HOME > ARCHIVE - 2015年09月
1443605411087.jpg

さな町工場の夢は、無限に広がる空へ―

 「下町ロケット」は、2011年に直木賞を受賞した池井戸潤さんの代表作です。すでにテレビとラジオでドラマ化されていましたが、2015年10月クールからはTBSの「日曜劇場」で再びドラマ化されるそうです。全10回のドラマの後半は、「下町ロケット2」として池井戸さんが書き下ろす新作パートになります。朝日新聞での連載とドラマが同時進行になるということで、大変面白い試みだと思います。

 今日紹介するのはそんな「下町ロケット」の原作本です。ドラマでは前半5回にあたる部分ということになります。私は池井戸潤さんの本を読むのはこれが6冊目になりますが、「絶対の代表作」との評判通り、大変素晴らしい作品でした。今日はいつもより内容を拡大して、「下町ロケット」のレビューをたっぷりとお届けします。
(※ 追記に白文字のネタバレがあります)



はじめに 池井戸作品の魅力



ikeido-intro.png

 文庫本の解説は、文芸評論家の村上貴史さんが書いておられます。最後は「絶対の代表作」と力強く締めくくっておられました。

 村上さんは池井戸潤さんの他の作品の紹介もふんだんに紹介しておられるのですが、それを読んでいるとこの「下町ロケット」は池井戸作品の魅力を余すところなく詰め込んだ作品だと感じます。「絶対の代表作」という触れ込みには納得させられるものがあります。

 そんな池井戸作品の魅力を、私なりに4つにまとめてみました。「分かりやすい対立軸」「まっすぐなメッセージ」といった要素が、多くの人の心を掴み、これまで話題になったドラマのヒットにもつながっているのではないかと思います。また、企業や銀行を舞台にした「骨太なエンターテイメント」であること、そしてたっぷりと描かれる「人間ドラマ」は小説に読みごたえを、ドラマには見ごたえを生み出します。

 これら4つの魅力を結集したような「下町ロケット」。今日は上に挙げた4つのキーワードを絡めながら、「下町ロケット」を紹介していきます。

苦難と逆境の連続



 物語は、大きな挫折から始まります。ロケットの打ち上げ失敗です。この物語の主人公でロケット打ち上げに関わった研究者、佃航平(つくだこうへい)は、失敗の責任をとらされて職を追われます。

 佃の第二の人生は、下町の小さな町工場で始まります。彼は父親の職を継ぎ、「佃製作所」の社長となりました。風が吹けば飛ぶような、小さな町工場。しかし、そこでも佃の「夢とプライド」のスケールは以前と変わりません。

 

「オレはさ、ウチの社長はなかなかオモシロイと思ってるわけだよ。あの年になってもやりたいことがあって、まだそれを諦めていなくて、それに向かって純粋に努力してるわけさ。そのバカなところがウチのいいところじゃん。それを応援してやろうと思わないのかよ」



 ある社員のセリフを引用しましたが、彼の人柄がよく伝わってくる箇所です。「夢」そして「プライド」、何度も繰り返されるその言葉は、最後は小さな町工場に大きな成功をもたらすことになります。

a0002_005376.jpg

 とはいえ、夢とプライドで渡り歩けるほど、世の中は甘くありません。池井戸作品の魅力の1つ、「分かりやすい対決軸」は今回も健在です。小さな町工場の力には限界があります。それでも、佃は様々な苦難に立ち向かっていくのでした。相手にするのは巨大な企業ばかり・・・まるでアリがゾウに挑むような、無謀な挑戦ばかりです。

 対決するのは、3つの企業になるのでしょうか。

①京浜マシナリー・・・突然の「取引中止」で資金繰りのピンチに
②ナカシマ工業・・・特許侵害で訴訟を起こされ、訴訟が長引けば会社が行き倒れるピンチに

③帝国重工・・・特許を売るか、自分たちで部品を作るか。会社の内部でも大きな対立が巻き起こる、運命の決断。

 特に最後の帝国重工との対決がメインとなります。特許を売ってしまえば、確実にお金になる―しかし佃は、研究者として、「ロケットの部品を自分たちで作りたい」という夢を捨てられずにいました。変わらない研究者としての魂。しかし社長として、社員やその家族を支えていかなければいかないという立場。彼はどんな決断を下すのでしょうか。

 敵となる大企業が設定されてはいるのですが、彼らが単なる「悪」ではないという点が話を面白くしています。文庫本の解説で村上さんが指摘されていますが、彼らには彼らの本音があって、彼らなりの譲れないものがあります。譲れない者どうしの「がっぷり四つ」。人間をしっかりと描いているからこそ見られる、「人間ドラマ」の様相も胸を熱くします。

思いは人を動かす



 この作品に厚みを増しているのが、「研究者と経営者の立場で揺れ動く佃の葛藤」、そして、「工場内での反発」ではないでしょうか。 工場の人々が皆心を一つに大企業に立ち向かっていくのならもう少し単純な話になったかもしれませんが、この作品では工場内でも様々な反発と対立が巻き起こります。

 佃は元研究員で、「技術を開発する」ということに使命とプライドを燃やします。しかし、彼の今の立場は社長です。彼に求められるのは「会社と社員を守ること」、もっと言えば「お金をもうけること」です。それは研究員としてのプライドとは全く相容れないもので、彼は壁にぶち当たります。

 

「カネの問題じゃない」佃は断言した。
「これはエンジン・メーカーとしての、夢とプライドの問題だ」



 力強い言葉ですが、その分社員たちとの溝も深くなります。社員の中では、裏切りを働いた者もいました。社長である佃の思いが社員たちにも伝わり、工場が団結し始めるのは物語も終盤にさしかかってきてから。長い道のりです。

a1130_000420.jpg

 物語の中にいくつの苦難や困難があったか指折りで数えていたのですが、途中で分からなくなってしまいました。それほどたくさんの苦難や困難があったということです。壮大な物語を読み終えて気分は、まるで登山でもしたかのよう。「骨太エンターテイメント」の色合いはこの作品でもかなり強くて、私がこれまでに読んだ作品の中では「空飛ぶタイヤ」と並ぶくらいの読みごたえがありました。

 登山を例えに出しましたが、山を登り終えた後の景色は格別です。この作品も、様々な苦難を乗り越えたからこその最高に気持ちの良い終わりが待っていました。

「ご苦労さん」
佃は胸に熱いものが込み上げた。「頼んだぞ、みんな。それと―ポスター、ありがとな」



 終盤に差しかかるあたりの場面です。ある出来事から、社員たちの心に火が付きました。このあと、皆の思いが一体となって帝国重工への「逆襲」が始まります。このあたりは読んでいて一番気持ちのよい場面でした。

夢にまっすぐ



 大企業の対決というのは他の作品にもあるのですが、今回はそこにロケットの部品開発、つまり「宇宙」まで絡んできて、これまでにないスケールの大きさです。小さな町工場が「夢とプライド」で作った部品が、宇宙へロケットを飛ばす―なんと熱く、壮大な物語でしょうか。

 そんなスケールの大きな話に、「医療」まで絡んできます。どうやら池井戸さんが書き下ろすオリジナルスト―リーはこの「医療」を軸にしたものになるようです。確かにこの作品の終わりには、そのことを示唆する部分がありました。こんな壮大な物語からさらに話が広がっていくということで、期待が広がります。新聞連載と同時進行(※11月下旬ごろから同時進行になるそうです)というのも、あまり類を見ないスタイルで期待を膨らませます。

 さて、最初に挙げた池井戸作品4つの魅力、最後に遺しておいたのは「まっすぐなメッセージ」です。他の方の小説と比べると、池井戸潤さんの小説はストライクコースど真ん中の直球という感じがします。ど真ん中に投げ込まれるボール、そしてキャッチャーミットにボールが収まる快音・・・なるほど、読んでいて、そしてドラマを見ていて気持ちが良いわけです。

「お前ら、夢あるか」
「オレにはある。自分で作ったエンジンで、ロケットを飛ばすことだ」



 下町の小さな工場にある夢は、宇宙へとロケットを飛ばすのでしょうか。胸が熱くなる巨編に注目です。

レコメンド

かれる夢が胸を突き動かす、作者のすべてが詰まった代表作

 作者の池井戸さんはよく「読者の皆さんがスカッとしていただけたら」といったようなコメントを残されるのですが、池井戸さんの作品は本当に意図通りに仕上がっていて、小説に「池井戸潤」という1つのジャンルを確立されたと思います。



オワリ

「下町ロケット」ドラマ化 朝日新聞広告面で続編連載へ
 冒頭で触れたとおり、10月から朝日新聞の方で続編の連載が始まるそうで、そちらの続編がドラマと連動するとのことです。こちらは詳細記事になります。

「オレたちバブル入行組」  池井戸潤さん
 「半沢直樹」シリーズの1作目です。「下町ロケット」と比べると、こちらは「悪」がよりはっきりと描かれているということと、主人公が「スーパーヒーロー」として描かれていることが特徴的です。



スポンサーサイト
小説, 池井戸潤,



  •   30, 2015 23:19
  • いちょうの実 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)
    宮沢 賢治
    三起商行
    売り上げランキング: 554,875


    気の旅立ちを、朝焼けにのせて― 

     季節はすっかり秋になり、心地よい風が吹いています。「読書の秋」とはよくいったもので、本を読んでいてもいつもよりも感じやすく、味わい深く読むことができます。そして、そんな季節にぴったりの作家が宮沢賢治です。動物や植物との交感力、そして卓越した表現力が生み出した文章は、今のような「感じやすい季節」に読むと最も味わい深くなります。

     今回紹介する「いちょうの実」というお話も、素晴らしい交感力と表現力が凝縮されたお話です。ただ、この作品を紹介する季節としては少し早かったかもしれません。作品の中の季節は、冷たい風が吹き始めるような「秋の終わり」、あるいは「冬の始まり」です。



    あらすじ



     星が輝く冷たい空。空の東では、あやしい底光りが始まりました。朝がやってこようとしています。

     霜のかけらがサラサラと飛ぶ音で、いちょうの実たちは目を覚ましました。今日は彼らの旅立ちの日です。期待と不安を入り混じらせながら、彼らは旅立ちの日の朝を迎えています。

     丘の上に立ついちょうの木が、彼らのお母さんでした。

    そうです。このいちょうの木はおかあさんでした。
    ことしは千人の黄金色(きんいろ)の子どもが生まれたのです。
    そしてきょうこそ子どもらがみんないっしょに旅にたつのです。おかあさんはそれをあんまり悲しんでおうぎ形の黄金(きん)の髪の毛をきのうまでにみんな落としてしまいました。



     自分たちはどこに行くんだろう、自分たちは何になるんだろう。いちょうの実たちがそう話す間にも、星は消え、東の空が明るくなってきました。旅立ちの時が少しずつ近づいています。

    a1150_001022.jpg

     東の空が白くもえ、ユラリユラリとゆれはじめました。いよいよその時です。「さよなら、おっかさん」子どもたちはそう言って枝から飛び立ちました。

    味わいたい、この表現



     今回からこのコーナーを作りました。宮沢賢治の作品には、息が止まるような素晴らしい表現があふれています。奇蹟のような表現が詰まった「表現の宝箱」の中から、特に優れていると思ったものを紹介します。

    そらのてっぺんなんかつめたくてつめたくてまるでカチカチのやきをかけた鋼です。
    そして星がいっぱいです。けれども東の空はもうやさしいききょうの花びらのようにあやしい底光りをはじめました。
    その明け方の空の下、ひるの鳥でもゆかない高いところをするどい霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南のほうへとんでゆきました。



     秋の終わりや冬の初めの冷たい空。例えるとすれば「カチカチ」が似合います。「カチカチのやきをかけら鋼」、冒頭文にあるこの例えで、私たちは冷たい空が広がる物語の世界へと一瞬で足を踏み入れることができます。

     空に星が輝く中、朝が来ようとしています。東の空で「ききょうの花びらのようにあやしい底光り」が始まるのです。その空の下で、霜のかけらがサラサラサラと飛んでいき、その音でいちょうの実たちは目を覚まします。

    a0830_000073.jpg

     静けさと穏やかさを保ちながらも、ほのかな緊張感が冷たい空に広がります。その様子は、期待と不安を抱えながらも必死に胸の高鳴りをおさえ、今まさに旅立とうとしているいちょうの実たちと重なります。作品を読んでいくと分かるのですが、「空の様子といちょうの実たちの心情が見事に重ねられている」ということが分かります。

     言葉でこれほどの表現ができるものでしょうか。文学の枠を超え、1つの芸術へと昇華した文章といえるでしょう。

    旅立ちの日に



     いちょうの実、つまり「ぎんなん」です。正直、私はあまりいいイメージを持っていませんでした。小学校の前には、いちょうの木が並ぶ道があって、木の下にはぎんなんの実がたくさん落ちていました。実りある秋の風景・・・とはいかず、ただひたすら毎日臭かったことだけをよく覚えています。靴でぎんなんの実を踏んでしまおうものなら、その日は1日最悪の気分です。

     ぎんなんの実の臭さと共に、毎日のようにぎんなんを拾っておられたおじいさんの姿も鮮明に覚えています。「なんでそんな臭いものを・・・」と小さかったころは首をかしげていましたが、おそらく料理にするために拾っておられたのでしょう。茶碗蒸しの上に乗っているものがぎんなんだと教わった時の驚きもまたよく覚えています。

     私が「臭い」ということくらいしかイメージのなかったいちょうの実を、宮沢賢治は見事に物語に仕立てていきます。途中で夜が明けていく様子を何度か挟みながら、子どもたちがまさに旅立とうとするその朝の様子が描かれていきます。

    「そら、もう明るくなったぞ。うれしいなあ。ぼくはきっと黄金色のお星さまになるんだよ。」
    「ぼくもなるよ。きっとここから落ちればすぐ北風が空へつれてってくれるだろうね。」



     いちょうの実が、「黄金色のお星さま」と結び付けられます。枝の上につく小さな実から、天空で輝く1つの星へ。なんて美しく、それでいてダイナミックな表現でしょう。私が臭いとしか思っていなかったものは、宮沢賢治にとって「黄金色のお星さま」で、そんなことを思ったら、何だか感動と恥ずかしさが入り混じるようです。

    a0960_004987.jpg

     旅立とうとする子どもたちの気持ちもそうですが、これから子どもたちを送り出そうとするお母さんの気持ちもまた見事に描き出されています。子どもたちと違って、お母さんにはせりふがありません。それでも、悲しみで葉っぱを落とすという描写であったり、どこか悲しみが張り詰めたような空の空気であったり、「言葉以外の部分」でお母さんの気持ちは十分に語られているような気がしました。

     子どもたちが旅立つとき、お母さんは何も言わず、「死んだように立っている」のですが、この言葉のない描写がお母さんの感じる悲しみを最大限に表わしているようです。「深い悲しみ」「悲しみに満ちた愛」。こういった心情は、宮沢賢治の表現の中でも最も光るものがあります。きっと、彼自身の人生にも裏打ちされているから、ここまで深みのある描写ができるのでしょう。

     さて、最後にいちょうの実たちが旅立つ場面です。宮沢賢治は、どんな素晴らしい表現を用意したのでしょうか。

    とつぜん光のたばが黄金の矢のように一度にとんできました。子どもらはまるでとびあがるくらいかがやきました。北から氷のようにつめたいすきとおった風がゴーッとふいてきました。
    「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子どもらはみんな一度に雨のようにえだからとびおりました。



     そして、最後の一文です。

    お日様はもえる宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを悲しむ母親の木と旅にでた子どもらとに投げておやりなさいました。



     今さらこんなことを言う必要はないと思いますが、宮沢賢治は天才だということを改めて思っています。



    イーハトーヴ

    「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」 旅程表


     秋に読む宮沢賢治の作品の魅力を少しでも感じていただけたらうれしいです。この話は本にしたら10ページほどのもので、青空文庫でもすぐに読むことができます。秋のひと時にいかがでしょうか。

     さて、次回は「銀河鉄道の夜」を読もうかなと考えています。「銀河鉄道の夜」はこのコーナーの最終回にとっておこうと思っていたのですが、秋の夜に読んだらどんなに素敵だろうと思ったらすぐに紹介したくなりました。10月に前後編の記事にする予定です。

    宮沢賢治,



    •   28, 2015 23:01
  • 100万分の1回のねこ
    100万分の1回のねこ
    posted with amazlet at 15.09.26
    谷川 俊太郎 山田 詠美 江國 香織 岩瀬 成子 くどう なおこ 井上 荒野 角田 光代 町田 康 今江 祥智 唯野 未歩子 綿矢 りさ 川上 弘美 広瀬 弦
    講談社
    売り上げランキング: 10,643


    したいほど、愛してた

     「100万分の1回のねこ」、第9回は山田詠美さんです。山田さんの作品を読むのは初めてですが、芥川賞の選評の毒々しい文章が強烈に心に残っていて、初めて読むという感じがしない作家さんです。

     芥川賞の選評のように、異常にアクが強い、毒々しい作品になるのでしょうか。「100万回殺したいハニー、スウィートダーリン」、タイトルを見た時点で、そのような作品になることは予想がついてしまいそうですね。



    100mann-9.png
    「100万回殺したいハニー、スウィートダーリン」 山田詠美

     殺したいほど愛している、そんな一見矛盾するような愛の形が、奇妙な説得力を帯びて伝わるお話です。山田詠美さんの「魔力」にすっかり惑わされてしまいます。

    あらすじ



    主人公の私は女のホステスです。私は、思いを寄せている美樹生というホストから絵本をもらいました。その絵本が、「100万回生きたねこ」です。私が絵本のページをめくる横で、美樹生はじっとそれを見つめています。

     私が涙を落として本を閉じた時、美樹生は「おれの女!」と言って私を抱きしめました。どうやら、本を読んで涙を流したことで私は美樹生のテストに合格したようです。

    「みんな、あの手この手を使って、どうにかして、おれに取り入ろうと思うのな。でも、ほとんどは相手にしてやんねえ。審美眼っていうの?おれのそれに引っ掛かった女だけに、この絵本を読ませてみる訳。外見をパスした女に課す試練ってやつね。この本で泣くか泣かないかで心の綺麗さをテストする」



     そんなわけで、私は美樹生の男になったのでした。ようやく大好きな男を手に入れた、そう思う私でしたが、事はそう簡単にはいきません。美樹生は私に暴力を振るいました。そして、美樹生には他にもたくさんの女がいました。「100万回生きたねこ」を読んで涙を流した女はたくさんいたのです。

     私に暴力をふるっておいて、美樹生はそのことを覚えていないようです。

    「それもミックがやったんだよ」
    「ほんと?ほんとにおれがやったの?」
    「うん」
    「ひでえ奴。おれ最低」



     暴力をふるわれ、他の女を作って遊ばれ・・・私は美樹生を殺したいほどに憎みました。それでも、私は美樹生と別れることはできませんでした。死んじゃえ、死んじゃ嫌、死んじゃえ、死んじゃ嫌・・・その繰り返しです。

     私が美樹生から離れられない理由は、彼が口にするある言葉にありました。

    「愛されて死んだもんは、幸せになるんだ」



    山田詠美さんのねこ



     作品に出てくるねこを紹介しているこのパートですが、この作品にはねこが登場しません。人間だけが登場する物語です。このような作品は意外に初めてでしょうか?本当に、いろいろなパターンがあります。

     そのかわり、絵本「100万回生きたねこ」が登場します。作品の序盤では、私目線から、この「100万回生きたねこ」の感想が語られるのです。私はこの絵本を読んで涙を流すのですが、単純に「愛」の素晴らしさに感動した、というわけではなさそうです。

    ページをめくりながら、私は、ねこを、とても羨ましく思った。誰も愛していないって、なんて気楽なんだろうと感じたから。私なんか、可愛がってくれた誰が死んでも悲しみのあまり病のようになった。



     誰も愛していないことは「気楽」であると私は感じるわけですが、ここはいろいろと考えさせられる箇所でした。愛することには「喜び」と「悲しみ」が伴っています。愛さないということは喜びも悲しみもないということで、それは確かに気楽なことです。

     悲しみのない気楽な状態がいいのか、悲しんでも欲しい喜びがあるから愛するのか。また愛について1つの問いを投げかけられたような気がします。この作品の私は最後まで壮絶な道を歩みます。愛に振り回され続けた人生です。それが幸せなことなのかどうかは、人によって感じることが違うのだと思います。

    ダメな奴ほど愛おしい


     
     私が愛した美樹生という男は、本当にどうしようもない男です。浮気と暴力・・・最低男の条件として東西の横綱に君臨していそうな2つです。しかし、浮気をされても暴力を振られても私は彼を切ることができません。

     そんな男は「くず」じゃないの・・・という指摘を友人から受けるのですが、それでも私は彼をかばいます。

    くずだよ。そう口に出して言いたかったけれど、美樹生の名誉のためにこらえた。確かにあの人はくずかもしれない。でも、私が好きなくずというのも、この世には存在する。星くず、とか、藻くず、とか。そういうもののひとつに数えられる。それが、私の男。



     くずだと分かっているのに、愛することをやめられないのです。死んでほしいほど憎いのに、愛することをやめられないのです。一見おかしな話ですが、私は妙にリアリティーを感じてしまいました。「愛情」と「愛憎」はたいして違わないのかもしれません。

     
    すれ違う背中を
    すれ違う背中を
    posted with amazlet at 15.09.26
    乃南 アサ
    新潮社
    売り上げランキング: 523,358


     何か既視感があるな、と思っていたのですが、7月に読んだ乃南アサさんの「すれ違う背中を」という本がその正体のようです。この本の最後に、彼女のような女性が出てきました。夫に暴力を振るわれ続け、一度は逃げてきたのにまた夫のもとに戻っていったのです。そして、最後は夫の犯罪に手を貸して夫と一緒に逮捕されていたような気がします。

     「どうしてそんな男についていくの!?」と開いた口が塞がらなかったことを覚えています。でも、彼女が夫を捨てられないのは、夫には彼女にとって魅力的な「何か」があったからだと思います。それが何かは彼女本人しか分からないことです。「ダメな人間なのに愛してしまう」というのは不思議なことですが、それもきっと、たくさんある愛の中の一種なのだと思います。

    a0002_004829.jpg

     さて、山田詠美さんの作品に戻ります。この本の私がダメ男を愛し続けたのにも同じように男に魅力的な「何か」があったからです。それが何なのか、小説の中で示唆されている部分があります。それが、あらすじの最後に書いた、「愛されて死んだもんは、幸せになるんだ」という彼のセリフです。

     死んだ自分の母親は死んだら何になるのか。そう尋ねる私に、美樹生はこう答えます。

    「死んだら、母ちゃんは母ちゃんのままじゃないんだよ」
    「そうなの?ミック、そうなの?だったら、何になると言うの?」

    「幸せな空気とかになるんだよ!」



     彼女に体中に痣が残るくらい暴力を振るっておいて、平気で何人もの女に手を出しておいて・・・そんな彼が言ったセリフです。このセリフを見ると、私がどうしても彼と別れることができないわけが分かるような気がします。彼は、人として最低なようで、人にとって最もかけがえのない気持ちも持っている、そんな不思議な人物でした。

     愛されて死んだものは幸せになる。そう言いながら、彼は自分の隣にいる彼女を傷付け続けます。もう何が何だか分かりませんでした。もしかしたら、彼は愛情の表現の仕方を知らなかったのかもしれません。決して許されることではないですが、暴力を振るうことが彼にとっての愛情表現だったのかもしれません。

     初めて読んだ山田詠美さんの作品ですが、期待していた以上に毒々しく、一筋縄ではいかないという感じがしました。ですが、このような常識が全く通用しない小説が、私はけっこう好きです。

    100mann-9.png
    匹目のねこ~私のつぶやき~ 

    愛と憎しみとは、実は同じなのでしょうか?

    死んでほしい、死んじゃ嫌。そんな叫びを繰り返す主人公。100万回も死んでほしいと憎まれた男は、裏を返せば100万回生き返ってほしいと愛された男だったという、そんな奇妙なお話です。



    ※ 追記に白文字のネタバレがあります。



    オワリ

     このコーナーは残り4回になります。本のリンクに名前が出ているのでもう隠しておく必要もないと思うのですが、この本の最後を飾っているのは詩人の谷川俊太郎さんです。最終回が楽しみですね。

    特集 100万分の1回のねこ
     13回シリーズなんて無茶なことをしたなあ・・・としみじみと思っています。8月の終わりから始めて、10月の上旬まで続きそうなずいぶん大がかりな特集になりました。
     
    小説, 山田詠美,



    •   26, 2015 22:57
  • 三年とうげ1

    拍子がしたくなるような、軽快で楽しい物語

     国語の教科書に掲載されている(されていた)名作を紹介している「教科書への旅」のコーナーです。今回で15回目になりました。たくさんの作品を紹介してきましたが、教科書作品はまだまだ紹介し尽くせません。

     今回は小学校三年生の教科書に掲載されている「三年とうげ」です。三年生の教科書だから「三年とうげ」が選ばれたのでしょうか?改めて読み直してみましたが、手拍子でも打ちたくなるような、楽しく軽快な作品です。



    あらすじ



     あるところに、三年とうげとよばれるとうげがありました。なだらかで、植物が咲き乱れてよいながめを見ることのできるとうげでしたが、このとうげにはある「言いつたえ」があったのでした。

    (引用)
    三年とうげで 転ぶでない。
    三年とうげで 転んだならば、
    三年きりしか 生きられぬ。
    長生きしたけりゃ、転ぶでないぞ。
    三年とうげで 転んだならば、
    長生きしたくも 生きられぬ。



     三年とうげで転んでしまうと、残り三年しか生きられなくなる。そんな言いつたえがあったので、人々はとうげを越えるとき、転ばないように恐る恐る歩いたのでした。

     そんなある日、一人のおじいさんが三年とうげを歩いていました。お日さまが西に傾いてきて、夕やけ空がだんだん暗くなってころです。転ばないようにと気を付けていたおじいさんでしたが、なんと、石につまづいて転んでしまいました。

     おじいさんは、家に帰ってがたがたと震えます。

    (引用)
    「ああ、どうしよう、どうしよう。わしのじゅみょうは、あと三年じゃ。三年しか生きられぬのじゃあ。」



     ごはんものどを通らなくなったおじいさんは、ついに病気になってしまいました。おじいさんの病気はどんどん重くなるばかり。そんな時、水車屋のトルトリがみまいにやってきました。トルトリはこんなことを言い出します。「おいらの言うとおりにすれば、おじいさんの病気はきっとなおるよ」

     一体、どうしたらおじいさんの病気がなおるというのでしょう。布団から顔を出したおじいさんに、トルトリはこう言います。

    (引用)
    「なおるとも。三年とうげで、もう一度転ぶんだよ」



    この作品のポイント



     この作品は、教訓がどうこうといったお話ではないと思います。とにかく読んでいて楽しくなるお話で、子どもたちだったら思わず体を動かしてしまうかもしれません。教科書の単元も、「おもしろさの発見」ということで、作品に散りばめられた面白さを読み解いていく内容になっています。

    三年とうげ2

     三年とうげの言いつたえの部分は、抑揚をつけて読みたくなるような、大変リズミカルな文章です。私も、教室みんなで音読したことを思い出しました。

     全体的に見ても、とてもイメージがしやすく、調子のよい文章という印象を受けます。最初の美しいながめの描写は、挿絵も手伝ってか、そのながめが眼前に広がってくるような豊かな描写です。そして、一番面白いのがこの後紹介する「おじいさんがとうげを転がっていく場面」です。まるでお祭りでみこしを担ぎながら口ずさむような、本当に楽しい文章でした。転び方一つとっても、本当に多彩な描写があります。このあと、その場面を見ていくことにします。

    ころりんころりん



     水車屋のトルトリは、「三年とうげでもう一度転べばいい」とおじいさんに言いました。転ぶと寿命が三年になってしまうという三年とうげ。もう1回転べというのは一体どういうことでしょうか。

    (引用)
    「そうじゃないんだよ。一度転ぶと、三年生きるんだろ。二度転べば六年、三度転べば九年、四度転べば十二年。このように、何度も転べばううんと長生きできるはずだよ



     その理屈でいいの、とツッコミを入れたくなりますが、この言葉こそおじいさんにとって何よりの薬になったのです。転べば転ぶほど寿命がのびるというトルトリの理屈に納得したおじいさんは、とうげに行って自分からしりもちをつきます。

    (引用)
    「えいやら、えいやら、えいやらや。
    一ぺん転べば 三年で、
    十ぺん転べば 三十年、
    百ぺん転べば 三百年。
    こけて 転んでひざついて、しりもちついて でんぐりがえり、長生きするとは、こりゃ めでたい。」



    三年とうげ3

     転ぶまいと慎重に歩いていた話の序盤とは別人のようです。思い込み一つでけろっと人は変わってしまいます。もし、おじいさんがトルトリの話を聞く前にとうげから転がり落ちていたとしたら・・・想像してみると大変面白いです。おじいさんは、とうげから転がり落ちるという提案を聞いて「わしに死ねと言うのか」と怒っているので、きっと何回も転べば寿命が縮まると思っていたのでしょう。そんな状態でとうげを転がり落ちていたら、ここの描写とは反対の、絶望に包まれたおじいさんがいたはずです。

     おじいさんがとうげを転がっていくときの描写ですが、大変面白い擬音語が使われています。「おむすびころりん」を思い出させるような描写です。

    (引用)
    ころりん、ころりん、すってんころり、ぺったんころりん、ひょいころ、ころりんと、転びました。しまいに、とうげからふもとまで、ころころころりんと、転がり落ちてしまいました。



     「ころりん」が基本になっていますが、「すってん」「ぺったん」「ひょいころ」「ころころ」など多彩な表現が用いられています。表現の豊かな文章として見本にしたいような見事な描写です。おじいさんが坂を楽しく転がり落ちていく様子がありありと浮かんできます。

     とうげを転がり落ちていく描写として、他にも思いつくものはないでしょうか。「ころりん」だけではなく「くるりん」を混ぜてみるとか、「とんころりん」「てんころりん」などバリエーションを増やしてみるだとか、この場面はいろいろな実験・遊びをすることができます。新しい表現を生み出さなくても、教科書の描写の順番を入れ替えてみるだけでも印象が変わります。

     表現の多彩さと可能性には驚かされますね。私の固い頭では常識的な表現しか浮かびませんでしたが、子どもだったら「どこからそんな表現が出てきたの!?」というような面白い表現を考え付くことも考えられます。授業でこの部分のアレンジを楽しんでみるというのは大変面白いと思います。

     さて、とうげを転がり終えたおじいさん。病気などどこ吹く風で、すっかり元気になりました。

    (引用)
    「もう、わしの病気はなおった。百年も、二百年も、長生きができるわい。」と、にこにこわらいました。



     「病は気から」という言葉が浮かびます。おじいさんの病気というのは、医学的な病気ではなく、気力を削がれた状態だったのでしょう。考え方を変えただけですっかり回復してしまったことからも、それはよく分かります。

     こうやって、物の考え方一つで生き方が大きく変わってしまうというのは面白いですね。おじいさんのように、完全にポジティブな方向に振りきれてしまった人は強いでしょう。この先も、きっと長生きすると思います。

     ところで、私もこのようなポジティブ思考で実践していることがあります。それは、「占いは、よかった日だけ信じる」です 笑。

     よかった日だけ信じるなんて、そんな都合のいいことを・・・と思われる方もいるかもしれませんが、私は占いは自分をポジティブにするために存在しているのだと思っています。ポジティブに考えていれば、このおじいさんのように、人生がよい方向に転がり出していく気がしてならないのです。



    教科書

     「3ねんとうげ」の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。




    教科書への旅 一覧ページ
     今までの一覧ページです。このコーナーは、季節ごとにアクセスの集まる記事が移っていくのがとても面白いのです。きっと、全国の学校で作品が読まれる周期と連動しているのだと思います。「三年とうげ」が読まれるのは二学期の後半あたりになるのでしょうか。

    「ちいちゃんのかげおくり」 あまんきみこさん
     こちらも小学三年生の作品です。戦争を扱った作品として、書店で最も売れていたそうです。


    教科書, 李錦玉,



    •   23, 2015 23:07