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  •  大学での学びを生かしてコーナーを作りたい、と言っていましたが、ようやく今日からスタートです。「社会学」などというと、その難しそうな響きから思わず避けたくなる人もいるかもしれません。

     もちろん、社会理論や統計学など、社会学にはイメージしにくい難しい分野もあります。ですが、ここではそういったテーマは扱わずに、「とっつきやすい分野」を取り上げようと思います。

     社会学の範囲はとても広いです。乱暴に言えば、「社会に関わることなら何でもよし」です。近年、AKB48の商法やくまモンについて分析した本が出版されましたが、ああいった身近なテーマから学問につながることもあります。漫画やアニメ、ゲームといった分野も社会学のテーマになります(けっこう重要なテーマです)。

     ここでは、そういった興味を持ってもらいやすいテーマを中心に、本の紹介を交えながら書いていこうと思います。「○○社会学」の○○の部分に、毎回言葉を入れていきます。第1回は、「キャラの社会学」です。



    #1「キャラの社会学」 (分野:社会心理学 コミュニケーション)

    かれ少なかれ、「キャラを演じる」私たち。どうしてキャラを演じる必要があるのか、またそのメリットとデメリットは?



     キャラ(キャラクター)というのは21世紀に入ったあたりから用いられるようになった若者言葉です。どうしても軽い響きがあるかもしれませんが、その概念は古くから社会学の重要なテーマで、多くの学者が研究してきました。「社会の場に応じた振る舞い方をするためにある類型的なタイプ」とでもいうと、一気に学問らしくなります。

     社会学者の土井隆義さんは、若者がキャラを巧みに使い分けてコミュニケーションの手段にしている、と述べています。「空気を読むこと」が求められる社会の中で、子どもたちは自らをキャラ化する、というのです。

    では、空気を読むために、子どもたちはどのような行動に出ているのか?
    それが「自らをキャラ化する」ということである。人間関係を傷つけないように空気を読みあう中で、場面場面にあわせてその場を盛り上げるために、シチュエーションに合った、もしくはそのグループに合ったキャラを演じているのだ。
    しかし、そのような場に合わせるのが苦手な子どもも当然いる。本当は図書館にこもって好きな本を読んでいたいと思っても、「あの子ひとりなんだ、かわいそう。イタイ子」と言われてしまうから、無理して友達の輪の中に入ってキャラを演じる。そんな子どもにとってはかなり辛い状況に違いない。

     「キャラ化する子どもたち」 土井隆義さん

     ここに書かれていることが、私は痛いほど分かります。今時の若者は、傷つかないようにあらかじめ「キャラ」をつくって予防線を張っておく、ということが得意なようなのです。なぜなら、キャラとしての自分が傷ついても、本当の自分は傷付かなくて済むからです。本当の自分である「内キャラ」と、他に向けて演じる「外キャラ」。私たちは、その2つを巧みに使い分けます。

    社会学の本 #001 

    友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)
    土井 隆義
    筑摩書房
    売り上げランキング: 8,862


     このブログで以前に紹介した本です。とても有名な本で、読みやすい内容なのでおすすめです。特に、高校生や大学生の人にお勧めしたいと思います。私たちは「優しい関係」を築き、互いに傷つかないようにしていると主張する土井さん。現代の若者の人間関係は、まさにこんな感じだと思います。

    「優しい関係」の下では、対人アンテナを互いに張り巡らせ、あたかもガラス細工を扱うような繊細さで相手の反応を察知しながら、自分の出方を決めていかなければならない。そうすることで、相手との微妙な距離感を保とうとする。



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     私たちは、誰でも「キャラ」を持っています。土井さんの区別でいう「外キャラ」のほうです。そして、もう一つの本当の自分、つまり「内キャラ」があります。その2つには、どうしてもギャップが生じてしまいます。外に向かって演じる自分と、素の自分が全く同じという人はいないと思います。

     どうしてキャラを演じるか、それはいろいろな理由があると思います。最も大きな理由は、「社会に自分を適合させなければいけないから」でしょうか。素の自分のままでいられればありがたいのですが、そういう訳にはいきませんから、私たちはキャラを演じることになります。

     そして、「キャラを演じるほうが楽」「キャラを演じることで、本当の自分を傷つけなくて済む」という理由もあります。昨日やっていた「しくじり先生」というテレビで、小倉優子さんが話していました。特定のキャラを演じることで、自分の立ち位置ができる、周りにいじってもらえるようになる・・・だからキャラを演じている方が楽なのだけど・・・という内容でした。心にグサグサくるものがありましたね。

     キャラを演じることで、自分の居場所を確保することができるならそれはメリットです。ですが、キャラを演じることにはデメリットもあります。それは、上にも書きましたが、「本当の自分とのギャップ」です。そのギャップが大きくなればなるほど、「嘘の自分を演じている」、という罪悪感が大きくなり、自分を苦しめるようになります。

     私は、「キャラ」に関してはネガティブなイメージがあります。確かにキャラを演じていると楽なのですが、デメリットである「本当の自分とのギャップ」が自分を苦しめてしまうみたいです。キャラを演じるということには、どこか悪いことをしているなー、という罪悪感がつきまとってしまいます。

    社会学の本 #002

    つながりの作法―同じでもなく 違うでもなく (生活人新書 335)
    綾屋 紗月 熊谷 晋一郎
    日本放送出版協会
    売り上げランキング: 32,330


     ネガティブな面を強く感じるキャラですが、別の見方も紹介したいと思います。東京大学先端科学技術研究センター准教授で、当事者研究を行っている熊谷晋一郎さんの本からです。熊谷さんは新生児仮死の後遺症で脳性麻痺になり、車椅子から離れられない生活を送っています。そのように社会的にハンデを背負った人が、いかに社会とつながっていくか、そういった研究を行われている方です。熊谷さんはキャラについてこう述べています。

    変えられない部分としてのキャラを周囲と共有することによって、分業による助け合い関係が生まれ、自由度が飛躍的に大きくなる



     立場が変われば、こういった「キャラ」の捉え方もあるのですね。この本は「社会福祉学」という分野になります。キャラを「演じる」ではなく、「共有する」。そして、それによって周囲と協力し、助け合う。こういった考えは、健常者の私たちにとってもおおいに参考になりそうです。では、今日のまとめです。

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    にでもある「キャラ」。その捉え方と依存度が大切なようです。

     自分のキャラを上手く活用することができれば、人間関係を円滑に進めることができます。ですが、本当の自分とのギャップに苦しめられてしまう、という危険もあります。無理をして心が壊れてしまう人もいるのかもしれません。私は、割り切って「キャラ」になりきる部分と、素の自分が出せる場面、その両方を確保することが重要だと思います。



    こちらもどうぞ 

     新しいコーナーはこんな感じです。やっぱり、ちょっと重いかな・・・。もっと身近なテーマもあると思うので、いろいろ探してみたいと思います。

    「友だち地獄」 土井隆義さん
     本文中でも紹介した土井さんの本です。普段こういうジャンルの本を読まない人にもおすすめです。今の若者が、どういうことを考えて人間関係を形成しているのか、ここまで見事に示した本はなかなかありません。

    スポンサーサイト
    土井隆義,



    •   12, 2015 23:22

  •  教室は たとえて言えば 地雷原

     これは、ある中学生がつくった川柳です。ほんの少し前まで教室で毎日を過ごしていた私からすれば、この川柳が言わんとすることは痛いほどよく分かります。

     今日ご紹介するのは土井隆義さんの「友だち地獄―『空気を読む』世代のサバイバル」(ちくま新書)という本です。ケータイの登場以来、若者の人間関係が変わったということは多くの本で指摘されています。この本もそんな一冊なのですが、内容の充実度は群を抜いていました。それでは、以下「友だち地獄」のレビューです。

    友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)友だち地獄―「空気を読む」世代のサバイバル (ちくま新書)
    (2008/03)
    土井 隆義

    商品詳細を見る



    優しい関係の罠



     筆者が本の中で繰り返し使うキーワードが、「優しい関係」です。互いに気を使い、一見穏やかに見えるような人間関係のことを「優しい関係」と定義しています。一見、ですからその裏には目に見えないものが隠れています。筆者はこんな風に言います。

    「優しい関係」の下では、対人アンテナを互いに張り巡らせ、あたかもガラス細工を扱うような繊細さで相手の反応を察知しながら、自分の出方を決めていかなければならない。そうすることで、相手との微妙な距離感を保とうとする。



     その中で、コミュニケーションをとることが中心になり、会話の内容は二の次になっていると指摘します。

    コミュニケーションに没入することでコミュニケーションに値する関係であることを互いに確認しようとし、コミュニケートされる内容よりもその円滑な回路を維持することのほうが重要な関心事になってしまう。「私たちは、これだけ会話をしているのだから、きっと親友だよね」



     リーゼントで制服を改造しバイクを乗り回す、そんな見るからに明らかな不良は少なくなった、と述べる筆者。たしかにその通りです。ですが、そういった「反社会的なエネルギー・暴力」は消えたわけではありません。形を変えたのです。

     ネットになると性格を豹変させ、過激な誹謗中傷に走る人々

     教師も気付かないくらい、陰湿に行われるいじめ

     ・・・昔の子供と今の子供を比較して、「暴力」が形を変えたと捉えるととても分かりやすいですね。一見、おとなしく、優しくなったように見える人間関係。ですが、そこには多くの悪意が潜んでいて、一つ間違えば自分の立場を失ってしまう。そんな状況を表わしたのが、「友だち地獄」というこの本のタイトルであり、冒頭で紹介した川柳です。

    ケータイの性質



     そんな「優しい関係」を引き起こしたものとして挙げられているのが、コミュニケーションツールの変化、具体的には「ケータイ」の登場です。・・・これはいろいろなところで主張されているのでそこまで珍しい主張ではありません。でも、なぜ「ケータイ」が人間関係を「優しく」したの?という疑問が浮かびます。この説明がとても分かりやすかったです。

     ポイントは、ケータイが「直接的・身体的」なツールであるということです。
    直接的・・・ケータイでは自分が連絡を取りたい人とだけ話し、本音を言う
    身体的・・・いつでもケータイを身に付けていなければ落ち着かない、返事はすぐに返さなければいけない

     だけ、を太字にしました。これは結構重要だと思います。ケータイやネットでは、自然と自分の気の合う人同士で集まることになります。指摘されて改めて気づきますが、これが「異質なものの排除」につながっているのです。

    ケータイは、異質な人びとへと関係を広げていく装置としてではなく、むしろ地元つながりに見受けられるような、同質的な人間関係を上手く営んでいくための装置として役立っている



     この本が出版されたのは2008年。それ以来、コミュニケーションツールはさらに大きく変容しました。2008年ですから、この数年後にtwitterが爆発的に広まり、さらにLINEも登場するわけです。それらのツールがより「直接的・身体的」になっているということにはすぐに気付きます。友だち地獄、ますます進行中です。


     先程暴力が目に見えなくなった、と書きましたが、その原因も「ケータイ」の登場です。自分たちの内部の人間関係を保つことに必死になっていることで、外に向けるエネルギーがなくなった、よって暴力は目に見えなくなった、という訳です。エネルギーは、「優しい関係」のマネジメントに費やされるようになりました。

     こんな風に考えると、いろいろなことに説明がつきます。いじめの「見て見ぬふり」が広まったのは、自分たちの内部のグループと外のグループの距離が広がったから。引きこもりがなかなか復活できないのは自分がグルーピングから外れてしまったから。また、ネットで言葉の暴力に走る人が増えたのは、「優しい関係」疲れでしょうか。

     じゃあ、この優しい関係からは抜け出せないの?と問いたくなります。優しい関係から私たちがなかなか抜け出せないのにもわけがありました。

    なぜなら、その人間関係だけが、彼らの人間関係だけが、彼らの自己肯定観を支える唯一の基盤になっているからである



     世の中が得体のしれない何かに覆われているような感じがして、鬱屈とした思いになりますね。

    どこで自己を肯定するか



     ケータイだけが自己を肯定する唯一の手段になっていて、それが人間関係に支障をきたしているというのなら、他に自己を肯定する手段が必要だということになります。この「自己を肯定する手段」というのはそれぞれの人にそれぞれの手段があるのではないでしょうか。信頼できる親友、打ち込める趣味・・・「自分のブログ」というのもその手段になりそうです。

     とりあえず、私はリアルで関わる人のtwitterは極力のぞかないようにしています。人様のtwitterをのぞいていい気分になったことはほとんどありません。関係を複雑にしてしまうだけで、ほとんどメリットはないと思います。twitterはやっている(右に出ています)が、機械的なつぶやきが中心で、人との絡みはできるだけ避けています。

     「ネットでの暴力」はもってのほかです。何をどう間違えても、ネットでの暴力が「自己を肯定する手段」になることはあり得ません。自分も、他人も不幸せにするだけです。本を読んでいても好き嫌いはありますが、「嫌い」の部分にはブログではなるべく触れないようにしています。ちゃんとマナーを守って、自分にも、そして他人にも有益なブログが作れるといいですね。

    新書, 土井隆義, 社会,



    •   22, 2015 17:55
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