HOME > ARCHIVE - 2015年11月
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  •  お久しぶりです。現在パソコンを修理に出しているため、ブログをお休みしています。修理期間についてですが、私が思っていたよりも長く、最大で1か月ほどはかかるようです。1か月となるとかなり長いですし、ブログに広告が出てしまうほどの期間になるので、今回仮更新をすることにしました。

     名目上、「図書館だより 12月号」としていますが、スマホから更新しているため、いつものコーナーはすべてお休みです。また、写真や画像もありません。今日は今後のブログの方針についてお知らせして、仮更新とさせていただきます。


    <ブログの再開について>

    パソコンが手元に戻り次第、ブログを再開します。再開時期は不明ですが、修理が最大1か月ということで、再開はもっとも遅い場合で12月下旬ごろになるのではないかと思います。

    ただ、パソコンが戻ってきても2015年内の更新はほとんどないと思います。来年からブログの内容を大きく変えようと思っているからです。12月は、来年からの変更に向けた準備期間にするつもりです。消したいもの、付け足したいものがいろいろあるので、ブログの整備をしたいと思います。記事の更新はほとんどできないと思いますが、少しずつブログの細部がリニューアルされていくことになると思います。

    <来年1月以降のブログについて>
    【更新頻度】
    週2回(平日1回、休日1回)の更新にするつもりです。
    平日(水曜日の予定)…ブックレビュー
    休日(日曜日の予定)…コーナー

    コーナーは現在ある3つのコーナー(教科書への旅、イーハトーヴへの旅、家族点描)をローテーションしていきます。各コーナー、3週間に1回の更新ということになります。

    これまでの更新頻度は月15~20回ほどでした。上のやり方だと月8~10回ほどになり、ほぼ半減ということになります。

    更新を減らす理由は2つあります。1つは今後忙しくなることを見越してです。また期末試験の季節がやってきますし、4月からは学年が上がりさらに忙しくなりそうです。「ブログを継続すること」を第一に考え、早めに手を打っておくことにしました。もう1つは記事のクオリティーを向上させるためです。お休みの期間に過去記事を読み直していたのですが、紹介される本に申し訳ないというか、作者の方に申し訳ないというか・・・そんな記事がいくつもありました。個人ブログなのでそんなに気負うこともないとは思いますが、読んでいてあまりに情けなくなったので、紹介される本や作者の方のことも考えてもう少し中身のある記事を書こうと思います。そのためにはこれまでの2日に1回ほどの更新では無理があると判断し、更新を半分ほどに減らすことにしました。

     ということで、今後は平日1回、休日1回の更新でやっていこうと思います。ただ、たまには週2回の更新+αもできたらいいなと思っています。先日尾崎翠の『第七官界彷徨』という作品を紹介したことがありました。3週間かけて読んだ…と書いたあの作品です。あの作品のように、1つの作品に時間をかけて読み込んでいく…いわゆる「精読」をもっとしたいなと思っています。これまでの更新ペースだと、どうしても本に次々と消費されていく消費財のような感じを受けました。更新を減らすことで、本をじっくり読む時間も増やせたら、と思います。精読でじっくり読んだ本を、特集としてプラスαで記事にすることを考えています。

     さて。

     1つ、見ていただきたいあるアンケートの結果があります。私はこの結果を見て以降、ずっと頭から離れません。今後のブログのことを考えているとき、この結果にかなり影響を受けたように思います。

     私は「貧困」の問題があり、関連の本を何冊か紹介していました。このアンケートも、そんな貧困に関するアンケートです。朝日新聞では現在、「子どもの貧困」という特集が組まれています。特集の一環として、ウェブを通じてこのようなアンケートが実施されました。

    「希望するすべての子どもに与えられるべきだと思うものは?」

    この質問への回答は、以下のようになりました。11月8日の朝刊に掲載された、計1844回答を集計した結果です。上位5件の回答を紹介します(選択肢からの選択方式)。

    最低1日1回の魚や肉 87.5%
    ???
    最低2足の靴 78.2%
    中高生の部活動の部費や道具 75.4%
    中学生以上のおこづかい(月500円程度) 67.6%

     2位を「???」にしました。80.5%の人が、「子どもに与えられるべき」と回答し、2位になった項目はこちらです。

     「年齢に合った絵本や本」

     貧困に陥る子どもに必要なもの…多くの方がまず始めに思い浮かべられるのが、「食べ物」や「衣類」ではないでしょうか。それらが「生きていくために必要である」ということを認識しているからです。しかし、改めてアンケートの結果を見てみます。たしかに1位は魚や肉、つまり食べ物ですが、その次の2位に来たのは「本」だったのです。「え、本が2位?」と意外に思われた方もいるかもしれません。
     
    ですが、私は全く意外には思いませんでした。魚や肉が食べられない、着る服がない、それらと同じくらい「本が読めない」ことの貧しさは深刻である、と私は思います。「食べ物がなかったら生きていけないけれど、本がなくても生きていけるじゃないか」という声が聞こえてきそうです。私は、そういう意見は大きな間違いだと思います。「本がなかったら生きていけない」と断言してもかまいません。これは私が読書好きで読書に没頭しているから言っているのではありません。「本がなかったら生きていけない」という言葉の意味が、もっと深刻な意味で多くの人に分かってもらえることを願っています。食べ物がなくて栄養が取れないことと、本が読めなくて「栄養」が取れないことは、まったく同じレベルで深刻なことなのです。

    今回、アンケートで「本」が2位になったというのは、改めて本の大切さを確認させられる出来事でした。多くの人が本の大切さを分かっているから、この結果になりました。どこか嬉しく、どこか初心を思い出させるようで…。記事は切り抜いて、大切に持ち歩いています。

    アンケートの結果を見つめながら、今後のブログのことをじっくり考えることができました。これまで何度か書いていますが、私は読書が娯楽だとは思っていません。読書が趣味です、と言うことにも個人的には違和感があります。教養を得るだとか、人生を豊かにするだとか、そういった言い方でも何かが足りないように思えてしまいます。それは、読書が娯楽でも趣味でもなく、「生命維持活動」だと思っているからです。失笑を買いそうですが、真剣に言っています。

    1つ1つの記事をもっと充実させよう、と上に書いたのはそのような思いからでした。今後は記事と共に紹介する本の数も半減することになりますが、「私の人生に必要だ」と思える本を選んで紹介していこうと思います。そして、私の人生に必要な本は、他の誰かの人生に必要な本にもなるかもしれません。そう考えたら、やっぱりレビューはもう少し真剣に書かなくてはいけませんね。

    スマホで長文を打っていると気が狂いそうになりますね。時間も普段の2倍はかかっていそうです。長くなりましたが、このぐらいにしておこうと思います。ということで、真剣に「生命維持活動」としての読書を見つめてみよう、というのが再開後の目標です。パソコンの修理代がいくらになるか震えながら、更新再開まで気長に待とうと思います。

    追記  前回の記事に拍手コメントをしてくださった皆さん、どうもありがとうございます。返信はしていませんが、すべて読ませていただきました。
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    •   27, 2015 22:22
  •  パソコンが故障し、現在修理に出しているためブログの更新ができません。

     修理にかかる期間が分からないため、再開がいつになるか現時点では不明です。

     せっかくですから、読書や勉強に集中させていただこうと思います。今後のブログをどうしようかちょうど考えていたところでもあったので、そちらについてもじっくり時間をおいて考えようと思います。

     しばらくブログから離れると、考え方が変わるかもしれません。今後のブログのことについては、11月中に方針を決め、12月最初の記事に書かせていただこうと思います。


     

     




    •   19, 2015 18:02
  • 三島由紀夫―豊饒の海へ注ぐ (ミネルヴァ日本評伝選)
    島内 景二
    ミネルヴァ書房
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    動的な死へと結実する人生

     最近、三島由紀夫について勉強しています。専門書をあたっているところですが、いろいろと見ている時にちょっと趣向が異なる1冊を見つけました。専門書を1冊丸ごと読み込むということはなかなかしないのですが、この本は「読み物」としてもとても面白く、どっぷりと没入するうちに1冊読み切りました。

     著者は国文学者で、『源氏物語』を専門にしておられるそうです。この本は、「和歌」と『源氏物語』、そして古代神話の観点から書いたという(p338)、かなり独自色のある三島論になっています。




    死に結実する文学



     私は日本文学が好きですが、三島由紀夫はまだあまり作品を読めていません。「三島由紀夫」という存在に、正直おののいています。三島由紀夫と言えば、まず何よりも始めに言及されるのが、彼の衝撃的な死です。

    昭和45(1970)年11月25日、三島由紀夫は「楯の回」のメンバー4人(森田必勝、小賀正義、小川正洋、古賀浩靖)を引き連れ東京市ヶ谷の陸上自衛隊東部方面総監室を占拠し、総監を人質に取る。バルコニーから演説し、共に起つことを求めた。天皇陛下万歳を三唱したあと、総監室で切腹し、介錯されて死ぬ。 (7章より)



     いわゆる「三島事件」です。切腹、介錯・・・。錯乱してしまいそうですが、これはまだ今から45年前の出来事です。事件を知る日本人がまだ大勢いると思うと、感覚がおかしくなりそうです。当時ノーベル賞候補とも言われていた著名な作家が割腹自殺をした―日本中を震撼させる出来事だったと思います。

     正直、どうコメントしてよいか私には分かりません。彼は一体何を見ていたのでしょうか。どこまで先を見ていたら、そのような行動に走れるのでしょうか。その衝撃の死を知って彼の文学に踏み出していく人は、いまなお大勢います。それはつまり、彼の死の余波が、45年後の今も広がり続けているということに他なりません。

     三島由紀夫の死については、様々な解釈があるようです。この本では、「死への結実」という視点から書かれています。三島由紀夫は、世界から捨てられる前に、潔く世界を捨てた。「世界を能動的に放棄」した(p320)と・・・。

    爆発的なエネルギーが蓄積され、「生きたい」という意欲が沸騰した瞬間に、それが「書きたい」というエネルギーに転化し、ストーリーの第一歩が記される。それは死の始まりなのだった。生と死が重層化したストーリーの誕生する心のおののきこそ、三島文学の醍醐味である。



     「自決」という瞬間を自ら定め、そこに向かうために生きた―筆者はそのような視点から論じていきます。三島由紀夫の人生に、三島由紀夫の文学に、私はただおののくしかありませんでした。

    逆照射される人生



     三島由紀夫は自決の日に向かって生きていた―筆者の視点に立つと、三島由紀夫の人生の捉え方は変わります。全ては「死」という未来に結実する、つまり、彼の人生は「死」を起点にして「逆照射」されるのです。

     このような読み方が通用する作家は、三島由紀夫ぐらいでしょう。人生の全てが、作品の全てが自分の「死」に向けての設計図だったというのですから・・・(もちろん、いろいろな解釈があるうちの1つとして)。最後の長編である『豊饒の海』の読み方も、全く変わってきそうです。

     さて、三島由紀夫の作品には重要な概念が存在しています。「不如意」(=思い通りにならないこと)です。不如意は三島由紀夫の様々な作品においてみられる概念です。筆者はこう語ります。

    三島の小説は、不如意と不条理に直面した青年に、あえて「如意」の道を最後まで歩ませる。そして、金閣寺に放火させたり、殺人事件を犯させたり、同性愛に走らせたりした。人間の欲望をすべて解放させ、神から最も遠い生き方を選ばせた。(p102)



     言われてみれば、以前読んだ『午後の曳航』もまさにこのパターンでした。『午後の曳航』は少年たちのおぞましいまでの残酷性を描いた小説です。少年たちは堕落した英雄を「処刑」します。ラストの筆の止め方はそれはもう・・・今でも夢に出てきそうです。

     この小説も、「不如意」を乗り越えようと「如意」の道を歩む―そんな構図だったのです。一番最初に三島の壮絶な死について紹介しました。そちらのインパクトが強すぎてかすんでしまいそうですが、三島由紀夫は小説家としてまぎれもない天才です。「この小説は完璧だ・・・」、『午後の曳航』を読んだとき、私はそう思いました。そんな天才が選んだあの最期・・・あらためて、衝撃に身を震わせます。

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     文学と無力さについて書かれた箇所も大変印象に残りました。「文学の無力さ」、私もたまに考えることがあります。三島由紀夫は、そんな文学の無力さをどう捉えようとしたのでしょうか。

    行動が無力であるからには、文学はそれ以上に無力であり、何ら外界を変える力を持ち合わせない。だが、現実世界を変える力を持たないことは、決してつまらないことではない。「無力」を自覚すれば、現実世界とは別の芸術の世界の中で、どんな世界でも新たに構築することができる。(p220)



     文学が無力だということを、私は(感じてはいても)言葉にすることに戸惑いがありました。どうしても文学を否定してしまうように感じるからでしょう。しかし、ここでは文学が無力であることを言い切っています。そして、そこから文学が始まるのです。

     無力さの自覚、新たな世界の構築―それは、三島由紀夫だけではなく、文学の極致なのではないでしょうか。私が今までに衝撃を受けてきた文学作品の傑作たちを思い浮かべます。その多くに「無力さの自覚」があったのではないか、今そう気付かされています。

    永遠の言葉



     学術書にこういう評をするのは的外れかもしれませんが、なんてロマンと情熱にあふれるテキストだろうか、と思いました。和歌や『源氏物語』の専門である筆者。本歌取りや序詞など、和歌の用語をふんだんに用いながら独特の論を展開します。三島由紀夫の人生に全く違う色が付いたようでした。なるほど、本に没入して読み切ってしまったのも納得です。

     第六章は、最後に残された渾身の長編、『豊饒の海』について。源氏物語の専門家である筆者が、源氏物語と『豊饒の海』を照らし合わせていきます。章のタイトルは、「命を懸けたライフワーク―『源氏物語』を超えて」。日本文学の最高傑作と言われる源氏物語。それを超えようとした三島・・・この章は必見です。第三章もまた、大変読みごたえのある内容でした。

     最後にもう1つ、印象に残った箇所を引用します。

    言葉は、心の容器である。心は、一代限りである。寿命が尽きた人間が死去する際に、その心は完全に失われてしまう。だが言葉は、永遠である。


     
     私は正直、三島由紀夫が怖い。彼の最後の行動や、晩年の過激な右翼思想。死してなおも、余波を巻き起こし続けるあまりにも巨大な存在。「三島由紀夫」という人間に、私はおののきます。

     ですが、やはり読みたい。そう思う自分も同時にいました。彼が残した言葉は「心の容器」。言葉は、永遠に続きます。震える手を必死に押さえつけながら、また彼の作品を読もうと思います。

    レコメンド

    から逆照射される三島の人生―「不如意」を見つめて

     「文学は命がけである」、昔何かの本で読みました。その時は全く受け入れられなかったのですが、今は受け入れつつあります。文学の本質を徹底的に見つめていったら、最後は「命がけ」になるんじゃないか・・・と。文学とは、壮絶。



    オワリ

    「武士道」 新渡戸稲造

     三島由紀夫は最期に切腹し、介錯されました(一度で首が落とされないかなり壮絶な最期だったようです)。そこで関連図書はこの本です。新渡戸稲造の「武士道」では切腹の精神について詳しく書かれています(切腹の描写は凄惨で、読むのはかなり辛いかもしれません・・・)。

     切腹は日本固有の文化ですが、日本人としてどう思われるでしょうか。切腹の「美」や「けじめ」といったもの・・・私は正直、切腹は(いろいろな意味で)無理です。
    学術書,



    •   16, 2015 23:28
  • 盆土産1

    年の愛しき”えんびフライ”

     久しぶりに、中学校の教科書から紹介します。中学校2年の教科書に掲載されている、三浦哲郎さんの『盆土産』です。教科書作品の中でも、とても味わい深い作品の1つです。

     大人になっても忘れられない教科書作品。印象深いセリフや登場人物と共に、教科書作品の記憶は引き継がれます。この小説も、多くの方がよく覚えている、あるいは題を見て懐かしく感じられるのではないかと思います。この作品で思い出すのは、やはり「あの食べ物」ではないでしょうか。



    時代背景に迫る



     さて、あの食べ物というのは「えびフライ」です。普通は「エビフライ」とカタカナで表記するのかもしれませんが、ここでは作中の表記にならいます。えびフライはこの作品のみどころですし、読解上も外せないポイントになります。

     ある田舎で、少年が姉と祖母と共に暮らしていました。東京から電車で8時間、さらにバスで1時間かかるというかなりの田舎です。場所はどこなのでしょうか。ふと思い立って作者の出身地を調べてみると、青森県八戸市でした。かかる時間としては合致しそうです。『盆土産』は、作者の故郷である青森を舞台にしているのでしょうか。

     そして、気になるのは時代背景です。川で雑魚釣りをしたり、(おそらく)蒸気機関車が走っていたりと、かなり時代を感じさせます。この作品は、1980年に発表された『冬の雁』に収録されている作品ですが、もう少し時代を絞り込めないでしょうか。

     作中に出てくる「冷凍食品のエビフライ」はヒントになりそうです。冷凍エビフライが発売された年はいつか?意外と簡単に発見できました。

    1962(昭和37)年、冷凍水産品の製造と販売を行っていた加ト吉水産(現テーブルマーク)は、冷凍食品の「赤エビフライ」を発売。これをきっかけに、エビフライはお弁当のおかずとしても人気を博していく。



    出典: 「てんぷら×魚フライ」で誕生したエビフライ (食の研究所)

     エビフライは1962年に発売され、70年代にかけてかなりの人気を博したようです。この作品は1962年以降を舞台にしていると大体の推測ができますね。蒸気機関車が走っていることを考えると、60年代から70年代前半くらいにまでは絞り込めそうです。

    豊潤な「えびフライ」



     作品の周辺が整理できたところで、あらすじに入っていきます。都会からお盆に1日半だけ休暇をもらって、少年のお父さんが帰ってくることになりました。その時のお土産、つまり「盆土産」が「えびフライ」だったのです。お父さんは、えびフライの鮮度が落ちないようにドライアイスでえびフライを冷やし続けながら帰ってきます。一方の少年も、えびフライとという得体の知れない食べ物の到来を前にして、期待と不安に胸を膨らませます。

     (今ではえびフライに目を輝かせる人はほとんどいないと思いますが、少年にとっては未知の食べ物です。未知の食べ物を前に想像を膨らませている様子が何とも愛おしく思えます)

     何よりも少年がかわいいのは、「えびフライ」を発音できない(!)ということです。少年は「えびフライ」と言おうとして、どうしても「えんびフライ」になってしまうのです。給食にエビフライが出た時、教室中に「えんびフライ」と言う声がこだましたことはなつかしい思い出です。

    えびフライ。発音がむつかしい。舌がうまく回らない。都会の人には造作もないことかもしれないが、こちらにはとんとなじみのない言葉だから、うっかりすると舌をかみそうになる。フライのほうはともかくとして、えびが、存外むつかしい。



     東北が舞台だとしたら、かなり訛りが激しい地方です。えびフライの発音一つでも、こんなに苦労するのでしょうか。少年にとっていかにえびフライが未知の食べ物なのか、この場面で強調されていますね。

     さて、父親がえびフライを土産に帰郷してきました。少年たち家族は、夕食にえびフライをほおばります。おかずはえびフライとキャベツだけ。それほど、えびフライが贅沢なおかずなのですね。・・・そしてこの小説、えびフライの描写が絶品です。

    ※以下、ダイエット中の方、および夜中にお腹を空かせている方などは十分にご注意ください。

     都会からやってきた未知の食べ物、「えびフライ」。少年がほおばる瞬間です。

    揚げたてのえびフライは、口の中に入れると、しゃおっ、というような音を立てた。かむと、緻密な肉の中で前歯がかすかにきしむような、いい歯ごたえで、この辺りでくるみ味といっているえもいれないうまさが口の中に広がった。



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     えびフライをほおばると、「しゃおっ」という音がした・・・。涙が出そうです。

     この描写が、「世界で一番エビフライをおいしそうに描いた描写」であることは間違いがありません。ギネスの方にはすでに申請がされているのでしょうか。文字だけで、えびフライのおいしさをここまで表現しているのです。食べ物のおいしさを工夫して伝えなければいけない全国のグルメリポーターがこのテキストから学ぶことは多いでしょう。

    えびフライに投影される心情



     冗談はこの辺りにしておいて、読解の方にも触れておかなければいけません。しかし、読解の話をしようとしても、やはりポイントになるのは「えびフライ」です。この小説では、最初から最後まで、いくつかの場面に「えびフライ」が登場します。そして、えびフライに登場人物たちの心情が投影されているのです。

     言葉のない「モノ」に心情を投影させる、というのは小説における基本的かつとても効果的なテクニックです。この小説では、そのテクニックがとても効果的に使われており、大変分かりやすいです。教科書に採用されているのは、そういった技巧的な意味も込められているのでしょう。というわけで、この小説では、「『えびフライ』が登場する場面を書き出し、そこに込められた登場人物たちの心情を読み解いていく」という作業をすることになります。

    <「えびフライ」が登場する主要な場面>

    ・少年が、川に釣りに行く場面
    ・少年が隣の家の少年に土産のことを話す場面
    ・祖母が墓の前で手を合わせる場面
    ・少年と父親の別れの場面

     このように、いくつもの場面でえびフライが登場します。そして、その時の言い方が、「えびフライ」か「えんびフライ」か、ということもとても重要になるのではないでしょうか。「えびフライ」は都会の言い方、それに対して「えんびフライ」は訛りが入った言い方、つまり「少年が本能的に口にしてしまった言い方」です。そんなところにも注目すると、話が深まります。

     たとえば少年が隣の家の少年に土産の話をする時、言い方は「えびフライ」です。えびフライを知らない少年に、ちょっと自慢してやろうというか、背伸びをする気持ちがあったのかもしれません。だから、言い慣れない「えびフライ」という言い方をしています。

     それに対して、別れの場面で思わずつぶやいてしまう時の言い方は「えんびフライ」。これは、本心からぽろっと出てしまった証拠ですね。えびフライの言い方ひとつで少年の気持ちが読み手にも伝わってきて、大変効果的な書き方だと思います。

    盆土産3

     最後の別れの場面が本当に好きです。

    んだら、さいなら、と言うつもりで、うっかり、「えんびフライ」と言ってしまった。

    バスの乗り口の方へ歩きかけていた父親は、ちょっと驚いたように立ち止まって、苦笑いした。「わかってらあに、また買ってくるすけ……。」



     なんて素敵な場面でしょうか。ここが、「さよなら」とか「また帰ってくるわ」だったら平凡に終わってしまったでしょう。そういう別れの場面のテンプレートではなくて、えびフライで別れを描いている。それが何とも味わい深いのです。

     いろいろな解釈ができます。思わず「えんびフライ」と呟いてしまうくらい、少年にとってえびフライのインパクトは相当なものだったのだなあ、とか、さよならとつぶやくと悲しくなってしまうから、悲しくならないようにと思ったら「えんびフライ」という言葉が口をついてしまったのだなあ・・・とか、読者はそれぞれの想像を膨らませるでしょう。衣がたっぷりついえびフライのように豊かで厚みのある描写ですね。ここは「しゃおっ」と噛んで、じっくり味わいたいところです。

     「また買ってくるすけ……」と言ったお父さんの気持ちもまた想像してみたいものです。お父さんは寡黙ですが家族思いの人物だということが描写から伝わってきます。息子がいきなり「えんびフライ」とつぶやいたのでビックリしたでしょう。でも、お父さんはうれしかったのではないか、と私は想像します。思わずつぶやいてしまうくらい、息子がえびフライを気に入ってくれたのなら、土産を持ってきた身としてこんなにうれしいことはないと思います。

     「えびフライ」は「ひと夏の家族の思い出」と言い換えることもできます。だから、この場面もこんなに豊かになるのだと思います。「えびフライ」尽くしのこの小説は、えびフライの描写も、えびフライを通した心情描写も、どちらも「絶品」でした。



    教科書

     国語の教科書の作品を紹介しています。プリプリのえびのように読みごたえがあり、サクサクの衣のように豊かで厚みのある描写で書かれている作品ばかりです。どの作品も自信を持っておすすめします。



    教科書への旅 一覧ページ

     アクセスが大変好調のため、更新頻度を上げていくことにしました。全国の大人から子供まで、みんなが知っている。そして、懐かしく思ったり、新しく生まれ変わらせたりできる。教科書作品の持つ力は素晴らしいです。

    「海の命」 立松和平 (小学6年生)

     最近注目度上昇中の作品から。小学6年生の教科書に出てくる小説です。光村図書の「動物と命」シリーズ(私が勝手に命名しています)をしめくくる素晴らしい作品でもあります。


    三浦哲郎, 教科書,



    •   14, 2015 23:54
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