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  • 「すくえない」網 -『反貧困 ―「すべり台社会」からの脱出』 湯浅誠

     17, 2015 23:59

     ニュース番組を見ていると、もっと時間を割いてほしいと思うトピックがあります。それは「貧困」です。「ワーキングプア」や「ネットワーク難民」「年越し派遣村」などが声高に叫ばれた時期がありましたが、それらは一時的に話題になり、終わった問題ではないと思います。

    反貧困―「すべり台社会」からの脱出 (岩波新書)
    湯浅 誠
    岩波書店
    売り上げランキング: 42,724


     貧困について書かれた本はたくさんあるのですが、こちらは内容・知名度ともに「エースで4番」と言ってもよい1冊だと思います。タイトルにある「すべり台社会というのは、その言葉からイメージできるように、一度つまづいたらどん底まで滑り落ちてしまう今の社会のことを指します。そして、転がり落ちてしまうリスクは、誰もが、常に抱えています―。



    セーフティネットは救えない



     今の生活が満たされている人は、どこか「貧困」を自分とは関係のない世界の出来事として捉えてしまうかもしれません。筆者はまずそこに警鐘を鳴らします。

    日本社会全体が地盤沈下し、ますます多くの人たちが窮地に追い込まれている中で自分ひとり上手に生き残るというのは簡単なことではない。またそれは、少なからぬ人たちの犠牲の上にしか成り立たないものでもあるだろう。



     筆者が主張する「すべり台社会」という概念に疑問を覚える人もいるかもしれません。貧困に陥った時、その人を救う制度がいくつも存在するから、一気に転がり落ちていくことはないのではないか、という考えです。

     たしかに、そういった制度はあります。いわゆる、「3つのセーフティーネット」です。3つのセーフティーネットとは、雇用のネット、社会保険のネット、生活保護のネットの3つを指します。簡単に言うと、雇用のネットが破れた(仕事をクビになった)としても、その下に社会保険のネット(失業保険など)があり、それも破れてどうにもならなくなれば最後のネット(生活保護)がある、という仕組みです。なるほど、三重のネットがあるので簡単には転がり落ちて行かないように思えます。

     実際はそうはいかないと思います。1つのネットが破れてしまうと、2つ目、3つ目も相次いで突き破ってしまうというのが現実です。

     1番上にある雇用のネットはもはやぼろぼろです。非正規雇用が増大し、4割になろうかという時代です。労働環境が劣悪になれば、社会保険のネットもズタズタになります。最後にあるのは生活保護のネットですが、残念ながらこのネットも落ちてくる人を止めてはくれません。日本の生活保護の捕捉率は2割未満です。これはつまり、「生活保護が必要な生活水準にあって、生活保護を受け取っている人が2割未満」ということになります。他国と比べると、圧倒的な低さです。

     3つのネットがあり、簡単には落ちないように見えて、実はそれは大変脆いものでした。3つのネットは、網目がゆるく「掬えない」ネットであり、本当に支援が必要な人を「救えない」ネットでした。

    自己責任の恐ろしさ



     ただ、ここまで書いたことは調べればすぐに分かりますし、この本の主題ではありません。この本で私たちが一番心して読まなければいけないのは、筆者が指摘する、「貧困が自己責任で片づけられる恐ろしさ」です。

     怠けていたからそうなったんだろう
     努力が足りなかったんじゃないのか -残念ながら、よく聞く声だと思います。

    誰にも頼れない状態の放置をそのまま正当化するかのが自己責任論だが、自己責任を声高に主張する人も、自分一人で生きてきたわけではないだろう。官・民にわたるサポートの不在は、本当に肯定されるべきものなのか。そこに行政や社会の責任はないのか―今、徐々にその問題に人々の関心が向き始めている。



     自己責任というのは本当によく言われますが、それは、「いくつかの選択肢があって、それを平等に選ぶことができる状況で、本人の責任で選んだこと」に対して責任がある、ということです。追いつめられた貧困の状況ではやむにやまれずに限られた選択肢を選ぶしかないので、これを自己責任と呼ぶのは間違っています。筆者もそこは指摘しています。

     生まれながらに貧しい環境に生まれてきた人。急な病気や交通事故で仕事を止めざるをえなくなった人。一家の稼ぎ手が急死し、いきなり貧困に突き落とされた人。・・・どこが「自己責任」になるのでしょうか・・・。

     それでもやまない「自己責任」の声。筆者はさらに考察します。

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     努力が足りないのではなく、「努力にしがみついている」-。

    ほとんどの人が自己責任論を内面化してしまっているので、生活が厳しくても「人の世話になってはいけない。なんとか自分でがんばらなければいけない」と思い込み、相談メールにあるような状態になるまでSOSを発信してこない。彼 / 彼女らは、よく言われるように「自助努力が足りない」のではなく、自助努力にしがみつきすぎたのだ。



     痛切でした。生活保護の水準にあるのに受給していない人が多い、と書いたのですが、その原因の1つはここにあるような気がします。もし自分が貧困に陥り、生活保護を受けるかどうかのところに追い込まれたらどうする?と自分に問いかけてみると、自分がどのような考え方をするのかが分かりやすいです。

     私は、何とかして生活保護にはお世話にならないようにすると思います。ここに書いてある、「人の世話になってはいけない・・・」の思想そのままです。こんな言い方をすると大変申し訳ないのですが、「生活保護を受けてしまったら『終わり』」という考えがあります。

     生活保護が、本当に支援が必要な人を救う制度にはなっていないように思えます。それは、私たちの意識の問題が大きいですし、それよりも今の生活保護制度自体の問題も大きいと思います。

    貧困化スパイラル



     生活保護の役割は貧困に陥ったことを救うだけではありません。生活保護は「最低生活費」を定めていて、それが様々な制度に使用されています。生活保護基準が変わると、生活保護を受けていない人にも影響を与える、ということです。

     下へ下へ、底なし沼から伸びてくる手に引きずり込まれるかのように、日本全体が貧困に向かっていく。そして、「底辺に向かう競争」を始める、このことを筆者は「貧困化スパイラル」と呼んでいます。

    「貧困は人にはないよ、社会にあるんだ」

     立派でもなく、かわいくもない人たちは「保護に値しない」のなら、それはもう人権ではない。生を値踏みするべきではない。貧困が「あってはならない」のは、それが社会の弱体化の証だからに他ならない。



     長々と書いてきましたし、私自身もこれから勉強していかなければいけないことがたくさんあるのですが、とりあえずこの段階でまとめておきたいことは1つです。

     貧困が「自己責任」である、という主張の恐ろしさにだけは気付かなければいけません。

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    度転べばすべてが終わり、「自己責任」で斬られる社会―その恐ろしさに気付く1冊 

     こんなことを書いておきながらなんですが、私は「自己責任」と叫び続ける人の気持ちも想像できるような気がします。一度転べば全て終わる社会。自分に責任がないことを言い聞かせながら、「転べば終わり」という地獄から必死に目をそらそうとしている、そんな風に思います。そうなると、その原因もまた「社会」に帰っていくのですが。


    ◆殿堂入り決定!

    「最果ての図書館」は『反貧困』を「ゴールド」に認定しました。おめでとうございます!





    こちらもどうぞ

    「ルポ 貧困大国アメリカ」 堤未果さん
     こちらも貧困をテーマにした有名な岩波新書です。今日紹介した「反貧困」の中でこの本の内容が何度か引用されていました。

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    新書, 湯浅誠, 社会,



    •   17, 2015 23:59
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