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 「受け入れる」というのがこの作品のキーワードになりそうです。意味は2つ。この作品に出てくる彼らが、彼らを待つ悲劇的な運命を「受け入れる」ことができるかどうか。そして、読者である私たちが、あまりに残酷なこの物語の設定を「受け入れる」ことができるかどうか。

わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
カズオ・イシグロ
早川書房
売り上げランキング: 23


 カズオ・イシグロさんの渾身の一作、「わたしを離さないで」をご紹介します。綾瀬はるかさんの主演で現在ドラマも放送されています。ドラマと原作では内容や世界観が異なる部分が多いのですが、どちらも読み手の心をえぐる、残酷で絶望と悲しみをまとった物語です。ここに書かれていることを、どう受け入れればよいのか。かつて、これほどまでに苦しくなる作品があったでしょうか。

(約3,700字)



抑圧された戦慄



 5歳の時にイギリスにわたったカズオ・イシグロさん。初めて作品を読ませていただきましたが、やはりというか、日本の作家さんにはない雰囲気をまとった筆致が印象的です。「抑圧」や「静謐」といった言葉で表現するのが適切だと思います。

 読者は、作品を読み進めて行くうちに、この作品の中にある世界の恐ろしさに気付くことになります。SF作品というのは私たちに「異なる世界」の存在を突き付ける作品であり、この作品もその1つなのです。ですが、この作品には他の作品とは違う一種の「凄味」のようなものを感じます。

 「提供者」「介護者」「保護官」「施設」

 作品の冒頭から、そんな言葉が散りばめられます。この作品の世界では何が起こっているのか。何か物々しい雰囲気を背に、恐る恐るページを進めていきます。やがて、それらの言葉が結びついてきます。彼らはヘールシャムという施設で保護官の監視を受けながら隔離されてきた。そして、将来は提供者や介護者になる・・・

 臓器提供のためのクローン

 ・・・なかなか飲み込めないし、何か得体の知れない恐ろしさが私たち読者にも襲い掛かってくるのです。そうさせるのは、徹底的に抑えつけたイシグロさんの文体の力だと思います。私たちには想像もつかないような恐ろしい世界が広がっているのですが、語りは決して過剰になることがなく、淡々と物語を進めます。まるで、作品全体に大きな「あきらめ」が広がっているかのようです。

 「彼らは、普通の人間ではない」

 そのことを、彼ら自身は受け入れるのか。そして、私たち読者は受け入れられるのか。それが、この作品の大きな「関門」になるのでしょう。原作やドラマで「脱落してしまった」という声もちらほら聞くのですが、私はそれはいたって自然なことだと思います。あまりにも残酷な世界ですから、受け入れられずに物語から降りて行く人がでるのは仕方のないことです。その意味で、とてもハードな作品と言えると思います。

ルースの言うとおり、マダムはわたしたちを恐れていました。蜘蛛嫌いな人が蜘蛛を恐れるように恐れていました。そして、その衝撃を受け止める心の準備が、わたしたちにはありませんでした。蜘蛛と同じに見られ、同じに扱われたらどんな感じがするか・・・・・・計画時には夢想もしないことでしたから。



 外界からやってきたマダムという女性に、彼らが恐怖の視線を向けられた場面です。彼らが普通の人間ではないということが、彼ら自身に、そして読者にも突き付けられる場面の1つです。この時点では、彼らは自分たちが普通の人間ではないということにうすうす気付いています。しかし、まだ完全には受容できていない状態です。あまりにも衝撃的すぎて、追いつかないというか…。

 はたして、「受け入れる」ことはできるのか。まだまだページはたくさん残っています。底知れぬ恐怖がよぎった瞬間でした。

未来は、ない



 彼らには、将来や未来はありません。最後には、自分の臓器をむしり取られて死んでいくことがすでに運命づけられているのです。それ自体、とても残酷なことでしょう。ただ、本当に残酷なのはそこではありません。

 未来などないのに、未来を思い描こうとする
 すべてが決まっているのに、愛し合おうとする

 ドラマのほうも「ヒューマンラブストーリー」とうたっていますが、それはただのラブストーリーではありません。将来などなく、全てが運命付けられている彼らの間に芽生える愛。言ってしまえば、全ては無益なことです。そんな絶望しかないような空間にも、愛が芽生えるというのです。悲劇しか待ち受けていないそんな空間で・・・胸が張り裂けそうになります。

あなた方の人生はもう決まっています。これから大人になっていきますが、あなた方に老年はありません。いえ、中年もあるかどうか・・・・・・。いずれ臓器提供が始まります。あなた方はそのために作られた存在で、提供が使命です。



あなた方は、一つの目的のためにこの世に産み出されていて、将来は決定済みです。ですから、無益な空想はもうやめなければいけません。



 頭では分かっていても、それを言葉にされた時、体が一気に重くなりました。そう、全ては「無益な空想」。これ以上残酷な設定があるでしょうか。

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 ドラマのほうも、「無益な空想」の残酷さを容赦なく描いていました。映像にされると、いっそう残酷さも増すというものです。「プロのサッカー選手になりたい」、そう言った少年がいました。原作を知っている視聴者は、それが決して叶わぬ夢だと、彼は最終的に臓器をむしり取られるだけだと分かっていて、その言葉を聞かなければいけないのです。

 絶望しかないような原作には、唯一と言ってよい、希望の要素がありました。

「男の子と女の子がいて、二人が愛し合っていて―ほんとうに、心底、愛し合っていて―それを証明できれば、ヘールシャムを運営している人たちが何とかしてくれるんですって。いろいろと手を回してくれて、提供が始めるまでの数年間、一緒に暮らせるようにしてくれるんですって」



 愛し合っていれば、道が開けるかもしれない―。かすかな希望が灯りました。二人の愛を証明できれば、提供が猶予されるのです。まさに「究極のラブストーリー」でしょう。折れそうな、壊れそうな心を、たった一つ、「愛」というかすかな希望が支えてくれるのです。

 愛によって彼らは救われるのか。一瞬、そういう思いもよぎりました。しかし、すぐにそんな思いは打ち消されます。「この話に、ハッピーエンドなど待ち受けているはずがない」、読み進めていると、直感ですが、何か確信めいた思いが芽生えてくるのです。

 そんな直感どおり、全てを打ち砕く結末に向かって・・・。物語は、それでも静かに進んでいきました。

究極の愛



 抑圧された文体は最後まで変わりません。あくまで淡々とした語りが続くのです。しかし、最終盤は、抑圧された文体の中にも激情が波を打ち、読者を圧倒します。

栞

「確信と言いましたね。愛し合っている確信がある。どうしてそうわかります。愛はそんなに簡単なものですか。二人は愛し合っている。深く愛し合っている。そういうことですか」



 キーボードを叩きながら息が乱れてくるような、そんな激しい場面です。読みながら前のめりになり、耳を押さえつけたいような衝動と、「彼らの答えが聞きたい」という衝動、相反する二つの思いに襲われます。「心臓が口から飛び出そうな」というのはこういう時に使う表現でしょう。彼らに、そしてここまで恐れながら読み進めてきた読者に、容赦なく襲い掛かり、そして叩き付ける。

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 ドラマのほうがどういう進み方をするのかは分かりませんが、原作が上のような展開ですから、ドラマも絶望を叩き付けるような終わり方になるような気がします(これを書いている時点で4話まで進みましたが、全く救いがない・・・)・

 原作を読む前は、「ドラマを見てください!」とアピールするようなレビューにしようと思っていました。しかし、原作を読み、そしてドラマを見ると軌道修正せざるを得ませんでした。なかなか人におすすめできる内容ではないですし、正直、金曜の夜に見る内容では・・・(4話では性行為のシーンもあって、「この時間に大丈夫!?」と思ってしまいました。絶望をまぎらわすためだけの、「無益な」性行為・・・これ以上ない残酷さです。かなり攻めてます)。

 ただ、クオリティーはとても高いドラマです。最初は希望に満ちた目をしていたのが、彼らを待ち受ける運命に打ちのめされ、死んだような目に変わっていく先生役の伊藤歩さん。そして、主人公から彼を略奪し、見せつけようとする親友役の水川あさみさん。このお二方の演技が特に素晴らしいと思いました。絶望の底を行くようなドラマですが、役者さんの渾身の演技に惹きつけられ、最後まで視聴することになりそうです。

 ドラマは途中から見ることが難しそうなので、気になった方にはぜひ原作をおすすめします。映像を通して訴えかけてくる絶望と、静かな語りを通して地底から沸き起こってくるような絶望。どちらも、見る人や読む人を圧倒する渾身の作品だと思います。



オワリ

ドラマ「わたしを離さないで」 公式サイト

 公式サイトは撮影の裏側なども分かり大変充実したものになっています。個人的に、このTBSの金曜10時の枠が一番いいドラマを作っていると思います(残酷でハードな作品も多いのですが・・・)。


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  •   10, 2016 00:00
  • 1984ロゴ

     今日ご紹介するのはイギリス文学屈指の名作ですが、この作品がおととしくらいからまた脚光を浴びるようになってきました。おととしといえば、イギリスでEU離脱の国民投票があった年であり、アメリカでは大統領選でトランプ氏が当選した年でもあります。そういった世相に影響されている部分も大きいのだと思います。この本に書いてあることが、非現実的に思えなくなってきている、という意味でです。

     ジョージ・オーウェルの『一九八四年』が描くのは、オセアニアという架空の国で1984年に起こっている出来事。そこにあるのは、徹底された相互監視社会思想弾圧社会の姿です。おどろおどろしいワードを並べましたが、作品の中ではそれが徹底的に、震えあがるようなリアリティーをもって描かれています。

     この作品が現代に投げかけてくるものは多いと思います。私は、この作品を単なる小説にとどめておくことができません。今回から2回シリーズでこの作品をご紹介します。シリーズのタイトルは「FROM 1984 TO 2018」。この小説が「2018年」に投げかけてくるものを考えてみたいと思います。



    chapter 1 madness



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     命がけで日記を書きます。

     「は?」と思われた人がいるかもしれませんが、作品の冒頭で、主人公のウィンストンは命がけで日記を書きます。舞台は、オセアニアという架空の国。そこでは、<ビック・ブラザー>による一党独裁体制が築かれています。アリ一匹の反逆すら許さないような、絶大な独裁体制です。その独裁を支えているものこそ、徹底的な相互監視と思想弾圧でした。

     国民は、「テレスクリーン」というモニターで国家に徹底監視され、町中の至る所には隠しカメラが仕掛けられています。そして、国民は党に反逆する精神を少しでも抱いた者を見つけるやいなや、互いに密告しあうのです。子供が親を密告し、牢屋に入れるようなことも当たり前のように起こっています。それくらい、党は絶対でした。

     個人の思想は、「思考犯罪」により厳しく弾圧されます(思考犯罪、とはものすごいパワーワードです。頭がくらくらしてきます)。個人が隠れて日記をつけることなどもっての外でした。そんな中、ウィンストンはこっそりと日記をつけ、こう綴ります。

     -ビック・ブラザーをやっつけろ

     相互監視社会の片隅で、「反逆分子」がたしかに誕生した瞬間でした。しかし、それがバレることは即、「消滅」を意味するのです。

    自分を待っているのは死ではなく消滅なのだ。日記は灰となり、自分は蒸発する。書いたものを読むのは<思考警察>だけ。そして読んだ後でその存在を抹消し、その記憶を拭い去ってしまうだろう。自分の痕跡が何ひとつ残らず、紙片に走り書きされた書き手不明のことばすら目に見える形で残存できないのだとしたら、どうやって訴えを未来に届かせるというのだ?



     党に少しでも反逆的な思想を持った者は、「死」ではなく、「消滅」-つまり最初から存在すらなかったことにされてしまうというのです。冒頭から震えあがり、気持ちが悪くなってきました。

     ここから、ウィンストンによる決死の「反逆」が始まります。この作品に待っているのがハッピーエンドではないことは、もはやいうまでもなさそうです―。

    chapter2 ignorance



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     どうしてこのような相互監視社会ができあがってしまったのか。どうして党が絶対的な権力を持っているのか。ウィンストンのように、党の一強体制をおかしいと思う人が大勢いれば、こんな世界にはならなかったのではないか。私の中には次々とそのような疑問が湧いてきました。

     その答えは、作品で示されます。このような独裁社会を作り上げてしまったのは、「無知」「大衆」の力だったというのです。

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     「無知な大衆」というのが、まさに最近の世界に刺さるところなのだと思います(無知、なんて言うと失礼ですが、考えてみるとやっぱり大衆とは無知な側面が大きいと私は思います)。

     イギリスやアメリカで、事前に全く予想されていなかった、信じられないような結果が出ました(EU離脱とトランプ氏の当選)。個人的には、どちらも「選んではいけない」選択肢だったと思っています。そして、本来ならそう簡単に「選ばれない」選択肢のはずでした。しかし、大衆の力は大きく、一気に世の中を動かしたのです。それが起こったのがイギリスとアメリカというのが、信じられないような話ですね。

    かれらは自分たちがどれほどひどい理不尽なことを要求されているのかを十分に理解せず、また、現実に何が起こっているのかに気づくほど社会の出来事に強い関心を持ってもいないからだ。理解力を欠いていることによって、かれらは正気でいられる。



     <ビック・ブラザー>もまた、大衆の無知を利用したのでしょう。その証拠に、党のスローガンの1つに「無知は力なり」というものがあります。たしかに、無知は独裁者にとってこれ以上ない力になるでしょう。何も考えていない大衆は、容易に煽動し、操作することができます。

     ウィンストンが開いたある「本」の中には、このような記述もあります。

    彼はまた同時に、信じやすく、無知で狂信的でなければならず、恐怖、憎悪、追従、勝利の興奮が、彼の支配的な感情でなければならない。別言すれば、彼は戦争状態に適した精神構造を持っていることが必要なのだ。



     戦争、の文字を見て私は暗澹たる気持ちになりました。もはや小説ではなく、現実世界に対する「予言」でも見ているようです。

     人類はたくさんの過ちを犯してきました。それを生み出したのも、やはり「無知な大衆」だったのではないか、そう思わされます。ヒトラーは、革命を起こしたのではなく、「選挙」によって、「国民」に選ばれたのです。無知と狂信に陥ると、人間は簡単に間違えてしまう。私はそのことを突き付けられているようでした。

     この小説で書かれている相互監視社会、思想弾圧社会はまったくフィクションには思えません。そして、こういう世界は一歩間違えれば簡単にやってくるのだろう、とも思います。

     そんな社会で、主人公のウィンストンは「正気」を保てるでしょうか。党の独裁に対し、「おかしい」という思いをはっきりさせた彼の、あまりにも孤独な闘いが始まっていきます。

    chapter3 embrace



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     物語が中盤に差し掛かるころ、ウィンストンは謎の女に紙を渡されます。女はスパイか、ついに自分の考えていることがバレたのか、ウィンストンはそう思い、覚悟を決めかけました。しかし、紙にあったのは意外な言葉でした。

    あなたのことが好きです



     まるで、戦場に咲いた一輪の花という感じです。暗黒に包まれた作品の中に、光が差しこんだ気がしました。女の名はジュリア。彼女は、なんとウィンストンに恋をしたのでした。

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     作品の世界では、「恋愛」も厳しく禁じられています。恋愛によって「洗脳」から醒めてしまうかもしれませんからね。結婚は、全て党に管理され、子供を作ることは、党に従順な国民を作るためのただの「作業」となります。改めてぞっとする世界観です。

     けれど、恋愛は人間の生まれながらにして持ち合わせた感情です。どれだけ弾圧しても、このように愛は生まれるのでしょう。ウィンストンとジュリアは、党の厳しい弾圧と監視をかいくぐり、こっそりと逢瀬を重ね、愛を深めていきます。会うだけでも命がけで、バレることはやはり「消滅」を意味します。今まで見たことのない、スリリングで緊迫した恋愛劇です。

     そして、二人の関係はただの恋愛関係ではありませんでした。ジュリアと抱き合いながら、ウィンストンはこう宣言します。

    どんな感情も、すべてが恐怖と憎悪と混じり合っているために、純粋ではないのだ。二人の抱擁は戦いであり、絶頂は勝利だった。それは党に対して加えられた一撃、それは一つの政治的行為なのだ。



     たしかに、愛を深めることはそれ自体が党への反逆であり、戦いだったのです。私はここを読んで、この作品に一筋の希望が差しこんだように思いました。なぜなら、いくら弾圧を強めても、人の心の中には侵入できないからです。ウィンストンもこう言います。

    心の内奥だけは、それがどんな動き方をしているのか自分にも分からないのだから、攻め落とされるものではない。



    しかし目指すのが生き延びることではなく、人間らしさを失わないであるのなら、事実が明らかにされようがされまいが、最終的には同じことではないか。かれらにこちらの感情を変えることはできない。



     そうだ、そうだと私は手に汗握る思いでした。もし捕まってしまっても、殺されてしまっても、心の中だけは変えられないのだ。党への反逆とジュリアへの愛を抱えたまま死ぬのなら、それは敗北ではなく勝利なのだ。私は、ウィンストンと共に心の昂ぶりを抑えられずにいました。

     
     甘かった・・・

     私はこの作品と、ビックブラザーの独裁を甘く見ていました。人の心の中だけは侵入できないとそう思っていました。思い返すと、実に甘い見通しでした。前半でかすかな希望を見せておいて、この作品が本当に始まるのはここからです。

     ネタバレになりますが、ミステリー作品ではないので言ってしまっていいでしょう。この作品の最後に待っているのは「絶対的敗北」です。独裁者でも心の中だけは変えられない?とんでもありませんでした。人間の心の中までも変えてしまい、そして愛を打ち砕く、絶対的敗北が最後に待っています。湧き上がってくる鳥肌が抑えられないところですが、この続きは後半でお話しすることにしましょう。



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    一九八四年[新訳版] (ハヤカワepi文庫)
    ジョージ・オーウェル
    早川書房
    売り上げランキング: 631


     次回は後編です。この『一九八四年』は私が2018年の最初に読んだ小説なのですが、あまりのインパクトにショックを受けてしまい、体調がやられてしまいました。本を読んで実際に体調が悪くなるというのはなかなかないことです。布団の中で本の内容を思い出して鳥肌が立ったりします。それくらい、「禁断の書」というか、凄まじいエネルギーを持った本ですね。

     ですが、私はこれは「読むべき」本だと思います。なぜかというと、驚くくらい現代社会に通じているからです。本文にも書きましたが、世界に対する「予言」にすら思えてきます。こうやってブログで紹介できるのはうれしいことです。私にはこの本が、「2018年」を「突き刺している」ように思います。そんな話も、後編で書いていきたいと思います。

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    ジョージ・オーウェル,