HOME > 森見登美彦
 日が落ちて夜になった時、「家に帰らなくちゃ」と本能的に思います。小さいころから変わらないことです。昔は本気で「お化け」を怖がっていました。夜になる前に家に入らなければ大変なことになる、真剣にそう思っていた気がします。

 さすがにもうお化けを怖がる年齢ではありませんし、今は夜の街もすっかり明るくなってしまいました。しかし、夜がやってきた時の心のざわめきは、かすかとはいえ、今もたしかに残っています。



 森見登美彦さんの 「夜行」は、私の中にあったかすかな本能を呼び覚ますような小説でした。実に素晴らしい作品です。解釈は人の数だけあれど、誰もが、これまでしたことのない体験のできる作品だと思います。

 「非日常」は、小説のもっとも大きな魅力です。そして、「非日常」に案内するには、実に様々なアプローチがあります。この作品は、そんな非日常への誘いを、ある意味曖昧に、そして別の意味では鮮やかに、見事にやってみせています。



内容紹介



ファンタジー

の夜は、どこに通じているのでしょう-

 学生時代に英会話サークルに通っていた5人が、10年ぶりに集い、鞍馬の火祭を見物しにいくことになります。久しぶりに会ったのに、全くそんな感じのしない面々。気のおけない仲間でした。

 しかし、そこには本来、もう1人の女性がいるはずでした。その名は長谷川さん。彼女は、10年前、ちょうど同じ火祭りの夜、忽然と姿を消したのでした。

 学生時代を思い返して歩いていた主人公の大橋は、ある女性の姿が画廊に入っていく姿を見ました。懐かしいと感じたその女性の横顔は、長谷川さんにそっくりだったのです。これは幻覚だ-彼はそう自分に言い聞かせます。

 女性を追って画廊に入った大橋は、そこで岸田道生という画家の銅版画を目にします。タイトルは「夜行 -鞍馬」。それは、全部で48ある「夜行」という作品群の1つだったのです。

 その夜、一行は近くの宿に泊まります。気の置けない仲間たちは、やがて、それぞれの「旅」の思い出をおもむろに話し出します。それは、大橋が見た「夜行」という絵と、そして行方不明になった長谷川さんを共通項に紡がれる、奇妙な記憶たちでした-。

書評



書評

◆ 暗がりから広がる

 森見さんの本を読むのは2年ぶりくらいだと思います。時間は空いてしまいましたが、好きな作家さんの一人です。主に京都を舞台に繰り広げられる、狂おしいほど愛しい日々や幻想的な物語。高校生の時にある作品を読んだときは、「京都での大学生活」に心底憧れたものでした。

 今回も楽しみに読み始めたのですが、「いつもの森見さん」を想像していた私は大きく驚かされることになります。それはいい意味で、です。久しぶりに読んだ森見さんですが、驚くほどよかった。今までの森見さんのよさは存分に発揮されているのですが、それに加えて抜群の構成力、絶妙な余韻、残像、深層に入り込む人物描写、などなど、とにかくすべてが驚くくらい高い水準にあります。

 作家として、森見さんは階段を一気に何段駆け上がられたのでしょうか。大ヒット作品だとは知っていましたし、高い期待もしていましたが、とにかく全てが想像以上のクオリティー。私はこれ以上ないくらい幸せな気持ちになりました。

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 夜になるとざわざわする-最初にそう書きました。たぶんそれは、暗闇の中で見えないものを想像してしまうからではないか、と私は思います。暗がりに包まれた時、見えない空間にある得体の知れない何か。もしかしたら何もないのかもしれませんが、「何かあるかもしれない」と思えば思うほど、それは暗がりの中で姿を大きくします。

 作品の登場人物たちは、それぞれの「旅」を振り返ります。みな、無事に帰ってくることができました。しかし、それぞれが拭い去ることのできない奇妙な体験をしていました。「夜行」という絵画の作品群、そしていなくなった「長谷川さん」が記憶をつなぎます。

旅というのは密室のようなものだと最初に僕は言いました。

(・・・)とはいえ、いつの間にか何かが僕の手に負えなくなっているようでした。僕らの閉じ込められている密室が薄暗くなってきて、その隅の暗がりで何が起こっているのか、見えにくくなってきたように感じられます。



 「旅」とはつまり、「非日常」へ出かけて行くということでもあります。大げさな言い方をすれば、「異世界への扉を開く」ということ。行ったことのない土地に行くと、新鮮でワクワクします。しかし、それと同時に、一抹の不安も心によぎらないでしょうか。ちゃんと、帰ってこれるのだろうか、と。この作品は、そんな小さな「暗がり」を、実に上手く広げています。

うまく理由は言えませんが、何かとても大事なことを見落としているように思えたのです。



前夜からの出来事が切れ切れに脳裏に浮かんでは消えていきます。何かそこに脈絡があることは分かっているのに、今の自分にはどうしてもそれを掴むことができないのです。



 こんな描写が、何度も出てきます。そう、彼らの語る旅の記憶は、とても曖昧で、輪郭が見えてこないのです。

 彼らはそれぞれが奇妙な体験をしました。 いたはずの人がいないこと。あるいは、いないはずの人がいること。「夜行」の作品は、彼らの心を揺さぶります。そして、いなくなった長谷川さんが彼らの頭をよぎります。

 「誰が誰なのか」、それすら見えなくなるのです。私も、1回読んだだけでは分からないことが多すぎます。しかし、そんな曖昧さ、輪郭のなさはこの作品の欠点ではなく、「魅力」です。矛盾しているような言い方になりますが、この描き方は曖昧でありながらある意味とても「鮮やか」です。

 「非日常」というものを、これほど曖昧に、それでいて幻想的に描き出せる作品はなかなかありません。余韻や残響、そういったものまで全て、絶妙なバランスで調合されている。万華鏡をくるくると回しているような、そんな体験でした。ちょっと不気味ではあるのだけれど、断片が組み合わさって模様ができた時、はっと心を奪われるのです。

たとえば子どもの頃、午後にうたた寝などをして、唐突に目が覚めたときのような感じでした。家がよそよそしく感じられて、家族の姿はどこにも見えない。自分が今どこにいるのか誰も教えてくれない。何か大事な出来事が進んでいるのに自分だけが置いてけぼりになっている。そんな感覚に似ているんです。



 なんて上手い例えだろう、と思いました。そうです。うたた寝から覚めた時のあの感じです。一瞬、昼か夜かも分からなくなる。ここはどこか。一体どれだけ寝ていたのだろうか。・・・脳が目覚めるまでには、そんな混乱がありますよね。

 この作品には、なかなか「目覚め」「夜明け」が見えてきません。自分は夢の中にいるのか。夢から醒めたようだけど、これは「夢から醒めた夢」ではないのか。暗がりの中で、疑心暗鬼になりながら手を伸ばします。

◆ 隣にいる人の夜

 作品の終盤には、意外な展開が待っているでしょう。シンプルに解釈するなら、2つの世界、パラレルワールドということになるのでしょうか。しかし、ゆっくりと終盤を読み返してみると、そうではないような気もしてきました。こんな一節が出てきます。

ふいに僕は妙な気分になりました。真夜中の世界に宙づりにされるような感覚に襲われたのです。そんなにも夜が深く、広く感じられたのは初めてのことでした。今こうして自分が夜をさまよっているとき、どんなにも遠い街も同じ夜の闇に包まれて、膨大な数の人々がそれぞれの夢を結んでいる。この永遠の夜こそが世界の本当の姿なんじゃないだろうか。



 作品でずっと語られてきたのは、主人公の大橋がいた世界。作品の終盤のほうで明かされる、もう1つの世界。・・・だけではなかったのではないでしょうか。「膨大な数の人々が『それぞれの夢』を結んでいる」というのですから。

 深みにもぐってみたところで、少し恐ろしいことを思います。

 自分の隣にいる人が、自分と同じ景色を見ているかは分からない
 自分の隣にいる人が、自分と同じ世界を生きているかは分からない


 この物語が、もしこういうことに集約されるなら。実は数えきれないほどの世界が広がっていたら。ワクワクしてきました。万華鏡は、何度でも回して、そのたびに模様を変えそうです。

 何の変哲のない日常や、現実世界も、もしかしたらそうであるかもしれない。そして、「そうであるかもしれない」という小さな暗がりを広げてくれるものが、小説です。そして、「夜」や「暗がり」は、人間にそんな想像を許す不思議な空間です。

 「あそこにはお化けがいる」-そういって怖がる子供が、馬鹿にできなくなりますね。

まとめ

まとめ



 肝心なところをネタバレしないように、と思いながら気を付けて書いていたのですが、もしかしたらこの作品にはバラすネタもないのかもしれません。読んだ人は、「暗がり」からそれぞれの物語を想像する。きっと、違う人が読んだら私とは全く違う感想になるわけで、だからこそ手に取って読んでみてほしいと思います。

 森見さんは、小泉八雲に肩を並べたかもしれません。この小説が、これから読み継がれる「現代の怪談」になるということです。少なくとも、1回読んで終わり、何も感じなかったという作品ではありません。

 私も、またいつか手を伸ばすでしょう。せっかくなら、今度は暑い夏に読んでみましょうか。背筋がちょっとひんやりする-そんな体験をしてみたいものです。



◆ 殿堂入り!

『夜行』をゴールドに登録しました。私の中では森見さんの作品で文句なしの最高傑作です。



オワリ

『新釈 走れメロス』 森見登美彦

 数々の名作文学を森見さんがパロディーしたとても楽しい短編集です。森見さんのパロディー作品から入って原作も読んでみれば、ますます読書の幅が広がります。


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小説, 森見登美彦,




 日本文学関連で、今日はこの1冊。森見登美彦さんが面白おかしく描く、日本文学のパロディー作品が収録された短編集です。

新釈 走れメロス 他四篇 (祥伝社文庫 も 10-1)
森見 登美彦
祥伝社
売り上げランキング: 20,650


 最近大学関連で読む本も紹介しているのですが、「読まなければいけない本」というくくりで読むと、やはり楽しみが減っています。趣味としての読書の時間もなんとかして確保したいな、と思っているところです。その点、日本文学を面白おかしく料理するこの本は嬉しいです。ただただ楽しく読むことができます。



才能がありすぎる人



 作者の森見登美彦さんをどう紹介しようかと思ったのですが、私は才能が「ありすぎる」人、と思っています。プロの作家になるのだからどの方も才能の持ち主には違いないのですが、森見さんの才能は他の方とは特異で、誰にも真似できない作品世界が広がっています。

 今回は、有名な日本文学5編のパロディーに挑戦した森見さん。どれも日本文学史にその名を刻む名だたる作品ばかりなのですが、森見さんは全く物怖じすることはありません。読んでみると、すっかり「森見さんの作品」に染まっています。

読み進めれば読み進めるほど、その換骨奪胎の巧みさに魅了させられてしまった。原作のストーリーラインはそのままに、舞台を現代の京都に移し、登場人物を多少(いや、かなり)偏屈な大学生達に交換し、作者の傲慢と見せかけた及び腰な態度と、若者らしからぬ機知に富んだ語彙の数々により、見事にユーモアを醸成しているではないか・・・。(解説/神山健治さん)



 たしかにたしかに。「京都」、そして「偏屈な大学生」、これが揃えば森見さんの筆は自然に走り出します。

桃色メロス



 5つの短編のうちの1つ、「走れメロス」を紹介します。言わずと知れた太宰治の代表作。森見さんの「走れメロス」を読んでいると、随所に原作を利用した遊びが見られて面白いです。例えば、冒頭文はこんな感じです。
<走れメロス>

メロスは激怒した。必ず、かの邪智暴虐(じゃちぼうぎゃく)の王を除かなければならぬと決意した。


<森見版・走れメロス>

芽野史郎は激怒した。必ずかの邪知暴虐の長官を凹ませなければならぬと決意した。


 こんな感じで、かなり原作に忠実に話は進みます。ですが、その中にも「遊び心」を忘れていないという点が良いです。「走れメロス」は、友人が帰ってこなかったら処刑されてしまう、という極限の状況が描かれますが、森見さんの走れメロスでは、友人が「帰ってきたら」、桃色ブリーフで踊るという設定に変えられています。桃色ブリーフ、という破廉恥極まりない設定、これも森見さんの得意技です。

 面白いのは、友人が「帰ってきたら」というところ。メロスとは逆のパターンです。森見さんのメロスで人質になる男は、友人のことを全く信用していません。「あいつは必ず俺を裏切って帰ってこない」、そう確信しています。ややこしい言い方になりますが、「信用しないという信用の仕方」なのです。このような偏屈な設定は、森見さんの作品を読むうちにだんだんと病みつきになっていきます。

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 こんな風に文学作品を面白くアレンジする試み、私は大賛成です。世の中にはたくさんのパロディーが溢れています。筋肉ムキムキのアンパンマンや、実写版のドラえもんのCMなどを見たことある方は多いと思います。

 それが原作を汚すものなのか、楽しいおふざけなのか。それを分けているのは、「原作への愛・リスペクト」の有無です。森見さんの作品を読んでいると、原作への愛に溢れていることが伝わってきます。原作をこの上なく愛したうえで「楽しいおふざけ」ができている点が素晴らしいです。パロディーものでは抜群のクォリティーを誇ります。

パロディーが走り出す



 先月読んだ、坂口安吾の「桜の森の満開の下」も収録されていました。
#35 桜にざわわ (桜の森の満開の下 / 坂口安吾)

 満開の桜に人間が感じる怖さを書いたこの作品。「桜が怖い」という絶妙な心理をしっかりと作品に生かしつつ、これも森見さんの物語へと見事にアレンジされていました。

 日本には数多くの文学者がいます。それぞれの時代に、数多くの名作が生まれてきました。そして、今に至ります。私は、この日本文学の系譜に森見さんの名前も大きく刻まれてほしいと思っています。日本文学をこんなにも愛し、こんなにも楽しく書ける森見さん。日本文学のバトンをしっかりと受け継ぐことができている一人です。

 「走れメロス」の冒頭文は今でも大人気です。ツイッターではこの冒頭文をアレンジした面白いツイートがしばしば出回っています。
ツイッターで生まれ続ける「走れメロス」パロディー

 日本文学というとどうしても堅苦しいイメージがありますが、こんな風に楽しいイメージに変えてくれる動きがあるなら私は大歓迎です。このブログでも何作か日本文学作品のレビューを書いてきましたが、堅苦しいイメージを少しでも取り払って、興味を持っていただけるきっかけにしてしただけたらな、と思っています。ぜひ、今後も日本文学のレビューにご注目ください!

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に溢れる楽しすぎる文学パロディー!ほとばしる才能を感じます。

 最近読む作品がどうしても難解なものばかりだったので、よい息抜きになりました。こんな風に楽しく文学を料理できる腕にはあこがれてしまいます。



こちらもどうぞ

「恋文の技術」 森見登美彦さん
 このブログ2冊目のブックレビュー。日付は1月17日です。レビューを書きなれていないので、どこか初々しい感じがあります。手紙形式に森見さんの「天才のリズム」を感じた名作!
小説, 森見登美彦,



  •   11, 2015 18:03

  • 文が小説になりました

    書影

    恋文の技術
    森見 登美彦(著)
    ポプラ社 発売日:




     こんにちは、おともだちパンチです。ブックレビューの第2回は、森見登美彦さん「恋文の技術」をご紹介します。実は私のハンドルネーム「おともだちパンチ」は森見さんの「夜は短し歩けよ乙女」という作品から頂戴しているものなんですね。森見作品の魅力はどこにあるのか、そういったことも考えながら、以下「恋文の技術」のレビューです。



    手紙の魅力



     「恋文」「文通」・・・この言葉の響きだけで、ご飯3杯は食べられそうな気がします。主要なコミュニケーションツールがLINEやtwitterなどのSNSにとって代わってしまった今でも、直筆の手紙が持つ魅力は色あせることを知りません。手紙にはどんな魅力があるのでしょうか。森見さんは以下のように書いています。

    なぜあんなにも夢中になったのであろうと考えるに、それは手紙を書いている間、ポストまで歩いていく道中、返信が来るまでの長い間、それを含めて「手紙を書く」ということだったからだと思います。



     SNSは「直感」と「瞬発力」のツールでしょう。数えきれないくらいの言葉が次々に生み出されては、それらの多くはすぐに消えていく・・・。「思い」を込める暇もなければ、「思い」を読み取る暇もない、そんなことが時に気ぜわしさとなり息苦しさとなります。じっくりと、ゆっくりと・・・手紙からその人の思いを手探りで掴んでいく、そんな体験に現代人は飢えているのかもしれません。

    天才のリズム



     さて、作品をみていきましょう。くだらなくも愛おしい、何だか癖になる文章はこの作品でも健在です。「桃色ブリーフ」「阿呆」「破廉恥」「おっぱい」・・・といつもこんな感じなのでありますが、神出鬼没で当意即妙、摩訶不思議なその文体には熱狂的なファンが数多く存在します。一見くだらないようなことを、これほどまでに愛おしく描ける、これこそが森見さんの才能なのだと思います。

     能登の地で一人懊悩する大学院生、守田一郎が、様々な人と手紙のやり取りをする本作。ユーモアが混ざったテンポのよい文体に、「ああ、文才あるな」と読み進めるのですが、恋する相手、伊吹さんのこととなるとそんな手紙の調子は一転。気取ってみたり、砕けてみたり、改まってみたり・・・どこかちぐはぐな彼の恋文が展開される第9話「失敗書簡集」には大いに笑わされました。今作は「手紙」という手法を取ったことで、森見さんの文章の魅力がいつもにも増して感じられたように思います。その心地よいテンポはまさに「天才の文才」。思わず声に出してみたくなる、そんな名文が詰まっています。

    息苦しい現代社会へ



    「教訓を求めるな、ということです。教訓を得ることもできない阿呆な話が人生には充ち溢れているということです」



     この一言がよかったですね。森見さんが描くような大学生活を送ってみたい、と思っても、現実はなかなかそうはいきません。乾ききって、息苦しい世界に窒息しそうになります。肩の力を抜いて、背筋を伸ばさず、思いっきり笑う、そんなことが小説の中なら許される、そこに心地よさを感じます。

     ニッコリ笑って「やむを得ぬ!」、伊吹さんのそんな微笑ましい姿が最後に描かれていました。しかめっ面で「許さぬ!」とばかり言っている現代社会にも、こんな人が増えるといいんですけどね。



    オワリ

    「新釈 走れメロス他四篇」 森見登美彦さん

     「走れメロス」や「桜の森の満開の下」など、日本文学の名作がパロディーになりました。文学が森見さんの作風に染まっていくのが分かって面白いです。

    小説, 森見登美彦,



    •   17, 2015 12:24