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  •  毎年、春になると桜に関する本を手に取りたくなります。文学好きの私は、これまでは桜が登場する文学作品をよく手に取っていました。今年はいつもと少し趣向を変えてみようか、と思い手に取ったのがこの本です。

    桜 (岩波新書)
    桜 (岩波新書)
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    勝木 俊雄
    岩波書店
    売り上げランキング: 17,505


     「桜」というこれ以上ないくらいにシンプルで潔いタイトル。この本は、農学博士の筆者が「生き物としての桜」について書いた本です。桜といえば日本の春を象徴する植物であり、日本人の心といってもいいくらいにその存在が多くの人に根付いていますが、そもそも「桜」とはどんな植物なのでしょうか。そんな関心から手に取りました。

     本当は桜が満開の時に合わせて紹介したかったのですが、なかなか時間がとれず、やっと紹介できました。毎朝通る道に咲き誇っていた桜はすっかり葉桜になってしまいましたが、過ぎ去った満開の時を想いながら書いていこうと思います。



    内容紹介



    自然科学

    っているようで知らない、「生き物としての桜」-。

     「桜には何種類あるの?」
     「ソメイヨシノの他には?」
     「いつから日本人はお花見をするようになったの?」

     私が読む前に思っていたことは上のようなことでしたが、筆者はこれらの疑問に全て丁寧に答えてくれています。一番最初の「桜の種類」についての質問はよくされるそうですが、分類が複雑で、答えるのはとても難しいそうです。私たちが思っているよりもかなり複雑な「生き物としての桜」について、専門家の筆者が分かりやすく知を拓きます。

     植物分類学上の桜について。「染井吉野」をはじめとする、日本に生息する桜について。そして、桜と人のかかわり、歴史について。この本を読めば、桜について多くのことを知ることができます。そして、日本人にとって一番身近とも言えるこの花をめでる気持ちを、ますます深めることができるのではないかと思います。

    書評



    書評

    ◆ さくら、さくら

     専門家の筆者は、桜の表記一つをとってもかなり細かく、正確な表記を追い求めています。いろいろな表記が出てくるので少し混乱してしまう箇所もありましたが、表記一つでもこれほど注意を払わなければいけないという点に、一般人の私たちが知らない「桜」という生き物の存在を感じました。

     上の内容紹介でも触れた桜の種類について触れておくことにします。桜と言えば地方ごとに様々な名前の桜が存在していますが、生物学上の分類で「種」として見た時、日本にあるサクラ類の種類は10種しかないそうです。ヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラなどなど・・・。

     「ソメイヨシノは挙げないの?」と思った方もおられるかもしれません。何を隠そう、私もそうでした。ソメイヨシノは桜の「種」ではなく、「栽培品種」(人によってつくられたもの)なのだそうです。筆者は、種と栽培品種を区別するためにソメイヨシノを「染井吉野」と漢字で表記しています。

     日本の桜といえば染井吉野ですが、その歴史は意外と浅く、栽培品種として世に出たのは江戸時代の終わり、全国に広がったのは明治時代になってからです。爆発的に広まった理由は、「お花見」と関係がありました。

    多くの花見客がこうした花見をおこなうためには、花つきがよい、木が早く大きく育つ、一斉に咲くなどの条件が必要である。(中略)”染井吉野”はこれらを兼ね備えた特徴をもっており、庶民が理想とするお花見の桜であったからこそ、爆発的に広がったと考えられる。そして、”染井吉野”が広がることで、現代の我々がおこなっているお花見の様式も定着したといえるだろうか。



     染井吉野が栽培品種で、「人によってつくられたもの」であると書きましたが、この「人によってつくられた」という部分がとても大事で、この本の裏のテーマになっているといってもいいかもしれません。

     人によってつくられた、ということは、「人にとって都合のよいもの」である必要があった、ということです。春になると見事に咲き誇り私たちの目を楽しませる桜ですが、お花見との関連を見ると、「お花見としての桜」としての側面がとても強いことが分かります。

     私たちが求める「お花見としての桜」に対して、筆者が研究を続ける「生き物としての桜」。照らし合わせながら読むと面白いかもしれません。「生き物としての桜」についての記述は、おそらく私たちの多くに新鮮な驚きを与えてくれることでしょう。

    ◆ 人とさくらの命

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     4月の上旬、朝通る道には満開の桜が咲き誇っていました。桜並木の下で立ち止まることを計算して、ちょっと早く家を出ます。春の空気はふんわりとしていて、まるで桜の花びらのように薄桃色に染まっているかのようでした。

     桜の下にやってきて、立ち止まります。見事な景色です。桜の下にいる、それだけで全てが満ち足りた気持ちになりました。そして、ちょっと新しくなった生活に向けて、そっと背中を押してくれるような感じもしました。

     「日本人の心」と書きましたが、私は本当にそうだなあと思っています。桜はなんといっても咲き誇るタイミングが見事です。卒業式と入学式、出会いと別れ。桜はそんな春の季節に合わせて咲き誇ります。薄桃色の花びらが、まるでこれから始まる新しい生活への期待と不安を映し出しているように思えて、花びらに自分を重ねたこともあります。

     すっかり日本人の心に根付いている桜。しかし、筆者が伝えてくれるようにその歴史は意外にも浅く、爆発的に広まったのは明治時代になってからでした。桜が日本人の心に根付くのには、何か他にも理由があるのでしょうか。筆者が興味深いことを書いていたのでご紹介します。

     染井吉野が短命だ、というよく言われる説に疑問を呈し、自説を展開する筆者。染井吉野はお花見のために栽培されたので、その寿命というのは人の管理の手によっていると指摘します。そして、染井吉野の「寿命」を考えた時に、興味深いことが見えてくるのです。

    このように見ると、”染井吉野”の一生は人の一生とタイムスケジュールがよく似ていることに気がつく。

    (中略)現在植栽されている”染井吉野”の古木の多くは、第二次世界大戦後に植栽されたもので、団塊の世代とほぼ同じ年齢である。この世代の人たちが、自分とほぼ同じ年齢の”染井吉野”に人生を重ね合わせてみることは、ごく自然な感情であろう。



     すごく素敵なことだと思って感じ入りました。出会いと別れの季節に重なるということだけではなく、人と桜の「人生」が重なり合っている-そんな側面もあるというのです。そう考えれば、歴史が浅いにもかかわらず、人の心に桜が根付いている理由にも納得がいきます。

     団塊の世代の方は、桜に自分の人生を重ね合わせるということをするのでしょうか。平成生まれの私にはまだ思い描いたことのない景色でした。今は想像するだけですが、それはとても素敵なことだと思います。人間と自然がシンクロして、一緒に年をとっていく。なんて美しい光景だろうと思います。

     私も、これから毎年桜を見つめ、少しずつ人生と重ねていけたらと思います。この本を読んで、桜について見つめることができたのは素晴らしい体験でした。

    まとめ



    まとめ



     桜に人生を重ね合わせたい、と書きましたが、そのためには今後も桜が変わらず咲き続けることが必要です。最後に筆者は、「桜の保全」について書いています。

     地球温暖化の進行が、染井吉野の開花にも影響を与えています。桜が開花する前には、冬の時期の「低温刺激」が必要なのだそうですが、気温の上昇が発育に異常をもたらし、地域によっては開花の心配をしなくてはいけないところも出てくるようです。他にも、劣悪な栽培環境についての記述もあります。

     「人とともに」歩んできた桜。美しさに見入るだけではなく、人の手で大切に守り育てていくことも大切なのだと痛感します。私たちの人生の側で常に咲き誇ってきたかけがえのない存在へのまなざしを忘れないようにしたいものです。桜の季節は過ぎてしまいましたが、広がる葉桜に「次の春」と「これから」を想います。




    オワリ

    『桜の森の満開の下』 坂口安吾

     2年前の春に紹介した「桜本」。桜で思い出される有名な文学作品ですね。美しいはずの桜を見てざわざわと心を揺さぶられる心理描写が見事だと思います。


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    新書, 勝木俊雄,



    子どもの貧困―日本の不公平を考える (岩波新書)
    阿部 彩
    岩波書店
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    相な貧困観の改善を

     前回紹介した『子どもの貧困と社会的排除』につづき、「子どもの貧困」について書かれた本です。

     著者の阿部彩さんは、貧困や社会的排除を専門に研究をしておられます。今回は2008年に岩波新書から出版された『子どもの貧困―日本の不公平を考える』の情報をまとめます。



    内容


    健康、学力、そして将来…。大人になっても続く、人生のスタートラインにおける「不利」。OECD諸国の中で第二位という日本の貧困の現実を前に、子どもの貧困の定義、測定方法、そして、さまざまな「不利」と貧困の関係を、豊富なデータをもとに検証する。貧困の世代間連鎖を断つために本当に必要な「子ども対策」とは何か。

    (「BOOK」データベースより)

    400字書評


    400字書評

     筆者はまず子どもの貧困の蓄積を指摘する。15歳時の貧困は大人になっても解消されていなかったというのである。力のない子どもが生まれた時から貧困を背負わされ、それを乗り越えられない社会の現状は問題だろう。

     子どもの貧困による社会的損失の推計が先日発表された。子どもは将来への可能性を秘めた社会の財産であり、社会がその可能性を潰すようなことは絶対にあってはいけないと改めて強く感じる。後半には、日本の合意基準アプローチ(必需品であると社会が認めたもの)の基準が他国より非常に厳しいことが明らかにされた。このデータの解釈は様々であろうが、日本が貧困に対して「仕方ない」「自己責任だ」と捉えるような風潮は根強いものがあるのではないだろうか。

     そのような風潮の根底にあるのが、筆者が指摘する日本人の「貧相な貧困観」である。子どもの可能性を奪い、ゆくゆくは社会全体も衰退させていく貧困を、私たちは危機感を持って捉えなければいけない。(407)

    ピックアップ



    栞

    「教育の平等」「機械の平等」が支持されない社会とは、どのような社会なのであろうか。不利な状況を背負って生まれてきた子どもたちが、そのハンディを乗り越える機会を与えられない社会とは、どのような社会なのであろうか。自らが属する社会の「最低限の生活」を低くしか設定せず、向上させようと意識しないことは、次から次へと連鎖する「下方へ向けてのスパイラル」を促し、後々には、社会全体の生活レベルを下げることになる。私たちは、まず、この貧相な貧困観を改善することから始めなければいけない。



     「貧相な貧困観」ということばが大変印象に残りました。貧困について勉強を始めてから、私自身も痛感していることです。筆者が指摘するように、相対的貧困の概念は理解されにくいのかもしれません(いくら「6人に1人」などと言われても…)。

     その意味では、第6章で紹介されている「合意基準アプローチ」は日本人の貧困観がよく分かる概念だと思います。子どもたちに最低限何が必要なのか、自らに問うてみることで貧困を引き寄せて考えられるようになりたいと思います。



    ブックレビューリトル

     関連書籍の情報などをお届けします。



     社会的包摂・社会的排除の概念について詳しく知りたい方は、同じく阿部彩さんが書かれたこちらの本がおすすめです。

    ◇ ブックレビューリトルは通常更新の合間に不定期で更新しています。更新情報については「図書館だより」をご覧ください。

    新書, 社会, 阿部彩,



    •   15, 2016 18:01
  • 現代の貧困―ワーキングプア/ホームレス/生活保護 (ちくま新書)
    岩田 正美
    筑摩書房
    売り上げランキング: 146,768


    まりにも深刻な、社会の病理―

     「政府に第一優先で取り組んでほしい政策課題は」などという質問がありますが、私はそういう質問をされた時に「貧困対策」を思い浮かべるようになりました。昨年から貧困に関する本を多く読んできて、そして、貧困が「人権」にかかわる問題だということを痛感しているからです。

     貧困の現状は凄絶です。社会の最底辺は、まさに「地獄」というより他ありません。貧困に関する本を多く読んできましたが、データを並べて机の上で論じているだけではいけない分野だということも、また痛感しています。



    貧困と格差



     この本が出版されたのは2007年。それを見て、思い出します。この本が出版されたころ、社会は一種の「貧困ブーム・格差ブーム」状態でした。流行語大賞のページを確認しに行きました。2006年には「格差社会」が、2007年には「ネットカフェ難民」が、2008年には「蟹工船」(小林多喜二の小説で、現代社会の格差や貧困と結び付けられ大ブームになりました)が、そして2009年には「派遣切り」が・・・なんと、毎年のように貧困、格差関係のワードが名を連ねています。毎年流行語大賞に言葉を送り込むほど、貧困や格差は社会の問題として叫ばれ続けてきたのですね。

     2006年や2007年といえば私はまだ小学生ですが、貧困、格差ブームはよく覚えています。思い出すのは、テレビで流れていたネットカフェ難民や年越し派遣村などの様子です。もう10年近くたつのに、記憶はかなり鮮明です。小学生だった私ですらこれほどよく覚えているのですから、大人の方はもっと鮮明に記憶に残っているのではないでしょうか。

     「ブーム」という言い方がひっかかります。流行語大賞になったお笑い芸人たちの言葉は、時が経つにつれすっかり忘れ去られてしまいました。しかし、貧困・格差関係の言葉はそうはなりませんでした。今でも何も解決していない。流行語だった貧困や格差が「定着」してしまった。これは大変深刻なことです(ただし、貧困や格差は流行語になった時に突然現れたものではなく、それ以前から存在していたものであるということには注意しなければいけません)。

     貧困と格差をまとめて使ってきましたが、この2つには違いがあります。筆者は最初にその違いを指摘するのですが、2つの概念を曖昧に理解していた私にとってはこれがとても勉強になりました。

    格差 ⇒基本的にはそこに「ある」ことを示すだけでも済む

    貧困 ⇒人々の生活状態を「あってはならない」と社会が価値判断することで、発見されるもの。



     「あってはならない」の部分にハッとさせられます。たしかに、貧困というのは「あってはならない」と判断されたから貧困と呼ばれるのです。貧困の概念がこんなに一般的になったのは、実はごく最近のことです。貧困という言葉がすっかり定番になって、まるで貧困が存在することが当たり前だと考えるようにはなっていなかったでしょうか。自分にはそういう面があったので、激しく反省しました。「そうか、貧困は『あってはいけないもの』なんだ」、まずは冒頭で自分に言い聞かせます。

     「あってはいけないもの」が、当たり前のように存在する社会。社会全体を覆う深刻な「病気」です。

    貧困が取り上げられることが多くなったといっても、多数の日本人にとって、貧困はまだ「他人事」であろう。だが、「他人事」であるはずの貧困の「再発見」は、同時に社会の誰にとっても「あってはならない」状態を明確にしていくプロセスに他ならない。



     2007年から8年経ちました。さすがに、(一般市民の間では)貧困が「他人事」ということはなくなったのではないでしょうか(そう信じたいです)。貧困の再発見は少しずつされてはいると思います。それでも、まだ発見されていない貧困は山のようにあるでしょう。「病気」のあまりの深刻さに、呆然とするしかありません。

    「不利な人々」の存在



     筆者は、貧困に陥りやすい「不利な人々」が存在することを指摘します。挙げられているのは、以下の3つです。

    <貧困に陥りやすい「不利な人々」>
    ①低学歴
    ②不安定雇用
    ③未婚(=家族を作れない)



     「低学歴」とありますが、これは決して中卒や高卒の人を差別して使っているわけではありません。筆者もそのことを強く述べています。筆者が指摘しているのは、中卒や高卒だと、その後の人生において圧倒的に不利になりやすい、という状況です。様々なデータがそのことを示しているのです。繰り返しますが、決して中卒や高卒の人を差別しているわけではありません(これを強く言っておかないと誤解されそうです)。

     不利な人々の3つの条件を挙げましたが、やっかいなことに、この3つは数珠のようにつながっています。低学歴→不安定雇用に陥りやすい→結婚できない、家族を作れない、という流れがたしかに存在しています。

     「貧困の連鎖」。貧困の本を読むたびに、その深刻さを痛感します。貧困の負のスパイラルに陥っていく、という意味もありますし、親から子へ、貧困が受け継がれてしまうという意味もあります。

     ここまで深刻な貧困を生み出した原因に、「雇用の不安定化、流動化」があると思います。安定した仕事に就くことができないと、今の社会はあまりにも脆く、一気に「貧困の連鎖」が迫ってくきます。それなのに・・・

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     非正社員の割合が、初めて4割を超えました。「これでは一億総活躍ではなく一億”総貧困”」などといった、あまりにも悲観的な声も飛んでいます。数字だけを見てヒステリックになることは避けなければいけませんが、深刻な状況であることは間違いありません。

     「普通」や「安定」を手に入れることが、極めて難しくなっています。そして、「普通」や「安定」を手に入れられなかった人には、もっと酷な状況が待ち受けています。

    これらの「状況」の重なり合いが、「不利な人々」を貧困の中に閉じこめ、社会的な諸関係から排除するような”装置”として機能しているのである。 (p159)



     貧困の後に待ち受ける「社会的排除」。これは、本当に恐ろしい状態です。単に貧しいだけではなく、健康、教育、安全、人間関係などあらゆるものから排除されている状態を指します。貧困の先にある、真の恐ろしさです。

     お笑い芸人の言葉のように、一時期だけ話題になってそのあと一気に消えていってくれたら、どんなによかったでしょうか。しかし、この問題は消えません。消えるどころか……ですね。

    子どもは悪いことをしたのか



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     こちらも、新聞記事からです。先月から朝日新聞で始まった、「子どもと貧困」という特集です。毎回、衝撃的な見出しが並びます。

     「姉妹 1か月ぶりの風呂」
     「毛布1枚 父子で取り合い」
     「むし歯放置 10本が根だけに」
     「短大進学 生活苦しく風俗へ」

     子どもは、何か悪いことをしたのでしょうか。

     貧しい家庭に生まれてきて、どん底のまま、一生這い上がれない人生を過ごす子ども。あるいは、突然親が仕事を失ったり亡くなったりして、一気に貧困に突き落とされる子ども。 データを並べているだけでは分からない、「貧困のリアル」を突き付けられます。

     そんなに困窮している子どもはごく一部にすぎない、と考える人がいるかもしれません。しかし、厚生労働省の行っている国民生活基礎調査によれば、子どもの相対的貧困率は16.3%(2012)です。2003年から増加の一途をたどり、過去最悪の数字になりました。16.3%というのは、ごく一部と流せる数字ではないと思います。「約6人に1人」と言えば、深刻さが伝わるでしょうか。

     貧困という社会の病気には、もう1つやっかいな側面があります。「貧困を見えないものにしてしまう」ことです。貧困に陥った人は、社会から排除されやすくなります。その結果、貧困が見えないものになってしまうことがあります。今何不自由なく暮らしている人にとっては、どうしても見えにくい問題なのかもしれません。町にいるホームレスが、交通費を渡されて違う町に追いやられるなどというのも、「貧困を見えないものにする」例です(何一つ、解決になっていません)。

     「貧困を見えないものにする」流れにほんの少しでも立ち向かうために、これからも貧困の本は読みます。そして、紹介します。もちろん、本を読んでいるだけではいけないということも分かっています。自分は何をしなければいけないか、いつも考えています。

    レコメンド

    まらない連鎖 終わらない貧困

     立場ごとにいろいろな貧困があります。高齢者、シングルマザー、中高年男性などなど・・・。その中でも、私は記事の中で紹介した「子どもの貧困」に最も衝撃を受け、胸を痛めています。あまりにも、あまりにも酷な現実です。



    オワリ

    「反貧困」 湯浅誠さん

     貧困について知りたいというときのマスト本だと思います。貧困が「自己責任」で切り捨てられることの恐ろしさ、それに機能していない3つのセーフティネットなどについて書かれています。

    「ルポ 貧困大国アメリカ」  堤未果さん

     海の向こうの話ではありますが、こちらも有名な貧困本です。アメリカの話じゃん・・・と思われるかもしれませんが、読んでいるうちに「日本」が重なってくるのが、この本の恐ろしいところ。


    新書, 岩田正美, 社会,



    •   12, 2015 18:49
  • 翻訳語成立事情 (岩波新書 黄版 189)
    柳父 章
    岩波書店
    売り上げランキング: 32,403


    いまいさを含んだ、魅惑のことば

     ちょっと珍しい、岩波新書の黄色版です。1938年以来の長い歴史を持つ岩波新書ですが、表紙が黄色だった時期は短く、今では手に入りにくくなったものも増えました。岩波新書好きとしては、見つけただけでテンションが上がります。

     表紙だけではなく、中身もとても素晴らしかったです。今日紹介するのは、柳父章さんの『翻訳語成立事情』という本です。社会、個人、近代・・・などなど、私たちが当たり前のように使っている翻訳語には、実は生み出されるまでの苦闘の歴史と、そこに込められた「魔法」があったのです。



    分からないのに使う?



     この本で取り扱われているのは、全部で10の翻訳語です。まずは全てを列挙してみることにします。

    社会 個人 近代 美 恋愛 存在 自然 権利 自由 彼・彼女



     いずれも私たちの身近にある言葉ばかりです。しかし、どこか抽象的で、意味を捉えるのが難しい言葉たちです。「社会」「近代」などは、レポートを書くときによく使います。「恋愛」や「自由」などは、レポートというより、日々の生活においても当たり前のように用いている言葉です。

     では、「社会」とは何でしょうか?「自由」とは何でしょうか?「社会」や「自由」にあたる概念が存在するはずですが、どうして私たちはそれを「社会」や「自由」と呼ぶのでしょうか。私を含め、多くの人は答えに詰まってしまうと思います。そんなことは考えもせずに、これらの言葉を用いているからです。

     私たちが身近に用いているこれらの言葉は、西洋からやってきた概念に日本語を与えた「翻訳語」です。「社会」は幕末から明治時代にかけて生み出された造語です。「自由」という言葉はもともと日本にありましたが、翻訳語としてそこに新たな意味が加わりました。societyが「社会」に、freedomやlibertyが「自由」という言葉になった、つまりその「名付け親」がいるということです。

     もしかしたら、societyに「社会」とは違う訳語が与えられていたかもしれません(本を読むと分かりますが、実際に違う訳語もたくさん存在していました)。ですが、その中から「社会」が生き残って、私たちは当たり前のようにその言葉を受容しています。改めて考えてみると、「言葉のロマン」を感じさせる話です。

     ここで挙げられているのはどこか抽象的な言葉ばかりですが、そのように抽象的なことが翻訳語の受容に関わっていたのです。

    日本の学問・思想の基本用語が、私たちの日常語と切り離されているというのは、不幸なことであった。しかし、それには漢字受容以来の、根の深い歴史の背景がある。他面から見れば、翻訳語が日常語と切り離されているおかげで、近代以降、西欧文明の学問・思想などを、とにもかくにも急速に受け入れることができたのである。 (ⅱ)



     日常語と切り離された、「よく分からない」抽象的な翻訳語。それなのに、私たちは当たり前のようにそれらの言葉を用います。そこには、一体どんな秘密が隠されているのでしょうか。

    あいまいさの神秘



     とても面白いなと思ったのが、筆者が「カセット効果」と名付けた概念です。たしかに翻訳語にはこのような性質がある、と納得させられました。

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     カセット効果、についてはパネルにあるとおりです。カセットというのは、「小さな宝箱」を意味します。翻訳語には、何を意味しているのか分からない、というあいまいさがあります。何を意味しているのか分からないのですが、私たちはそれがとても重要な意味を持っていると思ってしまうのですね。

     レポートを書いているとき、実は私はこの効果に頼っているのではないか、と思いました。難しくて曖昧な言葉を多用していくと、自分の書いたレポートがなにか高尚なものに見えてきます。実際はたいしたことを書いていないのに、すごく難解で、そして重要なことを言っているように「見えてしまう」のですね(いつまでもそういう「ごまかし」でレポートを書いていてはいけません)。

     他人の書いた文章を読んでいる時もそうなのでしょう。抽象的な言葉が多用されている文章を読むと、中身もとても難解で立派なものに見えてきます。実際は難しい言葉を使っているだけで、全く中身がない場合もあるので要注意です。書き手としても読み手としても、かなりこの「カセット効果」に左右されている部分は大きいと思います。

    今日、私たちがsocietyを「社会」と訳すときは、その意味についてあまり考えないでも、いわばことばの意味をこの翻訳語に委ね、訳者は、意味についての責任を免除されたように使ってしまうことができる。(p8)



     翻訳語の意味は抽象的で、どこか「宙に浮いている」ような感じがありますね。そのあいまいさの正体と、私たちが意識しないうちにそのあいまいさに依存しているような面を、この本は見事に指摘しています。

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     そんなことを頭に入れながら、1つ1つの翻訳語が生み出されるまでの過程を読んでいきます。翻訳語が生み出されていくまでには、明治以降の知識人たちを中心にした様々な苦闘がありました。

     たとえば、一番最初にある「社会」の項を見てみます。福沢諭吉は、最初societyを「人間交際」と訳しました。societyという言葉にあった、広い人間関係を表わす概念を何とか表現しようとして、「人間交際」という訳語をひねり出したのです。

     結局「人間交際」はsocietyの訳語として定着しませんでしたが、私はこの訳語1つ見ても、福沢諭吉の苦労とその末にこのような訳語を生み出した彼のセンスを感じます。「人間交際」だけではありませんでした。「世間」「会社」「仲間連中」「交際」「組」・・・まだ訳語が定まる前、societyには数々の日本語が与えられました。何とかsocietyに合う日本語を生み出そうとした、知識人たちの苦闘の歴史です。

     そんな苦労の末に、福地源一郎が生み出した「社会」という言葉がsocietyの訳語として定着します。私たちは「社会」と何の疑問も覚えずに使いますが、訳語1つにこのような苦闘の歴史が存在するのです。

     何だか胸が熱くなる話です。今回は「社会」を代表して紹介しましたが、その他の9つの翻訳語にも、同様に訳語を生み出すまでの長い長い苦労がありました。とても読みごたえのあるテキストなので、興味を持った方はぜひ読んでいただけたらと思います。

    異質な意味の領域



     著者の柳父さんは、どのような言葉が翻訳語として定着していくのか、最後に述べています。柳父さんいわく、「いかにも翻訳語らしいことば」が定着していくというのです。

    翻訳語とは、母国語の文脈の中へ立入ってきた異質な素性の、異質な意味のことばである。異質なことばには、必ずどこか分らないところがある。語感が、どこかずれている。そういうことばは逆に、分らないまま、ずれたままであった方が、むしろよい。(p186)



     翻訳語のプロが書かれた本ということで、抜群に分かりやすく、抜群に面白いです。「へぇ~」とか「ほぉ~」とか、思わずそんな声を何度も出してしまいました。翻訳語の持つ「あいまいさ」の領域の説明が絶妙で、あいまいなのに納得してしまうところがあります。

     私たちが翻訳語を使うとき、いちいち意味に立ち返って、「この言葉は何を意味するのだろう」などと考えていたらきりがありません。ですが、時には翻訳語の持つあいまいな性質のことを考えてみるのもよいのではないでしょうか。そこにある「言葉のロマン」を感じることができれば、世界がちょっと変わるかもしれません。

    レコメンド

    いまいさという魔法がかかった、ロマンあふれる翻訳語の物語

     言語は私の専攻ではありませんが、本当に面白い分野だなと思います。記事にも書いたように、「言葉のロマン」を感じることができると、そこらへんの小説よりよっぽど面白かったりします。



    オワリ

     記事の中で福沢諭吉が出てきたので、関連図書には福沢諭吉のこの本を挙げておこうと思います。

    「福翁自伝」 福沢諭吉

     読みごたえがあって抜群に面白い福沢諭吉の自伝です。この本を読むと間違いなく福沢諭吉のことが好きになると思います。慶応大学に入学するとこの本が配布されることは有名ですね。


     
    新書,



    •   04, 2015 22:00
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