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  • 「悪魔の小説」を読む(後編) (痴人の愛 / 谷崎潤一郎)

     01, 2015 14:25

     谷崎潤一郎の「痴人の愛」を読んでいました。前編では気持ち悪い気持ち悪いと連呼してしまいましたが、素晴らしい作品だと思ったからこそここで紹介しています。「気持ち悪いほどの素晴らしさ」がどこにあるのか、今日は後編です。

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     村上春樹さんの短編、「女のいない男たち」に似たものを感じた、と言いましたが、私が感じたのは、男と女の恋愛における宿命とでも言えるものでした―。



     所有と関係

     「女のいない男たち」に、「独立器官」という短編がありました。「男と女は、独立した器官で恋をする」という、すごいコンセプトの短編です。

     そちらの感想でも書いたのですが、もう一度重要な部分を引用してみようと思います。

    すべての女性には、嘘をつくための特別な独立器官のようなものが生まれつき備わっている。(中略)すべての女性はどこかの時点で必ず嘘をつくし、それも大事なことで嘘をつく。

    その女性が(おそらくは)独立した器官を用いて嘘をついていたのと同じように、もちろん意味あいはいくぶん違うにせよ、渡会医師もまた独立した器官を用いて恋をしていたのだ。それは本人の意思ではどうすることもできない他律的な作用だった。



     恋愛において、女は平気で嘘をついて男を騙し、一方男のほうは、(それが嘘だと勘付いていたとしても)女を愛してしまうという構図です。もちろん、全ての男女にこれが当てはまるわけではありませんし、異論はあるかと思います。ただ、大きな枠の中で見た時には、納得してしまう構図ではないでしょうか。平気で嘘をつく女。全力で騙される男。これを、「独立器官」の作用だ、と書いたのが、村上春樹さんの凄味だと思います。

     恋愛にはいろいろなシチュエーションがありますが、その多くに共通しているもの、言い換えれば男と女の恋愛における宿命のようなもの、があるということでしょうか。

     そんなことを頭に浮かべながら「痴人の愛」を読んでいたのですが、見えてきたのは、男と女が恋愛において求めているものが違う、ということでした。

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     恋愛において、男性は「所有」を、女性は「関係」を求める

     けっこう有名な言葉なのでしょうか。関連する本まで出版されているようです。「痴人の愛」を読んで驚きました。譲治とナオミの姿は、まさにピッタリこの言葉の通りなのです。

     まずはナオミから。譲治はナオミを囲い込み、理想の女に育て上げようとしていたのですが、待っていたのはナオミの裏切りでした。ナオミは、譲治に養われている裏で、実は複数の男と関係を結んでいたのです。まさに、女は「関係」を求める、です。

     ナオミは実に巧妙に、嘘をついていました。

    私のような単純な人間には到底想像も出来なかった、二重にも三重にもの嘘があり、念には念を入れた謀し(しめし)合わせがあり、しかもどれ程大勢の奴等がその陰謀に加担しているか分からなくなるくらい、それは複雑に思われました。



     女は巧妙に、「独立器官」を用いて嘘をつく。これは村上春樹さんが書いたことそのままです。悪意を持って嘘をつく、というより、生理的に嘘が口をついてしまう、という感覚が正しいのだと思います。

     そして、騙された譲治のほうです。彼の、少女を自宅に囲い込むという行動は、男は「所有」を求める、という言葉の究極的な体現です。騙された譲治は当然激怒するのですが、そこでナオミを突き放すことはできません。作品の後半から終盤で、彼は自分を裏切った女に再び回帰していきます。呆然としながら読んでいました。

    どうしたらと云うよりも、自分はどうなってしまうんだろう?自分は今、一生懸命ナオミを恋い慕っている外、何の仕事も持っていないのだ。どうすることも出来ずにいるのだ。寝ることも、食うことも、外に出ることも出来ないで、家の中にじーッと籠って、あかの他人が自分のために奔走してくれ、或る報道を齎して(もたらして)くれるのを、手を束ねて待っていなければならないのだ。



     哀れ過ぎて泣けてきます。恋に溺れ、丸裸になってしまった男の姿です。哀れで哀れで仕方ないのですが、これが男の本質だということが見えてくると、そして、平気で嘘をつくのが女の本質だと見えてくると、どうしようもない気持ちになります。どちらにしても破滅の道です。

     究極の恋愛は、すなわち破滅

     それが見えてくると、恐ろしくなります。これがこの作品のパワーですね。「笑いたければ笑え」と谷崎は読者を挑発していますが、誰も笑えないでしょう。人間の力ではどうにもならない事実を突き付けた、その確信から、こんな挑戦的な言葉になったのだと思います。

     この本が「参考資料」になる、というのもまた納得です。あまり参考にしたくはありませんが、たしかに書いてあることは限りなく真理に近い、「究極の恋愛の参考書」です。

     深いことを考えずに読めば、「変態おじさん小説」にしかなりません。それか、私のように気持ち悪いという感情だけを残して終わるか、どちらかです。ブログに書こうと深めに読んで見た時に、恐ろしいテーマが浮かび上がってきます。

     「悪魔主義」とは、まさに言葉通りでした。谷崎潤一郎、底知れない恐ろしい男です。気持ち悪かったはずなのに、私はさっそく2冊目に手を伸ばしています。
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    谷崎潤一郎, 近代日本文学,



    •   01, 2015 14:25
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