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 2人の母親が出てきます。血のつながった実親と血のつながっていない養親です。血がつながっているかいないか。一生変えることのできない大きな違いですね。けれど、「血のつながり」というものに苦しめられながらも、そこには確かに母親になろうとした2人がいたのでした。

朝が来る
朝が来る
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辻村 深月
文藝春秋
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 辻村深月さんの『朝が来る』は、特別養子縁組をテーマにした小説です。ミステリー作品を多く書かれている辻村さん。本作も序盤である事件が訪れるのですが、それはメインとなるものではありませんでした。この小説は、2人の母親を見つめ、「家族」を問いかける小説です。

 子供が辛い思いをしなくてはいけない小説は、読んでいて一番胸が苦しくなります。



内容紹介



家族

 「子どもを返してください」
 「実の母親」からの、あまりにも悲しい脅迫


 主人公の栗原夫妻には、朝斗という息子がいます。夫の清和と妻の佐都子(さとこ)は、まっすぐに、息子のことを信じ、育てていました。冒頭、朝斗の通う幼稚園である「事件」が起きます。けれど、佐都子の態度は揺るぎませんでした。子供のことを、最後まで信じ抜こうとしたのです。

 そんな立派な夫婦ですが、実は朝斗は二人の血のつながった子供ではありませんでした。夫婦が利用したのは「特別養子縁組」の制度。不妊治療の末に子供を授かるのをあきらめた夫婦でしたが、その時にこの制度に出会ったのです。

 血はつながっていない。けれど、朝斗は大切な「息子」だ。栗原夫妻は、手を携えて毎日を送っていました。

 平穏な生活が一変したのは、ある一本の電話からです。電話に出た佐都子の耳に、信じがたいような声が聞こえてきました。

「子どもを、返してほしいんです」
「それがもし、嫌なら」
「お金を、用意してください」



 夫婦にとって、それは信じがたい言葉でした。二人は、朝斗を引き取る前に実の母親に会っていたからです。「ごめんなさい、ありがとうございます」と頭を下げる若い母親の姿を二人は思い出します。あの人が、「お金を用意してください」などと脅迫めいたことをするはずがない。二人はそう確信するのでした。

 「あなたは、誰ですか」。夫婦は、勇気を出して目の前に現れた女に問いかけます。目の前にいるのは、本当に朝斗の実の母親なのでしょうか。

 実の母親の名前は「片倉ひかり」。彼女には、子供を手放すしかない、壮絶な人生があったのでした。

書評 ~お母さんとお母ちゃん



◆ 家族に「なる」

 まずは作者の辻村深月さんについて。このブログでも何冊も紹介してきました。とてもきれいで、整った文章を書かれる方です。読みやすく、読んでいてストレスがないという点では1番だと思っています。それでいて、登場人物の心に優しく寄り添う描写は胸に響きます。基本はミステリー作家ですが、どこか温かい作品を書かれる方です。

 では、作品の中身に入っていきます。今回の記事のタイトルは「お母さんとお母ちゃん」にしたのですが、これは朝斗くんが2人の母親を呼ぶときの呼び名です。どちらがどちらかは、大体分かりますね。実の母親が「お母ちゃん」、養親である佐都子さんが「お母さん」です。

 子供の自然な感情というか、距離感がよく現れているように思います。でも、これはどちらかが優れているというわけではなくて、紛れもなく2人は「母親」なのだと、読んでいくうちにそう分かります。

 前半は、夫婦が不妊治療を行う過程と、特別養子縁組の制度について丁寧に書かれています。不妊治療という長く苦しいトンネルを抜けて、二人の前に現れてくれた小さな子供は、まさに二人にやってきた「朝」だったのです。これが、朝斗くんの名前の由来になっています。

朝が来る

 特別養親縁組は、子供が赤ちゃんの時に養親が実の親から引き取って、そして戸籍上は実の親子になります。私は、この制度がどちらかというと子供に恵まれなかった夫婦のためにあるのかな、と認識していました。けれどこの制度は、「子供のため」にある。そう書かれていて、感じ入ることになります。

「特別養子縁組は、親のために行うものではありません。子どもがほしい親が子どもを探すためのものではなく、子どもが親を探すためのものです。すべては子どもの福祉のため、その子に必要な環境を提供するために行っています」



 実の親と過ごすことが、子供にとって本来一番の幸せであると思うし、本当なら全ての子供がそうあってほしいと思います。けれど、理由があって子供を育てることができない親もいますね。そんな時、まさに「断腸の思い」だと思いますが、実の親と離れて、新たな親を探すのです。

 作品の中にも書かれていますが、日本では血のつながりというものに対する信仰がとても強いです。血がつながっていない親子のことを、例え戸籍上は親子だとしても、本当の親子とは思えない人が一定の割合でいるような気はします。

 けれど、この作品を読むとそういう認識は薄まると思います。栗原夫妻は、朝斗くんのことを心から愛し、そして「信じる」。冒頭である事件が起こると書きました。朝斗くんが疑われてしまうのですが、佐都子さんの思いは全く揺るぎません。朝斗くんのことを心の底から信じ切っていました。実の親子以上に、そうだったかもしれません。

 家族というのは、最初からできているものじゃなくて、家族に「なる」んだ

 そんな考えがあってもいいように思います。結婚した夫婦も、元はと言えば他人だったのです。それが、時間をかけて愛をはぐくみ、やがて家族になるのだとしたら、必ずしも子供だって「血がつながっている」必要はないんじゃないか。同じように、時間をかけて家族に「なれる」んじゃないか。私はそう思いました。

 何より、全ては「子供のため」。それが、この作品に注がれる、柔くて温かい朝日の正体です。

◆ 見上げた空だけでつながる

 さて、後半は理由があって子供を手放さざるを得なくなった実の母親、片倉ひかりについての物語です。理由というのは、中学生の時の妊娠でした。若さゆえの未熟さ、と言えば簡単ですが、私は責めることができませんでした。先が見えず、引き返せなくなってしまう。実に、真に迫った描写でした。

 何より、中学生で産んでしまった自分の子供を栗原夫妻に手渡す時、ひかりは心の底から謝り、夫妻に感謝の言葉を繰り返したのでした。この人も、奥底にあるのは「善」だ。私はそう思いました。

 そんな人が、「子供を返さないならお金を出してください」と脅迫するでしょうか。そこまで変わってしまえるものでしょうか。この脅迫してきた人物が本当に「片倉ひかり」なのかどうか、序盤では大きな謎になります。

 読んでいくうちに、少しずつ真相が見えてきて、私は心を痛めることになりました。同じ小説ですが、前半とは、全く異なるタッチです。暗く、本当に明けるのかと思うような夜が続きます。

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 後半はなかなか辛いものです。片倉ひかりの、あまりにも辛い人生が描かれます。たしかに彼女は、間違いを犯してしまって、責められる部分もあるとは思うのですが、それ以上に同情や憐憫を感じます。

 ほんのささいなことから人生はあっという間に暗転してしまって、一度社会の「裏側」に行ってしまったらもう戻っては来れない。何だか既視感があると思ったら、これは昨年紹介した、葉真中顕さんの『絶叫』と同じですね。誰にも救いの手を差し伸べることができない絶望に胸打たれます。また、辛い話を読むことになりました。

 血のつながった家族から愛されず、若くして宿した子供をお荷物扱いされ、家を飛び出した先で社会の闇に飲まれてしまう。ひかりの人生は、あまりに辛いものでした。

 けれどやっぱり、彼女は朝斗くんの「実の母親」なのだと、そう思い出させてくれるシーンがあります。暗い夜のような後半に、ほんの一瞬ですが朝日が差しこむのでした。

ねえ、なんていう、大人の女の人が言うような言葉遣いをするのは初めてだった。してみたら、なんだか自分が“母親”のようだった。“お母さん”のようだった。



 ふわり、と芽生えた「母親」の意識。誰にも否定できるものではありません。唯一の、血のつながった母親なのです。そして、目の前に浮かんだきれいな空。ひかりは、こう決心します。

逃げることも、育てること、この子の誕生日も祝うこともない代わりに、覚えていよう。この子と今日、一緒に、すごくきれいな空を見たことを。



 実の親と一緒に過ごすことが一番の幸せだ、という先程書いた思いは変わりません。けれど、このひかりの決意も、私には否定できません。「覚えている」、それも、母親としての務めです。そして、彼女が未熟なリにも下した、紛れもない、母親としての「決意」です。

 ひかりが「善」の人だというのは分かっていただけたと思います。だからこそ、脅迫めいた行動をした女性のことが分からなくなりますね。この人は本当に「片倉ひかり」なのか。片倉ひかりだとしたら、なぜ、こんなことを。

 ミステリーの要素は残しておいたので、ぜひ本を手に取っていただけたらと思います。

◆ 清く、柔い光

まとめ



 最後は、二重の展開が待っています。ひかりが口にした「ある言葉」に、読者は打ちのめされることになると思います。彼女にとって、死ぬよりも辛い言葉だと思うからです。

 けれど、その後でもう一段階。この小説のタイトル通りのことが起こるでしょう。全てが救われるわけではないけれど、この結末でどれほどよかったことか。私は胸をなでおろしました。

 1人の子供に、2人の母親がいる。それはもしかしたら、歪なことかもしれません。けれど、もし2人の母親が、それぞれを形で子供を愛したならば。

あの小さなお母さんは、私たちと朝斗、両方にとっての大事な“お母さん”だ。



 母親が2人いてもいい。私は、たしかにそう思ったのでした。



オワリ

 胸が温まるお話でした。辻村さんは人に優しいまなざしを注げるミステリー作家。そこが一番の魅力です。

 後悔という宿命 -『ツナグ』 辻村深月

 辻村さんの代表作。死者と一度だけ再会できるという設定ですが、それを活かしたとても温かい仕上がりになっています。この作品は構成的にも素晴らしく、辻村さんの本でまずは読んでいただきたい1冊ですね。


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小説, 辻村深月,



家族シアター
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辻村 深月
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れよりも近い、だから離れたい

 家族をテーマに作品を紹介しているこのコーナー、「家族点描」。今回からはそんなテーマにぴったりの作品が登場します。辻村深月さんの短編集、「家族シアター」です。タイトル通り、家族をテーマにした7つの短編が集まりました。辻村さんが書く様々な「家族」の姿をこのコーナーでじっくり追っていきたいと思います。

 今回は一番最初の短編、「『妹』という祝福」を紹介します。テーマは「年子」です。最初の短編からいきなり家族の複雑さをよく象徴したテーマではないでしょうか。生まれた年が1年しか違わない子どもが同じ屋根の人で暮らすのです。当然、衝突があり、葛藤があり、すれ違いがあるのでした・・・。

(約4,700字)



あいつとは違う



 兄弟姉妹と同じ学校に通わなければいけない

 兄弟姉妹がいる方は経験があると思うのですが、自分の兄弟姉妹と同じ学校に通うということは楽しいことだったでしょうか、それとも嫌なことだったでしょうか。仲の良いきょうだいなら楽しいことだったかもしれません。反対に、「あんなやつときょうだいだなんて思われたくない」と嫌悪感を募らせる人もいたと思います。

 最初に告白させてもらうと、私は典型的な後者でした。学校で弟と鉢合わせるたびに、毒づいたり目線をそらしたりしたものです。弟のことで放送で呼び出され、赤面しながら廊下をかけたこともありました。友人との話題で弟の話になるたび、必死に話題をそらそうとしていた記憶があります。毎日家で顔を合わせている人間が同じ学校にいるというのは私にとってそれなりに気まずいことで、いつもどこかで反発をしていました。

 それでも幸いだったのは、私と弟が3学年離れていたことです。3学年離れていたということは、一緒の学校に通ったのは小学4年から6年の3年間だけということになります(弟は小学1年~3年)。中学校はちょうど入れ違えになる形で1年も重ならなかったのですね。「中学校では弟と一緒にならなくていい!」とかなり喜んだものでした。何をそこまで、と思われるかもしれませんが、一緒の学校に通う気まずさや居心地の悪さというものは相当なものがあり、そこから解放されるのは本当にうれしいことだったのです。

 さて、この短編「『妹』という祝福」に出てくる姉妹の場合、状況はより悲惨です。姉と妹は1学年違いの年子なのです。そうすると、一緒の学校に通う期間は何年間になるでしょうか。姉が小学2年~小学6年までの5年間、それに中学2年と3年の2年間を合わせて計7年間です。私は3年間一緒なだけでもげっそりでしたが、その倍以上の期間を一緒に過ごすということになります。

 そして、始末の悪いことに、妹の亜季は姉の由紀枝を心底毛嫌いしていたのです・・・。

学校の勉強や、ピアノや書道などの習い事での成績を誇った姉に対し、私は早々にそれらに見切りをつけた。だったそんなの、何の意味もない。女の価値は顔。かわいかったら持てる技術は評価されるかもしれないけど、ブスでは顰蹙買うだけだ。



 辻村さんというのはこのあたりの描写が大変えげつない方、という印象があります。思わず目をそらしたくなるようなきつい言葉ですが、ここに書かれていることは真実なのでそれがまた苦味を高めます(容姿で得をしたり損をしたり・・・というのは残酷なほどデータで証明されているのです。特に女性の場合は・・・)。

 「姉のようにはならない」、亜季はそうやって姉と決別しようとしてきました。しかし、姉とはいつも同じ学校に通わなくてはいけません。少し想像してみましたが、かなりストレスのたまる状況だと思います。「うざったい」、彼女の性格ならそう思ってしまいそうです。

磁石のような二人



「あれが自分の姉じゃなくてクラスメートだったら、私、絶対ああいう人種と話なんかしないもん。もう、本当嫌になる」



 教室には、いつも2種類のタイプがいました。彼女の言葉を借りるなら、2種類の「人種」がいました。簡潔に表現すると、キラキラした人と、ジメジメした人。人種、という言葉の選び方は正しいと私は思います。2種類のタイプは頭の上から足の先まで全てが異なっていて、絶対に相容れることはないからです。キラキラは「どうしてあんなにつまらない人生を送っているんだろう」とジメジメに嫌悪感を抱き、ジメジメは「どうやったらあんなに楽しく人生を送れるんだろう」と理解できない気持ちでキラキラを見つめます。

 違っているならそれでいいじゃない、それぞれ自分の思うように生きれば・・・というのが私の考えなのですが、この2人の場合そうはいきません。なぜなら2人は姉妹だからです。しかも1学年違い、7年間も同じ学校に通わなければいけない姉妹です。「どうして姉妹なのにそんなに性格が違うの?」と何度も尋ねられたことでしょう。無意味に姉妹を比較されることも多くあったと思います。

 私にもそんな経験がたくさんあったので、この物語にはいつも以上に特別な共感を覚えました。私と弟は、この物語に出てくる姉妹のように性格が正反対なわけではありません。それでも、「弟と一括りにしないでほしい」「自分と弟は違う」という思いが常にありました。人間にはどうにもならない力で反発が働いているようで、それはまるで、磁石の同じ極どうしにはたらく、絶対にくっつかない反発の力のようでした。

 きょうだいの間にはたらく、反発の力。ちょっと考えてみると、なかなか深いテーマだと思いました。その反発の力を考える上でヒントになるのは、実は上に引用したセリフに隠れているのではないかと思うのです。

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 自分の姉じゃなくて、クラスメートだったら絶対に話さない

 たしかにそうなのです。姉妹の性格は正反対で、ただのクラスメートだとしたら交わることはまずないでしょう。「キラキラ」の亜季にとって「ジメジメ」の由紀枝は視野の片隅にも入らない存在だったと思います。逆に、「ジメジメ」の由紀枝にとって「キラキラ」の亜季は同じクラスにいても会話をすることもない遠い存在だったでしょう。まさしく「別の人種」、交わらないまま別々の人生を歩んでいたに違いありません。

 だけど、彼女は自分で言っているのです。そんな別の人種は「自分の姉」で、クラスメートとは違う存在だということを。このセリフは、当たり前のことを言っているようで実は深いセリフだと思いました。自分と姉が姉妹だということを、何とか否定しようとはしてみるのですが、実は逆に認めてしまってもいるのです。そう考えると、なんと味わい深いセリフでしょうか。

私たちには部屋が一つきり。自分が妹として生まれたこと、こういう家に母が私を産んだこと、悔しくて涙が出てくる。

姉は黙ったままだ。私が部屋を出て行くのが自然な流れに思えたけど、それは姉の望みを叶えることのように思えて、何より他に行くところなんかないから、私は黙って座った。涙が流れるまま、それをこれ見よがしに拭いながら姉を睨み続ける。癪だから、声はあげなかった。



 この場面も大変印象に残りました。特に、「部屋が一つきり」という表現が印象的です。深読みのしすぎかもしれませんが、私にはこの場面に出てくる「部屋」というのは兄弟姉妹の姿を象徴しているのではないか、と思いました。

 きょうだいのことが嫌いだ、自分はあいつとは違うんだ。そうやって、何とかして自分と兄弟姉妹を切り離そうとする私を含むたくさんの人たち。そうやって叫べば叫ぶほど、それは自分の兄弟姉妹の存在を強調しているようにも見えないでしょうか。そう考えると、これはとても皮肉な話です。

 自分とは違う、どれだけそう言ったとしても、自分と兄弟姉妹は結局同じ「部屋」の住人です。この話の亜季の姿をもう一度見ていただきたいと思います。涙を流して姉を睨み続ける・・・そうやって精一杯抵抗しては見るのですが、結局部屋からは出て行かないのです。

 「他に行くところなんかないから」、彼女はそう言います。この時点では彼女と姉の関係はまだ最悪なままなのですが(このあと好転します)、この時点で彼女はもう分かっていたのかもしれません。たった一人だけの、自分の姉。たった一つだけの、自分が帰る部屋。彼女が吐き捨てたとおり、「他に行くところなんかない」のですね。

 兄弟姉妹は磁石のよう、と先程書きました。私は兄弟姉妹を磁石に例えるのが好きです。同じ極どうし、頑張ってくっつけようとしても絶対にくっつかないあの様子を見ていると、私はついつい兄弟姉妹の姿を浮かべてしまうのです。

 同じ極=似たものどうし、と考えてみることができます。そう考えると、兄弟や姉妹が互いに反発するのはごく自然なことのように思えてきます。どちらかがひっくり返れば2つの磁石はくっつくことができます。ですが、私にとっての「きょうだい」というのはやっぱり反発しあっている磁石というイメージのほうがしっくりきます。どちらかがひっくり返ると、他方も負けじとひっくり返って、そんなことを繰り返しながら永遠に反発しているような、そんなイメージです。

 くるくるくるくると回転を繰り返しながら、永遠に反発しあっている。一人っ子の人からするとばからしい光景かもしれませんが、そうやってくるくると回転を続けながら、私は成長してきたのだと思います。そして、この話に出てくる姉妹も、きっとそうなのだと思います。

きょうだいの役目



 姉のことを心底嫌ったいた亜季でしたが、ある事件をきっかけに姉の意外な行動に触れることになります。そして、彼女は「一つきりの部屋」に駆け込んでいくのです。そういう話の流れは十分予想できたとはいえ、「やっぱりそうこなくちゃね」という安心感があったことも事実です。私にもまた、私たち兄弟だけの「部屋」に結局は駆け込んでいる一人なのでしょう。

 ある事件や姉の行動については本を読んで確かめていただくことにして、ここでは最後に1つ印象的な場面を紹介することにしましょう。時は流れ、姉の結婚式の場面です。姉から妹へ、こんな手紙が送られました。

家族点描

中学校時代の私、山下由紀枝にとって、唯一の自慢は、自分にかわいくて人気者の妹がいる、ということでした。友達も少なく、男の子とも無縁な私の憧れを全部かわりに生きてる亜季は、当時の私がすがりついていた価値のすべてでした。いつまでも、その頃のかっこよさを持った亜季でいてください。



 自分が一人っ子だったらどうだったろう、とたまに想像することがあります。弟と一緒の学校に行かなくてよくて気楽だったでしょうか。部屋を一人で使えて快適だったでしょうか。・・・・・・どれだけ考えても、そんな風には全く思えませんでした。

 この小説の最後に、「役目」ということばが出てきます。かっこいい妹だった、そういわれた亜季は、決意するのです。かっこいい妹として生きることは私の役目、それも悪くないじゃないか、と。

 この結末に、私はとても納得しました。兄弟や姉妹の幸せなところというのは、「役目」ができることかもしれません。兄の役目、弟の役目、姉の役目、妹の役目。上で「成長できた」と書きましたが、成長できた一因にこの「役目」があったことに気付きます。

 兄として生きる、弟として生きる、姉として生きる、妹として生きる。それはたぶんとても素敵なことで、私はそんな素敵なものを両親からもらうことができました。改めて感謝したいと思います。正直、弟が好きだなんて素直に言えるようになる日はまだまだ遠そうです。けれど、大切なことは忘れずにおこうと思います。自分の「役目」、そして自分の「部屋」、その2つです。



家族点描

 冒頭にも書いたとおり、辻村さんのこの『家族シアター』という本は様々な家族の姿を書いた短編集です。1つ1つのテーマを今回の記事のように丁寧に掘り下げていくことができそうです。今後定期的に紹介していこうと思います。

「家族点描」スケッチブック

 まだ3回しかやれていないとはいえ、私の感触的にはとてもお気に入りのコーナーです。家族について、これからどんどん掘り下げていこうと思います。


小説, 辻村深月,



  •   09, 2016 16:58
  • オーダーメイド殺人クラブ   「私を、殺してくれない?」-それは、悲しい青春の記憶。

     辻村深月さんの最大の魅力は、心の底をえぐるような心理描写の巧みさにあります。あらためてそのことを思いました。辻村さんの鋭い描写は、「青春」というもっとも繊細で、もっとも難しい時期の心を、容赦なく切り裂いていきます。

     ミステリー作品を特集している「ミステリーナイト」、第2回は辻村深月さんの「オーダーメイド殺人クラブ」を紹介します。自分を殺してくれと頼む主人公の少女-悲しく、愚かで、切ない記憶の物語です。



    ミステリーナイト   second night × mizuki tsujimura

    ヤギ  Introduction


     主人公の小林アンは、平凡な中学校に通う、平凡な中学生です。しかし、彼女は自分が置かれている状況を、冷めた視線で、鋭く切り捨てていました。

     彼氏がいる、いない-そんなことでいがみ合うくだらない友人関係。教室に存在するヒエラルキーの存在。何もかも中途半端で、ぬるい母親。平凡な生活の中で何かを燻らせていくアン。そんな彼女が惹かれたのは、テレビや新聞の向こうにいる、少年・少女たちでした。

    特に珍しくもないことのように、私たちと同じ年の子が自殺したり、事件に巻きこまれたり、或いは殺人事件を起こしたりしてる。そのたび、私はその子たちに遅れてるんじゃないかと、少し焦る。



     自分が平凡な生活を送る一方で、自ら命を投げ打ったり、あるいは人の命を奪ったりする同年代の少年・少女たち。その子たちが自分の先を行くようで、特別な存在であるようで・・・。彼女はある思いを胸に秘めます。自分も、自分の命を投げ打って、「特別」な存在になる-。

     アンの隣の席に座っている、徳川というクラスメートがいました。目立たない存在でありながら、内に秘めた「何か」を感じさせる徳川。何かを勘付いたアンでしたが、ついに、決定的な場面を目撃してしまいます。それを見たアンは、ある決心をするのです。アンは徳川にこう言いました。

     「私を、殺してくれない?」

     「いいの?」そう答える徳川。そこから、ついに幕が開きます。「特別」になるために、二人で作り上げる殺人事件。「悲しい青春のミステリー」が始まります。

    ヤギ春は死とともに

     人に殺されたい少女と、人を殺したい少年。二人が、静かに、しかしそれでいて確固たる約束を交わしました。「特別」になるためには、普通の殺人事件ではいけません。どんな場所で、どんな方法で、どんな動機で・・・二人はノートに殺人計画を描いていきます。誰かを殺す計画ではなく、「自分が殺される計画」。そこには、青春と「死」の、悲しい絡み合いがありました。

     主人公たちは中学2年生。作中に「中二病」という言葉が出てくるように、この時期の子どもは様々なことに悩み、思いつめ、そしてこじらせていきます。もっとも若々しく、「生」が輝く時期ですが、この時期は同時に「死」のことを強く意識する時期でもあります。

     死ぬことで、特別な存在になれるのではないか-アンのその思い自体は、そこまでおかしなものではありません。青春の時期独特の歪み、こじらせ、勘違い・・・。中学生、高校生という時期を終えたから、私も冷静に振り返ることができます。ですが、私の中にもそういった歪みはありました。若い世代というのは、悪い意味で「想像力」がたくましいのです。

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     そんな難しい青春を、辻村さんは見事に描き出していきます。「私を、殺してくれない?」という衝撃のセリフが飛び出すまで、単行本で100ページ以上。そこまでじっくりかけて、少女の心理を鋭く、それでいて切なく描いていきます。

     自分が殺してもらえる-そのことをはげみにして生きていくアン。理解できないことかもしれませんが、殺されて特別な存在になる、ということが彼女の「生きる意味」だったのです。

    「-私は、徳川に殺してもらえる」
    「来年までに、私は、徳川に殺してもらえる。殺してもらえる、殺してもらえる」
    呪文を唱えるように口にすると、息が切れた。

    「殺してもらえるから、大丈夫!絶対、大丈夫!」



     異常な少女だと思われるかもしれません。しかし実際に本を読んだとき、そういった印象はあまり持たれないと思います。殺されて特別になりたい、という表向きの動機は異常だったとしても、彼女の根底にあるのは、「自分のことを認めてもらいたい」という思いなのです。

     「これは、悲劇の記憶である」、彼女はそうノートに書きます。何度も繰り返される「悲劇」ということば。私はこう思わずにはいられませんでした。青春とは、誰もが通る「悲劇」ではないのか。

     辻村さんの心理描写は本当にすごいのです。鋭い刃のような描写が、人間の奥底にあるあらゆるものを掻き出していきます。少年少女が主人公で、この時期特有の歪みを描いているということで、道尾秀介さんや米澤穂信さんの作品を思い出しました。しかし、雰囲気は似ていても、この作品には辻村さんだけの「色」があります。

     

    私は自分が消えてしまった後の、来年以降のここの光景を心に思い描く。そうすると、苦しかった呼吸が少しだけ楽になる。

    私は死ぬことで、この平凡な中学で唯一の伝説になるのだ。



     物語は進んでも、「殺されたい」というアンの決意は揺るぎません。一つ間違えれば崩れ去ってしまいそうなこの危ない物語。こんな物語を成立させることができるのは、辻村さんだけでしょう。

    ヤギ劇のゆくえ

     ミステリー作品として紹介していますが、何かを推理するといった要素はありません。ただ、ミステリアスで読ませる小説だと思います。「殺してほしい」「殺したい」という二人の思いは全く揺るぎません。計画実行の日に向かって、時は着々と流れます。「このままアンは殺されることを選ぶのだろうか」その一点が、読者を惹きつけるでしょう。

     途中には、何度か山場があります。複雑に入れ替わるスクールカースト。死にたいと思いながら生きているアンにさらに追い打ちをかけるような出来事。そして、アンが徳川に「殺してほしい」と頼むきっかけになった「ある場面」も重要です。この場面は、後半への重大な伏線となります。凄まじい展開とそれでも揺るがないアンの決意に、私は言葉を失いました。

     殺人は、決行されるのでしょうか。悲しい悲しい、青春の悲劇の記憶は、どのような形で幕を下ろすのでしょうか。

     待ち受けていたラスト、私は好きでした。切なくて悲しくて、でも胸に広がる何ともいえない気持ち。今日の記事のタイトルにした、「悲劇への追憶」ということばが、胸に染みわたってきました。




    ミステリーナイト

     「ミステリーナイト」、盛り上がってきました。結末まで一気に読ませる力は、やはりミステリーならではといった感じです。湊かなえさん、辻村深月さんという鋭いミステリーの書き手が二人続きました。次回はガラッと雰囲気を変えていこうと思います。薬丸岳さんが登場する予定です。

     歪んだ愛のミステリー
    「Nのために」 湊かなえさん

     悲しい青春のミステリー
    「オーダーメイド殺人クラブ」 辻村深月さん

     「ミステリーナイト」は4回シリーズの予定です。


    小説, 辻村深月,



    •   19, 2015 21:46

  •  じっくりと時間をかけて読みました。そうする必要があった本です。心がかき乱される、という表現がもっともしっくりくるでしょうか。評価が分かれそうですが、私の中では今年読んだ中で間違いなく3本の指に入る、そんな作品でした。

    ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。 (100周年書き下ろし)
    辻村 深月
    講談社
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     辻村深月さんの本は久しぶりで、すっかりこの感覚を忘れていました。この方は「エグい」のです。ここまで踏み込んだ、鋭い描写ができる作家さんはなかなかいないと思います。今回もそうでした。「この人の描写は神がかっている」、そんな風に思って放心してしまう場面がいくつもありました。そんなわけで、かなり読み終えるまでに時間がかかりました。



    何かにすがるように



     始まりにあるのは3ページのプロローグ。ある娘が、母親を殺した―。そんな衝撃的な事実が示唆されます。しかし、そこには語り尽くすことのできない何か複雑な事情があるようです。一体、何が。そんな余韻から、物語は始まります。

     場面は変わり、第一章です。何の説明もなく始まるので、何が起こっているのかを捉えるには、少し時間がかかります。第一章の主人公は、神宮司みずほという30歳の女性です。ライターとして働く彼女は、結婚し、それなりに幸せな人生を手に入れました。そんな彼女は、ある人を探しているようです。

     探し人の名前は、望月チエミ。のぞみの幼なじみです。彼女はある事件のあと、突然行方をくらましました。彼女の母親が、自宅で刺殺されていたのです。状況から、彼女が犯行に及んだことが濃厚で、チエミは重要参考人として手配されています。

     というわけで、プロローグに出て来た女性はチエミでした。しかし、これは単なる憎しみから来る殺人事件ではありませんでした。未婚のOLで、地元で両親と暮らすチエミ。結婚したのぞみとは対照的な環境です。事件が起きるまで、のぞみはチエミのことを気に留めてはいませんでした。

     そんなのぞみが、事件を知って、何かにすがるようにチエミを追います。
     チエミもまた、何かにすがるように逃げ続けます。

     何が、二人の女性を突き動かすのでしょうか。
     「仲が良い家族」と必ず言われたチエミの家。そこで、なぜ殺人が起きてしまったのでしょうか。

    えぐられる刃



     この本の読後感を上手く伝えてくれるような、そんな箇所がありました。

    「刃物をただ刺すだけじゃ生ぬるい。一番いいのは、突き刺した刃物をそのままぐるって回すことなんだって教えてくれた。そうすると内臓がめちゃくちゃになって、空気が入って、助からなくなる。確実に致命傷になる」



     辻村さんの描写はエグい。自分の心に刃物が刺さり、それだけではとどまらず、ぐりぐりと回されていくようです。読む途中で、何度も放心状態になりました。心の奥底から、えぐりとられる内面という塊。こういった描写をさせたら右に出る作家はいないのではないのでしょうか。

     女、というものを底の底まで見透かし、見つめ、描き切っています。

    誰がリーダーか、相手が何を言えば喜ぶのかを、女なら誰でも本能で読む。「私、~な人だから」という、強い自己主張の言い回し。自分の個性を仲間内人に踏み込ませない、かぶらせない、かぶらせまいとする予防線。私たちは互いを褒め合ってばかりいた。「かわいい」、「かわいい」。



     人と人は、平等ではいられません。かならず格差が生じます。そんな時、格差の「上」の側にいる人間が密かに抱えている、甘え、驕り、安住―。

    「みずほは甘ったるいよ。自爆って言いながら、絶対に悲劇が起こらない場所ばかりを慎重に選んで歩いてる気がする」


     私はこのセリフが一番刺さりました。「もう、やめて」、そう耳をふさぎたくなるくらいに。

     さて、ストーリーに戻りたいと思います。「仲が良い」、誰もがそう言っていた家で起きた殺人事件。しかし、「仲が良い」の裏で顔をのぞかせていた危険の兆候に、みずほや周りの人々は気付いていました。

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     あの家族は、何かおかしい―。そんな憂いは、最悪の悲劇という形を見ることになります。家族の愛は、とても深いものです。しかし、そこには恐ろしい刃が潜んでいます。愛が、強くなって、濃くなって、その先に今回の悲劇がありました。

     愛の裏にある、「歪み」。愛することは、かけがえのないことでしょう。ですが、その裏には、制御できない恐ろしい魔物が棲んでいます。

    どうして、お母さんを殺したの。何故それは私の家ではなく、あなたの家だったのだ。娘に殺されて死んだのは、何故、私の母ではなく、あなたの母なのだ。



     みずほとチエミ。二人の思いが交錯したこの箇所がハイライトでしょうか。

    愛の表と裏



     第二章の語り手はチエミです。どうして母親を殺さなければいけなかったのか。その全てが語られます。第二章の冒頭は、いきなり衝撃的なセリフから始まります。夜中の部屋で、声にならない叫び声をあげました。

     ゼロ、ハチ、ゼロ、ナナ。このタイトルの意味が、最後になってようやく明らかになります。このタイトルも、「愛」にかかわるものでした。そういうと、勘の良い方は気付かれるかもしれませんね。私は夢中で読んでいてタイトルのことが頭から飛んでいたので、ようやく意味が分かった時、また声にならない叫び声をあげることになりました。

     愛は人間のかけがえのない感情です。ですが、その「表」だけ見ていてはだめなのだと思います。この作品のように、「裏」を徹底的に見つめなければ、本当の愛にはたどり着けないのだと思います。

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    の親子に、何が―。歪んだ愛が行く先、見せるもの。
     
     おすすめしたいような、したくないような、そんな作品です。読み切るまでに使った体力、という点では間違いなく今年一番でした。心がかき乱されますが、辻村さんのたしかな筆力を改めて感じることのできる一冊です。



    こちらもどうぞ

     辻村さんはこれで3作品目。作品と作品に関連があるそうで、本当は読む順番があるのかもしれませんが、私はランダムに読んでいます。この先もたくさん読みたいです。怖いですが、抜群の力量を持った作家であることは間違いがありません。

    「島はぼくらと」 辻村深月さん
     前回の作品。比較的「キレイ」ですが、この作品にもやはり「エグさ」はあります。

    「ツナグ」 辻村深月さん
     こちらは代表作。ブログを始めたばかりの頃で、文章が下手くそです。この本の魅力を最大限に伝えることができるように、いつか再読して、もう一度書こうかな、と思っているところです。
    小説, 辻村深月,



    •   20, 2015 22:55