HOME > CATEGORY - ノンフィクション
ヘッダー(ノンフィクション)

 カテゴリ「ノンフィクション」のまとめページです。このブログで紹介しているノンフィクションの本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

 この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

 あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



ノンフィクション




『聖の青春』 大崎善生(シルバー)


『もの食う人びと』 辺見庸(ゴールド)


『ルポ 電王戦 人間vsコンピュータの真実』 松本博文


スポンサーサイト




  •   01, 2015 00:00
  •  突然ですが皆さん、「食べ物を残す」ことにはどれくらい抵抗がありますか?

     私はすごく抵抗があるんですよ。親から厳しく教育されていたわけではありません。しかし、なぜか食べ物を残してはいけない、という一種の強迫観念のようなものまでありました。学校の給食では、食べ物が棄てられることが耐えられず、余った分の給食をかなり無理しておかわりしていた記憶があります。吐きそうになりながらも食べていましたね・・・。

     なんでそこまで食べ物を残すことを嫌っていたのだろう・・・なんてちょっと考え込んでしまいました。その答えの一部がこの本にはあるかもしれません。今日ご紹介するのは、辺見庸さんの「もの食う人びと」というノンフィクション作品です。五感が刺激され、激しいショックを受けた記憶があります。では、以下「もの食う人びと」のレビューです。

    もの食う人びと (角川文庫)もの食う人びと (角川文庫)
    (1997/06)
    辺見 庸

    商品詳細を見る


    五感を刺激されるノンフィクション



     「もの食う人びと」は1994年に発行された、辺見庸さんによるノンフィクション作品です。社会の最底辺の貧困にあえぐ人たちや、原発事故で放射能汚染された村に留まる人たちなど、極限の「生」における「食」を扱った作品であり(wikipediaより)、第16回講談社ノンフィクション賞を受賞しています。おすすめのノンフィクション作品は、と聞かれたら私は迷わずこの作品を挙げています。嵐の櫻井翔さんもキャスターを志したきっかけとしてこの本を挙げておられました。他にもいろんなところで推薦の声を聞く、かなり有名な作品です。

     「『食う』とはこれほど壮絶であったのか!」帯にこんな文字が書かれていますね。本を読んだ後の感想は、まさにこの言葉に尽きると思います。日本で平穏な暮らしをしていては、絶対に想像もすることのない貧しい人々の暮らしが、「食」を通して描かれます。

     様々な短編が連なっているのですが、その最初を飾るのが「残飯を食らう」。その名の通り、筆者の辺見さんが残飯にありつくという話です。想像を絶するような描写・・・口の中に気持ち悪い唾液が広がり、思わず本から顔をそらしてしまいます。いきなりすごい状況を突き付けられ、震えながら本編へ。そこで待っていたのは、想像を絶するような「五感を刺激される」ノンフィクションでした・・・。

    想像力の限界



     戦争、病気、環境汚染、歴史や文化の歪み・・・。食事を通して見えてきたのは、人間社会の抱える壮絶な闇でした。日本に暮らしていては一生気付かないであろうそれらの光景は、私の創造の範疇を超えるものでした。戦争や貧困のルポはたくさんあり、それらが訴えてくる力には大きいものがあります。ですが、この作品は訴える力では群を抜いているんですね。その要因は、戦争や貧困といったことを、直接描くのではなく、「食」というフィルターを通して私たちに見せたことにあります。言うまでもなく、「食」とは私たちが生きていくためには切っても切り離せない根源的な営み。そこを刺激されるわけですから、当然訴えてくる力は大きい、というわけです。

     印象的だった短編を2つご紹介することにしましょう。

     「麗しのコーヒー・ロード」・・・私たちにもなじみ深い「コーヒー」が登場します。ここでは、唇に皿をはめるスーリ族の様子が描かれていました。スーリ族は唇に皿をはめる、という独特の風習を持っています。しかし、唇に皿をはめるのは、伝統ではなく、実は外国人に写真を撮らせ、お金を稼ぐためのいわば「パフォーマンス」・・・。筆者はこれを「文化の破壊」と名付けています。外国人により、捻じ曲げられた風習。生活を成り立たせるために、必死でパフォーマンスに興じる人々・・・。歪んだ世界の一端を見せつけられたこの短編は大変印象的でした。描かれる食べ物は「バターコーヒー」。これもまた気持ち悪いんですよ。こってりした感じが、自分の舌に伝わってきて顔が歪みます。文化の破壊と、バターコーヒー。読むのが辛い話でありました。

     「兵士はなぜ死んだのか」・・・読むのが辛いという点でいうならこちらの話が上回ると思います。まともな食事を与えられず、餓死していくソビエト軍の兵士たちの過酷な食を描いたこの話。実際にどういう食事が提供されているのか、軍に対して直接取材に挑んだ筆者に対し、提供されたのは「よそいきの食事」。ひどい食事の内容は軍によって隠蔽され、筆者には豪華な食事が見せられました。闇の深さを感じさせるエピソードです。その裏で、兵士たちは石鹸を食べて病気による除隊を願い、そして死んでいくのです・・・筆者はこれを、「食の殺人」と断罪します。

     筆者はかなり思想に偏りを持った人物とのことです。ですから、ここに書かれたことを丸のみにしたり、ここに書かれたことを根拠にして何か主張したり、そういった風にするのに適した本ではない、ということは述べておきたいと思います。ただ、だからといって目をそむけてよい出来事ではありません。いくら信じられないようなことでも、世界にはこのような現実があります。日本にいたらなかなか想像ができませんね・・・だからこそ、こういった本を通して自分の想像力の限界を超えるような体験に接し、何かを思うことに意味があるのだと思います。

     体を張って世界中を巡った筆者に敬意を表します。私にはこんなことをする動機もなければ気概もありません。これを「平和ぼけ」というのでしょうか。とにかく今は圧倒されるばかりです。

    食べ物を残してはいけないわけ



     この本を読んだら、まず食べ物を残せなくなると思います。また、必ず「いただきます」を言うようになると思います。私は本当にこの本から受けた衝撃が大きくて、しばらくは白ご飯の一口一口に感動を覚えるような日々を過ごしました。

     なんで食べ物を残すことに昔からこんな抵抗があるのだろう・・・と本を読みながら考えていたんですね。そうしたら、思い出しました。答えは、今日のタイトル。「おのこしはゆるしまへんで」・・・これは、「忍たま乱太郎」というアニメに登場する「食堂のおばちゃん」の決めゼリフなんです。

     小さい頃このアニメをよく見ていました。すごい迫力で「おのこしはゆるしまへんで!」と叫んでいたおばちゃんが、私に食べ物を残してはいけないという意識を植え付けていたのだと思います。アニメの影響、大きいですね。食べ物を残さない人間になった、という点ではすごく感謝しています。ありがとう、おばちゃん!(迷走)

     「もの食う人びと」と「忍たま乱太郎」を結び付けてレビューを書いたのは、おそらく私が世界で最初だと思います。最後まで読んでくださった皆さん、今日は世界最初という「当たり回」でしたよ! 笑

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『もの食う人びと』を「ゴールド」に認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ

    食堂のおばちゃんとはこの人です(本の内容とは全く関係ないんですけどね・・・)
    忍たま乱太郎 食堂のおばちゃん

    「忍たま乱太郎」って20年以上も前に放送が始まったアニメだそうです(!)。久しぶりに動画を見たら、なつかしさにほろりとしました。
    ノンフィクション, 辺見庸,



    •   14, 2015 23:45
  •  たくさんの文学作品を紹介してきたこのブログで、今日は新たな「文学」を紹介しようと思います。「21世紀の文学」という記事のタイトルに、何を思い浮かべられたでしょうか。それは、小説でも、随筆でも、詩でもありません。

     「21世紀の文学」の正体は「コンピューター将棋」です。そう答えると、思いもしない方向から飛んできた答えに、驚かれる方が多いかもしれません。



     将棋を知らない方でも、人間とコンピューター将棋の戦いについては知っている、という方が多いかもしれません。プロ棋士がコンピューター将棋に初めて敗れた時、将棋を指さない方も含め、世間に大きな衝撃が広がったのを覚えています。「人間vsコンピューター」、その図式が、将棋を知っている、知らないにかかわらず、多くの人を惹きつけたのだと思います。

     コンピューターソフトが人間を上回るほど強くなって、将棋界は大きく変わりました。良くも悪くも、だと思います。そして、今もなお変わり続けています。その激動の変化を、将棋観戦記者の松本博文さんが綴ります。



    光速の進歩



     将棋界には、「光速の寄せ」ということばがあります。光速と評される圧倒的に速い寄せ(相手の王様を詰ませにいくこと)を繰り出すのは、現在の日本将棋連盟会長である谷川浩司九段です。私も谷川九段の指した将棋をなぞってみたことがあります。私には理解できないような速さで相手の王様が討ち取られていきました。本当に「光速」なのです。

     さて、この本の一番優れた点を紹介したいと思います。それは、コンピューター将棋の凄まじい進歩を肌で感じることができることです。それはまさに、「光速の進歩」とでも呼べそうなものでした。

     数十年前、コンピューターの指す将棋はとても将棋とは呼べるものではありませんでした。この本も、そんなコンピューター将棋の黎明期から幕を開けています。そんなコンピューター将棋が、プロ棋士すらも凌駕してしまう。SF小説のテーマにでもなりそうな話です。

     それを私たちが実際に「見た」。過去から振り返ってみると、改めて私たちが今すごいことを目撃しているのだ、ということに気付かされます。本を読めば、それこそページをめくるたびに、コンピューターは強くなっていきます。そのスピード、得体の知れない強さ、そしてそれを目撃した人間の「葛藤」。様々なことを感じられる、読みごたえのある1冊です。

    名人、すなわち人間のトップに勝つ、という目標は、山本(注)一人のものではない。まだコンピューター将棋がどうしようもなく弱かった時代からずっと、多くのプログラマが思い描いていた、見果てぬ夢だった。(中略)羽生が将棋界400年の頂点に立つ人間ならば、ponanzaもまた、半世紀にわたる開発者たちの英知の結晶でもある。

    注)山本・・・コンピューター将棋ソフト「ponanza(ポナンザ)」の開発者、山本一成さんです。



     人間とコンピューターが盤を挟んでいる光景に、どうしても「人間vsコンピューター」という図式を当てはめてしまわれる方は多いと思います。しかし、そうではないのです。コンピューター将棋を語る時にほぼ必ず言われることですが、これは「人間vs人間」の戦いなのです。コンピューターの向こうには人間がいました。人間と人間、その図式に気付くことが出来れば、コンピューター将棋が「21世紀の文学」と呼ばれているその理由にも近付くことができるのではないかと思います。

    1秒間に1億と3手



     将棋界には「1秒間に1億と3手読む男」がいます。名人を獲得したこともあるトップ棋士、佐藤康光九段です。佐藤九段の読みがとても緻密で、コンピューターが一億手を読むならばその先の1億と3手まで読んでいる、というのがその呼ばれの由来のようですね。

     もちろん、これは冗談交じりの、大いに誇張が入った表現です。佐藤九段は紛れもないトッププロで、その読みは緻密ですが、いくらなんでも一億手読んでいるということはないでしょう。ですから、「1秒間に1億と3手」は誇張です。ところが、「もう片方」は誇張ではないのです。もう片方、とは何でしょうか。そうです、「コンピューターが1億手を読む」のほうです。こちらは誇張ではなく事実です。コンピューターは、人間には到底想像もつかないような膨大な数の手を、一瞬にして読んでいます。

     そんな人知を超えたコンピューターに人間が挑んだところで、勝負になるわけがないじゃないか。そんな風に考えて、人間とコンピューターが対戦する「電王戦」というコンテンツを切り捨ててしまう人もいるかもしれません。ところが、そうではありませんでした。「電王戦」ではいろいろなことが起きました。いろいろな考えがあるかもしれませんが、私は電王戦は素晴らしいコンテンツであると思っています。

    b79a892a7f6ba797c1a4ba3c14573efc_s.jpg


     電王戦ではいったい何が起こったのか。その詳細については本に書かれているので、気になる方はぜひ本を手に取ってみてください。そこで起こった様々なドラマを、筆者が高い文章力で綴っています。ここでは、電王戦の結果だけ記しておきましょう。勝敗はプロ棋士側から見たものです。

     第1回  ●
     第2回  ○●●△● (1勝3敗1持将棋)
     第3回  ●●○●● (1勝4敗)
     FINAL  ○○●●○ (3勝2敗)

     この本で取り上げられているのは第3回までです。一番ドラマチックな展開となったのは一番下に書いたFINALだと思うので、ちょっと残念ですね。とはいえ、第3回までにもたくさんのドラマがありました。毎回「何かが起こる」、そう言っても過言ではありません。

     「いろいろなことがあった」、という私の書き方にモヤモヤされる方もいるかもしれません。勝つか負ける以外に一体何があるんだ、と。そんな方にこそ、この本を開いていただきたいと思うのです。

     人知をはるかに超えているはずのコンピューターソフトの思わぬ「弱さ」が露呈したこともありました。そして、人間の側の「弱さ」と、「強さ」もまた、戦いを通じて見ることができたのです。人間というのは、プロ棋士もそうですし、コンピューターソフトを作った開発者のことも指しています。どれだけ優秀な脚本家が脚本を書いたところで、あのような展開を描くことはできなかったでしょう。それは、人間とコンピューターが、いえ、人間と人間が向き合ったからこの生まれた唯一無二の「ドラマ」であった。私はそう思います。

    将棋というゲームは、およそ無限とも思われるほどの変化を秘めている。誰がこのゲームを作ったのか。その名は現代に伝わっていない。「神が作ったゲーム」とは将棋好きがよく口にする言葉ではあるが、なるほど、それは本当なのかもしれないと、思わされることも多い。



     電王戦を通じて、将棋というゲームの底知れない可能性を見たような気がします。たった81マスで、たった40の駒がぶつかり合うゲーム。取った駒を使えるというルールが加わって、そこには無限の可能性が広がりました。無限に広がる盤上で、これからも攻防は続いていきます。

    自分よりも強い存在



    将棋で人間がコンピューターに負けることをどう解釈すべきか。正解はもちろんない。感じ方は、人間それぞれで違うだろう。



     筆者は最後にこう問いかけています。私も少し考えてみることにしました。

     コンピューターがプロ棋士すらも凌駕するようになって、一部では「プロ棋士は不要」などという声も聞こえるようになりました。しかし、私はまったくそうは思いません。どうしてそう思うのか、自分に問いかけてみます。それは、将棋の面白さは「自分よりも強い存在がいること」だからだ、などといったら、将棋界の危機を唱える人からするとあまりに楽観的でしょうか。

     偉そうにコンピューター将棋のことを書いてきましたが、私自身の棋力はまだまだへっぽこです。こんな私でも続けているうちに確実に上達はしているのですが、強くなっても私の前にはいつも「さらに強い人」がいます。ネットで人と対戦したり、スマホのアプリで対戦したりしますが、相手が強くなるとあっという間に負かされてしまいます。ましてや、最高レベルのコンピューターだったらどうでしょうか。もはや「気付いたら負けているレベル」です。本当です 笑。もはや何をどうしたから負けたのか分からないくらい、圧倒されてしまいます。

     では、ネットで私に勝った人が最強かというと、もちろんそうではありません。その私に勝った人に、さらに圧倒的な強さで勝つ人がいるのです。そして、さらにその人より強い人がいて、そしてさらに・・・。そのはるか高みには「プロ棋士」がいます。

     私は、そんな「自分よりも強い存在がいること」が将棋の面白さであり、自分が強くなろうとする理由でもあるのではないか、と考えています。自分よりも強い存在は、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であり、そして「自分を強くしてくれる存在」でもある、と思うのです。

     コンピューター将棋も、そうなってはくれないでしょうか。もちろん、プロ棋士が負けてもいいとは思いませんし、負けるところを見るのは辛いところもあります。ですが、「プロ棋士よりもさらに強い存在」には必ず意味があると思います。その存在が、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であってほしいし、人間をさらに強くさせる存在であってほしいのです。

     コンピューター将棋に対しては、いろいろな考えが存在します。私は、上に書いたようにその発展を歓迎する立場です。しかし、そうではない立場もあります。将棋がつまらなくなってしまった、人間の存在意義がなくなる、もはや将棋ではなく「将棋に似たゲームである」等々・・・。人間がコンピューター将棋とどう向き合っていくべきか、「最善手」はまだ見えません。

     そのようないろいろな考えがあること、コンピューター将棋の受容をめぐって人間が葛藤すること、そういったことも含めて、コンピューター将棋が「21世紀の文学」になるのではないか、と思っています。冒頭に書いたように、コンピューター将棋の台頭で「良くも悪くも」目まぐるしく変化している将棋界。その行く末に、これからも注目していきたいと思います。



    オワリ

    ハム将棋(pcのみ)

     コンピューター将棋に関する話題ということで、将棋の普及におそらく最も貢献しているであろう、「ハム将棋」を紹介します。誰でも遊べる無料のブラウザ将棋で、最初に将棋を覚えたころは全然勝てないのですが、先を読むことを覚えて勝てるようになっていきました。強いか弱いかといわれればそれは弱いのですが、なんというのでしょうか、「ほどよい弱さ」がとてもいい。 

    ノンフィクション,



    •   11, 2016 18:05
  •  29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段。そんな村山さんの生涯を綴ったノンフィクション、「聖の青春」を紹介します。2016年秋には映画化され、俳優の松山ケンイチさんと東出昌大さんの熱演は大きな話題を呼びました。

    書影

    聖の青春
    大崎 善生(著)
    株式会社 KADOKAWA
    発売日:2015年6月20日




     このノンフィクションは、将棋にあまり興味にない方も含めた、たくさんの方に読んでいただきたい作品です。若くして亡くなった棋士の物語ということで、悲しく、辛い話を想像してしまう方も多いのではないかと思います。もちろん村山さんが亡くなってしまわれたのは悲しいことです。しかし、それ以上にこの作品から伝わってくることは、真に「生きる」ということ、そして圧倒されるようなエネルギーである、と私は思っています。



    一行レビュー図書館



    一行レビュー図書館

     本の内容や魅力を、一行ずつ、簡潔に紹介する「一行レビュー図書館」のコーナーです。

    ・29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段の生涯を記した、渾身のノンフィクション作品
    ・筆者は村山さんのことをいつも近くで見守り続けた作家の大崎善生さん

    ・幼いころに発症し、村山さんを苦しめ続けた病気
    ・しかし、将棋は村山さんにとって、どこまでも連れて行ってくれる「折れない翼」だった
    ・「強くなりたい」「負けたくない」、その気持ちが彼をどこまでも強くする

    悲しみ、辛さよりも「凄味」「エネルギー」に圧倒される作品
    ・どこまでも欲望に忠実で、勝利に貪欲な生き方
    ・それは究極の「生きる」。むしろ惚れ惚れして、うらやましくなるほどの。

    ・彼の周囲の人々の愛も魅力
    ・彼の全てを受け入れようとした家族、誰よりも近くで彼と共に歩んだ師匠
    ・そして、盤上で火花を散らしたライバルのトップ棋士たち

    ・巻末には、村山さんが残した将棋の棋譜を多数収録
    ・それは彼の人生そのもの。もう1つの「物語」も必見。

    真の「生きる」がある



     「ブクログ」に投稿したレビューと、本からの一節を紹介するミニコーナー「スケッチブック」です。

    「『命懸け』という言葉は自分には使えない」

     映画「聖の青春」の公開に寄せて、将棋の佐藤康光九段が述べられた言葉です。ずっしりと心に響きました。この言葉に、映画を観た方、本を読んだ方の多くが共感されるのではないかと思います。「命懸け」なんて、決して軽々しく言えるものじゃない。

     病気になった村山さんが、将棋という「翼」を手に入れた-筆者の大崎さんがそう表現されていることが印象的です。それは限りなく広がる、折れない翼でした。病気と闘い続けた生涯だったかもしれませんが、盤上ではそのようなことは関係なかったのだと思います。その手から放たれる一手には「揺るぎない強さ」を感じます。きっと、将棋という翼があれば、どこまでも行けたのだと思います。

     若くして亡くなった棋士のお話で、終盤は辛くて読めなくなるかもしれないと予想していたのですが、案外そうでもありませんでした。むしろ、村山さんが輝いて、まぶしくすら見えました。それは、村山さんが本当の意味で「生きて」いたからではないか、と思います。あらゆる欲望に忠実に、そして勝利に貪欲に。「かわいそうな人生」なんて印象は、微塵もありません。太く、短く、輝かしい炎が瞳の奥に見えました。

     そのように感じさせるのは、村山さんの生き方だけではなく、師匠の森先生の温かいまなざし、そして筆者の大崎さんの素晴らしい文章があってのことだとも思います。多くの人に読んでいただきたい、素晴らしい1冊です。


     上のレビューでも触れている「折れない翼」というのはこの部分です。

    スケッチブック


    施設での生活もベット上の空間も、もうつらくはなかった。知れば知るほど、勉強すれば勉強するほどに広がっていく世界に聖の心は強くひきつけられた。しかも運のいいことに、聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが抱くはかなく泡のように消えていく夢とは違い、それは簡単には折れない翼だったのである。(p49)



     名人になるという夢は半ばでついえてしまいました。しかし、村山さんの残した渾身の棋譜は今も未来も残り続けます。一手一手に村山さんの生き方や信念が刻み込まれていて、それは今後も語り継がれていくと思います。そう考えると、大崎さんの書かれたように将棋という翼は決して折れることのない、強い翼だったのですね。

     村山さんが残した棋譜が巻末に収録されています。そこに込められた思いを、ぜひ駒を動かしながら感じ取ってみたいものです。そこには、大崎さんの素晴らしい文章とはまた違った、もう1つの「物語」が隠されていることでしょう。

     以上、「聖の青春」の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

    ◆殿堂入り決定!
    「最果ての図書館」は、『聖の青春』を「シルバー」に認定しました。(画像クリックで一覧表示)





    ノンフィクション, 大崎善生,