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  •  私は、人を叱ることが苦手です。叱られることもまた苦手です。叱るときは他人に気を使って萎縮してしまうし、叱られるとなると自分のどうでもよいプライドが傷ついてしまいます。どうしようもなくなさけないですね・・・。
    叱られる力 聞く力 2 (文春新書)
    阿川 佐和子
    文藝春秋
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     今日紹介するのは阿川佐和子さんの「叱られる力」です。発行部数150万部を超える空前の大ヒットを記録した「聞く力」の続編です。阿川さんの本は、どうしてこんなに世間で受け入れられているのでしょうか?以下、「叱られる力」のレビューです。



    叱れない、叱られたくない



    ―「私、人見知りです」は甘えじゃないの?

     序盤、阿川さんはこう指摘します。これまで多くの著名人にインタビューしてきた阿川さんですが、実は大の人見知りなのだそうです。その上で、初対面でいきなり「人見知り」宣言をする人は甘えているのではないか、と指摘します。

    程度の差はあれ、たいがいの人は心の中で「見知らぬ人に愛想よくしたくないぜ」と思いつつ、それが仕事だと割り切って自らにエンジンをかけて、ようよう生きているものだということです。ところが最近の若い社会人の傾向を聞いてみると、会った途端にまず、「私、人見知りなんです」そう宣言する人が多いという。


     その上で、ここには緻密な戦略の上に練られた自己保身術が隠れている、と阿川さん。私は初対面でいきなり「人見知り宣言」をすることはありませんが、コミュニケーションが苦手なのでそのことを相手にやんわりと伝えるタイプです。この「自己保身術」というのはすごく分かります。自分も、周りも、最近は「自己保身術」に走っていると思うのです。

     謙虚になった、つつましくなった。良い風に捉えようとすれば、そういうことばになると思います。でも、私はそういった捉え方は全くの的外れだと思っています。

     厄介事に巻き込まれたくない
     争いを引き起こしたくない
     無難に終わらせておきたい

     こういった気持ちがあるのだと思います。「私、人見知りなんです」は、巧みに張った予防線というところでしょうか。

     見知らぬ子供を叱りつける大人の姿はすっかり見なくなりました。少し叱られたくらいですぐに会社を辞める新入社員が増えました。「叱る力」も「叱られる力」も著しく減退しています。人々にこんな「予防線」を張らせる原因は何?阿川さんは、叱られ続けた自身の幼少時代を振り返りながら窮屈な時代にメスを入れていきます。

    叱ってくれる人



     阿川さんの父親は典型的な「日本の頑固親父」でした。家の中では絶対に威厳を保たなければいけないと考えており、威厳を示すためにとにかく子供を叱り飛ばします。「俺が駄目と言ったら、駄目なんだ!」・・・典型的すぎて思わず笑ってしまいます。

     叱られ続ける中で、時には歯向かい、時にはかわし、時には謝り・・・。いつ落ちるか分からない雷は大変だったと思いますが、阿川さんが叱られることでたくましくなっていった様子がよく分かります。

     家族、特に父の存在が大きかった阿川さん。現代の人々がどうして叱らなくなったのか、叱られるのが怖くなったのか、その原因を家族の姿に求めます。

    核家族化が進み、親は「怖い」も「優しい」も、すべてを背負わなければならない。(中略)小さい家の中で子供と険悪な関係を続けるわけにもいかない。そもそも自分が惨めになる。だから子供に嫌われないような叱り方を模索するようになったんのではないでしょうか。



     家族形態の変容(核家族化)は人々に様々な影響を与えました。その一つに、「叱れなくなった大人」「叱られるのが怖くなった子供」があるのですね。自分の子供にさえ本気で向き合えない大人が、他人の子供を叱れるわけがありません。また、本気で叱られる経験をしてこなかった子供が社会に出て、ほんの少し注意されただけで大きく傷ついてしまう。こうして、社会には「事なかれ」の無関心が蔓延し、叱られる耐性がない人が溢れてしまったのでした・・・。

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     阿川さんの父親は大変厳しい人でしたが、だからといって憎まれる存在かと言われれば、そうではありません。「とても厳しく、理不尽。しかし、愛に溢れている」それが「日本の頑固親父」のテンプレートだからです。

     愛の反対は無関心、というマザーテレサの有名な言葉があります。面倒事を起こしたくないと、見て見ぬふりを決め込んだり、上辺だけの対応をする人が「無関心」の象徴なら、自分のことを思い切り叱り飛ばしてくれる人は「愛」の象徴になるのではないでしょうか。

     叱られることは愛、だなんて、ちょっと臭いまとめ方になってしまいます。でも、そのようにまとめるのが一番ふさわしいのではないか、と思いました。現代人は愛に飢えている・・・哀しいかな、そういうとしっくりとくる気がします。

    叱られるために



     阿川さんも、自分を叱ってくれる人の大切さに言及します。

    人は年を重ねるにつれ、叱ってくれる年長の人間を一人ずつ失っていきます。そしていつか、誰も自分を叱ってくれなくなるときが来る。その瞬間を迎えることを私は怖れます。



     自分が間違いを犯しても、誰もそれを正してくれない。そんな風に考えるとたしかに恐ろしくなります。叱られることを恐れるのではなく、叱ってもらえなくなることを恐れることが大切なのだと感じました。

     軽妙に展開される阿川さんの文章を読みながら、何だか自分が叱られているような気分になりました。相手を不愉快にせず、「やんわりと」叱ることができる。阿川さんの本が飛ぶように売れている理由は、きっとこんなとことにあるのだと思います。





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    「聞く力」「叱られる力」の公式サイトです。阿川さんのインタビューなどが掲載されています。
    「聞く力」「叱られる力」特設サイト

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    •   07, 2015 17:56
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