HOME > 辺見庸
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





  •   --, -- --:--
  •  突然ですが皆さん、「食べ物を残す」ことにはどれくらい抵抗がありますか?

     私はすごく抵抗があるんですよ。親から厳しく教育されていたわけではありません。しかし、なぜか食べ物を残してはいけない、という一種の強迫観念のようなものまでありました。学校の給食では、食べ物が棄てられることが耐えられず、余った分の給食をかなり無理しておかわりしていた記憶があります。吐きそうになりながらも食べていましたね・・・。

     なんでそこまで食べ物を残すことを嫌っていたのだろう・・・なんてちょっと考え込んでしまいました。その答えの一部がこの本にはあるかもしれません。今日ご紹介するのは、辺見庸さんの「もの食う人びと」というノンフィクション作品です。五感が刺激され、激しいショックを受けた記憶があります。では、以下「もの食う人びと」のレビューです。

    もの食う人びと (角川文庫)もの食う人びと (角川文庫)
    (1997/06)
    辺見 庸

    商品詳細を見る


    五感を刺激されるノンフィクション



     「もの食う人びと」は1994年に発行された、辺見庸さんによるノンフィクション作品です。社会の最底辺の貧困にあえぐ人たちや、原発事故で放射能汚染された村に留まる人たちなど、極限の「生」における「食」を扱った作品であり(wikipediaより)、第16回講談社ノンフィクション賞を受賞しています。おすすめのノンフィクション作品は、と聞かれたら私は迷わずこの作品を挙げています。嵐の櫻井翔さんもキャスターを志したきっかけとしてこの本を挙げておられました。他にもいろんなところで推薦の声を聞く、かなり有名な作品です。

     「『食う』とはこれほど壮絶であったのか!」帯にこんな文字が書かれていますね。本を読んだ後の感想は、まさにこの言葉に尽きると思います。日本で平穏な暮らしをしていては、絶対に想像もすることのない貧しい人々の暮らしが、「食」を通して描かれます。

     様々な短編が連なっているのですが、その最初を飾るのが「残飯を食らう」。その名の通り、筆者の辺見さんが残飯にありつくという話です。想像を絶するような描写・・・口の中に気持ち悪い唾液が広がり、思わず本から顔をそらしてしまいます。いきなりすごい状況を突き付けられ、震えながら本編へ。そこで待っていたのは、想像を絶するような「五感を刺激される」ノンフィクションでした・・・。

    想像力の限界



     戦争、病気、環境汚染、歴史や文化の歪み・・・。食事を通して見えてきたのは、人間社会の抱える壮絶な闇でした。日本に暮らしていては一生気付かないであろうそれらの光景は、私の創造の範疇を超えるものでした。戦争や貧困のルポはたくさんあり、それらが訴えてくる力には大きいものがあります。ですが、この作品は訴える力では群を抜いているんですね。その要因は、戦争や貧困といったことを、直接描くのではなく、「食」というフィルターを通して私たちに見せたことにあります。言うまでもなく、「食」とは私たちが生きていくためには切っても切り離せない根源的な営み。そこを刺激されるわけですから、当然訴えてくる力は大きい、というわけです。

     印象的だった短編を2つご紹介することにしましょう。

     「麗しのコーヒー・ロード」・・・私たちにもなじみ深い「コーヒー」が登場します。ここでは、唇に皿をはめるスーリ族の様子が描かれていました。スーリ族は唇に皿をはめる、という独特の風習を持っています。しかし、唇に皿をはめるのは、伝統ではなく、実は外国人に写真を撮らせ、お金を稼ぐためのいわば「パフォーマンス」・・・。筆者はこれを「文化の破壊」と名付けています。外国人により、捻じ曲げられた風習。生活を成り立たせるために、必死でパフォーマンスに興じる人々・・・。歪んだ世界の一端を見せつけられたこの短編は大変印象的でした。描かれる食べ物は「バターコーヒー」。これもまた気持ち悪いんですよ。こってりした感じが、自分の舌に伝わってきて顔が歪みます。文化の破壊と、バターコーヒー。読むのが辛い話でありました。

     「兵士はなぜ死んだのか」・・・読むのが辛いという点でいうならこちらの話が上回ると思います。まともな食事を与えられず、餓死していくソビエト軍の兵士たちの過酷な食を描いたこの話。実際にどういう食事が提供されているのか、軍に対して直接取材に挑んだ筆者に対し、提供されたのは「よそいきの食事」。ひどい食事の内容は軍によって隠蔽され、筆者には豪華な食事が見せられました。闇の深さを感じさせるエピソードです。その裏で、兵士たちは石鹸を食べて病気による除隊を願い、そして死んでいくのです・・・筆者はこれを、「食の殺人」と断罪します。

     筆者はかなり思想に偏りを持った人物とのことです。ですから、ここに書かれたことを丸のみにしたり、ここに書かれたことを根拠にして何か主張したり、そういった風にするのに適した本ではない、ということは述べておきたいと思います。ただ、だからといって目をそむけてよい出来事ではありません。いくら信じられないようなことでも、世界にはこのような現実があります。日本にいたらなかなか想像ができませんね・・・だからこそ、こういった本を通して自分の想像力の限界を超えるような体験に接し、何かを思うことに意味があるのだと思います。

     体を張って世界中を巡った筆者に敬意を表します。私にはこんなことをする動機もなければ気概もありません。これを「平和ぼけ」というのでしょうか。とにかく今は圧倒されるばかりです。

    食べ物を残してはいけないわけ



     この本を読んだら、まず食べ物を残せなくなると思います。また、必ず「いただきます」を言うようになると思います。私は本当にこの本から受けた衝撃が大きくて、しばらくは白ご飯の一口一口に感動を覚えるような日々を過ごしました。

     なんで食べ物を残すことに昔からこんな抵抗があるのだろう・・・と本を読みながら考えていたんですね。そうしたら、思い出しました。答えは、今日のタイトル。「おのこしはゆるしまへんで」・・・これは、「忍たま乱太郎」というアニメに登場する「食堂のおばちゃん」の決めゼリフなんです。

     小さい頃このアニメをよく見ていました。すごい迫力で「おのこしはゆるしまへんで!」と叫んでいたおばちゃんが、私に食べ物を残してはいけないという意識を植え付けていたのだと思います。アニメの影響、大きいですね。食べ物を残さない人間になった、という点ではすごく感謝しています。ありがとう、おばちゃん!(迷走)

     「もの食う人びと」と「忍たま乱太郎」を結び付けてレビューを書いたのは、おそらく私が世界で最初だと思います。最後まで読んでくださった皆さん、今日は世界最初という「当たり回」でしたよ! 笑

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『もの食う人びと』を「ゴールド」に認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ

    食堂のおばちゃんとはこの人です(本の内容とは全く関係ないんですけどね・・・)
    忍たま乱太郎 食堂のおばちゃん

    「忍たま乱太郎」って20年以上も前に放送が始まったアニメだそうです(!)。久しぶりに動画を見たら、なつかしさにほろりとしました。
    スポンサーサイト
    ノンフィクション, 辺見庸,



    •   14, 2015 23:45
  • 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。