HOME > 重松清

 「流星ワゴン」や「カレーライス」などを紹介し、このブログでは贔屓にしている作家の1人、重松清さん。でも実は、私は重松さんが苦手です・・・。

ビタミンF (新潮文庫)
ビタミンF (新潮文庫)
posted with amazlet at 15.05.03
重松 清
新潮社
売り上げランキング: 6,269


 今回紹介するのは直木賞受賞作「ビタミンF」です。苦手と言いましたが、嫌いと言っているのではありません。「苦手」と「嫌い」、似ているけど違いますね。重松さんが素晴らしい作家であることは認めた上で、苦手と書いています。重松清さんが苦手、そのわけとは・・・?



40手前の父



 7つの短編が収録されていますが、作風はかなり似通っています。「40歳を手前にした父親」、これは「流星ワゴン」にも見られたテーマで、重松清さんの徹底したこだわりが見られます。

 共通しているのは年齢だけではありません。作品に出てくる父親は、みな妻がいて、子どもがいて、幸せな家庭があって。これだけ就職もままならない時代に、そんな人生を送っている父親は世間から見れば「勝ち組中の勝ち組」だと思います。

 それでも、人生に不満を持ってしまうのが重松作品の父親たち。幸せで満ち足りている環境に、どこか不満がのぞいてしまうのがなんともリアルなところです。

だが、テレビの画面からふと目を離し、家族を眺め渡した瞬間、不意に思った。
俺の人生は、これか―。
なーんだ、と拍子抜けするような。



 幸せな環境にいるのに、不満をいうなんて何事だ!と怒る人もいるかもしれません。でも、私はこれはとても鋭い描写だと思います。幸せな環境、とはいうけれど、それは他人から見たものでしかありません。その幸せの真ん中にいる当人からしたら、どこかで「つまらない」と思う瞬間があるのかもしれません。

 男で40といったら、ちょうど平均寿命の半分くらい。まさに、「人生の折り返し地点」です。私にはもう少し先の話ですが、その地点に来た時に、自分の人生の残り半分が見えてしまうのでしょうか。

 この作品では、「40手前の父親」が徹底して描写されます。ちょっとくどくなるくらいに、何度も、何度も重なる描写。そこに込められた、重松さんの強い思いを感じます。

子どもが分からない



 もう1つの特徴は、「子どもの気持ちが分からなくなる父親」という構図でしょうか。「かさぶたまぶた」という短編があるのですが、そこに出てくる父親は、娘のことが分からなくなってしまったことに驚き、そして「分かっているふり」をしようとします。

 そんな彼に、試練が待っていました。大学受験で浪人している息子が、酔いつぶれて家に帰ってきました。彼は、息子にこう言い放たれます。

「俺らずーっと、うんざりしてんだよ。あんたに。優香も、お母さんも、そう思ってるんだよ。なんでも自分がカッコつけて余裕こいて、まわりのことばっかり気にしてよお、クソがよお・・・・・」



 厳しい言葉です。息子には、全て見透かされていた―生きた心地がしないでしょう。

 可愛かった子どもが、だんだん大きくなって、ついには自分に反発する日がやってくる。子どものことは何でも分かっていたつもりが、いつの間にか何も分からなくなっている。親子の残酷な面が浮かび上がります。

 ただ、親子の難しさを書きたいなら、父親と母親、どちらでもいいはずです。しかし、重松さんの作品には、際立って「女目線」が少ないです。この話は、全て父親目線。「流星ワゴン」もそうでした。これはどうしてでしょう?

a0002_011998.jpg

 私は、父親が「嫌われ者」になる宿命だから、だと思っています。子どもが息子でも娘でも、一般的には「嫌われ者」の役目を背負うのは父親のほうではないでしょうか。

 大きくなった息子にとって、お父さんほど目ざとい存在はありません。家の中にいる自分より大きな男。思春期には激しくぶつかり、反発しあって・・・。男同士で「朋友」になれる日はまだまだ先です。

 娘にとってもそうではないでしょうか。いつの日か、一緒にお風呂に入るのを拒む日がやってきます。性の話など、デリケートな問題の話し相手はいつもお母さん。お父さんは、自分のことを最も分かってくれない存在です。

 あくまで一般的に、ではありますが、父親が「嫌われ者」になる宿命が見えてきます。40目前で家庭に恵まれている男性は幸せの絶頂だ、という風に書きましたが、案外そうではないのかもしれません。嫌われ者になることが最初から決まっているのだとしたら、これはなかなか辛い仕打ちです。

 そういうことも踏まえた上で、重松さんは「中年の父親」の姿を追い続けているのだと思います。

Fの意味



 さて、タイトルのビタミンFに込められた意味です。作品の最後に、重松さんが解説しています。

family father friend fight fragile fortune・・・・<F>で始まるさまざまな言葉を、個々の作品のキーワードとして物語に埋め込んでいったつもりだ。そのうえで、いま全七編を読み返してみて、けっきょくはfiction、乱暴に意訳するなら「お話」の、その力をぼくは信じていたのだろうと思う。



 Fにはそんな意味が込められていたのですね。「家族」も「父」も「友人」も頭文字がFなのか・・・。

 最後に、私が重松さんのことが苦手な理由も説明しなければいけません。どこか古傷が疼くような、そんな苦しい感覚を覚えます。それは、私が、「心のどこかで家族と正面から向き合うことを避けてきた」、という負い目があるからだと思います。

 だからこそ、家族の姿を、特に父と子の姿を真正面から描く重松さんの作品に、苦しい思いを感じてしまうのでしょう。家族が存在していることは幸せです。ですが、家族と本気で正面から向き合うことは全くの別問題。そこにある苦しさというものを、本当に上手く描く作家さんです。

家庭っていうのは、みんながそこから出ていきたい場所なんだよ。俺はそう思う。みんなが帰りたい場所じゃない。逆だよ。どこの家でも、家族のみんな、大なり小なりそこから出ていきたがってるんだ。幸せとか、そういうの関係なくな



 最後の短編より。この説得力は、いったい何なのでしょう。

LogoFactory+(1)_convert_20150405222943.jpg
族を正面から描き切る勇気。では、正面から「受け止める」勇気はありますか?

 胸が締め付けられるような重松作品。こういう作品を受け止める勇気が読み手に求められるのだと思います。私も40歳に近くなって親の立場になってから読むと、また感想が変わるのかな。



こちらもどうぞ

「カレーライス」 重松清さん
 テーマは「父と子」。小学6年生の教科書に掲載されている作品です。

「流星ワゴン」 重松清さん
 テーマは「父と子」(なんと、私が読んだ作品で同じテーマ3連発!)1月クールにドラマ化されていた代表作。
スポンサーサイト
小説, 重松清,



  •   03, 2015 21:19
  • 1426316397342_convert_20150314160230.jpg

    ょっと辛くて、でも甘い。そんな「反抗期」の味―。
     
     新コーナー「教科書への旅」です。このコーナーでは、小学・中学・高校の国語の教科書に掲載された作品を紹介していきます。教科書の違い・世代の違いはあると思いますが、いずれも名作揃いの「教科書作品」。じっくり味わっていきたいと思います。

     第1回に紹介するのは、重松清さんの「カレーライス」(小学6年生)です。重松さんの「流星ワゴン」を読んでこの作品が懐かしくなりました。ちょっと背伸びをしたくなる小学6年生。揺れ動く心の機敏を、「カレーライス」を通して描きます―。



    あらすじ



     ぼくは悪くない。

     小学生のひろしにはどうしても譲れないことがありました。「1日30分」という約束を破ってゲームをしていたら、突然お父さんにゲームのコードを抜かれたのです。セーブデータは吹き飛んでしまいました。約束を破った自分も悪いけど、いきなりコードを抜くお父さんはひどすぎる・・・。ごめんなさいは言うもんか、ひろしは心に決めます。

     そんな中、お父さんが1週間仕事から早く帰ってくる「おとうさんウィーク」が始まります。冷戦状態のひろしと父。お父さんの作った特製カレーを食べながら、ひろしの戦いは続いていきます・・・。

    a0002_004915.jpg

    この作品の思い出



     6年生になって最初に登場したのがこの作品。6年生の自分はあまりに共感できて胸が痛かった思い出があります。6年生といえば学校の最上級生になり、下級生を前にちょっとしたプライドが生まれてくる時期。自分も例にもれずその一人でした。もう子供じゃないと背伸びして、大人に反抗し始めたこのころ、目の前に立ちはだかるのは「お父さん」です―。

    この作品のポイント



     教科書に取り上げられる作品には「ねらい」があります。どうしてこの作品が採用されたのでしょうか。教科書に書いてあった、この作品の読解ポイントです。

    ・自分の心なのに、うまく言い表せなかったり、どうにもできなかったり。そんな人物の心情と行動を読んでみよう

    ・この作品には、カレーの「甘口」と「中辛」が出てくる。この2つの言葉には、どんな意味がこめられているのだろうか。「ぼく」と「お父さん」の立場で考えてみよう

    再読!カレーライス



     では、教科書に書いてあるポイントを参考にしながら、「カレーライス」を再読してみます。

     自分の心なのにどうにもできない、というもどかしさは、作品の前半にたっぷりと描かれています。

    ほら、そういうところがいやなんだ。ぼくはすねてるんじゃない。お父さんと口をききたくないのは、そんな子どもっぽいことじゃなくて、もっと、こう、なんていうか、もっと―。



    でも、お父さんが眠い目をこすりながら、ぼくのために目玉焼きを作ってくれたんだと思うとうれしくて、でもやっぱりくやしくて、そうはいってもうれしくて―。



     今から読んでみると、ひろしの「子供っぽさ」が際立ちますね。すねてるんじゃない、とは言っていますが、すねている以外の何物でもありませんね 笑。子どもっぽいことじゃない、と言いつつこれ以上ないくらい子供っぽい感情です。6年生で読んだ時にはこの主人公に「共感」したものですが、今の自分はちょっと上の目線からあきれたように見つめています。年齢の変化と心の変化を感じますね。

     「上手くことばにできない」というのも注目ポイントです。小学6年生と言ったら、まだまだボキャブラリーが少なく、精神も不安定な時期です。この時期にとにかく何にでも反抗してみたくなるのには、そういった心とことばのアンバランスが絡んでくるのだと思います。何だかイライラする、でもなんでイライラしているのか分からない、そのループでさらにイライラが増幅していくのでしょう。

    a0002_004914.jpg


     次は、この作品で取り上げられている「カレーライス」について見ていきましょう。物語の最後、ひろしとお父さんはいっしょにカレーライスを作ります。ひろしはまだ「甘口」だと思っていたお父さんに対して、ひろしは自分はもう「中辛」だ、と主張します。カレーライスの辛さを通して、大人と子供、その心の機敏を描く名場面です。

     教科書に、「ぼく」と「お父さん」の両方の立場で考えてみよう、と書いてあるのに目が留まりました。小学生の時の私は、自分と同じ年齢のひろしの立場でしか考えていなかったからです。お父さんの立場も加えて考えると、作品の意味が変わってきます。

     まずはひろしの立場で考えてみます。「甘口」は子ども扱いされること、そして「中辛」はひろしなりに演じている大人というところでしょうか。ここが「辛口」ではなく「中辛」になっているのがポイントですね。カレーには中辛よりもさらに辛い辛口があるのですが、ここでひろしが主張しているのは「中辛」です。中辛というのは、大人になりきれない微妙な年齢の子供を象徴しているのでしょうか。精一杯大人を演じているひろしの心情がこの「中辛」に凝縮されていて微笑ましいです。

     次はお父さん。「甘口」はいつまでもかわいい子供でいてほしいという願望、そして「中辛」は精一杯背伸びをしようとしている子供の象徴なのだと思います。読んでいて気付くのですが、お父さんはひろしが「中辛」と言ったことにかなり驚いています。まだまだ「甘口」だと思っていたようです。

     お父さんの立場からしても、子どもがすごいスピードで成長していくのはかなり驚きなのだと思います。「ちょっと前まで保育園にいたのに」そんな感じでしょうか。まだまだ「甘口」だと思っていた子供が「中辛」と主張したことに驚くとともに、かなり嬉しそうです。ひろしが大人になるための「背伸び」をはじめたことに気付いたお父さん。背伸びは「反抗期」の始まりでもあります。きっとひろしはこの後いろいろと面倒くさい存在になるでしょう。それでも、ひろしが大人の階段を上り始めたことが嬉しかったに違いありません。

    ぼくたちの特製カレーは、ぴりっとからくて、でも、ほんのりあまかった。


     最後の一文の余韻がいいですね。辛さはひろしが見せた小さな決意。甘さはお父さんが息子を思う優しい心。親子の特製カレーは、2つが絶妙にブレンドした一品だったようです。



    オワリ

    重松清さん、「カレーライス」を紹介しました。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



    「流星ワゴン」 重松清さん
    こちらも父と子のお話。3組の親子が登場します。「カレーライス」の深化版、といえそうですね。

    教科書への旅 一覧ページ
     国語の教科書に掲載された作品を紹介していきます。今現在教科書で学んでいる学生の方も、懐かしい思いに浸りたいという大人の方にもおすすめです。


    重松清, 教科書,



    •   14, 2015 17:59
  •  logo_1453274_web.jpgcooltext1933746577.png

     重松清さんの「流星ワゴン」を紹介しています。今日は後編です。

    流星ワゴン (講談社文庫)流星ワゴン (講談社文庫)
    (2005/02/15)
    重松 清

    商品詳細を見る


    前回のおさらい 前編
     
     流星ワゴンに出てくる3組の親子の姿を見ていました。血のつながりがあってもなくても、親子の関係というのは歪で複雑なものでした。「親子が同い歳になる」、そんな設定が新鮮ですね。時にぶつかり、反発しあう親子も同い歳になれば気心の知れた「朋輩」になれます。





     タイムマシンに乗って過去に戻る、という設定は現実離れしていますが、この話には妙にリアリティーを感じさせるある「仕掛け」がしてありました。それは、過去に戻っても過去を変えることはできない、ということです。

     過去に戻って、家族が歩んだ最悪の道を何とか修正しようとする一雄。しかし、過去の事実を変えようとしても、「見えざる力」が働いてそれをさせてもらえません。

     息子の受験の結果を知っている一雄。妻から離婚届を突き付けられることを知っている一雄。何とか運命を変えようとしますが、一度定まった運命はそう簡単に覆せるものではありませんでした。結局、一雄は、「行く先を知っているのに何もできない」という地獄のような状態に突き落とされます。

    「知る」と「信じる」は両立しないんだと気づいた。知ってしまうと、信じることはできない。子どもが「信じてよ」という未来を信じてやれないのは、子どもについて何も知らないことよりも、ずっと悲しくて、悔しい。


    「なにも知らない」のと「すべてを知っていて、なにもできない」のは、どちらが不幸せなのだろう



     この作品のメインテーマは「父と子」ですが、もう一つのテーマに「信じる」ということがあるように思います。息子の広樹は合格を信じて懸命に勉強に励みます。ですが、一雄はすでに広樹が受験に失敗することを知っているのです。がんばれ、きっと受かる、もう少しの辛抱だ・・・そんな言葉の全てが意味を持たなくなります。

     そんな状況でも、「信じて」やることができるか。ここにこの作品の真髄がありました。

    「子どもの先のことを、親が言うてしもたらいけん。子どもが先のことを信じとるときは、親は黙って見といてやるしかなかろ?


    「知っとるほうはつらいけどのう、辛抱せんといけん、親なんじゃけえ」



     一雄ひとりの力では、未来を変えることはできませんでした。落ちると分かっている受験に挑んでいく息子。残酷な事実を突き付けられたとき、親として子供にどう向き合うべきか、ということが一雄に問われました。上の言葉は、一雄の父、忠雄の言葉です。結果を知っているだけに、信じてやることは限りなく難しい。それでも親なら信じてやらなければいけない。強い言葉は、今まで嫌っていた自分の父からのものでした。一雄は、結果が変わらなくても、そこにいたるまでの過程を変えよう、と決意します。

    a0731_000737.jpg

     過去に戻って過去を変えていく―そんな設定だったら、あまりのファンタジーぶりに辟易したかもしれません。現実にはありえない設定ということで、評価が分かれる作品でもあると思います。ですが、私はこの作品の「現実を動かすことはできない」という設定に感心しました。ファンタジーの中にも、現実を射抜く描写があります。

    信じることや夢見ることは、未来を持っている人だけの特権だった。信じていたものに裏切られたり、夢が破れたりすることすら、未来を断ち切られたひとから見れば、それは間違いなく幸福なのだった。


    「分かれ道は、たくさんあるんです。でも、そのときにはなにも気づかない。みんな、そうですよね。気づかないまま、結果だけが、不意に目の前に突き付けられるんです」



     明日、何が起こるか分からない。当たり前のことですが、人間はこのことによって生かされているのだ、と感じます。信じることも夢見ることも、喜ぶことも悲しむことも、すべて「先が分からない」からこそできることです。それが「特権」だということばがとても力強いですね。明日が良い方向に転ぶかどうかは分からないけれど、「明日を思って生きる」ことそのものが人間の特権なのだと思います。

     もちろん、「未来が見通せる方がいいのに」と思うこともあります。この記事を書いているのは3月10日。あの大震災の前日です。もし、未来が見通せたら・・・。東北に行って、「逃げて」と叫ぶと思います。もし見通せるなら、一人でも犠牲者を少なくしたいし、被害を小さくしたい。

     でも、そんなことはできません。出来事が起こってからでないと、人間は何もできません。空しくなる気もしますが、やはり「明日何が起こるか分からない」からこその人生なのだと思います。

     明日はいい日になりますように。そんなことを思って「運命」という名のサイコロを回します。ものすごくいい目がでるかもしれないし、震災のように最悪の目がでるかもしれない・・・。でも、サイコロを振って、「いい目が出ますように」と祈っている時間こそが、人間として生きている時間そのものなのかもしれません。



    こちらもどうぞ

     普段は1回の記事で1つの本を紹介しているのですが、2回、3回に分けて紹介することもあります。それが「ブックレビュープレミアム」のコーナーです。話題になっている作品、大きな賞を受賞した作品、大長編などはプレミアムのコーナーで扱おうと思っています。今回が第3弾です。いつもよりちょっと気合を入れて記事を書いているので、ぜひ読んでみてくださいね♪

    これまでのブックレビュープレミアム
    「九年前の祈り」 小野正嗣さん(3回シリーズ)

    「新・戦争論」 池上彰さん・佐藤優さん(2回シリーズ)
    小説, 重松清,



    •   10, 2015 18:22
  • logo_1453274_web.jpgcooltext1933746577.png

     今回から前後編で、重松清さんのベストセラー「流星ワゴン」のレビューをお送りします。現在TBS系列で連続ドラマが放送中で、話題になっているこの作品。「父と子」という永遠のテーマに、重松さんが真正面から挑んでいます。胸が熱くなるような父と子のドラマに迫ります―。

    流星ワゴン (講談社文庫)流星ワゴン (講談社文庫)
    (2005/02/15)
    重松 清

    商品詳細を見る






     死んじゃってもいいかなあ、もう・・・。

     「イヤな事だらけの世の中」に絶望し、そんなことをふと思った主人公の永田一雄。その時、彼の目の前に一台のワゴン車が現れました。

     「早く乗ってよ。ずっと待ってたんだから」

     ワゴン車に乗っていたのは5年前に事故で命を落とした親子の幽霊でした。ワゴンに乗った一雄は、後悔で塗り固められた過去への旅に出ます。不幸の連鎖で崩壊してしまった自分の家族・・・。一雄はやり直しを図るべく、家族と向き合うことを決意します。そこに現れたのは、自分と同じ38歳の姿となった父、忠雄の姿でした・・・。

     幽霊の登場にタイムマシンと、かなりファンタジー要素の強い作品です。ですが、解説の斎藤美奈子さんの言葉を借りれば、「身につつまされる」作品に仕上がっていると思います。大きくなるにつれて、どこか気恥ずかしくなり、知らずと目をそらすようになっていた親子の関係、そして、人生にたくさん存在していて、気づかないうちに通り過ぎってしまった分かれ道の存在に気付かされます。

    「父親」でありながら「息子」でもある、そんな時期にこそ書いておきたかった (文庫本あとがき 重松清さん)


     解説でも出てきますが、この小説には女の人がほとんど出てきません。出てきても脇に徹しています。それは、「父と子」というテーマに真正面から向き合おうとした重松さんの覚悟のあらわれではないでしょうか。子として生まれ、父の背中を見て育ち、そして父になる。これまで延々と繰り返されてきた男の人生を、渾身の描写で描きます。

    a1180_006171.jpg

     3組の親子の姿を見ていきましょう。まずは主人公の一雄と、父の忠雄(チュウさん)です。「仕事を継ぐ」という行為は、時に親子に溝を生む、一種の宿命のようなものです。この親子もそうでした。父が金貸しの仕事を始めてから、父を嫌い、避け続けてきた一雄。それでも、父が死の淵に瀕したとき、一雄は父のことを想わずにはいられませんでした。

    父のことを思い出す。父は強い人だった。怖いひとで、冷たいひとで、ひとりぼっちのひとだった。この半年間、父を思い出す機会が増えた。思い出をたどったり懐かしんだりというのではなく、あのひとだったら ―と考える。



     ワゴンに乗った一雄のもとに、父が現れるのですが、上手いなと思ったのが、父が自分と同い歳(38歳)の姿で現れる、という設定です。自分と同い年の姿の父に、一雄は自分の知らなかった面影を見ます。そして、親子ではなく「朋輩」として、しだいに心を開いていくのです。

    「親子って、なんで同い歳になれないんだろうね」



     ハッとさせられるセリフでした。そうです、親子が同い年になれたら、きっと気心の知れた、なんの遠慮もいらない関係を築けると思うのです。ですが、親子が同い歳になれることは、現実では一生ありません。悲しいかな、親子は生きてきた時代が違います。同じ血が流れていても、年の違い、生きてきた時代の違いが邪魔をする・・・。子供が一番ひねくれてしまう思春期に、一つ屋根の下に暮らす父は、最も疎ましく、苛立たしい存在になる・・・。血が繋がっているからこそ、ややこしい。一番よく分かるはずなのに、分かりすぎて分からなくなる。そんな複雑で歪な形をした親子の形が浮かび上がります。

     一雄にもまた、息子の広樹がいました。子であった一雄は、父になります。これが二組目の親子です。広樹は中学受験に向け、友達との遊びも捨てて、勉強に打ち込みました。しかし、合格の夢は叶いませんでした。突き付けられた現実は残酷です。広樹を待っていたのは、小学校時代の同級生からのいじめ。そして、広樹が家庭内暴力を振るうようになり、さらには・・・。

     小学生の背中にのしかかった、受験というあまりにも重い荷物。実は、広樹は受験前からいじめられていて、絶対に落ちられない受験だったのです。父である一雄は、そんな重い荷物のことを理解してやれませんでした。父だから、分かってやれている。そんな思いは、実は全くの逆だったのです。父だから、何も分かっていない。知らずのうちに息子を追いつめていたことを反省し、一雄はもう一度、過去に戻って息子と向き合おうとします。

     

    「・・・嫌いってわけじゃないけど」
    「正直に言っていいんだぞ」
    「・・・だから、嫌いっていうか、そういうんじゃなくて・・・っていうか」



     過去に戻った一雄が、広樹の本音に迫るシーン。辛い。痛いほどわかるから辛い。きっと、息子にとっての父親とは、一番好きであり、一番嫌いである存在なのだと思います。心が揺れる思春期に、一生懸命嫌いになろうとする、「嫌い」と思おうとする。でも、実際は・・・。思春期の息子の複雑な心理が見える名場面ですね。

     そして、3組目の親子です。自動車事故で命を落とすことになった橋本親子。現実を受け入れられず、なかなか成仏できない息子の健太くんを成仏させてやろうと、父の義明さんは幽霊になってもワゴンを走らせます。

     実はこの親子、本当の親子ではありませんでした。義明さんは妻の再婚相手。血のつながりのない親子の姿は、上で見た血のつながった親子と対比され、その関係性の難しさが浮かび上がってきます。何とか「父親」になろうとした義明さん。でも、そんな風に「演じて」しまうこと自体が本当の親子でないという証でした。血が繋がっていなければ、本当の親子にはなれない。血が繋がっていても難しいのに、血が繋がっていないのはもっと難しい。親子って本当に難しいですね・・・。

     今日は3組の親子の姿を追いました。次回の後編では「過去をやり直す」ことにフォーカスしてみます。ワゴンに乗って、過去への旅に出る一雄。そこで直面したのは、あまりにも辛い事実でした・・・。    つづく



    こちらもどうぞ

    後編 こちらからどうぞ

    ドラマ「流星ワゴン」はTBS系列で日曜午後9時から放送中。主人公の一雄は西島秀俊さん、父の忠雄役は香川照之さんが演じておられます。3月15日に第9話、そして3月22日に最終話が放送予定です。
    ドラマ 「流星ワゴン」 公式


    小説, 重松清,



    •   09, 2015 19:05