HOME > スポンサー広告 > title - 題名のないコラムHOME > 過去のコーナー・その他 > title - 題名のないコラム

スポンサーサイト

 --, -- --:--
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。





  •   --, -- --:--
  • 題名のないコラム

     15, 2015 23:30
    LogoFactory_convert_20150406020447.jpgcooltext1935554129.png

     どうしても、タイトルが思い浮かびませんでした。私はタイトルが浮かばないようなことを書こうとしているからだと思います。今日はそんなに文量が多くないので、その代わりにゆっくり読んでいただけたらうれしいです。



    kinmokusei_l_convert_20150617000628.pngるさと

     月並みですが、「ふるさと」という童謡が好きです。地元に帰る時には必ず頭にメロディーが流れます。地元に帰るでもない、普段の帰り道でも、ふと口ずさんでしまうのです。

    兎追ひし彼の山
    小鮒釣りし彼の川
    夢は今も巡りて
    忘れ難き故郷

    .如何にいます父母
    恙無しや友がき
    雨に風につけても
    思ひ出づる故郷

    志を果たして
    いつの日にか歸らむ
    山は青き故郷
    水は清き故郷



     時々、立ち止まって考えてしまうことがあります。

     私は、山で兎を追ったこともなければ、川で小鮒を釣ったこともない。
     地元に、青い山や清き水があったかと言えば、そうでもない。

     それなのに、どうして私はこの歌を歌うのだろう。

     どうしてこの歌で、私はふるさとを想うことができるのだろう。

     もう少し踏み込んでもいいかもしれません。

     どうしてこの「ふるさと」という歌は、日本人皆にとっての「ふるさと」になれるのだろう―。

    kinmokusei_l_convert_20150617000628.pngの写真

     空を見上げるのが好きです。また、他の人がとった空の写真を見るのが好きです。

    a0002_008716.jpg

     同じ時間、同じ場所で同じ空を眺めていても、人の心に映る空はそれぞれです。人がとった空の写真を見ていると、そのことがよく分かります。同じカメラで同じ空を写しても、切り取られた空は全く違ったものになるのです。切り取られる空が「生き物」であり、切り取る人間もまた生き物であるということを改めて思います。生き物と生き物が向き合うから、同じものは二度と生まれない。

     時々、力が抜けるような気分になります。

     たくさんの物語を読んで、感じたことを書こうとする。感じたことをつかまえようと、必死にことばを探して、消したり、足したり、かけ合わせたりの悪戦苦闘。

     そんなことをしなくても、ふと上を見上げた時に、そこにはその時だけの「物語」が広がっています。ああ、ことばを探す必要なんて、どこにもなかったんだ―。

    a0070_000175.jpg



    kinmokusei_l_convert_20150617000628.pngとばのない空間

     「ふるさと」という歌が、誰にとってもふるさとになれる。空を見上げれば、そこにはいつもその時だけの物語がある。まったくつながりのないような話を2つ書いたのですが、ここにつながりを見つけるとしたら、それは「ことばのない空間」ということでしょうか。

     「ふるさと」が日本人の心に訴えかけるものや、空に広がっている物語にことばを与えて説明しようというのは無粋なことです。ことばをたくさん覚えていくうちに、まるで世界のあらゆるものが説明できるようになるかのような、そんな錯覚に陥ることがあります。そうではなくて、「ことばが踏み込めない」場所というのは必ず存在しているのだと思います。

     最近、ことばがほとんど、あるいはまったく書かれていないブログを好んで見るようになりました。

     たった一言だけ書かれた日記。ポーンとそこに放り込まれたことば。

     説明はなく、その人がとった写真がのっているだけのブログ。

     たった1枚の絵。たった1つの動画。たった一言の感想。

     以前の私だったら、「しょうもないなあ」と思って、そのまま通り過ぎていたかもしれません。しかし最近は、何か変化があったのか、そういったブログを食い入るように見つめている自分がいます。

     私はがっつり書くタイプです。最初は1000文字くらいだった記事の量が、1500文字、2000文字と次々に膨張し、最近は3000文字を超えることもしばしばです。見に行くブログも、同じようにがっつり書かれているものが好きでした。きっと、私は思っていたのでしょう。「たくさんのことを書けば、たくさんのことが伝わる」、と。

     最近少し考えが変わりました。たくさんのことばを発するということは、それだけ世界を汚しているんだ―ことばのない空間がたくさん存在する世界を、ことばで埋め尽くそうとしているのだから。

     こんなことを書いているうちに、今日の記事もそれなりの文量になっています。たくさん書こうというのは私の変えられない性格のようです。次回からの記事で何かが大きく変わるということはありませんが、今日書いたことを、心の片隅にでとめておきたいのです。余計なことばで、世界を汚さないように。「おしゃべり」は、しすぎないように。

     本の写真を張り付けて、たった一言、「とてもよかった」という感想。私の性格からしてそんなブログにはなりません。でも今は、そんなブログが、なんだかうらやましい。





     
    スポンサーサイト





    •   15, 2015 23:30
  • 上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。