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 カテゴリ「教養」のまとめページです。このブログで紹介している教養の本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

 この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

 あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



教養




『叱られる力』 阿川佐和子


『読書力』 齋藤孝
『論文の書き方』 澤田昭夫


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  •   01, 2015 00:00

  •  私は、人を叱ることが苦手です。叱られることもまた苦手です。叱るときは他人に気を使って萎縮してしまうし、叱られるとなると自分のどうでもよいプライドが傷ついてしまいます。どうしようもなくなさけないですね・・・。
    叱られる力 聞く力 2 (文春新書)
    阿川 佐和子
    文藝春秋
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     今日紹介するのは阿川佐和子さんの「叱られる力」です。発行部数150万部を超える空前の大ヒットを記録した「聞く力」の続編です。阿川さんの本は、どうしてこんなに世間で受け入れられているのでしょうか?以下、「叱られる力」のレビューです。



    叱れない、叱られたくない



    ―「私、人見知りです」は甘えじゃないの?

     序盤、阿川さんはこう指摘します。これまで多くの著名人にインタビューしてきた阿川さんですが、実は大の人見知りなのだそうです。その上で、初対面でいきなり「人見知り」宣言をする人は甘えているのではないか、と指摘します。

    程度の差はあれ、たいがいの人は心の中で「見知らぬ人に愛想よくしたくないぜ」と思いつつ、それが仕事だと割り切って自らにエンジンをかけて、ようよう生きているものだということです。ところが最近の若い社会人の傾向を聞いてみると、会った途端にまず、「私、人見知りなんです」そう宣言する人が多いという。


     その上で、ここには緻密な戦略の上に練られた自己保身術が隠れている、と阿川さん。私は初対面でいきなり「人見知り宣言」をすることはありませんが、コミュニケーションが苦手なのでそのことを相手にやんわりと伝えるタイプです。この「自己保身術」というのはすごく分かります。自分も、周りも、最近は「自己保身術」に走っていると思うのです。

     謙虚になった、つつましくなった。良い風に捉えようとすれば、そういうことばになると思います。でも、私はそういった捉え方は全くの的外れだと思っています。

     厄介事に巻き込まれたくない
     争いを引き起こしたくない
     無難に終わらせておきたい

     こういった気持ちがあるのだと思います。「私、人見知りなんです」は、巧みに張った予防線というところでしょうか。

     見知らぬ子供を叱りつける大人の姿はすっかり見なくなりました。少し叱られたくらいですぐに会社を辞める新入社員が増えました。「叱る力」も「叱られる力」も著しく減退しています。人々にこんな「予防線」を張らせる原因は何?阿川さんは、叱られ続けた自身の幼少時代を振り返りながら窮屈な時代にメスを入れていきます。

    叱ってくれる人



     阿川さんの父親は典型的な「日本の頑固親父」でした。家の中では絶対に威厳を保たなければいけないと考えており、威厳を示すためにとにかく子供を叱り飛ばします。「俺が駄目と言ったら、駄目なんだ!」・・・典型的すぎて思わず笑ってしまいます。

     叱られ続ける中で、時には歯向かい、時にはかわし、時には謝り・・・。いつ落ちるか分からない雷は大変だったと思いますが、阿川さんが叱られることでたくましくなっていった様子がよく分かります。

     家族、特に父の存在が大きかった阿川さん。現代の人々がどうして叱らなくなったのか、叱られるのが怖くなったのか、その原因を家族の姿に求めます。

    核家族化が進み、親は「怖い」も「優しい」も、すべてを背負わなければならない。(中略)小さい家の中で子供と険悪な関係を続けるわけにもいかない。そもそも自分が惨めになる。だから子供に嫌われないような叱り方を模索するようになったんのではないでしょうか。



     家族形態の変容(核家族化)は人々に様々な影響を与えました。その一つに、「叱れなくなった大人」「叱られるのが怖くなった子供」があるのですね。自分の子供にさえ本気で向き合えない大人が、他人の子供を叱れるわけがありません。また、本気で叱られる経験をしてこなかった子供が社会に出て、ほんの少し注意されただけで大きく傷ついてしまう。こうして、社会には「事なかれ」の無関心が蔓延し、叱られる耐性がない人が溢れてしまったのでした・・・。

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     阿川さんの父親は大変厳しい人でしたが、だからといって憎まれる存在かと言われれば、そうではありません。「とても厳しく、理不尽。しかし、愛に溢れている」それが「日本の頑固親父」のテンプレートだからです。

     愛の反対は無関心、というマザーテレサの有名な言葉があります。面倒事を起こしたくないと、見て見ぬふりを決め込んだり、上辺だけの対応をする人が「無関心」の象徴なら、自分のことを思い切り叱り飛ばしてくれる人は「愛」の象徴になるのではないでしょうか。

     叱られることは愛、だなんて、ちょっと臭いまとめ方になってしまいます。でも、そのようにまとめるのが一番ふさわしいのではないか、と思いました。現代人は愛に飢えている・・・哀しいかな、そういうとしっくりとくる気がします。

    叱られるために



     阿川さんも、自分を叱ってくれる人の大切さに言及します。

    人は年を重ねるにつれ、叱ってくれる年長の人間を一人ずつ失っていきます。そしていつか、誰も自分を叱ってくれなくなるときが来る。その瞬間を迎えることを私は怖れます。



     自分が間違いを犯しても、誰もそれを正してくれない。そんな風に考えるとたしかに恐ろしくなります。叱られることを恐れるのではなく、叱ってもらえなくなることを恐れることが大切なのだと感じました。

     軽妙に展開される阿川さんの文章を読みながら、何だか自分が叱られているような気分になりました。相手を不愉快にせず、「やんわりと」叱ることができる。阿川さんの本が飛ぶように売れている理由は、きっとこんなとことにあるのだと思います。





    こちらもどうぞ

    「聞く力」「叱られる力」の公式サイトです。阿川さんのインタビューなどが掲載されています。
    「聞く力」「叱られる力」特設サイト

    新書, 阿川佐和子, 自己啓発,



    •   07, 2015 17:56

  •  今日のタイトルはとても挑戦的ですね。読書を「しなければいけない」と決めつけているあたりに問題がありそうです。ですが、今日の本の著者は「読書はしなければいけない」と断じている人です。

    読書力 (岩波新書)
    読書力 (岩波新書)
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    齋藤 孝
    岩波書店
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     齋藤孝さんの「読書力」です。2002年に発行され、現代の読書に関する本ではスタンダードになっています。読書をしなければいけない、と断じる齋藤さん。その考えを紐解いていきます。



    読書の必要性



    本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。

     本の序盤、齋藤さんはこう言い放ちます。このブログを訪れてくださる方には普段よく読書をされるという方が多いと思うのですが、この「本は読まなければいけない」という考えについてはどう思われるでしょうか。

     私は少し抵抗があります。本を読む自由があるなら、本を読まない自由もあるはずだという考えです。私は本を読む人間ですが、本を読まない人に説教を垂れるような、ましてや「本を読んでいる自分は偉い」などという考えを持つことは絶対にしたくありません。もちろん、「読んだほうがいい」のは間違いないとは思いますが、「読まなければいけない」までにはなかなか踏み込めないような気がします。

     そんなことを思っていると、齋藤さんに叱責されました。

    私がひどく怒りを覚えるのは、読書をたっぷりとしてきた人間が、読書など別に絶対にしなければいけないものでもない、などと言うのを聞いたときだ。こうした無責任な物言いには、腸が煮えくり返る。ましてや、本でそのような主張が述べられているのを見ると、なおさら腹が立つ。自分自身が本を書けるようになったプロセスを全く省みないで、易きに流れそうな者に「読書はしなくてもいいんだ」という変な安心感を与える輩の欺瞞性に怒りを覚える。


     読書を経験して、読書の本当の喜びを知っている人間が読書を絶対と言わないことに、齋藤さんは激しい怒りを示しています。

     読書で得られるものについては、そこまで目新しい主張がされているわけではありません。思考力の養成、自己形成、コミュニケーション能力など、いろいろな本で指摘されていることです。この本の特別な点は、文章から伝わってくる筆者の「読書愛」の強さだと思います。けっこう本は読んできましたが、自分なんてまだまだだなと思い知らされます。

    精神の緊張



     齋藤さんは、読書には明らかに「技術」が必要で、スポーツと同じように練習が必要だ、と主張します。その上で、読書をする力(読書力)をつけるために必要な心構えや読み方をこの本で提案しています。

     精神の緊張を伴った読書、という言葉は印象に残ったキーワードでした。

    読書は、一定の緊張を伴う。この適度の緊張感が充実感を生む。読書は一人のようで一人ではない。本を書いている人との二人の時間である。(中略)優れた人の選び抜かれた言葉を、自分ひとりで味わう時間。この時間に育つものは、計り知れない。



     読書は著者と読み手との二人の時間、というこの考えはすごく好きです。向こうから問いかけてきたり、逆にこちらが問いかけたり。読書を「会話」のように捉える考え方は、本を深く味わうよい方法だと思います。

     ただ、齋藤さんはとても厳しい方で、読書に「緊張」を要求します。ゆるやかな会話というより、著者との「真剣勝負」といった感じでしょうか。私はリラックスして本を読むことが多いですし、読む本も現代の大衆小説が多いので、この「緊張」については少し足りていなかったかもしれません。

     このブログでも何冊か紹介しましたが、歴史的な重みのある本はやはり「緊張感」が違います。とても疲れるのですが、齋藤さんの言うように緊張感が充実感を生みます。「リラックス」と「緊張」、2つで上手くバランスをとっていけたらいいな、と思います。

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     満足できるわからなさ、という言葉も印象に残っています。

    満足できない、ただ難解なだけの内容空辣な文章なのか、わからないながらも内容が高度に詰まっている、「満足のできるわからなさ」という種類の文章なのか。これを見極めることが読書力向上にとっての鍵になる。


     その上で、分からないという体験を「溜める」ことも重要だと指摘しています。分からない、というとネガティブなイメージがありますが、齋藤さんの言うような「満足のできるわからなさ」というのは確かに存在しています(自分の読書経験と照らし合わせると、上手く言葉にできませんがそれは確かにありました)。どうしても分かりやすいものに飛びつきたくなってしまいますが、この「分からない」体験も大切にしていきたいです。

    目標は100冊



     読書力の目安として齋藤さんが挙げるのが、「文庫本100冊 新書50冊」という数字です。まずは文庫本を100冊、それから新書を50冊、という順番を提案しておられます。まずは文庫本百冊、というわけです(文庫本になった本を単行本で読むというのももちろんありです)。

     100冊読んだあたりで、読書の質が変わるそうです。これは私も頷くところがありました。昨年から読書の記録を始めて現在132冊になりました。読書メーターで感想をメモしていたのですが、今年に入って「もっとじっくり書きたい!」とブログを始めた次第です。

     昔自分が書いた感想と今の感想を比べると、確かに成長の跡があります。昔の感想を見るとボキャブラリが貧しく、同じ言葉が目立ちます。100冊を読みこなしたあたりで一段階成長がある、というのはどうやら本当のようです。読書をすることにより自分はどう成長したのか、考えてみるのはおすすめです。1冊の小説を読んでも、掘り起こされる感情が深く、複雑になったように思います。

     最後にもう一度「読書はしなければいけない」という考えに戻ります。迷わずこう断言できるレベルに達するには、まだまだ修行が必要なようです。本が好きな人同士で盛り上がるのは簡単ですが、本は全く読まないという人に本の魅力を伝えるというのはとても難しいことで、ここに「読書愛」が問われるのだなと思います。

     読書はしなければいけないという主張
     本の魅力を、他人に伝えること・その方法

     みなさんはどう思われますか?





    こちらもどうぞ

    「読書について」 ショウペンハウエル
     このブログで読書に関する本を取り上げたのはこの本に続いて2冊目でしょうか。読書に関する本は自分の読書を省みるという点でとても重要だと思うので、今後も積極的に読んでいきたいと思います。

     
    新書, 齋藤孝,



    •   26, 2015 19:42

  •  この記事が出るころには、私はレポートと格闘しているはずです。未来に向けて記事を書くって、不思議な感覚ですね。この本は、レポートの執筆にかかる前に読んだ本です。たくさんのことを吸収することができました。

    論文の書き方 (講談社学術文庫)
    澤田 昭夫
    講談社
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     出版は1977年とかなり古いのですが、今読むのにも十分耐え得る本です。世の中に数ある論文・レポート本の中でも信頼できる名著といってよいと思います。実戦的なテクニックよりも、どういう心構えで論文の執筆に臨むか、といった話が参考になります。



    論文の快楽



     具体的な話に入る前に、筆者は論文の快楽について力説します。

    こういう知的冒険、探検から生まれる知的快楽は、なんの努力も必要としない快楽、マンガや週刊誌におぼれるような受動的、感覚的快楽とは比較にならない、大きな快楽です。それは休日をゴロ寝で過す楽しみではなく、苦しんで汗を流して山に登り、それを征服したときの爽快さに似た快楽です。



     マンガや週刊誌を低俗なものとして見ているのはどうかと思いますが、確かに論文にある快楽とはこういったものだと思います。(私がよい論文を書けているかは別にして)、膨大な資料に当たりますし、長いものでは1か月近くかけて書くので、論文から得られるものは大きいです。

     しめ切りが近づいてくるとどうしても提出することばかりに躍起になってしまいますが、論文の根幹にあるのは筆者が言うような「知的快楽」だと思います。

     論文を書く意義について確認したところで、具体的な書き方、心構えに話は移っていきます。1977年の出版なので、例えば資料の収集の仕方などは今の時代と合わなくなってしまったのですが、ここに書かれていることは今の時代においても変わらず重要なばかりです。

     特に、書くことが読むこと、話すこと、聞くことと体系的に組み合わさり、互いに大きく関連していることを確認できる構成が見事だと思います。

    曖昧な言葉のワナ



     いくつも論文やレポートを書いてきて基本的なことは習得したつもりでしたが、今でもまだ難しいと感じるのが、「言葉の選び方」です。特に、意識しないままに「曖昧な言葉」を使ってしまうクセがなかなか直りません。

    形容詞や名詞に、「・・・主義」をつけ出すと、その意味内容はきわめて漠然とした不正確なものになります。



     特に正確な定義を理解することもなく使っている言葉はたくさんあると思います。そんなことは通用しない、というのが論文とそれ以外の文章の違いだと思います。定義を理解しないまま言葉を使うと間違いなくツッコミが入りますし、最悪の場合論文全体が切り捨てられてしまう恐れがあります。

     「・・・主義」という言葉はたくさんあって、それを使うともっともらしく見えることから、ついつい使いたくなってしまいます。ですが、筆者の指摘するように、この言葉は意味内容を曖昧なものにしています。私たちが当たり前のように使う「資本主義」という言葉は典型的な例で、ドボンになる可能性が高いワードです。何を持って「資本主義」とするのか、厳密に定義して書き手は理解しておく必要があります。

     筆者は別の例として「近代」を挙げています。言われてみれば、これも曖昧な言葉です。何も考えずにポーンと使ってしまいそうなのが怖いですね。そうした緩い感覚は論文を書くときには天敵だと思います。用いる言葉の1つ1つに、もっとピリピリして、「正確さ」を求めなければいけません。

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     後半は、書く以外のスキル、「読む」「話す」「聞く」についてもページを割いて詳しく解説されています。論文の本でこれらのことにここまでページを割いていたのは意外でしたが、それぐらいに、読む・書く・話す・聞くは切っても切れない密接な関係にあります。

     特に、「読む」と「書く」はそうではないでしょうか。「読む」に関してはかなりページが割かれています。分析的読み、総合的読み、批判的読みという3つの観点から、かなり詳しい解説が書かれていました。

     そのうち、「批判的読み」についての箇所は特に必見です。「批判的な読みをしなさい」ということは普段から口酸っぱく言われますが、「批判的」の部分は勘違いしやすいものです。

    「批判的読み」は「わかったが、この点には同意する、この点には同意できない」という「読み」です。ですから、その大前提はまぜ著者の言うことを理解することです。「よくわからないが、同意できない」というのは単なる感情論です。自分が間違っていると感じていながら、ただ反対のために批判するのも同じように愚かなことです。


     筆者は容赦なく、バッサリとものを言います。厳しいようですが、この厳しさこそ論文を書くときに必要な心構えなのだと私は思っています。

     「批判的に読む」を勘違いしてしまう危険は常にあるので、要注意です。人間の心理として、何かを批判しているとき、まるで自分が高尚なことをしている知的レベルの高い人間だという風に「勘違い」してしまう危険があります。

     適切な批判をすることと、とにかく批判をしたいがためにわめき散らすことは全く違います。論文で後者をしてしまうと・・・残念ながら即ゲームオーバーです。「批判」を勘違いしないように、私も気を付けたいと思います。

    数をこなすこと



     私は今まで書いたレポートを全て保存してあるので、中には大学に入学したばかりの時に書いたレポートもあります。

     それはもう・・・直視できるものではありません。「こんなものを教授に提出してしまったのか・・・」と真っ青になります。教授はもしかしたら、私のレポートを読む気さえせずに破り捨てていたかもしれません(いちおう単位を落としたことはないので、破り捨てられてはいないと思いますが、そう思ってしまうくらいの酷い出来です・・・)。

     そんな時代があったことを思うと、現在はだいぶましなものが書けるようになっていると思います。何かすごいテクニックがあるわけではなく、ものすごく地味なのですが、「数をこなすこと」が上達への1番の近道かと思います。

     本の最後に、「答案を書くためのポイント6」というまとめがありました。これを意識していたかどうかで、論文の出来は大きく変わると思います。もっと早くこの本を読んでおけば・・・つくづくそう思いました。レポートのことがよく分からない大学1年生の方がいたら、ぜひこの本を図書館で探してみてほしいです。

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    文を書く前に読んでおきたい、必携、必見の1冊!

     最近、大学の文系学部が、就職のことを考えて方向転換をしようとしています。たしかに世間の方からしたら、「文系が世の中の何の役に立っているんだ!」と思われるかもしれません。ですが、1つ1つの論文を書いている時に自分の中に蓄積されるものは、私はきっと将来役に立つものだと思っています。


    学術書,



    •   26, 2015 18:00