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羽田圭介さん「スクラップ・アンド・ビルド」を読む (後編)

 06, 2015 23:37
スクラップ・アンド・ビルド
羽田 圭介
文藝春秋
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の前にいる人間の、何が分かるのか―。

☆この記事は2回シリーズの後編です。後編からいらした方は、ぜひ前編の記事のほうもご覧ください。
→ 羽田圭介さん「スクラップ・アンド・ビルド」を読む (前編)

 羽田圭介さんの「スクラップ・アンド・ビルド」、今回は後編です。祖父と同居する孫息子が、祖父に穏やかな死を迎えさせてやるために、「足し算の介護」で祖父の体力を奪っていこうと決意する場面までを読みました。

 孫息子の危うい考えは、破綻することなく最後まで貫き通されるのでしょうか。「価値観の合わない人間の顔が見えた時、人間は何を思うか」という羽田さんが描きたかったテーマが、ラストに向け、徐々に浮き彫りになってくるのです。



愚かな前進



 読み手の側から眺めていると、健斗の思想はかなり危ういところに位置しており、読んでいてハラハラするものがあります。そんな読み手の気持ちなどつゆ知らず、健斗は自分の考えに確信を深めていきます。

(引用)
苦しみに耐え抜いた先にも死しか待っていない人たちの切なる願いを健康な者たちは理解しようともせず、苦しくてもそれでも生き続けるほうがいいなどと、人生の先輩に対し紋切り型のセリフを言うしか能がない。未来のない老人にそんなことを言うのはそれこそ思考停止だろうと、健斗は少し前までの自分をも軽蔑する。凝り固まったヒューマリズムの、多数派の意見から外れたくないとする保身の豚が、深く考えもせずそんなことを言うのだ。



 作品を読んで思ったのですが、核心を突くような場面においては物怖じしないかなり突っ込んだ表現が多用されています。そのような表現が一人の若者の愚かさ、未熟さ、そして世界の狭さをよく描写しています。

 介護の傍らで、健斗が自分の筋肉を鍛えることにまい進する、という設定が面白いです。目の前の老人には未来がなく、この先死に向かって進んでいくしかないのに対し、自分にもこの先も長い未来と人生がある。筋肉を鍛えることは、未来のない祖父を突き放し、自尊心を確保するための行為なのでしょうか。ユーモラスで、どこかちぐはぐな感覚を作品にもたらしています。

 彼は未熟なのですが、私たちに問題提起をしていると考えることもできます。

介護にも役立つと考えて筋肉の鍛錬に励んだり、祖父が生き長らえる気力を削いでやろうと努力したりしながら、介護についての観念的認識と実在的感覚のギャップを開示してもいる (選評 島田雅彦さん)



 介護のゴールは、「死」です。被介護者に穏やかな死を迎えさせてやった時、介護者はようやく介護から解放されます。穏やかに逝かせてやる、ということが目的になると思います。ですが、死んだら解放されるということは、そこに「違う気持ち」が沸き起こってきても不思議ではないのです。

 とはいえ、彼は実は介護のことをそこまで深く捉えてはいないように思います。結局、目の前にいる祖父のことを何も分かっていなかった、ということが明らかになってくるのです。

煩悶のラスト



 さて、作品は終盤にさしかかってきました。羽田さんは、この作品のラストを書くときにたいへん悩んだといいます。別のインタビューで、こんな風におっしゃていました。

(引用)
「役に立っているつもりの若者が、最終的には老人にしっぺ返しをされる、なんとなくそういうイメージで書いていたんですけど。本当にそれでいいのかどうか、最後の数頁は本当に悩みました」



 羽田圭介氏 又吉との芥川賞同時受賞は「ラッキー」と言い切る(NEWS ポストセブン )

 読んでいて、羽田さんが苦労されたということがひしひしと伝わってくるようなラストでした。文学らしくというか、表だって大きなことが起こるわけではないのですが、緊張感の漂う中で、微妙なせめぎあいがあったことを印象づけるラストになっていました。

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 核心に迫る場面です。祖父が健斗にこんなことを言います。

(引用)
「健斗は」
額に手を当てていた祖父が突然、健斗を向いた。

「じいちゃんが死んだらどげんするとね」



 健斗は息を止めました。このあたりから少しずつ見えてきます。これまで、自分が祖父よりも優位に立ち、祖父の死に向かって手を貸してやっているつもりでいた健斗。しかし、支えられていたのは健斗のほうではないのか。

 祖父の介護をしている、祖父が死に向かう手助けをしている―そのことが、健斗の自負であり、精神的支えになっていたのです。就職活動中という厳しい状況にありながら、自分を保つことができていたのは、祖父がいたからではないのか・・・そんな風に思ったのかもしれません。

 誰かの役に立っていると思えることは、その人の生きる意味になります。社会学者の阿部彩さんはこんな風に述べています。

(引用)
社会の中で「役割」「出番」があるということは、人が尊厳を保つのに欠かせない前提である。自分が役に立つ存在であるという固い信条を持つ人間は幸せであり、美しい。





 健斗にとっての役割や出番は、祖父の面倒を見ているというその一点だったのでしょう。しかしそれは、社会の中でではなく、狭い家の中での役割です。家の中にしかない、とても脆くて、危うい役割。「じいちゃんが死んだらどげんするとね」という祖父の言葉は、まさに核心を突いた一言でした。

 祖父は死にゆく人間として、一方的に健斗に見下げられていました。健斗目線で書かれてきた小説ですから、「本当の祖父」はここまでにはいなかったのかもしれません。祖父は健斗の危うい自尊心なるものを、どこまで見通していたのでしょうか。たった一言で、恐ろしくさせてくれます。

 価値観の合わない相手と額を突き合わせて生活していくというのは、本当に難しいことだと思います。そんな難しい生活の中で、健斗の心の平衡感覚が、どこかで狂ってしまったように思います。私も、同じような状況になったら、自分を保っていられる自信はありません。いろんなことから目をそらそうとするでしょう。自分に都合のよい思い込みを、無理矢理にでもするでしょう。そうでもしないと、価値観の合わない相手と一緒には生きていけない気がします。

 それはとても危ういことです。結局、私たちは目の前にいる人間の何が分かっているのか。いや、何かを分かろうとはしているのか。

 そして、健斗に最後の衝撃を与える出来事が、風呂場の中で起こりました。

距離感の怖さ



 最近は、他者との距離感が難しくなった時代だと思います。面倒に巻き込まれないために、相手と距離感をとっておくのが無難という風潮が強くなっているように思います。その一方で、ネットではどこの誰かも分からない人とコミュニケーションをとる。距離感の平衡感覚がつかめなくなってきているとでもいえるでしょうか。

 他者との距離感を間違うと、面倒ごとに巻き込まれるよりもはるかに恐ろしいことが待っていると思います。

 ユーモラスな雰囲気があり、文章は軽めです。あっさり読めてしまいそうなものですが、煮詰めていくと底の見えない恐ろしさが浮かんでくる小説でもあります。だからこそ私は、ユーモラスな部分は抑えて、その恐ろしさのさらに深い部分まで潜り込んでいってほしかったとも思いました。

 羽田さんがこのテーマの下で「介護」を題材に選んだことは、必然であったのかもしれませんが本当に秀逸だと思います。「介護」をさらに深く捉えた先にある、「人間と人間の関係」。その深遠さを噛みしめています。

レコメンド

うい世界の中にいた若者が、最後に見せられる「もうひとつの世界」―。

 2回合わせると約7000字と大変ボリュームのあるレビューになりましたが、読んでいただきありがとうございました。純文学のレビューはいつも長くなりますが、やはり作品の裏に秘められたテーマが深いからだと思います。



ブックレビュープレミアム

芥川賞受賞作「九年前の祈り」を読む (3回シリーズ)
 前回の芥川賞、「九年前の祈り」です。狭い場所に押し込められてきたものということでは、「スクラップ・アンド・ビルド」と似たものがあるかもしれません。こちらは王道というか、正統派の芥川賞作品という感じだったと思います。

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羽田圭介, 現代日本文学,



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