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 お久しぶりの綿矢りささんです。以前読んだ『勝手にふるえてろ』がとても面白かったので、ブログで他の作品も紹介したいと思っていました。『勝手にふるえてろ』もそうですが、タイトルからかなり攻めてきている感じが伝わりますね。女の怨念、とでもいうのでしょうか。くわばらくわばらです。

かわいそうだね? (文春文庫)
綿矢 りさ
文藝春秋 (2013-12-04)
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 今回紹介する作品のタイトルは、『かわいそうだね?』です。ちょっとトゲのある言い回しに見えないでしょうか。他人事のように「かわいそう」と言うのかもしれないし、上から見下すように「かわいそう」と言っているのかもしれません。いずれにせよ、何か悪意が隠れているような気はします。

 予想が当たりまして、「かわいそう」は主人公にとって蹴り飛ばしたくなるような「呪いの言葉」だったようです。



内容紹介



友情・恋愛

 うしよう、彼氏が元カノと暮らし始めた

 この本には、表題作の「かわいそうだね?」と、もう一作「亜美ちゃんは美人」が収録されています。内容は全く別です。両作品のあらすじを簡単にご紹介します。

 まず「かわいそうだね?」ですが、これは思わずのけぞってしまうような奇妙な設定の物語です。なんと、主人公の彼氏の家に彼の元カノが転がり込んできて一緒に生活を始める(!?)のです。

 主人公の樹理恵には、隆大という彼氏がいます。順風満帆な交際をしていた二人でしたが、そこに隆大の元カノ、アキヨが現れたのです。就職活動で連戦連敗、行く当てもなくなったアキヨは、なんと元カレの元に駆け込みます。そして、隆大も隆大です。なんと、元カノが自分のアパートに暮らすことを許可してしまったのです。

 「愛情はもうない、友達を助けたいだけだから」という隆大。けれど、樹理恵は彼のことを信じることができません。彼氏が元カノと一緒に暮らしている。自分という「今カノ」がいるのに・・・。こんなのあり?悶々とする樹理恵ですが、この「奇妙な三角関係」はいったいどうなるのでしょうか。

 もう一作は「亜美ちゃんは美人」。高校で出会ってから一緒に過ごしている亜美ちゃんとさかきちゃん。亜美ちゃんは世の中の男が皆振り返るような美人です。さかきちゃんは、亜美ちゃんと一緒にいることでどうしても「引き立て役」になってしまうのでした。

 物語は、さかきちゃんの目線から進みます。自分が引き立て役になっていることを、さかきちゃんは十分に理解しているのでした。それなのに、どうしてずっと一緒にいるのでしょうか。彼女は、自分にはある「役目」があると、そう密かに思っていたのでした。

 そんな時、亜美ちゃんに初めて「好きな人」ができます。これまで何となく一緒にいただけの彼氏とは違って、亜美ちゃんが初めて心から好きになった人。けれど、その好きな人というのが一癖も二癖もある人で・・・。

書評 ~プレイ・ア・ロール



書評

◆ 「彼氏の元カノ」あらわる

 2つの作品が収録されているのでどちらにも触れていくことにしましょう。まずは表題作の「かわいそうだね?」からです。彼氏が元カノを家に連れ込むという話ですね。今の彼女がいるのに元カノを家に連れ込む男……うーん、ハチャメチャな男があらわれたものです。元カレの家に転がり込んでくるアキヨのほうも、何というかナチュラルに狂っています。

 主人公の樹理恵は、そんな奇妙な三角関係に悶々とし続けるのでした。「今の彼女は私だから出て行ってください」と意を決してアキヨに言おうとするのですが、なかなか決定打を放つことができません。

 「もっと怒っていいよ!」と読みながら思ってしまいます。けれど、樹理恵というのは一言で言うと「理性の人」。それに対してアキヨは「本能の人」。これが、事態をややこしくしてしまうのでした。

かわいそうだね?

 樹理恵は百貨店の洋服屋で働いています。接客業ということで、人を分析する癖ができてしまっているようです。私生活でもなかなかその癖が抜けきらず、仕事でもないのに目の前の人間を分析し始めます。

職業柄毎日たくさんの女性客と接しているせいか、企みや裏がある人には気づく。数えきれないほどの人数と初対面をくり返すうちに、ふとした瞬間の目の動きや表情の翳りで、本音と建前が乖離していることを察する。アキヨさんは裏があるタイプではない。



 「女性客」と限定しているところが面白いですね。女同士だから働く嗅覚、というのがあるのでしょうか。男の私は、女性というものが未だにまったく分かりません 笑。クラスの女の子たちが実に複雑で巧みに「派閥」を作り上げるのを、いつも呆然として見ていました。男というのは、たぶんもっと単純な生き物です。

 「彼氏の元カノ」という非常にやりづらい立場の人が目の前にいて、かなりの「緊急事態」のはずなのですが、樹理恵は落ち着き払って分析を続けます。そういう意味で、彼女は「理性の人」なのですね。

裏はないが、か弱そうに見えて案外図太いのかもしれない。私が彼女なら、元彼氏の家に居候するなんてよっぽど決意して周到に計画してからじゃないと、実行に移せない。男を奪い返してやる、と燃える野心を抱いて、一世一代の芝居を打つ覚悟で挑む。



 名探偵顔負けの洞察力で、彼女は目の前にいるアキヨの分析を続けます。「か弱そうに見えて案外図太い」と、かなり容赦のない分析です。小説として読んでいる分には面白いですね。見えない火花がバチバチと散らされます。

 アキヨを分析する樹理恵でしたが、この分析にはアキヨというより彼女自身の性格がよく現れています。用意周到な計画をしてから実行に移す―やはり彼女は、頭のいい、理性で自分をコントロールできるタイプの人のようです。そして、自分の心の中にある本音を「芝居」で覆い隠す。

 この「芝居」という言葉が、もう一つの作品も含め、この作品の1つのテーマになっているのかな、と思いました。それは書評の最後にまとめて書くことにします。

◆ 釣り合わない友達

 さて、後半はもう1つの作品、「亜美ちゃんは美人」を取り上げます。これもまた、なんとなく毒の匂いがするタイトルですね。誰もがうらやむ美人の亜美ちゃんと、亜美ちゃんと比べればそうでもないさかきちゃん。そんな二人を、さかきちゃんの目線を中心に描く物語です。

 物語も序盤から、またものすごい一文が出てきます。

すなわち、かわいいは権力。ださいは死刑。



 死刑って 笑。ここまで言い切られると、そんなものなのかと逆に納得してしまいそうなものです。女性にとって容姿とは男性とは比べ物にならないくらい大事なものだということはなんとなく分かります。「かわいいは権力」なんて、しばらく忘れられそうにない言葉です。綿矢りささんはとても凛としていて美しい作家さんなのですが、作品の中でこんな言葉が平気で放たれています。

 この物語の主人公、さかきちゃんも、容姿によって男性が女性を品定めしていることを、よーく分かっているようです。そして、自分が美人の亜美ちゃんと比べられて、どうしても「引き立て役」になってしまうことも。

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 辛くて生々しいエピソードがあって、その後でさかきちゃんは心を腐してしまうのでした。

人間の基準なんて、ほかの人間と比較がすべて。人々は二人をさっとながめ、瞬時に品定めをして優劣をつけて、亜美を上等、私をにせものの粗悪品だと判定する。いままでも、学校や街で、私は亜美と散々比べられたのだろう。



 引き立て役というのは、想像以上に辛いものだったのだろうとよく分かりました。人と比べられるのも辛いですが、いつも負け続け、一方的に自分の価値だけが低く見られているのですから、これは本当に辛いことです。

 でも、それならなぜ二人は今も友達でいるの?そんな疑問が浮かびますね。それが明かされるのは、物語の終盤になってからです。私は、「女の友情ってこんな風にも成り立つんだ!」と思わず膝を打つくらい感心しました(女の人にとっては常識なのかもしれません)。友情というのは必ずしもピュアでまっすぐなものではなく、こういう風に複雑に絡まって成り立つこともあるのだろう、とそこが深みのあるところです。

◆ お芝居をやめて

まとめ



 さて、「芝居」が両作品のテーマになりそう、と書きました。まず「かわいそうだね?」なんですが、理性を発揮し落ち着き払っていた樹理恵が、物語の終盤になって豹変しだします。そう、彼女も「本音の人」に変わるのです。

自分の人生が狂ってるなんて絶対に認めない。どの人の人生も適度に狂っているけれど、狂っている部分なんて恥だから、みんな見せないようにしているだけ。だって人間だって元は動物なのだから、理性だけで毎日毎日を統制するなんてできっこない。



 彼女がふっ切れた瞬間ですね。制服やスーツのように、理性というのも一つの「ドレスコード」なのかもしれません。ずっと着ていたら疲れます。家に入ったらすぐに脱ぎたくなるでしょう。理性もまた、そんなものなのではないでしょうか。

 本能でいこう、と決めた彼女は、再びアキヨの元に乗り込みます。因縁の女同士、天下分け目の最終決戦です。いやあ、すごかった。正直、ここ最近で一番スカッとしました。

 もう一つの作品、「亜美ちゃんは美人」にも、「芝居」の要素はありました。いつも男からちやほやされ、全てが満たされているように見えた亜美ちゃん。しかしそうではなかったと、さかきちゃんは気付きます。

さすが亜美ちゃん、それでこそ亜美。みんな口々にそう言って、彼女の美しさや素直さを愛でて安心してきた。彼女は無意識のうちにその期待にこたえて息苦しくなっていった。あんなに自由そうに見える彼女が、これほどの窮屈さを世界に対して抱えていたとは。



 周りからある「役割」を期待されるというのは、本人にとっては時にプレッシャーになってしまいますね。周りからのイメージに合わせるために、自分の本当の性格を覆い隠して「芝居」をしている。そんな経験は、誰にでもあるのではないでしょうか。亜美ちゃんのような美人も、学校一の優等生も、クラスの人気者も、きっとどこかで、そんな悩みを抱えているはずです。

 そんな「芝居」から解き放たれる瞬間。綿矢りささんが、瑞々しいタッチで見事に描いています。なんだか、読んだ後拍手をしてしまいたくなる、そんな気持ちいい2作品でした。



オワリ

 綿矢さんは芥川賞作家ですが、他の純文学と違ってとてもポップで読みやすいので個人的にはとてもおすすめです。肩の力を抜いて読むことができますよ。

 恋に焦げる心  -『勝手にふるえてろ』 綿矢りさ

 こちらも攻めている作品です。彼氏が二人いるこじらせ女子・・・という、やはり波乱万丈な物語。松岡茉優さん主演で映画化されたのですが、個人的に松岡さんに本当にピッタリな役だったと思っています。

 
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 2人の母親が出てきます。血のつながった実親と血のつながっていない養親です。血がつながっているかいないか。一生変えることのできない大きな違いですね。けれど、「血のつながり」というものに苦しめられながらも、そこには確かに母親になろうとした2人がいたのでした。

朝が来る
朝が来る
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辻村 深月
文藝春秋
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 辻村深月さんの『朝が来る』は、特別養子縁組をテーマにした小説です。ミステリー作品を多く書かれている辻村さん。本作も序盤である事件が訪れるのですが、それはメインとなるものではありませんでした。この小説は、2人の母親を見つめ、「家族」を問いかける小説です。

 子供が辛い思いをしなくてはいけない小説は、読んでいて一番胸が苦しくなります。



内容紹介



家族

 「子どもを返してください」
 「実の母親」からの、あまりにも悲しい脅迫


 主人公の栗原夫妻には、朝斗という息子がいます。夫の清和と妻の佐都子(さとこ)は、まっすぐに、息子のことを信じ、育てていました。冒頭、朝斗の通う幼稚園である「事件」が起きます。けれど、佐都子の態度は揺るぎませんでした。子供のことを、最後まで信じ抜こうとしたのです。

 そんな立派な夫婦ですが、実は朝斗は二人の血のつながった子供ではありませんでした。夫婦が利用したのは「特別養子縁組」の制度。不妊治療の末に子供を授かるのをあきらめた夫婦でしたが、その時にこの制度に出会ったのです。

 血はつながっていない。けれど、朝斗は大切な「息子」だ。栗原夫妻は、手を携えて毎日を送っていました。

 平穏な生活が一変したのは、ある一本の電話からです。電話に出た佐都子の耳に、信じがたいような声が聞こえてきました。

「子どもを、返してほしいんです」
「それがもし、嫌なら」
「お金を、用意してください」



 夫婦にとって、それは信じがたい言葉でした。二人は、朝斗を引き取る前に実の母親に会っていたからです。「ごめんなさい、ありがとうございます」と頭を下げる若い母親の姿を二人は思い出します。あの人が、「お金を用意してください」などと脅迫めいたことをするはずがない。二人はそう確信するのでした。

 「あなたは、誰ですか」。夫婦は、勇気を出して目の前に現れた女に問いかけます。目の前にいるのは、本当に朝斗の実の母親なのでしょうか。

 実の母親の名前は「片倉ひかり」。彼女には、子供を手放すしかない、壮絶な人生があったのでした。

書評 ~お母さんとお母ちゃん



◆ 家族に「なる」

 まずは作者の辻村深月さんについて。このブログでも何冊も紹介してきました。とてもきれいで、整った文章を書かれる方です。読みやすく、読んでいてストレスがないという点では1番だと思っています。それでいて、登場人物の心に優しく寄り添う描写は胸に響きます。基本はミステリー作家ですが、どこか温かい作品を書かれる方です。

 では、作品の中身に入っていきます。今回の記事のタイトルは「お母さんとお母ちゃん」にしたのですが、これは朝斗くんが2人の母親を呼ぶときの呼び名です。どちらがどちらかは、大体分かりますね。実の母親が「お母ちゃん」、養親である佐都子さんが「お母さん」です。

 子供の自然な感情というか、距離感がよく現れているように思います。でも、これはどちらかが優れているというわけではなくて、紛れもなく2人は「母親」なのだと、読んでいくうちにそう分かります。

 前半は、夫婦が不妊治療を行う過程と、特別養子縁組の制度について丁寧に書かれています。不妊治療という長く苦しいトンネルを抜けて、二人の前に現れてくれた小さな子供は、まさに二人にやってきた「朝」だったのです。これが、朝斗くんの名前の由来になっています。

朝が来る

 特別養親縁組は、子供が赤ちゃんの時に養親が実の親から引き取って、そして戸籍上は実の親子になります。私は、この制度がどちらかというと子供に恵まれなかった夫婦のためにあるのかな、と認識していました。けれどこの制度は、「子供のため」にある。そう書かれていて、感じ入ることになります。

「特別養子縁組は、親のために行うものではありません。子どもがほしい親が子どもを探すためのものではなく、子どもが親を探すためのものです。すべては子どもの福祉のため、その子に必要な環境を提供するために行っています」



 実の親と過ごすことが、子供にとって本来一番の幸せであると思うし、本当なら全ての子供がそうあってほしいと思います。けれど、理由があって子供を育てることができない親もいますね。そんな時、まさに「断腸の思い」だと思いますが、実の親と離れて、新たな親を探すのです。

 作品の中にも書かれていますが、日本では血のつながりというものに対する信仰がとても強いです。血がつながっていない親子のことを、例え戸籍上は親子だとしても、本当の親子とは思えない人が一定の割合でいるような気はします。

 けれど、この作品を読むとそういう認識は薄まると思います。栗原夫妻は、朝斗くんのことを心から愛し、そして「信じる」。冒頭である事件が起こると書きました。朝斗くんが疑われてしまうのですが、佐都子さんの思いは全く揺るぎません。朝斗くんのことを心の底から信じ切っていました。実の親子以上に、そうだったかもしれません。

 家族というのは、最初からできているものじゃなくて、家族に「なる」んだ

 そんな考えがあってもいいように思います。結婚した夫婦も、元はと言えば他人だったのです。それが、時間をかけて愛をはぐくみ、やがて家族になるのだとしたら、必ずしも子供だって「血がつながっている」必要はないんじゃないか。同じように、時間をかけて家族に「なれる」んじゃないか。私はそう思いました。

 何より、全ては「子供のため」。それが、この作品に注がれる、柔くて温かい朝日の正体です。

◆ 見上げた空だけでつながる

 さて、後半は理由があって子供を手放さざるを得なくなった実の母親、片倉ひかりについての物語です。理由というのは、中学生の時の妊娠でした。若さゆえの未熟さ、と言えば簡単ですが、私は責めることができませんでした。先が見えず、引き返せなくなってしまう。実に、真に迫った描写でした。

 何より、中学生で産んでしまった自分の子供を栗原夫妻に手渡す時、ひかりは心の底から謝り、夫妻に感謝の言葉を繰り返したのでした。この人も、奥底にあるのは「善」だ。私はそう思いました。

 そんな人が、「子供を返さないならお金を出してください」と脅迫するでしょうか。そこまで変わってしまえるものでしょうか。この脅迫してきた人物が本当に「片倉ひかり」なのかどうか、序盤では大きな謎になります。

 読んでいくうちに、少しずつ真相が見えてきて、私は心を痛めることになりました。同じ小説ですが、前半とは、全く異なるタッチです。暗く、本当に明けるのかと思うような夜が続きます。

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 後半はなかなか辛いものです。片倉ひかりの、あまりにも辛い人生が描かれます。たしかに彼女は、間違いを犯してしまって、責められる部分もあるとは思うのですが、それ以上に同情や憐憫を感じます。

 ほんのささいなことから人生はあっという間に暗転してしまって、一度社会の「裏側」に行ってしまったらもう戻っては来れない。何だか既視感があると思ったら、これは昨年紹介した、葉真中顕さんの『絶叫』と同じですね。誰にも救いの手を差し伸べることができない絶望に胸打たれます。また、辛い話を読むことになりました。

 血のつながった家族から愛されず、若くして宿した子供をお荷物扱いされ、家を飛び出した先で社会の闇に飲まれてしまう。ひかりの人生は、あまりに辛いものでした。

 けれどやっぱり、彼女は朝斗くんの「実の母親」なのだと、そう思い出させてくれるシーンがあります。暗い夜のような後半に、ほんの一瞬ですが朝日が差しこむのでした。

ねえ、なんていう、大人の女の人が言うような言葉遣いをするのは初めてだった。してみたら、なんだか自分が“母親”のようだった。“お母さん”のようだった。



 ふわり、と芽生えた「母親」の意識。誰にも否定できるものではありません。唯一の、血のつながった母親なのです。そして、目の前に浮かんだきれいな空。ひかりは、こう決心します。

逃げることも、育てること、この子の誕生日も祝うこともない代わりに、覚えていよう。この子と今日、一緒に、すごくきれいな空を見たことを。



 実の親と一緒に過ごすことが一番の幸せだ、という先程書いた思いは変わりません。けれど、このひかりの決意も、私には否定できません。「覚えている」、それも、母親としての務めです。そして、彼女が未熟なリにも下した、紛れもない、母親としての「決意」です。

 ひかりが「善」の人だというのは分かっていただけたと思います。だからこそ、脅迫めいた行動をした女性のことが分からなくなりますね。この人は本当に「片倉ひかり」なのか。片倉ひかりだとしたら、なぜ、こんなことを。

 ミステリーの要素は残しておいたので、ぜひ本を手に取っていただけたらと思います。

◆ 清く、柔い光

まとめ



 最後は、二重の展開が待っています。ひかりが口にした「ある言葉」に、読者は打ちのめされることになると思います。彼女にとって、死ぬよりも辛い言葉だと思うからです。

 けれど、その後でもう一段階。この小説のタイトル通りのことが起こるでしょう。全てが救われるわけではないけれど、この結末でどれほどよかったことか。私は胸をなでおろしました。

 1人の子供に、2人の母親がいる。それはもしかしたら、歪なことかもしれません。けれど、もし2人の母親が、それぞれを形で子供を愛したならば。

あの小さなお母さんは、私たちと朝斗、両方にとっての大事な“お母さん”だ。



 母親が2人いてもいい。私は、たしかにそう思ったのでした。



オワリ

 胸が温まるお話でした。辻村さんは人に優しいまなざしを注げるミステリー作家。そこが一番の魅力です。

 後悔という宿命 -『ツナグ』 辻村深月

 辻村さんの代表作。死者と一度だけ再会できるという設定ですが、それを活かしたとても温かい仕上がりになっています。この作品は構成的にも素晴らしく、辻村さんの本でまずは読んでいただきたい1冊ですね。


小説, 辻村深月,



 「最後の一行に見事な収束が訪れる」と名高い米澤穂信さんの短篇集を読みました。本当に、最後の一行は恍惚とするくらい見事でした。そして、見事なのは最後の一行だけではありません。物語の全てが、最後の一行に向けて注ぎ込まれているようでした。丹念に、丁寧に、それでいて大胆に。

儚い羊たちの祝宴 (新潮文庫)
米澤 穂信
新潮社 (2011-06-26)
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 久しぶりに読んだ米澤穂信さんの作品でしたが、本当に見事だと思いました。ミステリー作品に分類されるのでしょうが、米澤さんの場合、純文学と比べても遜色ないくらい、文学性も高いと思うのです。ミステリーとしての面白さと文学性の高さを兼ね備えた作家はなかなかいません。この点、私は当代一の作家さんだと思っています。

 今日紹介する『儚い羊たちの祝宴』は、最後の一行に向けて物語が注ぎ込まれる、佳品揃いの素晴らしい短篇集です。



内容紹介



ミステリー・サスペンス

 順で高潔な仮面の下に・・・

 全部で5篇の短篇が収録されています。独立したお話ですが、ゆるやかな共通点とつながりがあります。

 まず共通点ですが、どのお話も裕福な上流階級の人々が登場します。立派な「館」を所有するような名士たちです。ただ、スポットライトが当てられるのはそのような上流階級の人々ではありません。そこで働く「使用人」たちです。

 己を殺し、主人や一家に忠実に尽くす従順な使用人たち。尽くすことは、彼らにとっての「誉れ」なのでしょうか。彼らは皆、自分の仕事と立ち居振る舞いに独自のプライドと流儀を持っているようです。気品と、高潔さを感じます。

 どんな命令にでも、従順に従う高潔な使用人たち。「どんな命令にでも」・・・?そう、物語は徐々に不穏さを増していきます。とはいっても、展開はワンパターンではありません。五者五様の収束が待ち構えていることでしょう。どれも、本当に完成度が高いです。

 そしてもう一つ、共通点として「バベルの会」がありますね。バベルの会は、大学で開かれている読書会の集まりです。主に上流階級の人たちが集まっているようです。普通のサークルなどとは違い、やはり気品があって高潔なオーラが漂っています。

 ところが、この「バベルの会」を包んでいた高潔なベールは、徐々に取り除かれていくことになります。そこに集まっていた人々とは・・・?これは、タイトルの一部である『儚い羊たち』に通じていくところでした。

 最後に、ストーリーリストと私のプチ評価です。読書のご参考にどうぞ。

一、「身内に不幸がありまして」 S
常軌を逸した衝撃の動機。二段階の告白で見事な収束

二、「北の館の罪人」 S
文学としても素晴らしい完成度。赤と青、美しくも儚い終盤からの急転直下

三、「山荘秘聞」 A
一番分かりやすい作り。見事なミスリード。いい意味で拍子抜けの結末

四、「玉野五十鈴の誉れ」 S+
最後の一行で見事に収束しつつ、五十鈴の心情で醸す余韻。一番完成度の高い一篇

五、「儚い羊たちの晩餐」 A
タイトルへ繋がり作品を締める収束。狂気で味付けされた料理の味やいかに



書評 ~己を滅し宴に捧ぐ



書評

◆ 滅私奉公

 各短篇をSABCで評価してみようと思い立ったのですが、全てA以上になりました。私の素直な実感です。この作品の完成度の高さが伝わればと思います。中でも四作目の「玉野五十鈴の誉れ」は際立っていますね。ということで、「S+」とさせていただきました。

 名家に使える「使用人」たちが出てくると言いましたが、これが本当に見事な設定で、作品を面白くしたと思います。彼らは皆、仕えること、尽くすことに関して「プロフェッショナル」なんです。主人や一家の命令に忠実に、従順に尽くします。家の人々を「様」をつけて呼び、気品さと高潔さを感じる振る舞いで彼らに尽くします。

 「滅私奉公」という言葉がありますね。まさにこの通りです。私利私欲の部分を殺して、己の欲望を殺して、名家と住人に尽くすのです。

 けれど、それは「仮面」をかぶっていたのだ、と―そう気付きます。従順に仕える、その凛とした姿は仮面をかぶった姿でした。考えてみれば、使用人たちも人間です。己を殺して奉公するといっても、完全に己を殺せるわけではないでしょう。仮面の下の「素顔」がのぞいた時・・・?まさに、首筋にナイフでも当てられたよう。徐々に不穏さを増していた作品が、見事な暗転を遂げます。

 「ふーん、使用人たちに裏の顔があって、何か悪いことを企んでるんだ」と思われそうですが、そう単純なものではありませんでした。内容紹介にも書いたのですが、作品の収束は五者五様です。名家に使える使用人がいる、というところまでは確かに共通しているようですが、そこから広がる全く異なる物語。

 無駄なく、「最後の一行」に向けて注がれていくその構成は見事です。

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 四作目の「玉野五十鈴の誉れ」が素晴らしい、と言いましたが、どこが素晴らしいのかというと、使用人である五十鈴(いすず)の「心情」が奥深く解釈できて、絶妙な余韻を残しているからです。

 作品自体は、最後の一行で見事にまとまっています。最後から数ページまで来て、私にも最後の一行に何が来るのかが分かり、震えあがりました。この一行で作品は見事に締まるのですが、この一行に隠された五十鈴の「心情」、それは奥深く解釈できるもので、絶妙な余韻を残すのです。

 

 「玉野五十鈴でございます。どうぞ、よろしくお願いいたします」
 物腰は丁寧で申し分ない。
 しかしわたしは、拒まれている、と感じた。五十鈴は礼儀正しいのではなく。心を開かずにかたくなになっている。生来あまり人付き合いということをしてこなかったわたしにも、それぐらいのことはわかった。



 五十鈴は純香という少女に仕えますが、始めはこんな風に心を閉ざしているのです。「友達になりたい」、純香は密かにそう思ったのでした。その思いが通じ、五十鈴は心を開いてくれた・・・ようでした。

 そこから、二転三転する物語。最後まで読んで、五十鈴の「心情」「本心」というものを改めて考えてみます。ここの解釈は人によってわかれそうです。何を書いてもネタバレになるのでやめますが、使用人の「仮面」という設定を活かした、本当に見事な一篇だと思いました。人によって様々な心情を想像できる―それが素晴らしいです。

◆ 読書の魔力

 作品には随所にいろいろな文学作品が散りばめられており、米澤さんの教養の深さを感じます。こういったところでも気品溢れる作品です。散りばめられているものの中には、私が呼んだことのない作品も多く、「知っていたらもっと物語に深みが出るのだろうな」と歯がゆい思いでした。いつか年齢と経験を重ねた時に、また読んでみたいですね。

 そんな様々な文学作品が注ぎ込まれる湖が、謎の読書会、「バベルの会」です。

 このバベルの会の深奥が明らかになるのは一番最後の短篇です。バベルの会には、どんな人たちが集まっていたのか。それは、読書の魔力とでも言うのでしょうか、読書好きな私にも共感できるところのある秘密でした。

バベルの会とは、幻想と現実とを混乱してしまう儚い者たちの聖域なのです。現実のあまりの単純さに、あるいは複雑さに耐えきれない者が、バベルの会には集まってきます。わたしたちは、いわば同じ宿痾を抱えた者なのです」



 彼らは現実から逃避するために、そしてある時は現実と向き合うために、本を読み、「夢想」するのだ―このあと、そう明かされます。

 「夢想」とは、なんと儚げで、心の内奥に共鳴する言葉でしょうか。読書家の方なら、きっと共鳴する部分があるはずです。

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 本を読んで、私はいろいろなことを考えます。こうやってブログという空間で感想を書いているわけですが、ここで書いていることはなんというか「人様向きに」「整えた」ものであって、それ以外にも、本当にいろんなことを考えます。言葉にならないことも、言葉にしちゃいけないことも。心を丸裸にしている―例えるなら、そんな感覚です。

 読書というのは、本人だけしか立ち入れない、秘密の、そして夢想の空間なのではないでしょうか。

 最後の短篇、「儚い羊たちの晩餐」で明かされる「バベルの会」の秘密。それは、それまでの短篇に登場した人物たちにもまた、新たな光を当てます。仮面の下に、怪しくも艶やかな、幻惑の光が当てられるのです。

 ただ、この最後の短篇は、バベルの会の秘密だけでは終わりません。この後、作品のタイトルに通じる、衝撃的な展開が待ち受けています。血走る「狂気」のスパイス。「頭への」刺激が強すぎて、とても料理を口にできそうにはありません。

◆ 祝宴から晩餐へ

まとめ



 全体のタイトルが「祝宴」。最後の短篇のタイトルが「晩餐」。なるほど、1作目から4作目までの「祝宴」が「晩餐」に収束したということでしょうか。見事だと思います。でも、あまり深く想像したくありませんね。ここまでくるともうホラーの領域です。

 繰り返しますが、どの短篇も本当に完成度が高いです。ストーリーでもぐいぐい読ませますし、文章の質、文学性といったものも兼ね備えていると思います。ここまで上質な作品に仕上げることができる作家さんは、私の知る限りなかなかいないです。

 期待していた以上に素晴らしい仕上がりだったので、近いうちにまた、このブログに米澤さんの作品が登場しそうです。回りくどい言い方をやめると、久しぶりに読んで、また「ハマった」ということです 笑。



オワリ

 実は米澤穂信さんは、私にとって「ある理由」からとても応援している作家さんです。夢をかなえた米澤さんの生き方はとても憧れで、私もこんな生き方をしてみたかったです。今後も素晴らしい作品を生み出し続けてほしいですね。

心の毒 -『ボトルネック』 米澤穂信

 見事な青春小説。それでいてミステリー。これまで読んだ米澤さんの小説の中で一番好きです。風景描写が素晴らしいのも魅力の一つです。これを読んで、どんな「青」を描くでしょうか?


小説, 米澤穂信,



 昨年から大ブームになっている将棋。私も将棋が大好きで、ファンの一人としてとても嬉しいです。今まで将棋に興味がなかった人からも声をかけてもらえて、将棋ブームにはとても感謝しています。けれど、時々寂しくなることもあるのです。将棋が話題になることは嬉しいのですが、やっぱりこれは「ブーム」。なんというか、将棋というゲームの「厳しさ」を、上手く伝えることができなくて。

盤上の向日葵
盤上の向日葵
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中央公論新社 (2017-11-07)
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 昨年発売された柚月裕子さんの『盤上の向日葵』は将棋を題材にしたミステリーです。この小説は、私と同じ将棋が好きな読書家からの評判がすごく良くて、将棋の部分も本格的に描かれているのだろうとずっと楽しみにしていました。卒論を出してから、と思っていたのでようやく読むことができました。

 これです、これ。私が将棋に興味を持ってくれた方々に本当に伝えたいのはこれだと思いました。将棋というゲームの厳しさ。将棋界の厳しさ。この作品は、そこから全く逃げていません。

 この作品を一文字で表すならば、それは「血」でしょう。人生の艱難辛苦を凝縮した、暗褐色の血が、この作品には流れています。



内容紹介



ミステリー・サスペンス

 級駒を抱いて山中に眠る白骨死体
 憎しみか、悲しみか、愛情か―。その「餞」の意味とは。


 天木山の山中で男性の白骨死体が発見されました。そして、山中には死体と共に将棋の駒が埋められていました。それは、初代菊水月作の、何百万円という価値の付く高級駒です。

 白骨死体の身元は誰なのか。そして、なぜ死体と共に将棋の駒が埋められたのか。

 かつて将棋の道を志していたこともある刑事、佐野と先輩刑事の石破は、埋められた高級駒を手がかりに捜査を開始します。高級駒の持ち主は限られていますが、それでもその持ち主にたどり着くのは容易ではありません。

 そのころ、将棋界では棋界最高峰の棋戦、「竜昇戦」が行われていました。盤を挟むのは、史上初の七冠制覇を狙う若き天才棋士、壬生芳樹と、異例の経歴を経てプロ棋士になり、そしてタイトルに挑みかかる「炎の棋士」、上条桂介です。七番勝負は3勝3敗の五分で迎えた最終局。まさに将棋界の最高峰を決める決戦とあり、日本中が湧きたちます。

 高級駒を抱いて眠る白骨死体と、最高峰の盛り上がりを見せる将棋界。そこには、狂い立つような悲しみの物語が隠されていたのです―

書評 ~赤褐の餞



書評

 ◆ 盤上に流れる血

 将棋界には、たくさんの名言があります。この作品を読みながら、私はそのうちの一つを思い出すことになりました。この作品はこの名言から生まれたのかな、と思うくらいこの作品にぴったりです。現在も活躍するトップ棋士の一人、深浦康市九段がこのような言葉を残しています。

盤上には棋士たちの見えない血が流れているんです



 これは、将棋界の厳しさを表している言葉です。それこそ、血を吐くような苦労をしてこられた深浦先生がおっしゃるからこその重みがあります。

 昨年から、将棋がとても話題になっていますね。加藤九段の引退、藤井四段の29連勝、そして羽生先生の永世七冠。これが同じ年に起こったというのです。凄い巡りあわせに、私は、「将棋の神様というのは本当にいるのだ」、と信じるようになりました。

 だけど、将棋ブームをきっかけに将棋に興味を持った方に知ってほしいことがあります。上に挙げた3人の先生は皆大スターです。しかし、その裏には、彼らに叩きのめされてきた人たち、それこそ、血のような涙を流してきた人たちが大勢いるのです。

 羽生先生が全てのタイトルを独り占めにした時、森下九段はこう言ったそうです。「棋士全員にとって屈辱です」―。羽生先生の栄光は、他の棋士にとっては「屈辱」なのです。森下九段は、何度もタイトルに挑戦しましたが全て敗れ去ってしまいました。だからこそ、この言葉にも重みがあります。

 藤井四段がものすごい勢いでプロに駆けあがり、プロでも快進撃を続けています。けれど、その陰で藤井四段に敗れてきた多くの人は何を思うのでしょうか。自分より小さな中学生に敗れ去ってしまうのです。屈辱なんて言葉では語りきれません。消えてしまいたいと思った人もいるでしょう。

 そもそも、全国の天才少年少女の中からプロ棋士にたどり着けるのはほんの一握りです。しかし、プロ棋士になってもまた、そこには栄光ではなく多くの敗北と挫折が待っています。将棋は、負けた人が「負けました」と言って勝負が終わります。敗北と屈辱と挫折にこそ、このゲームの本質があるのです。

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 将棋ブームの中で、こういった厳しい側面というのはあまり語られてきませんでした。どうしても、一部のスターに脚光が浴びせられますね。だから、私の中で少し物足りなさがあったのかもしれません。

 けれど、この本ではそこから全く逃げていません。むしろ、そこが主題になっていて、だからこそ圧巻の読みごたえがあります。

「遺恨なんてひと言で片づけられる世界じゃない。妬み、嫉み、怒り、プライド、強烈な劣等感、人生の崖から落下するかもしれない恐怖が、ドロドロに煮詰まっているところだ」



 将棋ブームに水を差してしまいそうですが、これです、これ。この本は教えてくれるでしょう。将棋というゲームの奥深さと厳しさ。そして、トップで輝くスターも、やはり「敗北と屈辱と挫折」を抱えて生きていること。

◆ 謎を呼ぶ餞

 私は将棋好きとして楽しませてもらいましたが、この作品は将棋を知らない人でも十分に楽しむことができるでしょう。その工夫が、「二人の刑事」です。二人のうち、佐野刑事はかつて奨励会に所属していたこともある将棋のことをよく知る刑事です。一方の石破刑事は将棋に関してはほとんどの無知で、将棋ファンだったら当たり前のようなことも疑問に思います。

 私は佐野刑事側の視点で読むことになりましたが、将棋に詳しくない方は石破刑事側に立って読むことができるでしょう。この工夫にとても感心しました。そして、将棋に関する描写は本当に丁寧で、将棋好きが読んでも全く違和感を覚えません。リアリティーを損ねないように、綿密な取材をされたのでしょう。本当に素晴らしい仕上がりになっています。

 さて、そろそろ事件の話に移りましょう。白骨死体と共に、将棋の駒が埋まっていた。謎を呼ぶ出来事です。

「将棋の駒は美術品じゃねえ。眺めているだけじゃあ死んでいるのと同じよ。駒は指してこそ生きる。日陰にずっと押し込まれたままのこの駒は、死んでるも同然だ」



 その通りです。将棋指しにとって、将棋の駒は一緒に闘ってきた相棒であり戦友です。むげに扱えるわけがありません。だから、この埋められた特別な意味があるのだろう―すぐにそう気付きます。具体的には、死体の正体は将棋を指す人で、駒はその人に対する「餞(はなむけ)」―。

 将棋好きなこともあり、このあたりまでは瞬時に気付くことができました。けれど、ここから長い長い物語が始まります。埋められていた駒はたしかに「餞」の意味があったように思います。けれど、そこに込められていたのはあまりにも複雑な想い。

 敬意か、愛情か、悲しみか、あるいは憎しみか―。重厚感あふれる物語からもう目が離せません。

盤上の向日葵

 単行本600ページ近い圧巻のボリュームをかけて綴られるのは、異色の経歴でプロ棋士になった上条桂介六段の物語です。彼が少年だったころ、将棋と出会ったきっかけから、丁寧に、丹念に綴っていきます。

 幼くして母を亡くし、父にも愛されなかった桂介少年。深く傷ついた彼は世界に心を閉ざしていたようでした。そんな少年を唯一夢中にさせたものこそ、やはり「将棋」だったのです。ずっと口を開かなかった少年が、初めて言葉を発するシーンに打ち震えます。

勝負に敗れた桂介は、腿の上で握り締めた拳を震わせながら、小声でつぶやいた。
「もう一回」
はじめて聞く桂介の声だった。



 「負けず嫌い」は、将棋を指す人皆に当てはまる特徴であり、将棋が強くなるためにもっとも必要な才能だと私は思っています。負けた時は、本当に悔しい。それを悔しいと思う人だけが、将棋を勉強してみようと思うのでしょう。そして、より強く、激しく悔しいと思った人だけが、将棋界という険しい山の高みにまで上ることができるのでしょう。

 ずっと無口だった少年が発した「もう一回」の声。彼は間違いなく強くなる、そう思わせるには十分でした。ここから先、数々の困難が彼に待ち構えていて、なかなか「まっすぐ」強くなることはできないのだけれど、だからこそ物語に惹きつけられます。

◆ 悪人にも流れる血

 この物語の一番の魅力を聞かれたら、私は「悪人にも血が流れている」点を挙げます。物語には、2人の悪人が登場します。桂介少年の父親と、真剣師(賭け将棋)の指し手である東明です。

 彼らはへどの出るような極悪人ですが、不思議なことに私は完全に彼らを憎むことができませんでした。同情や憐憫を捨て去ることができないのです。同じように感じた方もいたのではないかと想像します。

 その理由が、「悪人にも血が流れている」からです。人間は、単に善悪で割り切れるような単純な存在ではありません。誰にでも二つの側面はある。それをこの作品は実に丁寧に描いています。特に将棋指しの東明はそうですね。どれだけ人格が破綻していようとも、盤上に舞う彼の指し手は、憎たらしいくらいに強く、儚く、美しかったのです。

「心配するな。俺は必ず勝つ。お前に、一生忘れられない将棋を見せてやる」



 なんだかヒーローみたいな台詞です。ヒーローだなんてとんでもない、極悪人が発した言葉なのですが。

 よく言われることですが、将棋と人格は全く関係がありません。私は、自分の大好きな棋士がたとえ犯罪を犯したとしても、その先生の「将棋」だけは一生愛し続けるでしょう。盤上は美しく、そして平等です。美しい将棋の指し手は、たとえそれが誰の手であろうと、将棋ファンを恍惚とさせるのです。

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 そして、二人の刑事による執念の捜査ですね。駒の持ち主を捜し、全国各地、地べたを駆けずり回る二人。決して派手なものではなく、空振りも多いのですが、その執念が少しずつ真実へと歩を進めていきます。

「刑事に一番必要なのは、諦めの悪さだ。頭がよくても、読み筋がよくても、小さな躓きで諦めるようなやつは刑事には向かねえ」



 ここを読んでいてはっとしました。負けず嫌いと同じく、「諦めの悪さ」もまた、将棋が強くなるのに必要な才能の一つでした。将棋と捜査という関係のない2つのことが、私の中で通じた瞬間でした。一歩一歩、地道でも、真理に向かって歩を進めるのです。

 柚月さんの将棋の描写と捜査の描写には共通するところがあります。丁寧に、丹念に描くこと。決して、手抜きをしないこと。単行本600ページ近いボリュームは伊達ではありません。柚月裕子という作家の圧倒的なバイタリティーが、作品を支えます。

◆ 気概溢れる力作

まとめ



 今日は大好きな将棋の本ということで、いつもよりボリュームを増やして記事を書きました。2回に分けてもよかったのですが、1回で書き切った方が、この作品の持つ力を伝えられるように思いました。

 「餞」の意味が分かる終盤には、大きな慟哭が訪れます。憎むべき相手と盤を挟んで将棋を指す場面などは、まさに善悪を超越しています。将棋というゲームは、辛いけれど、苦しいけれど、憎めない。悪魔のように面白いんです。

 将棋ブームの2017年に発売された小説で、本屋大賞にもノミネートされました。けれどこの小説は、決して「ブームに乗っかって書いてみました」という類のものではありません。

 私が感じたのは、作家である柚月さんの「気概」であり「情熱」です。いいものを書きたい、書き切りたい。手を抜きたくない。そんな作家の「気概」や「情熱」が存分に伝わります。私が将棋好きだから贔屓しているのではありません。この「気概」や「情熱」は、どんな読み手にもきっと伝わることでしょう。

 最後に少しだけ、現実の将棋界の話をさせてください。冒頭で紹介した、「血が流れている」との名言を生んだ深浦九段。昨年の暮れに、あの藤井四段と対戦し、そして、勝ちました―。

 すごい将棋でした。私は観戦していたのですが、途中まで藤井四段が大優勢でした。そこからの大逆転です。藤井四段に押される中、「絶対に負けてなるものか」と顔を紅潮させ、必死に粘る深浦九段。その執念が、あの藤井四段の手を狂わせたのでしょうか。信じられないような逆転が起こりました。

 負けた藤井四段は、今までで一番悔しそうでした。最後に力なく歩を動かした消えそうな手つきは、将棋ファンの目に焼き付けられたでしょう。「まだまだトップは譲れない」、深浦九段としてはそんな気分でしょうか。まさに、盤上に血を流すような戦いでした。

 小説に負けないくらい、現実の将棋も面白いです。将棋ブームを通して、そしてこの小説を通して、そこに魅了されるファンが一人でも増えてくれることを、私は願っています。

◆ 殿堂入り決定

 「最果ての図書館」は、『盤上の向日葵』を「ゴールド」に登録しました。情熱が伝わる素晴らしい力作です。将棋を知らない人にも、きっと届いていることでしょう(バナーをクリックすると、ゴールドの本一覧を表示します)。





オワリ

 将棋ファンとしては、本当に目頭が熱くなる小説ですね。よくぞここまで描き切って下さったと思います。本屋大賞にノミネートされたということで、本当に喜ばしいことです。一人でも多くの人に届くきっかけになってほしいです。

復讐の噛砕 - 『屍人荘の殺人』 今村昌弘 

 こちらも今年の本屋大賞ノミネート作、そしてミステリー作品です。「ミステリー」を読みたい、驚きたいという方はこちらを。骨太で、重厚感のある小説を読みたいという方は『盤上の向日葵』を。短期間で続けて読んだ私は、本屋大賞に、「同率一位」はないのかと頭を悩ませます 笑。


小説, 柚月裕子,