HOME > ARCHIVE - 2015年07月

 本の表紙をめくったところで、私はいきなりしくじりに気付いてしまいました。帯に、こう書いてあったのです。
「・・・・・・人気シリーズ第二弾!

すれ違う背中を
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乃南 アサ
新潮社
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 というわけで、シリーズものだということも知らず、私はこの本を手に取ってしまったのでした。シリーズものを途中から読むというのは作品の世界に入りづらくてなんともちぐはぐなところがところがありますが、せっかく手にとったのだからと思い、読んでみることにしました。 



外の世界へ



 主人公は刑務所で服役し、罪を終えて出所した女性2人です。その設定を読んで、この話がドラマ化されていたことを思い出しました。NHKで放送されていた、「いつか陽の当たる場所で」というドラマです。主演は上戸彩さんと飯島直子さん。ドラマをあまり見ない私の母が、このドラマのことは絶賛していました。とてもよく作り込まれていたドラマだったそうです。

 「語れない過去があります。捨てられない想いがあります。」

 ドラマのキャッチコピーです。小説を読み終えた後で見ると、この言葉が胸に染みわたってきます。刑務所に服役していた、という「語れない過去」、そして前科という暗い過去を背中に背負いながらも、「捨てられない想い」。2人の女性の心理描写が丹念に描かれていきます。

 上戸彩さんが演じた芭子(はこ)は、大学時代に昏睡強盗を繰り返し、ついに逮捕されてしまいます。受けた罰は懲役7年。20代のほとんどを塀の中で過ごした彼女でしたが、現在は更生し、ペットショップで働きながら自分の居場所を見つけています。

 そんな芭子が刑務所で出会い、出所後も付き合いを続けているのが飯島直子さん演じる綾香です。綾香はDV夫から息子を守るために夫を殺害しました。情状酌量の余地もあり、懲役は5年。彼女の夢はパン職人になること。芭子と励まし合いながら、時には対立しながら、人生をやり直していこうとします。

背中の重み



 長く続いた塀の中での生活。やはり、外の世界は新鮮なようです。

ことに受刑期間が長かったものにとって、外の世界は実に新鮮だ。規律に縛られ、豊かな色彩などまったくない世界で生活していた受刑者の目には、一般社会に溢れている鮮やかな色彩も、様々な騒音も、人々の自由な流れも、何もかもが刺激的で、場合によっては恐怖にさえ感じられる。



 自由であるということのありがたみをあらためて感じますね。長い間塀の中にいた人間にとっては、何もかもが新鮮に映るのでしょう。こればかりは想像するしかありませんが、2人の目線から見た時に全く違って見える世界が新鮮で、読んでいるこちらも作品に入り込んでいきます。

 しかし、塀の中から出られたからといって、2人は自由になれたわけではありません。穏やかに進む日常に、突然現れてくる「前科持ち」という影。特に芭子は、自らの過去が露見することをとても恐れています。懲役を終えたからといって、罪が消えるわけではありません。犯した罪は一生消えず、見えない手錠となってその人間を縛り付ける、そんな恐ろしさに気付きます。

芭子だって綾香だって、犯した罪は懲役という形でとうに償いを終えている。それでも、これからどれほどの年月が過ぎようと、何かあれば「前科者」という目で見られることに変わりはなかった。だからこそ、ひたすら目立たないように、息を殺して地道に生きて行かなければならない。そういう中で自立を目指す難しさなど、「あそこ」にいるときには想像もしていなかった。自由なようで自由でない。常に怯えて緊張している。正直なところ、出所後の今の方がよほど重い罰を受けている気分になることもあるほどだ。



 もしかしたら、本当の罰は、塀の外に出た時から始まるのかもしれません。

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 読んでいると、2人が前科者であることを忘れそうになります。ペットショップでペット用の服を作り、それが売れるようになって社会の中にようやく居場所を見つけた気持ちになる芭子。過去から吹っ切れたように明るく、前を向いてパン職人を目指す綾香。塀の外で生きる人間よりも、よっぽどまっとうで、まともな人間に思えてしまいます。

 前科者であるということを忘れさせてくれないのが「世間」です。久しぶりに再会した綾香の同級生が、彼女に言い放った一言。芭子と顔見知りの警察官が、彼女にかけた一言。背中に冷たいものが流れます。その瞬間、2人はまた「前科者」という背中に背負った重い荷物に気付くのです。

 間違いは、一瞬。償いは、一生。一瞬の間違いが、本人や、周りの人の一生を狂わせてしまいます。2人の背中をみながら、あらためて罪を犯すということの重みを感じずにはいられませんでした。

やり直せる限り



 現実は厳しいのですが、2人は常に足を前に進めようとします。私はこのまま前向きな感じで話が終わるのかと思っていました。そんな先入観で読むと、最後の「コスモスのゆくえ」という作品の後味の悪さには驚かされるでしょう。

 この話では、2人が夫からDVを受けているある女性と出会います。DVといえば、そう、綾香の過去が重なります。2人は何とか彼女の力になろうとするのです。ですが、力になろうとするうちに彼女の「どうしようもない側面」に気付いてしまい、そして・・・。

 どうしてこんな結果になってしまったんだろう・・・。

 少し呆然としてしまいました。2人が前科を背負って懸命に生きている姿を見て来ただけに、なんともやるせなく、軽く衝撃的な結末と言えるかもしれません。

 罪を憎んで人を憎まず。まさにこの2人のためにあるような言葉です。2人は罪を犯しましたが、この作品を読んで2人を糾弾するような人はほとんどいないと思います。罪を犯したことで、2人はたくさんのことを犠牲にしました。それでも、2人には残っているものがあります。「やり直す権利」、そして「前に進む権利」です。

 その権利を捨て去らずに、やり直し、前に進もうとする2人。きっと、その背中を押したくなるでしょう。

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中には重い荷物。それでも、前に進む二人―。

 このシリーズは全部で3作出ているそうです。私は真ん中の2作目から読んでしまったんですね。なんて中途半端な・・・ 笑。とてもよかったので、1作目と3作目も読みたいと思っています。




 今日の記事は予約投稿3本目です。予約投稿の期間中も訪問して下さっている方がおられましたら、どうもありがとうございます。

 次回から戻ろうと思うのですが、しばらく間が空いたので、テンプレートを変えてリニューアルしようかなと思っています。かっこいい感じになっていますので、どうぞご期待ください!
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小説, 乃南アサ,



  •   30, 2015 18:00

  •  久しぶりの日本文学です。この本は、岩波書店90周年を記念して実施された「読者が選ぶ私の好きな岩波文庫100」で、第3位に輝いた作品です。1位、2位、4位は夏目漱石の名作ですから、そこに唯一食い込んだ作品、ということになります。

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    中 勘助
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     この作品を有名にしたエピソードがあります。灘中学校で国語を教えた橋本武先生(2013年に死去)が、国語の授業の教材としてこの作品を3年間通して使ったのです。3年間かけて、この作品を読んだのです。この作品にはその価値があります。3年間かけて、丹念に読み込んでいく―さすがに私にそんなことはできませんでしたが、それぐらいに多くのことが詰まった本です。



    ぜいたくに、ふんだんに



     「すぐに役立つことは、すぐ役立たなくなる」

     橋本武先生の信条です。この信条が、3年間かけて1冊の本を読むという国語の授業を生み出しました。私は国語の授業が大好きでしたが、橋本先生の授業をぜひ1度受けてみたかったと今でも思います。しつこいようですが、1冊の本を3年間かけて・・・そこには想像もつかないような宝物がたくさん詰まっているのだと思います。

     作品のあらすじはほとんどありません。主人公が、自らの幼年期を回想するというお話です。伯母の愛情を一身に受けて育ち、様々な経験を重ねながら日々を過ごしていく主人公。そんな日々を子供らしい視点で描いた文章が見事で、数ある文学作品の中でも他の追随を許さないような高い次元にあります。

     そんな美しい描写の1つ1つを、ぜいたくに、ふんだんになぞっていったのが橋本先生の授業でした。

    さんざ呼んでいるとそのうちやっとこさと出てきてあっちこっち菓子箱の蓋をあけてみせる。きんか糖、きんぎょく糖、てんしん糖、微塵棒。


     主人公が菓子箱の蓋を開ける場面です。橋本先生は、このような場面が出てくると、作品に出てくるものを実際に教室に持ち込んで、子どもたちに「追体験」をさせていったそうです。菓子箱から出てくる甘いお菓子の匂いとその感動を、子どもたちは目の前で体感しました。教室には、お菓子の幸せな匂いが充満していたことでしょう。

     ふだん読書をしていて、「場面の1つ1つを忠実に再現する」などまずできることではありません。橋本先生はそれを3年間かけてやったのです。ぜいたくで、ふんだんで。読書というものの1つの極みがここにあるでしょう。

    追体験ができるすばらしさ



     実は、そこまでしなくても、私たちはこの小説を読みながら追体験をすることができます。読みながら、自分が子供に帰っていくような、そんな感覚があるのではないでしょうか。それは、この作品の子供目線の描写が素晴らしいことに理由があります。

     小さな子供の目線から物語を書く、というのはとても難しいことです。大人になってしまうと、小さな子供の目線は想像するしかないからです。「ありのまま」に書くことはほぼ不可能で、どうしても「作られた」描写になってしまう傾向があります。

     しかし、中勘助という人はそれを見事にやってのけました。ここに書かれているのは、「子供の目線」そのものなのです。だからこそ、読みながら読者は子供に帰っていくことができます。子供の目線そのものを書くというのがどれほど難しいか、それが分かっているからこそこの作品はこれほど評価されるのだと思います。

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     ちょっと皮肉で、しかし何にも染まらず純粋で。そんな子供の姿が、子どもの目線から丹念に描写されています。

    私はその頃から鹿爪らしい大人の殻をとおして中にかくれている滑稽な子供を見るようになっていたので、一般の子供がもっているような大人というものに対する特別な敬意は到底もち得なかったのである。

    ※鹿爪らしい・・・まじめくさっていて堅苦しい

     主人公は、子供というものを少し見下すようなシニカルな目線を持っています。「子供は子供でもあんなに馬鹿じゃない」などと毒づいたりする場面もあり、かなり毒々しさがのぞきます。

     それでいて、感動すると気持ちがたかぶり、すぐに涙を流してしまうという側面もあります。

    その子供たちはどうしているだろう。そのうえひろびろとして風に波うつ青田をみれば急に胸がせまって涙がさっとまぶたにたまる。それは深い深い心の底から湧いてきて堰き止めるすべもなかった。



     1点の曇りもない、濁りのないとはこういうことを言うのでしょう。主人公が感極まる場面を呼んでいると、読者の心にたまった汚物が洗い流されていくような、そんな感覚があります。皮肉な視線を持ちながらも、このように汚れのない涙を流すことができる、それこそが「子供」の姿なのだと思います。

     夏目漱石はこの作品を、「子供の世界の描写として未曾有のものである」と評したそうです。まさにこの作品にふさわしい評と言えるでしょう。読んでいくうちに、子供に「帰っていく」、そんな感覚をぜひ多くの方に味わっていただきたいものです。

    忘れていたこと



     さすがに3年間かけて読むのは無理でしたが、私は2週間かけてこの本を読みました。本編は200ページほどの本です。普段のペースからすれば考えられないほどのスローリーディングになります。それぐらいにゆっくり読みたい本だったのです。

     皆さんは想像できるでしょうか。200ページの作品を、3年間かけて読む!読書好きの方でも、そんな読書をしたことのある方はほとんどおられないでしょう。私は、生きているうちにいつかそんなことをやってみたいです。

    人びとは多くのことを見馴れるにつけて、ただそれが見馴れたことであるというばかりにそのままに見過ごしてしまうけれども


     本文の中の描写に、ハッとします。まさにそうなのです。私たちが大人になるにつれて見えなくなったことを丁寧に描き出し、子供の頃の記憶を呼び覚ましてくれる―そんな作品です。その「気付き」が、私たちを作品の世界に誘っているといえるでしょう。

    ※引用した箇所は、読みやすくするためにかなづかい、漢字表記を一部現代のものに改めています。原文と異なるのでご注意ください。

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    供に帰っていく―子供の目線が私たちに多くのことを思い起こさせる不朽の名作

     橋本武さんの授業についての本も出ています。そちらについて詳しく知りたいという方はぜひ本の方を当たってみてください。この授業は内容が充実していただけでなく、東大合格者を全国1位に押し上げたという素晴らしい実績まで残しているんですよ。

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『銀の匙』を「シルバー」に認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ

    読者が選ぶ私の好きな岩波文庫100
     岩波文庫好きの私としては、並びを見ているだけで感極まるものがあります。私が大好きな宮本常一さんの「忘れられた日本人」は堂々の7位にランクインしています。好きな本が他の人にも認められているというのは嬉しいことですね。


    中勘助, 近代日本文学,



    •   28, 2015 18:00

  •  この記事が出るころには、私はレポートと格闘しているはずです。未来に向けて記事を書くって、不思議な感覚ですね。この本は、レポートの執筆にかかる前に読んだ本です。たくさんのことを吸収することができました。

    論文の書き方 (講談社学術文庫)
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     出版は1977年とかなり古いのですが、今読むのにも十分耐え得る本です。世の中に数ある論文・レポート本の中でも信頼できる名著といってよいと思います。実戦的なテクニックよりも、どういう心構えで論文の執筆に臨むか、といった話が参考になります。



    論文の快楽



     具体的な話に入る前に、筆者は論文の快楽について力説します。

    こういう知的冒険、探検から生まれる知的快楽は、なんの努力も必要としない快楽、マンガや週刊誌におぼれるような受動的、感覚的快楽とは比較にならない、大きな快楽です。それは休日をゴロ寝で過す楽しみではなく、苦しんで汗を流して山に登り、それを征服したときの爽快さに似た快楽です。



     マンガや週刊誌を低俗なものとして見ているのはどうかと思いますが、確かに論文にある快楽とはこういったものだと思います。(私がよい論文を書けているかは別にして)、膨大な資料に当たりますし、長いものでは1か月近くかけて書くので、論文から得られるものは大きいです。

     しめ切りが近づいてくるとどうしても提出することばかりに躍起になってしまいますが、論文の根幹にあるのは筆者が言うような「知的快楽」だと思います。

     論文を書く意義について確認したところで、具体的な書き方、心構えに話は移っていきます。1977年の出版なので、例えば資料の収集の仕方などは今の時代と合わなくなってしまったのですが、ここに書かれていることは今の時代においても変わらず重要なばかりです。

     特に、書くことが読むこと、話すこと、聞くことと体系的に組み合わさり、互いに大きく関連していることを確認できる構成が見事だと思います。

    曖昧な言葉のワナ



     いくつも論文やレポートを書いてきて基本的なことは習得したつもりでしたが、今でもまだ難しいと感じるのが、「言葉の選び方」です。特に、意識しないままに「曖昧な言葉」を使ってしまうクセがなかなか直りません。

    形容詞や名詞に、「・・・主義」をつけ出すと、その意味内容はきわめて漠然とした不正確なものになります。



     特に正確な定義を理解することもなく使っている言葉はたくさんあると思います。そんなことは通用しない、というのが論文とそれ以外の文章の違いだと思います。定義を理解しないまま言葉を使うと間違いなくツッコミが入りますし、最悪の場合論文全体が切り捨てられてしまう恐れがあります。

     「・・・主義」という言葉はたくさんあって、それを使うともっともらしく見えることから、ついつい使いたくなってしまいます。ですが、筆者の指摘するように、この言葉は意味内容を曖昧なものにしています。私たちが当たり前のように使う「資本主義」という言葉は典型的な例で、ドボンになる可能性が高いワードです。何を持って「資本主義」とするのか、厳密に定義して書き手は理解しておく必要があります。

     筆者は別の例として「近代」を挙げています。言われてみれば、これも曖昧な言葉です。何も考えずにポーンと使ってしまいそうなのが怖いですね。そうした緩い感覚は論文を書くときには天敵だと思います。用いる言葉の1つ1つに、もっとピリピリして、「正確さ」を求めなければいけません。

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     後半は、書く以外のスキル、「読む」「話す」「聞く」についてもページを割いて詳しく解説されています。論文の本でこれらのことにここまでページを割いていたのは意外でしたが、それぐらいに、読む・書く・話す・聞くは切っても切れない密接な関係にあります。

     特に、「読む」と「書く」はそうではないでしょうか。「読む」に関してはかなりページが割かれています。分析的読み、総合的読み、批判的読みという3つの観点から、かなり詳しい解説が書かれていました。

     そのうち、「批判的読み」についての箇所は特に必見です。「批判的な読みをしなさい」ということは普段から口酸っぱく言われますが、「批判的」の部分は勘違いしやすいものです。

    「批判的読み」は「わかったが、この点には同意する、この点には同意できない」という「読み」です。ですから、その大前提はまぜ著者の言うことを理解することです。「よくわからないが、同意できない」というのは単なる感情論です。自分が間違っていると感じていながら、ただ反対のために批判するのも同じように愚かなことです。


     筆者は容赦なく、バッサリとものを言います。厳しいようですが、この厳しさこそ論文を書くときに必要な心構えなのだと私は思っています。

     「批判的に読む」を勘違いしてしまう危険は常にあるので、要注意です。人間の心理として、何かを批判しているとき、まるで自分が高尚なことをしている知的レベルの高い人間だという風に「勘違い」してしまう危険があります。

     適切な批判をすることと、とにかく批判をしたいがためにわめき散らすことは全く違います。論文で後者をしてしまうと・・・残念ながら即ゲームオーバーです。「批判」を勘違いしないように、私も気を付けたいと思います。

    数をこなすこと



     私は今まで書いたレポートを全て保存してあるので、中には大学に入学したばかりの時に書いたレポートもあります。

     それはもう・・・直視できるものではありません。「こんなものを教授に提出してしまったのか・・・」と真っ青になります。教授はもしかしたら、私のレポートを読む気さえせずに破り捨てていたかもしれません(いちおう単位を落としたことはないので、破り捨てられてはいないと思いますが、そう思ってしまうくらいの酷い出来です・・・)。

     そんな時代があったことを思うと、現在はだいぶましなものが書けるようになっていると思います。何かすごいテクニックがあるわけではなく、ものすごく地味なのですが、「数をこなすこと」が上達への1番の近道かと思います。

     本の最後に、「答案を書くためのポイント6」というまとめがありました。これを意識していたかどうかで、論文の出来は大きく変わると思います。もっと早くこの本を読んでおけば・・・つくづくそう思いました。レポートのことがよく分からない大学1年生の方がいたら、ぜひこの本を図書館で探してみてほしいです。

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    文を書く前に読んでおきたい、必携、必見の1冊!

     最近、大学の文系学部が、就職のことを考えて方向転換をしようとしています。たしかに世間の方からしたら、「文系が世の中の何の役に立っているんだ!」と思われるかもしれません。ですが、1つ1つの論文を書いている時に自分の中に蓄積されるものは、私はきっと将来役に立つものだと思っています。


    学術書,



    •   26, 2015 18:00
  • イーハトーヴ


     ここ数日、「○○ (作品名) 読書感想文」という検索ワードがやけに目立ちます。「ん?読書感想文ブームでも来たの?」と不思議な気分で見つめていたのですが、今日ようやく気付きました。世間の小・中・高校生はそろそろ夏休みなんですね!(大学生の夏休みはもう少し先なので、気付きませんでした)なるほど、宿題に読書感想文が出されて困っているとしたら、ここ数日こんなワードが増えるのも納得です。ある意味、「読書感想文ブーム」は来ていたのでした 笑。

     私の書いた記事がどこかで誰かのためになっていたらうれしいですね。本を読まないで読書感想文を書こう、とか、人のブログの記事をコピペしておこう、というのはおかんむりですが、他の人の感想を読んでみるというのは視野が広がっていいと思います。

    イーハトーブ悪人列伝 宮沢賢治童話のおかしなやつら
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     というわけで、私も他の方の解釈を読んで視野を広げてみようと思います。毎回宮沢賢治の作品を読んでいるのですが、私が感じた感想を書いているので、実は正確にその作品のことを伝えられているわけではありません。他の方の解釈も紹介しながら、風通しをよくしていこうと思います。

     今日は、「イーハトーヴ悪人列伝」という本から、このコーナーの第6回で紹介した「どんぐりと山猫」を取り上げようと思います。



    宮沢賢治が描く悪



    「クラムボンはかぷかぷわらったよ」といった独特の言葉の創出に彩られており、それが賢治のマジックだ。ところが、賢治作品の評論や論文は、せっかくのおもしろい物語をつまらなくしてしまう傾向がある。


     なかなか手厳しいことが書かれています。しかし、ここに書いてあることが私は痛いほどわかります。宮沢賢治は俗人離れした独特の感性を持っているので、そのよさを理解するにはやはり作品を読むことだと思います。「私の記事だけではなく作品も読んでみてください」ということをよく書いているのですが、このコーナーに関しては強くそう思っています。

     

    賢治の作品は、幻想的で美しい景色の中に、どきっとするほど鋭い悪や汚辱の罪が挿入されている。(中略)そこには、どうしても悪をなしてしまう者への同情と共感がある。そして、どんな人にも救いがあるというメッセージが文の底に密かに沈め置かれている。


     これまで読んできた作品のことを思い起こしてみたのですが、どんな人にも救いがある、というメッセージが胸にストンと落ちてきます。自己犠牲の精神や美しい共感覚と並んで、これも一つのテーマになるのかもしれません。

     美しく幻想的な世界だけでなく、世界の醜いものと向き合おうとした作品もあったことを思い出します。今日紹介する「どんぐりと山猫」には、「争い」というテーマがあります。ユーモラスで面白おかしい文章だったのですが、そこにはどんなメッセージが込められていたのでしょうか。

    どんぐりたちの争い



     前に一度感想を書いているので詳細は省きますが、どんぐりたちは「誰が一番偉いか」という争いをくりひろげていました。

    「いえいえ、だめです。なんといったって頭のとがってるのがいちばんえらいんです。そしてわたしがいちばんとがっています。」
    「いいえ、ちがいます。まるいのがえらいのです。いちばんまるいのはわたしです。」
    「大きなことだよ。大きなのがいちばんえらいんだよ。わたしがいちばん大きいからわたしがえらいんだよ。」



     思わずクスリとしてしまう微笑ましいやり取りですが、じつはこのやり取りを微笑ましく読めるのにはある理由がありました。初めに読んだとき、私はそんなことは考えていませんでした。筆者はこう書いています。

     激しく言い争っているようでいながら、誰一人として、相手を口汚くののしる者はいない。太っているのは醜いだとか、頭がとがりすぎてるのはヘンだといったマイナスの評価はしない。
     この争いには<悪口を言ってはいけない>というルールがある。


     この話を読んでも不快にならない理由は、「悪口を言ってはいけない」、このルールにあったのではないでしょうか。

     私たちは時々、争いをすること自体が悪いと考えてしまいがちです。そうではないと思います。私たちは、自分を優位にしようとして他人と競争したり争ったりするわけですが、その「自分を優位にする」には2つのやり方があります。「自分のよいところをアピールする」というのが1つ、そしてもう1つが、「他人の悪口を言って、他人を低めることで自分を優位にする」というものです。

     どちらが健全な争いで、どちらが醜い争いかは言うまでもありません。どんぐりたちの争いを改めてみてみます。みんな、自分のよいところを必死にアピールしています。そこに他人を低めるような言動は出てきません。

     なんだか大事なことを教えてもらいました。ブログを書く上でも忘れてはいけないことです。

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     そんな宮沢賢治からのメッセージを受け取った後で、考察はさらに続きます。争いや競争といったものを、私たちはどう考えるべきか、ということに論点が移ります。

    いつの時代でも、どんな社会でも、子どもたちは比較され、競争しながら大きくなっていく。運動会の一等賞をなくすようなことをしても、それは変わらない。競いの衝動や攻撃性をなくすことはできない。それは生きる意欲の大きな側面である。

    (中略)とにかく、威張ってみたり自慢してみたりしない子どもなんて、おもしろみに欠けること、はなはだしい。だいいち、人より抜きんでようと頑張っている子に対して<よしたほうがいいよ。偉くなろうなんて思っちゃいけない>などと、誰が言えようか。


     複雑な気持ちでこの部分を読みました。時代の流れはこれとは逆に流れようとしているからです。運動会の一等賞をなくす・・・とありますが、これがまさに今の世の中の動きで、手をつないで横並びでゴールするようになった学校もあると聞きます。

     頑張ることにはなかなか正当な評価が得られませんし、ましてや「偉くなろうとすること」や「自慢すること」への風当たりはかなり強くなっています。人を傷付けてはいけない、という点にあまりにも神経質になっていることが原因で、育てていかなければいけない様々な芽が摘まれているような気がします。

    悪口だけは言わずに



     競争それ自体は悪いことではなく、憎むべきはそこに入ってくる他者への攻撃なのだと思います。

    「どんぐりと山猫」は、むしろ<楽しく競いあおう>という物語である。その健全性を保証しているのが、<悪口を言ってはいけない>というルールであり、暴力の禁止である。


     本当に大事なメッセージです。私は、頭に血がのぼったら自分が書いたこの記事にアクセスしようと思います。ルール違反を犯してしまう前に何とか踏みとどまれるような気がします。

     守らなければいけないことは、たった1つ、とてもシンプルだけど、意外と難しい。健全な争いをしたいものです。

     今日は専門家の方の書いた本をもとに「どんぐりと山猫」を再読してみましたが、やはり私の書く感想とは一味違うということがよく分かりますね。宮沢賢治という作家はどこまでも深いです。作品から読み取っていけることは、まだまだたくさんあります。

     さて、冒頭に書いた読書感想文の話題に戻りたいと思います。宮沢賢治は読書感想文の定番中の定番といっていい作家です。特に、「注文の多い料理店」や「銀河鉄道の夜」は人気ですね。読書感想文に困っている人がいたら、ぜひ宮沢賢治の作品はどうでしょうか。平易に読める文章に、この記事に書いたような多くのメッセージが込められています。

     原稿用紙の2枚や3枚だったら、すぐに埋まりそうな気がしてきませんか?



    イーハトーヴ


     今では、「宿題代行サービス」なんてものがあるそうです。読書感想文も、お金を払って書いてもらう時代になったのですね・・・。私の立場からしたら、「どうしてそこまでして感想文を書こうとしないんだ!」と思ってしまいます。

     私は読書感想文を書くのは大好きでしたし、今でも毎日のように書いてますから 笑 、バイトじゃなくてタダでも「読書感想文代行サービス」をやりたいですね!

     冗談はさておき。

    「どんぐりと山猫」 宮沢賢治
     5月に書いた、私のレビューです。私がこの記事を書いた時は、「偉くなろう」とすることにどちらかというと否定的な立場をとっていたのですが、今回筆者の解釈を読んで考えが変わった気がします。
    宮沢賢治,



    •   21, 2015 22:46