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  • 「非人情」という挑戦 -『草枕』 夏目漱石

     09, 2015 11:59

     最近、日本文学のレビューが増えています。大学で日本文学の授業を取っているので、その関連です。普段読んでいるエンタメ小説とは異なり、精神の緊張を伴った読書になります。

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     精神の緊張、という言葉が最も似合いそうな文学者の登場です。夏目漱石の「草枕」を読みました。中学の時に読んだ「こころ」は難しいながらもそれなりに理解して読むことができましたが、この作品はそもそも理解が難しい・・・。解説、求む!という感じでした。とりあえず、今の私が書ける感想です。




    漱石からの挑戦状



     難しいと思うのはある意味当然のことかもしれません。漱石は、小説を通して読者に「挑戦状」を送り付けている、そんな人なのです。今年の4月から朝日新聞で「それから」の再連載が始まったのですが、その初日に齋藤孝さんがこんな文章を寄せています。

    漱石は読者に本気で球を投げていた。(中略)遠慮なく教養を爆発させている。国語力が高い人も低い人も、漱石に合わせようと頑張っていたのだろう。捕れない球もあっただろうが、みんな食らいついていった。


    サッカー日本代表が世界上位を目指すように、漱石は日本の文化のレベルを上げようと努めた。文芸欄で若手に執筆させたのは選手を選ぶ監督のよう。自分でも書くのだから、選手兼任監督といえるだろうか。(以上、『朝日新聞』 2015/4/1)



     日本の文壇を底上げしようとしていた、というのがこの人のすごいところです。圧倒的な教養を誇り、その教養が日本文化の、そして日本全体の向上につながると信じて筆をとっていたのでしょうか。芥川龍之介が漱石に「鼻」を激励されて自信をつけた。という有名な話があるように、多くの作家を育てた人でもありました。

     今回読んだのは「それから」ではなく「草枕」ですが、多くの教養が散りばめられていることは同じです。特に、漢詩に関する知識が多く求められます。私のようなレベルでは、1割も理解できていないでしょう。

     それでも、そんな苦労に価値がある、と齋藤さんは述べています。分かりやすさを求める時代にも、漱石が伝えようとした深く広い世界を見ようとするあこがれがある、と。読み終えてみて、大きく頷きます。

    西洋批判


     
     あらすじと呼べるものはほとんどありません。ある男が、山中の温泉宿にやってきます。彼は絵描きでした。雄大な自然が広がるその環境で、彼が目指したのは「非人情」の境地です。

    有体なるおのれを忘れ尽くして純客観に目をつくる時、始めてわれは画中の人物として、自然の景物と美しき調和を保つ。



     非人情とは何か、と言われると難しいですが、この「純客観」という言葉がポイントになりそうです。自然に対してだけでなく、人間に対しても非人情を貫こうとしたのがこの男のすごいところでした。「お互いの間に人情の電気が通うことがないように、常にある距離を置いて取り扱って行こうとする」(解説文)様子が描かれています。

     そんな彼の前に現れたのが、那美という美女でした。彼にとっては、今まで出会った中で最も美しい女だったようです。非人情を貫こうとしたのに、そんな女が現れてしまった。普通なら、すぐに心を乱される、つまり人情に介入されそうなところです。

     先日紹介した谷崎潤一郎の「痴人の愛」にも、ナオミという少女が登場し、主人公の男を誘惑し破滅に追い込んでいきました。絶世の美女が出現すれば、破滅とはいかなくても心をかき乱されるのは確実ではないでしょうか。非人情の境地を保つことはかなり難しそうです。そんな状況で物語は進みます。

     いったいこんな状況でどう話を進めていくのだろう、と思いながら読みました。結論を言えば、男は人情と非人情のギリギリのところで、実に繊細に、巧妙に立ち回っていました。針の穴に糸を通すような、とでも言ったいいでしょうか。本当に絶妙な、ギリギリのラインです。

     「主人公の画工が主張する『非人情』なるものが人間を相手にする場合、どう発現するものであるかを、言わばぎりぎりのところまで追い込んで、具体的に説明しようとしたもののようである」(解説)

     男の破滅を徹底的に描く谷崎潤一郎はすごかったです。しかし、このギリギリのラインでのせめぎ合いを描く、夏目漱石にもまた凄味がありました。「非人情」というのは、かなり扱うのが難しいテーマです。ですが、主人公の男にはどこか「心の余裕」なるものがあって、絶妙にバランスを取っています。

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     作品の終盤、漱石の「西洋批判」が随分ストレートな言葉で語られます。高校の時に「現代日本の開化」、という漱石の書いた文を国語の授業で読みました。日本は外から無理やりこじ開けられるような「外発的」な開化をしている、そんな風に漱石は語っています。ここでも、かなり強い言葉で、西洋や文明が批判されます。

    文明はあらゆる限りの手段をつくして、個性を発達せしめたる後、あらゆる限りの方法によってこの個性を踏みつけようとする


    文明は個人に自由を与えて虎のごとく猛からしめたる後、これを檻せいの内に投げ込んで、天下の平和を維持しつつある。この平和は真の平和ではない。動物園の虎が見物人をにらめて、寝転んでいるのと同様な平和である。



     文明によって個人、個性が抹殺される、というのが大変鋭い視点です。漱石が現代にやってきて、満員電車にぎゅうぎゅうに押し込まれる人々を見たら、一体何と言うでしょうか。というか、漱石は未来をどこまで先まで見通していたのでしょうか。

     こういった文明批判、西洋批判と絡み合うのがこの作品です。私は、先程書いた、男の「心の余裕」なるものが、文明化や西洋化に対立しているのかなと思いました。男は、文明とは全く交わらないところにいます。そんな男が、巨大な文明という者に対して、ささやかに、かつ大胆に抵抗している、そんな印象を受けました。

    余も木瓜になりたい



     終盤、有名なセリフが出てきます。上に書いた、「余も木瓜になりたい」というものです。木瓜とはバラ科の植物で、紅や白のきれいな花を咲かせます。

    評して見ると木瓜は花のうちで、愚かにして悟ったものであろう。世間には拙を守るという人がある。この人が来世に生まれ変わるときっと木瓜になる。余も木瓜になりたい



     最初、さっぱりわけがわかりませんでした。「拙を守る」とは、不器用な生き方を押し通すといった意味があるそうです。ですが、どうして「拙を守る」が「木瓜」になるのか・・・。

     「拙を守る」という言葉は、陶淵明という人の五言詩にその由来があるそうです。中国の古い詩にそのルーツがあるのですね。最初に、「漱石は読者に挑戦状を送り付けている」と書きましたが、そのことを実感します。細かいところを見れば、数えきれないくらいの教養がこの作品には詰まっているのだと思います。

     そんな「拙を守る」象徴として、漱石は木瓜を好んで登場させたようです。文学的ルーツが全く分からないので、この部分の解説はできません。ですが、とても印象的な部分でした。俗世からは離れて、愚直に、それでいてどこか余裕を持って咲き誇る。そんな木瓜の花に、漱石はどこかシンパシーを覚えていたのかもしれませんね。

    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『草枕』を「シルバー」に登録しました。おめでとうございます。



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    解極まりない「漱石哲学」との対話 頭がくらくらします

     レビューを見ていると、「年を取るとこの作品のことが理解できるようになる」というような言葉が並んでいました。その通りなのかもしれません。私も、時間を置いて再読したいと思います。その時は何を感じるでしょうか。
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    夏目漱石, 近代日本文学,



    •   09, 2015 11:59
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