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     カテゴリ「青春」のまとめページです。このブログで紹介している青春の本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

     この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

     あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



    青春




    『夜のピクニック』 恩田陸


    『明るい夜に出かけて』 佐藤多佳子



    『島はぼくらと』 辻村深月



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    •   01, 2015 00:00

  •  今日ご紹介するのは辻村深月さんの「島はぼくらと」という作品です。辻村さんの作品は、「ツナグ」 以来2作目のレビューになります。本土から離れた島に暮らす高校生4人組。それぞれの思いを抱えながら、故郷からの巣立ちに向けた時が流れます。それでは、「島はぼくらと」のレビューです。

    島はぼくらと (講談社文庫)
    辻村 深月
    講談社 (2016-07-15)
    売り上げランキング: 55,825





    綺麗なことばかりじゃない



     このブログで紹介した本はまだ20冊にも満たないのですが、「地方の暮らし」をテーマにした作品が図らずも多くなっています。「忘れられた日本人」「神去なあなあ日常」、それにこの間紹介した「九年前の祈り」がそうですね。これで4冊目です。

     地方はどんな風に書かれているのか、大きく2つに分かれます。「忘れられた日本人」や「九年前の祈り」は、村の閉鎖的、排他的な雰囲気を描いており、地方の「影」が濃い作品です。それに対して「神去なあなあ日常」は田舎の開放感、人々の優しさや温かさを描いており、地方に「光」を当てた作品です。

     では今日紹介する「島はぼくらと」はどちらなのか。この作品は「光」と「影」のバランスが非常によくとれています。地方独特の荒んだ感じを上手く出しつつ、包容力と温かさを持った地方の良さも感じさせる、という素晴らしい作品でした。

     舞台は瀬戸内海に面する島である冴島(さえじま)。本土とはフェリーでつながっており、島で暮らす子どもたちは高校を卒業したら本土に働きに出る、つまり島を離れることになります。主人公はそんな故郷からの巣立ちを控えた高校生4人、朱里(あかり)、衣花(きぬか)、新(あらた)、源樹(げんき)です。

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    自然体と包容力



     冴島には、Iターン(都会から地方へ移住すること)してくる人がたくさんいます。単に田舎でのんびりした暮らしをしたいという人もいれば、複雑な事情を抱えて地方に逃れてきた人もいます。

     昔から島に暮らしている人と、よそからやってきた人。普通に考えたら、そこには溝や距離が生じるものだと思います。しかし、冴島はそうではありません。もちろん最初から心を通じ合わせているわけではありませんが、冴島の人はよそから来た人を決して拒みはしません。よそ者として扱うのではなく、そこで暮らすうちに家族同然の親しさで接するのです。そんな風によそから来た人にも心を開けるのは、冴島の人が「自然体と包容力」をもっているからだと思います。

    「何か問題が起こって、お互いぶつかっても、時間が経てば何もなかったようにお互い忘れてやっていける。ここは、そういう場所だよ」



     優しいとか、温かいとかそういうのとは違います。言いたいことを分け隔てなく言ってくるし、ずけずけとお節介をすることもあります。そういったことも含めて「自然体」なのです。島にやってきた人が、どこから来ていようが、過去にどのような事情を抱いていようが、島の人たちは気にしません。そこにいるのは一人の「人間」。地位も、身分も、名誉も、お金もありません。そんな風に自分を受け入れてくれる島の人たちに、よそからやってきた人たちは自然と心を開くことができます。

    これまで、故郷なのにうまくいかないのかと思ってきたのは間違いだった。そうじゃない。故郷だからうまくいかなかったのかもしれない。故郷ほど、その土地の人間を大切にしない場所はないのだ。


     これは、ある事情で傷ついて、島にやってきた女性のことばです。自分の故郷と世間に苦しさを覚えた彼女が、島にやってきて島の人たちに触れてこのように思います。

     よく「第二の故郷」などといいます。自分の生まれた場所が一番自分にとって住みよい土地か、といったらそうではないのかもしれません。生まれたかどうかより、「自分の居場所があるかどうか」。島の人びとに大切にしてもらった彼女は、すっかり人びとに心を開き、最後には「地元の人」になっていました。冴島の包容力を感じて温かい気持ちになります。

     狭い島に暮らす人たちですから、家族(血縁)よりも深い「地縁」がありました。島の人たちは家族とは別に「兄弟」という契りを交わします。

    島の限られた人間の中でそうやって繋がり、有事の際には助け合って生きる仕組みが自然とできていた。周りを海に囲まれたこの場所では、“何かの際”の繋がりが親戚以外にも必要だったから、きっとこうなった。



     主人公たち4人も、この「兄弟」の契りを巡って揺れ動きます。同じ土地で過ごしてきたつながり・絆はとても深いものがあります。単なる「友情」や「恋愛」とは違った、色濃い人間関係が描かれます。

    小さな島の、大きな決断



     島には働く場所がほとんどありません。ですから、一部の子供たちをのぞいて、ほぼ全ての子供たちが高校卒業と同時に島を出ていくことになります。朱里は不安を隠せません。

    狭い島の外にひとたび出れば、それまで自分たちだけとしかつきあうことのなかった友達にも、別の世界ができる。頭ではわかっていたつもりが、源樹が急に遠いところへ連れて行かれるような気がした。



     必ずやってくる別れ。残酷です。ですが、巣立ちの時が近づくにつれ、それぞれが、それぞれの思いを固めていきます。
    離れ離れになっても、島で暮らしたものどうし、「兄弟」のつながりは決して消えることはありません。「別れ」によって、「兄弟のつながり」の強さが確かめられる、そんな素敵な話でした。

     最後は大人になった彼らの姿が描かれます。島に残った衣花は、ある決断をしていました。「小さな島の、大きな決断」、ちょっと驚きのラストです。でも、胸がいっぱいになります。

     夢やつながりは、その大きさではなく、「強さ」が大切なんだな、と思いました。小さな島で、大きな決断があり、新しい世界が始まる、そんな素晴らしいラストです。




    こちらもどうぞ

     地方の暮らしを舞台にした作品のレビューです。

     田舎のみずみずしさ、温かさが伝わる三浦しをんさんの名作!
     「神去なあなあ日常」 三浦しをんさん

     今年の芥川賞受賞作。3回シリーズでたっぷり読み込みました。
     「九年前の祈り」 小野正嗣さん

     こちらは小説ではなく、民俗学の名著。日本の村社会の様子をありありと描いています。
     「忘れられた日本人」 宮本常一
    小説, 辻村深月,



    •   26, 2015 17:45
  •  前回にお知らせしていた通り、しばらく入院のため更新をお休みしていました。今回から更新再開です。またよろしくお願いします。

     手術をして、集中治療室での一泊も経験しました。体が動かせず、天井を見つめているしかない夜はとても辛く、長いものでした。ですが、自分の中の汚れた気持ちや欲が全部そぎ落とされていくような、そんな感覚もありました。ですから、大切な夜でもあったのだと思います。こうやって戻ってこられたことには、ただただ感謝しかありません。



     集中治療室で経験した大切な夜のことを書きました。さて、今回登場する小説にも、ある大切な「夜」が出てきます。恩田陸さんの代表作、『夜のピクニック』です。

     高校生の時の、たった一度の夜のお話。たった一度のその夜は、ずっと一生胸に刻まれる、そんな大切な夜になりました。



    特別な夜



     高校生活最後を飾るイベント「歩行祭」。それは全校生徒が夜を徹して80キロ歩き通すという、北高の伝統行事だった―(あらすじより)

     『夜のピクニック』の舞台になっているのは、ある高校の「歩行祭」というイベントです。夜を徹して80キロもの距離を歩き通す・・・大変なイベントですね。作品でも、その過酷さがありありと描かれています。

     ですが、この作品でメインとなっているのは、歩行祭の過酷さではありません。大変な行事には違いありませんし、苦しい思いだってたくさんするはずです。しかし、作品を読んでいて肌で感じるのは、そんな苦しさなどどこかへ消えて行ってしまうような、充実した、何者にもかえがたい空気でした。

    みんなで、夜歩く。たったそれだけのことなのにね。

    どうして、それだけのことが、こんなに特別なんだろうね。



     この作品を代表する一節だと思います。そして、「青春」というものの大切さを雄弁に語ってくれる一節だとも思います。読みながらいろいろなことを思い出しました。私と同じように、いろいろなことを思い出したという人も多いのではないでしょうか。ちょっと照れくさい言い方ですが、「青春が詰まっている」―そんな風に言える小説だと思います。

    一瞬を積み重ねている



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     そんな歩行祭に、ある小さな、いや大きな決意を胸に秘めて参加していた一人の少女がいます。甲田貴子(こうだたかこ)です。彼女には、西脇融(にしわきとおる)という「異母きょうだい」がいました。父と母の間に生まれた融。そして、父と不倫相手の間に生まれた貴子。同じ父を持つ二人とはいえ、お互いの存在は、すぐに許容できるものではないでしょう。同じ学校に通い、同じクラスになりながらも、2人は距離を取り続けていました。

     歩行祭の日に、融に話しかける。そして、返事をもらう。貴子の賭けは、世界の片隅にあるほんのちっぽけなものだったかもしれません。ですがそれは、貴子と、そして融の今後の人生を変えるような、大きな賭けでもあったのです。

     さて、「青春が詰まっている」この作品。その魅力には、「一度きり」が協調されている、ということが挙げられると思います。たとえば、こんな一節が出てきます。

    昨日から歩いてきた道の大部分も、これから二度と歩くことのない道、歩くことのないところなのだ。そんなふうにして、これからどれだけ「一生に一度」を繰り返していくのだろう。いったいどれだけ、二度と会うことのない人に会うのだろう。なんだか空恐ろしい感じがした。



     すべてのことが一度きりだと気付くのです。そうすると彼らは、歩行祭の時に通る何の変哲もない平凡な景色ですら、感慨深く思えてくるのでした。毎日惰性のように流れて行く平凡な時間。しかし、それは決して取り戻すことのできない「一瞬」の積み重ねでもありました。歩行祭というイベントは、彼らに「一瞬」と「一度きり」の大切さを教えてくれました。

     一瞬や一度きりの積み重ね。ワクワクするような気持ちを覚えますが、同時に怖さも感じはしないでしょうか。「空恐ろしい感じ」という部分には大きく頷かされます。一瞬や一度きりのことが、その後の人生を大きく変えてしまうかもしれない。しかも、変わってしまった人生は、もう二度と後ろに戻ることはできない。そんなところからくる「空恐ろしさ」だと思います。「二度と歩くことのない道」には、「人生」が重ねられているのでしょう。その道を進んでいく、一歩の大切さを噛みしめたい気持ちになります。

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     私が中学生や高校生だった時、一瞬がどうとか、一度きりがどうとか、そんなことは考えたこともありませんでした。毎日が流れるように過ぎていって、流されるままに生きていました。流れて行ったその日々のありがたみや大切さを知ったのはいつもその後です。まだ20歳ですし、青春を遠い目で振り返る年齢ではないはずなのですが、青春のことを考えると遠い目になります。それぐらいにあの日々は、余裕のない毎日を必死に生きていた日々だったのだと思います。

     この本を読んでいて、私は彼らをうらやましく思いました。それは、彼らが「気付けた」からです。人生は一瞬を積み重ねていること、全ては一度きりであること。それに「気付けた」こと。普通に暮らしていたら気付けなかったと思います。彼らにそれらを気付かせてくれたのは、紛れもなく、歩行祭というイベントのおかげでした。

    なぜ振り返った時には一瞬なのだろう。あの歳月が、本当に同じ一分一秒毎に、全て連続していたなんて、どうして信じられるのだろうか。



     大切なことに気付けた彼らが、本当にうらやましかったです。同級生たちと過ごした、たった一晩の夜。しかし、その一夜は、大げさでもなんでもなく、彼らの人生を変える大切な夜になったに違いありません。

     そして、大切なことに気付かせてくれた夜が、主人公の貴子にとびきりの勇気をくれました。貴子が胸に秘めていた「賭け」はどうなったのでしょうか。その先のあらすじは本に託しますが、胸が温まる結末になっていることは間違いないと思います。中盤に出てくる「缶コーヒー」のシーンでは、胸が温まり、思わず拍手をしたくなりました。

    夜というスパイス



     タイトルにもなっているように、「夜」という時間がこの作品において持つ意味は大きいです。例えるなら、作品に素敵な味を付けてくれる、とっておきのスパイスとでも言えるでしょうか。

     普段、クラスメートと夜を共にすることはありません。歩行祭は、普段は一緒に過ごすことのない同級生と夜を過ごす、という意味で特別なイベントでした。

     普段一緒に過ごすことのない人が隣にいると、ちょっとテンションが上がりはしないでしょうか。私は小学校の時にあった宿泊学習を思い出しました。夜に、クラスメートと一緒にいる・・・そう思うからでしょうか、不思議な高揚感がありました。

     そして、皆がそんな不思議な高揚感に包まれると、普段はのぞけないクラスメートの本当の顔が見られます。いつもは口に出さないことが口をついて出たり、いつもよりちょっと大胆になってみたり。そんな「夜のスパイス」が、作品に上手く生かされているように感じました。夜になると急に元気になるクラスメート、なんてのも登場して、思わずほほえんでしまいました。どのクラスにも必ず一人はいそうな人ですね。

     夜になるとポロリとこぼれる本音。その中から、私が一番印象に残ったものを最後に紹介します。融の友達、忍がこぼしたセリフです。彼は、「雑音」という言葉を使いました。

    だけどさ、雑音だって、おまえを作ってるんだよ。雑音はうるさいけど、やっぱ聞いておかなきゃなんない時だってあるんだよ。おまえにはノイズにしか聞こえないだろうけど、このノイズが聞こえるのって、今だけだから、あとからテープを巻き戻して聞こうと思った時にはもう聞こえない。おまえ、いつか絶対、あの時聞いておけばよかったって後悔する日が来ると思う」



     青春は、「雑音」だらけです。どうでもいいような話題で盛り上がり、くだらないことで悩んで、小さな世界の中で馬鹿みたいにもがいています。でも、そんな「雑音」は、たくさんの回り道、寄り道の数々は、後で思い返してみると、全てが自分を形作っていた大事な経験だったと気付くのです。

     青春という、「雑音」に囲まれた日々。今まさにその雑音の中にいる人たちのことがうらやましくてなりません。雑音に囲まれている幸せを噛みしめて、「一度きりの道」を思い切り前進してほしい、と心から思います。



    オワリ

     この作品は読書感想文でも定番の作品になっていそうですね。本当に、気持ちのいいくらい「青春」が貫かれています。これを描き切った恩田陸さんに拍手です。

    『ボトルネック』 米澤穂信

     恩田陸さんが描いた青春は、明るく、輝きに満ちた青春でした。こちらは同じ青春でも全く正反対です。青春の影、危うさ。こちらも「青春」を貫いたという意味で価値のある米澤穂信さんの代表作です。


    恩田陸, 小説,



    •   04, 2016 17:59
  •  夜は、優しい。生きづらさを抱えた人に、夜は優しく接してくれます。暗闇が包み込んでくれるから、肩に背負った荷物をそっと下ろすことができる。なんというのでしょうか、夜の「ゆるされている」雰囲気が、私は大好きなのです。

    書影

    明るい夜に出かけて
    佐藤 多佳子(著)
    新潮社
    発売日:2016年9月21日




     佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』という小説をご紹介しましょう。描かれているのは、人生をさまよう若者たち。そして、「深夜ラジオ」。人の数だけ人生があって、人の数だけ夜がある。私の知らなかった、最高に楽しくて、そして明るい夜に出会うことができました。(約3,700字)



    夜に逃げ込んで



     夜の、「ゆるされている」という雰囲気が好きで、私はよく無意味に夜更かしをします。夜に何度救われたことでしょうか。たまらなくなって逃げ込んでも、夜はいつも変わらずそこにいてくれるのです。

     この小説の主人公、富山一志(とみやまかずし)もまた、無意識のうちに夜に「ゆるされたかった」のでしょうか。とある事情で大学を休学することになった彼は、深夜のコンビニでバイトを始め、夜が中心の生活を送ります。そんな彼の最大の楽しみが、「深夜ラジオを聴くこと」。そして彼は、聴くだけではなく、ラジオにネタを投稿するいわゆる「ハガキ職人」として活躍しているのです。

     彼が最大の情熱を傾けたのが、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」という番組でした。もう終了してしまったそうで、私はそれがとても残念だったのですが、深夜ラジオのリスナーの間で抜群の人気を誇り、伝説のようになっている番組だそうです。実は、作者の佐藤多佳子さん自身もこの作品の大ファンだそうです。そのため、この作品では実在していたこの番組が色濃く、濃密に描かれています。

     オールナイトニッポン。私は一度も聴いたことがありませんでした。でも、有名なオープニング曲は知っています。「深夜」の代名詞になっているような番組ですね。アルコ&ピースさんは一部と二部の両方を担当したそうですが、その放送時間は深夜1時~3時、そして二部にいたっては深夜(早朝?)3時~5時です。ホームページを見に行くと、「27:00~29:00」の文字が見えて、「すごい時間だな!」とつぶやいてしまいました。普段の私ならぐっすり眠りこけている時間です。



     ですが、安心していただきたいと思います。この作品は、オールナイトニッポンを聴いたことがない人でも楽しむことができると思います。私自身がそうでした。私が知らなかった、夜のもう1つの世界。楽しくて笑いっぱなしの「明るい夜」。それと出会えたことに、心がときめきます。むしろ、知らない人にこそ読んでほしい小説だと思います。

     本を読み終えて、「素敵な番組だったんだろうなあ」と想像します。最高に馬鹿馬鹿しくて、何を言っても全力で受け止めてくれるような雰囲気。リスナーのメッセージ次第で、どこに向かうか分からないフリーダムな構成。そう、きっとこの番組の魅力も、全てを「ゆるしてくれる」雰囲気にあるのではないかと思います。

    ”ライヴ”な小説



     楽しいラジオがBGMのように流れていく中で、作品のテーマとしてあるのは「生きづらさ」だと思います。主人公の富山君は、傷付き、夜に逃げ込まざるを得なくなったある深いトラウマを抱えているようです。それは、彼が大好きなはがき投稿からも離れざるを得ないような、深いトラウマでした。中盤から終盤にかけてそれは明かされますが、なんとも現代特有のエピソードです。普段あまり考えることはありませんが、彼と同じように打ちのめされてしまった人は、きっとこの世界にたくさんいるのだと思います。だからこそ、世界には「夜」が必要なのだ、とも思います。誰もが、いつでも逃げ込める場所として。

     作品の描写には、いい意味での「軽さ」があります。「ライヴ感」と言い換えてもよいかもしれません。例えば、ある日のヤフーニュースのトピックが小説の中に並んでいたり、ラインやツイッターの投稿が挿入されたりします。それらは普段すぐに更新されて、埋もれていってしまうもの。そういったものが効果的に配置されることで、人生の「ライヴ感」が強調されるのです。

    やっぱり、ラジオって、リアルタイムな文化だ。今流れてくるものを、今受けとる。録音して保存しておいても、たぶん、それは別の何かになる。



     彼はこう言います。ラジオもまた、「ライヴ感」を強調する大切なアイテムなのでした。今は過去の放送を後から聴くこともできるようですが、やっぱり「生」がいいですよね。一瞬一瞬は、切り取ってみればとても些細で、くだらないことかもしれないけれど、その時、その場所で、それを聴いたことが大事で、それが積み重なって「人生」になっていくと思うのです。

     心地よい「ライヴ感」の中で、現代に生きる若者特有の悩みが、ぽつり、ぽつりと語られていきます。

    何かをがんばりたいけど、何がやりたいのか、わからない。大学って、そのへんを見つめたり、見つけたりする場所なんだな。外にこぼれ落ちても、中に留まってても、わからなさは一緒な気もする。



    俺は人間をやりたくないよ。猫にでもなって、冷たいタイルの上で丸まって寝てたいよ。ほかのヤツのこととか、あれこれ考えたくない。疲れるから。削られるから。最後は自分に返ってくるし。一番考えたくないのは、俺自身のことだから。



     「軽さ」の中でこういったことが吐き出されているところがこの小説の魅力で、一つ一つがまるで部屋の中のひとりごとのような感じでつぶやかれていることで、心にすとんと落ちてきます。

     同じようなことを、私もいつも思います。同じようなことが書かれている小説を、私は数えきれないほど知っています。これは彼個人の悩みではなくて、きっと若者にとっての「普遍」であり、「不変」。だからといって、些細な悩みではないのです。それを抱えている個人にとっては、辛くて苦しい、そして逃れられない悩みです。



     中でも感じ入ったのは、「SNSでの人間関係」にかんすることでしょうか。実は、例のトラブルによってSNSから離れていた富山君。ラジオのためにこっそりとツイッターを再開するものの、SNSでの人間関係には深く立ち入れないでいます。

    しかし、簡単だよな。ちょっと知り合っただけで、気やすくどんどんつながっていく関係。リアルからSNSを経由してリアルへ再突入。カンタンにズブズブだ。油断も隙もない。



     太字の所で、私は首が痛くなるくらい首を縦に振りました。リアルとSNSの境界がぼやけ、互いが互いに侵食していきます。「相互監視社会」などと言いますが、言い得て妙です。みんながみんなで、何かを「演じて」いて、おかしいのと思うのならみんなでそれをやめればいいのだけれど。「もう一つの世界」は不思議です。

     「カンタンにズブズブ」になることが、彼にとっては耐えがたいのでしょう。分かる気がします。人間関係は、長い時間をかけて、少しずつ築いていくものだと思います。たくさんの大切な過程をすっとばして、中身が空洞になっている「トモダチ」。もっと、「ゆっくり」でもいい。そんな風にも思います。

     現実の、そしてSNSの人間関係に苦悩していた富山君でしたが、ラジオが、そしてバイト先のコンビニが、彼にかけがえのない出会いをもたらしてくれます。人間関係にトラウマがある彼は、なかなか心を開けません。そんな彼が、少しずつ、少しずつ距離をつめようとして、そしてある瞬間に「吐き出す」。その過程に、私は大切なことを教わったような気がしました。

    夜に灯る明るい光



     表題の「明るい夜に出かけて」は作品の中でも効果的に使われています。私もこのタイトルに惹かれて本屋さんで手に取ったので、人の心に響くことばだと思います。富山君がコンビニで偶然出った少女、「虹色ギャランドゥ」が書いた演劇のタイトルで、富山君はそれに感銘を受け、ことばにならないことばをつづります。それを、同じコンビニで働く鹿沢さんが歌にしたのでした。

    タイトルの「明るい夜」って、色々思わされる。夜は暗いけれど、闇を照らす光は明るい。(中略)「夜」という言葉の持つ深さと、「明るい」という言葉の持つ強さ。十人いれば、きっと十通りの「明るい夜」のイメージがある。



     明るい夜から浮かぶイメージが連ねられていって、それは最後に素敵な歌になります。ぜひ本を読んでいただいて、その過程を味わっていただきたいです。

     さて、本を読み終えて、私は久しぶりに夜にラジオをつけました。私は富山君と違ってFM派で、中高生の時、「スクールオブロック」と「ジェットストリーム」をよく聴いていました(どちらも、現在も変わらず放送されています)。SOLには、いろいろなことを教えてもらいました。勉強そっちのけで聴いていました。バンプ先生が来校して、新曲が宇宙初オンエアされた時には正座をして聴きました・・・(知らない人にはさっぱり分からない話ですみません)。そして、「ジェットストリーム」は最高のクールダウン。聴きながら、いつのまにか眠りについています。

     大学受験があるから勉強しなければ、とラジオの電源を落として数年…。久しぶりの夜のラジオです。

     ・・・・・・・・・

     「やっぱ、いいなあ」と。今でも変わらず、そこに番組がありました。つけたばっかりで、まだ内容が頭にも入ってこないのに、感慨でいっぱいです。「余裕のない生活をしていたな」、ふとそんなことも思いました。電源を入れれば、いつでも受け入れてくれるラジオ。また、生活に欠かせないものになりそうです。

     

    そもそも、前向きって、普通に思われてるほど、絶対的にいいことかな?




     後ろを向きながら生きてもいいし、立ち止まってもいいと思います。辛くなったら、夜に逃げ込めばいいと思います。優しい夜は、全てを受け止めてくれるでしょう。そして、よかったらラジオをつけてみてはいかがでしょうか。

     優しい夜に、明るい光が灯るはずです。



    オワリ

     最後まで読んでいただき、ありがとうございました。関連する記事やウェブページの情報です。

    アルコ&ピースのオールナイトニッポンシリーズ(wikipedia)

     どんな番組だったんだろうと思って読みにいったのですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。なんとなく、このページを編集した方の、番組への愛を感じます。


    小説, 佐藤多佳子,



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