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呪いから解かれる日 -『スペードの3』 朝井リョウ

 07, 2015 19:05

 傷つきたくない、という方は今日の記事をお読みにならないでください。どうかよろしくお願いします。今日書くのは、「心を破壊する」記事になるかもしれないからです。

スペードの3
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朝井 リョウ
講談社
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 朝井リョウさんが昨年発表した作品、「スペードの3」です。今私が世界で一番恐ろしい人、それが朝井リョウさんです。この本のことを伝えるのは本当に難しいです。「よかった」「面白かった」「感動した」「すごい」、いつもの言葉で済ませることはできないですし、そんな言葉を使う場面もありません。

 本気で書かれた本に、本気で感想を書きます。



朝井リョウは何に挑む



 ブログを始める前、私は1つ大きな勘違いをしていました。それは、「ブログには『本音』がある」ということです。匿名で運営できるブログだから、自分の本性をさらけ出して、本音を語れるのではないか。他の人も、ブログで本性をさらけ出して本音を語っているのではないか。そう思っていました。

 それは、大きな勘違いでした。ブログを始めてから今日まで、「本性をさらけ出して本音で書いた」記事など1つもありません。他の人のブログはどうでしょうか。他の人の本性や本音は分からないので、想像するしかありません。私の想像でものを言いますが、「この人は本性をさらけ出して本音を書いている」、そう思える記事を読んだことはほとんどありません。その逆なら、数えきれないほどあります。
 
 人間は、自分の醜い部分は絶対に出さない(出せない)

 そんなことに、最近になってようやく気付きました。

 その「醜い部分」に、果敢に挑み続ける作家がいます。それが、朝井リョウさんです。

 これまでふたをしていたものを、今日は書いてみようと思います。

残酷になる瞬間



 いきなりひどいことを書きますが、この作品は作品としてはそこまでではありません。以前に「何者」を読んでいたからそう思うのでしょう。中身は変えずに、器だけ変えた作品だからです。朝井リョウさんはなぜそこまでこだわるのか、途中からはそう切り替えて読むことにしました。

誰かのため、という前提で行っていた物事にはすべて、その手前にもうひとつの前提があった。自分のため、自分のため、自分のため。ついに裏返った心が、思い切り呼吸をして、どんどん大きくなっていく



 誰もが、自分がかわいくてしかたない。全ての行動と言動に潜んでいるのは、「自分を認めてほしい」「自分を肯定したい」そんな思いです。自分がかわいいことは、悪いことでしょうか。そうは思いません。恐ろしいのは別のことです。

 自分がかわいいがゆえに、人間は時に、他人に対して信じられないほど残酷になってしまうこと―。

 以下は、朝井リョウさんのインタビュー記事からの抜粋です。

朝井:正直、朝井リョウの作品に対する批判は特に突き刺さったりはしません。なぜなら、書いてある批判は全て僕の知っていることだから。それに、「若くてリア充ぽい作家・朝井リョウ」をどうにか揶揄することで自分自身を保とうとしている人がとても多くて、そういう人を見ていると、ぼくがオカズになることでその人の精神が少しでも安定するならばそれでもいいのかな、と思ったりもします。そういう人って、「つまらない!」とか「もう読まない!」とか、そういうふうには書かないんですよ。

 批判とか揶揄する文章の中に、どうにかして自分の鋭い着眼点や個性を入れ込んでいるんです

 朝井リョウ ネットについて考える「無駄な競い合いが増えた」 (2013.6.29)

 こういうことを言葉にする人がいることに、心底驚きました。

 私がブログをやっている本当の理由を言葉にする人がいる人に、心底驚きました。
 
 本のレビューを書いていて、「つまらない」「もう読まない」で終らせたことは一度もありません。鋭い着眼点や個性を入り込ませる、それはいつも意識しています。この方が言うように、「自分自身を保つ」ために。

 自分自身を保つ、それはブログやツイッターをする人の根底にあるものでしょう。そして、朝井さんの作品の根底にもあります。ブログのテーマは関係ありません。それはただの飾りです。中にはブログで自分自身を傷つけているように見える人もいます(いわゆる、自虐)。それは、傷つける「ふり」をしているだけです。傷つけるふりをしながら、自分をなぐさめているだけです。

 虚勢を張る、嘘をつく、陰で見下す、謙虚さを装う、キャラを演じる・・・。

 残念ながら、その人以外の人はそれをすべて見透かしています。ほんとに、すべて。

 朝井リョウさんの場合、見透かしたことを言葉にするのが抜群にうまいのです。

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 朝井リョウさんがこれだけ書けるのは、そういった醜い部分を見続けてきたからでしょう。自分の中の醜い部分を意識し続けてきたからでしょう。作品に出てくる「観察者」としての視点の鋭さは、他の作家の追随を許しません。

 醜さを見つめた上で、それらと闘い続けている。私は朝井リョウさんにそんな印象を持っています。その根拠に、この作品にはこんな一説が出てきます。

違う。そんなものは美学ではない。呪いだ。けれど、美学に見せかけた呪いだから、自覚的にならない限り、いつまでも解けることがない。



 出ました、「呪い」です。先日紹介した「本屋さんのダイアナ」にも出てきた「呪い」です。私は、この作品のラストと「何者」のラストを読んだとき、全く同じことを感じました。

 朝井リョウさんが、自身に向かって必死に何かを言い聞かせようとしているのです。「呪い」を解こうとしているのです。精一杯、「自覚的」になろうとしているのです。

 呪いと闘い続けること。朝井リョウさんの作家としての心臓が、ここにあるような気がします。


呪いには勝てるのか



 朝井リョウさんの経歴を見ます。輝かしい経歴。挫折なんて、入り込むすきもないような人生。うらやむ人もいるでしょう。でも、私は全くそう思えません。自分の人生と朝井リョウさんの人生を取りかえてもいい、と言われたら・・・。私は、死んでもいやです。

 インタビューで、とても印象に残っている一説があります。

でも、確かに23歳で直木賞を取ったら、どこかおかしくなっちゃうと思うんです。勘違いしちゃって、自殺とかしかねない気もする。だからこそ、勘違いさせてくれない場所が必要なんですよね

 小説家であり続けるために──作家・朝井リョウ

 突拍子もなく飛び出してきた、「自殺」という言葉。最初見た時、二度見しました。どんな思いからこの言葉が出て来たのか、他人は知るよしはありませんが、私は自分なりに解釈することにしました。

 作品を読めばわかる通り、朝井リョウさんも心に醜い部分を抱えた1人の人間です。そんな1人の人間が、若くしてこれだけの功績を手に入れて、「有名人」になったのです。実際の自分と、自分に付けられる数々の看板。そのギャップに、私だったら絶対に耐えられません。それこそおかしくなって、勘違いして、自殺するでしょう。

 朝井リョウさんは、そうはならないのだと思います。自分の醜さを自覚しているから。これからも、見つめ続けて、書き続けて、活躍し続けるのでしょう。

 呪いに勝てる日はくるのでしょうか。自分の影を踏むことができないように、自分の中の醜い部分を取り去ることなんて絶対にできません。ただ、呪いに勝てる日は来ると思います。それは、醜い部分を「本当の意味で」自覚できるようになる、その日です。

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もが、「呪い」にかかってる―自覚の書

 私の記事を読んで「無理だ」と思った方は絶対に朝井リョウさんの本を読まないでください。二度と立ち直れなくなります。最後まで読み切った方がいて、朝井リョウさんに興味があれば、作品を読むなり、引用したインタビュー記事を読むなりしていただきたいと思います。
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  •   07, 2015 19:05