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     カテゴリ「日本文学(現代)」のまとめページです。このブログで紹介している日本文学(現代)の本を一覧で掲載しています。リンクからそれぞれの本の書評をご覧になることができます。蔵書は少ないですが、一冊一冊、心を込めて紹介するようにしています。ぜひご覧ください。なお、掲載順は作者名のあいうえお順です。

     この図書館では、とくに優れていると感じた本について、「プラチナ」「ゴールド」「シルバー」の3段階で「殿堂入り」としています。殿堂入りとした本には、作品名と作者名のあとにランクを記しています。ぜひ、本選びの参考にしてみてください。

     あなたの、あなただけの一冊が見つかりますように。



    日本文学(現代)




    『いつも彼らはどこかに』 小川洋子
    『琥珀のまたたき』 小川洋子(ゴールド)
    『猫を抱いて象と泳ぐ』 小川洋子(プラチナ)
    『人質の朗読会』 小川洋子


    『桜の森の満開の下』 坂口安吾(シルバー)


    『死んでいない者』 滝口悠生


    『劇場』 又吉直樹

    『女のいない男たち』 村上春樹

    『異類婚姻譚』 本谷有希子


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     こんにちは、おともだちパンチです。今日でブログ開始1週間!訪問してくださった皆様、ありがとうございます。まだまだ駆け出しのブログですから、アクセスが1増えるだけで嬉しいのです。アクセスカウンターの数字が増えては頬を緩ませています。幸せ・・・(*^-^*)
     さて、今日は小川洋子さん「人質の朗読会」をご紹介します。小川さんの織り成す静かな物語に、少しだけ耳を傾けてみてください。以下、「人質の朗読会」のレビューです。

    人質の朗読会人質の朗読会
    (2011/02)
    小川 洋子

    商品詳細を見る


    静かな雄弁



     小川さんの作品の良さは、と聞かれたら「静かなのに雄弁なところ」と答えます。静かなのに雄弁?矛盾する言葉ですが、何だか一番しっくりくるのです。ストーリーにはほとんど大きな動きがありません。人の存在感も希薄です。その代わり、「モノ」が雄弁なのです。小川さんの描く「モノ」の描写は綿密で、丹念で、丁寧で・・・。モノたちの声なき声をたどる気持ちで、一文一文噛みしめるように読む、そんな読み方をしたい作家さんですね。

    激情の余韻



     「人質の朗読会」、などという物々しいタイトルがついた本作。ストーリーはタイトル通り、ゲリラに襲撃され、人質となった人々が、自らの人生について朗読していくというものです。なんとこの人質の8人、爆弾により全員が死亡してしまう(!)ことが最初に明かされます。そこからはいつもの静謐な物語が始まるのですが、壮絶な幕開けが余韻を残し、心に鉛が沈み込んだような気分で読み進めていきます。

     物語のテーマは「ライフヒストリー」ではないかな、と思いました。「歴史」などというと、何か大きな事件や出来事を思い浮かべてしまいます。しかし、ここで描かれるのは、それぞれの人物の、それぞれの人物だけの歴史。それによって世界が変わることはありません。語られているのは、名前も顔も知らない人との出会いや関わりといったこと。とりとめもないような、何でもないようなことなのです。それでも、人びとは語ります。自分だけの歴史を語ります。そこから見えてくるのは、広い世界で、それぞれの人間がそれぞれの歴史を生きていて、時々それらが偶然にも結びついているということ。こんな描写がありました。

    僕はそこへ潜り込む。そこを丹念に探索し、痕跡を残さずに去ってゆく。校閲の仕事と同じだ。誰も僕の存在を気にしない。僕が去ったあとも、会は続いてゆく。



     線香花火のような、蛍の光のような、儚げでかよわい物語たち。そこには意味なんてないのかもしれません。しかし、そんな人々が、たまたま人質として一緒になり、物語を語っていく・・・。人間の人生の、美しいほんのひとかけらの部分に触れた気持ちです。

    たった一行のこと



     小川さんの作品の雰囲気が分かる、印象的な部分がありました。その雰囲気、ぜひ味わってみてください。

    まるで青年の一部分が、天に差し出されたかのようだ。青年から託されたものを身にまとい、その重さに畏怖を抱きつつ槍は震えている。青い空で銀色の直線がきらめいている。もはや青年は何もできず、無言でそのきらめきを見送る。槍は神の描いたラインをなぞってゆく。  ・・・・・  あの日は私にとり、会社を休んで槍投げの練習を見学した、という一行で片がつく一日だった。



     そうなんです、「一行で片が付いてしまう」ようなそんな物語。彼らの口から語られなければ、誰も知ることのなかった物語。何だか、この物語を読めたこと自体が奇跡のような気がして、本のページを閉じました。


    うれしいニュース

    日本ブログ村の「注目記事ランキング」、書評部門で、このブログの記事がトップ10に2作同時ランクインしました!
    (2014年年間ランキング 3 →7位  #3 学びの原石 →10位)。このランキング、選考基準が一切わからないという謎仕様なのですが、自分の記事が注目されるというのはやはりうれしいです。これを励みにして、これからも質の高い記事が書けるように頑張ります。
    現代日本文学, 小川洋子,



    •   20, 2015 00:36

  •  「博士の愛した数式」を思い出しました。インタビューを拝見したら、やはりそうだったようです。美しさの感動から出発して誕生した作品。今日は小川洋子さんのこの1冊です。

    猫を抱いて象と泳ぐ (文春文庫)
    小川 洋子
    文藝春秋 (2011-07-08)
    売り上げランキング: 20,382



     チェスの盤から広がる宇宙。対局者も、観戦者も引き込むような、魅力的な海。静かな美を描く作家、小川洋子さんとチェスの奇跡のような出会いです。



    盤上の邂逅



     伝説のチェスの指し手、リトル・アリョーヒンの一生を振り返ったお話。リトル・アリョーヒンは全てにおいて特別な棋士でした。

     生まれた時からひっついたままの唇
     少年のまま、成長しない体
     小さなチェスの盤の下に潜ってチェスを指すという行動
     人形の中に入って、人形としてチェスを指すという行動

     そして、彼が残した芸術品のような棋譜。美しい足跡。

     8×8の盤上で繰り広げられるチェス。その小さな盤上から、小川洋子さんは果てしない宇宙と海を描き出します。この小説ができたきっかけは、小川さんとある手紙との出会いにありました。チェスのチャンピオン、ボビー・フィッシャーが日本から強制送還されそうになったとき、将棋界の第一人者、羽生善治さんが書いた嘆願書でした。

    その羽生さんの文章が印象的でした。モーツァルトの人間性は、もしかすると尊敬されないものだったかもしれませんが、彼の音楽は人々に感動を与えました。ボビー・フィッシャーもそうです。彼の残す棋譜は芸術です、という意味合いのことが書かれていて、素晴らしい忘れがたい手紙でした。


     出典 小川洋子さんインタビュー(「本の話」web)

    美しさへの感動から始まった小説。これは、代表作である「博士の愛した数式」と同じです(博士の愛した数式は、小川さんが数式の美しさに触れたことから誕生しました)。

     実際の小川さんは数学が大嫌いで、チェスも指せないそうです。そんな人が、このような物語を生み出した・・・驚かされる話です。自らの感動から出発し、その感動をこんなにも美しい形に昇華させることができる。改めて小川さんのことが好きになります。

    チェスの棋譜も楽譜や詩、絵画と同じで芸術になりうるんだなということを、このことによって知りました。『博士の愛した数式』を書くきっかけとなった、数学者の藤原正彦先生が数式は美しい、と仰った出会いと似ていました。


     本人もこのようにおっしゃっています。物を見て感じる心、そこから想像する心が抜群に優れていらっしゃるのだと思います。小川さんの作品の中からは俗世的なものが一切取り除かれていて、純度の高い美しさを味わうことができます。「博士の愛した数式」と遜色ない、素晴らしい作品でした。

    盤上の雄弁



     まるで小川さんの作品を総決算するような、そんな立ち位置の小説でもあります。こんな印象的な一説がありました。

    自分のスタイルを築く、自分の人生観を表現する、自分の能力を自慢する、自分を格好よく見せる。そんなことは全部無駄。何の役にも立ちません。自分より、チェスの宇宙の方がずっと広大なのです。自分などというちっぽけなものにこだわっていては、本当のチェスは指せません。自分自身から解放されて、勝ちたいという気持ちさえも超越して、チェスの宇宙を自由に旅する・・・・・・。そうできたら、どんなに素晴らしいでしょう。



     小川さんがチェスから何かを感じ、こうして小説を書き上げた。その根本にあるのが、こういうことなのでしょうか。この作品は、登場人物の詳細については一切明かされません。皆が愛称で呼ばれるので、どこの誰なのか、国籍はおろか、本名も分からないのです。

     登場人物が曖昧にされる、これは小川さんの作品にはとても多いパターンです。それは「自分」という存在を消す行為なのでしょうか。人や自分の存在感は徹底的に薄められ、その代わりに静謐な世界の中で「モノ」が雄弁に何かを語ります。今回の場合、その「モノ」がチェスでした。

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     作品の終盤、ある手紙のやり取りが出てきます。他の言葉は一切排除して、チェスで会話をしようというものです。手紙に書かれているのはたったの1行、チェスの駒の動きを書いた「棋譜」です。たった1行の手紙で、二人は多くのことを語ります。

    しかし果して自分は、棋譜よりも雄弁な言葉など持っているだろうか。e2のポーンをe4へ動かすよりももっと豊かな言葉が、一体どこにあるというのか。


    「チェスに自分など必要ないのだよ。チェス盤に現れ出ることは、人間の言葉では説明不可能。愚かな口で自分について語るなんて、せっかくのチェス盤に落書きするようなものだ」



     主人公の唇がくっついていたわけは、ここにありました。愚かな口など、開く必要はない。棋譜の方が、よっぽど雄弁であると小川さんは語ります。

     そんな小川さんも言葉を使って小説を書いているのですが、作品を読んでいると洗練された言葉の美しさと無駄のなさに驚かされます。美しいものに触れ、感じる力が小川さんの言葉を研ぎ澄まし、このようなスタイルを確立させていったのでしょうか。最も静謐で、最も雄弁。矛盾するようですが、そんな言葉が一番似合います。

    盤上の勇者



     私はチェスは駒の動かし方ぐらいしか知らないのですが、将棋なら少しは知っています。チェスと将棋はかなり似たゲームです。

     小さな盤の上で行われるのですが、実はそこには宇宙が広がっています。将棋の最初の1手は全部で30通りあります。対戦相手の最初の1手も30通りです。つまり・・・

     お互いが最初に1手ずつ指しただけで、すでに30×30=900通りの組み合わせが生まれるのです。

     実際は最初に差す手はほぼ2通りに決まっているのでそうもいかないのですが、理論上は900通りの組み合わせがあります。そこからさらにお互いが手を進めて行ったら、すごい組み合わせが生まれます(将棋は相手の駒を取って使える、というルールがあるので、勝負が進むにつれて組み合わせはどんどん複雑に、かつ多様になります)。

     将棋はだいたい100手ぐらいで終局するのですが、そこには天文学的な数の組み合わせが隠れています。まさに「宇宙」です。チェスはどれほど複雑なのか知らないのですが、小さな盤の上に数えきれない数の組み合わせが隠れていることは確かです。チェスにもまた、宇宙があるのでしょう。

     チェスの一番弱い駒、将棋でいう「歩」はポーンといいます。前にしか進めず、後ろには戻れない駒です。ですが、小川さんは本の最初のページで、そのポーンのことを、このように言いました。

     決して後退しない、小さな勇者

     作品の魅力がここに全て詰まっています。何か感じるものがあったら、ぜひ本を開いていただきたいです。

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    が止まるような美しさ、とはこのことでしょうか

     小さな盤上から広がる、果てしない宇宙と海。小川さんの魅力を総決算したようなこの1冊では、全ての「モノ」が静かに、そして美しく躍動します。

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『猫を抱いて象と泳ぐ』を「プラチナ」に認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ

    作家さんの本棚 003 小川洋子さんの本棚

     小川さんの本を5冊読んだので、作家さんの本棚を作成しました。実は、この「最果ての図書館」のタイトルの由来になったのは、小川洋子さんの本です。まだレビューは書いていないのですが、ブログの節目の時に書きたいなと思ってとっておいてあります。その本も含まれています。


    , 小川洋子, 現代日本文学,



    •   08, 2015 17:40

  •  今日は大学の近くにある某有名観光地で桜を見てきました。身動きも取れないような人・人・人で大変でしたが、言葉も忘れるくらいの美しい桜でした。そんな満開の桜の下を歩きながら、ふと思いつきました。「今日のブログでは、あの作品を取り上げてみようか」、と。

    桜の森の満開の下 (講談社文芸文庫)
    坂口 安吾
    講談社
    売り上げランキング: 28,476



     近現代文学を代表する作家の一人、坂口安吾の「桜の森の満開の下」です。美しい桜を見てきた私が選んだのだから、きっと美しい桜が出てくる話なのだろうと思われた皆さん、ごめんなさい。実際は、真逆です・・・。



    恐ろしい桜



     この時期に日本人の心を和ませる桜。きれい、美しい、そういう風にほめたたえられる桜ですが、別の見方をすることもできます。「桜は不安の象徴」 「桜を見ると恐ろしくなる」こういった感覚を抱く方はおられないでしょうか。

     この話の主人公はある山に暮らす山賊です。山という山、木という木、谷という谷は全て自分のものだ!と言い放つ豪胆な男で、通りかかるものの身を容赦なく剥いで、殺すことも苦にしませんでした。そんな恐ろしい男が、たった一つだけ恐れたものが、なんと「満開の桜の森」だったのです。

    花びらがぽそぽそ散るように魂が減っていのちがだんだん衰えて行くように思われます。それで目をつぶって何か叫んで逃げたくなりますが、目をつぶると桜の木にぶつかるので目をつぶるわけにもいきませんから、一そう気違いになるのでした。


     今日私が見てきた桜も、満開からやや散り始めといったところだったのですが、この「散る花びらは魂が減るよう」という感覚はすごく分かります。桜を見て不安になる、というのは、日本人の生命観を色濃く反映したものなのだと思います。日本人の生命観、といっても私は何も知識を持ち合わせていないのですが、なんとなく桜を見て心がざわざわする感覚を覚えた方はいらっしゃらないでしょうか?

     さて、そんな男でしたが、道で出会った女を無理やり連れ込み、自分の女房にしていました。男は8人目の女に目を付けました。女の亭主を殺し、女を女房にします。ところが、この女はそれまでの7人とは違いました。女は美しすぎたのです。男は何かに吸い寄せられるように女を女房にしていました。そして、女を連れて行くのですが・・・。

    美の奥に潜むのは



     家に連れ込むやいなや、女は衝撃的な一言を発しました。「あの女を斬り殺しておくれ」-。なんと、男の他の女房たちを殺せと言うのです。

    けれども男は不安でした。どういう不安だか、何が、不安だか、彼には分からぬのです。女が美しすぎて、彼の魂がそれに吸いよせられていたので、胸の不安の波立ちをさして気にせずにいられただけです。


     桜の話をしていたので、勘の良い方は気付かれたと思います。この場面も、桜に覚える不安の原因を説明している部分にあたると思います。

     美しすぎて、不安になる。美しすぎて、心が吸い寄せられる。これも人間の性だと思います。この作品の例えを借りていえば、「美しさに魂が吸い寄せられる」ということです。桜に感じる不安と、目の前の美女に感じる不安が似ている。男もそう気付きます。

     桜を美しいものだと思い、お花見をするようになったのは時代が進んでからであり、昔はそんな風習はありませんでした。この作品の冒頭では、そのことが指摘されています。江戸時代は桜の下に人が集まっては喧嘩をして、酔っぱらっては汚物を吐いていた。だから、桜を恐ろしいと思う人はいても、絶景だと思う人はいない―そういう風に書かれています。

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     桜が恐ろしい、などと言ったら今では笑われそうです。「まんじゅうこわい」という有名な落語がありますが、あの話のように冗談で言っているのだろう、ということになるかもしれません。

     ですが、この話を読んで感じるのはむしろ桜が恐ろしいという感覚の方が正常なのではないか、ということです(私は今日桜を見てきて恐ろしい、とは感じませんでしたが・・・)。それぐらい見事に、桜に感じる恐れを美女も絡めながら上手く描写しています。そして、その恐れの原因は何なのか。作品の終盤ではこう書かれています。

    桜の森の満開の下の秘密は誰にも今にも分かりません。あるいは「孤独」というものであったかもしれません。なぜなら、男はもはや孤独を怖れる必要がなかったのです。彼自らが孤独自体でありました。


     
     女をおぶりながら男は山に帰っていたのですが、桜の木の下を通った時、男は背中におぶっているのが鬼であると気付いてしまいます。無我夢中でその鬼の首を絞め殺すのですが、我に返った時、目の前にいたのは鬼ではなく女でした・・・。

     そのあとに出てくるのが上の部分です。男が孤独になってしまった、というのにはそういう事情がありました。桜に感じる不安や恐れが、「孤独」ということばに収束していくこの場面は見事です。そして、このあとのラストはもっと見事です。美しさと儚さと恐ろしさを全て詰め込んで、桜と美女に感じる不安という設定も見事にここに収束されています。

     短編小説で、青空文庫でも読むことができるので、ラストが気になるという方はぜひチェックしてみてください。

    桜散るころ



     きれいな桜を見てきて、こんなブログを書いている私のセンスってどうなのだろう・・・と書きながら思っていました。先程も言いましたが、桜を見ながら恐ろしいとおもっているわけではありませんよ。桜を見ているときは「わあ、きれい」としか思っていないのですが、こうやって書いていると、桜に感じる不安の方が実は本質なのではないか、と思えてくるのです。

     日本では、桜が咲く季節は出会いと別れの季節と重なります。この重なりは奇跡のようです。新しい環境に踏み出す人の、期待と不安が入り交じる気持ちと、桜のあのおぼろげな桃色が重なって見えます。

     「わあ、きれい」といいながらお花見をするのも十分に楽しいのですが、こうやって人間の心情を桜に投影してみると思わぬ気持ちになれます。私はこんな作品を読んだ後なので、あんなにきれいだと思っていた桜の花びらが舞う景色が、今は桃色の涙のように見えてしまいます。

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    が咲いているこの季節に読みたいですね

     決して楽しい話ではないですし、人もたくさん死ぬのですが、不思議と不快にはなりません。不安や恐ろしさといったものが、読み手の心を貫き通すからだと思います。散りゆく桜の木の下で読むと感傷に浸れそうです。

    ◆殿堂入り決定

    「最果ての図書館」は『桜の森の満開の下』を「シルバー」に認定しました。おめでとうございます!




    坂口安吾, 現代日本文学,



    •   12, 2015 18:02
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