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  •  夜は、優しい。生きづらさを抱えた人に、夜は優しく接してくれます。暗闇が包み込んでくれるから、肩に背負った荷物をそっと下ろすことができる。なんというのでしょうか、夜の「ゆるされている」雰囲気が、私は大好きなのです。

    書影

    明るい夜に出かけて
    佐藤 多佳子(著)
    新潮社
    発売日:2016年9月21日




     佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』という小説をご紹介しましょう。描かれているのは、人生をさまよう若者たち。そして、「深夜ラジオ」。人の数だけ人生があって、人の数だけ夜がある。私の知らなかった、最高に楽しくて、そして明るい夜に出会うことができました。(約3,700字)



    夜に逃げ込んで



     夜の、「ゆるされている」という雰囲気が好きで、私はよく無意味に夜更かしをします。夜に何度救われたことでしょうか。たまらなくなって逃げ込んでも、夜はいつも変わらずそこにいてくれるのです。

     この小説の主人公、富山一志(とみやまかずし)もまた、無意識のうちに夜に「ゆるされたかった」のでしょうか。とある事情で大学を休学することになった彼は、深夜のコンビニでバイトを始め、夜が中心の生活を送ります。そんな彼の最大の楽しみが、「深夜ラジオを聴くこと」。そして彼は、聴くだけではなく、ラジオにネタを投稿するいわゆる「ハガキ職人」として活躍しているのです。

     彼が最大の情熱を傾けたのが、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」という番組でした。もう終了してしまったそうで、私はそれがとても残念だったのですが、深夜ラジオのリスナーの間で抜群の人気を誇り、伝説のようになっている番組だそうです。実は、作者の佐藤多佳子さん自身もこの作品の大ファンだそうです。そのため、この作品では実在していたこの番組が色濃く、濃密に描かれています。

     オールナイトニッポン。私は一度も聴いたことがありませんでした。でも、有名なオープニング曲は知っています。「深夜」の代名詞になっているような番組ですね。アルコ&ピースさんは一部と二部の両方を担当したそうですが、その放送時間は深夜1時~3時、そして二部にいたっては深夜(早朝?)3時~5時です。ホームページを見に行くと、「27:00~29:00」の文字が見えて、「すごい時間だな!」とつぶやいてしまいました。普段の私ならぐっすり眠りこけている時間です。



     ですが、安心していただきたいと思います。この作品は、オールナイトニッポンを聴いたことがない人でも楽しむことができると思います。私自身がそうでした。私が知らなかった、夜のもう1つの世界。楽しくて笑いっぱなしの「明るい夜」。それと出会えたことに、心がときめきます。むしろ、知らない人にこそ読んでほしい小説だと思います。

     本を読み終えて、「素敵な番組だったんだろうなあ」と想像します。最高に馬鹿馬鹿しくて、何を言っても全力で受け止めてくれるような雰囲気。リスナーのメッセージ次第で、どこに向かうか分からないフリーダムな構成。そう、きっとこの番組の魅力も、全てを「ゆるしてくれる」雰囲気にあるのではないかと思います。

    ”ライヴ”な小説



     楽しいラジオがBGMのように流れていく中で、作品のテーマとしてあるのは「生きづらさ」だと思います。主人公の富山君は、傷付き、夜に逃げ込まざるを得なくなったある深いトラウマを抱えているようです。それは、彼が大好きなはがき投稿からも離れざるを得ないような、深いトラウマでした。中盤から終盤にかけてそれは明かされますが、なんとも現代特有のエピソードです。普段あまり考えることはありませんが、彼と同じように打ちのめされてしまった人は、きっとこの世界にたくさんいるのだと思います。だからこそ、世界には「夜」が必要なのだ、とも思います。誰もが、いつでも逃げ込める場所として。

     作品の描写には、いい意味での「軽さ」があります。「ライヴ感」と言い換えてもよいかもしれません。例えば、ある日のヤフーニュースのトピックが小説の中に並んでいたり、ラインやツイッターの投稿が挿入されたりします。それらは普段すぐに更新されて、埋もれていってしまうもの。そういったものが効果的に配置されることで、人生の「ライヴ感」が強調されるのです。

    やっぱり、ラジオって、リアルタイムな文化だ。今流れてくるものを、今受けとる。録音して保存しておいても、たぶん、それは別の何かになる。



     彼はこう言います。ラジオもまた、「ライヴ感」を強調する大切なアイテムなのでした。今は過去の放送を後から聴くこともできるようですが、やっぱり「生」がいいですよね。一瞬一瞬は、切り取ってみればとても些細で、くだらないことかもしれないけれど、その時、その場所で、それを聴いたことが大事で、それが積み重なって「人生」になっていくと思うのです。

     心地よい「ライヴ感」の中で、現代に生きる若者特有の悩みが、ぽつり、ぽつりと語られていきます。

    何かをがんばりたいけど、何がやりたいのか、わからない。大学って、そのへんを見つめたり、見つけたりする場所なんだな。外にこぼれ落ちても、中に留まってても、わからなさは一緒な気もする。



    俺は人間をやりたくないよ。猫にでもなって、冷たいタイルの上で丸まって寝てたいよ。ほかのヤツのこととか、あれこれ考えたくない。疲れるから。削られるから。最後は自分に返ってくるし。一番考えたくないのは、俺自身のことだから。



     「軽さ」の中でこういったことが吐き出されているところがこの小説の魅力で、一つ一つがまるで部屋の中のひとりごとのような感じでつぶやかれていることで、心にすとんと落ちてきます。

     同じようなことを、私もいつも思います。同じようなことが書かれている小説を、私は数えきれないほど知っています。これは彼個人の悩みではなくて、きっと若者にとっての「普遍」であり、「不変」。だからといって、些細な悩みではないのです。それを抱えている個人にとっては、辛くて苦しい、そして逃れられない悩みです。



     中でも感じ入ったのは、「SNSでの人間関係」にかんすることでしょうか。実は、例のトラブルによってSNSから離れていた富山君。ラジオのためにこっそりとツイッターを再開するものの、SNSでの人間関係には深く立ち入れないでいます。

    しかし、簡単だよな。ちょっと知り合っただけで、気やすくどんどんつながっていく関係。リアルからSNSを経由してリアルへ再突入。カンタンにズブズブだ。油断も隙もない。



     太字の所で、私は首が痛くなるくらい首を縦に振りました。リアルとSNSの境界がぼやけ、互いが互いに侵食していきます。「相互監視社会」などと言いますが、言い得て妙です。みんながみんなで、何かを「演じて」いて、おかしいのと思うのならみんなでそれをやめればいいのだけれど。「もう一つの世界」は不思議です。

     「カンタンにズブズブ」になることが、彼にとっては耐えがたいのでしょう。分かる気がします。人間関係は、長い時間をかけて、少しずつ築いていくものだと思います。たくさんの大切な過程をすっとばして、中身が空洞になっている「トモダチ」。もっと、「ゆっくり」でもいい。そんな風にも思います。

     現実の、そしてSNSの人間関係に苦悩していた富山君でしたが、ラジオが、そしてバイト先のコンビニが、彼にかけがえのない出会いをもたらしてくれます。人間関係にトラウマがある彼は、なかなか心を開けません。そんな彼が、少しずつ、少しずつ距離をつめようとして、そしてある瞬間に「吐き出す」。その過程に、私は大切なことを教わったような気がしました。

    夜に灯る明るい光



     表題の「明るい夜に出かけて」は作品の中でも効果的に使われています。私もこのタイトルに惹かれて本屋さんで手に取ったので、人の心に響くことばだと思います。富山君がコンビニで偶然出った少女、「虹色ギャランドゥ」が書いた演劇のタイトルで、富山君はそれに感銘を受け、ことばにならないことばをつづります。それを、同じコンビニで働く鹿沢さんが歌にしたのでした。

    タイトルの「明るい夜」って、色々思わされる。夜は暗いけれど、闇を照らす光は明るい。(中略)「夜」という言葉の持つ深さと、「明るい」という言葉の持つ強さ。十人いれば、きっと十通りの「明るい夜」のイメージがある。



     明るい夜から浮かぶイメージが連ねられていって、それは最後に素敵な歌になります。ぜひ本を読んでいただいて、その過程を味わっていただきたいです。

     さて、本を読み終えて、私は久しぶりに夜にラジオをつけました。私は富山君と違ってFM派で、中高生の時、「スクールオブロック」と「ジェットストリーム」をよく聴いていました(どちらも、現在も変わらず放送されています)。SOLには、いろいろなことを教えてもらいました。勉強そっちのけで聴いていました。バンプ先生が来校して、新曲が宇宙初オンエアされた時には正座をして聴きました・・・(知らない人にはさっぱり分からない話ですみません)。そして、「ジェットストリーム」は最高のクールダウン。聴きながら、いつのまにか眠りについています。

     大学受験があるから勉強しなければ、とラジオの電源を落として数年…。久しぶりの夜のラジオです。

     ・・・・・・・・・

     「やっぱ、いいなあ」と。今でも変わらず、そこに番組がありました。つけたばっかりで、まだ内容が頭にも入ってこないのに、感慨でいっぱいです。「余裕のない生活をしていたな」、ふとそんなことも思いました。電源を入れれば、いつでも受け入れてくれるラジオ。また、生活に欠かせないものになりそうです。

     

    そもそも、前向きって、普通に思われてるほど、絶対的にいいことかな?




     後ろを向きながら生きてもいいし、立ち止まってもいいと思います。辛くなったら、夜に逃げ込めばいいと思います。優しい夜は、全てを受け止めてくれるでしょう。そして、よかったらラジオをつけてみてはいかがでしょうか。

     優しい夜に、明るい光が灯るはずです。



    オワリ

     最後まで読んでいただき、ありがとうございました。関連する記事やウェブページの情報です。

    アルコ&ピースのオールナイトニッポンシリーズ(wikipedia)

     どんな番組だったんだろうと思って読みにいったのですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。なんとなく、このページを編集した方の、番組への愛を感じます。


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    小説, 佐藤多佳子,



     前回にお知らせしていた通り、しばらく入院のため更新をお休みしていました。今回から更新再開です。またよろしくお願いします。

     手術をして、集中治療室での一泊も経験しました。体が動かせず、天井を見つめているしかない夜はとても辛く、長いものでした。ですが、自分の中の汚れた気持ちや欲が全部そぎ落とされていくような、そんな感覚もありました。ですから、大切な夜でもあったのだと思います。こうやって戻ってこられたことには、ただただ感謝しかありません。



     集中治療室で経験した大切な夜のことを書きました。さて、今回登場する小説にも、ある大切な「夜」が出てきます。恩田陸さんの代表作、『夜のピクニック』です。

     高校生の時の、たった一度の夜のお話。たった一度のその夜は、ずっと一生胸に刻まれる、そんな大切な夜になりました。



    特別な夜



     高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった―(あらすじより)

     『夜のピクニック』の舞台になっているのは、ある高校の「歩行祭」というイベントです。夜を徹して80キロもの距離を歩き通す・・・大変なイベントですね。作品でも、その過酷さがありありと描かれています。

     ですが、この作品でメインとなっているのは、歩行祭の過酷さではありません。大変な行事には違いありませんし、苦しい思いだってたくさんするはずです。しかし、作品を読んでいて肌で感じるのは、そんな苦しさなどどこかへ消えて行ってしまうような、充実した、何者にもかえがたい空気でした。

    みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。

    どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。



     この作品を代表する一節だと思います。そして、「青春」というものの大切さを雄弁に語ってくれる一節だとも思います。読みながらいろいろなことを思い出しました。私と同じように、いろいろなことを思い出したという人も多いのではないでしょうか。ちょっと照れくさい言い方ですが、「青春が詰まっている」―そんな風に言える小説だと思います。

    一瞬を積み重ねている



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     そんな歩行祭に、ある小さな、いや大きな決意を胸に秘めて参加していた一人の少女がいます。甲田貴子(こうだたかこ)です。彼女には、西脇融(にしわきとおる)という「異母きょうだい」がいました。父と母の間に生まれた融。そして、父と不倫相手の間に生まれた貴子。同じ父を持つ二人とはいえ、お互いの存在は、すぐに許容できるものではないでしょう。同じ学校に通い、同じクラスになりながらも、2人は距離を取り続けていました。

     歩行祭の日に、融に話しかける。そして、返事をもらう。貴子の賭けは、世界の片隅にあるほんのちっぽけなものだったかもしれません。ですがそれは、貴子と、そして融の今後の人生を変えるような、大きな賭けでもあったのです。

     さて、「青春が詰まっている」この作品。その魅力には、「一度きり」が協調されている、ということが挙げられると思います。たとえば、こんな一節が出てきます。

    昨日から歩いてきた道の大部分も、これから二度と歩くことのない道、歩くことのないところなのだ。そんなふうにして、これからどれだけ「一生に一度」を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人に会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした。



     すべてのことが一度きりだと気付くのです。そうすると彼らは、歩行祭の時に通る何の変哲もない平凡な景色ですら、感慨深く思えてくるのでした。毎日惰性のように流れて行く平凡な時間。しかし、それは決して取り戻すことのできない「一瞬」の積み重ねでもありました。歩行祭というイベントは、彼らに「一瞬」と「一度きり」の大切さを教えてくれました。

     一瞬や一度きりの積み重ね。ワクワクするような気持ちを覚えますが、同時に怖さも感じはしないでしょうか。「空恐ろしい感じ」という部分には大きく頷かされます。一瞬や一度きりのことが、その後の人生を大きく変えてしまうかもしれない。しかも、変わってしまった人生は、もう二度と後ろに戻ることはできない。そんなところからくる「空恐ろしさ」だと思います。「二度と歩くことのない道」には、「人生」が重ねられているのでしょう。その道を進んでいく、一歩の大切さを噛みしめたい気持ちになります。

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     私が中学生や高校生だった時、一瞬がどうとか、一度きりがどうとか、そんなことは考えたこともありませんでした。毎日が流れるように過ぎていって、流されるままに生きていました。流れて行ったその日々のありがたみや大切さを知ったのはいつもその後です。まだ20歳ですし、青春を遠い目で振り返る年齢ではないはずなのですが、青春のことを考えると遠い目になります。それぐらいにあの日々は、余裕のない毎日を必死に生きていた日々だったのだと思います。

     この本を読んでいて、私は彼らをうらやましく思いました。それは、彼らが「気付けた」からです。人生は一瞬を積み重ねていること、全ては一度きりであること。それに「気付けた」こと。普通に暮らしていたら気付けなかったと思います。彼らにそれらを気付かせてくれたのは、紛れもなく、歩行祭というイベントのおかげでした。

    なぜ振り返った時には一瞬なのだろう。あの歳月が、本当に同じ一分一秒毎に、全て連続していたなんて、どうして信じられるのだろうか。



     大切なことに気付けた彼らが、本当にうらやましかったです。同級生たちと過ごした、たった一晩の夜。しかし、その一夜は、大げさでもなんでもなく、彼らの人生を変える大切な夜になったに違いありません。

     そして、大切なことに気付かせてくれた夜が、主人公の貴子にとびきりの勇気をくれました。貴子が胸に秘めていた「賭け」はどうなったのでしょうか。その先のあらすじは本に託しますが、胸が温まる結末になっていることは間違いないと思います。中盤に出てくる「缶コーヒー」のシーンでは、胸が温まり、思わず拍手をしたくなりました。

    夜というスパイス



     タイトルにもなっているように、「夜」という時間がこの作品において持つ意味は大きいです。例えるなら、作品に素敵な味を付けてくれる、とっておきのスパイスとでも言えるでしょうか。

     普段、クラスメートと夜を共にすることはありません。歩行祭は、普段は一緒に過ごすことのない同級生と夜を過ごす、という意味で特別なイベントでした。

     普段一緒に過ごすことのない人が隣にいると、ちょっとテンションが上がりはしないでしょうか。私は小学校の時にあった宿泊学習を思い出しました。夜に、クラスメートと一緒にいる・・・そう思うからでしょうか、不思議な高揚感がありました。

     そして、皆がそんな不思議な高揚感に包まれると、普段はのぞけないクラスメートの本当の顔が見られます。いつもは口に出さないことが口をついて出たり、いつもよりちょっと大胆になってみたり。そんな「夜のスパイス」が、作品に上手く生かされているように感じました。夜になると急に元気になるクラスメート、なんてのも登場して、思わずほほえんでしまいました。どのクラスにも必ず一人はいそうな人ですね。

     夜になるとポロリとこぼれる本音。その中から、私が一番印象に残ったものを最後に紹介します。融の友達、忍がこぼしたセリフです。彼は、「雑音」という言葉を使いました。

    だけどさ、雑音だって、おまえを作ってるんだよ。雑音はうるさいけど、やっぱ聞いておかなきゃなんない時だってあるんだよ。おまえにはノイズにしか聞こえないだろうけど、このノイズが聞こえるのって、今だけだから、あとからテープを巻き戻して聞こうと思った時にはもう聞こえない。おまえ、いつか絶対、あの時聞いておけばよかったって後悔する日が来ると思う」



     青春は、「雑音」だらけです。どうでもいいような話題で盛り上がり、くだらないことで悩んで、小さな世界の中で馬鹿みたいにもがいています。でも、そんな「雑音」は、たくさんの回り道、寄り道の数々は、後で思い返してみると、全てが自分を形作っていた大事な経験だったと気付くのです。

     青春という、「雑音」に囲まれた日々。今まさにその雑音の中にいる人たちのことがうらやましくてなりません。雑音に囲まれている幸せを噛みしめて、「一度きりの道」を思い切り前進してほしい、と心から思います。



    オワリ

     この作品は読書感想文でも定番の作品になっていそうですね。本当に、気持ちのいいくらい「青春」が貫かれています。これを描き切った恩田陸さんに拍手です。

    『ボトルネック』 米澤穂信

     恩田陸さんが描いた青春は、明るく、輝きに満ちた青春でした。こちらは同じ青春でも全く正反対です。青春の影、危うさ。こちらも「青春」を貫いたという意味で価値のある米澤穂信さんの代表作です。


    恩田陸, 小説,



    •   04, 2016 17:59
  •  西加奈子さんの短編、『炎上する君』を紹介します。西加奈子さんと言えば、このブログの一番最初に紹介した本が西さんの『ふくわらい』でした。とてもパワフルで、エネルギッシュな文章を書かれる作家さんです。短編集を読むのは初めてでしたが、短編になっても話が小さくまとまらないところはさすがだと思いました。

    炎上する君 (角川文庫)
    西 加奈子
    角川書店(角川グループパブリッシング) (2012-11-22)
    売り上げランキング: 96,105



     短編になって小さくまとまるどころか、短編という小さな世界で西さんのダイナミックさがより生かされているように感じました。表題作がまさにそうですが、タイトルからしてすさまじいインパクトとよい意味での「破壊力」がありますね。目次にいきなり胸を躍らせ、期待を膨らませながらページを開きました。



    内容紹介



    ブックレビューリトル

    は太陽の上で炎上し、私のお尻は愛される・・・!?
    血沸き肉躍る、西加奈子さんが放つパワフルな短編集―

    愛すること、悲しむこと、生きること。そんなテーマが、包み込むように大きく、そして優しく描かれる短編集。

    西加奈子さんの持ち味である力強さや大胆さはもちろんですが、この短編集では「繊細さ」もまた堪能することができます。

    火山から湧き出るマグマのような文章が心を襲います。エネルギーに飢えている人におすすめです。

    ブックレビュー with「ブクログ」



     ブックレビューコミュニティ「ブクログ」に投稿した私の感想です。クリック先にあるブクログのページでは、他の方が書かれた感想も読むことができます。

    著者 : 西加奈子
    角川書店(角川グループパブリッシング)
    発売日 : 2010-04-29
     ダイナミックでパワフル。野性的、動物的で血がたぎるよう。やはり西加奈子さんの作品は大好きです。

     表題作の「炎上する君」がまさにそうですが、タイトルからしてとてもパワフルですね。「太陽の上」「空を待つ」「私のお尻」…目次がもうすでに躍動していて、読み始める前から高揚感を覚えました。そして、各短編はそれぞれがタイトルに負けない「濃い」一編となっています。

     ぶつ切りや印象的な読点の打ち方、効果的な繰り返しなど、かなり癖のある文章が何だか癖になります。とにかく力強い。それでいて、今作は西さんの繊細さも感じさせる短編も詰め込まれていました。西さんのような作風の方が作中でふっと繊細な一面を見せると、いつも以上にその繊細さが心に染みわたってくるような気がしました。

     最後の短編、「ある風船の落下」に代表されますが、裸で叫ぶようなダイナミックな愛の表現がどうしようもなく好きです。人間の根源の部分に帰っていくようで、読みながらこちらまでムズムズしてしまうのです。劇的な幕切れを読み終え、大きな声で叫び出したくなりました。


    ブログ+コンテンツ



     このブログ、「最果ての図書館」では、「ブクログ」の感想に加えて、ブログだけのオリジナルコンテンツを追加で掲載します。作中からの引用コーナー、キーワードの紹介コーナーなど、毎回さまざまなコンテンツをお届けします。今回は作中から印象的な言葉を引用する「コトノオト」のコーナーです。

    コトノオト

    何ものにも感動できない、いわば生きることへの不感症なのではないか、とおのれを呪った。もっと、血が滾るようなこと、これがあれば死んでもいい、と思うようなこと、それを探していた。銭湯以外に。



     表題作、「炎上する君」からのフレーズです。西加奈子さんの作品はダイナミックだと書いてきましたが、そのダイナミックさを象徴しているような一節だと思い、引用させていただきました。

     「血が滾るようなこと」「これがあれば死んでもいい、と思うようなこと」・・・これらはたぶん、西さんが自分の作品においてテーマにされていることの1つなのではないか、と私は想像しました。登場人物を眺めていると、貪欲に、自分の欲求に正直に、そして大胆に前進している人物がとても多いのです。そして皆、これがあれば死んでもいい、と思うような強い「芯」を持っている。それが読者を惹きつけるのではないかと思います。

     作品のテーマの1つに「愛」がありますが、西加奈子さんの描く「愛」は本当に読んでいて気持ちがよいのです。それも、愛という欲望を正面から見つめ、登場人物に叫ばせているからだと思います。

     野生に帰るような、あるいは何か大切なことを思い出させてくれるような・・・。西加奈子さんの『炎上する君』、ぜひ手に取ってみてください!



    オワリ

    『ふくわらい』西加奈子さん


     このブログの最初に紹介した記念すべき1冊です。最後の場面は既成概念をすべて打ち砕くようで本当にダイナミック。西加奈子、ここに極まれり、という感じでした。

    『円卓』 西加奈子さん

     事あるごとに「うるさいぼけ」とガンを飛ばす主人公。次々と奇行に走る姿についていくのが大変ですが、この主人公もまた、欲望に正直な魅力的な人物です。

    小説, 西加奈子,



    •   06, 2016 00:47
  •  突然心にぽっかり穴が空いたような。ふとそんな気分が押し寄せてくることはないでしょうか。私はよくあります。それも、一人で寂しい時に訪れるのではなく、ものすごく充実しているような時にふと訪れるのです。これは一体どんな現象なのか、不思議ですね。

    誰かが足りない (双葉文庫)
    宮下 奈都
    双葉社 (2014-10-16)
    売り上げランキング: 118,143


     宮下奈都さんの『誰かが足りない』を紹介します。宮下さんと言えば、今年最初のブックレビューで『羊と鋼の森』という小説を紹介しました。『羊と鋼の森』は本当に素晴らしい作品で、私はあっという間に宮下さんのファンになりました。宮下さんは、私が一番好きな小川洋子さんと似た雰囲気を感じるところがあるのです。そんなわけで、早いスパンで2冊目の本に手を伸ばしました。



    寄り添う作家



     『羊と鋼の森』、そしてこの『誰かが足りない』を読んで感じたのは、宮下さんが登場人物に丁寧に寄り添う作家さんである、ということです。作品に真摯に向き合っておられる、とも言えると思います。作者である宮下さんが登場人物に向けるまなざしは優しく、温かく、それでいて強い。まるで書き手がやわらかな光となって、登場人物を包んでいるようです。

     このように真摯な語り手に出会うと、読者である私は安心して作品に身を任せることができます。まだ2作品しか読んでいませんが、宮下さんの作品からは揺るぎない信頼感を覚えるのです。

     さて、冒頭で「突然心にぽっかり穴が空く」ということについて述べました。この『誰かが足りない』は、まさにそんな、心にぽっかりと空いた穴をテーマにしたお話です。「ハライ」というレストランに予約をした、6組のお客さんたち。彼らはそれぞれにそれぞれの事情があり、それぞれの「喪失」を抱えていました。喪失を抱えた人々が集うレストラン。彼らは何を思い、どう前に歩を進めるのでしょうか。

     登場人物に丁寧に寄り添っていく宮下さん。今作でも、人々の抱える「喪失」に、優しい手を差し伸べています。私たちが普通に生きているだけでは見落としてしまうような、そんな些細な、消え入りそうな心にも、宮下さんの繊細な語りが注ぎ込まれていくのです。

    喪失のそばに



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     まず、「誰かが足りない」というタイトルが秀逸ですね。これは、私たちが常に抱えている喪失感を表しているように思います。どんなに恵まれた生活をしていても、あるいは物事が全てうまく運んでいるとしても、「喪失」から逃れられる人間はいないと思います。例えるとしたら、人間の後ろに付いて回る影のようなものでしょうか。ある時、ふっとその姿を現す。そして、私たちの心を蝕もうとするのです。

     この作品に登場する人物たちも、どこか影、つまり喪失のオーラを抱えた人ばかりでした。抱える事情はそれぞれです。ただ、それぞれが抱える苦悩や喪失は、どれも私たちがいつ経験してもおかしくない、ありふれたものばかりでした。私たちは誰もが喪失と共に生きている。そしてその喪失は、ふっと顔を出し、私たちを蝕もうとする。そんな喪失の静かなゆらめきを感じさせる短編が並んでいるように感じました。

    いい子でいたいんだろう。人に嫌われたくなくて、抱えられそうなものは全部自分で抱えてしまう。それで結局、余裕がなくなって自爆するのだ。ぜんぜんいい子なんかじゃない。



     1つ、抜き出してみました。いろいろな喪失がある中で、私がもっとも寄り添うことのできた喪失です。そして、同じようにここに書かれている喪失に寄り添える方も多いのではないのでしょうか。人に嫌われたくないから、自分で全て抱えてしまう。その上、周りからは「いい子」にされ、本当の自分とのギャップは開いていくばかり・・・。私も、こんな風に感じたことは何度もあります。

     ふと空を見上げてみました。今、この世界に、ここに書かれていることと同じ思いをしている人はどれだけいるのでしょうか。きっと、数えきれないほどたくさんの人が同じ思いをしているはずです。言い換えれば、世界は喪失であふれている

     とてもありふれた喪失です。多くの人が抱えているけれど、人々は特にそんな感情を表出させることもなく、ただその気持ちが薄れ、消えていくのを待っています。喪失を消し去ることはできない。だから、喪失と上手く付き合いながら、なんとか歩を前に進めていく。人生とは、突き詰めればそんなものなのだと思います。

     そんな「ありふれた喪失」を、宮下さんは掬い取っていく。それがとても丁寧で、優しい。まるで語り手が登場人物の背中をそっと押しているような印象を受けました。宮下さんを通して語られること。登場人物を包む、優しく温かい手。それをもう少し見てみたいと思います。

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     レストランへ向かうお客さんの中に、「今」を怖がる青年がいました。彼はいつも手にビデオカメラを構えています。世界は彼にとってあまりに刺激の強いものだったのです。「今」を見つめることに怯え、カメラを通した世界の中に生きている青年。そんな青年に、別の登場人物がこんな風に語りかけました。

    「まるで過去を生き直しているみたいに見えました。でも、たぶん、違う。歌ったあなたも、泣いたあなたも、今のあなたなんです。あなたは取り戻している最中なんです。」



     少しずつ、心はほぐされていきます。そうです、少しずつでよいのだと思います。少しでもいいから、確実で、着実な一歩を。

    この驚きも、きっと今だ。今は風で、今は笑いで、涙で、よろこびで、かなしみで、驚きで。



     よろこびも、かなしみも、驚きも。全ては「今」でした。それを当たり前のこととして受け入れている私たちとは違って、彼はそれを受け入れることができていませんでした。彼の今は、今から始まるのです。説教でもない、綺麗ごとでもない、正論でもない。宮下さんは、こういう風に、登場人物に「確実で、着実な一歩」を歩ませているように感じます。

     ある女性と出会って、こんな風に感じた登場人物もいました。

    彼女を見たときに黄色い信号が緑に変わったのを覚えている。今までずっと黄信号で足踏みしていた場所から、進んでもいいといわれた感じだった。止まれ。ただし、止まれなければ進め。――それが黄信号だ。



     ここにもまた、「確実で、着実な一歩」の存在を見つけることができます。彼にとって、それまでの黄信号は足を止めるための装置でしかなかったのでしょう。それが、ある出会いを通してふっと世界は急回転をする。そうか、黄信号は「止まれなければ進む」ものなのか―そう気付いて、彼は足を前に進めます。

     たしかに、喪失は常に私たちのそばにいるものです。しかし、喪失が常にそばにいるとしたら、喪失から立ち上がる「確実で、着実な一歩」もまた、その隣で息を潜めているのではないでしょうか。世界は、私たちがそれをどう見るかによって、あっという間に形を変えてしまう。世界が形を変える瞬間。確実で着実な一歩がまさに踏み出されようとする瞬間。その描かれ方が抜群に上手いと思います。

    思いがけぬ発露



     登場人物たちにある瞬間訪れる「変化」。作者の宮下さんは、それを「感情の発露」というもので捉えているのではないか、と思いました。それを感じさせたのがこの箇所です。

    美しい記憶がそのままその人の美しさを支えるわけではないように、悲しい記憶が人のやさしさを支えることがあるように、いいことも、悪いことも、いったん人の中に深く沈んで、あるとき思いもかけない形で発露する。



     ああ、そうだよなあ。心がそんな風につぶやいて、次の瞬間、言葉が体の中に染みわたってきました。いいとか、悪いとか、それはその瞬間で単純に割り切れるものではないのだと思います。いったん心の中に沈んで、ある時、それが思いもかけない形で発露する。その発露したものが、突然訪れる世界の変化なのでしょうか。

     今まで見たこと、聴いたこと、感じたこと。会ってきた人、食べてきたもの、行った場所。それらが全て蓄えられて、ある時、ある場所で「発露」するんだ。そんな風に思ったら、それはあまりに深遠なことで、そのあまりの深さにしばし本のページをめくる手を休めました。それと同時に思うのです。宮下さんの作品を読んでいて感じる圧倒的な「信頼」というのも、ここからくるものではないか、と。

     おそらくこの本に出てくる全ての登場人物たちに、宮下さんはこう語りかけました。

    「失敗自体は病じゃないんだ。絶望さえしなければいいんだ」



     背中を押してもらったのは、登場人物たちだけではないはずです。



    オワリ

    『羊と鋼の森』 宮下奈都さん

     冒頭でも触れましたが、私が今年最初に読んだ本です。もしかしたら、今年読む本の中で一番の傑作かもしれない。最初の1冊なのにそんなことを思った、それくらいの傑作です。


    小説, 宮下奈都,



    •   18, 2016 21:27
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