから実行に移す―やはり彼女は、頭のいい、理性で自分をコントロールできるタイプの人のようです。そして、自分の心の中にある本音を「芝居」で覆い隠す。

 この「芝居」という言葉が、もう一つの作品も含め、この作品の1つのテーマになっているのかな、と思いました。それは書評の最後にまとめて書くことにします。

◆ 釣り合わない友達

 さて、後半はもう1つの作品、「亜美ちゃんは美人」を取り上げます。これもまた、なんとなく毒の匂いがするタイトルですね。誰もがうらやむ美人の亜美ちゃんと、亜美ちゃんと比べればそうでもないさかきちゃん。そんな二人を、さかきちゃんの目線を中心に描く物語です。

 物語も序盤から、またものすごい一文が出てきます。

すなわち、かわいいは権力。ださいは死刑。



 死刑って 笑。ここまで言い切られると、そんなものなのかと逆に納得してしまいそうなものです。女性にとって容姿とは男性とは比べ物にならないくらい大事なものだということはなんとなく分かります。「かわいいは権力」なんて、しばらく忘れられそうにない言葉です。綿矢りささんはとても凛としていて美しい作家さんなのですが、作品の中でこんな言葉が平気で放たれています。

 この物語の主人公、さかきちゃんも、容姿によって男性が女性を品定めしていることを、よーく分かっているようです。そして、自分が美人の亜美ちゃんと比べられて、どうしても「引き立て役」になってしまうことも。

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 辛くて生々しいエピソードがあって、その後でさかきちゃんは心を腐してしまうのでした。

人間の基準なんて、ほかの人間と比較がすべて。人々は二人をさっとながめ、瞬時に品定めをして優劣をつけて、亜美を上等、私をにせものの粗悪品だと判定する。いままでも、学校や街で、私は亜美と散々比べられたのだろう。



 引き立て役というのは、想像以上に辛いものだったのだろうとよく分かりました。人と比べられるのも辛いですが、いつも負け続け、一方的に自分の価値だけが低く見られているのですから、これは本当に辛いことです。

 でも、それならなぜ二人は今も友達でいるの?そんな疑問が浮かびますね。それが明かされるのは、物語の終盤になってからです。私は、「女の友情ってこんな風にも成り立つんだ!」と思わず膝を打つくらい感心しました(女の人にとっては常識なのかもしれません)。友情というのは必ずしもピュアでまっすぐなものではなく、こういう風に複雑に絡まって成り立つこともあるのだろう、とそこが深みのあるところです。

◆ お芝居をやめて

まとめ



 さて、「芝居」が両作品のテーマになりそう、と書きました。まず「かわいそうだね?」なんですが、理性を発揮し落ち着き払っていた樹理恵が、物語の終盤になって豹変しだします。そう、彼女も「本音の人」に変わるのです。

自分の人生が狂ってるなんて絶対に認めない。どの人の人生も適度に狂っているけれど、狂っている部分なんて恥だから、みんな見せないようにしているだけ。だって人間だって元は動物なのだから、理性だけで毎日毎日を統制するなんてできっこない。



 彼女がふっ切れた瞬間ですね。制服やスーツのように、理性というのも一つの「ドレスコード」なのかもしれません。ずっと着ていたら疲れます。家に入ったらすぐに脱ぎたくなるでしょう。理性もまた、そんなものなのではないでしょうか。

 本能でいこう、と決めた彼女は、再びアキヨの元に乗り込みます。因縁の女同士、天下分け目の最終決戦です。いやあ、すごかった。正直、ここ最近で一番スカッとしました。

 もう一つの作品、「亜美ちゃんは美人」にも、「芝居」の要素はありました。いつも男からちやほやされ、全てが満たされているように見えた亜美ちゃん。しかしそうではなかったと、さかきちゃんは気付きます。

さすが亜美ちゃん、それでこそ亜美。みんな口々にそう言って、彼女の美しさや素直さを愛でて安心してきた。彼女は無意識のうちにその期待にこたえて息苦しくなっていった。あんなに自由そうに見える彼女が、これほどの窮屈さを世界に対して抱えていたとは。



 周りからある「役割」を期待されるというのは、本人にとっては時にプレッシャーになってしまいますね。周りからのイメージに合わせるために、自分の本当の性格を覆い隠して「芝居」をしている。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。亜美ちゃんのような美人も、学校一の優等生も、クラスの人気者も、きっとどこかで、そんな悩みを抱えているはずです。

 そんな「芝居」から解き放たれる瞬間。綿矢りささんが、瑞々しいタッチで見事に描いています。なんだか、読んだ後拍手をしてしまいたくなる、そんな気持ちいい2作品でした。



オワリ

 綿矢さんは芥川賞作家ですが、他の純文学と違ってとてもポップで読みやすいので個人的にはとてもおすすめです。肩の力を抜いて読むことができますよ。

 恋に焦げる心  -『勝手にふるえてろ』 綿矢りさ

 こちらも攻めている作品です。彼氏が二人いるこじらせ女子・・・という、やはり波乱万丈な物語。松岡茉優さん主演で映画化されたのですが、個人的に松岡さんに本当にピッタリな役だったと思っています。

 
, 綿矢りさ, 小説,



 2人の母親が出てきます。血のつながった実親と血のつながっていない養親です。血がつながっているかいないか。一生変えることのできない大きな違いですね。けれど、「血のつながり」というものに苦しめられながらも、そこには確かに母親になろうとした2人がいたのでした。

朝が来る
朝が来る
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辻村 深月
文藝春秋
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 辻村深月さんの『朝が来る』は、特別養子縁組をテーマにした小説です。ミステリー作品を多く書かれている辻村さん。本作も序盤である事件が訪れるのですが、それはメインとなるものではありませんでした。この小説は、2人の母親を見つめ、「家族」を問いかける小説です。

 子供が辛い思いをしなくてはいけない小説は、読んでいて一番胸が苦しくなります。



内容紹介



家族

 「子どもを返してください」
 「実の母親」からの、あまりにも悲しい脅迫


 主人公の栗原夫妻には、朝斗という息子がいます。夫の清和と妻の佐都子(さとこ)は、まっすぐに、息子のことを信じ、育てていました。冒頭、朝斗の通う幼稚園である「事件」が起きます。けれど、佐都子の態度は揺るぎませんでした。子供のことを、最後まで信じ抜こうとしたのです。

 そんな立派な夫婦ですが、実は朝斗は二人の血のつながった子供ではありませんでした。夫婦が利用したのは「特別養子縁組」の制度。不妊治療の末に子供を授かるのをあきらめた夫婦でしたが、その時にこの制度に出会ったのです。

 血はつながっていない。けれど、朝斗は大切な「息子」だ。栗原夫妻は、手を携えて毎日を送っていました。

 平穏な生活が一変したのは、ある一本の電話からです。電話に出た佐都子の耳に、信じがたいような声が聞こえてきました。

「子どもを、返してほしいんです」
「それがもし、嫌なら」
「お金を、用意してください」



 夫婦にとって、それは信じがたい言葉でした。二人は、朝斗を引き取る前に実の母親に会っていたからです。「ごめんなさい、ありがとうございます」と頭を下げる若い母親の姿を二人は思い出します。あの人が、「お金を用意してください」などと脅迫めいたことをするはずがない。二人はそう確信するのでした。

 「あなたは、誰ですか」。夫婦は、勇気を出して目の前に現れた女に問いかけます。目の前にいるのは、本当に朝斗の実の母親なのでしょうか。

 実の母親の名前は「片倉ひかり」。彼女には、子供を手放すしかない、壮絶な人生があったのでした。

書評 ~お母さんとお母ちゃん



◆ 家族に「なる」

 まずは作者の辻村深月さんについて。このブログでも何冊も紹介してきました。とてもきれいで、整った文章を書かれる方です。読みやすく、読んでいてストレスがないという点では1番だと思っています。それでいて、登場人物の心に優しく寄り添う描写は胸に響きます。基本はミステリー作家ですが、どこか温かい作品を書かれる方です。

 では、作品の中身に入っていきます。今回の記事のタイトルは「お母さんとお母ちゃん」にしたのですが、これは朝斗くんが2人の母親を呼ぶときの呼び名です。どちらがどちらかは、大体分かりますね。実の母親が「お母ちゃん」、養親である佐都子さんが「お母さん」です。

 子供の自然な感情というか、距離感がよく現れているように思います。でも、これはどちらかが優れているというわけではなくて、紛れもなく2人は「母親」なのだと、読んでいくうちにそう分かります。

 前半は、夫婦が不妊治療を行う過程と、特別養子縁組の制度について丁寧に書かれています。不妊治療という長く苦しいトンネルを抜けて、二人の前に現れてくれた小さな子供は、まさに二人にやってきた「朝」だったのです。これが、朝斗くんの名前の由来になっています。

朝が来る

 特別養親縁組は、子供が赤ちゃんの時に養親が実の親から引き取って、そして戸籍上は実の親子になります。私は、この制度がどちらかというと子供に恵まれなかった夫婦のためにあるのかな、と認識していました。けれどこの制度は、「子供のため」にある。そう書かれていて、感じ入ることになります。

「特別養子縁組は、親のために行うものではありません。子どもがほしい親が子どもを探すためのものではなく、子どもが親を探すためのものです。すべては子どもの福祉のため、その子に必要な環境を提供するために行っています」



 実の親と過ごすことが、子供にとって本来一番の幸せであると思うし、本当なら全ての子供がそうあってほしいと思います。けれど、理由があって子供を育てることができない親もいますね。そんな時、まさに「断腸の思い」だと思いますが、実の親と離れて、新たな親を探すのです。

 作品の中にも書かれていますが、日本では血のつながりというものに対する信仰がとても強いです。血がつながっていない親子のことを、例え戸籍上は親子だとしても、本当の親子とは思えない人が一定の割合でいるような気はします。

 けれど、この作品を読むとそういう認識は薄まると思います。栗原夫妻は、朝斗くんのことを心から愛し、そして「信じる」。冒頭である事件が起こると書きました。朝斗くんが疑われてしまうのですが、佐都子さんの思いは全く揺るぎません。朝斗くんのことを心の底から信じ切っていました。実の親子以上に、そうだったかもしれません。

 家族というのは、最初からできているものじゃなくて、家族に「なる」んだ

 そんな考えがあってもいいように思います。結婚した夫婦も、元はと言えば他人だったのです。それが、時間をかけて愛をはぐくみ、やがて家族になるのだとしたら、必ずしも子供だって「血がつながっている」必要はないんじゃないか。同じように、時間をかけて家族に「なれる」んじゃないか。私はそう思いました。

 何より、全ては「子供のため」。それが、この作品に注がれる、柔くて温かい朝日の正体です。

◆ 見上げた空だけでつながる

 さて、後半は理由があって子供を手放さざるを得なくなった実の母親、片倉ひかりについての物語です。理由というのは、中学生の時の妊娠でした。若さゆえの未熟さ、と言えば簡単ですが、私は責めることができませんでした。先が見えず、引き返せなくなってしまう。実に、真に迫った描写でした。

 何より、中学生で産んでしまった自分の子供を栗原夫妻に手渡す時、ひかりは心の底から謝り、夫妻に感謝の言葉を繰り返したのでした。この人も、奥底にあるのは「善」だ。私はそう思いました。

 そんな人が、「子供を返さないならお金を出してください」と脅迫するでしょうか。そこまで変わってしまえるものでしょうか。この脅迫してきた人物が本当に「片倉ひかり」なのかどうか、序盤では大きな謎になります。

 読んでいくうちに、少しずつ真相が見えてきて、私は心を痛めることになりました。同じ小説ですが、前半とは、全く異なるタッチです。暗く、本当に明けるのかと思うような夜が続きます。

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 後半はなかなか辛いものです。片倉ひかりの、あまりにも辛い人生が描かれます。たしかに彼女は、間違いを犯してしまって、責められる部分もあるとは思うのですが、それ以上に同情や憐憫を感じます。

 ほんのささいなことから人生はあっという間に暗転してしまって、一度社会の「裏側」に行ってしまったらもう戻っては来れない。何だか既視感があると思ったら、これは昨年紹介した、葉真中顕さんの『絶叫』と同じですね。誰にも救いの手を差し伸べることができない絶望に胸打たれます。また、辛い話を読むことになりました。

 血のつながった家族から愛されず、若くして宿した子供をお荷物扱いされ、家を飛び出した先で社会の闇に飲まれてしまう。ひかりの人生は、あまりに辛いものでした。

 けれどやっぱり、彼女は朝斗くんの「実の母親」なのだと、そう思い出させてくれるシーンがあります。暗い夜のような後半に、ほんの一瞬ですが朝日が差しこむのでした。

ねえ、なんていう、大人の女の人が言うような言葉遣いをするのは初めてだった。してみたら、なんだか自分が“母親”のようだった。“お母さん”のようだった。



 ふわり、と芽生えた「母親」の意識。誰にも否定できるものではありません。唯一の、血のつながった母親なのです。そして、目の前に浮かんだきれいな空。ひかりは、こう決心します。

逃げることも、育てること、この子の誕生日も祝うこともない代わりに、覚えていよう。この子と今日、一緒に、すごくきれいな空を見たことを。



 実の親と一緒に過ごすことが一番の幸せだ、という先程書いた思いは変わりません。けれど、このひかりの決意も、私には否定できません。「覚えている」、それも、母親としての務めです。そして、彼女が未熟なリにも下した、紛れもない、母親としての「決意」です。

 ひかりが「善」の人だというのは分かっていただけたと思います。だからこそ、脅迫めいた行動をした女性のことが分からなくなりますね。この人は本当に「片倉ひかり」なのか。片倉ひかりだとしたら、なぜ、こんなことを。

 ミステリーの要素は残しておいたので、ぜひ本を手に取っていただけたらと思います。

◆ 清く、柔い光

まとめ



 最後は、二重の展開が待っています。ひかりが口にした「ある言葉」に、読者は打ちのめされることになると思います。彼女にとって、死ぬよりも辛い言葉だと思うからです。

 けれど、その後でもう一段階。この小説のタイトル通りのことが起こるでしょう。全てが救われるわけではないけれど、この結末でどれほどよかったことか。私は胸をなでおろしました。

 1人の子供に、2人の母親がいる。それはもしかしたら、歪なことかもしれません。けれど、もし2人の母親が、それぞれを形で子供を愛したならば。

あの小さなお母さんは、私たちと朝斗、両方にとっての大事な“お母さん”だ。



 母親が2人いてもいい。私は、たしかにそう思ったのでした。



オワリ

 胸が温まるお話でした。辻村さんは人に優しいまなざしを注げるミステリー作家。そこが一番の魅力です。

 後悔という宿命 -『ツナグ』 辻村深月

 辻村さんの代表作。死者と一度だけ再会できるという設定ですが、それを活かしたとても温かい仕上がりになっています。この作品は構成的にも素晴らしく、辻村さんの本でまずは読んでいただきたい1冊ですね。


小説, 辻村深月,