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宮沢賢治・イーハトーヴへの旅 #13 「いちょうの実」

 28, 2015 23:01
いちょうの実 (ミキハウスの宮沢賢治の絵本)
宮沢 賢治
三起商行
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気の旅立ちを、朝焼けにのせて― 

 季節はすっかり秋になり、心地よい風が吹いています。「読書の秋」とはよくいったもので、本を読んでいてもいつもよりも感じやすく、味わい深く読むことができます。そして、そんな季節にぴったりの作家が宮沢賢治です。動物や植物との交感力、そして卓越した表現力が生み出した文章は、今のような「感じやすい季節」に読むと最も味わい深くなります。

 今回紹介する「いちょうの実」というお話も、素晴らしい交感力と表現力が凝縮されたお話です。ただ、この作品を紹介する季節としては少し早かったかもしれません。作品の中の季節は、冷たい風が吹き始めるような「秋の終わり」、あるいは「冬の始まり」です。



あらすじ



 星が輝く冷たい空。空の東では、あやしい底光りが始まりました。朝がやってこようとしています。

 霜のかけらがサラサラと飛ぶ音で、いちょうの実たちは目を覚ましました。今日は彼らの旅立ちの日です。期待と不安を入り混じらせながら、彼らは旅立ちの日の朝を迎えています。

 丘の上に立ついちょうの木が、彼らのお母さんでした。

そうです。このいちょうの木はおかあさんでした。
ことしは千人の黄金色(きんいろ)の子どもが生まれたのです。
そしてきょうこそ子どもらがみんないっしょに旅にたつのです。おかあさんはそれをあんまり悲しんでおうぎ形の黄金(きん)の髪の毛をきのうまでにみんな落としてしまいました。



 自分たちはどこに行くんだろう、自分たちは何になるんだろう。いちょうの実たちがそう話す間にも、星は消え、東の空が明るくなってきました。旅立ちの時が少しずつ近づいています。

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 東の空が白くもえ、ユラリユラリとゆれはじめました。いよいよその時です。「さよなら、おっかさん」子どもたちはそう言って枝から飛び立ちました。

味わいたい、この表現



 今回からこのコーナーを作りました。宮沢賢治の作品には、息が止まるような素晴らしい表現があふれています。奇蹟のような表現が詰まった「表現の宝箱」の中から、特に優れていると思ったものを紹介します。

そらのてっぺんなんかつめたくてつめたくてまるでカチカチのやきをかけた鋼です。
そして星がいっぱいです。けれども東の空はもうやさしいききょうの花びらのようにあやしい底光りをはじめました。
その明け方の空の下、ひるの鳥でもゆかない高いところをするどい霜のかけらが風に流されてサラサラサラサラ南のほうへとんでゆきました。



 秋の終わりや冬の初めの冷たい空。例えるとすれば「カチカチ」が似合います。「カチカチのやきをかけら鋼」、冒頭文にあるこの例えで、私たちは冷たい空が広がる物語の世界へと一瞬で足を踏み入れることができます。

 空に星が輝く中、朝が来ようとしています。東の空で「ききょうの花びらのようにあやしい底光り」が始まるのです。その空の下で、霜のかけらがサラサラサラと飛んでいき、その音でいちょうの実たちは目を覚まします。

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 静けさと穏やかさを保ちながらも、ほのかな緊張感が冷たい空に広がります。その様子は、期待と不安を抱えながらも必死に胸の高鳴りをおさえ、今まさに旅立とうとしているいちょうの実たちと重なります。作品を読んでいくと分かるのですが、「空の様子といちょうの実たちの心情が見事に重ねられている」ということが分かります。

 言葉でこれほどの表現ができるものでしょうか。文学の枠を超え、1つの芸術へと昇華した文章といえるでしょう。

旅立ちの日に



 いちょうの実、つまり「ぎんなん」です。正直、私はあまりいいイメージを持っていませんでした。小学校の前には、いちょうの木が並ぶ道があって、木の下にはぎんなんの実がたくさん落ちていました。実りある秋の風景・・・とはいかず、ただひたすら毎日臭かったことだけをよく覚えています。靴でぎんなんの実を踏んでしまおうものなら、その日は1日最悪の気分です。

 ぎんなんの実の臭さと共に、毎日のようにぎんなんを拾っておられたおじいさんの姿も鮮明に覚えています。「なんでそんな臭いものを・・・」と小さかったころは首をかしげていましたが、おそらく料理にするために拾っておられたのでしょう。茶碗蒸しの上に乗っているものがぎんなんだと教わった時の驚きもまたよく覚えています。

 私が「臭い」ということくらいしかイメージのなかったいちょうの実を、宮沢賢治は見事に物語に仕立てていきます。途中で夜が明けていく様子を何度か挟みながら、子どもたちがまさに旅立とうとするその朝の様子が描かれていきます。

「そら、もう明るくなったぞ。うれしいなあ。ぼくはきっと黄金色のお星さまになるんだよ。」
「ぼくもなるよ。きっとここから落ちればすぐ北風が空へつれてってくれるだろうね。」



 いちょうの実が、「黄金色のお星さま」と結び付けられます。枝の上につく小さな実から、天空で輝く1つの星へ。なんて美しく、それでいてダイナミックな表現でしょう。私が臭いとしか思っていなかったものは、宮沢賢治にとって「黄金色のお星さま」で、そんなことを思ったら、何だか感動と恥ずかしさが入り混じるようです。

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 旅立とうとする子どもたちの気持ちもそうですが、これから子どもたちを送り出そうとするお母さんの気持ちもまた見事に描き出されています。子どもたちと違って、お母さんにはせりふがありません。それでも、悲しみで葉っぱを落とすという描写であったり、どこか悲しみが張り詰めたような空の空気であったり、「言葉以外の部分」でお母さんの気持ちは十分に語られているような気がしました。

 子どもたちが旅立つとき、お母さんは何も言わず、「死んだように立っている」のですが、この言葉のない描写がお母さんの感じる悲しみを最大限に表わしているようです。「深い悲しみ」「悲しみに満ちた愛」。こういった心情は、宮沢賢治の表現の中でも最も光るものがあります。きっと、彼自身の人生にも裏打ちされているから、ここまで深みのある描写ができるのでしょう。

 さて、最後にいちょうの実たちが旅立つ場面です。宮沢賢治は、どんな素晴らしい表現を用意したのでしょうか。

とつぜん光のたばが黄金の矢のように一度にとんできました。子どもらはまるでとびあがるくらいかがやきました。北から氷のようにつめたいすきとおった風がゴーッとふいてきました。
「さよなら、おっかさん。」「さよなら、おっかさん。」子どもらはみんな一度に雨のようにえだからとびおりました。



 そして、最後の一文です。

お日様はもえる宝石のように東の空にかかり、あらんかぎりのかがやきを悲しむ母親の木と旅にでた子どもらとに投げておやりなさいました。



 今さらこんなことを言う必要はないと思いますが、宮沢賢治は天才だということを改めて思っています。



イーハトーヴ

「宮沢賢治・イーハトーヴへの旅」 旅程表


 秋に読む宮沢賢治の作品の魅力を少しでも感じていただけたらうれしいです。この話は本にしたら10ページほどのもので、青空文庫でもすぐに読むことができます。秋のひと時にいかがでしょうか。

 さて、次回は「銀河鉄道の夜」を読もうかなと考えています。「銀河鉄道の夜」はこのコーナーの最終回にとっておこうと思っていたのですが、秋の夜に読んだらどんなに素敵だろうと思ったらすぐに紹介したくなりました。10月に前後編の記事にする予定です。
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宮沢賢治,



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