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 私が勉強している統計学に関する本を紹介しようと思います。難しい数字や公式がメインとなる本ではありません。そういった数字や公式も出てきますが、主なテーマとなっているのはタイトルにもなっている「統計思考力」です。

不透明な時代を見抜く「統計思考力」 (日経ビジネス人文庫)
神永 正博
日本経済新聞出版社
売り上げランキング: 80,741


 「統計思考力」というのは、データをどう見るか、データから何を見出すかなどの「データを利用する力」と言い換えられると思います。計算や公式と同じくらい、あるいはそれ以上にこの「統計思考力」は大切です。この力がないと、都合よく切り取られたデータに騙されたり、せっかくのデータから正しい情報を読み解けなかったりします。

 この本は、初級編、中級編、上級編に分かれており、ステップアップする形で統計思考力を学ぶことが出来ます。統計学を全く知らない人でも十分ためになる内容だと思いますが、対象としては、ちょうど私のように統計学を学び始めて少しは知識のある人に効果的な一冊だと思います。



内容紹介



ブックレビューリトル

そのデータ、正しく読み解けていますか?
どこを見る?何を集める?どう読み解く?筆者がイチから教えます


 統計は「自分でモノを考える際に強力な武器になる」と筆者は述べます。そんな強力な武器になる統計を「使いこなす」ために。データを集める力、分析する力、利用する力・・・そんな「統計思考力」を教えます。

 中級編以降は、統計学の本格的な内容も登場します。そして上級編では、目から鱗の「データを利用する力」を教えます。難しい内容も噛み砕いて説明されるので、初学者にも優しい内容となっています。

 巻末に掲載されている、筆者が利用しているデータのリストは必見です!データを使いこなして強力な「武器」にしたい方は、ぜひ手に取ってみてください。

ブックレビューwith「ブクログ」



 ブックレビューコミュニティ「ブクログ」に投稿した私の感想です。クリック先にあるブクログのページでは、他の方が書かれた感想も読むことができます。

 統計学を学び始めて1年が経ちました。その段階で読んだのですが、これまで学んできたことの復習にあたる部分が6割、これまでには学んでいない、「そうなのか!」というような目から鱗の内容が4割、という感触でした。統計学をこれから学ぶという人には導入として使える1冊だと思いますし(本当の初学者には若干内容が難しいかもしれません)、私のように統計学をほんの少しだけ理解しているという人にとっても多くのことが学べる1冊だと思います。

 この本で新しく学んだこととしては、正規分布とべき分布の違い(fat tailの問題)、正規分布と「独立」の関係、ワイブル分布、ポアソン分布(重ね合わせによるランダム化)などがありました。中でも、最後の「上級編」で説明される「データを見る力」についての記述は本当に勉強になりました。例の一つに挙げられていた失業率の話を紹介しますが、単に失業率の数字を見るだけでは正しい判断が出来ず、生産年齢人口の推移も考慮する必要がある、という説明は大変分かりやすく、タイトルにもなっている「統計的思考力」を身に付ける上で大変有益な論が展開されていると思います。

 最後に筆者が述べているのが、「データからすべてが分かるわけではない」ということ、そして「自分は分かっている、という『過信』の危険」です。これは本当にその通りだと思います。データと自力を過信せず、謙虚な姿勢を保っている。これはこの分野の専門家に何よりも必要とされる姿勢ではないかと思います。


ブログ+コンテンツ



 ブクログのレビューに加えて、ブログだけのオリジナルコンテンツを掲載しています。

 今回は「AUTHOR IS HERE」のコーナーです。本の中にある記述から、著者の思想や信条、人柄に迫ってみようというコーナーです。今回のテーマは、「過信の危険性」です。

autour is here

 筆者の神永さんは、こんなことを述べておられます。上の感想にも書いたのですが、もう少し詳しく見てみることにしましょう。

今になって、あらためてデータをにらんできて、いかに自分が社会について知らないかを痛感します。同時に、知らないということが、いかに危険なことかを思うと、ぞっとすることもしばしばです。



 この記述は、本のおわりに出てきました。私はこの部分を読んで、この本、そしてこの著者への信頼がぐっと高まりました。筆者は統計の専門家です。専門家というのは、何か(その分野について)何でも知っている人、というイメージがあります。しかし、本当の専門家というのはその逆だと思うのです。つまり、自分が「知らない」ことをどれだけ自覚できているか。無知を自覚している人、自覚し続けられる人というのが「専門家」なのではないかと私は考えています。

 神永さんは、このように続けます。

おそらく、自力で考えることの最大の敵は、自分にはわかっているという過信です。いちばんむずかしいのは、正気を保つことなのです。正気を保つために、データ分析ほど強力な薬はないでしょう。



 統計学を学び始めた時、私はデータをちょっとばかし利用できるようになってかなり調子に乗りました。「データからこんなことが分かるんです!」ということをとにかく言いたかったのです。

 専門家の神永さんはその対極をいきます。統計を扱う人は、この考え方を肝に銘じておかなければいけないと思います。データは万能ではないし、データを扱う人間も完璧ではないのです。「正気を保つために」、データを分析するという考えを私も持ちたいと思います。

 今日は、統計の専門家がどんなことを考えてデータに向き合っているのか、という点に迫ってみました。知れば知るほど、自分の無知を自覚し、謙虚になる。学ぶことの本質を見た気がします。



オワリ

『面白くて眠れなくなる社会学』 橋爪大三郎さん

 このブログでは社会学の初心者向けの本をよく紹介しています。社会学や社会統計学に興味のある方は、こういった易しい一冊から始めてみるのがよいかと思います。


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一般書, 社会,



  •   10, 2016 18:39
  • 絶望の国の幸福な若者たち
    古市 憲寿
    講談社
    売り上げランキング: 62,234


    「ムラムラ」している若者の一人として

     この本がどう評価されるべきか、19歳の私には分かりません。この本がどう評価されるべきか手っ取り早く知りたいときに参考にするのがアマゾンのレビューですが、星5つのレビューと星1つのレビューに見事に分かれていて、ますます分からなくなりました。ただ、私が今「当事者」としてこの本を読めたことはよかったと思います。

     私を含め、若者は馬鹿者で愚かで未熟です。誰かに影響されてコロッと変わってしまうし、何も分かっていないのに分かった気になってしまうし、何も分かっていないのにブログでは偉そうなことをほざくし・・・。行く当てもなく海の上を漂流している漂流物のようなイメージがあります。どう評価されるべきかは分かりませんが、この本にはそんな「漂流物のような」若者の姿が、たしかに刻まれていました。



    まあ、幸せです


     タイトルに「幸福な若者たち」とあります。これには意表を突かれる方もおられるのではないでしょうか。若者は「不幸」という言葉と共に語られることが多いからです。時代の閉塞感などというものと絡められ、若者は常にネガティブに捉えられてきたように思います。そして、二言目にはバッシングの対象となります。

     若者について書かれた本はこれまで何冊も読んできましたが、あまりにもひどくて、途中で投げ出した本もありました。言葉は悪いですが、「時代錯誤のおじいさん」が、「若者=悪」という絶対の前提のもとで思考が停止したかのように若者バッシングを繰り返しているような、そんな本もありました。若者は自分の価値観が通用しない別の生き物ですから、とにかく排除したいのでしょう。

     そんな本に比べれば、この本は良くも悪くも「リアル」に溢れていて、私はこの本を歓迎したいと思いました。お先真っ暗のこの日本という国に生まれて、不幸に違いないと思われていた若者ですが、実は若者たちは「幸福」を感じている、そんなところからこの本は始まります。

     「幸福」といっても、消極的なものだと思います。この節のタイトルを「まあ、幸せです」にしましたが、これは私が今「あなたは幸せですか?」と聞かれた時にこう答えるだろうな、という答え方です。「はい、幸せです!」ではなく、「いいえ、不幸です・・・」でもなく、「まあ、幸せです」。私が周りの人を見ていての印象ですが、私と同じように答える若者は多いように思います。

     「まあ、幸せです」の「まあ」にはどのようなニュアンスがあるのでしょう。どうして、「まあ」を付けようとするのでしょう。ささいな一言ですが、考えてみると面白いものです。その「まあ」の正体がこの本にはあった気がしました。具体的な言葉にするなら、中盤に出てくる「コンサトマリ―」です。

    icon_141751_32.png コンサトマリ―

    自己充足的。「今、ここ」の身近な幸せを大事にする感性。仲間たちとのんびり自分の生活を楽しむような、そんな生き方。「仲間がいる、小さな世界の日常」  (参照:p104)



     たぶん、「まあ、幸せです」を説明するこれ以上の概念はないと思います。本文にもあるのですが、人はもはや自分がこれ以上は幸せになるとは思えない時、「今の生活が幸せだ」と答えるしかないのです。「(う~ん、いろいろと不満はあるけれど、とりあえず生きてるし、とりあえず楽しくやってるし、自分より不幸な人もいるし・・・)まあ、幸せです」。言葉を足してみると、こんな感じになるでしょう。

     そんな若者の姿を押さえた上で、次は「若者の社会活動」の話です。

    ムラムラする若者たち



    201510_convert_20151006225909.png

     私がこの本で一番印象に残っているのは第4章です。第4章は、「若者のデモ活動」について書かれていました。若者のデモ活動、それは私がこの本に手を伸ばしたきっかけです。

     自分と同じくらいの世代の人が、必死に何かを叫んでいます。主張の是非はともかく、その「叫ぶ」ということ自体が、私には無視できることではありませんでした。若者が何かを叫んでいる。何を叫んでいるのか、どうして叫んでいるのか。
     
     著者の古市さんは、実際にデモの現場に行って、そこにいる若者たちの声を拾っています(※この本は2011年の発行なのでデモというのは最近活発な安保法案に対するデモではありません)。その「若者の声」こそが私の聞きたかったものであり、それをありのままに伝えてくださったことには感謝しています。

     関連の箇所を、上の図にまとめてみました。言葉で長々と書くよりは理解しやすいのではないかと思います。デモ活動に参加する若者、何かを燻らせてはいるものの行動はしない若者、そのあたりの心理が分かるのではないでしょうか。

    若者たちが生きる身近な世界(親密圏)と「社会」という大きな世界(公共圏) (p181)



     若者が「社会」と切り離されたところで生きているというのは、確かにそうだなと思いました。若者たちが普段生きているのはすごく狭い世界で、タレントの結婚や新しく始まるドラマが話題になることはあっても、政治や経済が話題になることはほとんどありません。

     たまに「社会」というものに直面し、考えることがあっても、自分ひとりの力ではどうしようもならないことに気付いて、たいていはそこで終わりです。よく言われる「閉塞感」だけが残って、また狭い自分たちの世界に戻っていきます。古市さんの用いる「ムラムラ(村々)する若者たち」という言葉は、あまりにも的確です。

     若者のデモ活動が「魅力的で分かりやすい『出口』」である、というのは真理だと思います。何か確固たる意志があってそれを主張したいのではなく、そこにいる若者たちにはまずは「叫びたい」、という思いがあるのではないでしょうか。「社会」から切り離された若者が、社会とつながろうとする。その過程で「デモ」というのはたしかに分かりやすい出口ではあります。

    「今ここ」の幸せ



     「今ここ」を生きている若者ほど幸せ、古市さんは最後の方でそう述べています。心のどこかで、私もたどり着いていた結論だったのでしょう。心にグサリとくるものがありました。

    お金がなくてもそこそこ楽しい生活をしていく知恵を、今の若者たちは持ち合わせている



     この部分なんかは本当にそうです。そこそこ不満があったとしても、身近にあるもので不満を解消する、そんなことが上手くなったと私は感じています。人には迷惑をかけず、最低限のことはこなし、あとは「今ここ」を楽しく、そんな感じでしょうか。

     ただ、そうはいかないときもあります。先程書いたように、ある時「社会」が見えてくる瞬間があります。その時、若者は大きな壁にぶつかります。

    a1380_000076.jpg

     さて、最後にこの記事を読んでおられる「大人」の皆さんにお願いです。

     最初に書いたように、若者は馬鹿者で愚かで未熟で、大人からすれば、「何も知らないくせに何を言っているんだ」と思われることも多いのではないかと思います。そんな若者の一部が、デモに参加して声を上げるなど活動をしています。社会のことなんかこれっぽちも分かっていないくせに、ブログで何かをほざいている若者もここにいます。

     すごく未熟で、愚かなことをやっている風に映るのだと思います。ただ私は、上に書いたように、主張のうんぬんではなく、何かを叫ぼうとしているその行為とその意味に注目したいなと思って、今はいろいろと調べているところです。自分たちのいる狭い世界から頭を出して、何とか「社会」とつながろうとする、そんな若者の姿ですね。

     若者のやっていることにちゃんと向き合ったうえで、「それは違う」「それはおかしい」と批判したり、教え導いたりすることはおおいにありだと思います。というか、そうあるべきだと思います。

     若者がやっていることをただ愚かで未熟と断じ、切り捨てる―そういうことだけは、絶対にしないでほしいと思います。


    レコメンド

    「まあ、幸せ」な若者が、そこから抜け出そうとする時・・・

     私のようなこの本で書かれているど真ん中の世代が読むとこんな感想になるのですが、大人の人が読んだらどう思うのかとても興味があります。アマゾンのレビューや他の感想を読んでみようと思います。



    オワリ

     上に書いたお願いがちょっと分かりにくかったので、具体例を付けてみることにしました。

    この記事にコメントが付いたとして・・・
    ○ 「記事読みました。ちょっと考え方に未熟なところがありますね。~という部分は一面的で、・・・という見方もあるはずです」

    ×「若い奴が何も分かってないくせに何偉そうなこと書いてんだよ。うぬぼれるな、ブログなんかやめろ」

    やや極端ですが、こんなことが言いたかったのです。



    私たちは“内向き”ですか? ~若者たちは今~(「クローズアップ現代」 2015年9月9日)

     若者が社会に対して声を上げ始めるようになったことを伝えた先月の「クローズアップ現代」です。放送されたテキストが全文読めます。大変興味深い内容なのでぜひ読んでいただきたいです。

     この番組の感想をいろいろと見ていましたが、残念ながら若者を「切り捨てたい」大人の方も大勢いらっしゃるようで。

    社会, 古市憲寿, 一般書,



    •   07, 2015 01:50
  • 面白くて眠れなくなる社会学
    橋爪 大三郎
    PHP研究所
    売り上げランキング: 47,608



    門書の前、はじめの1冊!

     この、「面白くて眠れなくなる」シリーズのことは以前から気になっていました。多くの人に手に取ってもらえるようにかなり誇張して付けたタイトルだとは思いますが、タイトルでそういうのだからきっと面白いはずです。

     ラインナップを見ると理系の内容が多いようですが、私が手始めに取ったのは、大学で学んでいておそらく一番知識があるであろう「社会学」でした。「何を学んでいるのかよく分からない」などと手痛い一言をくらうことも多い社会学ですが、筆者はどんな風に面白くしてくれるでしょうか?



    広く、浅く



     まずはじめに、筆者は社会学の難しさについて法学や経済学と比較しながら説明しています。難しさの理由は、やはり領域の広さにあるようです。法学は法を、経済学は経済を扱っていて、それは誰でもイメージできます。では社会学はどうでしょうか。同じ理屈で、社会学は「社会」を扱っているのですが・・・

     「社会」って何?と思われることが、社会学のとっつきにくさになっているのだと思います。社会というのは、もちろん専門的な定義やその歴史もあるのですが、基本的には「社会に関わることなら何でもあり」です。多くの人が興味のありそうな、マンガやアニメ、ゲームやスポーツなどは社会学でも扱われています。これまた多くの人になじみのあるLINEやtwitterなどのSNSは、最近盛んに研究されている学問分野です。

     そんな風に考えると、社会学はかなり面白い学問分野に思えてきます。ですが、領域が広くてあいまいなことが敬遠される原因になっているのかもしれません。この本は、そういった「あいまいさ」を上手く利用しているな、という印象を受けました。

     憲法や資本主義といった真っ先に避けられそうな難しそうなトピックもあるのですが、自由や正義、死といったかなり抽象的なテーマにも話が移っていきます。こういったテーマが、どうやって社会学に絡んでいくのだろう・・・気付けば、けっこう夢中になって読んでいました。

    家族や死の意味



     私たちの周りに当たり前のように存在しているものを、改めて説明していこうとする試みはとても面白いです。ここでは、いくつもあるテーマの中から「家族」と「死」について書かれた部分を紹介します。

    (引用)「料理した食事を、一緒に食べる。これが、家族の基本です。それは、食べ物を手に入れるために出かけなかったひとも、食べる権利があるということです。食べ物を手に入れたひとは、みんなに分ける義務があるということです。どうです、なかなかよい仕組みでしょう。ここに家族の本質があります」



     「家族」や「家族のよさ」について説明しようとしても、何やらあいまいで、困ってしまいそうです。「家族の温かみ」などというものはたしかに存在するのですが、そういった形のない情緒的なものを説明するのはかなり困難です。

     ですが、筆者の説明を見ると、大変分かりやすく感じると思います。これは「家族」に限ったことではないのですが、筆者は抽象的なものを「システム」として説明しようとします。そして、「システム」として説明するというのは社会学の大きな特徴でもあります。

     血のつながりのない人間が家族をつくり、一つ屋根の下で暮らす。人間がそんな行動をとるのには必ずわけがあるはずです。情緒的なことは説明しづらいですが、「システム」として考えていくと一気に分かりやすくなり、道が開けてきます。

     家族をシステムの1つとして考えることからはじまり、その役割や、家族をつくることの意味に話が及んでいきます。関連して「結婚」というトピックがあるのですが、こちらも同じような説明の仕方をしています。曖昧に感じていたものが理路整然と整理されていく過程は、とても面白いです。「家族って何だろう」「結婚って何だろう」・・・そういったことを考える時の、一つの道標になります。

    a1180_010281.jpg

     では、「死」はどうでしょうか。死は家族よりもさらにあいまいな印象を受けるテーマですね。哲学や宗教学といった方に話が移されそうな感じがします。ですが、ここでも筆者はしっかり「社会学」の立場です。「死」と「社会学」・・・こんな感じになります。

    (引用)「死は、考えることができるだけです。予期することができるだけです。(中略)可能性であり、必然性であり、そして不可知性です。死が何だか知ることはできないだろう。こういう、奇妙なものなんですね」



     かっちりしているようですが、とても分かりやすいと思います。死は、人間が絶対に避けることのできないものです。それなのに、いつ起こるかも分からなければ、死んだ後どうなるかも分からない・・・本当に深い、永遠のテーマです。

     人間が自分が死ぬことを恐れるのは、「自分がいなくなったあとの視点」があるからだと筆者は述べます。この部分も、大変分かりやすいです。

    (引用)「自分がいなくなったあとの視点。それは、他者の視点なのです。他者から、社会から、自分を見ているという、その視点が必要だということです。この視点があればこそ、自分は、自分ひとりの命よりも大きな人生を生きることになります。(中略)自分が社会を支えていたように、自分も社会に支えられていて。その関係は自分が死んでも壊れませんよ、って思いたいからなのです。その視点があれば、自分の人生が、意味あるもの、価値あるものになります」



     人間が生きていくときに、社会の存在は切り離せません。筆者の言うように、人間の命に単に1つの命以上の重みがあるのは、他者の存在や社会とのかかわりがあるからだと思います。改めて言葉にされると、人間と社会がいかに深くかかわっているかが分かります。

     死というあいまいなテーマであったにかかわらず、どこか理論的であったという印象さえ持ちます。もちろんここに書かれていることが死の全てではありませんが、こんな風に死を社会と関連付けていく見方から考えていけることは多いと思います。

    社会学的考え方



     家族と死という2つしか紹介できませんでしたが、「社会学的考え方」のイメージをつかんでいただけたと思います。難しそうと敬遠されることが多い社会学ですが、こういった学問に興味を持つ方は他の学問と比べても多いのではないか、と私は個人的に思っています。

     難しそうというイメージをほぐしてくれるようなこういった本の出版を歓迎したいと思います。私も、中学生や高校生の時に読んでいたら、もっと柔らかい頭で社会学を考えられたかもしれません。

     「面白くて眠れなく社会学」、本当に面白かったです(さすがに「眠れなくなる」は言いすぎですけど・・・)。「面白くて眠れなくなる数学」という本もあるみたいです。ぜひ読んでみたいと思います。数学の宿題が終わらなくて眠れなくなったことは何度もありますが 笑、はたして「面白くて眠れなくなる」ことはあるのでしょうか?

    レコメンド

    会学は、どこからでも始まります。はじめの一歩にこの1冊!

     今日は社会学の宣伝のような記事になってしまいました。宣伝したくなるくらい、面白い学問だと思います。レポートや論文には使えませんが、こういった1冊を読んでみるのもいいものですね。



    こちらもどうぞ

     社会学が身近にあるテーマから始まることがよく分かる本です。同じ方の著書ですが、とても分かりやすく、面白かったです。

    「あたりまえ」を疑う社会学 質的調査のセンス (光文社新書)
    好井 裕明
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    違和感から始まる社会学 日常性のフィールドワークへの招待 (光文社新書)
    好井 裕明
    光文社 (2014-04-17)
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    一般書, 社会,



    •   26, 2015 20:54

  •  この間「ゆとり世代」「ゆとり教育」について特集を組みました。あまり間が空いていませんが、もう1冊ゆとりに関する本を紹介させていただこうと思います。「こんな本を待っていた!」という感じの本でした。

    「ゆとり」批判はどうつくられたのか: 世代論を解きほぐす
    佐藤 博志 岡本 智周
    太郎次郎社エディタス
    売り上げランキング: 206,407


     ここ1か月ほど、小説と並行してずっと「ゆとり」に関する本を読んでいます。もう頭の中は「ゆとり」だらけです。自分が「ゆとり世代」ということもあり、真剣に考えたいテーマでした。読んでいくうちに、思ったことがあります。「そもそも、ゆとりという言葉自体が間違っているのではないか」―。それを見事に指摘していたのがこの本でした。



    そもそもの間違い



     「ゆとり教育」「ゆとり世代」概念は、第1章から第4章で指摘したように、根拠のない空虚な言葉であり、廃止したほうがよいでしょう。(p161)

     この言葉が聞きたかったのです。いろいろ本を読んできましたが、ここに踏み込んだ本は意外と少なかったように思います。この結論に至るまでの論も大変分かりやすく、適切にまとめられていたように思います。

    ある時期に理想的に掲げられた教育観念をなんとなく頭に思い浮かべ、それが実際にどのていど現実化されたのかは問うこともないまま、その時期に学齢期にあった人びとのことをなんとなく指し示す言葉が、「ゆとり世代」という言葉なのだといえます。


     この部分に反論する人はいないと思います。先日行った、「ゆとり」のツイッター分析を見ても明らかなように、「ゆとり」という言葉は、若者世代の甘えともいえる自虐、そして大人世代の自分勝手な若者批判のために使われる言葉でしかありませんでした。

     筆者は、朝日新聞の社説を分析しながら、「ゆとり」をめぐる言説がどのように変化していったのか分析しています。そこから見えてきたのは、いつの時代もある若者への批判が「教育」と結び付けられてしまったこと、そして、そもそも「ゆとり」というネーミングからして間違っていたことの2つでした。

    世代批判と教育批判



     「今時の若い者は・・・」そんな「若者批判」はいつの時代も存在します。こうしたいわゆる「世代論」を考えていると、本当に虚しくなります。不毛な世代論は、何も生み出すことはないでしょう。

    先行世代はそれをすることによって旧来の観衆の優位性を主張し、自らが社会的に生き永らえる根拠を確保します。「世代論」という装置はそのように作用する虚しい側面をもちます。



     ここまでは考えればすぐ分かることです。では、「ゆとり世代」が今までの若者批判と同じものか、というとそうではありません。そこには重大な違いがありました。

    どの世代でも若い時期に経験したであろう一般的な若者批判の部分までが、「ゆとり教育」の欠点のためだという論理にすり替えられ、またネガティブな評価を受けつづける「ゆとり教育」で育ったということが、「ゆとり世代」をバッシングするための有効な根拠にされてしまう事態となりました。


     若者批判はいつの時代もあるのですが、「教育への批判」が若者の批判へと結びついています。「ダメなゆとり教育を受けてきたから若者はダメなのだ」、たしかにこれまでの若者批判には見当たらない論理です。

     新聞の社説の変化を見るとそのことが裏付けられました。最初は肯定的にとらえられていた「ゆとり」でしたが、徐々に学力低下が懸念され、ゆとりは非難されるようになりました。ゆとりが非難されるようになってから、若者が「ゆとり世代」と呼ばれ、同様に非難の対象になっています。これまでの時代と同じように単に若者が非難されるのではなく、まるで「ゆとり教育」の失敗を若者の失敗としてなすりつけているような、そんな印象を受けます。

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     筆者のお二人は、筑波大学の准教授です。この本では、筑波大学で行われた、「ゆとり世代」当事者の学生たちによるディスカッションの内容が紹介されていました。少し私の方が年齢は下ですが、私も同じく「ゆとり世代」と言われ続けてきた一人です。ディスカッションの内容は、涙が出そうなほど共感できるものでした。一部を箇条書きで紹介します。

    ・高校の先生から、「キミたちはゆとり教育の失敗作だからね」と言われた
    ・就職で、「ゆとり」が社会に来る、と騒がれる
    ゆとり教育を受けていないのに、「ゆとり」とくくられる
    ・「脱ゆとり」世代に引け目を感じる
    ・自分たちは、簡単な内容で希望の大学に行けた、少ないエネルギーでここまで来た「最強のゆとり世代」
    ・少しでもネガティブなところがあると、その世代というだけで「ゆとり」と言われる



     失敗作って・・・。あまりにもひどすぎるような気がします。しかも、それを言っているのが「高校の先生」だというのです。私は「失敗作」とこそ直接言われたことはありませんでしたが、同じようなニュアンスの言葉を浴びました。ゆとり世代は「かわいそうな人たち」だそうです。

     そんな評価を少しでも覆そうとこうして記事を書いているわけですが、なんだか力が抜けてきます。私がゆとり世代の当事者だ、と書いただけでこの記事全体を切り捨てる人も世の中にはいるのだと思います。何しろ、「かわいそう」な、「失敗作」が書いた文章ですから。

    世代フリーを目指して



     ちょっといじけてしまいましたが、こんな風に悲観的になっても何も変わりはしないことはよく分かっています。ゆとり世代の中には、「大人が悪い」「国が悪い」と責任を転嫁してしまう人もいると思います。そうはなりたくありません。

     そもそもの部分から間違っている「ゆとり」という言葉から、いかに脱却できるか。そこにかかっていると思います。とはいえ、若者にのしかかる社会からの「負のエネルギー」は、とてつもなく大きいものだとも思います。

     最後に、筆者は「世代フリー」という概念を提唱します。根拠のない不適切な世代言説や世代論から解放され、自由になることを指しています。険しい道のりかもしれません。それでも、確かに正しい道しるべを示してもらったような気がします。

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    毛な世代論から一日も早く脱却できますように・・・。
     
     前回までのシリーズも合わせ、計3回のゆとりシリーズでした。長いこと書いてきましたが、これまで読んできてくださった方が、今後「ゆとり」という言葉を聞いたときに、「その言葉自体が間違っている」と頭の片隅で思うようになってくだされば幸いです。



    こちらもどうぞ

     前回までのゆとりシリーズです。

    ○○社会学 第2回 「ゆとりの社会学」 (前編)
     ツイッターで流れてくるツイートから「ゆとり」がどのような文脈で使われているのか調べました。

    ○○社会学 第2回 「ゆとりの社会学」 (後編)
     記事の中で一部説明が不十分な点がありました。コメントで指摘をいただき、回答しています。その回答は2000字以上と大変長くなってしまったのですが、ぜひコメントも合わせてご参照ください。
    一般書, 社会,



    •   21, 2015 22:48