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 今日は「階層意識」についての興味深い論文を集めた1冊を紹介します。自分が社会の中でどのグループに属すると思うか選択肢(上、中の上、中の下、下の上、下の下 など)から選んだものを「階層帰属意識」と呼ぶのですが、この階層帰属意識からは見えてくることがたくさんあるというのです。

社会意識からみた日本--階層意識の新次元

有斐閣
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 階層帰属意識というのは人々が主観的に答えるもので、何だか扱いにくそうな感じがします。それはその通りで、たしかに階層帰属意識を分析するというのは困難を要することなのです。ですが、その分析結果には「困難を要してでも」手に入れたい興味深い知見が多く見られるということを教えてくれる1冊です。



内容紹介



ブックレビューリトル

いまの日本社会はいかなる時代を迎えているのか?政治意識、職業倫理、市民活動など、現代人のものの考え方や世の中との向きあい方をあざやかに描き出す調査データにもとづく現代社会論。

(「BOOK」データベースより)

400字書評



400字書評


 社会階層と人びとの社会意識との関わり、すなわち階層意識に関する論文を集めた1冊。政治意識や労働倫理、ボランティアへの参加度合いなど、階層意識が人々に与える興味深い様々な影響が提示され、階層意識の研究が持つ意義を知ることができます。

 私自身、いわゆる「総中流」から「格差社会」への流れを、あたかも格差が突然発生したかのように誤解していました。そうではなく、この流れは「今までみえていなかった貧しい人びとの姿が社会の多くの人びとにみえるようになった」(p136)ために生じたものでした。これまで「出来事」しか見ていなかった私にとって、「人びとの社会に対する主観的なイメージ」(p115)が提示する新たな知見は大変興味深いものでした。

 また、人びとの階層帰属意識に関しても、本書で議論されるように、「中」という回答は詳しく解明されるべきものだと思います。新たに発足したSSPプロジェクトが、さらに有意義な知見を提示されることを期待しています。(406)

ピックアップ



語句  階層意識の「静かな変容」

「階層帰属意識」の分布は大きく変化しないにもかかわらず、年齢・学歴・職業・世帯収入の4つの要因が階層帰属意識に与える総合的な影響力を表す数値である「決定係数」の値が、1975年以降上昇していること。つまり、人びとが次第に自分の客観的な社会経済的地位の高低と対応した階層帰属を回答するようになったこと。(44)



 階層帰属意識を尋ねると多くの人が「中」と回答する・・・そのことは変わらないのですが、そこで分析を終わらせてはいけないのです。ここでは本書の大きなトピックとなっている階層意識の「静かな変容」を挙げてみました。どうしてそのようなことが起っているのか、くわしくは本をご覧ください。回答結果は同じようなものだったとしても、その「中身」が常に変質を続けている・・・そんなイメージでしょうか。

 それからもう一か所書き残しておきたいところがありました。

社会を正しく理解するためには、単に客観的な事実とみなしうるものを明らかにするだけでは不十分である。それらに加えて、人びとの社会に対する主観的なイメージや価値観も明らかにしていかなければならない。(115)



 「主観的なイメージ」の部分を軽視していたことを痛感させられた一節でした。私たちの社会は、客観的なデータ以上に私たちの主観的なイメージを通して形作られている部分が大きい。言われてみればその通りです。



ブックレビューリトル

 関連書籍を紹介します。

階級社会 日本
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橋本 健二
青木書店
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 今の私のレベルでは大変難しい内容で、頭を抱えながら読んでいるところです。逆に言えば、それだけ詳細で緻密な分析がされている本だと言えると思います。「階級」と「階層」の違いを知りたい人には特におすすめできそうです。



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学術書, 社会,



  •   16, 2016 00:00
  • 三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ (ミネルヴァ日本評伝選)
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    動的な死へと結実する人生

     最近、三島由紀夫について勉強しています。専門書をあたっているところですが、いろいろと見ている時にちょっと趣向が異なる1冊を見つけました。専門書を1冊丸ごと読み込むということはなかなかしないのですが、この本は「読み物」としてもとても面白く、どっぷりと没入するうちに1冊読み切りました。

     著者は国文学者で、『源氏物語』を専門にしておられるそうです。この本は、「和歌」と『源氏物語』、そして古代神話の観点から書いたという(p338)、かなり独自色のある三島論になっています。




    死に結実する文学



     私は日本文学が好きですが、三島由紀夫はまだあまり作品を読めていません。「三島由紀夫」という存在に、正直おののいています。三島由紀夫と言えば、まず何よりも始めに言及されるのが、彼の衝撃的な死です。

    昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫は「楯の回」のメンバー4人(森田必勝、小賀正義、小川正洋、古賀浩靖)を引き連れ東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室を占拠し、総監を人質に取る。バルコニーから演説し、共に起つことを求めた。天皇陛下万歳を三唱したあと、総監室で切腹し、介錯されて死ぬ。 (7章より)



     いわゆる「三島事件」です。切腹、介錯・・・。錯乱してしまいそうですが、これはまだ今から45年前の出来事です。事件を知る日本人がまだ大勢いると思うと、感覚がおかしくなりそうです。当時ノーベル賞候補とも言われていた著名な作家が割腹自殺をした―日本中を震撼させる出来事だったと思います。

     正直、どうコメントしてよいか私には分かりません。彼は一体何を見ていたのでしょうか。どこまで先を見ていたら、そのような行動に走れるのでしょうか。その衝撃の死を知って彼の文学に踏み出していく人は、いまなお大勢います。それはつまり、彼の死の余波が、45年後の今も広がり続けているということに他なりません。

     三島由紀夫の死については、様々な解釈があるようです。この本では、「死への結実」という視点から書かれています。三島由紀夫は、世界から捨てられる前に、潔く世界を捨てた。「世界を能動的に放棄」した(p320)と・・・。

    爆発的なエネルギーが蓄積され、「生きたい」という意欲が沸騰した瞬間に、それが「書きたい」というエネルギーに転化し、ストーリーの第一歩が記される。それは死の始まりなのだった。生と死が重層化したストーリーの誕生する心のおののきこそ、三島文学の醍醐味である。



     「自決」という瞬間を自ら定め、そこに向かうために生きた―筆者はそのような視点から論じていきます。三島由紀夫の人生に、三島由紀夫の文学に、私はただおののくしかありませんでした。

    逆照射される人生



     三島由紀夫は自決の日に向かって生きていた―筆者の視点に立つと、三島由紀夫の人生の捉え方は変わります。全ては「死」という未来に結実する、つまり、彼の人生は「死」を起点にして「逆照射」されるのです。

     このような読み方が通用する作家は、三島由紀夫ぐらいでしょう。人生の全てが、作品の全てが自分の「死」に向けての設計図だったというのですから・・・(もちろん、いろいろな解釈があるうちの1つとして)。最後の長編である『豊饒の海』の読み方も、全く変わってきそうです。

     さて、三島由紀夫の作品には重要な概念が存在しています。「不如意」(=思い通りにならないこと)です。不如意は三島由紀夫の様々な作品においてみられる概念です。筆者はこう語ります。

    三島の小説は、不如意と不条理に直面した青年に、あえて「如意」の道を最後まで歩ませる。そして、金閣寺に放火させたり、殺人事件を犯させたり、同性愛に走らせたりした。人間の欲望をすべて解放させ、神から最も遠い生き方を選ばせた。(p102)



     言われてみれば、以前読んだ『午後の曳航』もまさにこのパターンでした。『午後の曳航』は少年たちのおぞましいまでの残酷性を描いた小説です。少年たちは堕落した英雄を「処刑」します。ラストの筆の止め方はそれはもう・・・今でも夢に出てきそうです。

     この小説も、「不如意」を乗り越えようと「如意」の道を歩む―そんな構図だったのです。一番最初に三島の壮絶な死について紹介しました。そちらのインパクトが強すぎてかすんでしまいそうですが、三島由紀夫は小説家としてまぎれもない天才です。「この小説は完璧だ・・・」、『午後の曳航』を読んだとき、私はそう思いました。そんな天才が選んだあの最期・・・あらためて、衝撃に身を震わせます。

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     文学と無力さについて書かれた箇所も大変印象に残りました。「文学の無力さ」、私もたまに考えることがあります。三島由紀夫は、そんな文学の無力さをどう捉えようとしたのでしょうか。

    行動が無力であるからには、文学はそれ以上に無力であり、何ら外界を変える力を持ち合わせない。だが、現実世界を変える力を持たないことは、決してつまらないことではない。「無力」を自覚すれば、現実世界とは別の芸術の世界の中で、どんな世界でも新たに構築することができる。(p220)



     文学が無力だということを、私は(感じてはいても)言葉にすることに戸惑いがありました。どうしても文学を否定してしまうように感じるからでしょう。しかし、ここでは文学が無力であることを言い切っています。そして、そこから文学が始まるのです。

     無力さの自覚、新たな世界の構築―それは、三島由紀夫だけではなく、文学の極致なのではないでしょうか。私が今までに衝撃を受けてきた文学作品の傑作たちを思い浮かべます。その多くに「無力さの自覚」があったのではないか、今そう気付かされています。

    永遠の言葉



     学術書にこういう評をするのは的外れかもしれませんが、なんてロマンと情熱にあふれるテキストだろうか、と思いました。和歌や『源氏物語』の専門である筆者。本歌取りや序詞など、和歌の用語をふんだんに用いながら独特の論を展開します。三島由紀夫の人生に全く違う色が付いたようでした。なるほど、本に没入して読み切ってしまったのも納得です。

     第六章は、最後に残された渾身の長編、『豊饒の海』について。源氏物語の専門家である筆者が、源氏物語と『豊饒の海』を照らし合わせていきます。章のタイトルは、「命を懸けたライフワーク―『源氏物語』を超えて」。日本文学の最高傑作と言われる源氏物語。それを超えようとした三島・・・この章は必見です。第三章もまた、大変読みごたえのある内容でした。

     最後にもう1つ、印象に残った箇所を引用します。

    言葉は、心の容器である。心は、一代限りである。寿命が尽きた人間が死去する際に、その心は完全に失われてしまう。だが言葉は、永遠である。


     
     私は正直、三島由紀夫が怖い。彼の最後の行動や、晩年の過激な右翼思想。死してなおも、余波を巻き起こし続けるあまりにも巨大な存在。「三島由紀夫」という人間に、私はおののきます。

     ですが、やはり読みたい。そう思う自分も同時にいました。彼が残した言葉は「心の容器」。言葉は、永遠に続きます。震える手を必死に押さえつけながら、また彼の作品を読もうと思います。

    レコメンド

    から逆照射される三島の人生―「不如意」を見つめて

     「文学は命がけである」、昔何かの本で読みました。その時は全く受け入れられなかったのですが、今は受け入れつつあります。文学の本質を徹底的に見つめていったら、最後は「命がけ」になるんじゃないか・・・と。文学とは、壮絶。



    オワリ

    「武士道」 新渡戸稲造

     三島由紀夫は最期に切腹し、介錯されました(一度で首が落とされないかなり壮絶な最期だったようです)。そこで関連図書はこの本です。新渡戸稲造の「武士道」では切腹の精神について詳しく書かれています(切腹の描写は凄惨で、読むのはかなり辛いかもしれません・・・)。

     切腹は日本固有の文化ですが、日本人としてどう思われるでしょうか。切腹の「美」や「けじめ」といったもの・・・私は正直、切腹は(いろいろな意味で)無理です。
    学術書,



    •   16, 2015 23:28
  • 家族社会学を学ぶ人のために
    井上 眞理子
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    れ動く家族 揺れ動く定義

     先月から始まったコーナー、「家族点描」。文学編と社会学編がありますが、今回は社会学編の1回目です。社会学編では、「家族社会学」と言われる分野の本を中心に紹介していきます。

     まず手始めに読んだのは、家族社会学の入門書です。最近話題になっているテーマから、今までも叫ばれ続けていたテーマまで、家族社会学に関するテーマがバランスよく網羅された1冊でした。



    定義ができない



     ペットは、家族に入りますか?

     いきなりですが、質問から始めました。よかったら、考えてみてください。ペットは家族に入るでしょうか?おそらく、入ると答える人がいれば、入らないと答える人もいます。上の質問は、「家族を定義する難しさ」を端的に伝えてくれます。さて、どうでしょう。ペットは家族に入る?入らない?

     先日、こんなニュースがありました。

    icon_141751_32.png チワワ 猟犬にかみ殺される 「大切な“家族”が…」 (千葉日報)

    <事件の概要>千葉市で飼われていた小型犬のチワワが、イノシシの一斉駆除を行っていた市原市猟友会の猟犬2頭に襲われたもの。チワワは自宅敷地内で猟犬に首をかまれ死亡した。



     大変痛ましい事件です。この記事で私が注目したのは、チワワの飼い主の方のコメントでした。記事のタイトルにもなっていますが、こんなことをおっしゃています。

    大切な“家族”を一瞬にして奪われた。猟友会が犬を見失ったのが大問題。市は火葬すると言っているが、火葬以外に具体的な補償の話はなく何の誠意も見られない」



     「家族」ということばが出てきましたね。ですが、見落としてはいけないことがあります。家族の部分が、” ”でくくられていることです。

     考えたくないことですが、もし犠牲になったのが人間であったら、家族の部分にくくりはついていません。犠牲になったのはペットだから、ここにくくりがついているのです。このくくりには、おそらくこのような意味があると想像します。

     (ペットは本当は家族ではないのだけれど、飼い主の精神面では”家族”だったのだろう

     もしテストで、「ペットは家族に入りますか」と聞かれたら、「いいえ」と答えなければいけないでしょう。ペットと人間には、血縁関係も、婚姻関係も、養親子関係も存在しません。チワワが噛み殺されたら「器物損壊」―法治国家の日本です。

     しかし、この飼い主の方のように、ペットが「家族」だとおっしゃる方は他にも大勢存在するに違いありません。おそらく、ペットを飼っている方のほとんどが、ペットは家族だと答えるのではないでしょうか。精神面で人間の大切なパートナーであるペット。その気持ちは、もちろん否定されるべきものではありません。

     「ペットは、家族である」「ペットは、家族ではない」・・・どちらも正解で、どちらも間違いです(おかしなことを言っていますね)。どうしてこういうことが起こるかというと、2つの考えでは、想定している「家族」の定義が異なるからです。「制度上の家族」「精神面での家族」と言えばよいでしょうか。

     記事についていた” ”には、おそらくこのような大変悩ましい、答えの出ない意味が込められているのでしょう。

     ペットの例を出しましたが、家族というものがいかに難しいか、よく分かる例ではないかと思います。家族のことを考えようと思ったら、いつもの私だったらまず家族の定義を明らかにしようとします。しかし、家族ではそれができないのです。

     家族の解釈は常に変わり続けています。そして、正解はありません。上に出したペットの問題は東日本大震災の時にも大きな問題になりました。また、最近の話題としては「同性婚」があります。同性カップルの婚約は認められるのでしょうか。賛否両論、激しい議論が巻き起こっています。参考までに言えば、世界では同性婚が認められている国もあれば、同性愛が罪で死刑になる国もあるのです(同性愛が、殺人などと同じくらいの重罪ということですね)。

     この本の最初は、こんなタイトルで始まっています。

     「家族とは~である」なんて、きめつけられない

    揺れる家族



     さて、この本は家族社会学の入門編ということで様々な家族のテーマを扱っています。出版が2010年ということで、近年新たに叫ばれるようになった問題も割と網羅されていました。私が例に挙げたペットの話は残念ながらないのですが、同性婚については第7章に、その他高齢家族や事実婚、ファミリー・バイオレンス(後述)など、テーマは多種多様です。「家族の難しさ」を感じるには、最適の1冊ではないかと思います。

     (同性婚について書かれた第7章は大変分かりやすかったです。どうして、絶対に同性婚を認めようとしない人たちがいるのか書かれています。)

     第6章(高齢者家族)には、家族の変化について、3段階で分かりやすく書かれています。

    ①「イエ」という親族組織の統率性や継承性に重きがおかれ、「イエのため」という価値観が軸になる前近代

    ②「家族みんなのため / 家族のため」という価値観が軸になる近代

    ③家族一人ひとりのライフスタイルや個人の選好に重きがおかれ、「家族一人のため / 自分のため」という価値観が軸になる現代



     家族の変化がとても分かりやすいですね。私はまだ20年しか生きていないので、正直③しかイメージが湧かないです。しかし、祖父母の話や昔の小説には、私の知らない②のような家族がいた時代もあったのです。それよりさらに昔には、もちろん①のような家族も・・・。時代と共に家族が変化していることがよく分かります。

     子供に子供部屋が与えられ、その子供部屋それぞれにテレビが置かれているような現在の状況は、昔からしたら信じがたい状況だと思います。家族の「団らん」などという概念が、少しずつ消えかかっているのも事実です(ここではそれを批判したいわけではなく、あくまで「家族」は時代と共に大きく変化しているということを述べています)。

     そんな風に家族が変化したら、個人に、そして社会にどのような影響があるのか。・・・それを考え出すととてつもなく長くなりますし、簡単にまとめられることではありません。今回は家族社会学の概要を知りたいので、詳細は本に譲ります。

    a1180_014448.jpg

     私が興味を持ち、これからこのコーナーで取り上げたいなと思ったのは8章の「ファミリー・バイオレンス」です。これは文字通り、家族内での虐待、あるいは脅迫行為を指します。身体的虐待だけではなく、心理的、情緒的、性的、経済的な虐待、それに人権侵害も含みます。

     もし家族が何の問題もなく上手くいっていたら、いわゆる「家族愛」と言われるもので成立していたとしたら、こんな問題は出てきません。しかし、実際「ファミリー・バイオレンス」は大変な問題になっています。増加する虐待、介護疲れによる殺人、DV・・・挙げて行けばきりがありません。このような問題が起こっているということは、家族には「歪み」の部分も存在するということです。

     (私は特に、「やさしい虐待」と呼ばれる現象に興味があります。これについては、このコーナーの別の回に考えるつもりです。こういうものまで考えると、ファミリー・バイオレンスの範囲はかなり広がります)

     簡単に「家族愛」だけでは説明できないからこそ、家族について考える必要があると思います。何より、家族というのは他の関係と違って「絶対に逃れられないもの」なので、重みが違います。

    家族を「解放」する



     文学編では、最後に家族について考えさせられるセリフを引用しました。社会学編では、家族について考えさせられる重要なトピックを紹介することにします。今回はこちらです。

    家族点描

     家族化 

    (・・・現代社会において満ち足りた家族とは、家族の役割によっては「脱家族化」することが前提となってくる。(…)家族に対して現実的な選択肢を提供することこそ重要なのである)

     これは、エスピン・アンデルセンという方が提唱した概念です。この本では各章ごとにことなる方が執筆されているのですが、この「脱家族化」は1つのキーワードになるのではないか、と感じました。これまでは、家族の問題はその家族の中だけに閉じ込められていました。つまり、家族が「聖域」になっていたというのです。

     「家族への『介入』」はとても重要だと思います。家族の問題を家族の中だけに閉じ込めておくことはとても危険です。家族の中で起こっている虐待が見えなくなります。介護だってそうです。あまりにも悲しい介護殺人は、家族の中に「介護」という問題を閉じ込めてしまったことに原因があります。

     まだ社会学編の第1回なので、偉そうなことを書ける段階ではありません。ですが、この「脱家族化」、あるいは「家族への介入」という概念はとても重要だと思うので、今後の回でも意識していこうと思います。



    家族点描


     社会学編はとても重いテーマが続きそうですね。社会問題から出発することが多い分野なので、仕方ない面があります。何より、起こっている問題が全て「現実」だということからは目をそらせません。

     もう1つ、このコーナーには「文学編」があるので、家族の素晴らしさやあたたかみといったテーマはこちらのほうで拾っていけたらと思います。

    #1 優しいから、傷付いて (『ミッドナイト・バス』) 文学編・1

     第1回は伊吹有喜さんの「ミッドナイト・バス」という小説からスタートしました。文学編と社会学編は全く異なる感じでやっていきますが、どちらもぜひよろしくお願いします。


    学術書,



    •   08, 2015 23:45

  •  この記事が出るころには、私はレポートと格闘しているはずです。未来に向けて記事を書くって、不思議な感覚ですね。この本は、レポートの執筆にかかる前に読んだ本です。たくさんのことを吸収することができました。

    論文の書き方 (講談社学術文庫)
    澤田 昭夫
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     出版は1977年とかなり古いのですが、今読むのにも十分耐え得る本です。世の中に数ある論文・レポート本の中でも信頼できる名著といってよいと思います。実戦的なテクニックよりも、どういう心構えで論文の執筆に臨むか、といった話が参考になります。



    論文の快楽



     具体的な話に入る前に、筆者は論文の快楽について力説します。

    こういう知的冒険、探検から生まれる知的快楽は、なんの努力も必要としない快楽、マンガや週刊誌におぼれるような受動的、感覚的快楽とは比較にならない、大きな快楽です。それは休日をゴロ寝で過す楽しみではなく、苦しんで汗を流して山に登り、それを征服したときの爽快さに似た快楽です。



     マンガや週刊誌を低俗なものとして見ているのはどうかと思いますが、確かに論文にある快楽とはこういったものだと思います。(私がよい論文を書けているかは別にして)、膨大な資料に当たりますし、長いものでは1か月近くかけて書くので、論文から得られるものは大きいです。

     しめ切りが近づいてくるとどうしても提出することばかりに躍起になってしまいますが、論文の根幹にあるのは筆者が言うような「知的快楽」だと思います。

     論文を書く意義について確認したところで、具体的な書き方、心構えに話は移っていきます。1977年の出版なので、例えば資料の収集の仕方などは今の時代と合わなくなってしまったのですが、ここに書かれていることは今の時代においても変わらず重要なばかりです。

     特に、書くことが読むこと、話すこと、聞くことと体系的に組み合わさり、互いに大きく関連していることを確認できる構成が見事だと思います。

    曖昧な言葉のワナ



     いくつも論文やレポートを書いてきて基本的なことは習得したつもりでしたが、今でもまだ難しいと感じるのが、「言葉の選び方」です。特に、意識しないままに「曖昧な言葉」を使ってしまうクセがなかなか直りません。

    形容詞や名詞に、「・・・主義」をつけ出すと、その意味内容はきわめて漠然とした不正確なものになります。



     特に正確な定義を理解することもなく使っている言葉はたくさんあると思います。そんなことは通用しない、というのが論文とそれ以外の文章の違いだと思います。定義を理解しないまま言葉を使うと間違いなくツッコミが入りますし、最悪の場合論文全体が切り捨てられてしまう恐れがあります。

     「・・・主義」という言葉はたくさんあって、それを使うともっともらしく見えることから、ついつい使いたくなってしまいます。ですが、筆者の指摘するように、この言葉は意味内容を曖昧なものにしています。私たちが当たり前のように使う「資本主義」という言葉は典型的な例で、ドボンになる可能性が高いワードです。何を持って「資本主義」とするのか、厳密に定義して書き手は理解しておく必要があります。

     筆者は別の例として「近代」を挙げています。言われてみれば、これも曖昧な言葉です。何も考えずにポーンと使ってしまいそうなのが怖いですね。そうした緩い感覚は論文を書くときには天敵だと思います。用いる言葉の1つ1つに、もっとピリピリして、「正確さ」を求めなければいけません。

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     後半は、書く以外のスキル、「読む」「話す」「聞く」についてもページを割いて詳しく解説されています。論文の本でこれらのことにここまでページを割いていたのは意外でしたが、それぐらいに、読む・書く・話す・聞くは切っても切れない密接な関係にあります。

     特に、「読む」と「書く」はそうではないでしょうか。「読む」に関してはかなりページが割かれています。分析的読み、総合的読み、批判的読みという3つの観点から、かなり詳しい解説が書かれていました。

     そのうち、「批判的読み」についての箇所は特に必見です。「批判的な読みをしなさい」ということは普段から口酸っぱく言われますが、「批判的」の部分は勘違いしやすいものです。

    「批判的読み」は「わかったが、この点には同意する、この点には同意できない」という「読み」です。ですから、その大前提はまぜ著者の言うことを理解することです。「よくわからないが、同意できない」というのは単なる感情論です。自分が間違っていると感じていながら、ただ反対のために批判するのも同じように愚かなことです。


     筆者は容赦なく、バッサリとものを言います。厳しいようですが、この厳しさこそ論文を書くときに必要な心構えなのだと私は思っています。

     「批判的に読む」を勘違いしてしまう危険は常にあるので、要注意です。人間の心理として、何かを批判しているとき、まるで自分が高尚なことをしている知的レベルの高い人間だという風に「勘違い」してしまう危険があります。

     適切な批判をすることと、とにかく批判をしたいがためにわめき散らすことは全く違います。論文で後者をしてしまうと・・・残念ながら即ゲームオーバーです。「批判」を勘違いしないように、私も気を付けたいと思います。

    数をこなすこと



     私は今まで書いたレポートを全て保存してあるので、中には大学に入学したばかりの時に書いたレポートもあります。

     それはもう・・・直視できるものではありません。「こんなものを教授に提出してしまったのか・・・」と真っ青になります。教授はもしかしたら、私のレポートを読む気さえせずに破り捨てていたかもしれません(いちおう単位を落としたことはないので、破り捨てられてはいないと思いますが、そう思ってしまうくらいの酷い出来です・・・)。

     そんな時代があったことを思うと、現在はだいぶましなものが書けるようになっていると思います。何かすごいテクニックがあるわけではなく、ものすごく地味なのですが、「数をこなすこと」が上達への1番の近道かと思います。

     本の最後に、「答案を書くためのポイント6」というまとめがありました。これを意識していたかどうかで、論文の出来は大きく変わると思います。もっと早くこの本を読んでおけば・・・つくづくそう思いました。レポートのことがよく分からない大学1年生の方がいたら、ぜひこの本を図書館で探してみてほしいです。

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    文を書く前に読んでおきたい、必携、必見の1冊!

     最近、大学の文系学部が、就職のことを考えて方向転換をしようとしています。たしかに世間の方からしたら、「文系が世の中の何の役に立っているんだ!」と思われるかもしれません。ですが、1つ1つの論文を書いている時に自分の中に蓄積されるものは、私はきっと将来役に立つものだと思っています。


    学術書,



    •   26, 2015 18:00