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  • イーハトーヴ


     宮沢賢治の特集をお送りしています。前回、前々回は教科書に掲載されている作品、「やまなし」を読みました。今回は、宮沢賢治とはどういう人だったのかをまとめたいと思います。

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     今回紹介する作品は、小説家の故・畑山博さんが宮沢賢治についてまとめた評伝、「イーハトーヴの夢」です。実はこの作品は、「やまなし」とセットになって教科書に掲載されています。宮沢賢治の生き方、思想、そういったものが大変分かりやすくまとめられた作品です。ぜひ、「やまなし」と照らし合わせて読んでいただきたいと思います。
    ※引用は全て「イーハトーヴの夢」からです。



    物語が生まれたわけ




     宮沢賢治は1896年、岩手県の花巻に生まれました。この年は多くの災害に見舞われた年だったそうです。三陸の大津波、洪水、大地震、伝染病・・・1年の間にこれだけのことが起こり、岩手県内だけでも5万人以上が亡くなったという大変な年でした。

     自身は裕福な家庭に生まれた賢治でしたが、自然災害は容赦なく農民たちを苦しめます。そんな光景を見て、賢治は大きな決断をしました。

    「なんとかして農作物の被害を少なくし、人々が安心して田端を耕せるようにできないものか。」賢治は必死で考えた。
    「そのために一生をささげたい。それにはまず、最新の農業技術を学ぶことだ」



     賢治は盛岡高等農林学校に入学します。学者になる道もありましたが、それを断り、25歳の冬に花巻の農学校の教師になりました。

     厳しい自然災害と、苦しい農作業。宮沢賢治の作品には、そんな困難から生まれた「あるメッセージ」が込められていました。畑山さんはこう書きます。

    暴れる自然に勝つためには、みんなで力を合わせなければいけない。力を合わせるには、たがいにやさしい心が通い合っていなければいけない。そのやさしさを人々に育ててもらうために、賢治は、たくさんの詩や童話を書いた。


     
     改めて、「やまなし」を読み返してみます。やまなしだけを読むと、水中の幻想的な様子、透明感のある美しい文章などに目がいきます。ですが、その背景に「自然の厳しさ」があったこと、そして心を通い合わせるというメッセージが込められていたことを含めて読み返すと、ずいぶん印象が変わります。

     幼いころから自然の厳しさを見せつけられてきた彼が、こんなに美しい物語を生み出したということに、私は思うところがありました。自然を恨み、憎んでも不思議ではありません。ですが、彼は受け入れました。それこそが「やさしさ」なのだろうか、と思います。

    イーハトーヴの夢



     宮沢賢治の物語は、「イーハトーヴ」という1つの世界の下で展開しています。イーハートーヴというのは彼が想像して作った地名なのですが、「岩手」をモチーフにしているというのが定説です。

     畑山さんは、宮沢賢治の物語の舞台を地図上にまとめ、イーハトーヴのパラレル地図を作りました。とても素敵な地図です。
    イーハトーヴの地図

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     「やまなし」の舞台となったのは、「イサドの町」の近くに流れている小さな川です(お父さんのかにが、イサドの町に行く、と言う場面がありました)。

     他にも、有名な作品に出てきた舞台がたくさん登場します。

     風の又三郎や、セロ弾きのゴーシュ、グスコーブドリの伝記・・・などなど。右下にある「種山・銀河鉄道駅」はもちろん「銀河鉄道の夜」ですね。

     このイーハトーヴでの物語を通じて、賢治が追い求めた理想がありました。

    賢治がイーハトーヴの物語を通して追い求めた理想。それは、人間がみんな人間らしい生き方ができる社会だ。それだけでなく、人間も動物も植物も、たがいに心が通じ合うような世界が、賢治の夢だった。一本の木にも、身を切られるときの痛みとか、日なたぼっこのここちよさとか、いかりとか、思い出とか、そういうものがきっとあるに違いない。賢治は、その木の心を自分のことのように思って、物語を書いた。



     やさしさや思いやりというのはよく言われることですが、それらが動物や植物にも向けられている、というのが注目すべき点です。優しく、思いやりを持って・・・というのは私も意識していることですが、正直それは「人間に対して」が精一杯です。

     せわしなく、窮屈な毎日は「優しさを削がれる」日々なのかもしれません。失われていく優しさを掘り起こす、宮沢賢治の物語にはそんな側面もあるのだと思います。動物や植物、それらにも目を向けることができるのは物語の魅力ではないでしょうか。

    悲しみの果てに



     下は有名な詩、「雨ニモマケズ」を書いた手帳です。厳しい自然に直面してきた、ということをもっともストレートに表現した作品ではないでしょうか。
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     宮沢賢治といえば、忘れてはいけないのは最愛の妹、トシとの別れですね。トシとの別れは作品に色濃く反映されています。この別れを描いた「永訣の朝」という詩があるのですが、私はあまりにも悲しすぎて、この詩を直視することができません。悲しい別れ、そんな言葉には到底収まることのない賢治の痛切な思いを感じることができます。

     自身も、病気と闘った末、37歳の若さでこの世を去りました。悲しみと苦しみが渦巻き続けた人生だったように思います。それでも、彼の中には変わらぬ「やさしさ」があった―その尊さを噛みしめます。

     宮沢賢治は、他の文学者とは全く次元の違う人です。他の文学者たちが難解なテーマに悶々とし、作品を通して懊悩していた間、宮沢賢治は独自に作り上げたイーハトーヴの世界で自然まで包括した優しさを求め続けていました。

     よく言われることですが、まさに天才というべきその感性自然との交感力の高さには特筆すべきところがあります。

     3回シリーズにしようと思っていたこのコーナーですが、今後も継続することにしました。イーハトーヴの世界にはまだまだ魅力的な場所がたくさんあるようです。そこに込められたメッセージは、現代社会が受け止めるべきものだと思っています。今後は定期的に宮沢賢治の作品を紹介していこうと思います。



    こちらもどうぞ

    「永訣の朝」 宮沢賢治
     本文中で触れた、妹トシとの別れを綴った詩です。これも教科書で読んだ気がします。最後の5行は一生忘れられないくらい印象に残っています。

    教科書への旅 #3 「やまなし」 宮沢賢治
     宮沢賢治について学んだあとで読み返すと、作品の印象が大きく変わることに驚かされます。
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    宮沢賢治,



    •   31, 2015 18:47
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