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  •  2006年の4月に放送を開始したテレビ朝日系の人気刑事ドラマ、「警視庁捜査一課9係」が今年記念の10周年を迎えました。アニバーサリーイヤーを記念して発売されたのがこのアニバーサリーブックです。

    警視庁捜査一課9係 アニバーサリーブック (NIKKO MOOK)

    産経新聞出版 (2015-06-03)
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     実はこの「9係」、去年もアニバーサリーイヤーだったんです。普通9周年は特別祝う年でもないのですが、そこは「9係」ということで、スピンオフドラマやスペシャルドラマの放送などたっぷりと盛り上げていただきました。2年連続のアニバーサリーイヤーとなった今年はどうするんだろう・・・と勝手にネタ切れの心配をしていたのですが、今年も盛り上げていただきました。待望、感涙のアニバーサリーブックが発売です!



    走り続けて10年



     今年で10年目を迎えた9係、何といってもすごいのは、「レギュラーキャストが変わらない」ということだと思います。第4シリーズで監察医役の原沙知絵さんが加入したという変化はあるのですが、9係の6人の刑事たちは10年間ずっと同じメンバーです。水曜9時の人気刑事ドラマと言えば「相棒」がありますが、相棒は右京さんの相棒役が交代しています。変わらないキャストと抜群のチームワーク、これがあってこその9係です。

    「個々それぞれが、俳優として相手を認めている、大人の俳優同士の連帯感みたいなものができている気がします。吹越(満さん)が言ってました。よその現場では相手の俳優さんに対して注文付けたり、これやってみない?とは言わないものだけれど、うちのチームでは平気でみんな言い合う、って。それは、お互い尊重しあってなければできないことですよね。それが、非情にいい結果を出していると思います」(渡瀬恒彦さんインタビューより)



     キャストの変化がない9係ですが、実は1度番組サイドから「ひっかけ」がありました。津田寛治さん演じる村瀬刑事が、9係を離れて14係の係長になったことがあるのです(season6 第1話 「消された女刑事」)。1人欠けた9係・・・放送中は違和感が半端なかったです。「違う!これは9係じゃない!!」とわめいておりました 笑。村瀬刑事はその回の終わりにめでたく9係に復帰しました。「メンバーが1人でも欠けたら9係が9係でなくなる」、そんなことを改めて確認する回だったのでしょうか。

     では、アニバーサリーブックの中身を見ていきたいと思います。

    路線変更の秘密



    9gakari-1


     アニバーサリーブックは、セット探訪に始まり、キャストグラビア&インタビュー、撮影現場リポート、プロデューサー対談などと続いていきます。後半は全話リストに台本ギャラリー、そして書き下ろしスピンオフ小説など内容盛りだくさんです。

     そんな中、気になったのは9係を生み出した二人のプロデューサーが語る「9係秘話」でした。テレビ朝日の松本基弘ゼネラルプロデューサーと東映の金丸哲也プロデューサーの対談です。

     「変わらない9係」を紹介してきましたが、実は9係にも大きな転換点がありました。2009年の第4シリーズです。このシーズンから、雰囲気がガラッと変わりました。これまでの連続ドラマテイストのコミカル路線から、wikipediaの言葉を借りれば、「『相棒』を髣髴とさせるシリアス路線」に路線を変更したのです。

     雰囲気が変わった後の9係も大好きですが、やはり9係は相棒とは違うタイプのドラマにしてほしい!と個人的に思っていたので、この路線変更は気になっていました。今回それに触れられていたので、興味深く読ませていただきました。

    松本 「実はこれまで視聴率が不安定だったこともあって「これが最後だぞ、ダメだったら次はないからな」と上から言われていまして。終わってしまうのが一番マズイと思ったので、ミステリー&サスペンスタッチにガラッと変えました」

    金丸 「続けるためにね」

    松本 「僕たちが大好きな連続ドラマの側面が足を引っ張っているとわかったので、ここは思い切って涙を飲んで切り捨てて、1話完結の事件もの、しかも係長に寄せて見やすくするというふうに、方針転換を決めました。ここで意地を張って連続ドラマ風を続けたら、視聴率が下がることはわかりきっていたのでね」



     視聴率!!ほとんど気にしたことがありませんでした。そうですね、ドラマは慈善事業ではないですからね・・・。かなり生々しい事情はあったようですが、ここでの勇気ある方針転換が9係を10年続く長寿シリーズに育ててくれました。

     1話完結もの、というのはとても大事な要素だと思います。テレビの視聴習慣はだいぶ変わってきていて、毎週同じ時間にテレビの前に座ってもらう、ということはかなり難しくなっています。連続ドラマ風の9係はとても面白かったのですが、初めて見た方からすれば「何のこっちゃ」という感じだったかもしれません。多くの人に見てもらえる点では、1話完結のスタイルがよいのではないでしょうか。

     もちろん、1話完結になってもキャラクターの掛け合いや随所に仕込まれる「小ネタ」は健在です。第3シリーズまでに築いた作品の世界観をベースにしながら、1話ごとの事件のクオリティーを高めていった・・・この路線変更は大成功だったのではないでしょうか。視聴率もグンと上がったみたいです。

    謙虚な姿勢で



     さて、そんな9係は7月1日に最終回が放送されます!(ずっとこれが言いたかったのです・・・)毎年あっという間の最終回です。アニバーサリーブックを見ると、「10年間の大きな区切りとなる最終話」だそうです。9係の最終回はわりとあっさりしていることが多いのですが、「相棒」みたいなことはせずに、いつも通りの9係で終わっていただけたらと思います。

    松本 たまたまテレビをつけて、「ああ、なんとなく面白かったな」と思ったらちょっと記憶に留めておいてもらって、また数週間後にたまたま見て、「またやってる、意外といいね」でもいいわけですよ。それで、「やっぱり面白いじゃん!」ってなったら、ひょっとしたら次のクールからは毎週見てくれるかもしれない。そのくらい控えめに考えなきゃいけなかったんだって。「意外に面白い」というのが、いまの僕たちの、「9係」の、”心のモットー”です。テーマといってもいいかもしれませんね。


     ここがアニバーサリーブックの個人的ハイライトです。松本プロデューサー、なんていいことを・・・(T_T)。この謙虚な姿勢で、これからもやっていただけたら、と思います。「たまたま」でいいので、多くの人が最終回を見てくださいますように・・・。

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    0周年おめでとうございます!9係、区切りのアニバーサリーブック

     最終回の予告にあった係長のセリフ、「キミ、9係に来て10年だよ」にジーンと来てしまいました。その10年間、ずっと見てきたわけですからね・・・。最終回は余韻に浸りながら見ます。
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    雑誌,



    •   30, 2015 00:01

  •  「教科書への旅」のコーナー、おかげさまで10回目に到達です。今回はこちらの作品をご紹介します。

    野原はうたう1

     工藤直子さんの「野原はうたう」(中学1年生)です。光村図書の中学1年生の教科書でトップを飾っています。ぶかぶかの制服に身を包んだ初々しい新中学1年生が、最初に国語で学ぶ単元です。教科書の章タイトルは「新しい世界へ」-。希望が膨らむ中学校生活の幕開けにふさわしい、みずみずしい感性で書かれた詩になっています。



    概要



    教科書


     工藤直子さんは1935年生まれの詩人、童話作家です。子ども向けに数多くの作品を発表しており、この作品を含め、教科書に多くの作品が採用されています。

     「野原はうたう」は、1984年から発表されているシリーズもの、「のはらうた」から一部の作品を抜粋したものです。教科書には4つの作品が収録されています。

     うちゅう・いるか (いるか ゆうた)
     あしたこそ    (たんぽぽ はるか)
     おれはかまきり  (かまきり りゅうじ)
     ひかる      (ほたる まどか)

     動物や植物がみな「じぶんのうた」を歌っている、と語る工藤直子さん。平易な文体で書かれた親しみやすい詩からは、みずみずしい感性と、そして動物や植物たちの独特の存在感を感じます。

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    それぞれの詩について



     それぞれの詩について簡単に触れておきます。詩の中で一番素敵なベストフレーズもあわせてどうぞ。

    ・うちゅう・いるか
     大きな「うちゅう」でおよぐ、ぽっかり小さいいるかを描いた詩です(地球ではなくて宇宙、というのが広いスケールですね)。

    そんなでっかいうちゅうでおよぐ ぽっかりちいさいぼくだけど
    ぴかっとひかるいのちをだいて いまここぼくはいきている!



    ・あしたこそ
     たんぽぽのわたげが舞い上がる様子を、出会いへの希望に重ねた詩です。4つの詩の中では一番好きですね。

    とんでいこうどこまでも
    あした たくさんの「こんにちは」にであうために



    ・ひかる
     「わたしのぜんぶのからだとこころで」光るほたる。小さくてもかけがえのない存在・そして命であることが伝わってきます。

    わたしをみつけて!とひかります
    わたしのぜんぶの からだとこころで(これで全文です)



    ・おれはかまきり
     4つの詩の中で最もインパクトを残したのは間違いなくこの詩でしょう。「かまきりりゅうじ」の名は、この教科書で学んだ全ての子どもたちの頭に否が応でも刻まれることになるのです・・・。くわしくはのちほど。

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    (右上から時計回りに、「うちゅう・いるか」「あしたこそ」「ひかる」、そして「おれはかまきり」)

    再読!「野原はうたう」



     希望が膨らむ中学校生活の幕開けにふさわしい、みずみずしい感性で書かれた詩になっています。

     そう私は冒頭で書きました。が、しかし!正直私はこの作品にあまりいい思い出がありません。この単元の目的は、「声を届ける」、つまり、声に出して詩を朗読してみることにあります。教科書を見ると、はっきりと読むこと、速さや強弱に気を付けること、間の取り方など、かなり細かく書いてあります。

     朗読がメインの単元ということで、授業内容はおのずと決まってくるのではないでしょうか。そう、「朗読会」です。こういうことが好きな子どもと嫌いな子どもにはっきりと分かれるでしょう。私は典型的な後者でした。希望が膨らむ中学生活・・・そんなムードなんてこれっぽっちもありません。私にとっては、いきなりの試練でした。朗読が嫌で、腹痛をこらえながら学校に行った記憶があります。思い出すと今でもお腹が痛くなりそうですから、よっぽど嫌だったのでしょう。

     しかも、です。4つの詩があって、そのうち3つは、春らしい希望にあふれた詩になっています。この3つの詩の朗読なら、まだ少しは楽しくやれたかもしれません。しかし、こういう時はとことん悪い方向に事が運ぶものです。列ごとか班ごとに朗読する詩が決められたと思うのですが、私が当たったのはよりによって、「おれはかまきり」・・・。

    かまきりりゅうじ

     忘れもしません。彼が「かまきりりゅうじ」くんです。かまきりりゅうじ、すごい名前ですよね。「蟷螂隆二」、漢字にするとさらに迫力が増します 笑。忘れたくても忘れられないかまきりりゅうじ君の詩を振り返ってみることにしましょう。

    おれはかまきり かまきりりゅうじ

    おう なつだぜ おれは げんきだぜ
    あまりちかよるな
    おれの こころも かまも どきどきするほど ひかってるぜ

    おう あついぜ おれは がんばるぜ
    もえる ひをあびて かまを ふりかざす すがた
    わくわくするほど きまってるぜ



     すごいテンションですよね。いわゆる「チャラ男」のような・・・。今の時代をこのテンションで生き抜ける人はそう多くはないと思います。中学1年生の私は度肝を抜かれました。

     もちろん、素晴らしい作品だと思います。かまきりの勇ましい感じ、勇猛果敢さを自然な感性で捉えています。これぐらいのテンションに振りきれたほうが、詩としての魅力は増すのではないでしょうか。でも、考えてみてください。この詩を朗読してください、と言われた時の、中学1年生の私の気持ちを!

     先生「動物や植物の気持ちを考えて、情感たっぷりに読んでみましょう!」
     私 「・・・・・・・・・・。」
     先生「おれはかまきり、はかまきりの勇ましさを表現してみましょう!」
     私 「(は、はぁ・・・) (^_^;)」
     先生「さあ、次はおれはかまきりのグループに行きましょうか!」
     私 「(保健室ってどこにあったっけ・・・)」

     保健室には行っていません!嫌ではありましたし、保健室が頭をよぎりましたが、子ども心にさすがにそれはダメだと思って朗読はしました。ただ、クオリティーは散々なものだったように思います。

     私「ぉ、おぅ・・・ なつだぜ・・・ おれは げんき・・・だぜぇ・・・・・・」

     完全に詩の力強さに力負けしました。か細い声で「げんきだぜ」と読まれる光景は、さぞかしシュールなものだったでしょう。情けないなあ、と思われる人もいるかもしれませんが、こういう朗読は人によって本当に得手不得手が激しくて、苦手な人にとっては苦難の時間です。私は国語が好きで得意科目でもあったのですが、これだけはからっきしでした。中学の最初がよりによって朗読とは・・・。しかも、よりによって「おれはかまきり」!国語に関しては最もトラウマになっている単元です。

     こう書くと詩のこと悪く言っているようなので最後にフォローしておきますが、「のはらうた」は素晴らしい詩だと思います。感性が素敵ですし、言葉がすーっと入ってきます。詩をもとに歌になったものも多いそうですが、たしかにこれらの言葉は歌にするとより輝きを増すものだと思います。

     悪いのは、その素敵な詩を受け止めることはできても、表現ができない私ということで・・・。朗読が上手な人がうらやましいです。今、「おれはかまきり」を上手く朗読できるか、と言われたら余計下手くそになっていると思います。「恥ずかしい」と思ってしまうあたり、どうしようもありませんね。




    オワリ

    教科書への旅 一覧ページ

     当ブログの看板コーナーです。エントリーを一覧でまとめました。なつかしい教科書作品に触れてみてはいかがでしょうか?


    くどうなおこ, 教科書,



    •   28, 2015 23:05
  •  よく、読書をする人のことを「読書家」と言います。でも、私自身はあまりこの言葉を使いません。「使えません」といった方が正確でしょうか。代わりに、「読書好き」という言い方にとどめています。

    名作の書き出し 漱石から春樹まで (光文社新書)
    石原千秋
    光文社
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     まだまだ「読書家」は名乗れないなあ、と痛感させられるのが、このような1冊を読んだときです。久しぶりに新書の紹介をしようと思います。選りすぐりの近代文学の書き出しから作品を論じていく「名作の書き出し」という1冊です。筆者が用いているのは、文学解釈で用いられている有名な論の1つ、「テクスト論」です。



    目から鱗のテクスト論



     みなさんは小説・文学を読むとき、どんな読まれ方をするでしょうか。私の場合は、これまでのレビューを読んでいただけば分かるように、「本の向こうにいる作者を想定した読み」をすることが多いです。

     この作者は作品を通して何を伝えたいんだろう
     この作者はどんな思いでこの文章を書いたんだろう

     そんなことを考えることが多いです。自分のレビューを見返して思ったのですが、作者のインタビューや他の作品などを引用していることが多いように思います(前回の小川洋子さんもそうでした)。作者を知ることにより、作品を知ろうとしているのでしょう。

     「テクスト論」は、そんな読みとは真逆の立場です。簡単に言えば、「何が語られているか」に着目した読みです。文章(テクスト)そのものを論じるのであり、そこに込められた作者の意図・思いなどといったのものは一度切り離して考えています。

    僕の専門は漱石研究だが、漱石研究と言っても、伝記的事実を明らかにしたり、伝記的事実や漱石の小説以外の文章や資料と絡めて小説を読む方法は拒否している。つまり、解釈するための時代背景やコード(解釈の枠組)はどこからでも持ってくるが、作者だけはかたくなに拒否して、小説だけを読む「テクスト論」という立場を採っている。



     普段小説を読むとき、「テクスト論」の立場に立って読むことはほとんでありません。文章に何か明確な特徴がある時はそこに気が向くかもしれませんが、そうではない小説なら、やはり「作者」を考えてしまうでしょう。この本は、近現代文学の名作15作品を、テクスト論の立場から論じています。普段はほとんど意識しないテクスト論・・・目から鱗の解釈です。

    調律のプロセス



     作品の書き出しに注目して本を読まれる方は多いと思います。波一つ立たない水面に、「書き出し」という石が投げ込まれます。静かなさざ波を立たせることもあれば、いきなり大きなうねりを生じさせることもあります。楽しみと緊張が高まる中、作品は必ず「書き出し」から始まります。

     その書き出しを通して、読者は「調律」をしている、と筆者は論じています。

    小説の書き出しを読むとき、僕たち読者はその小説に対する自分の態度を決めるために、さまざまなことを読み取ろうとする。そして、まさにそのときに僕たちが身につけている言葉の意味と小説の言葉の意味との差異にとまどいながらも、書き出しを読んでいるわずかの間に自分をその小説の理想的な読者として「調律」しているのである。


     その調律までのプロセスを、この本では丁寧に追っています。調律することにより、理想的な読者=自分なりの読みをする読者を目指す、と言うのです。ここに紹介されている15のうち、私が読んだことのある作品は半分以下でした。それでも、この本にはむさぼるように読める面白さがありました。それは、筆者が「自分なりの読み」にたどりついているからでしょう。他人の「自分なりの読み」に触れる、こんな面白いことはありません。

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     今から、とてもややこしいことを書きます。ここまで読んでくださった方、どうかご注意ください。

     第12章では吉本ばななさんの「キッチン」という作品が紹介されています。この作品の書き出しはこうです。

    私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。



     正直に告白します。私がこの作品を読んでいたとして、この書き出しにはそんなに気を払わないと思います。しかし、この文章には「人の心にひっかかりを与える何か」があることが、文学研究の世界ではすでに分析されているそうです。この書き出しが2通りにとれることを筆者は指摘します。

     私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う
    →私は自分がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う
    →私がこの世で一番好きな場所は台所だと私は思う

     ややこしくなってきましたか?よくよくこの2つの文章を見た時、「思う」の主体に「私は」が加えられていることに気付きます。原文では、「思う」の主体が限定されていませんでした。それが、ひっかかる何かになっていたのですね。

    いま、試みに示してみた冒頭の一文の書き換えは、結局一つのことをやろうとしている。いずれも、文章を安定させるために「思う」の主体を「私」に限定させようとする作業である。この作業から見えてくるのは、冒頭の一文の「思う」の主体はどこにもいない誰かだということだ。(中略)「私」のアイデンティティーがいかに不安定かが、この冒頭の一文から伝わってくる。そして、「私」の底なしの孤独が伝わってくる。



     これが「テクスト論」・・・!すごいです。作品を読んだことがなくても面白い、と書きましたが、その面白さを少し体験していただけたかと思います。ただし、ネタバレが多いです。これから読もうと楽しみにしている作品がリストにある場合は、先に作品を読んでからこちらを読んだ方がよいと思います。私は夢中になって読んでしまい、読んだことのない作品のネタバレもしっかり読んでいたことに、読後に気付きました 笑。

    テクストの可能性



     紹介されている作品で一番最近読んだのは谷崎潤一郎の「痴人の愛」でした。冒頭にある「類例」や「関係」と言う言葉を抽象化して見たり、「痴人の愛」を漱石文学のパロディーだったのではないか(!)と論じたり、テクスト論の面白さを堪能します。

     文学作品ばかりか・・・と思った皆さん、後半の作品は現代文学が中心です。村上龍さんに山田詠美さん、吉本ばななさんに江國香織さん、そして村上春樹さん。知っている作品・好きな作品・気になる作品が必ず一つはあるかと思います。

     「名作」を選んだとのことですが、筆者があとがきで指摘しているように、名作の定義が大変難しいです。実際、ここで紹介されている作品に「性」をテーマにした作品が多いことに気付きます。筆者の好みはかなり反映されているのでしょう。

    「名作」という概念は、自分の好みの偏差を測る座標軸のようなものかもしれない。そこで、僕の読み方に共感し、「これはおもしろい小説かも」と思って、それをあなたの「名作」リストに加えてもらいたら、僕としてはこれほどの幸せはない。



     「これはおもしろい小説かも」という出会いがたくさんありました。感謝しております。そして、「テクスト論」の面白さと可能性に触れることができたのもよかったです。機会があれば、ブックレビューで「テクスト論」の読みに挑戦してみたいと思います。ずぶの素人なのでどんなレビューになるか分かりませんが、いろいろと実験をしてみるのも、読書の面白さでしょう。

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    目のテクスト論!テクストから広がる文学の新たな可能性―。
     
     「本を読んでいるんだからそれでいいじゃん」と思われる方もいるかもしれません。ですが、私はそうは思いません。この本のような「読み」の技術を高めていけば、本の可能性、読書の可能性はどんどん高まっていきます。それによって「本がもっと好きになる」としたら、やっぱり私は読みの技術についてもっと学びたいと思います。


    新書,



    •   27, 2015 23:52

  •  「最果ての図書館」で紹介した本が100冊になりました!記念すべき100冊目は、私の一番好きな作家さんの本に飾っていただきたいと思います。

    いつも彼らはどこかに
    小川 洋子
    新潮社
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     美しい装丁にまず心が惹かれるこの作品は、おととしに刊行された「動物をテーマにした短編集」です。8作の短編が収録されていますが、いずれも動物が作中に登場します。これまで読んだ小川洋子さんの作品でも、動物は作中において重要な役割を果たしていました。では、そんな動物に注目した時、いったいどんな作品になるのか・・・期待は高まります。



    静かなシンパシー



     動物が中心といっても、動物目線で書かれた小説ではありません。それぞれの作品には、どこか孤独を抱えた人間が登場します。そんな人間が、動物たちに思いを馳せていくのです。

     動物は、目の前にはいません。目の前にいない動物たちに、人間は思いを馳せていきます。作品によっては、看板やミニチュアなど、動物がもはや生物ではないという設定もあります。彼らは何も主張しません。「いつも彼らはどこかに」いるのですが、今、目の前にいるわけではありません。あくまで、「どこかに」いるのです。

     物言わぬ動物と、孤独を抱えた人間の間に流れる、静かなシンパシー。そこから織りなされる物語が、孤独を抱えた彼らを優しく、時に残酷に包み込みます。

     自分の小説の中で、動物が重要な役割を果たしていたことに気付いた、と語る小川さん。今回は、そんな動物に焦点を当てた小説です。

    小説を書き続けてゆく中で、こんなふうに少しずつ動物が持つ意味を自覚するようになりました。今回は、言葉を発しないものの存在が言葉の世界にとっていかに大事かを、意識的に確認してみようと思いました。

     [小川洋子『いつも彼らはどこかに』刊行記念インタビュー](以下同じ)

     余計な言葉は極力排された小川洋子さんの存在感。そんな作品世界の中で、「物言わぬモノ」の存在感が高められていきます。

    最初は何だかわからないけれど、こねているうちにウサギっぽくなったからウサギにしよう、とかカタツムリにしよう、とかそういうのに似ているかもしれません。


     このぼんやりとした感じが好きです。「ぼんやりしているところで書き始めたほうがうまくいく」と語る小川さん。こねているうちにウサギやカタツムリに・・・。この作品の雰囲気をよく表わしている一節でした。

    孤独のバニラ



     突然ですが、アイスクリームの話をさせてください。31種類のアイスクリームが並ぶ、某アイスクリームチェーンがあります。色とりどりのアイスが並ぶ中に、「バニラ」があることに気をとめる方はおられるでしょうか。

     私は、気をとめたことがあります。バニラというのはアイスの王道で、おいしいことも間違いではないでしょう。しかし、色とりどりのアイスが並び、次々に入れ替わる中で、常にそこにある、そこにひっそりとたたずんでいる「バニラ」に何かを感じないでしょうか?寂しさ、孤独、でも、たしかにそこに居続ける芯の強さ、気品―。バニラアイスを見ながら物思いに耽ってしまったことがありました。

     物語は、こんな些細なところから始まります。なんと、今回小川さんの作品の中に「バニラアイス」が登場したのです。「あっ」、思わず小さな声をあげます。

     カシスシャーベットをコーンにのせてもらえば、そのルビー色が多少なりとも心を慰めてくれた。レモンマシュマロの柔らかさは安堵を、アーモンドのカリカリと砕ける音は励ましをもたらした。
     
     ただ一つバニラの日だけは、なぜかわびしさが募った。季節が移り変わろうと、どんな流行が訪れようと、バニラは決して姿を消すことなく、常に二十四種類の一角に場所を確保していた。にもかかわらず、それを注文している人に一度も出会ったことがなかった。他の二十三種が華やかな色を競い合い、ナッツやチョコチップやマーブル模様で身を飾り立てているのに比べ、バニラはあまりにも素っ気なかった。ガラスケースの中でそこだけが取り残され、孤立しているように見えた。


     自分が心の中で思っていたことと小川さんの描写がこんなにも重なったのは初めてでした。バニラアイスを見てしばらく考え込んでしまった時の記憶がありありと蘇ってきます。
     
     ガラスケースの中にあるバニラアイスから、物語が始まるのです。

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     小川さんの書く物語世界がたまらなく好きです。

    余計な空想を付け加える必要もない、ありのままを書けば物語になるような偶然の出会いが必ずある。自分が生きている世界はなんて書くべきものにあふれてるんだろう、と思う瞬間がいちばん幸福を感じます。(インタビューより)


     
     ありふれた日常に吹き込まれる、「物語」の息吹。小川さんの物語に没入し、ふと現実に帰った時に驚きます。「ありふれた日常」など、一体どこにあったのでしょう?一本の鉛筆が、道端の石ころが、空に流れる雲が。自分の生きている世界にこれほどたくさんの物語が溢れていたのか、と驚かされます。小川さんの作品を読んだ後は、しばらく余韻が残って、日常の全てが違って見えてきます。その余韻が消えかかってきたとき、気付けばまた、私は小川さんの本に手を伸ばしています。

    何かとのつながり



     作中に出てくる人間と動物。人間は、どこかにいる動物を想います。どんな動物が出てくるのか、本の説明から引用してみます。

     ディープインパクトの凱旋門賞への旅に帯同することになる一頭の馬
     森の彼方此方に不思議な気配を残すビーバー
     村のシンボルの兎
     美しいティアーズラインを持つチーター
     万華鏡のように発色する蝸牛……。

     これらの動物と人間との間で交わされる、言葉のない会話、静かなシンパシー、孤独を包み込む余韻・・・そういったものを味わっていきます。私のレビューはあまりにも抽象的で、読みながら「?」を渦巻かせている人もいるかもしれません。でも、小川さんの作品に説明的な余計な言葉を与えてはいけないと思うのです。

    言葉では成立しない何かによって、世の中のいろいろなものと実はつながっていると、ふときづく瞬間があって、そこに含まれているのは喜びなんですね。たとえほかの人とは共有できなくても、喜びと名付けていい瞬間なのではないでしょうか。(インタビューより)



     「言葉では成立しえない何かによるつながり」、これぐらいの説明でいいと思うのです。今日からまたしばらく、余韻に浸る日々が続きそうです。

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    物と人間、孤独をそっと包み込む「つながり」-。

     一番好きな作家を聞かれた時は小川洋子さんと答えます。でも、理由を聞かれた時に説明するのがすごく難しいんです。その結果、きょとんとされてしまい・・・。もっとうまく語れるようになりたいものです。そして、もっとうまくレビューを書けるようになりたいものです。



    こちらもどうぞ

    「猫を抱いて象と泳ぐ」 小川洋子さん
     前回の作品です。チェスを題材にしたお話。「息が止まるような美しさ」とはこういうことをいうのでしょうか。
     
    作家さんの本棚 003 小川洋子さんの本棚
     「いつも彼らはどこかに」を本棚に追加しました。いつかこの本棚に小川洋子さんの全作品を揃えてみたいです。
    現代日本文学, 小川洋子,



    •   24, 2015 23:30
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