HOME > 荻原浩
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





  •   --, -- --:--

  •  今週末から、大学の期末レポート執筆のため、一時的にブログを離れます。記事は予約投稿で対応する予定です。全部で7本あるレポートのうち、今日はやっと1本が完成して、少し気持ち的に楽になりました。明日はさらにもう1本完成する予定です。今日は祝日でしたが、大学の図書館は超満員でした。レポートに追われるのは皆同じで、図書館には殺気が漂っていました・・・。大学生、やってます。

    家族写真
    家族写真
    posted with amazlet at 15.07.20
    荻原 浩
    講談社
    売り上げランキング: 359,829


     時期を考えると、テスト前に読む小説はこれが最後になるかもしれません。しばらく小説を読む時間が無くなるので、小説のよさをじっくりと噛みしめながらレビューを残しておこうと思います。紹介するのは、荻原浩さんの「家族写真」という作品です。荻原さんの作品は3冊目ですが、良い意味で分かりやすく、読みやすい作品ばかりです。



    ほろほろほろり



     荻原浩さんは、大変コミカルでテンポのよい文章を書かれます。この本の軸となる「中年男性」は荻原さんがもっとも得意とする人物ではないでしょうか。

     口を開けばオヤジギャクが飛び出し、子どもと妻からは馬鹿にされ、体からは加齢臭が漂う・・・そんな典型的な「オヤジ」の姿を、ユーモラスに、そしてちょっぴり切なく描きます。コントを楽しんでいるような感覚で読むことができるかと思います。

     2つ目の短編、「磯野波平を探して」などはその典型です。タイトルを見ただけで、オヤジの悲哀というのがひしひしと伝わってこないでしょうか?波平さんと同じ54歳になった主人公が、波平さんのことを思い、語りかける形で物語は進行します。年相応の振る舞いをしようとがんばる主人公ですが、なんとも痛々しくて、心がひりひりします。

     三十代の頃は、四十になれば何かが変わると信じていた。四十代になってからも、五十になれば何かが見えてくると思っていた。

     だが、実際には、何も変わらない。何も見えやしない。四十九歳の最後の夜が明け、五十歳の朝になっても、寝ぼけまなこの自分がいるだけだ。

     いつになったら、不惑が来るというんだ、なぁ、孔子。


     目をそらしたくなるような部分ですね。人間が輝いていられるのはいつまででしょう。人生の「下り坂」はどこから始まるのでしょう。大学生をやっているうちは、まだこういったことは考えないでおきましょうか・・・。

    しりとりに乗せて



     「しりとりの、り」という作品は、ドライブをする家族が車の中でしりとりをして、そのしりとりで物語が進んでいくという大変面白い構成をとります。テンポのよい荻原さんらしい発想だと思います。

     一家のお父さんとお婿さんがしりとり対決をするのですが、お父さんは娘の結婚相手であるお婿さんにどうしても意地悪をしたくなるのです。そこでお父さんは、「る」で終わる言葉でお婿さんを攻め立てる、という作戦に出ます。

    「いくぞ。しりとりの、『り』からだ。『リール』」
    「ルキノ・ヴィスコンティ」
    「人名はなしだ」
    「では、ルクセンブルグ」
    「グーグル」
    「類題和歌集」
    「ウシガエル」
    「ルポタージュ」
    「ゆ・・・ゆ・・・『夕立ガエル』」
    「お父さん、ずりいよ。そんなカエル、いないよ」
    ・・・(疲れたので中略)
    「ふふふ、そろそろ苦しくなってきたようだな。とどめか。『ウール』」
    「ルネッサンス」
    「スリル」
    「ルッコラ」
    「ラ・・・ラ・・・ラーメンライスにビール」
    「あなた、それ反則」


     何とかして「る」のつく言葉にもっていこうとするお父さんと、それに対してさらっと「る」で始まる言葉を答えるお婿さん。お婿さんに意地悪をしてやろう、自分のかっこいいところを見せようという意識が見え隠れして、これもまた「オヤジの哀愁」を感じさせる話です。この後もしりとりは続くのですが、結局お父さんは負けてしまいます。どうにもこうにも、情けないオヤジです。

    a1800_000008.jpg

     面白い話ばかりではありません。センチメンタルで、心がやけどしそうな、そんな切ない話を書けるのも荻原さん。この本の中では、「プラスチック・ファミリー」という話がそれに当たります。

     独身の男が、マネキンを拾います。男はそのマネキンに昔職場で恋をした女性の姿を重ね、マネキンと同居し始めるのです。

     あらすじをこれだけ書いただけで、この話の切ない雰囲気が伝わってくることでしょう。

     「俺の人生は間違っちゃいない」

     力んだ表紙に放屁した。ほらな、屁をこいても誰にも顔をしかめられない。なんと素敵な人生だろう。

     「結婚するやつは馬鹿だ」


     いたたまれなくなってきます。この話は笑い要素が少なく、全体的にシリアスな雰囲気です。雨の日のアスファルトの匂いがするような小説だと思います。心地よいにおいではないけれど、どこかで求めたくなるようなにおい・・・。荻原さんの作品の中では、こういう雰囲気を出す作品が一番好きです。

    家族はそれぞれ



     家族というと、どうしてもそのイメージを美化してしまいがちです。一家団らんの幸せな家庭を思い浮かべる人が多いのではないでしょうか。

     私はそうではなくて、家族の中にある、家族独特の「臭み」のようなものを大事にするべきだと思います。それは、家族以外の人たちにとってはあまり心地のよいものではないです。他の人の家に上がると、心がざわざわして、心の奥にどこか不快感が生まれませんか?それは、その家庭にある独特の「臭み」を感じ取っているからだと思います。

     家族を描いた小説、中年男性を主人公にした小説はたくさんあるのですが、よい作品にはこの「臭み」があります。臭みがないと、薄っぺらい物語にとどまってしまうでしょう。家族臭さ、人間臭さ、こういったものはとても大事です。

     読んでいながら、心がひりひりして、途中で本から顔をそむけたくなる。そんな作品に出会えたら、それはきっと素敵な「家族小説」です。

    LogoFactory+(1)_convert_20150405222943.jpg
    たたまれなくなるオヤジの悲哀・・・荻原浩さんが送る、心がひりひりする短編集

     この作品を読んでの感想は単純です。「ああ、年はとりたくないなあ」・・・。若さ、今のうちに大事にします。



    こちらもどうぞ

    「ビタミンF」 重松清さん
     私が上に書いたことをそのまま体現したかのような小説です。家族の臭みを書かせたら重松さんは間違いなく日本一でしょう。直木賞を受賞した代表作です。

    「明日の記憶」 荻原浩さん
     こちらは今日紹介した荻原浩さんの代表作。若年性アルツハイマーをテーマにしたシリアスな小説です。レビューを読み返してみると、私は人生の下り坂について考えていました。荻原さんの作品を読むと、同じことを考えるんですね。
    スポンサーサイト
    小説, 荻原浩,



    •   20, 2015 23:55

  •  若年性アルツハイマー。
     65歳を超えてから発症することの多いアルツハイマーが、40~50代の中年時に発症するもの。記憶障害に感情障害・・・当たり前にできたことが徐々にできなくなる、「年齢の逆行」ともいえる病気です。アルツハイマー患者の平均余命は約8年。40、50代でこの病名を言い渡されることは「ゆるやかな死刑宣告」に等しいものです。

    明日の記憶 (光文社文庫)
    荻原 浩
    光文社
    売り上げランキング: 8,518



     今日ご紹介するのは荻原浩さんの「明日の記憶」という本です。若年性アルツハイマーと診断された主人公。その絶望と葛藤の日々を、悲哀たっぷりの文章でつづります―。



    ゆるやかな死刑宣告



     「誰だっけ。ほら、あの人」

     最初は、ふとした物忘れからでした。物忘れの「つもり」でした。徐々に悪化していく物忘れ。仕事で続くミス。・・・主人公に突き付けられたのは、「若年性アルツハイマー」という残酷な診断でした。

     主人公は広告代理店で働く営業部長、佐伯雅行。49歳の彼は、仕事では重要な契約が決まり、プライベートでは娘の結婚が決まるなど、公私ともに充実した人生を送っていました。

     そんな彼に突き付けられた病名。受け入れろという方が無理な話です。この病気は「うつ病」と間違われることも多いそうです。高ぶり、荒ぶる感情。理由もなく誰かを怒鳴りつけたくなるなどの症状が現れます。彼の父もまた、アルツハイマーにかかり、壮絶な晩年を送ったのでした。父の死に顔もちらつき、彼は追い詰められていきます。

    「なぜだ―」 なぜだ。なにが悪かったんだ。どこで間違えたんだ。教えてくれれば、そこからやり直す。

    「俺は正常だ。俺は正常だ。俺は正常だ。まだ確定じゃない。まだ確定じゃない。まだ確定じゃない。まだ確定じゃない。まだ確定じゃない。」



     自分が自分でなくなるような恐怖。ことばで語りつくせるようなものではありません。彼の地獄の日々が始まります。

    3つの恐怖



     読んでいくと、彼を苦しめた恐怖には3つの種類があるのではないか、と思います。「記憶がなくなっていく恐怖」「死が迫る恐怖」、そして「社会から疎外される恐怖」です。

    記憶がいかに大切なものか、それを失いつつある私には痛切にわかる。記憶は自分だけのものじゃない。人と分かち合ったり、確かめ合ったりするものであり、生きていく上での大切な約束ごとでもある。(中略)たった一つの記憶の欠落が、社会生活や人間関係をそこなわせてしまうことがあるのだ。

    記憶がなくなっていくことの恐怖が書かれています。私のような健康な人間は想像するしかありませんが、その恐怖はとても想像できるものではありません。記憶を失うことは、他者とのつながりを断ち切られることです。死ぬことと同然、いや、それよりも辛いかもしれません。

     2つ目は、死が迫る恐怖です。49歳の時に突き付けられる「平均余命7年」がいかほどの意味をもつか、これもまた想像のつかないほど残酷なものです。人間が普通に暮らしていられるのは、そこに「死」の影がないからです。死の影が見えた時、穏やかな暮らしは一変します。

     主人公がふとロープを探す場面が出てきます。入ってくる電車に心が揺れる場面があります。本当にリアルです。自殺なんてしてはいけない、そんな正論は吹き飛びます。生きていても、生きている実感がない。死んだ方がまし、という感情はこういうものなのだろうか、と思います。

    a0027_000612.jpg

     この2つの恐怖だけでも胸がはち切れそうなくらい辛いのですが、私が最後に持ってきたのは「社会から疎外される恐怖」です。

    ―少し、休めよ。

     会社から突き付けられた言葉。もちろん、言葉通りの意味ではありません。「お前は用済みだ」、真意はこんなところでしょうか。

     主人公は会社の資料整理課に異動となります。説明するまでもないですが、「用済み社員のお払い箱」です。これまで一線で活躍していたのに、突然そこから蹴落とされる恐怖。先程「生きている実感がない」と書きましたが、人間の生きている実感というのは「誰かとつながっている」「社会に必要とされている」というところからくるものです。それが突然ぶつ切りにされるのですから、まともでいられるはずがありません。

    いままでどおりの、ほんの数か月前までの自分のままでいるために、決壊しようとしている脳みその淵に必死で積み上げてきた土嚢が、一瞬のうちに崩れ、流れ去った。自分はまともだ。普通に仕事をしている。少なくとも普通に仕事をしているように他人には見せている。そう信じていたのは、私だけだったのだ。



     ここは辛かったですね。自分はまだやれる、役に立てる、そう信じたいはずです。ですが、病気は残酷にも彼の身体を蝕んでいきました。

     最後まで読んだのですが、救いの要素はほとんどありません。彼に待望の孫ができるのですが、彼はその孫の名前も思い出すことができません・・・。人に勧めるには、ちょっと辛すぎます。

    下り坂



     すごく残酷なことを書きます。

     人間のピークは、おそらく20歳あたりです。そこから先は、下り坂。20歳までに駆け上がった坂を、残りの人生で、ゆっくり、ゆっくりと下ります。

     平均寿命が延びたというのはすごく良いニュースに聞こえますが、実はこの「下り坂」の距離が長くなったということに他なりません。

     輝いていた若さから、少しづつ下っていく自分の人生。
     
     私はまだ若いので、偉そうなことは言えません。今頂上にいるか、そろそろ下り始めているか、そんなところだと思います。

     それでも、怖いです。この先は、下り坂しかないと思うと、先が真っ暗になるような気分。アルツハイマーにかかって、下り坂どころか一気に崖の下に突き落とされた佐伯さんの人生を見て、自分の「下り坂」もちらついてしまいました。

     誰かとつながっていること。誰かに必要とされていること。人間として生きていくためにはこれが大切ですね。背中をさすりながら、手を取りながら。一緒に坂を下ってくれるパートナーを、早く見つけたいなと思いました。


    小説, 荻原浩,



    •   13, 2015 19:11
  • 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。