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100万分の1回のねこ 2匹目 「竹」 岩瀬成子さん

 27, 2015 22:14
100万分の1回のねこ
100万分の1回のねこ
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谷川 俊太郎 山田 詠美 江國 香織 岩瀬 成子 くどう なおこ 井上 荒野 角田 光代 町田 康 今江 祥智 唯野 未歩子 綿矢 りさ 川上 弘美 広瀬 弦
講談社
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らりくらりと猫はゆく

 「100万分の1回のねこ」という本から、短編を1つずつ紹介しています。第2回目の今回は、岩瀬成子(いわせ・じょうこ)さんの短編、「竹(たけ)」を紹介します。

 初めて読む作家さんだったのですが、「あ、この人、好きだ」というのが読み始めて数ページですぐに分かります。ぶっきらぼうな印象を受ける文章ですが、気付けばぐいぐい引き込まれていきます。



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「竹」 岩瀬成子

 突然いなくなったねこ、「竹」。ふらっと突然姿をくらませるねこ。一体どこで何をしているのでしょう。ねこを心配する人間と、そんなことはどこ吹く風と言った感じのねこが織りなす、ちょっと不思議な物語-。

ネコ3らすじ

 竹が帰ってこない。

 主人公の家のねこ、「竹(たけ)」が行方不明になったのです。竹は3日前から行方をくらませていました。けれど、「私」はそのことに気付いていませんでした。ここ数日間、隣のクラスの寺山くんのことばかり気になっていたからです。

 「私」が寺山くんのことを気にするようになったのは、寺山くんと自転車ですれ違った時に彼の口から聞こえてきた一言でした。

 「おれ、わかってたんだよ、イエイ」
 それは、彼がつぶやいた何気ないひとりごとだったのかもしれません。しかし、「私」には忘れられない一言でした。「イエイ」と聞いた瞬間、心臓が大きく「どっきん」となったのです。

 さて、「私」と家族は竹を探します。必死に自転車をこぐ姉、「帰ってくる」と余裕のある笑みを浮かべる母、そして、心の中に浮かぶ「死」の影を振り払いながらも、涙がこみあげてきてしまう「私」。こんなに心配をかけて、竹はどこにいったのでしょう・・・。

 ひょんなことから、「私」は竹を見つけました。そこは、庭にたくさんのねこが出入りしているあるおばあさんの家でした。私はその中から、竹の姿を見つけます。ですが・・・

(引用)「たけ。おいで」手を差し伸べた。

「あの子は八兵衛ちゃんよ」
おばあさんが言った。「ずっと前からうちにいる子」



 私は混乱してしまいます。目の前にいるのは竹なのに、そのねこは「八兵衛」だというのです。目の前のねこは、竹なのでしょうか、それとも八兵衛なのでしょうか。そして、竹は帰ってくるのでしょうか。

ネコ3瀬成子さんのねこ

 「100万回生きたねこ」にささげるこの短編集。この作品に出てくる竹は、「100万回生きたねこ」を意識しているようですね。

(引用)「どういう猫かしら」
「えーと、黒い毛と白い毛の、トラ猫っていうか」



 猫がふらふらと家出して、いつの間にか他の家のねこになっていた!という話は案外よくあるそうです。のらりくらりと出て行ってしまうねこは、一体どんなところで、どんな生活をしているのでしょうか。ねこの不思議さというか、つかみどころのなさがよく伝わってくる作品です。

ネコ3は何思う

 主人公の私は、「死」に対してとても敏感です。ソファーで寝ている母親を見るだけで、死を連想してしまうような敏感さです。竹を探しているときも、私の頭の中には死がよぎってしまうのでした。

(引用)そう思ったら竹が林の中で死んでいる姿を思い浮かべてしまった。車が竹をはねて、運転席から降りてきた人が横たわった竹を掴んで林の中に抛(ほう)った、とか。

そんな悪い人がそこにもここにもいるような気がしてくる。猫を憎んでいる人がそこらじゅうにいるような気がしてくる。

竹、と思う。生きてろよ。



 不安なときに「死」が頭をよぎる、というのはすごくよく分かります。特に小さい子供だったらなおさらではないでしょうか。私も昔のことを思い出します。親が帰ってくるのがいつもより少し遅くなっただけで、「交通事故に遭ったのではないか」などと考えてしまうのです。

 竹がどこか遠くにいってしまった気がして、私の目からは涙がこぼれます。

(引用)竹が闇に消えた気がして涙が出てきた。涙はどんどん出た。おぅおぅおぅ。喉の奥のほうから声がこみあげてきた。



 私以外の家族も、竹のことを気にかけます。竹のことを心配して、必死に自転車をこぐお姉さん。お母さんは「見当がつかんから念じるしかないね」と余裕そうにウイスキーを飲んでいますが、やっぱり竹のことが心配なのです。

 こんなに家族に心配をかけているのに、竹はどこまでも自由気ままで、そして不思議です。

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 人間がねこを想う気持ちと、そんなことはどこ吹く風のねこ。そのギャップが印象的です。よく考えると、ねこに名前をつけてかわいがっているのは人間がある意味「勝手に」やっていることで、ねこはそんなことを知らないはずです。ねこがふらふらと出て行って、いつの間にか他の家のねこになっていた、という話は案外おかしくないのかもしれません。

 それでも、人間はねこを想います。勝手に名前を付けているだけかもしれないけど、そんなことは考えずに、ねこを想います。ねこには、その気持ちは伝わるのでしょうか。きっと伝わっている、そう思えるから、人間はねこをはじめ動物を飼っているのだと思います。

 さて、家族みなに心配をかけていた竹は、最後に帰ってきました。これまた何の前触れもなく、ふらりと帰ってくるのです。

(引用)「なんじゃろうね、猫ってさあ。人をさんざん心配させといてさあ」と母が言った。
おっと、とわたしは思った。

眠っている竹を見ながら、マーマレードを塗ったパンを食べ、牛乳を飲んだ。ほんとに、なんじゃろうね、猫ってさあ、と思った。



 おばあさんの家にやってきた猫が竹だったのか八兵衛だったのか、そして家に帰ってきたねこは竹なのか八兵衛なのか・・・結局真相はやぶの中です。人間とねこ、長い間一緒に暮らしてきたのに、分からないことだらけです。目の前にいるねこが本当に我が家のねこなのかさえ分からない、何だかおかしくなります。

 それでも、人間はねこと暮らします。大切に想います。「分からないのに、大切に想う」人間だけができるそのことが、とてもかけがえのないことに思えてくるのでした。

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匹目のねこ~私のつぶやき~

ねこは何を考えているのだろう。身近にいる存在なのに、何も分からないことに気付いてビックリ・・・。

想像するしかないけれど、想像するしかないのなら、よい想像をしたいです。ねこはきっと、「自分の家」に帰ってきたのだ、と。





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 まだまだつづく13回シリーズです。次回はこのブログでも紹介したことのある詩人が登場します。ねこをテーマにした、味わい深い詩です。

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岩瀬成子,



  •   27, 2015 22:14