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  •  素晴らしい本に出会うことができました。最高のコンサートのあとに、観客が自然に立ち上がって、万雷の拍手を送る-そんな風景が脳裏に浮かびました。今、まさにそんな気持ちです。この本に、最大限の感謝を示したいと思います。

    想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
    松沢 哲郎
    岩波書店
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     著者は、京都大学霊長類研究所でチンパンジーについて学び続けてきた松沢哲郎さんです。本のジャンルは「自然科学」です。しかし、この本は、「人間が見つめられている」という点では、人文科学としての色も濃いかもしれません。

     私たちの「隣人」、チンパンジー。彼らは、私たちにたくさんのことを教えてくれるのです。



    内容紹介


    自然科学

    じところ、違うところ。「隣人」を見つめ、自分を見つめる

     チンパンジーの研究を通して見えた「人間とはなにか」。

     それを書きたかった、と著者の松沢さんは述べておられます。読んでいくうちに、その真意を知ることができます。人間とチンパンジーは、遺伝子レベルではほとんど違いのない生き物なのだそうです。ゲノムの違いはわずか1.2パーセント。つまり、チンパンジーは、人間と98.8パーセントまでは同じ生き物なのでした。

     そう考えると、ヒトとチンパンジーなどと境界線を引いてしまうのは違うだろう、という気になってきます。チンパンジーは、まさに人間の「隣人」と言えるのです。人間が特段優れているだろう、などといった思い込みは、この時点で捨て去ることができます。

     しかし、遺伝子レベルではほんのわずかの違いがありました。そしてそれは、とても大きな違いでもありました。

     その「違い」が教えてくれること。私たちが、見つめなくてはいけないこと。著者がつづる、研究の集大成です。

    書評


    書評

    ◆ 他者を理解するという営み

     本書の構成を簡単に整理します。まず、チンパンジーのことを長年研究してきた著者が、チンパンジーの生態について語ります。「心」「ことば」「きずな」、そんなことがキーワードになります。その後で、チンパンジーを見つめることを通じて、「人間を見つめる」ということがなされます。このような形で改めて人間という存在に立ち返ると、実に多くの発見があるのです。

     人間が得た数々のちから。その中でも、「他者を理解する」という営みは、本当にかけがえのないものなのだと気付かされます。著者は、チンパンジーの子どもが、試行錯誤しながら模倣していく過程を記述した後で、こんな風に書いています。

    模倣という能力を使って、他者がやっていることを自分でもやってみると、こうすると熱いんだ、こうすると痛いんだ、こうすると悲しいんだ、こうするととても嬉しいんだ、ということを自分が体験する。自分がしていなくても、前にもその行動をしていた他者が、あるいはまた別の見知らぬ他者が、そのことをしているとき、その人の心のなかにどういう気持ちが生じているかがわかるようになる。(p72)



     私たちが普段当たり前のようにしている「他者理解」という営みが、どれだけ尊い営みだったか、そのことに気付かされます。「こうすると痛いんだ」「こうすると悲しいんだ」。他者理解とは、そういったことの蓄積であり、その結果できあがったかけがえのない結晶なのでした。

     この描写のように、改めて「人間」という存在に立ち返ってみることで見えてくることがたくさんあります。

     もう一つ、感じ入ったトピックをご紹介します。それは、「教育」に関する人間とチンパンジーの違いです。前述のように、チンパンジーの教育というのは、子どもが親の姿から一生懸命「真似る」教育でした。これを、著者は「教えない教育、見習う教育」と呼びます。

     では、人間はどうでしょう。おそらくすぐに分かっていただけるはずです。人間は、「教える」教育をします。しかし、「教える」ということには、私が思っている以上に深い意味がありました。

    ①教えること

    ②手を添えること

    ③認めること(うなずくこと。微笑むこと。ほめること。) 
    (p140)




     ②と③を見て、はっとさせられないでしょうか。教えることは、手を添えることであり、認めることだというのです。チンパンジーのお母さんは、このようなことをしません。とすれば、これは人間特有の営みということになります。

     「こうやってやるんだよ」。そう言って、手を添えてあげること。

     「よく、できたね」。そうやって、ほめてあげること。認めてあげること。

     はたして、私はどれだけできていただろうか、と思います。これは、チンパンジーを見つめることによって浮かび上がってくる、人間特有の営みなのです。教育における、「認める」という行為の大切さを著者は強調します。

     忘れかけていた大事なことを教わったようでした。この本から教わること、チンパンジーから教わること。数えだせば、きりがありません。

    ◆ ぜんぶ、抱きしめよう

     他者を理解する、という営みを、人間は進化の過程で発展させてきました。そして、「想像するちから」というものを得たのです。

    人間は、進んで他者に物を与える。お互いに物を与え合う。さらに、自らの命を差しだしてまで、他者に尽くす。利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方だといえる。(p79)



     惰性のように生きていると、見つめることや想像すること、それに感謝するということを忘れてしまいがちです。大昔から続く進化の過程に、いったいどんなドラマがあってのことでしょうか、「人間」という生き物が誕生することになりました。私たちは、もっと「人間を見つめる」ということをするべきだ-そう思いました。そしてそれは、「自分自身を見つめる」というところから始まるのかもしれません。

     人間という生き物の尊さを知った上で、「だけど」と思います。

     「想像するちから」は、ある意味ではとても残酷なものなのではないか。

     想像することには、たくさんの「痛み」を伴います。私はそのことを思い出しました。想像できるからこそ、たくさんの痛みや苦しみが襲い掛かってくるのです。私が思ったことに、著者は最後に答えてくれました。こんな風に書かれています。

    今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。(中略)それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。(p182)



     「想像するちから」を、まず「絶望すること」に置き換えていることに感じ入りました。想像できるからこそ、絶望してしまう。なるほど、これも「痛み」の一種と言えると思います。

     その上で、絶望ができるから、希望をもてるのだ。著者はそう述べています。これが、答えではないでしょうか。

     想像するちからによって、人間は他者の痛みや苦しみ、悲しみまでも背負うことになった。それはとても残酷なこととも言えるでしょう。「自分とは関係のない他人のことでも苦しむなんて・・・」そう思う人もいるかもしれません。

     しかし、その想像するちからは、人間に与えられた、かけがえのないちからでした。そのことを教わった時、私たちが到達できる結論はたった一つです。

     想像するちからを、受け入れよう。
     痛みも苦しみも悲しみも、全部抱きしめよう。

     そして、最後は希望につなげよう。


     チンパンジーが教えてくれる、一番大切な教えです。

    まとめ



    まとめ



     私のつたない文章でどこまで伝わったか分かりませんが、大変素晴らしい本です。人間の「想像するちから」について書いた最後の章などは、本を持つ手が震えるほどです。

     ふだんなかなか読まないジャンルの本でしたが、本当に数えきれないくらいの気付きがありました。何十年億年もかけて地球上の生命体が営んできたことというのは、それほど大きいことなのだと思います。そして、研究の末に、私たちに大切なことを教えてくださった著者の松沢さんにも、最大限の敬意を表したいと思います。

     「ちょっと、生まれ変わってみようか」そんな気持ちになれるはずです。そしてそれもまた、人間の尊い営みです。




    ◆ 殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『想像するちから-チンパンジーが教えてくれた人間の心』を「プラチナ」に登録しました(リンク先に「プラチナ」の本の一覧をまとめています)。




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    自然科学, 松沢哲郎,



     毎年、春になると桜に関する本を手に取りたくなります。文学好きの私は、これまでは桜が登場する文学作品をよく手に取っていました。今年はいつもと少し趣向を変えてみようか、と思い手に取ったのがこの本です。

    桜 (岩波新書)
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     「桜」というこれ以上ないくらいにシンプルで潔いタイトル。この本は、農学博士の筆者が「生き物としての桜」について書いた本です。桜といえば日本の春を象徴する植物であり、日本人の心といってもいいくらいにその存在が多くの人に根付いていますが、そもそも「桜」とはどんな植物なのでしょうか。そんな関心から手に取りました。

     本当は桜が満開の時に合わせて紹介したかったのですが、なかなか時間がとれず、やっと紹介できました。毎朝通る道に咲き誇っていた桜はすっかり葉桜になってしまいましたが、過ぎ去った満開の時を想いながら書いていこうと思います。



    内容紹介



    自然科学

    っているようで知らない、「生き物としての桜」-。

     「桜には何種類あるの?」
     「ソメイヨシノの他には?」
     「いつから日本人はお花見をするようになったの?」

     私が読む前に思っていたことは上のようなことでしたが、筆者はこれらの疑問に全て丁寧に答えてくれています。一番最初の「桜の種類」についての質問はよくされるそうですが、分類が複雑で、答えるのはとても難しいそうです。私たちが思っているよりもかなり複雑な「生き物としての桜」について、専門家の筆者が分かりやすく知を拓きます。

     植物分類学上の桜について。「染井吉野」をはじめとする、日本に生息する桜について。そして、桜と人のかかわり、歴史について。この本を読めば、桜について多くのことを知ることができます。そして、日本人にとって一番身近とも言えるこの花をめでる気持ちを、ますます深めることができるのではないかと思います。

    書評



    書評

    ◆ さくら、さくら

     専門家の筆者は、桜の表記一つをとってもかなり細かく、正確な表記を追い求めています。いろいろな表記が出てくるので少し混乱してしまう箇所もありましたが、表記一つでもこれほど注意を払わなければいけないという点に、一般人の私たちが知らない「桜」という生き物の存在を感じました。

     上の内容紹介でも触れた桜の種類について触れておくことにします。桜と言えば地方ごとに様々な名前の桜が存在していますが、生物学上の分類で「種」として見た時、日本にあるサクラ類の種類は10種しかないそうです。ヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラなどなど・・・。

     「ソメイヨシノは挙げないの?」と思った方もおられるかもしれません。何を隠そう、私もそうでした。ソメイヨシノは桜の「種」ではなく、「栽培品種」(人によってつくられたもの)なのだそうです。筆者は、種と栽培品種を区別するためにソメイヨシノを「染井吉野」と漢字で表記しています。

     日本の桜といえば染井吉野ですが、その歴史は意外と浅く、栽培品種として世に出たのは江戸時代の終わり、全国に広がったのは明治時代になってからです。爆発的に広まった理由は、「お花見」と関係がありました。

    多くの花見客がこうした花見をおこなうためには、花つきがよい、木が早く大きく育つ、一斉に咲くなどの条件が必要である。(中略)”染井吉野”はこれらを兼ね備えた特徴をもっており、庶民が理想とするお花見の桜であったからこそ、爆発的に広がったと考えられる。そして、”染井吉野”が広がることで、現代の我々がおこなっているお花見の様式も定着したといえるだろうか。



     染井吉野が栽培品種で、「人によってつくられたもの」であると書きましたが、この「人によってつくられた」という部分がとても大事で、この本の裏のテーマになっているといってもいいかもしれません。

     人によってつくられた、ということは、「人にとって都合のよいもの」である必要があった、ということです。春になると見事に咲き誇り私たちの目を楽しませる桜ですが、お花見との関連を見ると、「お花見としての桜」としての側面がとても強いことが分かります。

     私たちが求める「お花見としての桜」に対して、筆者が研究を続ける「生き物としての桜」。照らし合わせながら読むと面白いかもしれません。「生き物としての桜」についての記述は、おそらく私たちの多くに新鮮な驚きを与えてくれることでしょう。

    ◆ 人とさくらの命

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     4月の上旬、朝通る道には満開の桜が咲き誇っていました。桜並木の下で立ち止まることを計算して、ちょっと早く家を出ます。春の空気はふんわりとしていて、まるで桜の花びらのように薄桃色に染まっているかのようでした。

     桜の下にやってきて、立ち止まります。見事な景色です。桜の下にいる、それだけで全てが満ち足りた気持ちになりました。そして、ちょっと新しくなった生活に向けて、そっと背中を押してくれるような感じもしました。

     「日本人の心」と書きましたが、私は本当にそうだなあと思っています。桜はなんといっても咲き誇るタイミングが見事です。卒業式と入学式、出会いと別れ。桜はそんな春の季節に合わせて咲き誇ります。薄桃色の花びらが、まるでこれから始まる新しい生活への期待と不安を映し出しているように思えて、花びらに自分を重ねたこともあります。

     すっかり日本人の心に根付いている桜。しかし、筆者が伝えてくれるようにその歴史は意外にも浅く、爆発的に広まったのは明治時代になってからでした。桜が日本人の心に根付くのには、何か他にも理由があるのでしょうか。筆者が興味深いことを書いていたのでご紹介します。

     染井吉野が短命だ、というよく言われる説に疑問を呈し、自説を展開する筆者。染井吉野はお花見のために栽培されたので、その寿命というのは人の管理の手によっていると指摘します。そして、染井吉野の「寿命」を考えた時に、興味深いことが見えてくるのです。

    このように見ると、”染井吉野”の一生は人の一生とタイムスケジュールがよく似ていることに気がつく。

    (中略)現在植栽されている”染井吉野”の古木の多くは、第二次世界大戦後に植栽されたもので、団塊の世代とほぼ同じ年齢である。この世代の人たちが、自分とほぼ同じ年齢の”染井吉野”に人生を重ね合わせてみることは、ごく自然な感情であろう。



     すごく素敵なことだと思って感じ入りました。出会いと別れの季節に重なるということだけではなく、人と桜の「人生」が重なり合っている-そんな側面もあるというのです。そう考えれば、歴史が浅いにもかかわらず、人の心に桜が根付いている理由にも納得がいきます。

     団塊の世代の方は、桜に自分の人生を重ね合わせるということをするのでしょうか。平成生まれの私にはまだ思い描いたことのない景色でした。今は想像するだけですが、それはとても素敵なことだと思います。人間と自然がシンクロして、一緒に年をとっていく。なんて美しい光景だろうと思います。

     私も、これから毎年桜を見つめ、少しずつ人生と重ねていけたらと思います。この本を読んで、桜について見つめることができたのは素晴らしい体験でした。

    まとめ



    まとめ



     桜に人生を重ね合わせたい、と書きましたが、そのためには今後も桜が変わらず咲き続けることが必要です。最後に筆者は、「桜の保全」について書いています。

     地球温暖化の進行が、染井吉野の開花にも影響を与えています。桜が開花する前には、冬の時期の「低温刺激」が必要なのだそうですが、気温の上昇が発育に異常をもたらし、地域によっては開花の心配をしなくてはいけないところも出てくるようです。他にも、劣悪な栽培環境についての記述もあります。

     「人とともに」歩んできた桜。美しさに見入るだけではなく、人の手で大切に守り育てていくことも大切なのだと痛感します。私たちの人生の側で常に咲き誇ってきたかけがえのない存在へのまなざしを忘れないようにしたいものです。桜の季節は過ぎてしまいましたが、広がる葉桜に「次の春」と「これから」を想います。




    オワリ

    『桜の森の満開の下』 坂口安吾

     2年前の春に紹介した「桜本」。桜で思い出される有名な文学作品ですね。美しいはずの桜を見てざわざわと心を揺さぶられる心理描写が見事だと思います。


    新書, 勝木俊雄,



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