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今こそ、「世代フリー」 『「ゆとり」批判はどうつくられたのか』 佐藤博志・岡本智周

 21, 2015 22:48

 この間「ゆとり世代」「ゆとり教育」について特集を組みました。あまり間が空いていませんが、もう1冊ゆとりに関する本を紹介させていただこうと思います。「こんな本を待っていた!」という感じの本でした。

「ゆとり」批判はどうつくられたのか: 世代論を解きほぐす
佐藤 博志 岡本 智周
太郎次郎社エディタス
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 ここ1か月ほど、小説と並行してずっと「ゆとり」に関する本を読んでいます。もう頭の中は「ゆとり」だらけです。自分が「ゆとり世代」ということもあり、真剣に考えたいテーマでした。読んでいくうちに、思ったことがあります。「そもそも、ゆとりという言葉自体が間違っているのではないか」―。それを見事に指摘していたのがこの本でした。



そもそもの間違い



 「ゆとり教育」「ゆとり世代」概念は、第1章から第4章で指摘したように、根拠のない空虚な言葉であり、廃止したほうがよいでしょう。(p161)

 この言葉が聞きたかったのです。いろいろ本を読んできましたが、ここに踏み込んだ本は意外と少なかったように思います。この結論に至るまでの論も大変分かりやすく、適切にまとめられていたように思います。

ある時期に理想的に掲げられた教育観念をなんとなく頭に思い浮かべ、それが実際にどのていど現実化されたのかは問うこともないまま、その時期に学齢期にあった人びとのことをなんとなく指し示す言葉が、「ゆとり世代」という言葉なのだといえます。


 この部分に反論する人はいないと思います。先日行った、「ゆとり」のツイッター分析を見ても明らかなように、「ゆとり」という言葉は、若者世代の甘えともいえる自虐、そして大人世代の自分勝手な若者批判のために使われる言葉でしかありませんでした。

 筆者は、朝日新聞の社説を分析しながら、「ゆとり」をめぐる言説がどのように変化していったのか分析しています。そこから見えてきたのは、いつの時代もある若者への批判が「教育」と結び付けられてしまったこと、そして、そもそも「ゆとり」というネーミングからして間違っていたことの2つでした。

世代批判と教育批判



 「今時の若い者は・・・」そんな「若者批判」はいつの時代も存在します。こうしたいわゆる「世代論」を考えていると、本当に虚しくなります。不毛な世代論は、何も生み出すことはないでしょう。

先行世代はそれをすることによって旧来の観衆の優位性を主張し、自らが社会的に生き永らえる根拠を確保します。「世代論」という装置はそのように作用する虚しい側面をもちます。



 ここまでは考えればすぐ分かることです。では、「ゆとり世代」が今までの若者批判と同じものか、というとそうではありません。そこには重大な違いがありました。

どの世代でも若い時期に経験したであろう一般的な若者批判の部分までが、「ゆとり教育」の欠点のためだという論理にすり替えられ、またネガティブな評価を受けつづける「ゆとり教育」で育ったということが、「ゆとり世代」をバッシングするための有効な根拠にされてしまう事態となりました。


 若者批判はいつの時代もあるのですが、「教育への批判」が若者の批判へと結びついています。「ダメなゆとり教育を受けてきたから若者はダメなのだ」、たしかにこれまでの若者批判には見当たらない論理です。

 新聞の社説の変化を見るとそのことが裏付けられました。最初は肯定的にとらえられていた「ゆとり」でしたが、徐々に学力低下が懸念され、ゆとりは非難されるようになりました。ゆとりが非難されるようになってから、若者が「ゆとり世代」と呼ばれ、同様に非難の対象になっています。これまでの時代と同じように単に若者が非難されるのではなく、まるで「ゆとり教育」の失敗を若者の失敗としてなすりつけているような、そんな印象を受けます。

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 筆者のお二人は、筑波大学の准教授です。この本では、筑波大学で行われた、「ゆとり世代」当事者の学生たちによるディスカッションの内容が紹介されていました。少し私の方が年齢は下ですが、私も同じく「ゆとり世代」と言われ続けてきた一人です。ディスカッションの内容は、涙が出そうなほど共感できるものでした。一部を箇条書きで紹介します。

・高校の先生から、「キミたちはゆとり教育の失敗作だからね」と言われた
・就職で、「ゆとり」が社会に来る、と騒がれる
ゆとり教育を受けていないのに、「ゆとり」とくくられる
・「脱ゆとり」世代に引け目を感じる
・自分たちは、簡単な内容で希望の大学に行けた、少ないエネルギーでここまで来た「最強のゆとり世代」
・少しでもネガティブなところがあると、その世代というだけで「ゆとり」と言われる



 失敗作って・・・。あまりにもひどすぎるような気がします。しかも、それを言っているのが「高校の先生」だというのです。私は「失敗作」とこそ直接言われたことはありませんでしたが、同じようなニュアンスの言葉を浴びました。ゆとり世代は「かわいそうな人たち」だそうです。

 そんな評価を少しでも覆そうとこうして記事を書いているわけですが、なんだか力が抜けてきます。私がゆとり世代の当事者だ、と書いただけでこの記事全体を切り捨てる人も世の中にはいるのだと思います。何しろ、「かわいそう」な、「失敗作」が書いた文章ですから。

世代フリーを目指して



 ちょっといじけてしまいましたが、こんな風に悲観的になっても何も変わりはしないことはよく分かっています。ゆとり世代の中には、「大人が悪い」「国が悪い」と責任を転嫁してしまう人もいると思います。そうはなりたくありません。

 そもそもの部分から間違っている「ゆとり」という言葉から、いかに脱却できるか。そこにかかっていると思います。とはいえ、若者にのしかかる社会からの「負のエネルギー」は、とてつもなく大きいものだとも思います。

 最後に、筆者は「世代フリー」という概念を提唱します。根拠のない不適切な世代言説や世代論から解放され、自由になることを指しています。険しい道のりかもしれません。それでも、確かに正しい道しるべを示してもらったような気がします。

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毛な世代論から一日も早く脱却できますように・・・。
 
 前回までのシリーズも合わせ、計3回のゆとりシリーズでした。長いこと書いてきましたが、これまで読んできてくださった方が、今後「ゆとり」という言葉を聞いたときに、「その言葉自体が間違っている」と頭の片隅で思うようになってくだされば幸いです。



こちらもどうぞ

 前回までのゆとりシリーズです。

○○社会学 第2回 「ゆとりの社会学」 (前編)
 ツイッターで流れてくるツイートから「ゆとり」がどのような文脈で使われているのか調べました。

○○社会学 第2回 「ゆとりの社会学」 (後編)
 記事の中で一部説明が不十分な点がありました。コメントで指摘をいただき、回答しています。その回答は2000字以上と大変長くなってしまったのですが、ぜひコメントも合わせてご参照ください。
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  •   21, 2015 22:48