HOME > CATEGORY - 日本文学(近代)
ヘッダー(近代日本文学)

 カテゴリ「日本文学(近代)」のまとめページです。このブログで紹介している日本文学(近代)の本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

 この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

 あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



日本文学(近代)




『第七官界彷徨』 尾崎翠(プラチナ)


『小僧の神様』 志賀直哉


『痴人の愛』 谷崎潤一郎(2回シリーズ)


『銀の匙』 中勘助(シルバー)

『草枕』 夏目漱石(シルバー)


『海に生くる人々』 葉山嘉樹

『風立ちぬ』 堀辰雄


『或る少女の死まで 他二篇』 室生犀星

スポンサーサイト




  •   01, 2015 00:00

  •  4月の最後はブックレビュープレミアムのコーナーです。「悪魔の小説」などという物々しいタイトルをつけてみましたが、今回紹介するのは、今年大きく話題になっている文豪の、この作品です。

    痴人の愛 (新潮文庫)
    痴人の愛 (新潮文庫)
    posted with amazlet at 17.02.13
    谷崎 潤一郎
    新潮社
    売り上げランキング: 34,899



     真っ赤に燃えるようなカバーですね。本の中身もまさにそのような感じになっていました。私自身、遅ればせながら、初・谷崎潤一郎です。書きたいことはたくさんあるので、前後編に分けてこの「痴人の愛」を読んでいきたいと思います。



     「痴人の愛」を笑えるか?

     「痴人の愛」。一言でまとめるなら、1人の男が、ある女に没頭するあまりに身を破滅させていく話ということになると思います。性的倒錯や、マゾヒズムといったものが描き出されています。

     主人公の譲治は、15歳の美少女、奈緒美に一目惚れします。彼が惹きつけられたのは、奈緒美の名前がもつ、西洋風の響きでした。

    この「奈緒美」という名前が、大変私の好奇心に投じました。「奈緒美」は素敵だ、NAOMIと書くとまるで西洋人のようだ、とそう思ったのが始まりで、それから次第に彼女に注意し出したのです。不思議なもので名前がハイカラだとなると、顔だちなども何処か西洋人臭く、そうして大そう悧巧(りこう)そうに見え、「こんな所の女給にして置くのは惜しいもんだ」と考えるようになったのです。



     奈緒美という名前に西洋人の雰囲気を感じた譲治は、彼女を同居生活に誘い込みます。食事や習い事など、あらゆるものを奈緒美に用意して、理想の女に仕立て上げようとするのです。2人の同居生活が始まります。

     はっきり言って、異常な設定です。まるでガムシロップを直接飲まされているような、甘く苦しい描写が悶々と最後まで続きます。噂には聞いていましたが、谷崎潤一郎、すごい人です。「愛と激情の男」という感じがします。

     冒頭以降、奈緒美は「ナオミ」とカタカナで表記されます。この小説は譲治の一人称語りで進む告白小説です。譲治が、「感じをだすため」と断って、奈緒美の表記をカタカナにしています。これ以降は、それに従ってカタカナで表記していきたいと思います。

     一人称語りの小説、と言いましたが、私はこれはこの作品を読むうえですごく大事な要素だと思います。主人公による、一人称の語り。小説には一人称の語り手と三人称の語り手がありますが、この作品は三人称の語りを採用していたら全く意味をなさない別の小説になっていたと思います。ナオミ、というカタカナの表記も、無視できない重要な要素です。

     そして、この本の帯にはこんなことが書いてあります。

     独自の悪魔主義的作風が一気に頂点にきわまった傑作!

     悪魔主義、という言葉に読む前はピンときませんでした。読んだ後には、たしかにしっくりとくる言葉です。何をもって「悪魔主義」なのかは解釈が分かれそうなところですが、私は作品の冒頭と終盤に見られる「読者への手招き」がそれにあたるのだろうか、と読みました。

    a0960_005795.jpg

     おおいに評価されている文学作品にこんなことを言い放つのは失礼かもしれませんが、正直に言うと気持ち悪かったです。とても肌にあったものではありませんでした。

    「世間によくある夫婦のようにお前を決して粗末にはしないよ。ほんとに僕はお前のために生きているんだと思っておくれ。お前の望みは何でもきっと聴いてあげるから、お前ももっと学問をして立派な人になっておくれ。・・・」


     
     一回りも違う男女が同居しています。男の方は気持ちの悪い猫なで声を出し、女を自分の理想の女にしようとてなずけている・・・これを延々と読まされるわけですから、「気持ち悪い」が第一感なのは自然なことだと思います。

     ただ、気持ち悪いだけでは終わらない作品であることも確かです。それを示す分かりやすい部分が、冒頭と終盤だったように思います。

    <冒頭>私はこれから、あまり世間に類例がないだろうと思われる私たち夫婦の間柄に就いて、出来るだけ正直に、ざっくばらんに、有りのままの事実を書いてみようと思います。それは私にとって忘れがたい貴い記録であると同時に、恐らくは読者諸君にとっても、きっと何かの参考資料になるに違いない。



     読み終えた後に冒頭に戻るとビックリします。谷崎は、この告白小説が、読者にとって「参考資料」になる、と言わせているのです。女に一目惚れし、自分の家で同居させ、理想の女に仕立て上げる。女の要望はすべてかなえ、女のために馬になって背中に女を乗せるような男が、読者にとって「参考資料」になる、と。

     そんなわけあるか、と一瞬思ってしまいそうですが、考えてみると、そんなわけがあるように思えてくるのです。作品の最後にはこうあります。ここを読んだとき、私は冒頭の「参考資料」に込めた谷崎の皮肉というか読者への「挑戦状」のようなものを感じました。

    これで私たち夫婦の記録は終りとします。これを読んで、馬鹿々々しいと思う人は笑って下さい。教訓になると思う人は、いい見せしめにして下さい。


     今風に言えば、谷崎が読者に向けて「喧嘩を売っている」とでも言えそうな場面です。笑いたければ笑え、そう言いますが、その裏には、「笑いたくても笑えないだろう」と不敵に笑う作者の姿が見えます。また、「教訓」という言葉があります。冒頭の「参考資料」と同じです。こんな一見気持ち悪いだけの話に、谷崎は「教訓」があると言っています。

     先程、一人称の語りと三人称の語りがあると言いました。これは、小説でとても大事な要素です。一人称の語りでは、語り手の主観的な面が強くなります。奈緒美のことを「ナオミ」とカタカナで表記しているのはその典型です。

     もう一つ、この作品が一人称の語りを選んだ理由としては、今挙げた冒頭と終盤のような、「読者への呼びかけ」がしたかったからだと思います(解説の野口武彦さんも指摘しています)。一見1人の男が自分の惚れた女について好き勝手に語り倒しているようで、実は読者のことが強く意識されている小説です。なぜ意識しているかというと、それは冒頭と終盤にあるようにこの話に「教訓」があるからだと思います。

     その教訓は何だろう、ということを、後編で考えてみようと思います。考えているときに思い出したのが、先日読んだ、村上春樹さんのこの短編集でした。

    女のいない男たち女のいない男たち
    (2014/04/18)
    村上 春樹

    商品詳細を見る

     「女のいない男たち」 村上春樹さん

     男と女、その逆らいがたい「運命」のようなもの、と言えばいいでしょうか。村上春樹さんの言葉も借りながら、次回は後編です。「女のいない男たち」のレビューも描いているので、よかったらリンク先からどうぞ。
    谷崎潤一郎, 近代日本文学,



    •   29, 2015 11:59

  •  最近、日本文学のレビューが増えています。大学で日本文学の授業を取っているので、その関連です。普段読んでいるエンタメ小説とは異なり、精神の緊張を伴った読書になります。

    草枕 (岩波文庫)
    草枕 (岩波文庫)
    posted with amazlet at 15.05.09
    夏目 漱石
    岩波書店
    売り上げランキング: 386,227


     精神の緊張、という言葉が最も似合いそうな文学者の登場です。夏目漱石の「草枕」を読みました。中学の時に読んだ「こころ」は難しいながらもそれなりに理解して読むことができましたが、この作品はそもそも理解が難しい・・・。解説、求む!という感じでした。とりあえず、今の私が書ける感想です。




    漱石からの挑戦状



     難しいと思うのはある意味当然のことかもしれません。漱石は、小説を通して読者に「挑戦状」を送り付けている、そんな人なのです。今年の4月から朝日新聞で「それから」の再連載が始まったのですが、その初日に齋藤孝さんがこんな文章を寄せています。

    漱石は読者に本気で球を投げていた。(中略)遠慮なく教養を爆発させている。国語力が高い人も低い人も、漱石に合わせようと頑張っていたのだろう。捕れない球もあっただろうが、みんな食らいついていった。


    サッカー日本代表が世界上位を目指すように、漱石は日本の文化のレベルを上げようと努めた。文芸欄で若手に執筆させたのは選手を選ぶ監督のよう。自分でも書くのだから、選手兼任監督といえるだろうか。(以上、『朝日新聞』 2015/4/1)



     日本の文壇を底上げしようとしていた、というのがこの人のすごいところです。圧倒的な教養を誇り、その教養が日本文化の、そして日本全体の向上につながると信じて筆をとっていたのでしょうか。芥川龍之介が漱石に「鼻」を激励されて自信をつけた。という有名な話があるように、多くの作家を育てた人でもありました。

     今回読んだのは「それから」ではなく「草枕」ですが、多くの教養が散りばめられていることは同じです。特に、漢詩に関する知識が多く求められます。私のようなレベルでは、1割も理解できていないでしょう。

     それでも、そんな苦労に価値がある、と齋藤さんは述べています。分かりやすさを求める時代にも、漱石が伝えようとした深く広い世界を見ようとするあこがれがある、と。読み終えてみて、大きく頷きます。

    西洋批判


     
     あらすじと呼べるものはほとんどありません。ある男が、山中の温泉宿にやってきます。彼は絵描きでした。雄大な自然が広がるその環境で、彼が目指したのは「非人情」の境地です。

    有体なるおのれを忘れ尽くして純客観に目をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。



     非人情とは何か、と言われると難しいですが、この「純客観」という言葉がポイントになりそうです。自然に対してだけでなく、人間に対しても非人情を貫こうとしたのがこの男のすごいところでした。「お互いの間に人情の電気が通うことがないように、常にある距離を置いて取り扱って行こうとする」(解説文)様子が描かれています。

     そんな彼の前に現れたのが、那美という美女でした。彼にとっては、今まで出会った中で最も美しい女だったようです。非人情を貫こうとしたのに、そんな女が現れてしまった。普通なら、すぐに心を乱される、つまり人情に介入されそうなところです。

     先日紹介した谷崎潤一郎の「痴人の愛」にも、ナオミという少女が登場し、主人公の男を誘惑し破滅に追い込んでいきました。絶世の美女が出現すれば、破滅とはいかなくても心をかき乱されるのは確実ではないでしょうか。非人情の境地を保つことはかなり難しそうです。そんな状況で物語は進みます。

     いったいこんな状況でどう話を進めていくのだろう、と思いながら読みました。結論を言えば、男は人情と非人情のギリギリのところで、実に繊細に、巧妙に立ち回っていました。針の穴に糸を通すような、とでも言ったいいでしょうか。本当に絶妙な、ギリギリのラインです。

     「主人公の画工が主張する『非人情』なるものが人間を相手にする場合、どう発現するものであるかを、言わばぎりぎりのところまで追い込んで、具体的に説明しようとしたもののようである」(解説)

     男の破滅を徹底的に描く谷崎潤一郎はすごかったです。しかし、このギリギリのラインでのせめぎ合いを描く、夏目漱石にもまた凄味がありました。「非人情」というのは、かなり扱うのが難しいテーマです。ですが、主人公の男にはどこか「心の余裕」なるものがあって、絶妙にバランスを取っています。

    a0070_000072.jpg

     作品の終盤、漱石の「西洋批判」が随分ストレートな言葉で語られます。高校の時に「現代日本の開化」、という漱石の書いた文を国語の授業で読みました。日本は外から無理やりこじ開けられるような「外発的」な開化をしている、そんな風に漱石は語っています。ここでも、かなり強い言葉で、西洋や文明が批判されます。

    文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする


    文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻せいの内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人をにらめて、寝転んでいるのと同様な平和である。



     文明によって個人、個性が抹殺される、というのが大変鋭い視点です。漱石が現代にやってきて、満員電車にぎゅうぎゅうに押し込まれる人々を見たら、一体何と言うでしょうか。というか、漱石は未来をどこまで先まで見通していたのでしょうか。

     こういった文明批判、西洋批判と絡み合うのがこの作品です。私は、先程書いた、男の「心の余裕」なるものが、文明化や西洋化に対立しているのかなと思いました。男は、文明とは全く交わらないところにいます。そんな男が、巨大な文明という者に対して、ささやかに、かつ大胆に抵抗している、そんな印象を受けました。

    余も木瓜になりたい



     終盤、有名なセリフが出てきます。上に書いた、「余も木瓜になりたい」というものです。木瓜とはバラ科の植物で、紅や白のきれいな花を咲かせます。

    評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい



     最初、さっぱりわけがわかりませんでした。「拙を守る」とは、不器用な生き方を押し通すといった意味があるそうです。ですが、どうして「拙を守る」が「木瓜」になるのか・・・。

     「拙を守る」という言葉は、陶淵明という人の五言詩にその由来があるそうです。中国の古い詩にそのルーツがあるのですね。最初に、「漱石は読者に挑戦状を送り付けている」と書きましたが、そのことを実感します。細かいところを見れば、数えきれないくらいの教養がこの作品には詰まっているのだと思います。

     そんな「拙を守る」象徴として、漱石は木瓜を好んで登場させたようです。文学的ルーツが全く分からないので、この部分の解説はできません。ですが、とても印象的な部分でした。俗世からは離れて、愚直に、それでいてどこか余裕を持って咲き誇る。そんな木瓜の花に、漱石はどこかシンパシーを覚えていたのかもしれませんね。

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『草枕』を「シルバー」に登録しました。おめでとうございます。



    LogoFactory+(1)_convert_20150405222943.jpg
    解極まりない「漱石哲学」との対話 頭がくらくらします

     レビューを見ていると、「年を取るとこの作品のことが理解できるようになる」というような言葉が並んでいました。その通りなのかもしれません。私も、時間を置いて再読したいと思います。その時は何を感じるでしょうか。

    夏目漱石, 近代日本文学,



    •   09, 2015 11:59

  •  土・日・月と、プレゼンのための資料をつくっていました。久しぶりに更新します。どれだけ頑張って資料を作っていっても、先生に叱られるのが決定事項・・・。なかなか堪えますが、そんなことを言っていても仕方がありません。「先生の前で言い訳をしない」ということだけは心がけておきたいと思います(発表前からすごい悲壮感ですね)。今週は、修羅場!

    海に生くる人々 (岩波文庫)
    葉山 嘉樹
    岩波書店
    売り上げランキング: 539,037


     実生活が修羅場なら本の内容は心が温まるものに・・・と言いたいところですが、残念ながら私が読んだ本は実生活以上の修羅場でした。本から血の生臭い匂いがしてくるようです。葉山嘉樹の「海に生くる人々」という作品を紹介します。



    蟹工船の元ネタ



     これまでに紹介した日本文学に比べると、だいぶ知名度が劣るかもしれません。この作品は、「プロレタリア文学」の代表的な作品の一つにあげられます。

    プロレタリア文学・・・戦前の日本文学のひとつ。1920年代~30年代。社会主義や共産主義の思想を大きく反映している。「プロレタリア」は労働者階級、無産者階級のこと。



     「海に生くる人々」は分からなくても、「蟹工船」ならほとんどの人が分かります。 蟹工船はご存知小林多喜二の小説で、近年「蟹工船ブーム」で再脚光を浴び、爆発的に売れました。特に若い世代からは人気があります。(どうして若い世代に人気があるのでしょう??理由はのちほど)

     恥ずかしながら、私も去年初めて「蟹工船」を読みました。その解説で出てきたのがこの作品です。知名度では圧倒的に蟹工船が有名ですが、実はこの作品、蟹工船の元ネタになった作品です。

     読んでみて驚きます。「蟹工船」とうり二つです。特にプロットはそっくりそのままで、「蟹工船」のアレンジを読んでいるようでした。ですが元になっているのはこちらの作品です。小林多喜二はこの作品から強い影響を受けたと言われています。

     読んでみての感想ですが、私はもっとこちらの作品が脚光を浴びてもよいのではないか、と思います。蟹工船はアマゾンのレビューがたくさんあるのに、この本はわずか1件(!)そりゃないよ・・・という感じです。

    真っ向からの反論



     プロレタリア文学の作品を2冊読んでの感想なのですが、私にとってはあまり好きにはなれないジャンルだと思います。やはり、文学にこれほどイデオロギーが介入していることが受け入れられないのかもしれません(ここでのイデオロギーとは社会主義、共産主義になります)。

     ここまでイデオロギーが介入するということで、プロレタリア文学はかなり特殊なジャンルです。過酷な時代の状況が伝わってきて、まるでページに血の香りがにじんでいるようでもあります。

     そんな風に「苦手」と言っておきながらですが、この作品で語られていることは紛れもない「正論」です。正論だからこそ、読み手に刺さり、読み手を苦しめるのだと思います。「労働者」と「資本者」。絶対に乗り越えられない階級の壁がありありと描かれています。

    人間が人間を喰う時代の存続する限り、労働者は、その生命が軛(くびき)の下にあることを自覚しなければいけない

    疾病や負傷や死までが、生活に疲れ、苦痛になれた人たちにとっては軽視されるものだ。生活に疲れた人々は、その健全な状態においてさえ、疾病や負傷の時とあまり違わない苦痛に満たされているのだ。



     「人間が人間を喰う時代」の部分は思わず唸ってしまいました。もちろんここに書かれていることは全てが純粋な事実というわけではないですし、演出も大いに含まれています。それでも、労働者がゴミのように扱われる様子が克明に綴られていくプロレタリア文学を読む際は、相当の心の痛みを伴います。社会主義や共産主義というのは置いておいても、「人間らしく生きたい」というのは、誰もが思う根源的欲求です。

     この作品の発表から約90年たっても、「人間が人間を喰う時代」自体は何一つ変わっていないことには虚しさを覚えるしかありません。

    a1180_009312.jpg


     そんな労働者たちが、一致団結しストライキを起こす、というのがこれらの作品の流れです。

    「人間を、軽蔑する権利は、だれもが許されていないんだ。また、他人の生命を否定するものは、その生命も、否定されるんだ!わかったか」


     力強いメッセージだったので、全部太字にしました。この言葉を否定できる人はいないと思います。彼らの主張はまぶしいくらいの正論なのです。

     この作品の結末はどうなると思いますか?この作品も、「蟹工船」もまったく同じです。労働者は団結して声をあげるのですが、それはあまりにあっけなく、一瞬で握りつぶされます―。

    蟹工船ブームに想う




     冒頭でも書きましたが、近年、「蟹工船ブーム」が起こり、「蟹工船」が再び光を浴びるようになりました。2か月で30万部売れたとか!新刊でも2か月30万部はとてつもなく高いハードルです。どれだけ爆発的ヒットか分かります。

     このブームを支えたのが、若年層、特にニートやフリーターと呼ばれる人たちだったそうです。このころは、「格差社会」「派遣切り」「年越し派遣村」「ワーキングプア」こんな言葉が飛び交う時代でした。なるほど、困窮する若者が「蟹工船」に自分たちを重ねたくなるわけです。

     もちろん「蟹工船」からも学ぶことはあると思います。でも、「蟹工船」は小説です。この「海に生くる人々」も小説です。小説の中で労働者は華々しく革命を起こしますが、現実はどうでしょうか・・・。この時代の労働者と、現代の若者を一緒にしていいのか、という問題もあります。「蟹工船ブーム」にはあまり熱くなりすぎず、冷静な目を持つべきだと思います。

     それにしても、悲しいです。「蟹工船」がこんなにも読まれている現代が。特に若者が、「蟹工船」に陶酔する現代が・・・。

     最後に、「海に生くる人々」に戻ります。このタイトルがとても良いです。「海」という言葉にはある意味が込められていました。今日の最後は、その部分で締めくくります。

    海は最も低いところで、そこへ流れて来た「人間のくず」どもは、現社会の一切ののろいを引き受けているように見えた。



    LogoFactory+(1)_convert_20150405222943.jpg
    生這い上がれない社会という海の底・・・。この作品が読み継がれること自体が最大の不幸なのかもしれません。

     今日は気分が悪くなるようなレビューでしたね。プロレタリア文学は好きになれそうにないですが、時間を置いてまた読みたいと思います。というか、「読まなければいけない」と思います。
    近代日本文学, 葉山嘉樹,



    •   25, 2015 22:43