HOME > 近代日本文学
 金沢生まれの詩人、室生犀星。犀星は多くの小説も書き残しています。小説では、詩人犀星の美しい感性が瑞々しい文章で綴られています。詩とは異なる魅力を感じることができる小説。手に取ってみてはいかがでしょうか。



 岩波文庫版には、「幼年時代」「性に眼醒める頃」、そして表題作の「或る少女の死まで」の三篇が収録されています。



一行レビュー図書館



一行レビュー図書館

 本の内容や魅力を箇条書きで簡潔に紹介する「一行レビュー図書館」です。

・室生犀星の自伝的小説
・金沢で生まれ、詩人を志し、そして東京へと旅立つ犀星
・その人生が小説の形で、美しく、瑞々しい筆致で描かれている

・金沢の雄大な自然、そして北陸の厳しい冬
・そこで育まれた詩人としての豊かな感性
優れた色彩感覚とどこか宗教的な雰囲気が読者を魅了する

・「金魚」や「鯉」、「子供の表情」を捉える独特の色彩感覚
・詩人の美しき感覚世界を体験できる贅沢な描写
・性的衝動や、大切な人の死-それらに出会った時の心の揺れ動きも絶品

・おすすめの一篇は「性に眼醒める頃」
・十七歳の少年が、性的衝動に出会う時…
・「罪悪感」「秘密の共有」と絡まり昂ぶる恋心。
・誰もがきっと共感できる、瑞々しい恋のおはなし。

ブクログ感想 & 引用



 ブクログに投稿した感想と本の中から印象的なフレーズを抜き出した引用のコーナーです。ブクログには他の方の感想も多数投稿されています。本との出会いを探しに行ってみてはいかがでしょうか。


室生犀星の自伝的小説です。「幼年時代」「性に眼醒める頃」「或る少女の死まで」の三篇が収録されています。詩人犀星の美しい感性が織りなす瑞々しい文章と全体に漂うどこか宗教的な雰囲気に魅了されました。

最も印象的な一篇として「性に眼醒める頃」を挙げたいと思います。小説としての完成度がとても高いと感じました。作品の中に効果的に山が設けられ、読者の感情の昂揚を誘います。自伝的小説とのことでしたが、この作品に関しては完成度の高い創作物を読んでいる気分になりました。

恋心に眼醒める17歳の少年。芽生えたその思いが、「罪悪感」や「秘密の共有」といった刺激と絡みついて昂ぶりを見せていきます。彼女の雪駄にそっと足を差し入れてみるシーンなどはもうたまりません。作中で全身を火照らせる少年と同じく、読んでいる私の身体まで火照ってしまいました。性的衝動を瑞々しく、見事に綴ってみせた佳篇です。



sketchbook.jpg


何者をもその存在する事実は許さなければならない。たとえ盗人でも殺人でも、そうしたものの必然に生れてゆくことを根絶することはできない。ただ、その事実に愛をもてない。喜べない。 234ページ



 室生犀星 『或る少女の死まで 他二篇』 の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



スポンサーサイト
室生犀星, 岩波文庫, 近代日本文学,



教科書 新春スペシャル

 前回に続き、夏目漱石の『坊っちゃん』を紹介したいと思います。きのうは新春のスペシャルドラマが放送されていましたが、ご覧になっていた方はおられるでしょうか。改めて、新年にふさわしい痛快な内容の作品だと思いました。

 今日は主人公である坊っちゃんの人柄にフォーカスしてみようと思います。発表から110年の時を経ても、いまだに多くの日本人に親しまれ続けている『坊っちゃん』。作品の中には、日本人であれば誰でも心が動かされるような、そんな日本人の「心のふるさと」とでもいうべき要素を見つけることができます。

前編の記事はこちらから

(約3,700字 +追加分750字)



スペシャルドラマ放送!



 本のレビューに入る前に、きのう1月3日に放送されたスペシャルドラマについてコメントしておこうと思います。主人公の坊っちゃん役には嵐の二宮和也さん。放送する前から予感してはいましたが、二宮さんは見事にはまり役でした。二宮さんはアイドルとしてだけでなく、役者としても素晴らしい才能を持った方だと思います。特に二宮さんが熱弁を振るうときのまっすぐな目にはすごく惹きつけられます。そんなわけで熱く語るシーンの多い坊っちゃん役は最高のはまり役だったと思います。

 坊っちゃん以外のキャストも私としてはとても好みでした。山嵐役の古田新太さんは坊っちゃんと一緒に熱く正義を押し通してくださいました。赤シャツ訳の及川光博さんは嫌らしい役をやらせたら天下一品ですね。演じておられるご本人も何だかノリノリでした。そして、清役には宮本信子さん。・・・この配役が一番うれしかったです。個人的に清はこの小説で一番大切な人物だと思っているのですが、宮本信子さんが清の滲み出る愛と優しさを演じてくださいました。

 最後は原作と内容を変えていましたね。実は、原作はちょっと敗北感が残るというかやるせない終わり方になっているのです。ドラマは視聴者が鬱憤を晴らせるように上手くアレンジしてあったと思います。赤シャツへの鉄拳制裁!生徒たちから赤シャツへの仕返し!・・・というとても気持ちのよい内容でした。ドラマはドラマでとてもよいのですが、やるせなさが残る原作の終わり方にも大切なメッセージが込められていると思うので、原作を未読の方はぜひ読んでみていただけたらと思います。

 ・・・とドラマについて感想を語ったところで、後編の記事に入っていきたいと思います(この部分はドラマ視聴後に書き足しました)。後編の記事では、坊っちゃんにとって何よりも大事な存在、清についても触れています。

古典的カリスマ



 改めて、坊っちゃんの性格を整理してみようと思います。曲がったことが大っ嫌いで、義理と人情に厚く、己の正義を貫き通す。読んでいて大変に心地よい人物です。そう、坊っちゃんは生粋の「江戸っ子」。多くの日本人がこの作品を読んでいて感じる快感の正体は、この「江戸っ子」へのあこがれなのではないでしょうか。

 最後、坊っちゃんと山嵐は憎たらしい赤シャツと野だに鉄拳で制裁を加えます。その論理と思考回路は極めて単純で直情的です。思考と行動が一直線なのも分かりやすいですね。改めて読み返してみると、私は夏目漱石がこのようなストーリーを作ったことに彼なりの主張があったのではないか、と思えてなりませんでした。

 夏目漱石と言えば、帝国大学(現在の東京大学)を卒業し、イギリス留学も経験したエリート中のエリートです。この『坊っちゃん』の中で言えば、教頭の赤シャツが夏目漱石にもっとも近い感じがあります。そんなエリート中のエリートである漱石が、このような直線的なストーリーを書き、坊っちゃんのような単純明快なキャラクターを生み出しました。やはり、何らかの意思があってのことと考えるのがよさそうですね。

 前編でも引用した江藤敦さんの解説にもう一度立ち返ってみることにします。江藤さんは、主人公坊っちゃんの原形を江戸時代の文芸の中に見出します。たしかに、坊っちゃんのルーツが江戸時代の作品にあるというのは納得のいく考え方です。江戸時代の文芸には、伝統的な勧善懲悪のテンプレートがありました。坊っちゃんは、まるでそのテンプレートを丁寧になぞっているような、そんな作品だと思います。

漱石は暗に主張しているのである。外国語も近代思想も、いわんや近代小説理論も、それらはすべて附け焼刃にすぎない。人は決して、そんなものによっては生きてはいない。生得の言葉によって、生得の倫理観によって、生きている。少なくとも彼自身を生かしているものは、近代があたえた価値ではない。(解説:江藤敦さん)



 エリートの漱石は、文明の発展や近代化を論じた論客としても知られています。この『坊っちゃん』は近代化などとはまるで無縁の小説だと思って読んでいましたが、そうではなく、作品の奥底には近代化へのアンチテーゼがあると考えるのがよさそうですね。

 生得の言葉、生得の倫理観という表現がしっくりきます。この小説は理屈抜きに楽しめるのです。それはまさに、私たちがこの小説に感じる快感が「生得」のものであり、坊っちゃんのような江戸っ子に今も心の奥底でシンパシーを覚えているからだと思います。私たちはこの小説を読んで痛快になって、そして自分が日本人であることに立ち返っているのかもしれません。江戸時代が終わってから150年ほどたちますが、そのような快感が全く変わらないとすれば、これは日本人が受け継ぐDNAのようなものなのでしょうか。

金や威力や理屈で人間の心が買えるものなら、高利貸でも巡査でも大学教授でも一番人に好かれなくてはいけない。中学の教頭位な論法でおれの心がどう動くものか。人間は好き嫌いで働らくものだ。論法で働らくものじゃない。



 「そうだー!」と思わず掛け声をかけたくなるような衝動に駆られます。そのような衝動に駆られるとき、私の中でも無意識のうちに「日本人のDNA」が反応していたのでしょう。

清き心



 『坊っちゃん』を語る時、もう一つ忘れてはならないのが坊っちゃんを小さい時からかわいがってくれたばあや、「清(きよ)」の存在です。清はその名前通り、清い心を持った優しい人物です。だからこそ、坊っちゃんはこんなにもまっすぐに育つことができたのでしょう。そして、まっすぐ育った坊っちゃんは、離れ離れになっても清のことをずっと想い続けています。

 ツイッターのフォロワーさんで、『坊っちゃん』が「おばあちゃん小説」だと言っておられた方がおられました。私はほほえましい気持ちになりました。「おばあちゃん小説」とはよく言ったもので、本当に坊っちゃんの清への愛がにじみ出ている小説です。作品全体がそんな愛に包まれていて、それが何度でも読み返したくなるような作品の魅力につながっています。

68c2d4a65a7e334e0d4a29a5a429ca76_s.jpg

 清は身分が低く、まともな教育も受けていない女性でした。しかし、小さいころから一心に坊っちゃんのことを愛してくれたのです。坊っちゃんは清にかわいがってもらったことを思い出しながら、清に思いを馳せます。

今まではあんなに世話になって別段有難いとも思わなかったが、こうして、一人で遠国へ来てみると、始めてあの親切がわかる。(中略)清はおれの事を慾がなくって、真直な気性だと云って、ほめるが、ほめられるおれよりも、ほめる本人の方が立派な人間だ。何だか清に逢いたくなった。



 離れてみて初めてそのありがたみを痛感する・・・真理だと思います。小さいころからかわいがってもらったことのありがたみを、遠い愛媛の地に来て初めて身をもって知ったのでしょう。そして、坊っちゃんは人に感謝ができる立派な人間に成長していました。清は立派だと坊っちゃんは言いますが、私からすれば、坊っちゃんも清も同じくらい、後光がさすような立派な人物です。

 こういう風に、坊っちゃんが清を思い返す箇所は作中に何度も登場します。そのひとつひとつが温もりにあふれているので、読んでいるとまるで実家に帰った時のような安心感があります。家族というのは何者にも代えがたい存在なのでしょう。改めて、家族がいること、自分が帰る場所があることのありがたみに気付きます。

 もう一か所、私が『坊っちゃん』の中で大好きな箇所を紹介します。坊っちゃんが清に手紙を書こうかと思案する場面です。

その時俺はこう思った。こうして遠くへ来てまで、清の身の上を案じていてやりさえすれば、おれの真心は清に通じるに違ない。通じさえすれば手紙なんぞやる必要はない。やらなければ無事で暮らしていると思ってるだろう。たよりは死んだ時か病気の時か、何か事の起った時にやりさえすればいい訳だ。



 清のことを思っているから、その気持ちは手紙を書かなくても伝わるはずだ、と思う坊っちゃん。彼の豪胆な性格と清を思う深い気持ちが同時に伝わってきます。便りがないのは何とやら、とは言いますが、なんとも坊っちゃんらしい発想で心が温まります。

生まれ続ける「坊っちゃん」



 山嵐が学校を辞めさせられそうになる時、坊っちゃんは自分も辞表を出して義理を通そうとしました。「履歴なんか構うもんですか。履歴より義理が大切です」、そう言い切る坊っちゃんの姿に、私は思い出した人物がいました。

 栗原一止。小説、『神様のカルテ』シリーズの主人公です。「通らぬ正義は押し通せばいい」、そんな風に言っていた一止先生の姿と坊っちゃんの姿がぴったり重なった瞬間でした。

 神様のカルテの一止先生というキャラが坊っちゃんから影響を受けている可能性は、極めて高いと思います。シリーズの作者は夏川草介さんですが、夏川草介さんの「夏」は「夏目漱石」に、「草」は『草枕』(漱石の小説)に由来しています。そう、夏川さんは大の漱石好きなのです。そして、そんな夏川さんが生み出した一止というキャラも、常に『草枕』を持ち歩くような漱石好きの人物として描かれています(本当に夏川さんは夏目漱石を敬愛しておられるのですね)。

 ぶっきらぼうだけど人間味にあふれる一止先生のモデルはこの『坊っちゃん』にあるのではないかと私は想像しました。つまり、『坊っちゃん』は形を変えて生み出され続けているのです。『神様のカルテ』を読んで一止先生に親しみを覚えた人は、それはさかのぼれば「坊っちゃん」に親しみを覚えていることになるのです。

 これは分かりやすい例で、坊っちゃんに影響を受けて書かれた作品はもっとたくさんあると思います。もし小説を読んでいて共感できる主人公がいたとしたら、その主人公には「坊っちゃん」の血が多かれ少なかれ流れているかもしれません。曲がったことが大嫌い、まっすぐ、義理と人情に厚い・・・そんな人物で思い出す人はいませんか?そのルーツにはきっと(本の作者が意識していてもいなくても)「坊っちゃん」があるのだと思います。

 今も読まれ続ける小説、『坊っちゃん』。今も生まれ変わり続ける主人公、坊っちゃん。今年は漱石の没後100年の節目の年になります。改めて、彼の魅力を再確認してみるのはいかがでしょうか。



オワリ

『神様のカルテ0』 夏川草介さん

 記事中で紹介した神様のカルテシリーズの最新刊です。夏目漱石の作品を読んでいると、このシリーズが漱石からとても大きな影響を受けていることが分かります。神様のカルテシリーズが好きな方、そのルーツにある漱石の作品もぜひ合わせて読んでみてはいかがでしょうか。


夏目漱石, 近代日本文学, 教科書,



  •   04, 2016 00:00
  • 教科書 新春スペシャル

     新年最初に紹介する本は、夏目漱石の『坊っちゃん』です。夏目漱石は今年没後100年を迎えます。節目の年ということで、今年は例年にも増して注目されることになるでしょう。

     没後100年を飾る最初のイベントとして、この『坊っちゃん』が今日1月3日にスペシャルドラマとしてオンエアされることになっています。『坊っちゃん』は新春ドラマにふさわしい、痛快で胸のすく小説です。そして、この作品は中学1年の教科書に掲載されている教科書文学でもあります。新年一発目の景気づけに、この小説を2回に分けて読んでいくことにしましょう。

    (約3,300字)



    滑稽なキャラたち



    坊ちゃん

     新春からドラマ化される『坊っちゃん』ですが、改めて読み返してみると「ドラマ化するのになんてぴったりな小説なんだろう」と思って思わず笑みがこぼれてしまいました。そして、ドラマ化にぴったり、という印象を抱かせた原因は、あまりにも型通りに描かれる「キャラの滑稽さ」にありました。

     漱石が愛媛県の尋常中学校で教鞭をとっていた経験をもとに書かれた『坊っちゃん』。漱石の代表作の中でも、『こころ』などとは異なり、かなり通俗的な内容です。神経病をわずらっていた時期もある夏目漱石の小説というのは、読み手である私たちも頭を抱えてしまうような鬱屈さがあるのですが、この小説にはそのような鬱屈さは見られません。鬱屈どころか、とにかく痛快でテンポがいい。落語を聞いている時のような心地よさがあります。

     国民的小説なので、あらすじは解説不要ですね。先程も書いたように、キャラが型通りに描かれていて、大変滑稽なのが特徴です。坊っちゃん、赤シャツ、山嵐!頭の中に人物の姿がすぐに浮かんでくるくらい、キャラたちが典型的、漫画的に描かれていることが分かります。

     事なかれ主義の校長(狸)
     嫌味で陰湿な教頭(赤シャツ)
     教頭の腰ぎんちゃく(野だ)
     正義感はあるが、無鉄砲な主人公のよき理解者(山嵐)
     そして、人情味あふれる愛すべき江戸っ子、坊っちゃん

    「来年の夏に帰る。今日学校へ行ってみんなにあだなをつけてやった。校長は狸、教頭は赤シャツ、英語の教師はうらなり、数学は山嵐、画学はのだいこ。今に色々な事をかいてやる。さようなら」



     登場人物をおさらいし、主人公の坊っちゃんが家の下女だった清(きよ)に書いた手紙を引用してみました。こうして並べてみると、登場するキャラクターたちは本当に型通りの描かれ方をされていますね。見た目や特徴から分かりやすいあだ名をつけるというのも、キャラクターに愛着を持たせる常套手段です。改めて整理してみると、夏目漱石の徹底した通俗性の追求に気付きます。
     
     そんな漱石の通俗性の追求が、何度でも読み返したくなるような魅力をこの作品に与えていることが分かります。私は上に、「落語を聞いている時のような」や「漫画的」という表現を用いました。『坊っちゃん』に落語や漫画のような面白さを感じる理由を、前編ではもう少し詳しく見ていくことにします。

    天才の流麗



     『坊っちゃん』は大変通俗的な小説ですが、だからといって中身がスカスカだということはありません。1906年に発表され、110年経った今も読み継がれ、日本文学を代表する作品になっていることがその証拠です。たしかに通俗的で、難しい表現に頭を抱えることはありません。ですが、このような小説にも、夏目漱石の作家としての天才的な才能がいかんなく発揮されているのです。

     読んでいて直感で気付くのが、「この小説は短期間で、一気に書き上げられた作品だろう」ということです。一気に書き上げないと、この勢いは出ないと思います。夏目漱石が原稿用紙の上で勢いよく筆を運んでいた様子が目の前に浮かんでくるようです。

     作品から感じる通り、この作品は短期間で勢いよく書かれたものでした。岩波文庫版の解説で江藤淳さんが詳しく書いておられますが、原稿用紙215枚分ほどのボリュームがあるこの作品を、漱石はわずか1週間ほどで書き上げたそうです。

     そして、この作品は漱石が書いた原稿が現存しているのですが、原稿に推敲のあとがほとんどなかったことが明らかになっています。これは、漱石が勢いよく、まさに「気の向くまま」にこの作品を書き上げたことを証明するものです。キャラクターの書かれ方が典型的で、ストーリーもずいぶん直線的なのですが、この小説はなるべくしてそうなったのだと思います。勢いが途中でよどんでしまっては台無しでしょう。「一気に書き上げた」ことにこそこの作品の価値があるのだと思います。

    いずれにしても、このような執筆の状況を一瞥すれば、『坊っちゃん』の最大の魅力となって全編を支えているのが、一気呵成な創作力の奔出から生れた歯切れのよい文体のリズムであることは、まず議論の余地があるまい。 (岩波文庫版解説・江藤敦さん)



     f3f6bf6f793fea2cfdf7e881830157d0_s.jpg

     特に、主人公の坊っちゃんとよき理解者、山嵐との会話が読んでいて一番心地いいです。二人ともちょっと向こう見ずなところはありますが、正直者で正義感あふれる好漢です。思わず手拍子でも打ちたくなるような小気味よい会話が続きます。

    「ハイカラ野郎だけでは不足だよ」
    「じゃ何と云うんだ」
    「ハイカラ野郎の、ペテン師の、イカサマ師の、猫被りの、香具師の、モモンガ―の、岡っ引きの、わんわん鳴けば犬も同然な奴とでも云うがいい」



     山嵐が教頭の赤シャツをこき下ろしている場面です。上にも書いたように、夏目漱石が一気にこの作品を書き上げたことがよく分かる勢いのある描写ですね。こういう描写の1つ1つも、とことんテンポよく、漫画的に書かれていることに気付きます。その徹底ぶりは「通俗小説の王様」とでも呼びたくなるような見事なものがあります。

    典型はあこがれ



     『坊っちゃん』は、キャラクターもストーリーもとても典型的な小説であることはここまでで述べてきました。「お約束」とでも言えそうな、悪く言えば単純で直線的な、よく言えば痛快で伝統的な展開が続きます。

     「悪く言えば単純で直線的な」と私は書きました。自分で書いておいて申し訳ないのですが、これは全く持って的外れな批評だと思います。『坊っちゃん』を読んで単純で直線的だと批判する人はほとんどいないでしょう。むしろ、単純で直線的なものを最後まで書き通したことのすごさ、そして、単純で直線的なキャラクターとストーリーの先に見えてくる、私たちの「テンプレートへのあこがれ」に気付くことができます。

     話は変わりますが、藤子・F・不二雄さんの作品がいい例です。『ドラえもん』が一番有名ですが、藤子さんの作品はどれもキャラクターの設定がとても似通っていますね。のび太のようにひ弱だけど憎めない少年、ジャイアンのようないかにもなガキ大将、スネ夫のようなキザで嫌味なやつ・・・同じようなキャラクターがどの作品にも登場することにすぐ気付けると思います。

     それを、「藤子・F・不二雄の作品はどれも似通っていてつまならい」という人は少数派でしょう。「どれも似ているけれど、どれにも親しみが持てる」と思う人のほうが多いのではないでしょうか。それは、私たちの頭の中には、どこか安心して寄り添いたくなる「キャラクターのテンプレート」「ストーリーのテンプレート」があるからです。そういうテンプレートをしっかり掴まえた作品は、時代を経ても、国境を越えても全く魅力が色あせません。私は、『坊っちゃん』にも『ドラえもん』と同じ匂いを感じます。

    嘘を吐いて罰を逃げる位なら、始めからいたずらなんかやるものか。いたずらと罰はつきもんだ。罰があるからいたずらも心持ちよく出来る。いたずらだけで罰は御免被るなんて下劣な根性がどこの国に流行ると思ってるんだ。



     主人公の坊っちゃんが子どもたちのいたずらに腹を立て、罰を与えにゃならんと憤慨する場面です。坊っちゃんというのは、異常なほどの正義感の持ち主で、曲がったことが大嫌い。この短い引用だけでも、作品から感じる「心地よさ」が伝わるのではないでしょうか。

     どうして私たちはここまで『坊っちゃん』にあこがれ、この作品を読み続けるのでしょう。後編では坊っちゃんの言動や行動を詳しく見ていきながら、そこに抱く私たちの「あこがれ」を明らかにしていきたいと思います。



    オワリ

    『草枕』 夏目漱石
     
     このブログで以前紹介した夏目漱石の作品です。こちらも『坊っちゃん』と並ぶ代表作ですが、『坊っちゃん』とは異なり、難解な文と思想に頭を抱えることになりそうです。



    夏目漱石, 近代日本文学, 教科書,



    •   03, 2016 00:00
  • 第七官界彷徨 (河出文庫)
    尾崎 翠
    河出書房新社
    売り上げランキング: 32,639


    密に構成された、哀感を呼び起こすテキスト

     「だいななかんかいほうこう」と呼びます。1933年に発表された、尾崎翠(おざきみどり)の代表作です。私はこの作品を読んだところ即座に魅了されてしまい、3週間かけて計3回くり返して読みました。

     作者の尾崎翠は、これまでこのブログで紹介してきた有名な文学者たちと比べると異端な存在かも知れません。活動期間が短く、途中から作品を発表しなくなったため、どこか文学の周縁に置かれてきたような、そんな作家です。しかし、最近文学界では尾崎翠の作品の再評価が進んでいるそうです。私のその流れに賛同します。この作家の作品は、もっと多くの人に読まれるべきだと思います。



    非正常心理の世界



    ・蘚(こけ)の恋愛
    ・分裂心理
    ・第七官

     この作品を読んだことのない方は、全く意味が分からないと思います。下手をすると、読んだことのある人でも全く意味が分かりません。上に出した語句は、全て「第七官界彷徨」に出てくるものです。蘚が恋愛をし、心理が分裂し、「第七官」が沸き起こってくる・・・「第七官界彷徨」はそんな小説です。書いていても訳が分からなくなります。ですが、その分からない感じがよいのです。

     タイトルにもなっている「第七官」(第七感)とはいったいなんでしょうか。「第六感」ということばなら有名ですね。語感を超えた次元にある、上手くは説明できない直感のようなものです。第七官、というのは尾崎翠の造語ですが、「第六感」のさらに上にある概念を指します。第六感自体が上手く説明できない概念なのに、さらにその上にある概念・・・?いきなり、最高級に興味をそそります。

    私はひとつ、人間の第七官にひびくような詩を書いてやりましょう。

    そして部厚なノオトが1冊たまった時には、ああ、そのときには、細かい字でいっぱい詩の詰まったこのノオトを書簡小包につくり、誰かいちばん第七官の発達した先生のところに郵便で送ろう。



     冒頭、主人公の小野町子はこう言います。「第七官」がなんであるか、その説明はここでは一切ありません。この時点では、全ての読者は「第七官」という初めて聞いた概念にぶち当たり、困惑することになるでしょう。第六感のさらに上にある概念…何だかわかりませんが、ものすごくそそられる概念です。私たちは「第七官」を探し求めて本の中へと旅に出かけることになります。

     作品を読み進めていきますが、困惑はさらに深まることになります。登場人物は正直言ってみなおかしな人ばかりです。この小説には一切の常識が通用しません。そこはかとなく不可思議な設定の下で奇妙な物語が繰り広げられます。

     意味不明なのもそのはず、尾崎翠はこの小説で「非正常心理の世界」に踏み入ってみたかった、と語っているのです。意味不明で頭がおかしいように思えるこの小説は、実は緻密な構成によって「仕組まれた」ものなのでした。

     1回読んだだけでは、私にはほとんど解読不能でした。2回、3回読むうちに、じわり、じわり・・・と理解が進んできます。意味の分からなかった「第七官」が少しずつではありますが見えてくる感じは最高です。上に書いたように、この小説の下地には尾崎翠が緻密に計算して配置した絶妙な構成がありました。一見意味不明なものの裏にあるそんな構成が見えてきた時、読者のもとにはこれまで味わったことのない快感が押し寄せてくるでしょう。

    哀感のための配列



     緻密な構成とは言いますが、随分抽象的な書き方です。いったいどのような構成がされているというのでしょうか。その構成に迫り、この小説の理解を大きく助けてくれるテクストがあります。同じく尾崎翠が書いた、「『第七官界彷徨』の構図その他」という文章です。

     この文章で、尾崎翠は自分がどういう意図をもって「第七官界彷徨」を書いたか詳細に説明しています。私はこの文章を読んでから、2周目、3周目に入りました。そして、いかにこの小説が緻密に構成されたものかを知り、嘆息することになります。小説単体だけだと、意味不明なまま終わってしまうかもしれません。この小説を読むときは、この文章を併読されることを強くおすすめします。

     さて、「『第七官界彷徨』の構図その他」で、尾崎翠は作品の「配列地図」を作ったと述べています。

    20151109.png

     配列地図には、尾崎翠本人にしか分からないような膨大な情報が記されていたと言います。そして、上のパネルにあるように、全ての場面において、「前後の関係を保つ」ことが意識されていました。ですから、人物のさりげない仕草であったり、何気なく登場するアイテムであったり、そういうものにも全て前後の関係を保つための「意味」があるというのです。

     意味不明な小説は、実はプログラミングのように緻密な計算のもとで、複雑に絡み合い、構成されていました。たしかに読んでいくとそれが見えてくるのです。それはもう・・・興奮します。気付いた時には徹夜していました。3週間読み込みましたが、本当によい読書になったと思います。

     上のパネルに、小説の中に出てきた主要なアイテムを書き出しています。「垣根の蜜柑」「ボヘミアンネクタイ」「マドロスパイプ」「ピアノ」・・・この小説を読んだことのある方は、「そうそう」と頷かれるのではないでしょうか。これらのアイテムは繰り返し作品の中に登場します。もちろん、その1つ1つには尾崎翠が込めた「意味」があります。

     アイテムが出てくる場面を、1つ1つノートに書き留めながら、尾崎翠の意図に自分なりに迫っていきました。多いものでは、10回近く登場しているのですね。ここまでくると、読書というより暗号を解読していくような作業です。

     意味がある、というまた抽象的な言い方になりました。一から説明するのは難しいですが、これらのアイテムは、「哀感」や「第七官」を呼び起こすための仕掛けとして実に緻密に配列されていたようです。

    a0728_000027.jpg

     たとえば、アイテムの1つである「生垣の蜜柑」。本当にたくさん登場しました。1つ1つの場面を書き出していくスペースがないことはとても残念ですが、1つだけ紹介することにします。

     主人公の小野町子が屋根の穴から秋の大空をのぞく場面です。主人公は、穴の大きさから「蜜柑」を連想します。これはもちろん無意味な描写ではありません。蜜柑はそれまでに何度も登場し、読者に刷り込まれています。読者はここでハッとさせられるでしょう。そして、不思議な「第七官」の世界に引き込まれていきます。空を眺めながら、小野町子は不思議な感覚を覚えるのでした。

    第七官というのは、いま私の感じているこの感じではないだろうか。私は仰向いて空をながめているのに、私の心理は俯向いて井戸をのぞいている感じなのだ。



     この作品のハイライトと言える場面だと思います。空を眺めているのに、心は井戸をのぞいている感じ・・・。行動と心理が「分裂」し、第七官を呼び起こす場面です。何とも説明が難しいのですが、この本を読み込んできた読者は間違いなくここで感じるものあがあります。不思議な感覚を、わずかとはいえ「共有」しているような感じ・・・その感触は忘れられません。

    分裂する心理



     心理が分裂する、と書きました。これもまた、抽象的な概念です。どこまで理解してもらえるでしょうか。やっかいなことに、心理の分裂にはいくつかの種類が存在していたのです。メモしたものを書きだします。

    ・穿鑿(せんさく)性分裂
    ・隠密性分裂
    ・被害性分裂
    ・回避性分裂
    ・懐古性分裂

     ・・・頭が痛くなるような漢字の羅列です。しかも、意味が全く分からない造語であるという点が、難解さをさらに増幅させます。こんな語句が何の注釈もなくポンポンと繰り出されるこの小説・・・難易度的にはかなり高いです。投げ出したくなるところを、ここも地道に「暗号解読」していくことになります。

     すごく難しいのですが、分裂も何となく捉えられるようになってくると、小説は俄然面白くなります。分裂とは何でしょうか。作中にはこんな記述があります。

    私の感官がばらばらにはたらいたり、一つに溶けあったり、またほぐれたりして、とりとめない機能をつづけた。



     「ばらばらにはたらいたり、一つに溶けあったり、またほぐれたりして」このあたりがニュアンス的には近いでしょうか。難しい概念ではありますが、言葉にできない微妙な感覚を愉しんでいくことになります。

     尾崎翠という作家、そしてこの「第七官界彷徨」という作品には、今でもとても熱心なファンが多いと聞きます。作品を読んでみて納得です。この世界観に心酔し、どっぷりとはまってしまうのはよく分かります。私は3週間かけて読みましたが、「たった3週間しかかけていないのかよ!」と怒り出すファンの人もいるでしょう。果てしなく深い作品だからです。

     ネット上のブログで、多くの方がレビューを書かれていました。人が書いたレビューを漁ることはあまりないのですが、今回は夢中になって読み漁りました。レビューの水準が驚くほど高いのです。レビューに偏差値があるとしたら「70」くらいのイメージです。いわゆる「読書のプロ」たちが独自の読みを披露しています。よくよく考えれば、この作品を読み込んでいる時点で相当すごい人たちです。

     私は読書のプロにはまだなれませんが、僭越ながらレビューを書いてみました。読みの質はともかく、本当に充実した読書になりました。こうやって苦労して読んだ本というのは一生忘れないでしょう。私の「読書史」に大きな字で書きこまれた、大切な1冊になりました。

    レコメンド

    七官を呼び起こす・・・緻密に構成された奇跡のテクスト

     苦労して本を読む、という経験をもっと積み重ねたいなと思いました。最近は悪い意味で「分かりやすい本」がもてはやされる傾向があるように思います。分かりやすい=よいは全く成り立たない。こういう本を読むたびに思います。


    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『第七官界彷徨』を「プラチナ」に認定しました。おめでとうございます。





    オワリ

     岩波文庫版も出ています。こちらは第七官界彷徨の他の作品も収録しています。第七官界彷徨が一番面白いとは思いますが、ほかの作品とリンクしている世界観が存在しているのでこちらもおすすめです。

    第七官界彷徨・琉璃玉の耳輪 他四篇 (岩波文庫)
    尾崎 翠
    岩波書店
    売り上げランキング: 283,936



    尾崎翠, 近代日本文学,



    •   11, 2015 02:08