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  • つまでも、そばに

     国語の教科書からなつかしい名作を紹介しているコーナーです。今回が第22回目になります。たくさんの作品を紹介してきましたが、名作はまだまだ尽きることがありません。今日は、教科書作品の中でも特に有名だと思われるこの作品を紹介します。

     「スーホの白い馬」(小学2年生)です。とても有名な作品で、教科書作品の中でも特に悲しい作品の1つとして語られています。今日は、この名作を、なつかしい教科書の絵と共にご紹介したいと思います。



    あらすじ



     昔、モンゴルの草原に、スーホというひつじかいの少年がいました。スーホは、年とったおばあさんとふたりきりで暮らしていました。

     ある日のことです。夜になってもスーホが帰ってきません。おばあさんや他のひつじかいが心配になってきたころ、スーホは何か白いものを抱えて帰ってきたのです。



     それは、小さな白い馬でした。スーホは、白馬が地面にたおれてもがいていたところを見つけ、連れ帰ってきたのでした。

     スーホが心を込めて世話したおかげで、白馬はすくすく育ちました。すっかり立派になった白馬は、自らが盾になって、狼から羊を守り抜いたこともありました。スーホと白馬は、その絆を深めていきます。

     ある日、あたりを治めている殿様が、競馬の大会を開くという話が伝わってきました。競馬の勝者は、殿様の娘と結婚させるというのです。スーホは、自慢の白馬を連れて大会に出ることにしました。そして、スーホと白馬は他の馬をぶっちぎって見事に優勝します。



     しかし、殿様はスーホの貧しい身なりを見て、娘のむこにする約束をなかったことにします。そして、家来にスーホを打ちのめさせて、白馬を取り上げてしまうのです。スーホと白馬の仲は、引き裂かれてしまいました。

     しかし、白馬はスーホの元に戻ろうとしました。上に乗った殿様をはねとばし、一心不乱にスーホのもとに向かいます。背中にはたくさんの矢を浴び、ぼろぼろになりながら、それでもスーホのもとに帰ったのでした。

     スーホと白馬は再会を果たします。しかし、白馬の命はまさに尽きようとしていました。「白馬、ぼくの白馬、しなないでおくれ」、スーホの必死の祈りも空しく、白馬は息を引き取ります。

     悲しさと悔しさでいっぱいの中で眠ったスーホの夢の中に、亡くなった白馬が出てきます。そして、自分の骨や皮を使って楽器を作るようにスーホに言いました。そうすれば、ずっとスーホのそばにいられる、と…。

     スーホは楽器を作りました。その楽器は、美しい音色を響かし、人々の心を動かしました。スーホの作った楽器は「馬頭琴」と呼ばれるようになり、モンゴルの草原じゅうに広まっていったのでした-。

    再読!「スーホの白い馬」



     教科書の作品に、このブログで独自の解釈を加えてみたいと思います。

     小学校の時に読んで以来、久しぶりに教科書を開きました。改めて読んでみると、「殿様(権力者)の理不尽、不条理」が際立ちます。スーホの貧しい身なりを見るなり彼を切り捨て、彼と白馬の仲を切り裂いた殿様。理不尽で残酷な仕打ちに、怒りのやり場もありません。

     しかし、その理不尽な仕打ちが、スーホと白馬の絆をいっそう引き立てていることも事実です。これまでの作品紹介でも触れたのですが、国語の教科書の作品では「動物と人間の心の通い合わせ」をテーマにした作品がとても多いです(「ごんぎつね」「大造じいさんとガン」「海の命」・・・)。この作品の読みでも、スーホと白馬の心の通い合わせに注目して読んでみたいと思います。

     今回の読みで注目するポイントは3つです。

    ①スーホと白馬が心を通い合わせてゆく過程 →スーホの人柄

    ②殿様の理不尽な仕打ち → 階級や身分という乗り越えられない壁

    ③白馬をめぐる、2つの異なる「価値観」



    ①スーホと白馬が心を通い合わせてゆく過程

     話の序盤で、私がとても印象に残っている場面があります。スーホが手負いの白馬を連れ帰ってきた場面です。

    みんながそばにかけよってみると、それは、生まれたばかりの、小さな白い馬でした。

    スーホは、にこにこしながら、みんなにわけを話しました。



     「にこにこしながら」のところで、少しはっとさせられないでしょうか?この場面は、スーホが弱っている白馬を抱えて戻ってきた場面です。私だったら、スーホが心配そうに白馬のことをのぞきこんでいるところを想像して、「深刻そうに」などと書くと思います。そうではなく、スーホは「にこにこしながら」帰ってきました。

     ここから感じるのは、スーホの「純粋な愛」です。白馬を連れ帰ってくるというのは、彼の穢れのない、真に純粋な気持ちから起こった行動であるということが分かります。

    「あたりを見ても、もちぬしらしい人もいないし、おかあさん馬も見えない。ほうっておいたら、夜になって、おおかみに食われてしまうかもしれない。それで、つれてきたんだよ」



     スーホはさらっと言ってみせますが、ここからは「豊かな想像力」が読み取れます。そしてスーホは、白馬を心を込めて世話したのでした。たまたま出くわしただけである白馬に、ここまで心を開くことができて、何の見返りも求めずに心を込めて世話できるというのは、改めて読み返してみると、とても感心できることでした。

     たとえば、「ごんぎつね」で描かれたように、人間が動物と心を通い合わせるということはとても難しいことで、時には悲しいすれ違いを生んでしまいます。また、そもそも動物のことを思う想像力がなければ、動物に心を開くということそのものが起こり得ないことになります。スーホと白馬が心を合わせることができたのは、スーホのこの人柄の部分が一番大きいように思います。スーホの真っ白な心に注目して、その豊かな想像力に触れながら読んでいきたいものです。

     スーホの純粋な思いに白馬が応えてくれたようです。背中に矢を浴びながら、白馬は一心にスーホのもとに帰ってきました。そこで力尽きて亡くなってしまいますが、スーホと白馬の心は決して離れることがありませんでした。



     白馬は、スーホの夢の中に出てきてこう語りかけました。

    「そんなにかなしまないでください。それより、わたしのほねやかわや、すじや毛をつかって、楽器を作ってください。そうすれば、わたしは、いつまでもあなたのそばにいられますから」



     スーホは以前、「いつまでもいっしょにいよう」と白馬に語りかけていました。白馬がその言葉に応えた形です。

     私は小学2年生の時に国語の授業でこの作品を読みました。10数年前のことですが、よく覚えているのは、白馬の「死」というものに大きなショックを受けたことです。小さい時に読んだ物語で「死」がでてくるものには、今でも強烈な記憶があります。子供にとって、「死」というものはまだよく分からないもので、それを考えて、ああ、もう一生会えないし、一生話せないことなのか、と理解しだした時に、心にずっしりと重いものがくるのです。

     この物語は、死というものの意味を教えてくれるのですが、そこからさらに、それを「乗り越える」ことも教えてくれます。もう会えないけれど、ずっと忘れなければいいんだ、もういないけれど、一緒にいられるんだ。そういったことです。「心が、「生と死」という概念を超えていくところが見事です。

    ②殿様の理不尽な仕打ち

     競馬で優勝したものを娘のむこにとるといっていた殿様。スーホの身なりを見た瞬間、態度を変えました。

    「おまえには、ぎんかを三まいくれてやる。その白い馬をここにおいて、さっさと帰れ」



     すごく大事な箇所だと思います。スーホと白馬が心を通い合わせて行く様が丁寧に描かれていた分、ここで投げ込まれた「ぎんかを三まい」のむごたらしさが際立ちます。これは③でくわしく見ていきますが、殿様の「価値観」の象徴です。

     おそらく、この殿様はこう思っていたのではないでしょうか。「この貧しいひつじかいには、お金をやれば、うやうやしく受け取って、喜んで帰っていくだろう」。お金を投げやるという行動に、こういった目線を感じます。これは、言ってみれば、殿様なりの「想像力」です。

     権力者と、貧しいひつじかいの間には、同じ人間とは思えないような絶対的な身分の差があります。そして、違うのは身分だけではありません。富める者は、ある一面においては豊かであっても、また別の一面においては限りなく貧しいということが分かります。③でもう少し深めてみたいと思います。

    ③白馬をめぐる、2つの異なる「価値観」

     この話を読むと、殿様の仕打ちに、もちろん腹は立つのですが、それ以上に印象的なのは、「白馬をめぐる2つの『価値観』がある」ということです。少し図にして考えてみたいと思います。

    20170224.png

     白馬をめぐって、2つの価値観があります。同じ白馬でも、スーホにとっての白馬と殿様にとっての白馬は全く異なる存在です。殿様にとって、白馬は「競争で一番になった速い馬」でした。そして、それは、「白馬である必要はない」「代わりがいる」ということでもあります。殿様は、白馬を置いていく代わりに銀貨をやる、そう言い放ちました。ここには殿様の価値観があります。

     スーホにとって、「白馬は心を通い合わせた大切なパートナー」であり、それは決して「他の馬であってはいけない」「代わりのいない」存在でした。スーホにとっての白馬の価値というのは、何かに置き換わるものではありません。

    「よくやってくれたね、白馬。本当にありがとう。これから先、どんなときでも、ぼくはおまえといっしょだよ」



     どちらかが絶対的に正しいというわけではありません。ただ、2つの価値観はあまりにもかけ離れていました。それが、殿様の開いた競馬の大会で衝突してしまいました。これは、本当は殿様を責める問題ではないのかもしれません。決して相容れることのない2つの価値観。それは、ただただ悲しいことでした。

     どちらかが正しいということは言えませんが、私は、スーホと白馬の関係は「尊い」ものだと思います。「ずっといっしょにいよう」というスーホの言葉は、今読み返してみるととても重く響きます。スーホは純粋だからこそ、ためらいなくこの言葉を言えたのかもしれません。自分と「違う」存在に心を開いて、「ずっといっしょにいよう」などと言えるようになるのは、人間の、究極的に尊い感情だと思います。それを一心に信じたスーホも、そんなスーホのもとに一心に戻った白馬も、とても尊いのです。

     「馬頭琴」という楽器ができた由来になっている、モンゴルの素敵な民話でした。引き裂かれてしまったようで、彼らは決して引き裂かれなかったということ。楽器の音色に耳を傾けながら、静かに想ってみたいものです。



    教科書


    教科書への旅 一覧ページ

     なつかしい国語の教科書の作品を揃えています。ぜひ他の作品もご覧ください。

    「ごんぎつね」 新美南吉(小学4年生)

     同じ「動物と人間」というテーマで、こちらもとても悲しいお話です。心を通い合わせることがいかに難しいか、ぜひこの作品から感じてみたいものです。


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    教科書,



    •   25, 2017 00:45
  •  夜は、優しい。生きづらさを抱えた人に、夜は優しく接してくれます。暗闇が包み込んでくれるから、肩に背負った荷物をそっと下ろすことができる。なんというのでしょうか、夜の「ゆるされている」雰囲気が、私は大好きなのです。

    書影

    明るい夜に出かけて
    佐藤 多佳子(著)
    新潮社
    発売日:2016年9月21日




     佐藤多佳子さんの『明るい夜に出かけて』という小説をご紹介しましょう。描かれているのは、人生をさまよう若者たち。そして、「深夜ラジオ」。人の数だけ人生があって、人の数だけ夜がある。私の知らなかった、最高に楽しくて、そして明るい夜に出会うことができました。(約3,700字)



    夜に逃げ込んで



     夜の、「ゆるされている」という雰囲気が好きで、私はよく無意味に夜更かしをします。夜に何度救われたことでしょうか。たまらなくなって逃げ込んでも、夜はいつも変わらずそこにいてくれるのです。

     この小説の主人公、富山一志(とみやまかずし)もまた、無意識のうちに夜に「ゆるされたかった」のでしょうか。とある事情で大学を休学することになった彼は、深夜のコンビニでバイトを始め、夜が中心の生活を送ります。そんな彼の最大の楽しみが、「深夜ラジオを聴くこと」。そして彼は、聴くだけではなく、ラジオにネタを投稿するいわゆる「ハガキ職人」として活躍しているのです。

     彼が最大の情熱を傾けたのが、「アルコ&ピースのオールナイトニッポン」という番組でした。もう終了してしまったそうで、私はそれがとても残念だったのですが、深夜ラジオのリスナーの間で抜群の人気を誇り、伝説のようになっている番組だそうです。実は、作者の佐藤多佳子さん自身もこの作品の大ファンだそうです。そのため、この作品では実在していたこの番組が色濃く、濃密に描かれています。

     オールナイトニッポン。私は一度も聴いたことがありませんでした。でも、有名なオープニング曲は知っています。「深夜」の代名詞になっているような番組ですね。アルコ&ピースさんは一部と二部の両方を担当したそうですが、その放送時間は深夜1時~3時、そして二部にいたっては深夜(早朝?)3時~5時です。ホームページを見に行くと、「27:00~29:00」の文字が見えて、「すごい時間だな!」とつぶやいてしまいました。普段の私ならぐっすり眠りこけている時間です。



     ですが、安心していただきたいと思います。この作品は、オールナイトニッポンを聴いたことがない人でも楽しむことができると思います。私自身がそうでした。私が知らなかった、夜のもう1つの世界。楽しくて笑いっぱなしの「明るい夜」。それと出会えたことに、心がときめきます。むしろ、知らない人にこそ読んでほしい小説だと思います。

     本を読み終えて、「素敵な番組だったんだろうなあ」と想像します。最高に馬鹿馬鹿しくて、何を言っても全力で受け止めてくれるような雰囲気。リスナーのメッセージ次第で、どこに向かうか分からないフリーダムな構成。そう、きっとこの番組の魅力も、全てを「ゆるしてくれる」雰囲気にあるのではないかと思います。

    ”ライヴ”な小説



     楽しいラジオがBGMのように流れていく中で、作品のテーマとしてあるのは「生きづらさ」だと思います。主人公の富山君は、傷付き、夜に逃げ込まざるを得なくなったある深いトラウマを抱えているようです。それは、彼が大好きなはがき投稿からも離れざるを得ないような、深いトラウマでした。中盤から終盤にかけてそれは明かされますが、なんとも現代特有のエピソードです。普段あまり考えることはありませんが、彼と同じように打ちのめされてしまった人は、きっとこの世界にたくさんいるのだと思います。だからこそ、世界には「夜」が必要なのだ、とも思います。誰もが、いつでも逃げ込める場所として。

     作品の描写には、いい意味での「軽さ」があります。「ライヴ感」と言い換えてもよいかもしれません。例えば、ある日のヤフーニュースのトピックが小説の中に並んでいたり、ラインやツイッターの投稿が挿入されたりします。それらは普段すぐに更新されて、埋もれていってしまうもの。そういったものが効果的に配置されることで、人生の「ライヴ感」が強調されるのです。

    やっぱり、ラジオって、リアルタイムな文化だ。今流れてくるものを、今受けとる。録音して保存しておいても、たぶん、それは別の何かになる。



     彼はこう言います。ラジオもまた、「ライヴ感」を強調する大切なアイテムなのでした。今は過去の放送を後から聴くこともできるようですが、やっぱり「生」がいいですよね。一瞬一瞬は、切り取ってみればとても些細で、くだらないことかもしれないけれど、その時、その場所で、それを聴いたことが大事で、それが積み重なって「人生」になっていくと思うのです。

     心地よい「ライヴ感」の中で、現代に生きる若者特有の悩みが、ぽつり、ぽつりと語られていきます。

    何かをがんばりたいけど、何がやりたいのか、わからない。大学って、そのへんを見つめたり、見つけたりする場所なんだな。外にこぼれ落ちても、中に留まってても、わからなさは一緒な気もする。



    俺は人間をやりたくないよ。猫にでもなって、冷たいタイルの上で丸まって寝てたいよ。ほかのヤツのこととか、あれこれ考えたくない。疲れるから。削られるから。最後は自分に返ってくるし。一番考えたくないのは、俺自身のことだから。



     「軽さ」の中でこういったことが吐き出されているところがこの小説の魅力で、一つ一つがまるで部屋の中のひとりごとのような感じでつぶやかれていることで、心にすとんと落ちてきます。

     同じようなことを、私もいつも思います。同じようなことが書かれている小説を、私は数えきれないほど知っています。これは彼個人の悩みではなくて、きっと若者にとっての「普遍」であり、「不変」。だからといって、些細な悩みではないのです。それを抱えている個人にとっては、辛くて苦しい、そして逃れられない悩みです。



     中でも感じ入ったのは、「SNSでの人間関係」にかんすることでしょうか。実は、例のトラブルによってSNSから離れていた富山君。ラジオのためにこっそりとツイッターを再開するものの、SNSでの人間関係には深く立ち入れないでいます。

    しかし、簡単だよな。ちょっと知り合っただけで、気やすくどんどんつながっていく関係。リアルからSNSを経由してリアルへ再突入。カンタンにズブズブだ。油断も隙もない。



     太字の所で、私は首が痛くなるくらい首を縦に振りました。リアルとSNSの境界がぼやけ、互いが互いに侵食していきます。「相互監視社会」などと言いますが、言い得て妙です。みんながみんなで、何かを「演じて」いて、おかしいのと思うのならみんなでそれをやめればいいのだけれど。「もう一つの世界」は不思議です。

     「カンタンにズブズブ」になることが、彼にとっては耐えがたいのでしょう。分かる気がします。人間関係は、長い時間をかけて、少しずつ築いていくものだと思います。たくさんの大切な過程をすっとばして、中身が空洞になっている「トモダチ」。もっと、「ゆっくり」でもいい。そんな風にも思います。

     現実の、そしてSNSの人間関係に苦悩していた富山君でしたが、ラジオが、そしてバイト先のコンビニが、彼にかけがえのない出会いをもたらしてくれます。人間関係にトラウマがある彼は、なかなか心を開けません。そんな彼が、少しずつ、少しずつ距離をつめようとして、そしてある瞬間に「吐き出す」。その過程に、私は大切なことを教わったような気がしました。

    夜に灯る明るい光



     表題の「明るい夜に出かけて」は作品の中でも効果的に使われています。私もこのタイトルに惹かれて本屋さんで手に取ったので、人の心に響くことばだと思います。富山君がコンビニで偶然出った少女、「虹色ギャランドゥ」が書いた演劇のタイトルで、富山君はそれに感銘を受け、ことばにならないことばをつづります。それを、同じコンビニで働く鹿沢さんが歌にしたのでした。

    タイトルの「明るい夜」って、色々思わされる。夜は暗いけれど、闇を照らす光は明るい。(中略)「夜」という言葉の持つ深さと、「明るい」という言葉の持つ強さ。十人いれば、きっと十通りの「明るい夜」のイメージがある。



     明るい夜から浮かぶイメージが連ねられていって、それは最後に素敵な歌になります。ぜひ本を読んでいただいて、その過程を味わっていただきたいです。

     さて、本を読み終えて、私は久しぶりに夜にラジオをつけました。私は富山君と違ってFM派で、中高生の時、「スクールオブロック」と「ジェットストリーム」をよく聴いていました(どちらも、現在も変わらず放送されています)。SOLには、いろいろなことを教えてもらいました。勉強そっちのけで聴いていました。バンプ先生が来校して、新曲が宇宙初オンエアされた時には正座をして聴きました・・・(知らない人にはさっぱり分からない話ですみません)。そして、「ジェットストリーム」は最高のクールダウン。聴きながら、いつのまにか眠りについています。

     大学受験があるから勉強しなければ、とラジオの電源を落として数年…。久しぶりの夜のラジオです。

     ・・・・・・・・・

     「やっぱ、いいなあ」と。今でも変わらず、そこに番組がありました。つけたばっかりで、まだ内容が頭にも入ってこないのに、感慨でいっぱいです。「余裕のない生活をしていたな」、ふとそんなことも思いました。電源を入れれば、いつでも受け入れてくれるラジオ。また、生活に欠かせないものになりそうです。

     

    そもそも、前向きって、普通に思われてるほど、絶対的にいいことかな?




     後ろを向きながら生きてもいいし、立ち止まってもいいと思います。辛くなったら、夜に逃げ込めばいいと思います。優しい夜は、全てを受け止めてくれるでしょう。そして、よかったらラジオをつけてみてはいかがでしょうか。

     優しい夜に、明るい光が灯るはずです。



    オワリ

     最後まで読んでいただき、ありがとうございました。関連する記事やウェブページの情報です。

    アルコ&ピースのオールナイトニッポンシリーズ(wikipedia)

     どんな番組だったんだろうと思って読みにいったのですが、楽しそうな雰囲気が伝わってきます。なんとなく、このページを編集した方の、番組への愛を感じます。


    小説, 佐藤多佳子,



     29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段。そんな村山さんの生涯を綴ったノンフィクション、「聖の青春」を紹介します。2016年秋には映画化され、俳優の松山ケンイチさんと東出昌大さんの熱演は大きな話題を呼びました。

    書影

    聖の青春
    大崎 善生(著)
    株式会社 KADOKAWA
    発売日:2015年6月20日




     このノンフィクションは、将棋にあまり興味にない方も含めた、たくさんの方に読んでいただきたい作品です。若くして亡くなった棋士の物語ということで、悲しく、辛い話を想像してしまう方も多いのではないかと思います。もちろん村山さんが亡くなってしまわれたのは悲しいことです。しかし、それ以上にこの作品から伝わってくることは、真に「生きる」ということ、そして圧倒されるようなエネルギーである、と私は思っています。



    一行レビュー図書館



    一行レビュー図書館

     本の内容や魅力を、一行ずつ、簡潔に紹介する「一行レビュー図書館」のコーナーです。

    ・29歳の若さで亡くなった将棋棋士、村山聖九段の生涯を記した、渾身のノンフィクション作品
    ・筆者は村山さんのことをいつも近くで見守り続けた作家の大崎善生さん

    ・幼いころに発症し、村山さんを苦しめ続けた病気
    ・しかし、将棋は村山さんにとって、どこまでも連れて行ってくれる「折れない翼」だった
    ・「強くなりたい」「負けたくない」、その気持ちが彼をどこまでも強くする

    悲しみ、辛さよりも「凄味」「エネルギー」に圧倒される作品
    ・どこまでも欲望に忠実で、勝利に貪欲な生き方
    ・それは究極の「生きる」。むしろ惚れ惚れして、うらやましくなるほどの。

    ・彼の周囲の人々の愛も魅力
    ・彼の全てを受け入れようとした家族、誰よりも近くで彼と共に歩んだ師匠
    ・そして、盤上で火花を散らしたライバルのトップ棋士たち

    ・巻末には、村山さんが残した将棋の棋譜を多数収録
    ・それは彼の人生そのもの。もう1つの「物語」も必見。

    真の「生きる」がある



     「ブクログ」に投稿したレビューと、本からの一節を紹介するミニコーナー「スケッチブック」です。

    「『命懸け』という言葉は自分には使えない」

     映画「聖の青春」の公開に寄せて、将棋の佐藤康光九段が述べられた言葉です。ずっしりと心に響きました。この言葉に、映画を観た方、本を読んだ方の多くが共感されるのではないかと思います。「命懸け」なんて、決して軽々しく言えるものじゃない。

     病気になった村山さんが、将棋という「翼」を手に入れた-筆者の大崎さんがそう表現されていることが印象的です。それは限りなく広がる、折れない翼でした。病気と闘い続けた生涯だったかもしれませんが、盤上ではそのようなことは関係なかったのだと思います。その手から放たれる一手には「揺るぎない強さ」を感じます。きっと、将棋という翼があれば、どこまでも行けたのだと思います。

     若くして亡くなった棋士のお話で、終盤は辛くて読めなくなるかもしれないと予想していたのですが、案外そうでもありませんでした。むしろ、村山さんが輝いて、まぶしくすら見えました。それは、村山さんが本当の意味で「生きて」いたからではないか、と思います。あらゆる欲望に忠実に、そして勝利に貪欲に。「かわいそうな人生」なんて印象は、微塵もありません。太く、短く、輝かしい炎が瞳の奥に見えました。

     そのように感じさせるのは、村山さんの生き方だけではなく、師匠の森先生の温かいまなざし、そして筆者の大崎さんの素晴らしい文章があってのことだとも思います。多くの人に読んでいただきたい、素晴らしい1冊です。


     上のレビューでも触れている「折れない翼」というのはこの部分です。

    スケッチブック


    施設での生活もベット上の空間も、もうつらくはなかった。知れば知るほど、勉強すれば勉強するほどに広がっていく世界に聖の心は強くひきつけられた。しかも運のいいことに、聖が手に入れた将棋という翼は、多くの子供たちが抱くはかなく泡のように消えていく夢とは違い、それは簡単には折れない翼だったのである。(p49)



     名人になるという夢は半ばでついえてしまいました。しかし、村山さんの残した渾身の棋譜は今も未来も残り続けます。一手一手に村山さんの生き方や信念が刻み込まれていて、それは今後も語り継がれていくと思います。そう考えると、大崎さんの書かれたように将棋という翼は決して折れることのない、強い翼だったのですね。

     村山さんが残した棋譜が巻末に収録されています。そこに込められた思いを、ぜひ駒を動かしながら感じ取ってみたいものです。そこには、大崎さんの素晴らしい文章とはまた違った、もう1つの「物語」が隠されていることでしょう。

     以上、「聖の青春」の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。

    ◆殿堂入り決定!
    「最果ての図書館」は、『聖の青春』を「シルバー」に認定しました。(画像クリックで一覧表示)





    ノンフィクション, 大崎善生,



     金沢生まれの詩人、室生犀星。犀星は多くの小説も書き残しています。小説では、詩人犀星の美しい感性が瑞々しい文章で綴られています。詩とは異なる魅力を感じることができる小説。手に取ってみてはいかがでしょうか。



     岩波文庫版には、「幼年時代」「性に眼醒める頃」、そして表題作の「或る少女の死まで」の三篇が収録されています。



    一行レビュー図書館



    一行レビュー図書館

     本の内容や魅力を箇条書きで簡潔に紹介する「一行レビュー図書館」です。

    ・室生犀星の自伝的小説
    ・金沢で生まれ、詩人を志し、そして東京へと旅立つ犀星
    ・その人生が小説の形で、美しく、瑞々しい筆致で描かれている

    ・金沢の雄大な自然、そして北陸の厳しい冬
    ・そこで育まれた詩人としての豊かな感性
    優れた色彩感覚とどこか宗教的な雰囲気が読者を魅了する

    ・「金魚」や「鯉」、「子供の表情」を捉える独特の色彩感覚
    ・詩人の美しき感覚世界を体験できる贅沢な描写
    ・性的衝動や、大切な人の死-それらに出会った時の心の揺れ動きも絶品

    ・おすすめの一篇は「性に眼醒める頃」
    ・十七歳の少年が、性的衝動に出会う時…
    ・「罪悪感」「秘密の共有」と絡まり昂ぶる恋心。
    ・誰もがきっと共感できる、瑞々しい恋のおはなし。

    ブクログ感想 & 引用



     ブクログに投稿した感想と本の中から印象的なフレーズを抜き出した引用のコーナーです。ブクログには他の方の感想も多数投稿されています。本との出会いを探しに行ってみてはいかがでしょうか。


    室生犀星の自伝的小説です。「幼年時代」「性に眼醒める頃」「或る少女の死まで」の三篇が収録されています。詩人犀星の美しい感性が織りなす瑞々しい文章と全体に漂うどこか宗教的な雰囲気に魅了されました。

    最も印象的な一篇として「性に眼醒める頃」を挙げたいと思います。小説としての完成度がとても高いと感じました。作品の中に効果的に山が設けられ、読者の感情の昂揚を誘います。自伝的小説とのことでしたが、この作品に関しては完成度の高い創作物を読んでいる気分になりました。

    恋心に眼醒める17歳の少年。芽生えたその思いが、「罪悪感」や「秘密の共有」といった刺激と絡みついて昂ぶりを見せていきます。彼女の雪駄にそっと足を差し入れてみるシーンなどはもうたまりません。作中で全身を火照らせる少年と同じく、読んでいる私の身体まで火照ってしまいました。性的衝動を瑞々しく、見事に綴ってみせた佳篇です。



    sketchbook.jpg


    何者をもその存在する事実は許さなければならない。たとえ盗人でも殺人でも、そうしたものの必然に生れてゆくことを根絶することはできない。ただ、その事実に愛をもてない。喜べない。 234ページ



     室生犀星 『或る少女の死まで 他二篇』 の紹介でした。最後まで読んでいただき、ありがとうございました。



    室生犀星, 岩波文庫, 近代日本文学,



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