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  •  コラム

     今日はなんとも過激なブログタイトルです。「何を言っているんだ」とお怒りになる方もいるでしょう。決して本屋大賞を馬鹿にしようと思って書いているわけではないので、ぜひ読んでいって下さい。

     世の中にはたくさんの文学賞・本の賞が存在します。そして、そこで表彰された本は注目され、多くの人の手に取られることになる。そんな風にして、本の市場が回っているわけです。世の中にインパクトを与える賞は何でしょうか。個人的には、第3位が「このミステリーがすごい!」(迷走している感はありますが)、第2位が「芥川賞・直木賞」、そして第1位が「本屋大賞」ではないか、と思っています。なんたって本屋大賞は、「全国書店員が選んだ一番売りたい本!」と銘打っているくらいですから、その売り込みはすごいものがあります。大賞受賞作は書店で大きく取り上げられるほか、各メディアにも展開していますね。

     私自身、本屋大賞は大好きです。過去のノミネート作品を見てもらえばわかると思いますが、本屋大賞のノミネート作品はいわゆる「世間受け」がよいものばかりで、実際に読んでみてもその満足度はかなり高いです。私も読書をする際に大きく参考にしています。本屋大賞で作品を知り、本屋に走るあたり、すっかり「市場の歯車」になっていますね 笑。

     そんな本屋大賞ですが、好意的に捉える人ばかりではありません。「本屋大賞 批判」でウェブ検索をかけると、たくさんの記事が出てきます。そこではなんと、世間に名の知れた作家さんが本屋大賞を公然と批判しているものもあるのですね。もう有名になっていると思いますが、その代表格が「チーム・バチスタの栄光」シリーズで有名な作家、海堂尊さんの発言です。海堂さんが自身のブログで痛烈に本屋大賞を批判したのですが、そのタイトルが「読まずに当てよう、本屋大賞。」 このタイトルに込められた凄まじいまでの皮肉が感じられます。

    リンク 
     海堂さんブログ 2014.2.24

     海堂さんが何を批判しているのか、詳しく見ていくことにしましょう。

     まず海堂さんが指摘するのが、本屋大賞の作品は飛ぶように売れているものの、小説全体の売り上げは減少しているということ。その上で、「書店員が一番売りたい・・・」というコピーに問題があるのではないか、と述べています。

    「本屋さんが一番売りたい本」があれば、それ以外の本は「本屋さんがそんなに売りたい本ではない」というメッセージになってしまうからです。すると読者は本屋大賞受賞作だけ読めばいい、と思っても不思議はありませんし、他の本は、本屋大賞以下なので読む価値がない、とみなす人も出てくるでしょう。



     本屋大賞の陰で冷遇される作家・作品の存在を訴えつつ、本屋大賞は「書店を愛してやまない作家を、書店アンチしてしまう仕組み」だと切り捨てています。

     海堂さんは人気・実力ともに申し分ない作家さんですが、本屋大賞の過去年度も見ると、確かにノミネートがない・・・。ちょっとというか、かなり意外でした。そして本屋大賞のノミネート作品を見ていて気付くのが、「一部の作家が何度もノミネートされている」ということ。あまり意識したことがなかったので、これにはさらにびっくりでした。海堂さんもこのことを指摘しています。そして、本屋大賞に何度もノミネートされている以下の作家さんたちを、「本屋大賞・神7」と皮肉たっぷりに命名しています。

    8回 ☆伊坂幸太郎

    4回 ☆小川洋子 ☆三浦しをん ☆百田尚樹 有川浩 万城目学 森見登美彦


    (数字はノミネート回数、 ☆は大賞受賞者)

     伊坂幸太郎さんのノミネートの多さが際立ちますね。しかも、ここには今年の作品が含まれていません。・・・勘の良い方はもう気付かれたかもしれませんね。今年は伊坂さん、2作ノミネートです。(アイネクライネナハトムジーク、キャプテンサンダーボルト)今までもぶっちぎっていたわけですが、今年は2作ノミネートということでさらに他の作家さんたちとその差が広がっていくことになります。

     もちろん、伊坂さんは素晴らしい作家さんです。本屋大賞に10作がノミネートされるだけの力量と魅力はある、と断言します(先日、「SOSの猿」のレビューを書いたばかりです)。その他の作家さんもこれまた素晴らしいメンバーで、小川洋子さんや森見登美彦さんなどは私が特にお気に入りの作家さんです。この名前の並びを見ているだけで満足してしまいます。ただ、海堂さんが指摘するように、一部の作家が優遇されていることは否めません。

     作品が話題になる → 本屋大賞 → 書店での優遇、メディアを通した広がり → 次の作品も注目され、話題になる → 次の作品も本屋大賞 → 次の作品も・・・   

     こんな流れが容易に浮かびます。海堂さんはここに悔しさを覚えておられます。読まれるべき素晴らしい作品が「討ち死に」している、と。自身の作品が受賞していないから、ただの僻みだと思う人もいるかもしれません。ですが、私はそうは思えませんでした。一部のお金持ちが勝ち続け、貧乏人が負け続ける、そんな格差社会の縮図をみたような気がして、どんよりとします。もう一度断っておきますが、本屋大賞でノミネートされる作品はもれなく素晴らしいのです。満足度はすごく高い。私にとっては、すごく優秀で頼りになるコンテンツ。

     だけど、「本屋大賞でノミネートされる作品以外にも素晴らしい作品がたくさんある」、ということを忘れてはいけません。そういった作品とどうやって出会うか、というのがとても難しいことで、そこで行き止まる感はあるのですが。



     結論。

     たくさんの文学賞があって、多くの本が脚光を浴びます。それをきっかけに、本と出会って、好きになる。たくさんの文学賞が本との出会いの「入口」になってくれるのは素晴らしいことです。というか、そのために文学賞があるのでしょう。

     だけど、価値観を凝り固めてしまうことには注意です。私の場合、「本屋大賞」のミーハーにならないこと!そして、本に順位をつける、そんなランク付けにもあまり過剰に反応しないこと!今日はこんなことを教訓に思いました。いろいろな方の読書ブログはその意味でとても参考になります。文字通り「十人十色」、利権の絡まない純粋な本の紹介は、読んでいるこちらがとても刺激を受けるものです。

     本屋大賞は、作品を読んで決めるものですよね。 
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    •   10, 2015 23:59
  • コラム

     今日は久しぶりにコラムのコーナーです。先日、こんなニュースがありました。

     「学生のバイト収入、08年以降で最高 仕送りは減少続く」
     日経新聞 2015.2.28

     注目したのは記事のこの部分です。

    1日の読書時間がゼロと答えた学生の割合は、2年連続で4割を超えた。1日の平均読書時間は約32分と昨年から約5分増えており、同生協連は「読書する学生と、本を読まない学生の二極化が進んでいる」としている。



     2年連続、という部分で思い出しました。この「大学生の読書離れ」は昨年大きく話題になっていたのです。読書時間がゼロの学生の割合が40%を超えたのは昨年度の調査が初めてということで、大学生の読書離れが印象付けられる結果となりました。 今日のコラムはこの「読書離れ」について考えてみます。



    a0001_001837.jpg

     読書離れの原因を考えるときに、必ずと言っていいほど言及されるのが「スマホ」です。

    全国大学生活協同組合連合会に電話取材すると、読書時間が減っている原因は明確なデータの裏付けが現時点でされていないものの、学生から聞いた話として、電車での通学時間中にかつては本を開いていたが、近年はスマホがこれに取って代わった点を上げた。ウェブサイトを閲覧したり、交流サイトやゲームに興じたりして時間を過ごす学生が増えたわけだ。


     引用 JCASTニュース 2014.3.2

     昨年12月のNHK「クローズアップ現代」でもこの話題が取り上げられました。
     クローズアップ現代 2014.12.10 広がる”読書ゼロ” ~日本人に何が~

     ネットでは普段の回よりも大きな反響を呼んでいました。多くの人に問題提起をしたという点では大変良かったと思いますし、内容も大変興味深いものでした。ただ、この番組で違和感を拭えなかったところもあります。

     何だか「結論ありき」だと思ったのです。詳しくはリンクの方で読んでいただきたいのですが、読書ゼロの学生と読書をする学生が参加して、どのように情報収集をするのか比較する、という実験が行われていました。読書をする学生は図書館に駆け出し、読書をしない学生はネットを開いてコピペ・・・。捻くれた見方かもしれませんが、典型的で誘導的、とにかく「スマホ下げ」をしたい、そんな印象を覚えたのです。

     間違いなく「読書離れ」の主たる要因はスマホの登場なのですが、そこからもう少し考えを深める必要があると思っています。読書をしない学生と、読書をしない学生に対して「スマホの触りすぎだ」と糾弾する人たちには、根本に同じことが言えるのではないか、と思うのです。

    「この連中の真の敵は国家権力ではなく想像力の欠如だろう」 (ノルウェイの森 / 村上春樹さん)

    ・・・不朽の名作から言葉を借りたいと思います。共通しているのは「想像力の欠如」ではないでしょうか。

     この間、ショウペンハウエルの「読書について」という本を紹介しました。
    読書について 他二篇 (岩波文庫)読書について 他二篇 (岩波文庫)
    (1983/07)
    ショウペンハウエル

    商品詳細を見る


     ショウペンハウエル 「読書について」 (3月1日)
     厳しい言葉が並んでいる1冊でした。読書は他人にものを考えてもらうことである、読書は他人の思索の代用品である、などと容赦ない言葉が飛びます。非難されているのは、読書ではなく、読書をして何も考えないことです。想像力の欠如、という言葉はここにも絡んできます。

     読書をすると、様々な想像力が駆り立てられます。私は小説を中心に読みますが、小説でも小説以外の本でもそれは同じです。(たまに小説を馬鹿にしてくる人がいるのですが、これには大いに反論したいです)小説は読みながらいろいろなことを想像しますし、知識を得る類の本でも、得た知識からいろいろと考えます。

     もし本を読んでいなかったら。どれだけの「想像力」が失われるかと考えると、恐ろしくなります。読書離れが大きく取り上げられ、多くの人がこれを危惧している理由はこのあたりにあるのだと思います。

     「大学生はスマホで遊んでばっかりだ」というのも実は「想像力の欠如」かもしれません。時代があまりにも大きく変わったので、考えなければいけない要因は山のようにあります。昔は「書を捨てよ、町に出よう」でした。今は「スマホを捨てよ、本を読もう」に変わりました。昔の本が今のスマホになった、ということを考えなくてはいけません。大学生がスマホで何をしているのか、ということも考えなくてはいけません。スマホと本は何が違うのか、ということも考えなくてはいけません。

     スマホ以外の娯楽もたくさんあります。スマホでは電子書籍が読めます。大学生は本だけでなくテレビや音楽からも離れていると言われます。

     ・・・考えなくてはいけないことがたくさんあることが分かります。少なくともすぐに答えの出せることではありません。「スマホのせいで学生が馬鹿になった!」「スマホ、怖い!依存症、怖い!!」そんなスタンスで凝り固まった主張が多くて、想像力が欠如しているように思います。騙されないように、というと言いすぎですが、もっといろいろなことを考えなければいけないな、と自分を戒めています。

     「クローズアップ現代」をもやもやとした気持ちで見ていたら、VTRのあとにゲストでジャーナリストの立花隆さんが出てきてこんなことを言いました。

    この今のコンテクストだと、スマホをわりと否定的に捉えてますよね。
    だけど、要するにスマホの向こうに何があるかが大事な問題であって、スマホの向こうに、ネットを通して、ほとんど人類が持ってる知識全体があるんですよ。
    そりゃ、引き出し方いかんで、どんな情報でも取れるんですよね。
    だから、スマホだからみたいな議論っていうのは相当は成り立たない。

    (番組ホームページより)

     ハッとしました。もやもやを言葉にしてもらいました。番組がぐっと引き締まりまったようで、テレビの前で思わず「そう!」と声を出してしまいました。結論ありきにしないことは、いつも考えています。たくさん想像したいです。そして、ブログを通してたくさん「想像してもらう」ことも大きな目標です。

     先日、夏川草介さんの「神様のカルテ0」を購入しました。待望の続編です。

    神様のカルテ0神様のカルテ0
    (2015/02/24)
    夏川 草介

    商品詳細を見る


     この本に、「本を読んで想像すること」の大切さが出てきます。とても印象的なセリフがあり、大切なことを教えてもらいました。この本については次回のブックレビューでご紹介したいと思います。



    こちらもどうぞ

    new #22 やさしくなりたい (神様のカルテ0 / 夏川草介さん) 

    「神様のカルテ0」のレビューです。ぜひセットで読んでいただきたいです。本を読むとはどういうことか、1つの答えが示されます。




    •   11, 2015 18:09
  • コラム

     前にコラムを書いた時、私は「小説を馬鹿にしてくる人がいる」ということをさりげなく書いていました。ここに触れておかないとかなり不自然なので、今日はこのことについて書いてみようと思います。

     今まで出会った人の中に、小説を馬鹿にしてくる人、「小説は読まない」と宣言している人がいました。小説好きの人はむっとするかもしれません。でも、そういう人たちにもそれなりの理由があるようなのです―。




     小説を読まない人には2種類あると思います。現代の娯楽小説を読まない、という人と、(本は読むが)小説は読まない、という人です。(本を読まない、という人はとりあえず省きます)私が出会った人は前者だったので、ここでは前者を想定して書きたいと思います。

     現代の娯楽小説は読まないという人には、どうやら「時間の審判を受けていない作品は読まない」、というスタンスの人が多いようです。要するに、時代を経ても多くの人に読まれ、生き残る作品にこそ価値がある、という考え方です。この考えには、私はいろいろ思うところがあります。

     また村上春樹さんの「ノルウェイの森」から引用したいと思います。この本には永沢先輩という人が登場します。この永沢さんは、まさに上に挙げたような考えを持った人です。自分は作者の死後30年たった作品しか読まないと宣言したうえで、こんな風に言っています。

    「現代文学を信用しないというわけじゃない。ただ俺は時の洗礼を受けていないものを読んで貴重な時間を無駄にしたくないんだ。人生は短い」


     
     なるほど・・・。ちょっと鼻につく言い方ではありますが、言っていることには説得力があります。今ある本のうち、何十年たったあとも読まれているのはほんの一握りでしょう。そして、その一握りとは、「時の洗礼」を受け、生き残ったものということになります。そうやって生き残ったものこそ「名作」であり、読む価値がある、という考えですね。

     時の洗礼を受けて生き残る作品と生き残らない作品の違いは何でしょうか。私は2つのパターンがあると思っています。

    ①「ノルウェイの森」パターン
     
    ノルウェイの森 上 (講談社文庫)ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
    (2004/09/15)
    村上 春樹

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     「ノルウェイの森」は知らない人はいないというくらい有名な作品です。1987年に発売され、今年で発売から28年目を迎えますが、今でも多くの人に読み継がれています。今後も「生き残る」作品でしょう。

     この作品が生き残る理由は、「どのページを開いても名言が詰まっている」ことだと思います。私も何回か引用しました。本当に、適当にどのページを開いてもそこには印象的なことばがあるのです。

     こんな本はあちこち探してもあまり見当たりません。不思議な普遍性を持った作品と言えると思います(偉そうに語るほど、読み込んではいないのですが)。

    ②「罪と罰」パターン

    罪と罰〈上〉 (岩波文庫)罪と罰〈上〉 (岩波文庫)
    (1999/11/16)
    ドストエフスキー

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     これも前に紹介した本です。ドストエフスキーの「罪と罰」、1866年の発表からもうすぐ150年を迎えるのですが、やはり未だに読み継がれています。

     この作品が生き残る理由は、岩波文庫版の最後でも言われているのですが、「多様な読み方ができること」にあると思います。社会小説として読むこともできるし、恋愛小説にもなる。哲学的な面が強い一方で、倒叙もののミステリーとしても優れている・・・これが1冊の本というのだから、すごい話です。

     2つのパターンがあると思うのですが、どちらにも共通しているのが「再読の必要性」ですね。どこを開いても名言が詰まっているのなら、何度も本を開くことになりますし、多様な読み方があるのなら2回目、3回目と読むことになります。
     
     何度も再読されるから、時代を経ても生き残る。「時の洗礼」を受けても生き残る作品の力の秘密はこういったところにあることが分かります。

     というわけで、永沢さんの言うことも分かります。ただそうすると、「現代の小説の中にこれからも読み継がれていく作品はないの?」という疑問が生まれます。ページのどこを開いても名言があったり、何通りも読み方ができたりして、何度も再読をする必要がある小説です。何度も再読する必要がある小説なら割とありますが、何十年も生き残るような深いテーマが必要ですね。ハードルはかなり高いです。

     ・・・たしかに、「ノルウェイの森」や「罪と罰」と並べても遜色のない作品というと、なかなか浮かびません。ですが、永沢さんの言うような、現代の小説を読むことが時間の無駄だということは決してないと思います。生き残ってくれるに違いない作品はたくさんあるし、何より私がまだ出会っていない作品の中にまだまだ「掘り出し物」があると思うからです。

     正直現代の小説にはかなり当たり外れがあります。ですが、結構な確率で素晴らしい作品には出会えます。無名の作家さんの無名の作品が想像以上に素晴らしくて、「掘り出し物」を引き出したこともあります。そういった楽しみがある限り、私はこれからも現代の小説を読んでいくのだと思います。

     また、生き残る作品を作るのは今の私たちだ、という見方もできますね。自分が読んで、心打たれた本をブログのような形で誰かに紹介して、それをきっかけに他の誰かが読んで、また紹介して・・・の繰り返しで、作品が生き残っていくということです。

     決して「時間の無駄」ではないことが分かります。現代の娯楽小説をよく読む人には分かってもらえる・・・はずだと思っています。何より「読んでいて楽しい、刺激される」というのがありますからね。読書を続けるうちにまた素晴らしい作品に出会えるのが楽しみです。そして、他のみなさんのブログで素晴らしい本を紹介してもらうことも楽しみにしています。








    •   16, 2015 19:26
  • コラム

     今日はコラムのコーナーです。テーマは、やたらと多い「力」というタイトルの本について。このブログでこれまで紹介してきた本の中にも、力というタイトルの本、いわゆる「力本」が2冊ありました。どうして力本が溢れるているのか、考えてみたいと思います。




     「○○力」という本が、とにかく巷に溢れています。ベストセラーになった本を見ただけでも、その数の多さが分かります。渡辺淳一さんの「鈍感力」、姜尚中さんの「悩む力」、池上彰さんの「伝える力」に勝間和代さんの「断る力」・・・思い出すだけでもたくさんの本があります。

     そして、このブログで紹介した中にある「力本」は以下の2冊です。

    読書力 (岩波新書)読書力 (岩波新書)
    (2002/09/20)
    齋藤 孝

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    「読書力」 齋藤孝さん (3月26日)
     読書の指南書として多くの人に読まれている齋藤孝さんの1冊ですね。ちなみに、齋藤さんの出す本には「力本」が大変多いです。「教育力」「質問力」「コミュニケーション力」「暗記力」・・・まだまだあるようです。

    叱られる力 聞く力 2 (文春新書)叱られる力 聞く力 2 (文春新書)
    (2014/06/20)
    阿川 佐和子

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    「叱られる力」 阿川佐和子さん(3月7日)
     2012年のベストセラー、「聞く力」の続編です。力本の中でも最も成功を収めたシリーズではないでしょうか。コミュニケーションの大切さが認識されるようになった時代の流れを上手く捉えたように思います。

     実際に読んでみて、「紹介したい」と思ったのでこのブログで取り上げています。中身は充実していて、ぜひ多くの方に読んでいただきたいと思うのですが、なにぶん私が気になるのがこれらの本の「力」がつくタイトルです。

     結論をいうと、この力がつくタイトルはあまり良いものではないと考えています。同じようなタイトルの本が氾濫して没個性的になっています。また、「売るための本」という側面が強く感じられるのも、個人的にはどうかなと思っています。そんなことを思っていたら、興味深い記事を見つけました。「叱られる力」の刊行に際して、阿川さん本人が語っている「本の話」のページです。

    記事はこちらから

     大変興味深い記事でした。なんと、この本のタイトルを決める際、「力というタイトルは避けよう」という話になっていたそうではないですか!話は出たものの、結局は「力」がつくタイトルになった、その顛末が語られています。

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     「次に新書を出すなら、『力、力と言わない力』ってタイトルにしたらどうだ」

     きっかけは、阿川さんのお父様からの一言でした。「叱られる力」を読むと分かるのですが、大変堅気で厳格なお父様です。安易に「力」とタイトルにつけることを嫌う考えは、私が先程書いたことと共通するものがあります。

     そんな一言を受けて、一生懸命「力」のつかないタイトルを考えようとした阿川さんと編集部の皆さん。たくさんの候補が出て来たようです。

    叱られ上手、叱られる覚悟、叱られ前、叱られる喜び、叱られる品格、叱られる人々……、そのうち、叱られるiPS細胞、叱られる富士山、叱られるバカ、叱られラッキー、叱られる準備はできていない、なんてものまで登場し・・・


     議論の末、結論はこうなりました。

    「さんざん『力』を避けてきましたが、結局、『叱られる力』がいちばん、しっくり来るような……」


     
     悩んだ挙句、タイトルは「叱られる力」に落ち着いたようです。この話を読んで、私が思ったことは2つありました。ますは、「編集部が勝手に付けたタイトルではなくてよかった」ということ。もしも編集部の人たちがこの本を売りたいがためにろくに中身も読まずにタイトルを「叱られる力」にしていたのなら、私は納得がいかなかったと思います。阿川さんがタイトル決定に絡んでいたのなら、タイトルに噛みつく必要はありません。

     ですが、2つ目に思ったのは「それでもやはり、『力』をつけるタイトルはちょっと残念ではないか」ということでした。たしかに、力というタイトルはしっくりくると思いますし、「本を読んで何か特別な『力』を得たい」と思っている人たちを格好のターゲットにできるので、売り上げも望めます。出版側からすれば、鉄板のタイトルだと思います。

     それでも、私はやはり没個性的になってしまうことが気になりました。本屋さんに行けば、同じような本が溢れています。「またか」という感じがしないでもありません。力本は内容が玉石混淆で、失礼な言い方になりますが中身が何もないような本も中には混ざっています。「聞く力」シリーズはとてもよい本だと思うので、そういった残念な力本と一括りにされてしまうのはもったいない気がします。

     また、タイトルと中身がかみ合っていないような気もします。「叱られる力」の魅力は、エピソードを通して伝わってくる阿川さんの気さくで鷹揚な人柄だと思っています。たくさん叱られることによって、そんな人柄になった、その過程を味わうような本ではないかと思います。先ほど言ったような、「本を読んで何か特別な『力』を得たい」という考えとは全くかみ合いません。その点、どこかずれているような気がしないでもないタイトルです。

     齋藤孝さんの「読書力」もそうでした。この本は、齋藤孝さんがどれだけ本を愛してきたか、そしてそこから齋藤さんがどんな人になったか、私はそれを考えながら読みました。たしかに読書に関するスキルもたくさん書かれているのですが、「読書力」というタイトルからは齋藤さんの「読書愛」が伝わってこず、少し残念です。

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     「読むための本」が「売るための本」に変わってしまっている!

     まとめです。「力」というタイトルをつける出版社の人が安直だ、ということを言いたかったのではありません。「力」というタイトルをつけるのは、そういうタイトルの本が売れるから、言い換えれば読み手に求められているから、ということになります。

     たしかに、力本は気になります。自分に当てはめてみても、例えば「就活力」だとか、「大学で学ぶ力」だとか、そんな本があったら気にはなると思います。ただ、あまり本を過信しないということと、本を読んだら何かが変わるという単純な考えはやめよう、というのが自分への戒めです。

     昔、本は「知識を得るため」「読むため」にありました。それが、今の時代のように「売るため」という部分が強くなってしまうことには問題があります。読んだらすぐにブックオフ、そんな風に本が消費財として扱われると、本当に良い本、読まれるべき本まで淘汰されてしまいます

     何か特別な力を求めて、すぐに力本に飛びつくような読み手も、立ち止まって考えなくてはいけないのかもしれませんね。




    •   06, 2015 18:08
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