HOME > ARCHIVE - 2016年04月
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  •  今年に入って、三島由紀夫の本を紹介するのはこれが3冊目になります。同じ作家の作品はスパンを開けて読むことが多い私にとって、これはかなりのハイペースです。以前は敬遠していてほとんど作品を読んでいなかった三島由紀夫ですが、ここにきてすっかりはまっているようです。ガチガチの純文学ではなく、どちらかというとライトな作品を開拓できたことが私にとってはよかったようです。

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     さて、今回紹介する作品も、三島の本流である純文学ではない作品です。なんと、ジャンルは「SF」です。三島由紀夫が書いたSF・・・。全くイメージが浮かばず、読む前から心がときめきます。本を読み始めて、さっそく驚かされるのです。なんと、「空飛ぶ円盤」が上空からやってきたではありませんか・・・。



    突然の目覚め



     三島由紀夫がSFを書いている、という事実は、ツイッターのタイムラインに流れてきたツイートで知りました。「ん!?」思わず二度見です。検索して事実を確かめ、「これは読まなければ!」と近くの書店に走りました。こうやって文字に起こしてみると、かなり素早い行動です。私は、自分が思っている以上に三島由紀夫の作品に夢中になっているようです。

    三島由紀夫のSF小説『美しい星』、55年を経て映画化 リリー・フランキー&亀梨和也出演で現代設定に大胆脚色(オリコンスタイル)

     ↑こちらのニュースですね。三島由紀夫の『美しい星』を、現代風に大胆にアレンジするそうです。原作を読んだうえで言わせてもらいますが、映画のほうもきっと面白くなると思います。

     さて、あらすじの紹介に移りたいと思います。三島文学らしい硬派で難儀な雰囲気は、序盤の描写でいきなりの崩壊を見せます。

    「でも残念なことに」と重一郎は、朗々とした、しかしいつも直線的な口調で言った。

    「今朝は私もお母さんも、自分の故郷を見ることはできない。あの小さな一点の光りを見さえすれば、忘れていた記憶もいろいろと蘇って来る筈なんだが。むかし、たしかに私は故郷の火星から、こうして地球を見ていたことがあるんだ



     どこにでもいるような普通の人間の一家が、冒頭、山の上に車を走らせました。その後、突然の告白が始まります。なんと彼らは「宇宙人」でした。正確に言えば、「空飛ぶ円盤を見て、自分たちが宇宙人であることに目覚めた人々」です。

     突然の「宇宙人一家」の登場。これだけでもかなり鮮烈な幕開けですが、この作品の設定はそこからさらに斜め上へと進みます。なんと、宇宙人の一家は、それぞれ出身が別の惑星なのです。父の大杉重一郎は火星人、母の伊余子は木星人、息子の一雄は水星、そして娘の暁子は金星が自分の故郷であると、それぞれが思い込んでいます。

    わかりやすい説明は、宇宙人の霊魂がおのおのに突然宿り、その肉体と精神を完全に支配したと考えることである。それと一緒に、家族の過去や子どもたちの誕生の有様はなおはっきり記憶に残っているが、地上の記憶はこの瞬間から、贋物の歴史になったのだ。



     それぞれが別の惑星からやってきた家族という設定に、馬鹿げた設定だと思った方もいるかもしれません。しかし、馬鹿げた作品を書いている、という意識は三島にはまったくないようです。実際、全く馬鹿げた作品ではありませんでした。例えるなら、純文学とSFを融合したような、他では読めない本格的な作品です。

    SF的美的感覚



    2016-04-07-21-35-23.jpg

     奇想天外な設定にもかかわらず、読みごたえがあり、随所で唸らせてくる『美しい星』。その魅力は大きく分けて2つあると思います。まず、円盤が空を飛んでやってくる場面で「美」が徹底して追及されていること、そして、終末観と人間への憂いを実に巧みに作品に取り込んでいることです。

     三島由紀夫の作品に共通しているテーマに、「美」があります。三島は、ある種異常とも思えるくらいに、「美」を徹底的に見つめ、そして追求していきます。その姿勢はこの作品でも変わりませんでした。SF作品でどこに美を追求していくのか、というと、それは円盤が空を飛んでくる場面でした。

     円盤がやってくる場面の描写を見てみます。

    それは薄緑の楕円に見え、微動だにしなかったが、見ているうちに片端からだんだん橙いろに変った。それがものの四五秒のうちだったと思われる。急に円盤は激しく震えおののき、まったく橙いろに変り切ったと思うと、非情な速度で、東南の空へ、ほぼ四十五度の角度で一直線に飛び去った。



     円盤を目撃した登場人物は、自分が宇宙人である!という自覚に突然目覚めます。一見すると笑いだしそうな設定ですが、作品を読んでいると、食い入るように文字を追っていました。それくらい、円盤がやってくる場面が迫真で、鬼気迫るものさえあるのです。

     三島由紀夫は、空飛ぶ円盤がやってくるという奇想天外な場面を、どうしてこんな「リアルに」書けたのだろう。その疑問は、巻末に合った解説が解き明かしてくれました。解説の牧野伊三夫さんによると、三島由紀夫はSFや円盤にかなり興味があり、一時期没頭していた時期もあるそうです。

    この作品を書く一年ぐらい前から、作者は北村小松氏などに影響されたのか、空飛ぶ円盤について、異常なほどの興味を示し、円盤観測の会合にも参加したりしていた。今考えると、それは『美しい星』を書くための準備であったのだろう。



     没頭するほど円盤に熱中していたとすれば、実体験に裏打ちされたような迫真の描写にも頷けます。

     


     私はツイッターでこんなことをつぶやきました。「美」を追求していく三島の姿勢には、改めて圧倒されます。上にもありますが、何かに憑かれたような異常性すら感じるのです。三島が美を追求していくさまは狂気と隣り合わせにあるような危うさを覚えます。しかし、そんな危うい領域に踏み込まなければ、本当の美を表現することはできない、という一面もまたあるのではないでしょうか。

     上のツイッターにはリプライをいただきました(ツイートからご覧ください)。三島の最期、つまりあの切腹もまた「美」の1つであった、というご指摘です。私もそう思います。自分の死までも芸術の一部にしようとした。彼の危うい「美的感覚」が結実したような最期だと思います。

     そんな狂気さえ感じさせる三島が円盤の襲来を描くことでさらに見つめようとしていたもの。それがこの作品の魅力の2つ目になります。この作品はやはり「SF的純文学」であったと強く思わせます。

    愚かな住人



     魅力の2つ目に、「終末観と人間への憂いを実に巧みに作品に取り込んでいること」を挙げました。この作品のタイトルは「美しい星」で、これは地球のことを指しています。そして、作品を読むと解るのですが、「美しい星」地球と対置される形で、「愚かな人間」というものが問われているのです。

    「どうしてこんな醜さをこのままにしておくんだ。醜い恐竜や翼肢竜は一匹残らずほろんだのに、人類はまだその醜さを臆面もなくさらけ出して栄えている。地上の人間がみんな滅んで、地表がすっかり花に覆われたら、地球はまるで薬玉のようになるだろうに!」



     「美しい星」と「愚かな人間」が分かりやすく対照的に描かれている箇所です。激烈に人間の愚かさを断罪する三島。しかし、彼はただ感情を爆発させていたわけではありません。法廷に立ち証拠を淡々と突き付けて行く検事のように、彼の言葉を借りれば「人間悪」を断罪していきます。

     人間がいかに愚かか、弾丸のように論を重ねていく箇所がありました。この場面はSF小説という枠からは完全に逸脱していたように思います。書いているうちに、彼の感情の高ぶりも最高潮に達したのでしょう。文章が轟轟と燃えていました。

     そして、私が最も唸らされたのが、「水素爆弾」に関する描写です。三島は人間が核兵器を製造することを嘆き、その愚かさを断じます。その過程で三島は水素爆弾を指して「ある呼び方」をしたのです。私は思わずのけぞりました。記事を読んでいただいている方には、ぜひ想像していただきたいと思います。

    a0006_000388.jpg

     三島はこんな風に書いています。

    一方、水素爆弾が、最後の人間として登場したわけです。それはまるで、現代の人間が、自分たちには真似もできないが、現代の人間世界にふさわしい人間は、こうあらねばならぬという絶望的な夢を、全部具備しているからです。



     痺れました。人間が製造した水素爆弾というのは、「最後の人間」である、と。そして、その水素爆弾は人間の「絶望的な夢」を具備している、と。恐ろしいくらい、研ぎ澄まされた思考だと思います。この表現で、三島が「人類」という存在を一太刀で仕留めたような、そんな印象を受けました。

     人類は、戦争に備えるために核兵器を製造しました。何発か放てば地球が滅びてしまうような核兵器を製造して「防衛」しようとしている。よく指摘されることではありますが、どうしてこうなってしまったのだろう、と思わされる話です。核兵器を製造して互いにファイティングポーズを取り合う世界を、三島は断じました。彼の言う通り、水素爆弾は私たち人間の絶望的な夢が詰まった、最後に行きつく姿なのかもしれません。

     レビューの後半を読んでいただければ分かりますが、SF小説と言いつつ、後半はかなり強く彼の思想が反映され、思想小説の側面も強めていきます。宇宙人という地球人を「見下ろす」視点を手に入れた三島が、円盤という美を追求しながら、人類への批判を激烈に展開していくさまは圧巻です。

     世界に終末の匂いが漂うたび、この小説が何度も手に取られるそうです(前述の記事より)。円盤が襲来し、一家全員が違う星からやってきた宇宙人。そんな奇想天外な設定ですが、決して馬鹿げた作品ではありません。もしかしたら、世界の終末はこの作品の中に描かれているのかもしれない―。そんなことすら思わせます。



    オワリ

    『命売ります』 三島由紀夫

     同じく三島由紀夫のライトな作品から。命を売るという男の逃避行・・・文句なしに面白いです!このシニカルさはくせになります。

    映画「美しい星」 公式サイト

     映画は2017年5月公開ということです。早くから公式サイトが立ち上がって、宣伝に力が入っていますね。すでに原作本のこの本は増刷されたようです。


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    三島由紀夫,



    •   13, 2016 19:09
  •  私が勉強している統計学に関する本を紹介しようと思います。難しい数字や公式がメインとなる本ではありません。そういった数字や公式も出てきますが、主なテーマとなっているのはタイトルにもなっている「統計思考力」です。

    不透明な時代を見抜く「統計思考力」 (日経ビジネス人文庫)
    神永 正博
    日本経済新聞出版社
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     「統計思考力」というのは、データをどう見るか、データから何を見出すかなどの「データを利用する力」と言い換えられると思います。計算や公式と同じくらい、あるいはそれ以上にこの「統計思考力」は大切です。この力がないと、都合よく切り取られたデータに騙されたり、せっかくのデータから正しい情報を読み解けなかったりします。

     この本は、初級編、中級編、上級編に分かれており、ステップアップする形で統計思考力を学ぶことが出来ます。統計学を全く知らない人でも十分ためになる内容だと思いますが、対象としては、ちょうど私のように統計学を学び始めて少しは知識のある人に効果的な一冊だと思います。



    内容紹介



    ブックレビューリトル

    そのデータ、正しく読み解けていますか?
    どこを見る?何を集める?どう読み解く?筆者がイチから教えます


     統計は「自分でモノを考える際に強力な武器になる」と筆者は述べます。そんな強力な武器になる統計を「使いこなす」ために。データを集める力、分析する力、利用する力・・・そんな「統計思考力」を教えます。

     中級編以降は、統計学の本格的な内容も登場します。そして上級編では、目から鱗の「データを利用する力」を教えます。難しい内容も噛み砕いて説明されるので、初学者にも優しい内容となっています。

     巻末に掲載されている、筆者が利用しているデータのリストは必見です!データを使いこなして強力な「武器」にしたい方は、ぜひ手に取ってみてください。

    ブックレビューwith「ブクログ」



     ブックレビューコミュニティ「ブクログ」に投稿した私の感想です。クリック先にあるブクログのページでは、他の方が書かれた感想も読むことができます。

     統計学を学び始めて1年が経ちました。その段階で読んだのですが、これまで学んできたことの復習にあたる部分が6割、これまでには学んでいない、「そうなのか!」というような目から鱗の内容が4割、という感触でした。統計学をこれから学ぶという人には導入として使える1冊だと思いますし(本当の初学者には若干内容が難しいかもしれません)、私のように統計学をほんの少しだけ理解しているという人にとっても多くのことが学べる1冊だと思います。

     この本で新しく学んだこととしては、正規分布とべき分布の違い(fat tailの問題)、正規分布と「独立」の関係、ワイブル分布、ポアソン分布(重ね合わせによるランダム化)などがありました。中でも、最後の「上級編」で説明される「データを見る力」についての記述は本当に勉強になりました。例の一つに挙げられていた失業率の話を紹介しますが、単に失業率の数字を見るだけでは正しい判断が出来ず、生産年齢人口の推移も考慮する必要がある、という説明は大変分かりやすく、タイトルにもなっている「統計的思考力」を身に付ける上で大変有益な論が展開されていると思います。

     最後に筆者が述べているのが、「データからすべてが分かるわけではない」ということ、そして「自分は分かっている、という『過信』の危険」です。これは本当にその通りだと思います。データと自力を過信せず、謙虚な姿勢を保っている。これはこの分野の専門家に何よりも必要とされる姿勢ではないかと思います。


    ブログ+コンテンツ



     ブクログのレビューに加えて、ブログだけのオリジナルコンテンツを掲載しています。

     今回は「AUTHOR IS HERE」のコーナーです。本の中にある記述から、著者の思想や信条、人柄に迫ってみようというコーナーです。今回のテーマは、「過信の危険性」です。

    autour is here

     筆者の神永さんは、こんなことを述べておられます。上の感想にも書いたのですが、もう少し詳しく見てみることにしましょう。

    今になって、あらためてデータをにらんできて、いかに自分が社会について知らないかを痛感します。同時に、知らないということが、いかに危険なことかを思うと、ぞっとすることもしばしばです。



     この記述は、本のおわりに出てきました。私はこの部分を読んで、この本、そしてこの著者への信頼がぐっと高まりました。筆者は統計の専門家です。専門家というのは、何か(その分野について)何でも知っている人、というイメージがあります。しかし、本当の専門家というのはその逆だと思うのです。つまり、自分が「知らない」ことをどれだけ自覚できているか。無知を自覚している人、自覚し続けられる人というのが「専門家」なのではないかと私は考えています。

     神永さんは、このように続けます。

    おそらく、自力で考えることの最大の敵は、自分にはわかっているという過信です。いちばんむずかしいのは、正気を保つことなのです。正気を保つために、データ分析ほど強力な薬はないでしょう。



     統計学を学び始めた時、私はデータをちょっとばかし利用できるようになってかなり調子に乗りました。「データからこんなことが分かるんです!」ということをとにかく言いたかったのです。

     専門家の神永さんはその対極をいきます。統計を扱う人は、この考え方を肝に銘じておかなければいけないと思います。データは万能ではないし、データを扱う人間も完璧ではないのです。「正気を保つために」、データを分析するという考えを私も持ちたいと思います。

     今日は、統計の専門家がどんなことを考えてデータに向き合っているのか、という点に迫ってみました。知れば知るほど、自分の無知を自覚し、謙虚になる。学ぶことの本質を見た気がします。



    オワリ

    『面白くて眠れなくなる社会学』 橋爪大三郎さん

     このブログでは社会学の初心者向けの本をよく紹介しています。社会学や社会統計学に興味のある方は、こういった易しい一冊から始めてみるのがよいかと思います。


    一般書, 社会,



    •   10, 2016 18:39
  •  西加奈子さんの短編、『炎上する君』を紹介します。西加奈子さんと言えば、このブログの一番最初に紹介した本が西さんの『ふくわらい』でした。とてもパワフルで、エネルギッシュな文章を書かれる作家さんです。短編集を読むのは初めてでしたが、短編になっても話が小さくまとまらないところはさすがだと思いました。

    炎上する君 (角川文庫)
    西 加奈子
    角川書店(角川グループパブリッシング) (2012-11-22)
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     短編になって小さくまとまるどころか、短編という小さな世界で西さんのダイナミックさがより生かされているように感じました。表題作がまさにそうですが、タイトルからしてすさまじいインパクトとよい意味での「破壊力」がありますね。目次にいきなり胸を躍らせ、期待を膨らませながらページを開きました。



    内容紹介



    ブックレビューリトル

    は太陽の上で炎上し、私のお尻は愛される・・・!?
    血沸き肉躍る、西加奈子さんが放つパワフルな短編集―

    愛すること、悲しむこと、生きること。そんなテーマが、包み込むように大きく、そして優しく描かれる短編集。

    西加奈子さんの持ち味である力強さや大胆さはもちろんですが、この短編集では「繊細さ」もまた堪能することができます。

    火山から湧き出るマグマのような文章が心を襲います。エネルギーに飢えている人におすすめです。

    ブックレビュー with「ブクログ」



     ブックレビューコミュニティ「ブクログ」に投稿した私の感想です。クリック先にあるブクログのページでは、他の方が書かれた感想も読むことができます。

    著者 : 西加奈子
    角川書店(角川グループパブリッシング)
    発売日 : 2010-04-29
     ダイナミックでパワフル。野性的、動物的で血がたぎるよう。やはり西加奈子さんの作品は大好きです。

     表題作の「炎上する君」がまさにそうですが、タイトルからしてとてもパワフルですね。「太陽の上」「空を待つ」「私のお尻」…目次がもうすでに躍動していて、読み始める前から高揚感を覚えました。そして、各短編はそれぞれがタイトルに負けない「濃い」一編となっています。

     ぶつ切りや印象的な読点の打ち方、効果的な繰り返しなど、かなり癖のある文章が何だか癖になります。とにかく力強い。それでいて、今作は西さんの繊細さも感じさせる短編も詰め込まれていました。西さんのような作風の方が作中でふっと繊細な一面を見せると、いつも以上にその繊細さが心に染みわたってくるような気がしました。

     最後の短編、「ある風船の落下」に代表されますが、裸で叫ぶようなダイナミックな愛の表現がどうしようもなく好きです。人間の根源の部分に帰っていくようで、読みながらこちらまでムズムズしてしまうのです。劇的な幕切れを読み終え、大きな声で叫び出したくなりました。


    ブログ+コンテンツ



     このブログ、「最果ての図書館」では、「ブクログ」の感想に加えて、ブログだけのオリジナルコンテンツを追加で掲載します。作中からの引用コーナー、キーワードの紹介コーナーなど、毎回さまざまなコンテンツをお届けします。今回は作中から印象的な言葉を引用する「コトノオト」のコーナーです。

    コトノオト

    何ものにも感動できない、いわば生きることへの不感症なのではないか、とおのれを呪った。もっと、血が滾るようなこと、これがあれば死んでもいい、と思うようなこと、それを探していた。銭湯以外に。



     表題作、「炎上する君」からのフレーズです。西加奈子さんの作品はダイナミックだと書いてきましたが、そのダイナミックさを象徴しているような一節だと思い、引用させていただきました。

     「血が滾るようなこと」「これがあれば死んでもいい、と思うようなこと」・・・これらはたぶん、西さんが自分の作品においてテーマにされていることの1つなのではないか、と私は想像しました。登場人物を眺めていると、貪欲に、自分の欲求に正直に、そして大胆に前進している人物がとても多いのです。そして皆、これがあれば死んでもいい、と思うような強い「芯」を持っている。それが読者を惹きつけるのではないかと思います。

     作品のテーマの1つに「愛」がありますが、西加奈子さんの描く「愛」は本当に読んでいて気持ちがよいのです。それも、愛という欲望を正面から見つめ、登場人物に叫ばせているからだと思います。

     野生に帰るような、あるいは何か大切なことを思い出させてくれるような・・・。西加奈子さんの『炎上する君』、ぜひ手に取ってみてください!



    オワリ

    『ふくわらい』西加奈子さん


     このブログの最初に紹介した記念すべき1冊です。最後の場面は既成概念をすべて打ち砕くようで本当にダイナミック。西加奈子、ここに極まれり、という感じでした。

    『円卓』 西加奈子さん

     事あるごとに「うるさいぼけ」とガンを飛ばす主人公。次々と奇行に走る姿についていくのが大変ですが、この主人公もまた、欲望に正直な魅力的な人物です。

    小説, 西加奈子,



    •   06, 2016 00:47
  • スクリーンショット (24)

     前回に引き続き、「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」の1周年記念スペシャルです。「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」と題して、宮沢賢治の作品に登場する数々の創作オノマトペを紹介し、その秘密に迫っています。

     前回は「実験編」と題し、宮沢賢治の創作オノマトペに見られる様々な法則を紹介しました。宮沢賢治が慣習的なオノマトペに少し手を加えて独自のオノマトペを生み出していく様はまるで面白い実験でも見ているかのようで、「実験編」というタイトルを付けるに至りました。さて、今回は「鑑賞編」をお届けします。宮沢賢治が独自のオノマトペを生み出していったメカニズムを理解したところで、今回はそこから生まれる文学的な味わいをじっくりと鑑賞してみようと思います。



    イントロダクション



    賢治オノマトペの謎を解く
    田守 育啓
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     前編では、田守育啓さんが書かれたこの本を参考にさせていただきました。田守さんの専門は言語学であり、文学ではありません。というわけで、この本も文学的視点からではなく、言語学的視点、特に音象徴学的視点から書かれています(p246)。私はいつも文学の視点からのみで賢治の作品を読んでいるので、この「文学から切り離したアプローチ」というのはとても新鮮でした。賢治作品の魅力がこれまでよりもさらに増したように思うのです。

     今回の鑑賞編では、田守さんの言語学的なアプローチを生かしつつ、私が普段このコーナーでやっている文学的なアプローチと絡めていく形でオノマトペを鑑賞してみたいと思います。鑑賞の対象として、これまでこのコーナーで紹介してきた作品の中から3つの作品を選びました。紹介する作品は、『なめとこ山の熊』『どんぐりと山猫』、それに『やまなし』の3作品です。

    『なめとこ山の熊』×オノマトペ



    なめとこ山の熊 (日本の童話名作選)
    宮沢 賢治
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    #17 『なめとこ山の熊』

     『なめとこ山の熊』はこのコーナーの前回に紹介した作品です。「人間と動物が心を通い合わせる」という賢治の願いが追及された作品だと思います。最後に人間の小十郎は死んでしまうのです。悲しさと、やるせなさと、しかしどこか満たされたような、そんな感情が込み上げてくる結末は賢治の作品の中でも指折りの完成度だと思います。

     この作品にはたくさんのオノマトペが出てくるのですが、作品を覆う雰囲気である、悲しさややるせなさをまとったオノマトペが多いように感じます。人間も動物も植物もその価値は平等である、それが宮沢賢治の信念でした。しかし、現実の世界ではそうはいきません。食うもの、食われるもの―自然界にはピラミッドがありました。そして、人間同士でもピラミッドは存在しています。まるで作品全体が、そのことを嘆いているようです。この作品から1つオノマトペを紹介することにしましょう。

    onomatopoeia lab

    小十郎がまっ赤な熊の胆をせなかの木のひつに入れて血で毛がぼとぼと房になった毛皮を谷であらってくるくるまるめせなかにしょって自分もぐんなりした風で谷を下って行くことだけはたしかなのだ。



     「ぐんなり」した風、という表現が使われています。「ぐんなり」は力が抜けたり衰えたりするさまを表す語句ですね。「ぐんなり」は慣習的なオノマトペにも存在しますし、ぐんなりした風、という表現がとりわけ奇特なものである、というわけでもありません。しかし、この表現を作品全体を踏まえて見つめてみると、これがただ力の弱い風ではないことが分かります。

     風も共に悲しんでいる

     私が感じた印象を一言で言い表すとそうなります。先程、この作品は作品全体が悲しみややるせなさをまとっている、と書きましたが、そう感じさせるのは、風や山、川など、この作品に出てくる自然の事物が、印象的なオノマトペを伴って、まるで感情を持っているかのように描かれているからです。

     人間が生きるために熊を殺さなければいけないこと。人間である小十郎も、熊も、そして自然も、そんなことは望んでいないのです。それなのに、小十郎は熊を殺さなくてはいけない。「熊が憎いわけではないんだ」、小十郎の言葉に自然が呼応しているようです。この「自然も一緒に悲しんでいる」ということを、作品を読んでぜひ感じていただきたいと思います。

    『どんぐりと山猫』×オノマトペ



     悲しみのオノマトペから、打って変わって面白いオノマトペを紹介することにします。このコーナーでは第6回で紹介した『どんぐりと山猫』です。

    どんぐりと山猫 (日本の童話名作選)
    宮沢 賢治
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    #6 『どんぐりと山猫』

     深い悲しみをまとった作品だけではなく、賢治はユーモラスで茶目っ気たっぷりな児童文学作品もたくさん世に残しています。『どんぐりと山猫』はその一つです。こういった楽しい作品では、まるでスキップでもするような、軽快でリズミカルなオノマトペがたくさん見られるように思います。

    onomatopoeia lab

    まはりの山は、みんなたったいまできたばかりのやうにうるうるもりあがつて、まつ青なそらのしたにならんでいました。



    一本のぶなの木のしたに、たくさんの白いきのこが、どつてこどつてこどつてこと、変な楽隊をやつてゐました。



     「うるうる」というと、目から涙がこぼれる様子や、しっとりしたものを表す時に用いる言葉です。山が「うるうる」盛り上がる、という文脈に当てはめられて、このオノマトペがもっているみずみずしさが見事に生かされています。たった今できたばかりのような、という表現がさらにいいですね。自然の生命力を感じることが出来ます。

     この記事を書いている今、ちょうど町は春でいっぱいです。賢治のこの表現を知っているからでしょうか、町のいたるところに「うるうる」があるように思えます。こういったところからも、改めて賢治の「自然をつかまえる力」を感じるのです。

     2つ目に紹介するのは「どってこどってこどってこ」です。とても楽しくて踊るような表現ですね。この例のように、賢治の作品には「3回の繰り返し」がよく登場します。凡人の私だったら、「どってこどってこ」と2回の繰り返しにしているような気がします。日本語のオノマトペでは同じ音を2回繰り返すものが多いですし、おそらくそのほうが形としてはしっくりくるのでしょう。しかし、賢治は独特の「3段オノマトペ」を用いるのです。

     この効果は、声に出してみると分かりやすいと思います。私などは、黙読をしていても、3段オノマトペに出会うと思わず声を出してしまうのです。それくらい、作品に勢いをつける表現ということでしょう。3回の繰り返しのうちの3回目は、念を押すように、力強く読みたくはならないでしょうか?賢治が意識してやっていたかどうかは分かりませんが、こういうところでもそのセンスが光っています。

    『やまなし』×オノマトペ



     最後は国語の教科書にも掲載されている『やまなし』です。悲しみ、面白味、との流れにのれば、この作品に出てくるのは「不思議なオノマトペ」とでも言えるでしょうか。

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    #1 『やまなし』

     前回紹介した「かぷかぷわらう」もそうですが、凡人の私たちには決して思いつけないような、奇想天外な創作オノマトペがたくさん登場します。あまりにイレギュラーなそれらに、最初は目を丸くしてしまうかもしれません。ですが、それらは決して遊びで適当に作られたわけではなく、その場その場にフィットした、絶妙な表現になっているのです。2つ紹介したいと思います。

    onomatopoeia lab

    三疋(ひき)はぼかぼか流れて行くやまなしのあとを追いました。



    やまなしは横になって木の枝にひっかかってとまり、その上には月光の虹がもかもか集まりました。



     小学校のテストで太字の部分が空欄になっていたとします。「ぼかぼか」や「もかもか」を記入しても、おそらく×になってしまうでしょう。そういう意味で小学生に「こんな表現もあるんだよ」とは教えにくいのですが、こういった変則的なオノマトペにこそ賢治の特筆すべき感性を見出すことが出来ます。

     上の文なら、普通は「ぷかぷか」流れて行く、となるでしょう。それなら○がもらえそうです。それを「ぼかぼか」と表現した賢治。やまなしの重量感、そして、そんなやまなしが鈍い動きで浮き沈みしながら流れて行く様子が見事に表現されています。テストの正解は別にして、文学としてどちらが優れた表現か、と問われれば私は迷わず「ぼかぼか」です。こんな風に、賢治の創作オノマトペは時に慣習的に存在するオノマトペを超えた見事な表現を見せます。

     虹が「もかもか」集まる、というのも何とも不思議な表現です。「もやもや」が変形したのでしょうか。様子を思い浮かべると、「ぼやぼや」あたりも近いかもしれません。賢治が選んだ表現はそのどちらでもない、「もかもか」でした。ここから先は想像力の領域です。それぞれの人が目の奥に異なる景色を浮かべることでしょう。私は、賢治の想像の世界に存在していた「もかもか」を思い浮かべるだけでわくわくします。

     「宮沢賢治のオノマトペ・ラボ」、いかがでしたでしょうか。オノマトペ、という新たな視点から賢治の作品を再構築できて、私自身とても楽しく、そしてたくさんの発見ができたシリーズでした。次回以降は通常のレビューに移ろうと思います。今回のシリーズで得た「オノマトペ」という視点も生かしながら、今度はどんな作品を紹介しようか、今から考えています。



    イーハトーヴ

    宮沢賢治のオノマトペ・ラボ (実験編)

     前回の記事もぜひ合わせてご覧ください。


    宮沢賢治,



    •   02, 2016 23:57
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