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100万分の1回のねこ 7匹目 「三月十三日の夜」 今江祥智さん

 15, 2015 23:26
100万分の1回のねこ
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は、”からっぽ”だった

 13人の作家さんの中に、1人だけ、すでに亡くなられた作家さんがいます。それが、今回紹介する今江祥智さんです。今江さんがこの作品を発表されたのが昨年の11月で、亡くなられたのは今年の3月です。今年7月にこの単行本が発売されるのを待たずに、今江さんは亡くなられてしまいました。

 最後に遺していかれたこの作品、「三月十三日の夜」。1945年の3月13日、大阪にB29が飛来した夜のことを、猫の目線から書いたお話です。



100mann-7
月十三日の夜 今江祥智

 見たこともない町にやってきたねこ。状況も理解できない中、突然空から「うなり声」がふってきました。三月十三日、大阪の夜。静かに逝った、1匹のねこのお話です。


クロネコ2らすじ

 そのとき、「ねこ」は知らない町にいました。

 (ここはどこなんだ?なんでおれはここにいるんだ?)ねこは、自分のいる状況がつかめません。

 突然、サイレンの音が鳴りました。静まり返っていた町から、人々が飛び出してきます。空からは、低い「うなり声」がふってきました。キラキラ光るトリがならんで、次々と飛んできます。トリたちが、黒いフンをどっさりと落としていきました。その後、炎がであーっとたちのぼったのです。

(引用)
(たいへんだ!)
(あいつが、こちらがわに落ちてきたら、おおごとやぞ・・・・・・)



 その時、ねこはイチョウの木のかげに小さくかたまっているねこたちを見つけました。ねこたちは、小さくかたまってふるえているのでした。

 気付けば、ねこは他に隠れているねこがいないか探し回っていました。自分でもどうしてそんなことをしているのか分かりません。ふるえているねこたちを見て、ねこは決意します。川を渡って、橋の向こうに逃げる。自分が先頭になってねこたちを連れて行く―。

クロネコ2江祥智さんのねこ

 ねこは、いや、ねこたちは最後はB29の空襲に焼かれて死んでしまいます。「100万回生きたねこ」のオマージュなので仕方ない部分はありますが、ねこは毎回のように死んでしまいます・・・。「ねこの死に、どんな意味があるのだろう」、それを考えるのが、「100万回生きたねこ」という絵本であり、この「100万分の1回のねこ」という短編集です。死んだから終わり、そんなお話は1つもありません。

 さて、この話に出てきたねこですが、最後にその名前が判明します。

(引用)
―ひ、洋、あれは・・・・・・。
―にいちゃん、トージョーはんや!トージョーはん!トージョーはん!
男の子のこえがしました。
(洋とにいちゃんや。おれのことを呼んどるんやな・・・・・・)



 戦争を舞台にしたお話で、ねこの名前は「トージョーはん」。ん・・・?東条英機ですか??

 気になって調べてみたら、本当に東条英機でした。今江さんが1991年に発表した「きょうも猫日和」という本に、「ああトージョーはん」というお話があるようです。戦争時、おじいさんがふざけ半分でねこに「トージョーはん」という名前を付けた、そんなお話だそうです。ここに出てくるねこは、そのときのねこなんですね。

きょうも猫日和
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今江 祥智
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 古い本で、中古でしか取り扱いがないようでした。情報もほぼゼロに等しかったのですが、どうやらこのお話は、20年以上前に発表された「ああトージョーはん」と世界観を同じにしているようです。「ああトージョーはん」は人間目線の話だったようですが、今回はねこ目線から書いたお話です。20年以上も前のお話と「100万回生きたねこ」が融合したとしたのだとしたら、胸が熱くなるものがあります。

 それにしても、自分の身を挺してまで他のねこたちを守ったねこの名前が「トージョーはん」とは・・・。これは、今江さんなりの、戦争に対する皮肉なのでしょうか。

クロネコ2には何があるのか

 ねこが取り残されたねこたちを助ける場面です。ねこは、自分がどうしてこの町にいるのか分かりません。そんな時、突然空襲が始まります。その時に目にしたのが、ふるえてかたまっているねこたちでした。

(引用)
「ねこ」がイチョウの木からかけおりてみると、どこから出てきたのか―何匹ものねこが、小さくかたまってふるえています。
それを見ると、「ねこ」は横に並ぶ家にとびこみ、かけめぐって、ねこがもういないかどうかを、たしかめはじめました。
(なんでおれは、ここでこんなことをしてんるんや?)



 自分がどうしてここにいるのかも分からない、そんな状況でも、ねこは自分よりも弱いねこたちを助けようとしました。ねこ自身、自分がどうしてそんなことをしているか分からないのです。「なんでこんなことをしてるんや?」戸惑いが浮かびます。

 目の前で消えかかっている命を見た時、体が勝手に動いてしまったのでしょうか。このねこの行動を支えているのは、「100万回生きたねこ」でも主題になっている、「愛」という感情です。それも、深い深い、私たち人間がたどり着くのは難しい次元にあるような愛です。

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 注目したいのは、ねこが自分の愛に無自覚であるということです。「愛」と「無自覚」、これは大きく関わる言葉だと思います。やたらに愛を叫びたがる人がいます。「愛は地球を救う」、そんなことを言う番組があります。私は、そんなことを聞くたびに、どこか拭いきれない違和感を覚えます。

 このねこは、自分がやったことに「愛」という名前が付くなんて、たぶん一生知ることはないのだと思います。でも、この「無自覚」こそが、本当の愛なのではないか、と思えてくるのです。愛は叫ぶものではないし、人にアピールして見てもらうものでもありません。私たちが本当に尊く思わなければいけない「愛」は、小さな町の片隅で、小さく消えた命の中に、たしかにその炎を燃やしていました。

(引用)
焼け落ちた電柱のそばに、たくさんのねこが、一列になってたおれているのが見えました。



 間に合いませんでした。小さな命の中にあった炎とは全く性質の違う、空襲の炎が、全てを焼き尽くしていきました。ねこの体は、空に浮かび上がっていきました。

 ねこが空に浮かび上がっていく場面を何度も読みます。町から離れようと、ねこは浮かんだまま走り出します。走り出すうちに風のにおいが変わっていました。ねこは空にたどりついて立ち止まります。

 そして、この作品の最後の五行です。亡くなった今江祥智さん、最後の五行です。

(引用)
何もなかった。
だれもいなかった。
空は、きれいに”からっぽ”でした。


そして、それをたしかめた「ねこ」も、ふっと、空のなかにとけるように消えていきました・・・・・・。



 空が”からっぽ”だった―。いろいろな解釈ができそうです。悲しい終わり方にも見えれば、ねこに永遠の安寧が訪れたようにも見えます。”からっぽ”ということばをどう捉えるかは、それは読む人しだいなのかもしれません。作者の今江さんに聞こうにも、今江さん自身も空に行かれてしまったので、聞くことができません。

 亡くなった人を想って、空を見上げるということを私たちはよくやります。空に実際にその人がいるのか、私たちを見守っているのか、そんなことは誰にも分かりません。

 この話の最後にあるように、空はからっぽなのかもしれません。ですが、私は空を想うということには必ず何か意味があると思います。いるような気がする、それでいいのではないでしょうか。たとえそれが、「空想」だったとしても。

100mann-7
匹目のねこ~私のつぶやき~

愛では勝てないものもあるし、愛では救えないものもある。その無力さに力が抜けそうになりますが、別の見方をすることもできます。

愛が救ったのは、愛と共に生きたねこ自身。空に消えていったことは、「救い」の象徴なのかもしれません。
そう想って、ねこのために空を見上げてやりたくなります。





オワリ

 愛というのはこの作品全体に流れるテーマなのですが、それについて書こうとすると本当に難しくて、呆然としてしまいます。しかも、愛が「死」と共に描かれることが多くて、それがさらに難しいのです。究極の状況だと思います。

特集 100万分の1回のねこ
 今日で7回目ということで、13回のシリーズも気付けば後半に入っていました。後半はクセのある作家さんたちもたくさん登場します。最後の方は奇跡のようなメンバーがそろっていて、今から楽しみです。

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今江祥智,



  •   15, 2015 23:26