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  • ○○社会学 第2回 「ゆとりの社会学」(後編)

     10, 2015 18:41
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     前編の記事のほうにたくさんの拍手&コメントありがとうございます。今回は後編です。前回いただいたコメントも記事の中に生かしていきたいと思っています。

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     前回の記事の結びに、私はこんな風に書いています。

    次回は後編です。主にゆとり世代の学力低下について書きたいと思います。


     ここを読んで、こう思った方はいませんか?
    ―ゆとり教育になって、学力は低下した

     そう思うのは自然なことだと思います。前回ツイッターの分析で見たように、「ゆとり教育」や「ゆとり世代」はかなりネガティブに捉えられています。ゆとりにこれほどネガティブキャンペーンが行われていれば、ゆとり世代になって学力が低下したと思うのも不思議ではありません。

     しかし、本当にそうでしょうか?この記事では、「学力が低下した」という立場ではなく、「求められる学力が変わった」という立場から書いていこうと思います。




     「新たな学力」の時代

     ゆとり世代で学力が低下したとか、学力が向上したなどというのはそもそもどうかと思います。正確に比べることができないからです。説明するまでもないと思いますが、今と昔を比べようと思っても時代が違いすぎます。教育状況、水準、学習環境、学習内容・・・これらが全く違ってきます。

     それでも、「ゆとり教育で学力が低下した」と言われる時に使われるデータがあります。OECD(経済開発協力機構)が実施しているPISA(学習到達度理解調査)という調査です。

    PISA・・・OECDが国際的に行っている学力調査。2000年に調査を開始し、32か国が参加している。以降は3年ごとに実施され、参加国が増加している。読解リテラシー、数学的リテラシー、科学的リテラシーの3部門を測定している。


     文部科学省 OECD生徒の学習到達度調査(PISA)《2000年調査国際結果の要約》

     2003年の調査で日本はガクッと順位を落としました。2006年にもさらに順位を落とします。ゆとり教育の開始が2002年なので、「ゆとり教育により学力が低下した」となったわけですね。

     問題はその「学力」の中身です。PISAで求められていた学力の定義を見てみたいと思います。3つあるのですが、代表して「数学的リテラシー」です。

    数学的リテラシーとは、「数学が世界で果たす役割を見つけ、理解し、現在及び将来の個人の生活、職業生活、友人や家族や親族との社会生活、建設的で関心を持った思慮深い市民としての生活において確実な数学的根拠にもとづき判断を行い、数学に携わる能力」である。


     これを見て、呆気にとられた方はいませんか?私はそうでした。これまで日本が目指してきた教育とは全く違います。これまでの学校教育で、「建設的で関心を持った思慮深い市民」を養成してきたか、と言われればお世辞にもそうは言えないと思います。

     学力低下を受けて始まったのが、全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)です。これにはA問題とB問題があります。活用・応用的な能力を問うB問題が、PISAを受けて導入された問題です。

     こうなると、学力低下というよりも、「学力」の定義が大きく変わってしまったといった方がしっくり来ます。

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     日本大学教授の小笠原喜康さんは、著書でこの一連の流れを「黒船の襲来」に例えています。2000年代になって新しく唱えられるようになった新しい学力を、日本にやってきた黒船に例えています。

     江戸時代の終わり、見たことのない黒船の襲来に、人々はあわてまどいました。短期間で、日本で新政府が発足し、一気に文明開化へと舵を切ったのです。

     2000年代の初め、見たことのない新しい「学力」の襲来(?)に、人々はあわてまどいました。短期間で、日本は新たな学力を取り入れた学力テストを始め、一気に新しい学力に舵を切ったのです。

     まるっきり同じじゃないですか 笑。

     私はこの「全国統一学力テスト」を受けました。当時はまだ小学生です。難しいことは分かりませんでしたが、何だかおかしいなあと子供心に思っていました。

     学力テストが近づくと、先生たちは慌てだします。学力テストの直前に対策の授業があります。学力テストの類題を使いながらの授業です。普段の授業とは似ても似つかない問題。なかなか戸惑いました。

     「社会生活で生かす能力を養い、思慮深い市民になるため」の学力を測ろうとしています。それなのに、直前の対策授業です。普段やっている授業とあまりにもずれているなあ、とか、学力テストのために普段の授業をつぶすの?とか、日常生活での応用力を試す問題なのに直前に付け焼き刃の対策をして意味があるの?とか・・・。理不尽なことが多いように思います。

    今の教育のあり方そのものに、大きな原因がある。そう言えそうです。

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      時代が、ものすごいスピードで変化しています。常識が、ものすごいスピードで常識ではなくなります。私は世間から見れば若者になりますが、今時の小学生の多くがスマホを持っていることなどには時代の進む速さを感じます(それが良いことか悪いことかは置いておいて)。

     休み時間の過ごし方が変わるんでしょうね。
     放課後の過ごし方が変わるんでしょうね。
     友だちとの会話の内容も、コミュニケーションも、そして、勉強のやり方も・・・。 

     私が小学校を卒業してから、まだ10年もたっていません。それなのに、今の小学生が全く想像できません。「未知の生物」です。小学生が想像できないだけでなく、1つ下の学年も私にとって「未知の生物」でした。私たちの学年は、ちょうどガラケーとスマホが切り替わった時期でした。私たちは皆ガラケーを使っていたのに、1つ下の後輩は皆スマホを使っているんです。同じ学校で、ですよ。奇妙な光景でした。

     自分で考える力がない、主体性がない、常識がない、叱られることを怖がる・・・・「ゆとり世代」、いろいろと言われています。残念ながら反論の言葉が出てきません。その通りなのだと思います。そんな風に言われるのはきっと、これまでの世代の「常識」と大きく異なっている反動なのだと思います。

     ですが、スマホの例で見たように、常識は目まぐるしく変わっていきます。私たちゆとり世代が社会の中心になり、親になる時代がやってきます。「ゆとり世代」の後には、どんな世代がやってくるのでしょう。「小学校の頃からスマホ世代」がやってきたとき、そのギャップに驚き、目を疑い、そして批判を始めるのは私たちゆとり世代なんでしょうか・・・。立場が入れ替わっていますが、構図が同じだということに気付きます。

     前編でも書いたように、自分が「ゆとり世代」だから、ということで自虐に走ったり、努力を放棄することは絶対にやめようと思います。そんなことをしていたら、あっという間にやってくる「次の時代」に飲み込まれて、何の役にも立たない人間になってしまいそうです。

     それと同時に、私たちに「ゆとり世代」というレッテルを貼って無意味な批判に走ることも止めるべきだと思います。これも同じく、すぐにやってくる次の時代では通用しないことです。

     「ゆとり世代」、私にとってはNGワードです。

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    とり世代の自虐も、ゆとり世代叩きも、すぐに通用しなくなると思います。「次の時代」が来た時、どうしますか?

     時代が目まぐるしく変わっています。そんな中、ここ最近求められるようになった「新たな学力」なるものが、実体がなく、宙にさまよっているようです。世代の常識に当てはめてものを言うのではなく、時代を捉えた教育が必要だと思います。



    こちらもどうぞ

    「ゆとりの社会学」 (前編)
     私の記事なんかよりよっぽどためになるコメントをたくさんいただきました。ぜひ、コメントと合わせてお読みください。前編の方にコメントをくださった方、どうもありがとうございます!
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