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  •  前回に続き、谷川俊太郎さんの詩集、「ともだちがいない!」をご紹介します。後編は「ひとりとふたり編」と題して2つの詩をご紹介します。全部で10の詩が収録されていますが、今日紹介する2篇は、谷川さんがもっとも伝えたかったことが含まれている詩だと思うので、要注目です。

    「詩集 ともだちがいない!」 谷川俊太郎(前編) ~ほんとうのともだち~
    前編の記事はこちらからご覧ください。

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     雑誌、「MONKEY」に収録されている今回の詩集、「ともだちがいない!」ちょっとドキッとするタイトルですが、実は私たちが生きるとはどういうことか、というとても大切なことを教えてくれるのです。



    ひとり



     今回は「ひとりとふたり編」と題していますが、紹介する2つの詩はタイトルそのまま、「ひとり」と「ふたり」です。まずは「ひとり」のほうから見ていくことにします。

    「ひとり」 谷川俊太郎

     詩の紹介に入る前に、よかったら、「ひとり」と小さくつぶやいてみてください。吐き出された「ひとり」という言葉は、どんな空気をまとっていたでしょうか。私は、「ひとり」というと、どうしても寂しいものを想像してしまいます。自分がつぶやいた「ひとり」という言葉は、少し冷たく、ひんやりとしていました。

     でも、知っています。「ひとり」には、もう一つの側面もあるのです。たくさんの本を読んできたので、何となく感じる部分があります。そして、この詩もまたそうでした。

     友人とけんかをした「ぼく」は、一人で椅子に座って考え事をしています。前半は、少年が思いをめぐらせています。窓から差し込む風、鳥の鳴き声、遠くにかすむ山。そんなものが並べられています。一人きりになると、感覚が敏感になりますね。普段見えていなかったものが見えて、聞こえていなかったものが聞こえてくるような。この詩の前半は、そんな感覚を巧みに描いています。

     後半は、「ぼく」のこんなことばから始まります。

    ぼくが 居る ひとりで



     谷川さんのぶつぎりのことばは、とても力強い。どちらかというと穏やかな前半から、いきなりこのことばへとつながるのです。なんだか目の前にいきなり大きな山が現れたような気にでもなります。いったい、どんな展開が続くのでしょうか。

     次からの3行が、とても印象的です。ぜひ、じっくり味わってみてください。

    ぼくという人間は一人だけ
    あいつという人間も一人きり
    一人だからぼくはぼくになれる



     私たちは友達や家族を作ります。多くの人は、そうやって誰かと一緒に生きて行きます。ですが、だからといって人間から「ひとり」の時間がなくなるわけではないことを、私たちは知っていると思います。「ひとり」の意味を、この部分が教えてくれるのです。それは、「自分が自分でいられる時間」でした。

     「ひとり」には、寂しさのほかに、もう1つの側面があると書きました。それは「強さ」だと私は思っています。吐き出した「ひとり」という言葉は、たしかに一見、冷たく、ひんやりとしていました。しかし、そこには、決して消えない「強さ」や「ゆるぎなさ」の気配も、私は感じるのです。

     谷川さんは、終盤でこんな風に書いています。

    独りは、いい
    生きていると思えるから



     かすかに感じていた、「揺るぎない強さ」への気配が、谷川さんの言葉によって、確信に変わっていきました。

    ふたり



     さて、「ひとり」の次に書かれていて、10の詩の最後を締めているのが「ふたり」です。「ひとり」の次に「ふたり」-。この2つは、内容もリンクしています。心憎い構成ですね。

    「ふたり」 谷川俊太郎

     内容がリンクしている、と書きました。どうやら、けんかをしていた二人が仲直りをしたようなのです。先程「ひとり」で座っていた「ぼく」は、今度は友人と「ふたり」で座っています。ですが、二人でいるだけで、特に何か言葉を交わすこともないのです。

    お前と 居る
    黙って座っている



    お前に言うことは ない
    でもお前と今 居る



     この詩はとても静かです。何だか不安になってしまうくらいに静かです。


     この詩には、谷川さんの素敵な挿絵が挿入されています。挿絵も含めて、一つの作品と言えるでしょう。さて、上の写真はこの「ふたり」という詩の挿絵です。私は少し不思議な気持ちになりました。私だったら、この詩には二人で黙って座っている挿絵を選ぶと思います(貧弱な想像力です・・・)。ですが、谷川さんの書いた絵を見てみてください。いるのは「ひとり」、そして、どうやら「鏡」を見つめているようです。

     谷川さんのこの挿絵は、「ふたり」というものを解釈するヒントになっていると思います。ずばり、「鏡」の部分がヒントです。詩の後半にこうあります。

    気持ちは静かだ

    お前が生きているのを 感じる
    俺も生きているのを 感じる



     先程の「ひとり」の詩を思い出してみてください。人間は、「ひとり」になることで自分自身を見つめることができました。それは人間にとって、とても大切な時間でもありました。では、「ふたり」はどうでしょうか。「ふたり」の価値は、どんなところにあるのでしょうか。

     「鏡」から想像を広げてみます。目のまえにいる誰かを見つめることは、結局、自分を見つめることになるのです。そこには、自分が映っているのです。そして、誰かが生きているのを見て、「俺も生きている」と感じる。ひとりが自分のことを見つめ直す時間であるなら、ふたりは「自分が生きていることを確かめさせてくれる時間」でした。そこに、「ふたり」の価値を感じます。

     ふたりって、結局、なんなのでしょう。谷川さんが書くこの二行は、そのことを教えてくれるようです。

    ふたりじゃなく、オレと オマエ
    ひとりと ひとり



     「ふたり」を、「ひとりとひとり」に読み替えた谷川俊太郎さん。素晴らしい展開だと思います。「ひとりとひとり」などというと、寂しく聞こえるかもしれません。でも、そうではないのです。それは、認め合うことであり、許し合うこと。「ひとりとひとり」になれた時に、「ひとり」は、「ふたり」になるのです。

    ひとりとふたり



    ひとりとふたり、どちらが好きですか?

     とても難しい質問をしました。もしかしたら、究極の質問かもしれません。2つの詩を読みながら、私はずっと考えていました。

     私自身は、どちらかというと、というかかなり「ひとり」寄りです。趣味が読書ということもあると思います。読書は一人で自分のことを見つめる時間に他ならないからです。だけど、「ふたり」にも価値があることを谷川さんは教えてくれますし、私も知っています。

     誰かと分かり合えたと思えるとき。そう思えるまではなかなか大変ですが、そこにたどり着いた時の満たされた気持ちは、「ひとり」では絶対に味わえなかったものです。だから、「ふたり」もいいのです。

     「ひとり」と「ふたり」、どちらもいいのです。この詩で谷川さんが書いているのは、きっとそんなことなのでしょう。


    オワリ



     雑誌「MONKEY」の特集、「ともだちがいない!」を特集します。谷川さんの詩のほかにも、素晴らしい作品がたくさん収録されています。次回はチャールズ・ブコウスキーの詩、「俺の電話」と「カーソン・マッカラーズ」を取り上げます。ゆっくりの更新になると思いますが、ぜひまたいらしてください。

     最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

    「詩集 ともだちがいない!」 谷川俊太郎(前編) ~ほんとうのともだち~
     もう一度前編へのリンクを貼っておきます。


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    , 谷川俊太郎,





     前後編の2回に分けて、谷川俊太郎さんの詩集、「ともだちがいない!」をご紹介します。タイトルにちょっとドキッとさせられるこの作品は、翻訳者の柴田元幸さんが責任編集をつとめている本の雑誌、「MONKEY」の第11号に収録されています。

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     「MONKEY」の今号の特集が、「ともだちがいない!」というものです。谷川さんは、特集に合わせて、「ともだちがいない!」ということばから自由に連想した計10篇の詩を雑誌に寄せています。「ともだちがいない!」ということばから、いったいどんな世界が広がっていくのでしょうか。前編の今回は、「ほんとうのともだち編」と題して、3つの詩をご紹介しようと思います。



    M



     詩のすべてを抜粋することはできないので、詩の一部を引用させていただきながら、私が感じたことを加えていく形でご紹介させていただこうと思います。

     それでは、さっそく最初の詩の紹介に移ります。最初の一篇は「M」という作品です。この作品に書かれていることは、きっと誰もが一度は感じたことのあることだと思います。「ともだちって、なんだろう?」考え出すと、その問いに対して驚くほど何も答えられなくなって驚くのです。

    「M」 谷川俊太郎

     「私」と「M」は仲の良い2人組のようです。Mは私のことを「親友」と言ってはばかりません。ところが、私のほうはそうではないのです。「私は親友だって思ってない」私はそう言い放ちます。そして、親友どころか友達とも思ってない、と言うのです。

     とても残酷な告白です。どうして相手は親友だと言ってくれるのに、私は友達だと思えないのでしょうか。谷川さんはこんな風に綴ります。

    人間として尊敬してる
    つきあってて嫌なことはひとつもない
    好きな歌だって似てる でも
    ハモる気になれない



     私はちょっと驚いて、数回繰り返して読みました。友達じゃない!なんて言い放つのですから、私はMのことが大嫌いなのだと思っていました。しかし、大嫌いどころか、Mは「尊敬」の対象でもあるのです。ちょっと一筋縄ではいかない感情ですよね。

     最初は少し驚きましたが、何度も読むうちに、「分かる」と思い出してきます。「いい人だけど、友達とはまた違うよな」そんな風に思うことはありませんか?私はけっこうあります。「友情」と「尊敬」って、案外遠い感情なのかもしれません。

     子供の頃、「友達」「親友」「クラスメート」の違いを真剣に考え、いつも悩んでいたことを思い出しました。「この人は『親友』、『友達』、それともただの『クラスメート』?」「私は親友だと思っているけれど、向こうはそう思っていないのかもしれない」(←そう思う時点で、すでに親友ではないのでしょうけど・・・)。同じようなことを考えていた方はいないでしょうか。私は、そのあたりの定義にいつも揺れていました。



     谷川さんのこの詩でぐっとくるのは、やはりこのフレーズでしょう。

    でも ハモる気になれない



     人間って、とても歪な動物だと思います。高い知能を身に付けて、もっともらしい理屈を並べて自分を飾ろうとします。でも、よく考えると人間も「動物」です。つまり、結局は「本能」の部分に支配されている、ということです。

     私たちが誰かと「ハモる」ということ。何も努力しなくても、自然に「ハモる」人もいれば、この詩に書かれているように、どうしても「ハモる気になれない」ひともいます。そのあたり、何が違うのか、考え出すととても難しいです。だけど、この詩のように自分の気持ちをそっと正直に吐き出してみればいいと思います。何が良いとか悪いとかではなくて、嘘偽りのない、自分の気持ちです。

    本田



     つづいては、ちょっと残酷な詩をご紹介しましょう。書かれていることは、「いつもたくさんの人に囲まれているのに、実は友達はいなかったんじゃないか」ということ。背筋がぞくりとしますね。

    「本田」 谷川俊太郎

     本田が死んだ、という知らせが私のもとに届きます。遺書はなかった、とありますが、自殺したのでしょうか。本田は「誰とでもすぐ友だちになれる奴だった」、私はそう思い返します。ところが、です。私は降りしきる雨の中で、ある思いにとらわれるのでした。

    雨がざあっと降ってきた
    本田には友だちは一人もいなかったんじゃないか



     鳥肌が立ちます。外で降りしきる雨と、静かなベットの上。そこで湧き上がってきた思いは、もっとも恐ろしい気付きでした。まるで、パンドラの箱を開けてしまったような気分になります。

     この詩にも、一見矛盾した複雑なことが述べられていますね。本田は「誰とでも友だちになれる奴」でした。そしておそらく、いつも多くの人に囲まれていたことでしょう。それなのに、「友だちは一人もいなかったのではないか」と「私」は思うのです。自殺の知らせが、ふとそんな思いを去来させたのでしょう。本当のところがどうなのかはわかりません。ですが、私はぞっとするくらいの「真実味」を感じました。

     いつも多くの人に囲まれていたけれど、それらの人々にはいつも「偽りの自分」を見せていた。
     「本当の自分」をさらせる人は、実は一人もいなかった。
     「友だち」のようで、そうではない人たち。彼らの存在が、かえって本田を孤独に追い込んだ。

     「誰とでも友だちになれることは、『誰とも友だちになれない』ことでもあった」

     私なりに、詩に書かれていることを深めてみました。「誰とでも友だちになれる」という文字を最初に見た時は、とても素晴らしいことのような気がしました。しかし、詩を読んだ後にとらわれるのは、それとはまったく逆の思いです。実は、「誰とも友だちになれない」こと。文字を並べてみると似ていますが、恐ろしいくらい、まったく正反対のことですね。

     本田の死を受けて、「私」はこんなことを思います。この詩のキーフレーズでしょう。

    友だちは一人でいい
    不意にそう思った



     たった一人の友達。なんだか寂しいことのようにも思えます。でも、それが「たった一人の『本当の』友達」なら、決して寂しいことではありません。でも、私たちは同時に知っています。その、「本当の友達」を見つけるのはとても難しいのだということを。

    祖父の述懐



    「友達がいなかった」という残酷な詩を紹介しました。ちょっと気分が落ちてしまうので、前編の最後はそれとは反対の詩をご紹介することにしましょう。すなわち、「本当の、特別な友達」についての詩です。

     「祖父の述懐」 谷川俊太郎

     「祖父」の親友、三上が亡くなりました。祖父は三上の死のことを静かに語っているようです。

     親友の死に顔を見ても、祖父は泣きませんでした。ただ、死という事実に呆然としただけでした。しかし、朝の日差しが差しこんできたとき、祖父の中で何かが決壊したようです。祖父は、いきなりどこかから湧いてきた涙が止まらなくなりました。

     そして、こう語ります。

    悲しいというのとはちょっと違う
    三上との付き合いのあれこれを思い出したのでもない
    ただ三上という泉からとめどなく涙が湧いてくる
    そんな感じだった



     前の二つの詩とは違って、私はここに書かれていることを深く理解できませんでした。というのも、私はまだ大人になったばかりで、「友達の死」というものを経験したことがないからです。同窓会では、欠席する人もいますが、ほとんど皆がそろって、誰かが亡くなった、などということはまだありません。

     大切な友達が亡くなると、どのような気持ちになるのでしょうか?

     大切な友達を亡くした経験のある方は、ここに書かれていることを深く理解できるのかもしれません。しかし、谷川さんのこの詩は、まだそれを経験したことのない私にも、何か大切なことを伝えてくれるようでした。


     谷川さんの書かれた、この一行が胸に染みます。

    ただ三上という泉からとめどなく涙が湧いてくる



     大切な友達の存在を、涙が湧き出る泉に例えています。美しく、高潔な一行です。きっと、そこから湧き出たものは涙だけではないと思います。これまで過ごしてきた日々、数々の思い出、時には胸にしまい込んでしまいたくなるような出来事・・・。

     友達という「泉」には、たくさんのものが詰まっていました。だからこそ、そこからは涙があふれ出た。祖父と三上が過ごしてきたかけがえのない日々が、たった一行で語られています。たった一行が、胸にずしりと沈み込んできますね。

     祖父は最後にこう言います。

    三上はやっぱり特別な友だちだったんだ



     ふと、思います。
     自分は泣けるのだろうか。誰かに泣いてもらえるのだろうか。

     本当の友達を考えるということは、きっとそういうことなのでしょう。



    オワリ



     谷川さんの詩は相変わらず素晴らしいものでした。後編は、「ひとりとふたり編」と題して、2つの詩を紹介した後、最後にまとめの文章を書こうと思っています。

     そして、雑誌「MONKEY」の特集、「ともだちがいない!」をこのブログで特集することにしました!この雑誌には、谷川さんの詩の他にも、「ともだちがいない!」というテーマのもとに集められた素敵な作品が多数収録されています。とても感銘を受けたので、全作品を紹介することにしました。全9回の特集にする予定です。

     この記事の後編は、アップしたらこちらにリンクを貼ります。後編もぜひご期待ください。


    , 谷川俊太郎,



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    果てぬ夢は続く

     個人的な失敗の話をして申し訳ないのですが、この記事を書いているのは2回目です。記事を書いて更新しようと思ったら、上手くできなくて内容が全て消えてしまいました。夜に1人泣きました。

     1回目の内容を思い出して、もう1度書き始めることにします。8月24日からやってきたこのコーナーは、今日で最終回です。2か月もやっていると、本当にいろいろな思いが浮かんできます。そういった思いを整理してもう1回書き直せと神様が言っているのでしょう。

     最後を締めるのは、絵本の作者、佐野洋子さんの元夫、谷川俊太郎さんです。



    あらすじ



     その野良猫は、ずっと界隈に居着いていた。野良の虎猫である。私が物心ついた時には、すでにその猫には連れ合いがいた。

    白い綺麗な猫だったが、野良の虎猫とその白猫は妙に馬が合うらしく、猫には珍しく発情期になってもそわそわもせず、二匹で静かに寄り添っていた。



     虎猫と白猫で「虎白カップル」。私が成長していっても、カップルは常に私のそばにいた。

    私が成人して職を得て結婚しても、虎白カップルは生きていた。私の結婚した相手が猫アレルギーだということが分かっていたらしく、遠慮して我が家の庭には寄り付かなくなっていたが、近くの空き地でよく見かけた。驚いたことにまだまわりで子猫がうろちょろしていた。



     私と妻の生まれ変わりではないかと思うくらい、カップルは常にそこにいた。だが、ついに私たち夫婦にも別れがやってきた。そして・・・

    谷川俊太郎さんのねこ



     この本には、作品の冒頭に作者のコメントがあります。絵本「100万回生きたねこ」や、作者の佐野洋子さんへの想いを綴ったコメントです。さすがプロの作家さんとあって、コメントもただのコメントではなく、大変味わいのある1つの「作品」になっています。この本の大きな見どころと言えるでしょう。

     さて、谷川俊太郎さんもコメントを残しておられます。とてもシンプルですが、作品全体を貫きとすようなコメントです。佐野洋子さんのことを誰よりも理解しているであろう谷川俊太郎さん。きっと、多くの言葉はいらなかったのでしょう。

    『100万回生きたねこ』は、佐野洋子の見果てぬ夢であった。それはこれからも、誰もの見果てぬ夢であり続ける



     「見果てぬ夢」、谷川さんはそう言います。作品を締めくくるのに、こんなに相応しい言葉はありませんでした。これまでに12の作品を紹介してきましたが、それは絵本「100万回生きたねこ」から出発して、それぞれの作家が想いを巡らせて生み出した「夢」であると言えます。

     「100万回生きたねこ」は本当にいろいろなことが詰まった絵本です。多くの人に手に取られ、そして、1冊の絵本から様々な夢が、つまり想像が今もこうやって生み出され続けています。1冊の絵本がもはや1冊の絵本ではなくなっているということに気付き、私は震えました。

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     これまで何度も「元夫」と書いて気になっていたのですが、谷川俊太郎さんと佐野洋子さんはすでに離婚されています。お二人が結婚されたのが1990年、離婚されたのは1996年だということです。

     離婚されたようですが、あまりネガティブな捉え方をするべきではないようです。お二人は互いに相手のことを語っておられますし、こうやって谷川俊太郎さんが佐野洋子さんの絵本に短編を捧げるなど、今も交流が続いています(佐野洋子さんはすでに亡くなられてしまいましたが)。佐野さんと最初の夫との間に生まれた息子の広瀬弦さんも加わって、おそらく本人たちにしか分からない、とても不思議な関係が形成されています。

     離婚について事情は知らないのですが、少し想像してみることにします。おそらく、佐野洋子さんと谷川俊太郎さん、2人のエネルギーがあまりに大きすぎたのではないでしょうか。2人とも間違いなく後世に名を残していく作家です。そんな2人が夫婦であった時期があるということに驚きます。それに、奔放で常識にとらわれない谷川さんが、「夫」という枠には収まらなかった、ということもあるかもしれません。離婚して「元夫婦」になられたわけですが、その方が谷川さんには合っていると思います。

     離婚された2人に言うのはおかしいかもしれませんが、言わせていただきたいと思います。佐野洋子さんと谷川俊太郎さん、素敵な夫婦です。

    悲しげな顔つき



     作品については、ほとんど語りたいことはありません。作品の素晴らしさが高まると、「語らずにそのままにしておきたい」という思いが働くようになります。私がそんなことを思う作家はほとんどいませんが、谷川俊太郎さんは数少ないそのうちの1人です。

     ただ、何も語らないでおくというのはぶしつけなので、少しだけ語ろうと思います。この作品には虎猫と白猫のカップルが出てきて、人間と重ね合わされています。虎猫と白猫というのは、絵本「100万回生きたねこ」に出てくる2匹です。白猫に出会って、虎猫は愛を知りました。本当に大切な関係です。谷川さんは、そんな2匹の関係がいかに深いものか、佐野洋子さんの想いを汲みとって描かれていると感じました。

     そのことを感じさせるのが、白猫を失った虎猫が、「私」のもとにやってくる場面です。

    しみじみ顔を見た。長いつきあいだ。よく見るとこれまで見たことのない悲しげな顔つきをしている。ははあ、こいつも連れ合いをなくしたんだなと、ぴんときた。



     私が注目したのは、「悲しげな顔つき」という部分です。普通の小説だったら、気に留める箇所ではありません。ただ、この小説では特別な箇所になります。虎猫は白猫に愛を教えてくれました。そんなかけがえのないパートナーを失った、その時に見せる「悲しげな顔つき」ですから、普通の状況とは重みが違います。

     谷川さんがパートナーを失った虎猫の「悲しげな顔つき」を書いたということに、私は谷川さんの強い意志を感じました。悲し気な顔つきとはどのような顔つきか、谷川さんは想像して書かれているはずです。

     人を愛するとはどういうことか。愛する人を失うとはどういうことか。愛する人を失うとどのような気持ちに襲われ、どのような顔をするのか。この箇所は、そういった流れでいくつものことを問いかけてきます。

     これまで紹介してきた13の物語を締めくくるにふさわしい場面だと思いました。たくさんの「愛」を見てきましたが、その中で印象に残っているものを浮かべてみると、「痛み」であったり、「苦しみ」であったり、ここで書かれている「悲しみ」であったりします。

     それらの感情は、「愛」のイメージとは裏腹のネガティブなものかもしれません。だけど、それらが間違いなく愛の裏側にあって、愛を成り立たせているということをこの本は教えてくれました。この場面の深い深い悲しみが、つまりは深い深い愛が、13の物語全体を包み込んでいます。

    おわりに



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     13の物語をすべて紹介しました。13回シリーズというのはやる前に想像していたよりもはるかに長いものでした。ただ、紹介し終えて改めて思うのですが、この本の中に省略してよい物語など1つもありませんでした。1つでも欠けてしまうと全く違う本になっていた、そんな風にさえ思います。2か月もかかってしまいましたが、すべて紹介することができてよかったです。

     この本を読んで浮かぶ感想は、「よかった」とか「面白かった」というのようなものではありません。普通の本ではなかなか思わない珍しい感想だったのですが、何だと思いますか?

     私も小説を書きたい

     これでした。13人の作家がそれぞれの物語を生み出していくその想像力、独創性が本当に素晴らしいのです。私の頭の中には、それらの作品を読んで浮かんでくるたくさんのイメージが溢れんばかりのようになっていて、それを形にしたいという思いに駆られています。

     私は小説を書いたことはありませんし、正直どこから手を付けていいのか分かりませんが、いつか自分の手で「14匹目のねこ」を生み出してみたいと思います。単に面白かったという感想を超えて、「自分も小説を書きたい」と思わせるくらい、この本は豊かな想像力と物語の素晴らしさが結集しているのです。

     小説を書きたい、という私の思いは、実は「100万分の1回のねこ」という本のタイトルに通じる部分があります。「100万回生きたねこ」は、100万回の人生を送りました。その1回1回の人生は、どんなものだったのでしょうか。それは、読者の一人一人が想像するものです。読者の一人一人がそれぞれ「100万分の1回」を想像できる、そこにこの本の素晴らしさがあります。

     「誰もの見果てぬ夢であり続ける」。谷川俊太郎さんはそう言いました。私も、夢を見たいと思います。「100万回生きたねこ」を読んだ人が、それぞれの夢を見て、こうやってそれぞれの物語が生み出されていきます。

     1冊の本から始まって、私たちはどこまでも行くことができる。実は、このことはこのブログのタイトルである「最果ての図書館」に込めた意味でもあります(「最果て」というのは、たくさんの本を読んだ先に行きつくところ。人生の中でどんな本を読むかはその人によって違うので、どこか決まった場所ではなく、「最果て」という曖昧な言い方になるのです)。

     私はどんな本を読んでどこに行くのだろうということをいつも考えます。どんな本と出会うのだろう、何を想像するのだろう。本が持つ無限の可能性を、物語がもつ無限の広がりを、この本の中の13の物語は教えてくれました。



    オワリ

     次回がないと思うと寂しいですね。読み終えて喪失感さえ覚える、忘れられない本になりました。

    特集 100万分の1回のねこ

     13の物語の中でベストを選ぶなら、第4回に紹介した、井上荒野さんの「ある古本屋の妻の話」です。この小説の余韻は今でもよく覚えています。角田光代さんや、最初に紹介した江國香織さんの作品もとてもよかったです。特別賞は「ドラクエ小説」に贈りたいと思います。読み終えてからじわじわ面白くなってきました。

     谷川俊太郎さんと広瀬弦さんは別格という感じでした。お二人は佐野洋子さんのことを誰よりもよく理解しているから、ストレートな物語を書くことができるのだと思います。


    谷川俊太郎,



    •   22, 2015 04:52
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