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 カテゴリ「教養」のまとめページです。このブログで紹介している教養の本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

 この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

 あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



教養




『叱られる力』 阿川佐和子

『新・戦争論』 池上彰・佐藤優(2回シリーズ)

『フェイクニュースの見分け方』 烏賀陽弘道


『読書力』 齋藤孝

『論文の書き方』 澤田昭夫

『20歳の時に知っておきたかったこと』 ティナ・シーリグ



『大人のための国語ゼミ』 野矢茂樹 (プラチナ)


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  •   01, 2015 00:00

  •  今日から5回にわたって、スペシャル企画をお送りします。スペシャル企画第1弾は、昨年11月に発売され、発行部数が30万部を超える大ヒットを記録している池上彰さんと佐藤優さんの対談書、「新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方」(文春新書)のレビューです。今回と次回の前後編で紹介したいと思います。

     さて、この本のレビューを書こうとしているのですが、実は今ちょっと怖気づいています。普段は小説をよく読んでいて、この本で説明されているような政治・国際情勢に関する知識はほとんどといっていいほど持ち合わせていません(ニュースを毎日見ているのでかろうじて言葉は知っている、というくらいのものです)。こういった本のレビューを書くのは初めてになります。

     何も知らないでは済まされないな、と思ったのが先日のイスラム国による日本人人質事件。日本人だから、という理由でテロの標的にされる時代がやってきました。今世界で起こっていることに少しは危機感を持たなくてはいけない、といろいろなところで指摘されています。

     そんなわけで今回のレビューです。専門的なことは何も言えませんし、無知をさらけ出すことになるかもしれません。一から勉強したいというつもりでやっているので、同じように思っている方にぜひ読んでほしいレビューになっています。



    新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)新・戦争論 僕らのインテリジェンスの磨き方 (文春新書)
    (2014/12/19)
    池上 彰、佐藤 優 他

    商品詳細を見る


     文春新書1000冊刊行記念ということで、日本を代表する2人の論客による豪華な対談が実現しました。著者は帯に並んでいるお二人。ジャーナリストの池上彰(いけがみ・あきら)さんと、作家で元外務省主任分析官の佐藤優(さとう・まさる)さんです。

     内容を簡単に整理します。まずはイスラム国の侵略拡大を念頭に置いて最近の国際情勢に触れた後、民族や宗教について2人が語ります。そのあとは世界各地の情勢について。ヨーロッパ・中東・朝鮮・中国・そしてアメリカと順にみていきます。最後はお二人がどのように情報収集をしているか語る章、そしてまとめへ。その中で、このレビューではイスラム国に関する話題を中心に書いていこうと思います。

     読んでいて思ったのは、「もっと早く読んでおくべきだった」、この一言に尽きます。昨年11月に発売されたこの本ですが、イスラム国の脅威についてはかなり多くのページが割かれています。
     
     それもそのはず、湯川遥菜さんの拘束、後藤健二さんの消息不明は昨年に起こった出来事であり、水面下では政府による交渉が進んでいました。今年の1月20日、二人がイスラム国に拘束されている動画が投稿されてから、事態は最悪の方向へと進んでいきます。事態の結末を知っているが故に、二人の言葉は重く響きます。

    佐藤 日本で極端な思想を持った人たちの受け皿が、かつてのような左翼過激派ではなく、イスラム主義になる可能性は十分にある。集団的自衛権で日本が中東へ出ていった場合、向こうからすれば、イスラム世界への侵略だということになるわけだから、それに対する防衛ジハードとして、日本国内でテロが始まり得る。

    池上 (・・・)こうなると、2020年の東京オリンピック開催時の治安対策も、これまで以上に難しくなるかもしれません 



     日本の一部に過激な思想を持った人がいれば、必ずその裾野は広がっているという指摘をしている佐藤さん。たしかに、先日山谷えり子国家公安委員長の答弁でも、そういった人たちの存在について言及されていました。日本人がテロの標的として名指しされたことも含め、事態はもう「対岸の火事」ではなくなっています。イスラム国の声明で、「日本は進んで十字軍に加わった」という文言がありました。イスラム国の敵は地理的距離によって決まるものではないということがよく分かります。日本人は現状に危機感を持たなければいけない、と強く感じさせます。

     危機感、と言えば、二人の映像が投稿された日の日本の反応、特にtwitterでの反応はひどいものでした。文字にするのもためらわれますが、一部では投稿された画像を加工して「ネタ化」するような動きがあり、twitterのトレンドやyahooの急上昇ワードでそれに関する言葉が登場していました。・・・これは異常としか言いようがありません。イスラム国はインターネット戦略に長けており、日本の反応や新聞の締め切り時刻といったタイミングを見計らって情報を出している、ということが二人からも指摘されています。その「監視されている」日本のネットでは、投稿で「遊んでいる」人たちがいる、という状態・・。恐ろしくなる話です。日本人の危機意識について、真剣に考えなくてはいけません。


     人質事件の後、様々な余波が巻き起こっていますが、その中で私が最も悲しく感じたのが「イスラム教徒への迫害」でした。イスラム国、という名前を、どうしてもイスラム教徒と結び付けてしまう人がいます。アメリカでは殺人事件まで発生し、動機にイスラム教への憎悪があったのではないか、と言われています。

    リンク NHKニュース 2015.2.12

     日本でもイスラム教徒に対する差別は起こっています。私が特に許せなかったのは、大相撲でエピプト出身の力士、大砂嵐関に対して心ないヤジが飛んだというもの。(あまりにも悲しすぎるため、リンクは貼りません)相撲がすきなもので、本当に許せない出来事でした。

     イスラム国とイスラム教は全く違います。

    池上 イスラム教の創始者ムハンマドの時代、ムハンマドを指導者にして、ムハンマドが伝える「神の言葉」に従って人々は敬虔な暮らしをしていた、と考える人たちが、その理想の社会を現代に取り戻そうとしているのです。

     この考え方を「イスラム原理主義」と呼びます。イスラムの理念を復興させようというものですから、必ずしも過激な武力闘争と結びつくものではありません。平和裡に行動しているイスラム原理主義者も多いのです

     しかし、武力を用いてでも理想社会を実現させようとする組織があって、テロなどに走るため、「イスラム原理主義者=テロリスト」というイメージが定着してしまいました。「イスラム国」は武力をもって理想のイスラム国家を樹立しようとしているので、過激派です。「イスラム原理主義過激派」とか「イスラム過激派」とか呼ばれます。



     池上さん、さすが分かりやすい説明ですね。全く事実と異なる誤解が憎しみを生み、争いに発展していくという負の連鎖は食い止めなければいけません。個人的には「イスラム国」と連呼する報道の姿勢にも若干の問題があるのではないか、と思います。誤解を生まないよう、報道には細心の注意が必要です。そして、池上さんのように発信を続けているような人の声も、もっと広がってほしいと思います。

     イスラム国についての二人の対談ですが、これには「続編」があります。先日発売された「文藝春秋」の3月号です。

    文藝春秋 2015年 03 月号 [雑誌]文藝春秋 2015年 03 月号 [雑誌]
    (2015/02/10)
    不明

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     人質事件を受けた後の二人の最新対談です。こちらも読まなければ、と思い先日購入しました。こちらの内容などについては、次回の後編でご紹介します。


    こちらもどうぞ

    後編もアップしました。ぜひ、こちらの方もご覧ください。
    new 今こそ読みたい「新・戦争論」〔後編〕


    一般書,



    •   15, 2015 18:52

  •  私は、人を叱ることが苦手です。叱られることもまた苦手です。叱るときは他人に気を使って萎縮してしまうし、叱られるとなると自分のどうでもよいプライドが傷ついてしまいます。どうしようもなくなさけないですね・・・。
    叱られる力 聞く力 2 (文春新書)
    阿川 佐和子
    文藝春秋
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     今日紹介するのは阿川佐和子さんの「叱られる力」です。発行部数150万部を超える空前の大ヒットを記録した「聞く力」の続編です。阿川さんの本は、どうしてこんなに世間で受け入れられているのでしょうか?以下、「叱られる力」のレビューです。



    叱れない、叱られたくない



    ―「私、人見知りです」は甘えじゃないの?

     序盤、阿川さんはこう指摘します。これまで多くの著名人にインタビューしてきた阿川さんですが、実は大の人見知りなのだそうです。その上で、初対面でいきなり「人見知り」宣言をする人は甘えているのではないか、と指摘します。

    程度の差はあれ、たいがいの人は心の中で「見知らぬ人に愛想よくしたくないぜ」と思いつつ、それが仕事だと割り切って自らにエンジンをかけて、ようよう生きているものだということです。ところが最近の若い社会人の傾向を聞いてみると、会った途端にまず、「私、人見知りなんです」そう宣言する人が多いという。


     その上で、ここには緻密な戦略の上に練られた自己保身術が隠れている、と阿川さん。私は初対面でいきなり「人見知り宣言」をすることはありませんが、コミュニケーションが苦手なのでそのことを相手にやんわりと伝えるタイプです。この「自己保身術」というのはすごく分かります。自分も、周りも、最近は「自己保身術」に走っていると思うのです。

     謙虚になった、つつましくなった。良い風に捉えようとすれば、そういうことばになると思います。でも、私はそういった捉え方は全くの的外れだと思っています。

     厄介事に巻き込まれたくない
     争いを引き起こしたくない
     無難に終わらせておきたい

     こういった気持ちがあるのだと思います。「私、人見知りなんです」は、巧みに張った予防線というところでしょうか。

     見知らぬ子供を叱りつける大人の姿はすっかり見なくなりました。少し叱られたくらいですぐに会社を辞める新入社員が増えました。「叱る力」も「叱られる力」も著しく減退しています。人々にこんな「予防線」を張らせる原因は何?阿川さんは、叱られ続けた自身の幼少時代を振り返りながら窮屈な時代にメスを入れていきます。

    叱ってくれる人



     阿川さんの父親は典型的な「日本の頑固親父」でした。家の中では絶対に威厳を保たなければいけないと考えており、威厳を示すためにとにかく子供を叱り飛ばします。「俺が駄目と言ったら、駄目なんだ!」・・・典型的すぎて思わず笑ってしまいます。

     叱られ続ける中で、時には歯向かい、時にはかわし、時には謝り・・・。いつ落ちるか分からない雷は大変だったと思いますが、阿川さんが叱られることでたくましくなっていった様子がよく分かります。

     家族、特に父の存在が大きかった阿川さん。現代の人々がどうして叱らなくなったのか、叱られるのが怖くなったのか、その原因を家族の姿に求めます。

    核家族化が進み、親は「怖い」も「優しい」も、すべてを背負わなければならない。(中略)小さい家の中で子供と険悪な関係を続けるわけにもいかない。そもそも自分が惨めになる。だから子供に嫌われないような叱り方を模索するようになったんのではないでしょうか。



     家族形態の変容(核家族化)は人々に様々な影響を与えました。その一つに、「叱れなくなった大人」「叱られるのが怖くなった子供」があるのですね。自分の子供にさえ本気で向き合えない大人が、他人の子供を叱れるわけがありません。また、本気で叱られる経験をしてこなかった子供が社会に出て、ほんの少し注意されただけで大きく傷ついてしまう。こうして、社会には「事なかれ」の無関心が蔓延し、叱られる耐性がない人が溢れてしまったのでした・・・。

     a1180_004096.jpg

     阿川さんの父親は大変厳しい人でしたが、だからといって憎まれる存在かと言われれば、そうではありません。「とても厳しく、理不尽。しかし、愛に溢れている」それが「日本の頑固親父」のテンプレートだからです。

     愛の反対は無関心、というマザーテレサの有名な言葉があります。面倒事を起こしたくないと、見て見ぬふりを決め込んだり、上辺だけの対応をする人が「無関心」の象徴なら、自分のことを思い切り叱り飛ばしてくれる人は「愛」の象徴になるのではないでしょうか。

     叱られることは愛、だなんて、ちょっと臭いまとめ方になってしまいます。でも、そのようにまとめるのが一番ふさわしいのではないか、と思いました。現代人は愛に飢えている・・・哀しいかな、そういうとしっくりとくる気がします。

    叱られるために



     阿川さんも、自分を叱ってくれる人の大切さに言及します。

    人は年を重ねるにつれ、叱ってくれる年長の人間を一人ずつ失っていきます。そしていつか、誰も自分を叱ってくれなくなるときが来る。その瞬間を迎えることを私は怖れます。



     自分が間違いを犯しても、誰もそれを正してくれない。そんな風に考えるとたしかに恐ろしくなります。叱られることを恐れるのではなく、叱ってもらえなくなることを恐れることが大切なのだと感じました。

     軽妙に展開される阿川さんの文章を読みながら、何だか自分が叱られているような気分になりました。相手を不愉快にせず、「やんわりと」叱ることができる。阿川さんの本が飛ぶように売れている理由は、きっとこんなとことにあるのだと思います。





    こちらもどうぞ

    「聞く力」「叱られる力」の公式サイトです。阿川さんのインタビューなどが掲載されています。
    「聞く力」「叱られる力」特設サイト

    新書, 阿川佐和子, 自己啓発,



    •   07, 2015 17:56

  •  今日のタイトルはとても挑戦的ですね。読書を「しなければいけない」と決めつけているあたりに問題がありそうです。ですが、今日の本の著者は「読書はしなければいけない」と断じている人です。

    読書力 (岩波新書)
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    齋藤 孝
    岩波書店
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     齋藤孝さんの「読書力」です。2002年に発行され、現代の読書に関する本ではスタンダードになっています。読書をしなければいけない、と断じる齋藤さん。その考えを紐解いていきます。



    読書の必要性



    本は読んでも読まなくてもいいというものではない。読まなければいけないものだ。こう断言したい。

     本の序盤、齋藤さんはこう言い放ちます。このブログを訪れてくださる方には普段よく読書をされるという方が多いと思うのですが、この「本は読まなければいけない」という考えについてはどう思われるでしょうか。

     私は少し抵抗があります。本を読む自由があるなら、本を読まない自由もあるはずだという考えです。私は本を読む人間ですが、本を読まない人に説教を垂れるような、ましてや「本を読んでいる自分は偉い」などという考えを持つことは絶対にしたくありません。もちろん、「読んだほうがいい」のは間違いないとは思いますが、「読まなければいけない」までにはなかなか踏み込めないような気がします。

     そんなことを思っていると、齋藤さんに叱責されました。

    私がひどく怒りを覚えるのは、読書をたっぷりとしてきた人間が、読書など別に絶対にしなければいけないものでもない、などと言うのを聞いたときだ。こうした無責任な物言いには、腸が煮えくり返る。ましてや、本でそのような主張が述べられているのを見ると、なおさら腹が立つ。自分自身が本を書けるようになったプロセスを全く省みないで、易きに流れそうな者に「読書はしなくてもいいんだ」という変な安心感を与える輩の欺瞞性に怒りを覚える。


     読書を経験して、読書の本当の喜びを知っている人間が読書を絶対と言わないことに、齋藤さんは激しい怒りを示しています。

     読書で得られるものについては、そこまで目新しい主張がされているわけではありません。思考力の養成、自己形成、コミュニケーション能力など、いろいろな本で指摘されていることです。この本の特別な点は、文章から伝わってくる筆者の「読書愛」の強さだと思います。けっこう本は読んできましたが、自分なんてまだまだだなと思い知らされます。

    精神の緊張



     齋藤さんは、読書には明らかに「技術」が必要で、スポーツと同じように練習が必要だ、と主張します。その上で、読書をする力(読書力)をつけるために必要な心構えや読み方をこの本で提案しています。

     精神の緊張を伴った読書、という言葉は印象に残ったキーワードでした。

    読書は、一定の緊張を伴う。この適度の緊張感が充実感を生む。読書は一人のようで一人ではない。本を書いている人との二人の時間である。(中略)優れた人の選び抜かれた言葉を、自分ひとりで味わう時間。この時間に育つものは、計り知れない。



     読書は著者と読み手との二人の時間、というこの考えはすごく好きです。向こうから問いかけてきたり、逆にこちらが問いかけたり。読書を「会話」のように捉える考え方は、本を深く味わうよい方法だと思います。

     ただ、齋藤さんはとても厳しい方で、読書に「緊張」を要求します。ゆるやかな会話というより、著者との「真剣勝負」といった感じでしょうか。私はリラックスして本を読むことが多いですし、読む本も現代の大衆小説が多いので、この「緊張」については少し足りていなかったかもしれません。

     このブログでも何冊か紹介しましたが、歴史的な重みのある本はやはり「緊張感」が違います。とても疲れるのですが、齋藤さんの言うように緊張感が充実感を生みます。「リラックス」と「緊張」、2つで上手くバランスをとっていけたらいいな、と思います。

    a0002_009490.jpg

     満足できるわからなさ、という言葉も印象に残っています。

    満足できない、ただ難解なだけの内容空辣な文章なのか、わからないながらも内容が高度に詰まっている、「満足のできるわからなさ」という種類の文章なのか。これを見極めることが読書力向上にとっての鍵になる。


     その上で、分からないという体験を「溜める」ことも重要だと指摘しています。分からない、というとネガティブなイメージがありますが、齋藤さんの言うような「満足のできるわからなさ」というのは確かに存在しています(自分の読書経験と照らし合わせると、上手く言葉にできませんがそれは確かにありました)。どうしても分かりやすいものに飛びつきたくなってしまいますが、この「分からない」体験も大切にしていきたいです。

    目標は100冊



     読書力の目安として齋藤さんが挙げるのが、「文庫本100冊 新書50冊」という数字です。まずは文庫本を100冊、それから新書を50冊、という順番を提案しておられます。まずは文庫本百冊、というわけです(文庫本になった本を単行本で読むというのももちろんありです)。

     100冊読んだあたりで、読書の質が変わるそうです。これは私も頷くところがありました。昨年から読書の記録を始めて現在132冊になりました。読書メーターで感想をメモしていたのですが、今年に入って「もっとじっくり書きたい!」とブログを始めた次第です。

     昔自分が書いた感想と今の感想を比べると、確かに成長の跡があります。昔の感想を見るとボキャブラリが貧しく、同じ言葉が目立ちます。100冊を読みこなしたあたりで一段階成長がある、というのはどうやら本当のようです。読書をすることにより自分はどう成長したのか、考えてみるのはおすすめです。1冊の小説を読んでも、掘り起こされる感情が深く、複雑になったように思います。

     最後にもう一度「読書はしなければいけない」という考えに戻ります。迷わずこう断言できるレベルに達するには、まだまだ修行が必要なようです。本が好きな人同士で盛り上がるのは簡単ですが、本は全く読まないという人に本の魅力を伝えるというのはとても難しいことで、ここに「読書愛」が問われるのだなと思います。

     読書はしなければいけないという主張
     本の魅力を、他人に伝えること・その方法

     みなさんはどう思われますか?





    こちらもどうぞ

    「読書について」 ショウペンハウエル
     このブログで読書に関する本を取り上げたのはこの本に続いて2冊目でしょうか。読書に関する本は自分の読書を省みるという点でとても重要だと思うので、今後も積極的に読んでいきたいと思います。

     
    新書, 齋藤孝,



    •   26, 2015 19:42