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 前回、将棋をテーマにした柚月裕子さんの小説、『盤上の向日葵』を紹介させていただきました。物語の紹介に合わせて将棋の話もしたのですが、そしたらもっと将棋について話したくなって 笑。ということで、今日はもう1冊、将棋の本を紹介させてください。

不屈の棋士 (講談社現代新書)
大川 慎太郎
講談社
売り上げランキング: 94,535


 観戦記者の大川慎太郎さんが11人のプロ棋士に行ったインタビューをまとめた『不屈の棋士』という新書です。帯にも書かれていますが、インタビューのテーマは『将棋ソフト(人工知能)』についてです。

 ソフトのことは、プロアマ問わず、将棋を指す人にとっては今避けては通れないテーマです。何の影響も受けていない人は一人もいないでしょう。そして、将棋を指さない人にもぜひ読んでほしい本でもあります。人間を上回るような人工知能が現れた時、人間はどうするのか、というのは何も将棋界だけが抱える問題ではないからです。



内容紹介



ノンフィクションルポ

 か、味方か、繁栄か、衰退か。

 近年、急速に力を付けてきた将棋ソフト。初めてプロ棋士が敗れた電王戦は衝撃を呼び、大きく報道されたので将棋を知らない方でも覚えておられるかもしれません。その後も台頭は目覚ましく、ついに現役の佐藤天彦名人が「ponanza」に2連敗を喫することになりました。

 名人は将棋界最高峰のタイトルの1つです。しかも、佐藤名人は人間同士のトーナメントを勝ち上がって(羽生さんにも勝って)コンピューターに挑んだのです。間違いなく、人間代表と言える存在でした。そんな名人が敗れ去ったことで、人間とソフトがどちらが強いのか、という論争には一つの区切りがついた感があります。

 この事態に、プロ棋士たちは何を思い、そして今後何を目指すのでしょうか。明らかに、今までとは違うものが、プロ棋士には求められるようになっています。

長らく棋士は最強の存在として君臨してきた。だが、ソフトの登場によって、そうでなくなったら棋士としての価値をどこに見出していけばいいのか。ソフトはソフト、人間は人間と割り切って対局を続けるのか。もしそうであるなら、強さはともかくとして、人間にしか指せないような将棋を披露する必要があるのではないか。そもそも、「人間にしか指せないような将棋」とは何なのか。



 11人の棋士たちが将棋ソフトに関する見解を語ります。実は、ソフトはプロ棋士の間にも普及していて、棋士が研究にソフトを使うことは当たり前のことになっています。けれど、未だにソフトには頼らない、というスタンスの棋士もいます。同じ棋士でもここまで考え方が違うのか、と驚くことになりました。大変興味深いインタビュー集です。

 最後に、気になる方も多いと思うので登場棋士の一覧を紹介します。一流のプロ棋士と、将棋ソフトに造詣の深い棋士が計11人登場しています。

羽生善治 渡辺明 勝又清和 西尾明 千田翔太 山崎隆之 村山慈明 森内俊之 糸谷哲郎 佐藤康光 行方尚史 (掲載順、敬称略)



書評 ~黒船来たりて



書評

◆ 【入門編】将棋ソフトについて

 本の内容に触れる前に、将棋ソフトについて紹介したいと思います。ソフトソフトと言っても、見たことのない人には分かりにくいと思うからです。今は、パソコンに関する知識があれば誰でも将棋ソフトをインストールすることができます。なんと、無料でダウンロードできるものもあります。無料でダウンロードできるのに、プロ棋士と同等、あるいはそれ以上の強さがあると言われるものもあります。

 ちなみに私の棋力は今アマチュア1級です(ほんとは初段って言いたかった…)。初段になるために勉強中で、まだまだ弱いのですが、恐れ多くもソフトについて紹介させていただこうと思います。

検討

 これが無料で使える将棋ソフトです。今検討をしているのは私の将棋です(比較的、まともな将棋になったものを・・・)。右下にあるグラフは、「評価値」のグラフです。真ん中が互角、上なら先手が有利、下なら後手が有利となります。例えばこの将棋なら、途中までずっと互角、その後先手が少し有利になって、最後の方で一気に先手が勝ちになった、という風に1局の流れが分かります。

 グラフに赤い点やオレンジの点が見えると思いますが、これは「悪手」や「疑問手」です。自分が指した手の中でよくなかったものを教えてくれます。

検討画面

 一つ一つの局面で細かく検討することもできます。下の方に赤い矢印で示したものが「評価値」です。今表示されている「730点」は、はっきり有利が見えてきた、というくらいの点数です。とはいえ、ここから勝つのは簡単ではなく、逆転負けも山のようにあります。730点くらいのリードは、1つの間違いですぐに消し飛んでしまいますね(実際そうでした・・・)。

一致率

 最後に、ソフトとの「一致率」も調べることができます。これは、別の将棋のものです。せっかくなので、最近一番出来のよかった将棋を(後手番です)。普段の私の一致率は40%前後ですから、ずいぶん見栄を張ったものです 笑。ちなみに、一致率一致率と言いますが、実際に大事なのは「悪手」「疑問手」の方だと思います。つまり、ソフトと同じ手を目指すより、悪い手を指さないようにする、ということです。この将棋は、お互いに「悪手」「疑問手」がとても少なく、だからいい将棋だったと言えます。

 ちなみにプロの先生は、70%から80%くらいの一致率を当たり前のように出してきます。そして、悪い手はやはり少ないです。ソフトで見てみると、プロがどれだけレベルの高い将棋を指しているのかよく分かるでしょう。

 これが将棋ソフトです。すごい世界になりましたね。何だか、将棋というものがすごく理路整然とデータになっていて、驚いた方も多いのではないでしょうか。私も初めて触れた時には驚きました。「革命」という感じです。そして、まだまだ弱い私ですが、ソフトで勉強したおかげで強くなっている側面もあります。将棋を覚えてしばらく、ただ指していた時は4級でした。今は1級なので、少しずつ上達してきました。

 ソフトは将棋の勉強に飛躍的な向上をもたらしたと思いますが、ソフトが強くなったことによる問題点もあります。

24ソフト

 将棋倶楽部24という将棋のサイトの一番上にはこのようなお知らせがあります。「ソフト指し」とは、ソフトを使った「カンニング」のことです。こうやってお知らせが出るくらい、ソフトによるカンニングは問題になっています。完全に防ぐ手段がないので、正直どうしようもない所はあります。

 私は弱いところで指しているのでほとんど経験したことはありませんが、相手が途中から急に強くなったりするとどうしても疑ってしまうことがあります。「ソフトを使っているのかな」などと思いながら指すのは悲しいことですね。ネット将棋の深刻な問題の一つです。

 ソフトはこのように、将棋に功罪の両面をもたらしました。私のようにまだまだ弱い人間にとってはプラスになった点の方がはるかに大きいですが、プロとして戦う棋士たちにおいては、全く事情は異なります。ソフトの存在を快く思わない棋士も多く、インタビューではその点が赤裸々に綴られています。

◆ 「怖さ」を失った時

 記事のタイトルにした「黒船」という言葉は、行方尚史(なめかた・ひさし)八段が使っていた言葉です。行方先生は「本格派」という言葉がしっくりくる、どっしりとしたこれぞプロという将棋を指される先生です。

 言うまでもなく、「黒船」とは江戸幕府を滅亡に追いやる契機となった未知なる脅威です。行方先生が、ソフトの台頭にどれだけ脅威を感じておられるのかよく分かりますね。

行方 「ソフトという黒船がやってきて、私も初めて目覚めたところがあります。(中略)自分はいままで将棋への取り組み方が甘かった。だからいまは、昔できなかったこと、やらなかったことをシビアにやっているつもりです。最近は注目される立場で将棋を指せているので、自分の考えは棋譜で表していきたい。」



 行方先生は40代になって成績が急上昇したので、説得力のある言葉です(普通は衰えが始まるところですから)。ソフトの登場で、このように自分の在り方と言うものを見直された先生は多いと思います。

 「黒船」という言葉のニュアンスから分かると思いますが、行方先生はソフトをあまり快く思っていません。私が上で紹介した「評価値」や「一致率」というものに対しては特にそうです。将棋が、ソフトとの「答え合わせ」になってはたまらない、という言葉には大きく頷かされました。

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 私が11人のインタビューで最も印象に残ったのは、山崎隆之(やまさき・たかゆき)八段のインタビューです。山崎先生も、ソフトの存在にはどちらかというと懐疑的な立場でした。その中で、この言葉が胸に刻み込まれます。

山崎 「将棋というのは人間同士の勝負で、お互いに答えを知らない中でやるものじゃないですか。怖さはあるけど、それに打ち勝つことも大事なわけです。ファンにもそこを楽しんでもらっている部分があると思う。もちろんソフトの手だって全部が正解ではない。でも、ソフトを使うと怖さを取り除くとまでは言わないけれど、薄めているのは間違いない。」



 この言葉もまた、山崎先生だからこそ説得力があります。山崎先生の将棋はとても独創的で、「我が道を行く」の言葉がぴったりです。棋譜だけで誰が指したか分かるような魅力的な将棋は同じプロ棋士にも尊敬されるくらいです。

 そういう将棋なので、見ていてとてもスリルがあります。指している本人は、常に「怖さ」と隣り合わせなのだと思いました。その怖さが取り除かれてしまうことの寂しさ。それは、人間の将棋から魅力を奪ってしまうかもしれない、という重要な問題提起です。

 将棋が、ソフトによる「情報戦」、ソフトを使っているかどうかという「情報格差」の問題になってしまうことを、山崎先生は嘆かれます。たしかに、そのような情報で勝負が決まってしまうのは観ているファンとしても興ざめではないかと思います。

 私は将棋を観る方も大好きで、昔は観る方が専門でした。決して、プロ棋士が「正解」を指すところを見たいのではないのです。限られた時間の中で、少しでもいい手を見つけようともがき苦しむ姿、それが見たいのです。その結果、間違えてしまったとしてもそれで魅力がなくなるということはありません。間違いも含めて一つのドラマですし、相手に間違えさせるような「怪しい手」というのもあり、そこの駆け引きも見ていて本当に面白いのです。

 山崎先生の言葉が、ソフトが台頭しても決して失われることはない人間の将棋の魅力に通じているような気がします。

◆ 誰が指した手でも

 ソフトにどちらかと言えば否定的な見解を紹介しましたが、若手の棋士になればなるほどソフトに対する抵抗感は薄まっているように思います。ソフトを使って研究することは当たり前で、ソフトは人間よりも強いとはっきり言い切る先生もいます。やはり、年代によって感じるものは違うのだろう、と読んでいて面白かったです。ソフトを歓迎するような棋士の声も、ぜひ読んでみてください。

 ここで紹介するのは、そのどちらでもない、フラットな立場の声です。将棋を知らない人でも名前は知っていそうな大棋士、羽生善治(はぶ・よしはる)竜王と森内俊之(もりうち・としゆき)九段です。長年、名人のタイトルを二人で独占し続けました。将棋界最強にして最大のライバルと言えるでしょう。

 名人戦で、コンピューターソフトと同じ手を指して羽生先生に勝った森内先生。「名人がソフトの手を使ったのか!?」となかなか波紋を呼ぶ事態です。ですが、森内先生はあっけらかんと答えられました。

森内 「全然気になりません。誰が指した手でも、誰が教えてくれた手でも、効果があると思えばそれを指します」



 なんだか、悠然としていますね。上に紹介した二人の先生とは違う雰囲気が伝わるでしょう(三人ともトップ棋士ですが)。ここまでソフトについて中立というか、フラットに考えられるのはすごいことだと思います。「黒船」が来たのを、実に冷静に受け入れているわけです。

 今は、プロ棋士もソフトの影響を受けずにはいられません。ソフトが指していた戦型をプロが真似したり改良したりして、プロの間で流行ることも珍しくありません。逆に、これまで人間同士で指されてきた戦型が、「ソフトが評価しないから」という理由で廃れていくような面もあります。

 まさに新時代で、見ている私も正直戸惑うことがあります。その渦中にいるプロ棋士の葛藤や苦悩はそれとは比べ物にならないはずです。森内先生のように、柔軟な発想を持つことが重要なのでしょうか。それにしても、これほどの大棋士がここまで柔軟に考えられることには驚きます。いや、大棋士「だから」、柔軟なのでしょうか。

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 最後に羽生先生です。森内九段の最大のライバルであるこの方も、やはりその姿勢はとてもフラットです。羽生先生は実際にソフトを使って終盤を中心に検討されていることを明らかにします。私には、けっこうな驚きでした。やはり柔軟に、ソフトのことを受け入れておられるのですね。

 これからどのようにプロ棋士として歩んでいきたいか聞かれた羽生先生。こう答えられました。なんだか、実際に声まで聞こえてきそうです。

羽生 「特別な何かができるわけじゃないですからねえ。今までと同じようにやっていくとしか言いようがありません。ソフトはこれからも進歩していくでしょうけど、だからといって自分が指す将棋が変わっていくわけではない。自分ができる将棋を指すとしか言えません。」



 この飄々とした感じが羽生先生です。やはり、悠然としています。森内先生と同じ雰囲気を感じないでしょうか 笑。二人には通じ合う部分があるのでしょうか。不思議なことですね。

 先日、永世七冠を獲得された羽生先生。これ以上ないような偉業ですが、決してそれに満足するではなく、聞かれたのは「まだまだ将棋のことは分からない」という言葉です。その目線は、名誉ではなく、将棋の真理の追求に向けられています。

 将棋の真理を追究するというのなら、確かに「誰の手であっても」受け入れる度量が必要なのかもしれません。自分の価値観を一度すべてフラットにして、染み込んだ常識も捨て去って。そして、目の前の手をまっさらな気持ちで検討する。

 二人の先生の言葉は余裕を感じるようでもありますが、決してそうではないことが分かるでしょう。フラットになるのは、とても難しいことです。実績のある棋士ほどなおさらです。それを厭わず、悠然とやっている。やはり、二人には凄みを感じます。

◆ 変わり続ける将棋界

まとめ



 黒船という言葉がありましたが、それに合わせるなら今の将棋界は「明治維新」にでも突入したと言うべきでしょうか。全てのことが急激に変わり、全く違った世界が訪れようとしています。江戸時代の「武士」は明治で新たな生き方を選びましたが、「将棋棋士」もまた、新時代で新たな生き方を求められています。

 ソフトを駆使し、情報戦で相手を上回ろうとする棋士。
 相手のソフト研究を外すなど、駆け引きを強める棋士。
 そして、今もなおソフトには頼らず、刀一本で斬りこみ続ける「武士」。

 将棋界は、本当に面白いです。前回の記事でも書きましたが、将棋ブームで今まで将棋を知らなかった人にも少しでも将棋が広まってくれたら、と思います。今は「観る将」といって、観る方専門の方も多いですね(将棋飯や棋士の対局姿を楽しみます、私もかつてはそうでした)。観るだけでもおすすめです。毎日のようにネット中継があって、本当に便利になったと思います。

 指すほうは、もっとおすすめです。とはいえ、厳しいものです。やっぱり、勉強しないと強くなりません。私は大学2年くらいから本格的に勉強を始めましたが、なんというか、また受験勉強をしている感じです 笑。でも、勉強の成果は確実に出ます。強くなったと実感できるのは本当に楽しいです。そういったことに充実感を覚えられる方に、指す方の将棋もおすすめしたいと思います。



オワリ

 2回連続で将棋について語り、ようやく私も満足しました。ほんのささいなことでもいいので、2本の記事が将棋の普及に貢献出来たらうれしいです。

赤褐の餞 - 『盤上の向日葵』 柚月裕子

 前回紹介した柚月裕子さんの小説です。将棋や将棋界の厳しさと言うものを実に丹念に描いています。将棋の要素を抜きに、小説としてもとても面白いです。本当に素晴らしい作品が生まれました。

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ノンフィクション, 大川慎太郎,



 皆さんには尊敬できるジャーナリストはいますか?最近、メディアやジャーナリズムは一部から激しいバッシングを受けています。「マスゴミ」などという言葉が平気で飛び交います。「メディアは嘘をついている」と叫んで見せる首脳もいます。ジャーナリストを尊敬だなんてとんでもない、と考える人もいるかもしれません。ですが、私には尊敬できるジャーナリストがいます。


キャスターという仕事 (岩波新書)
国谷 裕子
岩波書店
売り上げランキング: 12,021


 この顔を知っているという方は多いでしょう。1993年から23年にもわたってNHKの報道番組「クローズアップ現代」のキャスターを務められた国谷裕子(くにや・ひろこ)さんです。

 2016年の3月をもってクローズアップ現代を降板された国谷さん。23年間続いた番組の裏側を赤裸々に語った新書が今年の1月に発売されました。世界が大きく揺れる中、荒波にもまれながら報道を続けてこられた国谷さん。「ジャーナリズムを死なせてはいけない」そう強く思わせる、後世に残したい1冊です。



内容紹介



ノンフィクションルポ

 1987年4月5日に産声をあげたNHKの報道番組、「クローズアップ現代」。当初は2年もてばいいと思われていた番組は、それから23年にわたって続くことになります。放送回数は実に3784回。冷戦が終結し、日本ではバブルが崩壊しました。その直後に始まった番組。激動の日本と世界を常に見つめ、共に歩み続けてきました。

 2016年の3月をもって惜しまれつつ番組を降板した国谷キャスターが、今だから語れる番組の裏側を赤裸々に綴ります。

 番組の冒頭でキャスターが語りかける「前説」、そこに懸ける思い。

 国谷さんが、まるで「戦場」だと表現する、放送前の「試写」。

 日本、それに世界の要人へ行ってきたインタビュー。キャスターとしての矜持。

 そして、ジャーナリズムに思うこと。

 「言葉」と「想像力」を大切にし、全体を俯瞰する視点を常に持って走り続けてきた国谷さんが、これからのジャーナリズムに、決して消えることのない灯りをともします。

書評



書評

◆ 熱をもった「言葉」

 私は大学生になってから「クローズアップ現代」をほぼ毎回欠かさず見ていました。レポートを書くときの入口としていつも活用させてもらっていました。クローズアップ現代は、ジャンルを絞ることなく、様々なテーマを多角的に取り上げる番組です。どうしても、自分の興味関心だけで生きていると情報が偏ります。視野を広げることができたという意味でも、とても貴重な番組でした。

 23年も番組を続けるということは、途方もないことだと思います。読む前から、その壮絶さは想像していましたが、私の想像をはるかに上回る苦悩や葛藤が国谷さんにはありました。そして、自分が毎日見続けてきたようなこの番組の魅力はどこにあったのか。それも分かった気がします。



 最初は国際キャスターとして仕事をしていた国谷さん。NHKで最初にもらったキャスターの仕事では、思うような仕事ができず、泣いて帰ったこともあるといいます。その番組を1年で下ろされることになった国谷さんが、数年後に「クロ現」のキャスターという大きな仕事に抜擢され、その後23年間もキャスターを務めあげたのです。

 そこには想像を絶するような努力がありました。1週間の放送が終わる毎週木曜日、国谷さんは来週以降の放送の勉強をするために、膨大な資料やデータを持ち帰っていたそうです。クロ現はさまざまなジャンルを扱う番組ですから、国際を専門にしていた国谷さんは初めて報道するような分野もたくさんあったといいます。そういったテーマも、必死に勉強し、放送に挑んできました。

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 30分弱の番組は、毎回が生放送の一本勝負。そこには、キャスターとして一歩も後ろには引かないという、並々ならぬ覚悟がありました。

 例えば番組冒頭で国谷さんがテーマについて紹介する前説。1分30秒くらいの短い部分ですが、国谷さんは時には2、3時間もかけてここの言葉を練っていたと言います。

入り口が狭く、一見小さく見えるテーマであっても、その先の影響の広さや閉経の深さの気配を伝えたかった。そうすることで、視聴者の一人ひとりの想像が広がり、自分とつながっている問題であることに気づいてもらえるのではないかと思っていた。



 そして、言葉には「熱」が大事であると国谷さんは言います。私は自分がこの番組を見続けてきた理由が分かりました。国谷さんが毎回苦心して練り上げた「熱」を持った言葉は、一見自分には関係ないと思っていた問題も私に想像させることをさせ、決して私を引きつけて離さなかったからです。

 そして、放送前に番組の内容を吟味する「試写」。限られた時間で何をどう伝えるか。取材をしてきた記者と編集のスタッフ、それにキャスターの国谷さんが毎回激論を交わします。その試写のことを「戦場」と表現した国谷さんはこう語ります。

お互いがぶつかり合い、最後の最後まで番組を良くしていきたいと思わなければ、良質で深い番組は生まれない。担当者のひたむきさに、私は十分に応えられるのか?前日試写では、いつもそう問われていると感じていた。彼ら、彼女らの思いを真正面から受け止められなくなったら、私はキャスターを辞めなくてはいけない。本当にそう思っていた。



 1つの番組が、ただの惰性で23年間も続くわけがありません。毎日、命を削るような真剣勝負があったからこそ、番組は走り続けてくることができたのです。1冊通じて言えることですが、国谷さんの決して妥協しない姿勢、「目を逸らさない」という覚悟。そういったものには頭が上がりません。

◆ 問い続けること

 バブル崩壊、55年体制崩壊、阪神淡路大震災、米同時多発テロ、小泉劇場。
 リーマンショック、格差と不景気の拡大、政権交代、東日本大震災、戦後安全保障体制の大転換、「失われた10年・20年」。

 本を読んでいると気が遠くなりました。これら全部、国谷さんがキャスターとして番組で追い続けてきたことです。こうやって並べていると、「崩壊」というのがキーワードに思えてきます。私たちの立っている場所が足元から揺れている中で、国谷さんは何を思い、キャスターを続けてきたのでしょうか。

 多くの人にインタビューをしてきた国谷さん。本人も書かれていますが、「食い付き」がその特徴です。1つのことを納得いくまで聞き続ける。相手が露骨に嫌な顔をしたり、論点をずらしたりすることもありましたが、国谷さんのスタンスは変わりませんでした。

 「言葉で、問い続けること」。それが大切だと国谷さんは振り返ります。

問の角を丸めてしまっていないか。安易に視聴者の感情に寄り添っていないか。問題の複雑さを切り捨てて、「わかりやすさ」ばかりを追い求めていないか。テレビ報道の抱える危うさを意識しながら、問を出し続けなければいけない。



 冒頭にも書きましたが、今、メディアやジャーナリズムへの信頼度というのは急速に低下しているように思います。世界で一番大きな国の首脳が公然とメディアを攻撃するような時代です。ネットの普及も大きいように思います。「メディアは嘘をついている。真実はネットに書かれている!」そう叫んでみせる人もいます。

 ですが、そこからは重要な言葉が抜け落ちています。

 「メディアは嘘をついている『こともある』。真実は(膨大なデマに埋もれて)ネットに書かれている『こともある』

 こうすれば、だいぶ正確な言い方になると思います。要するに、そんな簡単に物事を言い切ることはできません。メディアの嘘を見抜く力、ネットのどこかにあるかもしれない真実を見つける力。それを身に付けるには、たぶん、23年間必死に勉強をし続けてきた国谷さんと同じくらいの、あるいはそれ以上の努力が必要だと私は思います。

 真実でないものがまかり通ってしまう世界。国谷さんも警鐘を鳴らします。

言葉の持つ力を信じて、私は事象の持つ豊かさ、深さそして全体像を俯瞰して伝えることにこだわりながら報道番組に携わってきた。それだけに、真実ではない情報や言葉が事実よりも現実的な力を持つようになったことに衝撃を受けると同時に強い懸念を覚える。



 国谷さんが決して「わかりやすさ」に飛びつかなかったように、私たちも自分たちにとって「おいしい」「都合の良い」情報に安易に飛びつかないようにしなければいけない。そう思いました。

 さて、「クローズアップ現代」の大役を終えられた国谷さんですが、キャスターとしての歩みはまだまだ終わりません。


 ちょうどこの本を読んでいる時に届いた、朝日新聞の「GLOBE」。国谷さんは、特別編集長を務めておられます。貧困や紛争、環境破壊に苦しむ世界から、渾身のレポートが届いていました。

 「未来をあきらめない」。力強い言葉は、明日を切り拓く道標です。

まとめ



まとめ



  最後に1つ、書いておきたいと思います。それは、国谷さんが担当してきたクローズアップ現代の、一番最後の回のことです。

 タイトルは「未来への風~“痛み”を越える若者たち~」。私は国谷さんが降板されると知って悲しくてならなかったのですが、最後に取り上げられたのが他でもない、自分たち「若者」についてだった、ということに胸がいっぱいになりました。最終回はかじりつくように見ていました。

 社会に蔓延する「生きづらさ」。様々な「痛み」を抱える若者たち。VTRで丁寧に紹介した後、最後は国谷さんとゲストの柳田邦男さんが語ります。

 そのときのことは、本にも書かれています。若者が未来を生き抜くために。柳田さんが番組に寄せた言葉が、本で紹介されています。これはその一部です。

 

「自分で考える習慣をつける。立ち止まって考える時間を持つ。感情に流されずに論理的に考える力をつける。」
「他者の心情や考えを理解するように努める。」
「多様な考えがあることを知る。」



 23年続いた番組の最終回にこの内容が取り上げられたことは、大きな意味があります。キャスターは、別名「アンカー」ともいいます。国谷さんが走り続けてきた道。リレーは終わりません。そのバトンを受け取るのは、他でもない、「若者」なのだと、今そう思っています。

◆ 殿堂入り決定!

 「最果ての図書館」は『キャスターという仕事』を「シルバー」に認定しました。メディアやジャーナリズムが信じられなくなっている。そんな方にこそ読んでいただきたい1冊です。





オワリ

クローズアップ現代「未来への風~“痛み”を越える若者たち~」(2016年3月17日)

 クロ現の放送内容は、ありがたいことに放送後もテキストとして振り返ることができます。本と合わせて、ぜひ読んでみてください。


ノンフィクション, 国谷裕子,



 29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段。そんな村山さんの生涯を綴ったノンフィクション、「聖の青春」を紹介します。2016年秋には映画化され、俳優の松山ケンイチさんと東出昌大さんの熱演は大きな話題を呼びました。

書影

聖の青春
大崎 善生(著)
株式会社 KADOKAWA
発売日:2015年6月20日




 このノンフィクションは、将棋にあまり興味にない方も含めた、たくさんの方に読んでいただきたい作品です。若くして亡くなった棋士の物語ということで、悲しく、辛い話を想像してしまう方も多いのではないかと思います。もちろん村山さんが亡くなってしまわれたのは悲しいことです。しかし、それ以上にこの作品から伝わってくることは、真に「生きる」ということ、そして圧倒されるようなエネルギーである、と私は思っています。



一行レビュー図書館



一行レビュー図書館

 本の内容や魅力を、一行ずつ、簡潔に紹介する「一行レビュー図書館」のコーナーです。

・29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段の生涯を記した、渾身のノンフィクション作品
・筆者は村山さんのことをいつも近くで見守り続けた作家の大崎善生さん

・幼いころに発症し、村山さんを苦しめ続けた病気
・しかし、将棋は村山さんにとって、どこまでも連れて行ってくれる「折れない翼」だった
・「強くなりたい」「負けたくない」、その気持ちが彼をどこまでも強くする

悲しみ、辛さよりも「凄味」「エネルギー」に圧倒される作品
・どこまでも欲望に忠実で、勝利に貪欲な生き方
・それは究極の「生きる」。むしろ惚れ惚れして、うらやましくなるほどの。

・彼の周囲の人々の愛も魅力
・彼の全てを受け入れようとした家族、誰よりも近くで彼と共に歩んだ師匠
・そして、盤上で火花を散らしたライバルのトップ棋士たち

・巻末には、村山さんが残した将棋の棋譜を多数収録
・それは彼の人生そのもの。もう1つの「物語」も必見。

真の「生きる」がある



 「ブクログ」に投稿したレビューと、本からの一節を紹介するミニコーナー「スケッチブック」です。

「『命懸け』という言葉は自分には使えない」

 映画「聖の青春」の公開に寄せて、将棋の佐藤康光九段が述べられた言葉です。ずっしりと心に響きました。この言葉に、映画を観た方、本を読んだ方の多くが共感されるのではないかと思います。「命懸け」なんて、決して軽々しく言えるものじゃない。

 病気になった村山さんが、将棋という「翼」を手に入れた-筆者の大崎さんがそう表現されていることが印象的です。それは限りなく広がる、折れない翼でした。病気と闘い続けた生涯だったかもしれませんが、盤上ではそのようなことは関係なかったのだと思います。その手から放たれる一手には「揺るぎない強さ」を感じます。きっと、将棋という翼があれば、どこまでも行けたのだと思います。

 若くして亡くなった棋士のお話で、終盤は辛くて読めなくなるかもしれないと予想していたのですが、案外そうでもありませんでした。むしろ、村山さんが輝いて、まぶしくすら見えました。それは、村山さんが本当の意味で「生きて」いたからではないか、と思います。あらゆる欲望に忠実に、そして勝利に貪欲に。「かわいそうな人生」なんて印象は、微塵もありません。太く、短く、輝かしい炎が瞳の奥に見えました。

 そのように感じさせるのは、村山さんの生き方だけではなく、師匠の森先生の温かいまなざし、そして筆者の大崎さんの素晴らしい文章があってのことだとも思います。多くの人に読んでいただきたい、素晴らしい1冊です。


 上のレビューでも触れている「折れない翼」というのはこの部分です。

スケッチブック


施設での生活もベット上の空間も、もうつらくはなかった。知れば知るほど、勉強すれば勉強するほどに広がっていく世界に聖の心は強くひきつけられた。しかも運のいいことに、聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが抱くはかなく泡のように消えていく夢とは違い、それは簡単には折れない翼だったのである。(p49)



 名人になるという夢は半ばでついえてしまいました。しかし、村山さんの残した渾身の棋譜は今も未来も残り続けます。一手一手に村山さんの生き方や信念が刻み込まれていて、それは今後も語り継がれていくと思います。そう考えると、大崎さんの書かれたように将棋という翼は決して折れることのない、強い翼だったのですね。

 村山さんが残した棋譜が巻末に収録されています。そこに込められた思いを、ぜひ駒を動かしながら感じ取ってみたいものです。そこには、大崎さんの素晴らしい文章とはまた違った、もう1つの「物語」が隠されていることでしょう。

 以上、「聖の青春」の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

◆殿堂入り決定!
「最果ての図書館」は、『聖の青春』を「シルバー」に認定しました。(画像クリックで一覧表示)





ノンフィクション, 大崎善生,



 たくさんの文学作品を紹介してきたこのブログで、今日は新たな「文学」を紹介しようと思います。「21世紀の文学」という記事のタイトルに、何を思い浮かべられたでしょうか。それは、小説でも、随筆でも、詩でもありません。

 「21世紀の文学」の正体は「コンピューター将棋」です。そう答えると、思いもしない方向から飛んできた答えに、驚かれる方が多いかもしれません。



 将棋を知らない方でも、人間とコンピューター将棋の戦いについては知っている、という方が多いかもしれません。プロ棋士がコンピューター将棋に初めて敗れた時、将棋を指さない方も含め、世間に大きな衝撃が広がったのを覚えています。「人間vsコンピューター」、その図式が、将棋を知っている、知らないにかかわらず、多くの人を惹きつけたのだと思います。

 コンピューターソフトが人間を上回るほど強くなって、将棋界は大きく変わりました。良くも悪くも、だと思います。そして、今もなお変わり続けています。その激動の変化を、将棋観戦記者の松本博文さんが綴ります。



光速の進歩



 将棋界には、「光速の寄せ」ということばがあります。光速と評される圧倒的に速い寄せ(相手の王様を詰ませにいくこと)を繰り出すのは、現在の日本将棋連盟会長である谷川浩司九段です。私も谷川九段の指した将棋をなぞってみたことがあります。私には理解できないような速さで相手の王様が討ち取られていきました。本当に「光速」なのです。

 さて、この本の一番優れた点を紹介したいと思います。それは、コンピューター将棋の凄まじい進歩を肌で感じることができることです。それはまさに、「光速の進歩」とでも呼べそうなものでした。

 数十年前、コンピューターの指す将棋はとても将棋とは呼べるものではありませんでした。この本も、そんなコンピューター将棋の黎明期から幕を開けています。そんなコンピューター将棋が、プロ棋士すらも凌駕してしまう。SF小説のテーマにでもなりそうな話です。

 それを私たちが実際に「見た」。過去から振り返ってみると、改めて私たちが今すごいことを目撃しているのだ、ということに気付かされます。本を読めば、それこそページをめくるたびに、コンピューターは強くなっていきます。そのスピード、得体の知れない強さ、そしてそれを目撃した人間の「葛藤」。様々なことを感じられる、読みごたえのある1冊です。

名人、すなわち人間のトップに勝つ、という目標は、山本(注)一人のものではない。まだコンピューター将棋がどうしようもなく弱かった時代からずっと、多くのプログラマが思い描いていた、見果てぬ夢だった。(中略)羽生が将棋界400年の頂点に立つ人間ならば、ponanzaもまた、半世紀にわたる開発者たちの英知の結晶でもある。

注)山本・・・コンピューター将棋ソフト「ponanza(ポナンザ)」の開発者、山本一成さんです。



 人間とコンピューターが盤を挟んでいる光景に、どうしても「人間vsコンピューター」という図式を当てはめてしまわれる方は多いと思います。しかし、そうではないのです。コンピューター将棋を語る時にほぼ必ず言われることですが、これは「人間vs人間」の戦いなのです。コンピューターの向こうには人間がいました。人間と人間、その図式に気付くことが出来れば、コンピューター将棋が「21世紀の文学」と呼ばれているその理由にも近付くことができるのではないかと思います。

1秒間に1億と3手



 将棋界には「1秒間に1億と3手読む男」がいます。名人を獲得したこともあるトップ棋士、佐藤康光九段です。佐藤九段の読みがとても緻密で、コンピューターが一億手を読むならばその先の1億と3手まで読んでいる、というのがその呼ばれの由来のようですね。

 もちろん、これは冗談交じりの、大いに誇張が入った表現です。佐藤九段は紛れもないトッププロで、その読みは緻密ですが、いくらなんでも一億手読んでいるということはないでしょう。ですから、「1秒間に1億と3手」は誇張です。ところが、「もう片方」は誇張ではないのです。もう片方、とは何でしょうか。そうです、「コンピューターが1億手を読む」のほうです。こちらは誇張ではなく事実です。コンピューターは、人間には到底想像もつかないような膨大な数の手を、一瞬にして読んでいます。

 そんな人知を超えたコンピューターに人間が挑んだところで、勝負になるわけがないじゃないか。そんな風に考えて、人間とコンピューターが対戦する「電王戦」というコンテンツを切り捨ててしまう人もいるかもしれません。ところが、そうではありませんでした。「電王戦」ではいろいろなことが起きました。いろいろな考えがあるかもしれませんが、私は電王戦は素晴らしいコンテンツであると思っています。

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 電王戦ではいったい何が起こったのか。その詳細については本に書かれているので、気になる方はぜひ本を手に取ってみてください。そこで起こった様々なドラマを、筆者が高い文章力で綴っています。ここでは、電王戦の結果だけ記しておきましょう。勝敗はプロ棋士側から見たものです。

 第1回  ●
 第2回  ○●●△● (1勝3敗1持将棋)
 第3回  ●●○●● (1勝4敗)
 FINAL  ○○●●○ (3勝2敗)

 この本で取り上げられているのは第3回までです。一番ドラマチックな展開となったのは一番下に書いたFINALだと思うので、ちょっと残念ですね。とはいえ、第3回までにもたくさんのドラマがありました。毎回「何かが起こる」、そう言っても過言ではありません。

 「いろいろなことがあった」、という私の書き方にモヤモヤされる方もいるかもしれません。勝つか負ける以外に一体何があるんだ、と。そんな方にこそ、この本を開いていただきたいと思うのです。

 人知をはるかに超えているはずのコンピューターソフトの思わぬ「弱さ」が露呈したこともありました。そして、人間の側の「弱さ」と、「強さ」もまた、戦いを通じて見ることができたのです。人間というのは、プロ棋士もそうですし、コンピューターソフトを作った開発者のことも指しています。どれだけ優秀な脚本家が脚本を書いたところで、あのような展開を描くことはできなかったでしょう。それは、人間とコンピューターが、いえ、人間と人間が向き合ったからこの生まれた唯一無二の「ドラマ」であった。私はそう思います。

将棋というゲームは、およそ無限とも思われるほどの変化を秘めている。誰がこのゲームを作ったのか。その名は現代に伝わっていない。「神が作ったゲーム」とは将棋好きがよく口にする言葉ではあるが、なるほど、それは本当なのかもしれないと、思わされることも多い。



 電王戦を通じて、将棋というゲームの底知れない可能性を見たような気がします。たった81マスで、たった40の駒がぶつかり合うゲーム。取った駒を使えるというルールが加わって、そこには無限の可能性が広がりました。無限に広がる盤上で、これからも攻防は続いていきます。

自分よりも強い存在



将棋で人間がコンピューターに負けることをどう解釈すべきか。正解はもちろんない。感じ方は、人間それぞれで違うだろう。



 筆者は最後にこう問いかけています。私も少し考えてみることにしました。

 コンピューターがプロ棋士すらも凌駕するようになって、一部では「プロ棋士は不要」などという声も聞こえるようになりました。しかし、私はまったくそうは思いません。どうしてそう思うのか、自分に問いかけてみます。それは、将棋の面白さは「自分よりも強い存在がいること」だからだ、などといったら、将棋界の危機を唱える人からするとあまりに楽観的でしょうか。

 偉そうにコンピューター将棋のことを書いてきましたが、私自身の棋力はまだまだへっぽこです。こんな私でも続けているうちに確実に上達はしているのですが、強くなっても私の前にはいつも「さらに強い人」がいます。ネットで人と対戦したり、スマホのアプリで対戦したりしますが、相手が強くなるとあっという間に負かされてしまいます。ましてや、最高レベルのコンピューターだったらどうでしょうか。もはや「気付いたら負けているレベル」です。本当です 笑。もはや何をどうしたから負けたのか分からないくらい、圧倒されてしまいます。

 では、ネットで私に勝った人が最強かというと、もちろんそうではありません。その私に勝った人に、さらに圧倒的な強さで勝つ人がいるのです。そして、さらにその人より強い人がいて、そしてさらに・・・。そのはるか高みには「プロ棋士」がいます。

 私は、そんな「自分よりも強い存在がいること」が将棋の面白さであり、自分が強くなろうとする理由でもあるのではないか、と考えています。自分よりも強い存在は、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であり、そして「自分を強くしてくれる存在」でもある、と思うのです。

 コンピューター将棋も、そうなってはくれないでしょうか。もちろん、プロ棋士が負けてもいいとは思いませんし、負けるところを見るのは辛いところもあります。ですが、「プロ棋士よりもさらに強い存在」には必ず意味があると思います。その存在が、将棋に秘められた無限の可能性を教えてくれる存在であってほしいし、人間をさらに強くさせる存在であってほしいのです。

 コンピューター将棋に対しては、いろいろな考えが存在します。私は、上に書いたようにその発展を歓迎する立場です。しかし、そうではない立場もあります。将棋がつまらなくなってしまった、人間の存在意義がなくなる、もはや将棋ではなく「将棋に似たゲームである」等々・・・。人間がコンピューター将棋とどう向き合っていくべきか、「最善手」はまだ見えません。

 そのようないろいろな考えがあること、コンピューター将棋の受容をめぐって人間が葛藤すること、そういったことも含めて、コンピューター将棋が「21世紀の文学」になるのではないか、と思っています。冒頭に書いたように、コンピューター将棋の台頭で「良くも悪くも」目まぐるしく変化している将棋界。その行く末に、これからも注目していきたいと思います。



オワリ

ハム将棋(pcのみ)

 コンピューター将棋に関する話題ということで、将棋の普及におそらく最も貢献しているであろう、「ハム将棋」を紹介します。誰でも遊べる無料のブラウザ将棋で、最初に将棋を覚えたころは全然勝てないのですが、先を読むことを覚えて勝てるようになっていきました。強いか弱いかといわれればそれは弱いのですが、なんというのでしょうか、「ほどよい弱さ」がとてもいい。 

ノンフィクション,



  •   11, 2016 18:05