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  • 調律のテクスト論 -『名作の書き出し 漱石から春樹まで』 石原千秋

     27, 2015 23:52
     よく、読書をする人のことを「読書家」と言います。でも、私自身はあまりこの言葉を使いません。「使えません」といった方が正確でしょうか。代わりに、「読書好き」という言い方にとどめています。

    名作の書き出し 漱石から春樹まで (光文社新書)
    石原千秋
    光文社
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     まだまだ「読書家」は名乗れないなあ、と痛感させられるのが、このような1冊を読んだときです。久しぶりに新書の紹介をしようと思います。選りすぐりの近代文学の書き出しから作品を論じていく「名作の書き出し」という1冊です。筆者が用いているのは、文学解釈で用いられている有名な論の1つ、「テクスト論」です。



    目から鱗のテクスト論



     みなさんは小説・文学を読むとき、どんな読まれ方をするでしょうか。私の場合は、これまでのレビューを読んでいただけば分かるように、「本の向こうにいる作者を想定した読み」をすることが多いです。

     この作者は作品を通して何を伝えたいんだろう
     この作者はどんな思いでこの文章を書いたんだろう

     そんなことを考えることが多いです。自分のレビューを見返して思ったのですが、作者のインタビューや他の作品などを引用していることが多いように思います(前回の小川洋子さんもそうでした)。作者を知ることにより、作品を知ろうとしているのでしょう。

     「テクスト論」は、そんな読みとは真逆の立場です。簡単に言えば、「何が語られているか」に着目した読みです。文章(テクスト)そのものを論じるのであり、そこに込められた作者の意図・思いなどといったのものは一度切り離して考えています。

    僕の専門は漱石研究だが、漱石研究と言っても、伝記的事実を明らかにしたり、伝記的事実や漱石の小説以外の文章や資料と絡めて小説を読む方法は拒否している。つまり、解釈するための時代背景やコード(解釈の枠組)はどこからでも持ってくるが、作者だけはかたくなに拒否して、小説だけを読む「テクスト論」という立場を採っている。



     普段小説を読むとき、「テクスト論」の立場に立って読むことはほとんでありません。文章に何か明確な特徴がある時はそこに気が向くかもしれませんが、そうではない小説なら、やはり「作者」を考えてしまうでしょう。この本は、近現代文学の名作15作品を、テクスト論の立場から論じています。普段はほとんど意識しないテクスト論・・・目から鱗の解釈です。

    調律のプロセス



     作品の書き出しに注目して本を読まれる方は多いと思います。波一つ立たない水面に、「書き出し」という石が投げ込まれます。静かなさざ波を立たせることもあれば、いきなり大きなうねりを生じさせることもあります。楽しみと緊張が高まる中、作品は必ず「書き出し」から始まります。

     その書き出しを通して、読者は「調律」をしている、と筆者は論じています。

    小説の書き出しを読むとき、僕たち読者はその小説に対する自分の態度を決めるために、さまざまなことを読み取ろうとする。そして、まさにそのときに僕たちが身につけている言葉の意味と小説の言葉の意味との差異にとまどいながらも、書き出しを読んでいるわずかの間に自分をその小説の理想的な読者として「調律」しているのである。


     その調律までのプロセスを、この本では丁寧に追っています。調律することにより、理想的な読者=自分なりの読みをする読者を目指す、と言うのです。ここに紹介されている15のうち、私が読んだことのある作品は半分以下でした。それでも、この本にはむさぼるように読める面白さがありました。それは、筆者が「自分なりの読み」にたどりついているからでしょう。他人の「自分なりの読み」に触れる、こんな面白いことはありません。

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     今から、とてもややこしいことを書きます。ここまで読んでくださった方、どうかご注意ください。

     第12章では吉本ばななさんの「キッチン」という作品が紹介されています。この作品の書き出しはこうです。

    私がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う。



     正直に告白します。私がこの作品を読んでいたとして、この書き出しにはそんなに気を払わないと思います。しかし、この文章には「人の心にひっかかりを与える何か」があることが、文学研究の世界ではすでに分析されているそうです。この書き出しが2通りにとれることを筆者は指摘します。

     私がこの世で一番好きな場所は台所だと思う
    →私は自分がこの世でいちばん好きな場所は台所だと思う
    →私がこの世で一番好きな場所は台所だと私は思う

     ややこしくなってきましたか?よくよくこの2つの文章を見た時、「思う」の主体に「私は」が加えられていることに気付きます。原文では、「思う」の主体が限定されていませんでした。それが、ひっかかる何かになっていたのですね。

    いま、試みに示してみた冒頭の一文の書き換えは、結局一つのことをやろうとしている。いずれも、文章を安定させるために「思う」の主体を「私」に限定させようとする作業である。この作業から見えてくるのは、冒頭の一文の「思う」の主体はどこにもいない誰かだということだ。(中略)「私」のアイデンティティーがいかに不安定かが、この冒頭の一文から伝わってくる。そして、「私」の底なしの孤独が伝わってくる。



     これが「テクスト論」・・・!すごいです。作品を読んだことがなくても面白い、と書きましたが、その面白さを少し体験していただけたかと思います。ただし、ネタバレが多いです。これから読もうと楽しみにしている作品がリストにある場合は、先に作品を読んでからこちらを読んだ方がよいと思います。私は夢中になって読んでしまい、読んだことのない作品のネタバレもしっかり読んでいたことに、読後に気付きました 笑。

    テクストの可能性



     紹介されている作品で一番最近読んだのは谷崎潤一郎の「痴人の愛」でした。冒頭にある「類例」や「関係」と言う言葉を抽象化して見たり、「痴人の愛」を漱石文学のパロディーだったのではないか(!)と論じたり、テクスト論の面白さを堪能します。

     文学作品ばかりか・・・と思った皆さん、後半の作品は現代文学が中心です。村上龍さんに山田詠美さん、吉本ばななさんに江國香織さん、そして村上春樹さん。知っている作品・好きな作品・気になる作品が必ず一つはあるかと思います。

     「名作」を選んだとのことですが、筆者があとがきで指摘しているように、名作の定義が大変難しいです。実際、ここで紹介されている作品に「性」をテーマにした作品が多いことに気付きます。筆者の好みはかなり反映されているのでしょう。

    「名作」という概念は、自分の好みの偏差を測る座標軸のようなものかもしれない。そこで、僕の読み方に共感し、「これはおもしろい小説かも」と思って、それをあなたの「名作」リストに加えてもらいたら、僕としてはこれほどの幸せはない。



     「これはおもしろい小説かも」という出会いがたくさんありました。感謝しております。そして、「テクスト論」の面白さと可能性に触れることができたのもよかったです。機会があれば、ブックレビューで「テクスト論」の読みに挑戦してみたいと思います。ずぶの素人なのでどんなレビューになるか分かりませんが、いろいろと実験をしてみるのも、読書の面白さでしょう。

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    目のテクスト論!テクストから広がる文学の新たな可能性―。
     
     「本を読んでいるんだからそれでいいじゃん」と思われる方もいるかもしれません。ですが、私はそうは思いません。この本のような「読み」の技術を高めていけば、本の可能性、読書の可能性はどんどん高まっていきます。それによって「本がもっと好きになる」としたら、やっぱり私は読みの技術についてもっと学びたいと思います。

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