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  •  大学にはいろいろな専門分野の教授がいて、文系の私は主に文系の教授と関わっています。数ある専門の中で、私が一番苦手というか、手強く感じているのは「言語学の先生」です。なぜかというと、言語学の先生の前では迂闊に言葉を発することができないからです。

    国語は好きですか
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    外山滋比古
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     この方は、日本で5本の指に入るくらい有名な言語学者でしょうか。外山滋比古(とやましげひこ)さん。国語の試験問題によく登場される方です。

     国語の試験で何度も見かけた名前ですから、私はタイトルを見て勘違いしていました。これは、教科の国語について書いた1冊だろうと思い込んでいたのです。実際は教科の国語ではなく、母国語について書いた1冊でした。この方の文章には学生時代散々苦しめられてきましたが、やはり今回も、私はボコボコにされてしまったのでした―。



    正しい日本語とは



     言語学の先生には大嫌いな言葉があるようです。

     正しい日本語
     美しい日本語
     日本語の乱れ

     ついつい使ってしまいそうですが、この言葉を絶対に言語学の先生の前で使ってはいけません。うっかり使おうものなら、その時点で単位が吹き飛んでもおかしくありません。
     
     日本語の「正しさ」とは何か、一生かけて研究しているのが言語学の先生です。一生かけてもその正しさの結論は出ません。素人の私たちが何も知らずに「正しい日本語」などと言ってしまうと、それは言語学の先生にとっては最大の侮辱になります。

     美しい日本語や日本語の乱れ、といった言葉も実はとても「怪しい」です。「若者の言葉が乱れている!」などとはよく言われますが、いろいろと反論したくなる意見です。何を基準に「正しい」としているのか、「美しい」としているのか、「乱れ」としているのか・・・考えたらきりがありません。

     こういうことを悶々と考えていると、文章が書けなくなります。おそらくこれまで私が書いてきた文章の中にも「まずい」表現はたくさんあり、私は日本語を冒涜している1人、ということになってしまいます。

     前置きが長くなりましたが、要するに、自分たちの言語なのに、私たちは母国語についてほとんど理解できていないということです。「これまで日本語を全て正しく理解し、使ってきました」そんな風に言える人はいないと思います。

     この本では、そういったことについて、外山さんが突き詰めていきます。外山さんは、母国語を「文化的ナショナリズム」と位置づけ、私たち日本人は自分たちの母国語にアイデンティティーがない、と主張しているのです。

    話せる先生がいない



     私は国語の授業が大好きでした。たくさんの作品に触れたことが、今の自分を作っていると思います(「教科書への旅」というコーナーを始めてしまうくらいです)。ですが、たくさんの作品に触れたということと、日本語を理解するということは実は全くの別物です。

    文章をありがたがり、おもしろがる社会だから、文学が好まれる。小説が最先端の文化であるような錯覚をもつのである。(中略)文学国語は文学青年の気に入るかもしれないが、ことばの力を身につけるのには適切であると言い切ることができない


     国語の授業といえば、「読む・書く」がほとんどでした。そんな授業を受けてきた私たちですから、どうしてもパワーバランスはそちらに傾いてしまいます。実際、私に当てはめてみます。本を「読んで」、ブログにレビューを「書いて」、他の人のブログを「読みに」行って、何か面白そうな本があれば「書き」留めて・・・。

     読むと書くばかりです。話す・聞くが全くありません。

     「書く方は得意なのですが、話すのは苦手で・・・」なんて私はついつい言い訳をしてしまいますが、それも当たり前です。こんなに読む・書くに偏っていれば、当然「書くことは得意、話すことは苦手」になってしまうでしょう。

     学校で「話し方教育」をすることが必要、と筆者は訴えます。散々外国の真似をしてきた日本が、「話す」ことの教育だけは無視してきたんだ、と痛烈に皮肉を言っています。

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    日本人の英語教育



     その後、話は小学校の英語教育へ。筆者はこれに強く反対しています。

    自分の国のことばを放り出して、よその国の言葉をかじるのは、人間として、疑問である。まず、しっかり国語の力をつける。そして外国語を学ぶ。それが順序である。


     典型的な反対意見です。ここだけ読んでも、そんなに訴えかけるものはないと思います。ですが、この本を1冊読む中でここにたどり着くと、意味は変わってきます。

     小学生に英語教育を行っても、質が劣悪だ、というのです。上で見たように、日本人は話す・聞くをほとんど無視してきました。学校の先生も、そんな教育を受けてきた人たち。筆者は、そんな先生たちを「話せない先生」と呼んでいます。

     日本人の英語教育も、当然のように「読み・書き重視」になってしまいました。英語の試験で、「話す」を導入しようとしても、現実的には難しいところがあります。この問題は、今盛んに議論されています。

     とても恐ろしくなりました。日本人は自分たちの言語に対するアイデンティティーが希薄だ、と指摘されます。読む・書くに偏った能力も気になります。そんな中で、小学生に中途半端に英語を教え、その英語がこれまた読む・書くに偏っていくというのですから・・・。

     日本語は、今後どうなるのでしょうか?

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    んだ後で、タイトルの重みに気付きます。 

     私にとって、一番手強い言語学。その中でも日本語学と言うのは地獄を見るような学問です。自分が毎日読み、書き、話し、聞いている日本語というものが、「いったい何なのか」と尋ねられるのですから・・・。
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    外山滋比古,



    •   15, 2015 23:25
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