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  •  毎年、春になると桜に関する本を手に取りたくなります。文学好きの私は、これまでは桜が登場する文学作品をよく手に取っていました。今年はいつもと少し趣向を変えてみようか、と思い手に取ったのがこの本です。

    桜 (岩波新書)
    桜 (岩波新書)
    posted with amazlet at 17.04.24
    勝木 俊雄
    岩波書店
    売り上げランキング: 17,505


     「桜」というこれ以上ないくらいにシンプルで潔いタイトル。この本は、農学博士の筆者が「生き物としての桜」について書いた本です。桜といえば日本の春を象徴する植物であり、日本人の心といってもいいくらいにその存在が多くの人に根付いていますが、そもそも「桜」とはどんな植物なのでしょうか。そんな関心から手に取りました。

     本当は桜が満開の時に合わせて紹介したかったのですが、なかなか時間がとれず、やっと紹介できました。毎朝通る道に咲き誇っていた桜はすっかり葉桜になってしまいましたが、過ぎ去った満開の時を想いながら書いていこうと思います。



    内容紹介



    自然科学

    っているようで知らない、「生き物としての桜」-。

     「桜には何種類あるの?」
     「ソメイヨシノの他には?」
     「いつから日本人はお花見をするようになったの?」

     私が読む前に思っていたことは上のようなことでしたが、筆者はこれらの疑問に全て丁寧に答えてくれています。一番最初の「桜の種類」についての質問はよくされるそうですが、分類が複雑で、答えるのはとても難しいそうです。私たちが思っているよりもかなり複雑な「生き物としての桜」について、専門家の筆者が分かりやすく知を拓きます。

     植物分類学上の桜について。「染井吉野」をはじめとする、日本に生息する桜について。そして、桜と人のかかわり、歴史について。この本を読めば、桜について多くのことを知ることができます。そして、日本人にとって一番身近とも言えるこの花をめでる気持ちを、ますます深めることができるのではないかと思います。

    書評



    書評

    ◆ さくら、さくら

     専門家の筆者は、桜の表記一つをとってもかなり細かく、正確な表記を追い求めています。いろいろな表記が出てくるので少し混乱してしまう箇所もありましたが、表記一つでもこれほど注意を払わなければいけないという点に、一般人の私たちが知らない「桜」という生き物の存在を感じました。

     上の内容紹介でも触れた桜の種類について触れておくことにします。桜と言えば地方ごとに様々な名前の桜が存在していますが、生物学上の分類で「種」として見た時、日本にあるサクラ類の種類は10種しかないそうです。ヤマザクラ、オオシマザクラ、カスミザクラなどなど・・・。

     「ソメイヨシノは挙げないの?」と思った方もおられるかもしれません。何を隠そう、私もそうでした。ソメイヨシノは桜の「種」ではなく、「栽培品種」(人によってつくられたもの)なのだそうです。筆者は、種と栽培品種を区別するためにソメイヨシノを「染井吉野」と漢字で表記しています。

     日本の桜といえば染井吉野ですが、その歴史は意外と浅く、栽培品種として世に出たのは江戸時代の終わり、全国に広がったのは明治時代になってからです。爆発的に広まった理由は、「お花見」と関係がありました。

    多くの花見客がこうした花見をおこなうためには、花つきがよい、木が早く大きく育つ、一斉に咲くなどの条件が必要である。(中略)”染井吉野”はこれらを兼ね備えた特徴をもっており、庶民が理想とするお花見の桜であったからこそ、爆発的に広がったと考えられる。そして、”染井吉野”が広がることで、現代の我々がおこなっているお花見の様式も定着したといえるだろうか。



     染井吉野が栽培品種で、「人によってつくられたもの」であると書きましたが、この「人によってつくられた」という部分がとても大事で、この本の裏のテーマになっているといってもいいかもしれません。

     人によってつくられた、ということは、「人にとって都合のよいもの」である必要があった、ということです。春になると見事に咲き誇り私たちの目を楽しませる桜ですが、お花見との関連を見ると、「お花見としての桜」としての側面がとても強いことが分かります。

     私たちが求める「お花見としての桜」に対して、筆者が研究を続ける「生き物としての桜」。照らし合わせながら読むと面白いかもしれません。「生き物としての桜」についての記述は、おそらく私たちの多くに新鮮な驚きを与えてくれることでしょう。

    ◆ 人とさくらの命

    a0001_016360.jpg

     4月の上旬、朝通る道には満開の桜が咲き誇っていました。桜並木の下で立ち止まることを計算して、ちょっと早く家を出ます。春の空気はふんわりとしていて、まるで桜の花びらのように薄桃色に染まっているかのようでした。

     桜の下にやってきて、立ち止まります。見事な景色です。桜の下にいる、それだけで全てが満ち足りた気持ちになりました。そして、ちょっと新しくなった生活に向けて、そっと背中を押してくれるような感じもしました。

     「日本人の心」と書きましたが、私は本当にそうだなあと思っています。桜はなんといっても咲き誇るタイミングが見事です。卒業式と入学式、出会いと別れ。桜はそんな春の季節に合わせて咲き誇ります。薄桃色の花びらが、まるでこれから始まる新しい生活への期待と不安を映し出しているように思えて、花びらに自分を重ねたこともあります。

     すっかり日本人の心に根付いている桜。しかし、筆者が伝えてくれるようにその歴史は意外にも浅く、爆発的に広まったのは明治時代になってからでした。桜が日本人の心に根付くのには、何か他にも理由があるのでしょうか。筆者が興味深いことを書いていたのでご紹介します。

     染井吉野が短命だ、というよく言われる説に疑問を呈し、自説を展開する筆者。染井吉野はお花見のために栽培されたので、その寿命というのは人の管理の手によっていると指摘します。そして、染井吉野の「寿命」を考えた時に、興味深いことが見えてくるのです。

    このように見ると、”染井吉野”の一生は人の一生とタイムスケジュールがよく似ていることに気がつく。

    (中略)現在植栽されている”染井吉野”の古木の多くは、第二次世界大戦後に植栽されたもので、団塊の世代とほぼ同じ年齢である。この世代の人たちが、自分とほぼ同じ年齢の”染井吉野”に人生を重ね合わせてみることは、ごく自然な感情であろう。



     すごく素敵なことだと思って感じ入りました。出会いと別れの季節に重なるということだけではなく、人と桜の「人生」が重なり合っている-そんな側面もあるというのです。そう考えれば、歴史が浅いにもかかわらず、人の心に桜が根付いている理由にも納得がいきます。

     団塊の世代の方は、桜に自分の人生を重ね合わせるということをするのでしょうか。平成生まれの私にはまだ思い描いたことのない景色でした。今は想像するだけですが、それはとても素敵なことだと思います。人間と自然がシンクロして、一緒に年をとっていく。なんて美しい光景だろうと思います。

     私も、これから毎年桜を見つめ、少しずつ人生と重ねていけたらと思います。この本を読んで、桜について見つめることができたのは素晴らしい体験でした。

    まとめ



    まとめ



     桜に人生を重ね合わせたい、と書きましたが、そのためには今後も桜が変わらず咲き続けることが必要です。最後に筆者は、「桜の保全」について書いています。

     地球温暖化の進行が、染井吉野の開花にも影響を与えています。桜が開花する前には、冬の時期の「低温刺激」が必要なのだそうですが、気温の上昇が発育に異常をもたらし、地域によっては開花の心配をしなくてはいけないところも出てくるようです。他にも、劣悪な栽培環境についての記述もあります。

     「人とともに」歩んできた桜。美しさに見入るだけではなく、人の手で大切に守り育てていくことも大切なのだと痛感します。私たちの人生の側で常に咲き誇ってきたかけがえのない存在へのまなざしを忘れないようにしたいものです。桜の季節は過ぎてしまいましたが、広がる葉桜に「次の春」と「これから」を想います。




    オワリ

    『桜の森の満開の下』 坂口安吾

     2年前の春に紹介した「桜本」。桜で思い出される有名な文学作品ですね。美しいはずの桜を見てざわざわと心を揺さぶられる心理描写が見事だと思います。


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    新書, 勝木俊雄,



     宮沢賢治の生涯を「食」にフォーカスして描いた漫画が発売されました。1冊で心も体もいっぱいに満たされるような、そんな素敵な作品になっています。

    宮沢賢治の食卓 (思い出食堂コミックス)
    魚乃目 三太
    少年画報社 (2017-03-27)
    売り上げランキング: 12,259


     表紙で右上を眺めている優しそうな男性がこの漫画の主人公、宮沢賢治です。温もりのある作品だということが感じていただけると思います。宮沢賢治の「孤高の人」などとイメージしている方がおられたら、さっそく裏切られるビジュアルかもしれません。表紙に書かれているこの絵には、この作品の魅力がたっぷりと詰まっています。

     宮沢賢治の生涯はとても有名で、国語の教科書にも掲載されるくらいです。私も、知っているエピソードがたくさんありました。ですが、作者の魚乃目さんが、「食」を通して、温もりで味付けしたこの作品は、私たちに新しい宮沢賢治を教えてくれるに違いありません。



    内容紹介



    IMAG0301_BURST002_1.jpg

     漫画の中身はお見せできないので、帯の写真を紹介します。この作品で描かれるのは、おそらく、人々のこれまでのイメージを塗り替えるような「新たな宮沢賢治」の姿です。

     宮沢賢治の作品には息をするのも忘れるような美しさがあります。そのため、宮沢賢治というとどこか聖人化、神格化されたイメージを持たれることがあります。私もそんなイメージを持ってしまいがちな一人です。彼の作品は、本当に人間がこれを生み出したのかというくらいに美しく、おののいてすらしまうからです。

     しかし、いったん宮沢賢治という「人間」に着目してみるとどうでしょうか。彼はとても人間味のある人でした。作品からは想像できないような豪快なエピソードもあります。この作品は、そんな賢治の人間味あふれる部分を伝えてくれるでしょう。「モノマネと冗談の名人」「涙もろくて、情に厚い」帯に書かれているように、彼の愛すべき人間としての姿が描かれます。

     「・・・そして、食いしん坊」

     この作品でフォーカスされるのが「食べ物」です。1話につき1つの食べ物がテーマになっていて、全10話から構成されています。「鳥南蛮そば」「ハヤシライス」「サイダーと天ぷらそば」「樺太のほっけ」・・・などなど。食べ物の描写は本当に魅力的で、食欲をそそります。そして、食を通じて見えてくる賢治の「人生」や「世界観」がありました。次からの書評パートでくわしくご紹介します。



    書評



    イーハトーヴ

    こが面白い!「宮沢賢治の食卓」3つの魅力

    ① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写
    ② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫
    ③ 「食」から見えてくる賢治という「人」


     作品の魅力を、3つに分けてご紹介します。

    ① 喜怒哀楽の、ダイナミックで豊かな描写

     まず、これが最初に印象に残ることではないかと思います。魚乃目さんの絵にはとても温もりがあって、そして喜怒哀楽の描写が豊かです。からだいっぱい、コマいっぱいに感情が描かれているので、読んでいると感情がコマを飛び越えて、読者にも押し寄せてくるような感覚になります。

    「沼田くん」
    「はい」

    「お腹空いてねーが?」(一品目 鳥南蛮そば)



     特に、食べ物が出てくる時の賢治は本当に幸せそうで、二カッと笑った顔にこちらにも笑顔が伝染しました。もちろん、描かれるのは楽しそうな顔ばかりではありません。時には顔をくしゃくしゃにして泣き、時には烈火のごとく怒ります。全ての感情が「全力」で「ダイナミック」。それが、読者の心を掴みます。

    ② 食べ物を美味しく魅せる、様々な工夫

     さまざまな食べ物が出てきますが、その描写が秀逸で、食欲をそそります。食べ物を美味しくさせるために、絵以外にもいろいろな工夫がされているように感じました。

     私が好きだったのは、「口を大きく開けて食べるところ」です。賢治は食べ物をほおばる時、大きく口を開けます。それで満面の笑みを見せるものですから、もう何を食べても極上の食べ物に見えてきます。

    「いただきます!!」

    「うめえなっす!!はじめて食べる味だ」(五品目 樺太のほっけ)



     「花巻の方言」「オノマトペ」も食べ物を美味しく引き立ててくれるでしょう。方言は温もりや優しさを感じさせる不思議な言葉の魔法ですね。それに、「ぐつぐつ」などのオノマトペもとても種類が豊富で、臨場感を出しています。宮沢賢治といえば天才的な感覚で独自のオノマトペを使いこなしましたが、作者も本家に負けず、オノマトペを効果的に用いています。

    ③ 「食」から見えてくる賢治という「人」

     「食」が「人」をつくる

     そのことを、強く感じさせられる作品でした。食は「いのち」です。生命をつなげるだけではなくて、食べたものが血となって肉となって人間を作っていく。そのことに思いを馳せます。知っているエピソードがたくさんありましたが、それらに「説得力」を感じたのは、人を作っているものである「食」にこの作品が立ち返ったからではないかと思います。

     「お腹、すきませんか?」

     その言葉が、不思議な魔法のように思えました。食べ物を通じて感じる「生きるよろこび」「幸福感」、満たされた私たちが忘れかけていることが鮮やかに描かれていて、はっとさせられるのです。

    IMAG0300_BURST002_1.jpg

     最後に、印象的だったエピソードを2つご紹介します。

    ◆ 「アイスクリーム」(3品目)


     賢治について知っておられる方は気付けるかもしれません。この話では、賢治の最愛の妹、トシとの別れが描かれています。取り上げられる作品は「永訣の朝」です。

    どうかこれが天上のアイスクリームになって
    おまへとみんなとに聖い(とうとい)資糧(かて)をもたらすように (『永訣の朝』)



     アイスクリームは「雪」のことです。本当の食べ物ではないので、この話は特別な位置づけにあるかもしれませんね。亡くなる直前、冷たいあめゆぢゅ(雨雪)を食べたいといったトシ。賢治は必死にかけまわって雪をとってきます。そして、迎える最後の時-。胸が締め付けられるようなエピソードです。

     トシが亡くなった後、賢治の慟哭が1ページをまるまる使って描かれます。圧倒されました。1冊の中でもっとも心を動かされた1ページかもしれません。

     悲しいエピソードには違いないのですが、それでも根底に「温もり」があるというのがこの作品の魅力だと思いました。賢治がどれだけトシのことを愛おしく思っていたのか、トシがどれだけ周りの人に愛されていたのか、それがひしひしと伝わってきます。

    ◆ 「弁当」(九品目)

     賢治は勤めていた学校にいつも弁当をもってきていたと言います。それだけで賢治に親しみを感じることができるような、弁当というのはそんな不思議な食べ物ですね。

     賢治の同僚の先生が病気で学校に来れなくなり、賢治はその先生のもとに通います。手には母に作ってもらったお弁当、そして先生を援助するためのお金を握りしめて。

    「うわ~
    うめぇ・・・・・・
    こんな美味しい物
    はじめて食べた」



     ビフテキが詰まったお弁当。賢治の優しさが調味料になって、世界で一番ぜいたくな食べ物になったようです。作った人の顔や気持ちが見える弁当。豪華な料理が並んでいるこの作品の中で、ひときわ輝きを放っていました。

     ですが、先生は結局亡くなってしまいます。トシと同じ結核で、亡くなった日も、奇しくも妹トシが亡くなった日と同じだったそうです。このことは、賢治に大きな無力感を与えることになります。

     賢治の作品にどこか漂う「かなしみ」。そして、「ほんとうのさひわい」を求める旅。それらは、こういった体験から生まれた賢治の価値観だったようです。もう一度、彼の作品に立ち返りたくなります。

    まとめ



    まとめ



     「おなかいっぱい」になる、素敵な1冊でした。多幸感がからだを包みます。読む人を幸せにできる、素晴らしい漫画だと思いました。

     そして、今後何度もこの本を開きたくなるような、そんな予感も覚えました。ちょっと寂しくなった時に居場所を求めたくなるような、そんな雰囲気があります。

     このブログでこれまで紹介してきた作品も収録されていますが、この本を読んだ後ではまったく感想が変わりそうです。もう一度、賢治の作品を読み返したいと思います。今度は賢治という「人」を感じながら。そんな旅になりそうです。




    オワリ

    宮沢賢治の食卓 第1話試し読み

     第1話が無料で試し読みできるようです(2017/4/16現在)。ぜひ読んでみてください。

    宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 旅程表

     今回で19回目になりました。宮沢賢治の作品や宮沢賢治に関するトピックを取り上げています。


    魚乃目三太, 宮沢賢治,



     この本の著者であるバウマンさんは今年の1月に亡くなられました。とても有名な社会学者で、私はたくさんのことを教わりました。今後も現代社会を鋭く射抜いてほしいと思っていただけに大変残念です。そんな彼が遺した本が、邦訳され出版されました。私は、この本に書かれていることが今後の人類への大きな「宿題」のように思えてなりません。

    自分とは違った人たちとどう向き合うか ―難民問題から考える―
    ジグムント・バウマン 伊藤茂
    青土社
    売り上げランキング: 8,114


     Strangers at Our Doorという本を、伊藤茂さんが邦訳されました。題名は『自分とは違った人たちとどう向き合うか 難民問題から考える』です。本質を見抜いた、素晴らしい題名を付けられたと思います(私自身、この題のインパクトによってこの本を手に取ることになりました)。

     改めて考えます。この世にいる、自分以外の全ての人は「他者」です。他者が心の中で何を考えているのか、そしてどう行動するのか、私たちは本質的に「分からない」。その「分からない」から、全ては始まっていたのです。



    内容紹介



    社会科学

    「われわれ」と「彼ら」。急速に亀裂を広げている世界へ―。

     アメリカ・トランプ政権の誕生、イギリスのEU離脱、そしてヨーロッパでの極右政党の台頭。バウマンが、最新の世界情勢を見つめ、そして警鐘を鳴らします。

     世界で最近起こったこれらの出来事には、驚くほどくっきりと共通点を見出すことができます。それは、「移民排斥」です。過激で攻撃的な移民への発言が、彼らへの敵意を煽り立て、そして排斥しようとする動きが一つの国を動かすまでになっています。なぜ、そういった過激な主張が支持されるようになったのでしょうか。

     社会を覆う漠然とした不安について唱え続けてきた社会学の巨頭、バウマン。彼が踏み込むのは、私たちが本質的に抱いている「見知らぬ者への恐怖」です。恐怖が生まれ、増幅し、そして排斥へと通じる道。バウマンが鋭く切り込みます。現代社会を見つめる上で必読の1冊です。


    書評



    書評

    ◆ 大きな未知への恐怖

     なんとなく、今の社会が大きな不安に覆われているような気がする。

     そんなことを感じている方にこそ、ぜひ手に取っていただきたい1冊です。私が本を手に取ったきっかけも、間違いなくその「不安」にありました。海の向こうで起こっていることは、決して対岸の火事ではないでしょう。これだけの大きな波が一気に世界を飲みこんでいる。事態に直面すると、改めて打ち震えます。

     「どうして人間が、ここまで残酷になれてしまうのだろうか」

     移民排斥や相次ぐテロ事件のニュースを見て、こうは思わないでしょうか。この本が、その疑問に答えてくれます。根本にあるのが、私たちが見知らぬ他者に抱いている恐怖。そして、それが排斥へと通じるメカニズムがこの本に書かれています。

    見知らぬ人についての情報は皆無に等しいので、彼らの戦略を適切に解釈することができず、彼らの狙いは何なのか、次に何をするのかを予測して適切な対策を講じることができない。そして、私たちが作ったものではないがゆえにコントロールできない状況の下で、どのように振る舞い、どう対処したらいいか分からないことが、不安と恐怖心の元になるのだ。



     平和な社会に身を置いていると気付きにくいかもしれませんが、私たちは他者に「不安」と「恐怖心」を抱いています。他者は自分とは違う。心の中で何を考えているか分からないし、どういう行動に出るかもわからないからです。

     そんな状態なのに、私たちが普段他者と円滑にコミュニケーションをとっていることは、考えてみると不思議です。さしたる不安や恐怖心も抱かず、どうしてそんなことができてしまうのでしょうか。私なりに考えてみました。

     私たちは、コミュニケーションをとっている「ように見える」ということなのでしょうか。自分とは違う他者。それを、「きっとこの人も同じようなことを考えているのだろう」と自分の側に引き込む。あるいは、考えることをやめて、経験から得たマニュアル通りの行動をする。一見私たちが上手くはかっているコミュニケーションというのは、実はそんなことに集約されるのかもしれません。

     何が言いたいのかというと、私たちは他者を「理解」「受容」するという次元には至らないまま生活しているのではないか、ということです。「不安」や「恐怖心」を、「無関心」で眠らせておいているだけではないのか、ということです。

     バウマンも、「無関心」という語を用いています。それは、静かなようで、何よりも恐ろしいエネルギーだったのです。

    ◆ 「人間ではない」の恐怖

     「どうして人間が、ここまで残酷になれてしまうのだろうか」

     この問いに対する、著者が考える答えを書くとこのようになると思います。

     「見知らぬ他者を『人間』という領域から除外するから(=同じ人間と思わなくなるから)」

     どうでしょうか。私にとっては、とても納得のいく答えでした。同じ人間なのに、考えられないような残酷な仕打ちをしてしまう時。メカニズムは単純でした。同じ「人間」ではない。相手を「人間」から除外する。そのことによって、痛みも苦しみもなくなるのです。

    この種の責任転嫁や中傷がもたらす全体的な影響は何よりもまず「移民の非人間化」(人間性の抹殺)である。非人間化は、彼らを合法的な人権の保持者のカテゴリから排除する道を開いたり・・・して、悲惨な結果をもたらすことになる。



     人間ではないのだから、人権はない。もしそう言い切る人がいたとしたら、実に強力で分かりやすい論理です。ですが、「人間ではない」などいう前提が許されてよいはずはありません。

     「そんな過激なことは考えないよ」

     そう思った人がいるかもしれません。私も読みながら思いました。しかし、バウマンはそのような思い込みにもするどく踏み込みます。彼が使うのは「無関心化の領土の拡大」という言葉です。つまり、「非人間化」は「無関心化」によっても進行していく、ということです。

     残酷なのは、過激な主張を繰り返す政治家や、暴力に走るテロリストたちだけではない。もし私たちが彼らが存在する世界を当たり前のように許容し、そして何も思わなくなってしまうとしたら、私たちもまた、そこに加担しているということなのだ。

     私は、そのように解釈しました。

     移民が「分かりやすい敵」に仕立てられ、私たちが社会に感じている不安を和らげるはけ口として利用されているような状況に、バウマンは警鐘を鳴らしています。『自分とは違った人たちとどう向き合うか』というタイトルに引きつけて考えてみると、深刻な状況が見えてきます。私たちは、「向き合うこと」を放棄し、自分とは違う人が「存在すること」それ自体を否定しようとしているのではないか。それが、今世界で起こっていることの、もっとも恐ろしい本質ではないかと思います。

    まとめ



    まとめ



     切り捨てること、見捨てること、考えないようにすること、そもそも「なかった」ことにすること。

     どれも簡単で、すぐに選べる道です。ですが、それを選ぶということはどういうことか。その道の先に何が待っているのか。バウマンが、この本で示してくれます。それを読めば、進み出した道から引き返そうという気持ちになると思います。

     代わりにバウマンが示すのは、「対話」の道です。

     綺麗ごとをいうな!というお叱りの声が飛んできそうです。私も、読んでいて解決部分が弱いように感じました。しかし、読み終えた後、改めて思いを巡らせてみて、そして気付きます。

     その道しか、ないのです。

     か細くて先があるのか分からない道です。道のりは険しく、まっすぐ進んでいける保証もない道です。しかし、道は一本しかない。そう気付けば、私たちは覚悟を決めてその道を行くしかありません。

     見知らぬ他者と向き合う、という簡単なようでもっとも困難なこと。それが、私たちに問われています。



    オワリ

    『想像するちから チンパンジーが教えてくれた人間の心』 松沢哲郎

     この記事の前の記事で紹介した本です。チンパンジーの研究者の方が書かれた本で、今日の記事とは全く関係のないようにも思えますが、私は2冊を関連付けるつもりで続けて紹介しました。素晴らしい本なので、ぜひこちらも知っていただきたいです。

    社会科学, ジグムント・バウマン,



     素晴らしい本に出会うことができました。最高のコンサートのあとに、観客が自然に立ち上がって、万雷の拍手を送る-そんな風景が脳裏に浮かびました。今、まさにそんな気持ちです。この本に、最大限の感謝を示したいと思います。

    想像するちから――チンパンジーが教えてくれた人間の心
    松沢 哲郎
    岩波書店
    売り上げランキング: 166,222


     著者は、京都大学霊長類研究所でチンパンジーについて学び続けてきた松沢哲郎さんです。本のジャンルは「自然科学」です。しかし、この本は、「人間が見つめられている」という点では、人文科学としての色も濃いかもしれません。

     私たちの「隣人」、チンパンジー。彼らは、私たちにたくさんのことを教えてくれるのです。



    内容紹介


    自然科学

    じところ、違うところ。「隣人」を見つめ、自分を見つめる

     チンパンジーの研究を通して見えた「人間とはなにか」。

     それを書きたかった、と著者の松沢さんは述べておられます。読んでいくうちに、その真意を知ることができます。人間とチンパンジーは、遺伝子レベルではほとんど違いのない生き物なのだそうです。ゲノムの違いはわずか1.2パーセント。つまり、チンパンジーは、人間と98.8パーセントまでは同じ生き物なのでした。

     そう考えると、ヒトとチンパンジーなどと境界線を引いてしまうのは違うだろう、という気になってきます。チンパンジーは、まさに人間の「隣人」と言えるのです。人間が特段優れているだろう、などといった思い込みは、この時点で捨て去ることができます。

     しかし、遺伝子レベルではほんのわずかの違いがありました。そしてそれは、とても大きな違いでもありました。

     その「違い」が教えてくれること。私たちが、見つめなくてはいけないこと。著者がつづる、研究の集大成です。

    書評


    書評

    ◆ 他者を理解するという営み

     本書の構成を簡単に整理します。まず、チンパンジーのことを長年研究してきた著者が、チンパンジーの生態について語ります。「心」「ことば」「きずな」、そんなことがキーワードになります。その後で、チンパンジーを見つめることを通じて、「人間を見つめる」ということがなされます。このような形で改めて人間という存在に立ち返ると、実に多くの発見があるのです。

     人間が得た数々のちから。その中でも、「他者を理解する」という営みは、本当にかけがえのないものなのだと気付かされます。著者は、チンパンジーの子どもが、試行錯誤しながら模倣していく過程を記述した後で、こんな風に書いています。

    模倣という能力を使って、他者がやっていることを自分でもやってみると、こうすると熱いんだ、こうすると痛いんだ、こうすると悲しいんだ、こうするととても嬉しいんだ、ということを自分が体験する。自分がしていなくても、前にもその行動をしていた他者が、あるいはまた別の見知らぬ他者が、そのことをしているとき、その人の心のなかにどういう気持ちが生じているかがわかるようになる。(p72)



     私たちが普段当たり前のようにしている「他者理解」という営みが、どれだけ尊い営みだったか、そのことに気付かされます。「こうすると痛いんだ」「こうすると悲しいんだ」。他者理解とは、そういったことの蓄積であり、その結果できあがったかけがえのない結晶なのでした。

     この描写のように、改めて「人間」という存在に立ち返ってみることで見えてくることがたくさんあります。

     もう一つ、感じ入ったトピックをご紹介します。それは、「教育」に関する人間とチンパンジーの違いです。前述のように、チンパンジーの教育というのは、子どもが親の姿から一生懸命「真似る」教育でした。これを、著者は「教えない教育、見習う教育」と呼びます。

     では、人間はどうでしょう。おそらくすぐに分かっていただけるはずです。人間は、「教える」教育をします。しかし、「教える」ということには、私が思っている以上に深い意味がありました。

    ①教えること

    ②手を添えること

    ③認めること(うなずくこと。微笑むこと。ほめること。) 
    (p140)




     ②と③を見て、はっとさせられないでしょうか。教えることは、手を添えることであり、認めることだというのです。チンパンジーのお母さんは、このようなことをしません。とすれば、これは人間特有の営みということになります。

     「こうやってやるんだよ」。そう言って、手を添えてあげること。

     「よく、できたね」。そうやって、ほめてあげること。認めてあげること。

     はたして、私はどれだけできていただろうか、と思います。これは、チンパンジーを見つめることによって浮かび上がってくる、人間特有の営みなのです。教育における、「認める」という行為の大切さを著者は強調します。

     忘れかけていた大事なことを教わったようでした。この本から教わること、チンパンジーから教わること。数えだせば、きりがありません。

    ◆ ぜんぶ、抱きしめよう

     他者を理解する、という営みを、人間は進化の過程で発展させてきました。そして、「想像するちから」というものを得たのです。

    人間は、進んで他者に物を与える。お互いに物を与え合う。さらに、自らの命を差しだしてまで、他者に尽くす。利他性の先にある、互恵性、さらには自己犠牲。これは、人間の人間らしい知性のあり方だといえる。(p79)



     惰性のように生きていると、見つめることや想像すること、それに感謝するということを忘れてしまいがちです。大昔から続く進化の過程に、いったいどんなドラマがあってのことでしょうか、「人間」という生き物が誕生することになりました。私たちは、もっと「人間を見つめる」ということをするべきだ-そう思いました。そしてそれは、「自分自身を見つめる」というところから始まるのかもしれません。

     人間という生き物の尊さを知った上で、「だけど」と思います。

     「想像するちから」は、ある意味ではとても残酷なものなのではないか。

     想像することには、たくさんの「痛み」を伴います。私はそのことを思い出しました。想像できるからこそ、たくさんの痛みや苦しみが襲い掛かってくるのです。私が思ったことに、著者は最後に答えてくれました。こんな風に書かれています。

    今ここの世界を生きているから、チンパンジーは絶望しない。(中略)それに対して人間は容易に絶望してしまう。でも、絶望するのと同じ能力、その未来を想像するという能力があるから、人間は希望をもてる。どんな過酷な状況のなかでも、希望をもてる。人間とは何か。それは想像するちから。想像するちからを駆使して、希望をもてるのが人間だと思う。(p182)



     「想像するちから」を、まず「絶望すること」に置き換えていることに感じ入りました。想像できるからこそ、絶望してしまう。なるほど、これも「痛み」の一種と言えると思います。

     その上で、絶望ができるから、希望をもてるのだ。著者はそう述べています。これが、答えではないでしょうか。

     想像するちからによって、人間は他者の痛みや苦しみ、悲しみまでも背負うことになった。それはとても残酷なこととも言えるでしょう。「自分とは関係のない他人のことでも苦しむなんて・・・」そう思う人もいるかもしれません。

     しかし、その想像するちからは、人間に与えられた、かけがえのないちからでした。そのことを教わった時、私たちが到達できる結論はたった一つです。

     想像するちからを、受け入れよう。
     痛みも苦しみも悲しみも、全部抱きしめよう。

     そして、最後は希望につなげよう。


     チンパンジーが教えてくれる、一番大切な教えです。

    まとめ



    まとめ



     私のつたない文章でどこまで伝わったか分かりませんが、大変素晴らしい本です。人間の「想像するちから」について書いた最後の章などは、本を持つ手が震えるほどです。

     ふだんなかなか読まないジャンルの本でしたが、本当に数えきれないくらいの気付きがありました。何十年億年もかけて地球上の生命体が営んできたことというのは、それほど大きいことなのだと思います。そして、研究の末に、私たちに大切なことを教えてくださった著者の松沢さんにも、最大限の敬意を表したいと思います。

     「ちょっと、生まれ変わってみようか」そんな気持ちになれるはずです。そしてそれもまた、人間の尊い営みです。




    ◆ 殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『想像するちから-チンパンジーが教えてくれた人間の心』を「プラチナ」に登録しました(リンク先に「プラチナ」の本の一覧をまとめています)。




    自然科学, 松沢哲郎,



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